宗族的メシヤ


第一章 氏族的メシヤに対する中心的み言
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済州教区長! (はい)。済州道の代表教域長は誰ですか? (西帰浦の教域長です)。君、氏族的メシヤについて一度話してみなさい! 出て来なさい。他の人たちは座って。(西帰浦の教域長が氏族的メシヤについて説明する)。

原理をはっきり知らずして、どのように蕩減復帰がされますか? 「氏族的メシヤ」といいますが、メシヤというものがただ来るのではありません。カイン・アベルの問題をはっきりと知らなければなりません。兄弟が過ったことを、もとがえししなければなりません。アダム・エバが堕落することによって、お兄さんがサタン側に立ったのをもとがえししなければなりません。これが世界の頂上まで上がっていきました。サタン世界は、国家を中心として今までやってきたので、国家基準を中心としてカイン・アベルが一つになるその基準を乗り越えずしては、メシヤは来ることができません。そのことを知らなければなりません。氏族的メシヤが立つことのできる位置をつくるには、カイン・アベルが一つにならなければなりません。

イエス様もそうです。四〇〇〇年ぶりに来たのですが、来る時には何を見て来たのでしょうか? ユダヤ教と国を見て来ました。これらがカイン・アベルの関係です。カイン・アベルの話を抜きにしては何もできないのです。サタンの血統が先に入ってきて、天の血統的関係は因縁づけられなかったのです。神様がどれほど「救援摂理をする」と言ってもすることができません。血統的関係がなされていないのです。それで、再臨主、メシヤが来て、血統的関係を収拾しなければなりません。メシヤは、アダムの位置です。ですから、私たちの原理で明らかにしたように、父母はアベルを通じて復帰されるのです。

それでは、アベルは何をしなければならないのでしょうか? カインを国家的な基準で屈伏させなければなりません。イエスラルの国をカインと見るならば、ユダヤ教がアベルになるので、ユダヤ教がイスラエルの国を動かさなければならないのです。そうして、ユダヤ教がイエスと一つにならなければならなかったのです。洗礼ヨハネがイエス様と一つになったならば、ユダヤ教とイエス様が一つになるのです。また、洗礼ヨハネとユダヤ教を見るならば、洗礼ヨハネがアベルの位置にいたのです。横的な面でアベルの位置にいました。これが一つにならなければならなかったのです。一つになってその中心の位置に立ち、ユダヤ教とイスラエルの国と一つにならなければならなかったのです。これが一つになる時、初めて国家的メシヤが来ることができるのです。そうであってこそ、国家的な基準に立つことのできる父母の位置が設定されるのです。

カイン・アベルの問題が正しく設定されずしては、父母は来ることができません。分かりますか? カイン・アベルが一つにならずしては駄目なのです。そうして、カインよりアベルが先立たなければならないのです。ところが、イスラエルの国の王が祭司長の支配を受けなかったのです。けれども、洗礼ヨハネとユダヤ教が一つになったならば、イスラエルの国は従っていったはずです。本来、そのようにならなければならなかったのです。

今のアメリカを見てもそうではありませんか? アメリカの大統領が就任する時は、必ず牧師が祝福してあげなければなりません。牧師が祭司長の立場であり、大統領はカインの立場なのです。天の全権をカインは受けることができません。アベルを通じて受けなければなりません。同じなのです。原則がそうです。ですから、カイン・アベルが設定されなければ父母は立つことができません。それはどういうことかといえば、皆さんの体と心が一つにならない所には神様が臨まれないということです。何のことか分かりますか?

カイン・アベルが一つにならずしては父母を復帰できないというのです。なぜそうなのでしょうか? 長子がサタン世界の血統を受け継いで、悪魔の根になっているからです。いまだ生命が天を中心として植えられたことはありません。ですから、これをある一時に天の父母を中心として全部切ってしまい、接ぎ木した立場に立ってこそ、堕落したけれども堕落しなかったように継ぎ当てをして、くっつけることができるようになるのです。ですから、カイン・アベルの話をしなければならないのです。カイン・アベルにおいて蕩減復帰、長子権復帰された基盤の上でアベルが長子、兄の業をし、カインが弟の業をしなければなりません。兄のカインが弟の業をしなければなりません。それは何かといえば、サタンが完全にアベルに屈伏しなければならないという話です。

