第六節 家庭は心情的な訓練場所


 私たちは、心情を離れては生きることができません。自分が大統領だとしても、あるいは世界的なすべての権威をもっていたとしても、心情的な喜びを表せるところがなければ生きていけません。自分が率いる人たちや閣僚たち、あるいは追従する人たちには、心情的な満足は感じられません。それは、家庭で感じなければなりません。家庭に帰ってきて夫婦が互いを通じて喜びを感じ、また子女を通じて喜びを感じられなければなりません。そのようにして、その喜びを他の人に誇れなければなりません。その喜びは、第一次的な喜びであって二次的な喜びではありません。

 神様も同じです。この世界をすべて復帰したとしても、家庭のない神様は喜ぶことができないのです。結局、家庭がなければならないのです。

 家庭では父母を中心としなければならず、社会を代表する教育機関では先生を中心としなければなりません。父母は自分に乳を飲ませて育て、すなわち生理的な発展を助け、それで情緒的な面を助けてくれるのです。それでは、学校は何でしょうか。社会的な生活、将来の生活舞台を中心として訓練する所です。家庭が情緒的な訓練場なら、学校は社会生活のための実験的な訓練所です。

 かといって、社会で終わるのではありません。それがどこに行って帰結するのかというと、国に帰結するのです。国には国王がいます。人々がみな大統領を慕い、大統領の近くにいようとする理由は何でしょうか。家庭から社会まで、すべてのことを知ってからどこに行くのかというと、もっと大きな所に行くのです。

 大統領といえば、蘇生・長成段階を越えて三つ目の段階の結実です。種が根から始まって循環作用をして分かれます。分かれてから再び合わさり、花が咲き、実を結ぶのです。ですから、学校も国のための貴重な中心人物になり得る人、すなわち人材を養成し、国に必要な人を育てなければならないのです。

 学校でする勉強とは何でしょうか。訓練です。ですから、学校は訓練場所、実験場です。訓練とは、本番ではなく準備の段階です。準備を誤ってはなりません。

 家庭とは何でしょうか。心情的な訓練場所です。愛を中心として心情的に訓練する場所です。ですから、情をもって兄弟のように学校で生きなければならず、情をもって国でも兄弟のように生きなければならないのです。父母のこのような教育は、学校のための教育であり、社会のための教育であり、国のための教育になるのです。

 父母は、情緒的なすべてのことを子女たちに伝授してあげなければならないのです。父母が生きたのと同じように家庭ではこのように生きなければならず、社会ではこのように生きなければならず、国のためにはこのように生きなければならないという情緒的な土台を築いてあげなければならないのです。

 皆さんが家庭を見るとき、家が良く、その周りの環境が良いからといって良いのではありません。反対に、いくら環境が悪く、家がみすぼらしくても、それを安息所として、そこに自分の生涯と生活のすべての基準を因縁づけようとする家庭が、良い家庭なのです。そこには、親と子の間に、互いに「ため」に生きようとする心情があります。これが思い出の本郷であり、すべての生活の動機になるので、私たちの生活において幸福を左右する基礎になるのです。

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