アベルとは何でしょうか? アダムの代わりの位置なのです。アダムに屈伏しなければならないのです。それが原則なのです。それを抜きにして何の話をしますか? それを抜きにしては父母は来ることができません。カイン・アベルの関係は、ザカリヤの家庭とヨセフの家庭を中心として蕩減復帰するのではなく、ユダヤ教とイスラエルの国がしなければならないのです。ここに氏族はみな入ります。分かりますか? メシヤにヨセフの家庭、ザカリヤの家庭は問題ではないのです。ユダヤ教とイスラエルの国が一つにならなければなかったのです。そうして、ユダヤ教と絶対的な権限のもとでイスラエルの国は従っていかなければならないのです。

今までの歴史は、長子権復帰歴史でした。これを抜きにしては何もできません。第二次世界大戦直後に長子権を復帰することのできる基盤ができたのです。その時を見るならば、母を中心として天側のアベルが長子になるのです。天側のアベルが長子になって、サタン側のカインがアベルのあとに従ってくるようになっていました。屈伏しなければならなかったのです。その時に初めて再臨がありました。これがキリスト教文明圏でした。キリスト教とアメリカでした。アメリカとキリスト教のうちでどちらが中心にならなければならないのでしょうか?アベルが中心になるのです。それでアメリカがキリスト教を中心として世界を一つにつくるのです。カイン・アベルが一つになり世界的な版図になったので、その時父母が来るのです。

ですから、母親格のイギリス、その次には長子権を復帰したアメリカ、その次にはカイン圏、サタン世界の版図になるのです。そのようになったのでお母さんが生じ、その次には長子が天側アベルになり、次子はサタン世界がなったのです。自然に屈伏するようになるのです。カイン的な世界が弟の位置に立って順応するようになったので、父母が来るのです。歴史始まって以来、キリスト教文化圏を中心として統一世界になったのは、その時が初めてでした。その時を中心として父が来るのです。

それでは、なぜ父に侍らなければならないのでしょうか。今まで、天の生命の種を受けられなかったからです。母とカイン・アベルは、何をどう言っても、サタン世界に根を下ろした野生のオリーブの木と同じなのです。真のオリーブの木の種は受けられなかったというのです。ですから、エバになる国、アベルになる国、カインになる国は、合わさって父の国を探し求めていくのです。父として来るのは誰なのですか? 父母ではありませんか? 父母とは何ですか? 生命の種を伝授された根本なのです。ですから、カイン・アベルが一つにならずして父母は来ることができません。それ、何のことか分かりますか? 堕落するとき、弟が兄になり、兄が弟になったことが、歴史時代を経て、初めて母を中心として天側の長子圏と次子圏として正しく形成されました。

それでは、今や誰を探し求めていくことができるのでしょうか? 父を探し求めていくことができるのです。これが復帰です。個人として植えたものが、国の立場で復帰されるのです。母の国、その次にはアベルの国、その次にはカインの国が、天を中心として連結され得る立場に立つのです。母を中心として、二人の息子が一つになったので戻っていくのです。一つになれないならば、戻っていけないのです。何のことか分かりますか? カイン・アベルに対してはっきりしたことを知らなければ、氏族的メシヤという言葉は出てきません。

天の父母に侍るためには、教会だけでは駄目です。済州道南原教会だけを訪ねていくのが御父母様の願いではないのです。済州道を探し求めなければなりません。そのためには、教区長と道知事と一つになっていなければなりません。今、一つになっていますか? それが分からなければなりません。

教会とは何ですか? サタン世界であるカイン圏を消化して再創造しなければならないのです。何でもって再創造しますか? 愛なのです。真の愛を中心として溶かされなければなりません。これが公式です。その公式を通じなければ神様の前に行くことができません。これができずにあの世に行けば、パッとストップです。天国に行けません。

ですから、氏族的メシヤを語る前にカイン・アベル復帰を話さなければならないのです。ここの教区長は誰ですか? 教区長は道知事に命令しなければなりません。郡守は何でもありません。大学の総長たちも先生が全部呼んでおいたならば、入っていって回さなければなりません。彼らはみ言を知りませんからね。そうではありませんか? 一番の願いとは何かといえば、父母に侍ることです。孤児と同じ立場において、父母に会う以上の願いがどこにありますか? 「あなたがどれだけ有名だとしても父母に侍ろうとするならば、教区長である私に従ってこなければなりません」と言わなければならないのです。そうではありませんか? 教育しなければなりません。大学の総長たちと道知事たちを教育するようになるならば、みな乗り越えていくのです。総長と道知事を呼び出して、言うことができるではありませんか?

今や御父母様を中心としてすべてのことが一つになれる時になりました。反対がなくなりました。先生の基準は、世界的なのです。天宙的なのです。そうであるならばどうなるのでしょうか? 国は多いのですが、国をどのように収拾するかというのです。国を収拾する方法とは何ですか? これが氏族的メシヤなのです。国家を中心とした基盤と、世界を中心とした縦的基準をみな貫いておきました。

イエス様は、氏族的メシヤの責任を果たせませんでした。氏族的メシヤの責任をなぜ果たせなかったのでしょうか? 反対したからです。その時は、教会が反対し、イスラエルの国が反対し、ローマが反対しました。今は、先生を中心として二万家庭以上、イエス様が勝利した基盤を中心として配置したのと同じ立場に立ったというのです。そのように配置するならば、どのようにしなければならないのでしょうか? 長子権を復帰してから父母権を復帰しなければなりません。歴史時代にアダム家庭も失敗し、イエス様の家庭も失敗しましたね? これを蕩減復帰しなければなりません。

先生が個人アダム圏、イエス様の縦的基盤をみな築いてきたのです。縦的なのです。八段階の縦的基盤を築いたのです。皆さんは、横的基盤を築かなければならないのですね。横的八段階、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様、このようにずっと下りてくるならば、これが一点に集まるのです。一点に集まります。家庭を中心としてすべて編まれるのです。ですから、世界的版図で縦的にも全部勝利し、また、横的にも勝利しなければなりません。今まで個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的に見るとき、統一教会がいかばかり迫害を受けましたか? 四十年間、迫害を受けたのですね? 今ではみな終わりました。縦的基盤を築いたので、横的基盤さえ連結されるならば、いかなる問題もなくなります。

このような立場から見るとき、横的基盤における反対がないというのです。反対がないということは、イエス様自身がイスラエルの国とユダヤ教と一つになった位置であると同時に、ローマも歓迎する立場と同じになるので、イエス様も世界版図を反対なしに成すことのできる時が来たというのです。現在ローマと同じ立場にある国はアメリカです。当時のユダヤ教と同じ立場にあるのが、現在のキリスト教なのです。ローマとユダヤ教と同じ立場にあるアメリカとキリスト教が反対する環境を、全部除去してしまったというのです。

ですから、長子権が復帰された基盤の上に世界圏が収拾されるのです。世界圏内に一族を収拾しようとするならば、十二カ国以上を収拾して、その十二カ国を中心として三六〇度の角度に連結しなければなりません。すべての国が滅びるのを収拾するために、神様の代わりに地上に下りてきて氏族的メシヤを派遣したというのです。それゆえに皆さんが、今や問題さえ巻き起こすようになるならば、サタン世界は遠くなるようになっています。昔、サタン世界が反対していた十倍以上の前進的な攻撃をせよというのです。サタンが十回攻撃したでしょう?パロ宮中でモーセもそのようにされ、また、ヤコブもそのようにされたのです。十回ずつだまされなかったですか? それを蕩減復帰せよというのです。十倍以上攻撃してみなさいというのです。皆さんも迫害されたでしょう? 迫害されましたか、されませんでしたか? (されました)。悔しいですか、悔しくありませんか? (悔しいです)。悔しいならば (愛でもって) 復讐しなければならないのです。彼らは滅ぼすためにためにそうしましたが、私たちは生かしてあげるために十倍以上努力するようになるならば、完全に包囲するのです。そうしなければ皆さんに、十倍患難が起こってくるのです。サタンがかみついてくるのです。

先生は、国家代表であると同時に世界代表なのです。中央にいるのです。皆さんは、氏族代表として横的に展開するのです。その次には何かといえば、皆さんの家庭です。先生を信じ、先生と同じ基台の上で先生の代わりに世界と戦わなければならないのです。

花は、枝に咲くのです。幹や中心の芽に咲くのではないのです。枝に咲くのです。先生は、世界的中心、国家的中心をみな蕩減したので、サタンは攻撃できません。

皆さんを縦的な立場で、横的に先生の代わりに、イエス様が勝利したのと同じ位置に送ってあげて何をするのでしょうか? アダム家庭が失敗したことを収拾するのです。皆さんの父母が怨讐なのです。天側国家と世界的中心である真の父母を中心として見るとき、皆さんの父母は怨讐なのです。父母をはじめとした一族が怨讐だというのです。

皆さんは、二番目です。二番目はアベルの立場ですから御父母様を解怨しなければならないし、神様を解放しなければならないし、カインである皆さんの一族を解放しなければなりません。

祝福家庭が入っていって自分の父母を中心として祖父、祖母まで三代――祖父母、父母、兄の三代です――を中心として全部、真の父母を父母のように侍ることができるならば、初めて真の父母によって全部復帰されるのです。それによって堕落しなかったアダム家庭、イエス家庭、再臨主家庭が連結され得る立場が展開され、それによってサタン圏解放が始まるのです。

父母のみ旨を受け継ぎ、反対していた自分の家庭に連結しなければなりません。怨讐たちが反対し、追い出したりしたのを全部復帰することによって、今まで反対した父母たちが祖先の位置に上がっていくのです。皆さんの一族において、祖先の位置に上がっていくのです。なぜそうでなければならないのでしょうか? そうすることによって、皆さんの祖先たちが神様の懐に抱かれ得る堕落しなかった父母の位置に立つことができるし、初めて皆さんの故郷が皆さんの故郷になるのです。故郷が生じます。

皆さんの故郷は平安道定州ですか? それは、御父母様の故郷です。王が生まれた故郷であって、民たちが生まれた故郷ではないというのです。皆さんの父母を復帰し、一家を復帰することにより、初めて皆さんの故郷が天の国の故郷になり、皆さんの父母が天の国の血族の父母になることができるというのです。

それゆえに氏族的メシヤが御父母様のみ旨、神様のみ旨を奉って自分の氏族を全部収拾するようになるならば、国が収拾されるのです。十二の氏族的メシヤさえ一つになるならば、国は復帰されるのです。時間が問題なのです。

ですから、氏族的メシヤは長子権を復帰し、父母としてアダム家庭が失敗したこと、イエス家庭が失敗したこと、その次にサタン世界の全部を収拾することができなければなりません。先生はその八段階を克服し、勝利しました。霊界で配置したのではないのです。地上で、東西南北を中心として二万以上の祝福家庭を蒔いたのです。

イスラエルの国において四〇〇〇年間待ち焦がれたメシヤが、皆さんの一族に来たとはどういうことなのでしょうか? 「柳さん」といえば、柳さんが主流宗教圏、キリスト教の位置に入ってくるのです。何千年間もメシヤを慕い、功を立てたユダヤ教とキリスト教文化圏を、アダムから主流宗教圏を立てたのを、皆さんが一代で蕩減するのです。アダム、ノア、アブラハム、イサク、モーセ、イエス、先生、そして、神様の解怨がなされるのです。

イスラエルの国が選ばれた目的は何ですか? メシヤを迎えることです。私たちの一族の願いとは何ですか? メシヤを迎えることです。同じなのです。皆さんは傍系ですが、今や先生が主流と同じ特権的恵沢を付与したものが氏族的メシヤです。氏族的メシヤは、自分が死ぬとしても、しなければならないのです。妻は母の業をしなければならないし、夫は父の業をしなければなりません。それで、再び生んであげて接ぎ木する業をしなければならないのです。そうでなくては、戻ってこられません。この中央に来られません。ぐずぐずしていては全部奪われてしまいます。氏族的メシヤは、長子権が復帰された基盤の上で、父母圏解放のために責任を果たさなければなりません。

来られる主が、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的なアベル圏を代表して、キリスト教とアメリカができなかったことを再び接ぎ木して、共産党まで崩し、統一天下にする環境的な条件を整えるのです。ですから、天上から再臨主を送ったのと同じく、神様の代わりに父母が皆さんを氏族的メシヤとして送って、イスラエルの国に四〇〇〇年ぶりにメシヤを送るという約束の基盤である宗教主流圏を、皆さんに相続してあげるのです。天のこのような恵沢を受けても、明きめくらになったというのです。世の中が分からない連中になってしまったというのです。

氏族的メシヤの責任とは何でしょうか? 王権復帰です。皆さんの家にまでも王をお連れできる準備をしなければなりません。それはどういうことでしょうか? 王権復帰をしなければならないというのです。天と地を連結できる王権をです。中心の根と中心の芽に通ずるすべての樹液が、どの枝にも行かなければなりません。そうしてこそ木が生きるのです。王権復帰は、家庭を通じなければなりません。個人的王権、家庭的王権、氏族的王権をみな通じなければなりません。皆さんは、氏族を中心とした王なのです。それで、「キリストと共に王の業をする」とそう語りました。

ですから、皆さんは先生の家庭を中心として絶対に一つにならなければなりません。皆さんの息子、娘よりも、父、母よりも、誰よりも先生の息子、娘と一つにならなければなりません。そして、家庭的に連結してこそ国家王権、世界王権が展開されるのです。世の中に今、何が起こるかを知らなくては駄目なのです。明きめくらになっていてはいけません。

それでは、まず何をしなければならないのでしょうか? 世界的な長子権復帰です。先生は、キリスト教が責任を果たせず、アメリカが過ったことを全部収拾したのです。アメリカとキリスト教が一つになって長子権を復帰した基盤の上に、父母が立たなければならないのです。こうして父母が地に立ったので、初めてあなたたちを派遣するのです。ローマ法王を中心とした主教たちと同じく、任命されて世界的に活動する人たちにならなければならないのに、出来損ないになっています。千回万回死ぬとしても、皆さんには正当でない恵みです。

皆さんはいつ個人蕩減をしましたか? 生きるか死ぬかという問題を前にして、各地に行って、自分の生命を祭物として四方にサタンに引きずり回されながら迫害されましたか? しかし、死んではいけません。昔は死んで祭物になりましたが、今は死んではいけません。先生がその業をしませんでしたか? 世の中のつまらない連中は先生をみくびっていました。ちょっかいを出さなかった人がどこにいますか? 父母が血の汗を流しながら死地で築いた公的な基台を蹂躙してはいけないのです。

私がみな蕩減してあげました。横的に蕩減を受けました。今からは反対がありません。三年間氏族的メシヤとして義務的にしてみなさい。父母をはじめとした一族を復帰しなければならないのに、夜眠ることができますか?

長子権を復帰するには、父母から復帰しなければなりません。そうしてこそ王権が復帰され、本然の基準へ戻っていくことができます。ですから世界のどこに行っても、家庭を中心として中央に行かなければなりません。四方にあるすべての枝に通ずる樹液は、芽や、根にも、どこにでも思いどおりに行きます。それと同じく、先生が中央を通じて思いのままに行くことのできる道がみなできています。そうでなければ皆さんが故郷へ戻っていけません。天の国の故郷に行けないのです。

なぜ、氏族的メシヤが必要なのでしょうか? 天の父母から生まれなかったからです。故郷が天の国の故郷にならず、父母が天の国の父母になれなかったので、これをつくっておいてこそ、世界に生まれた万民が天の国の民になり、天の国の故郷をもち、天の国の血統を受け継いだ本然の位置へ入ってくるようになります。このようになることによって地上天国になるのです。

氏族的メシヤであるならば、カイン・アベルを考えなければなりません。長子権復帰、その次に何ですか? (父母権復帰です)。父母権復帰なのです。アダム・エバが血統的に汚されました。根が過りました。ですから真の父母の血統的因縁を、祝福を受けて結ばなければなりません。そうすることによって一つの根になるのです。そうすることによって初めて王権が展開されるのです。

東西南北へ実を結ぶことができてこそ、その木を主人が保護するのです。永遠に保護しようとします。実を取ることができてこそ、永遠に保護しようとするのです。イエス様がエルサレムに上っていって、実のない無花果の木を呪いました。天の息子、娘として生まれることのできる本然の基準でもって戻っていってこそ、永遠に保護されるというのです。そうしてこそ聖書が蕩減復帰の原則を中心として、理論的にみな合うのです。父母権を設定しておいて王権まで設定して、永遠なる天の長孫(注:長男の長男)をつくっておかなければなりません。アダムからノアを経てずっと下ってきつつ長孫復帰するのです。

氏族的メシヤであるならば、一番目に何をしなければなりませんか? 長子権復帰。長子権を復帰せずしてはメシヤは出てくることができません。国家的基準なのです。イエス様の時のユダヤ教とイスラエルの国も、国家基準が可能であり得る時になっていたのです。ローマ一つだけ消化したならば、世界は全部終わったのです。今日、韓国で先生がその業をしたのです。国を収拾し、ユダヤ教とローマ帝国と同じであるキリスト教とアメリカを収拾して戻ってきたのです。イエス様が元老院を消化できなかったのを蕩減して、先生がアメリカの国会に影響を及ぼし、アメリカ大統領からアメリカ国民に至るまで方向を全部正して、戻ってきたのです。今や統一教会に反対はありません。

それで、神様の愛を中心として御父母様から生命の種を受け継ぎ、天の国の愛と、天の国の生命と、天の国の血統を植えておくことによって、一つの根になるのです。サタンはそこに住むことができません。理論的にぴったり合うのです。そこでみな終わるのです。王権復帰が最後です。アダムは何でしたか? 個人的王であり、家庭的王であり、氏族的王であり、民族的王であり、国家的王であり、世界的王であり、天宙的王でした。その王権を失ってしまいました。先生が地上の基盤を築いたので、その基台の上であの世に行って天の国の王になるのです。イエス様が問題ではなく、孔子が問題ではないのです。氏族的メシヤにならなければなりません。氏族の王になるのです。その道を通じずしては駄目なのです。

大統領をやるという人たち、今では私の手にぶら下がったのです。見なさい! 大韓民国の主人は誰なのですか? 大統領ではないのです。李承晩博士も追い出され、張勉も追い出されました。三番目の朴正煕大統領は私と一つにならなければなりませんでした。私に侍らなければなりませんでした。ところがそのようにできなかったので、その人(朴正煕)は死んだのです。その次に全大統領なのですが、私が彼に大統領をさせてあげたのに私を裏切って追い出されました。盧大統領も私が大統領をさせてあげました。文総裁を分かって、しなければまた追い出されるのです。大統領をするのが難しくなりました。やりそこなっては滅びます。一家が恥をかくのです。変ですね? なぜそうなのか分かりますか? 天が手助けしてくれないからなのです。

今、私たちが責任さえ果たし、氏族的メシヤを中心として統班撃破の基盤さえ築くならば、カイン圏はみな消え去ってしまいます。皆さんが道知事たちを全部主管して、そうしなければなりません。できないならば、やめときなさい。皆さんが郡守たちをみな、教育しなければなりません。「道知事をやるならば私の言うことを聞き、郡守をやるならば私の言うことを聞きなさい!」と言うことができなければならないのです。そうであり得る基盤が、みなできました。このようにつくっておいたのに、それもできなければ私が首を打ってしまうのです。この者たち! 日本人とアメリカ人を連れてきて、皆さんを彼らの子分としてこき使うようにするのです。いつするのかは話しません。直ちに切り替えさせるのです。

それはどういうことでしょうか? 先の者が後になり、後の者が先になるのです。無知な者たちは僕になるのです。何になりなさいって? (氏族的メシヤ)。氏族的メシヤになろうとするならば、長子権を復帰しなければならないのですが、皆さんがそれを復帰しなければなりません。世界的長子権を復帰しなければなりません。

先生が、アメリカとキリスト教が責任を果たせなかったのを蕩減復帰したので、共産党は崩れるのです。共産党は七十三年を越えられないと、先生はみな教えました。そのようになるのです。今年が七十三年目なのです。みな終わりになりました。切り替えるのです。皆さんはそうであり得る基盤をもっていますか? 氏族的メシヤの使命とは何ですか? 長子権を復帰することです。神様が創世してから今まで、宗教圏を中心として長子権復帰一つのために数千万年が流れたというのです。今まで長子権を復帰できませんでした。分からなかったので、復帰することができませんでした。先生が出てきて、初めて可能になるです。長子権復帰、その次には何ですか? 父母権復帰なのです。長子権と父母権を合わせて王権を復帰しなければならないのです。正に答えが出ています。

霊界では、先生が王の中の王なのです。霊界は、既に決定したというのです。霊界は、統一教会が始まる前に全部整理し、今や地上の実践舞台で勝利しました。みな終わったというのです。事実は、これを私が教えてあげる必要もありません。ですから、天と地が同じ位置で神様の名により、御父母様の名により、氏族的メシヤを派遣するのです。愛を中心として生命と血統が一つになった位置で、氏族的メシヤを派遣するのです。サタン圏はないのです。これは、全権なのです。激しく押しなさい。反対した父親、母親、反対した町内の人たちを訪ねていって、「文総裁が過ったことは何ですか?」と聞いてみなさい。「教授たちほどもできなくて、出てきてこうすると思うのですか? ごちゃごちゃ言わずに言うことを聞きなさい!」と言うのです。

一族を訪ね回って復興会をしなさいと言ったのですが、復興会を続けていますか? 一族を訪ねて回らなければなりません。一族が全部支持するのに、父母が支持しませんか? 一緒に回りながら見物させて、屈伏するようにつくらなければなりません。

なぜ先生がこうするようにしてあげたのでしょうか? 皆さんはひたすら生活の中で先生に対して、神様以上に侍らなければなりません。神様は、長子権復帰ができません。それは、カイン、アベルがしなければなりません。カイン、アベルを一つにするのは、神様がするのではないのです。父母がするのではありません。この人類がしなければなりません。カイン、アベルが復帰されたのちに、父母が来るのです。父母が来て一つになったのちに、神様が来られるのです。神様の思いどおりにはできません。なぜこのようになったのですか? 血筋が間違ったからです。

神様が父母であるならばイエス様は何かといえば、アベルであり、世の中の人たちはカインなのです。堕落した世界、これを復帰しなければなりません。ですから、死んでも天国に行けないのです。天国へ連れていくことを願うのですが、死んでどのように天国に連れていきますか? 連れていけないのです。ですから、人類解放をしなければなりません。その次に誰の解放なのでしょうか? 神様の解放です。カイン、アベルが完全に一つになってこそ神様が解放されるのです。父母権復帰がそうだというのです。

地上天国はいつできるのでしょうか? 統一教会と世界の人たちが一つになってこそ地上天国が始まるのです。教会圏の地上天国は始まったと見るのですが、堕落しなかった本然の地上天国は成されていないと見るのです。

ですから、アベルは何をしなければならないのでしょうか? カイン復帰。カイン復帰なのです。自分たちは何かといえば、アベルの立場、横的な面において長成級です。完成級は、先生の位置なのです。国家基準です。ですから、二番目である皆さんがその位置に行くのです。皆さんの家庭を復帰してこそ、カイン・アベルが一つになってこそ、皆さんの家の中が先生と関係を結ぶのであって、そうでなければ駄目です。死んでも従ってこられません。

カイン・アベルが一つになっていたならば、イエス様は死ななかったのです。今まで二〇〇〇年間十字架を負い、苦労しながら通過してきた路程も必要なかったのです。皆さんが氏族的メシヤとして家庭を復帰しないならば従ってこられません。先生に従ってこられないというのです。一つにならなければ先生は相続もしてあげません。

イエス様は今、天国に行っていますか、楽園に行っていますか? (楽園に行っています)。皆さんも氏族的メシヤとして責任を果たせないならば、どこに行かなければなりませんか? 楽園なのです。楽園。同じなのです。地上天国を成せないならば、天上天国には行けません。行ってみなさい。そうなのか、そうでないか。間違いなく引っかかってしまいます。理論的に引っかかりそうですか、引っかからなさそうですか? (引っかかりそうです)。

それで、氏族的メシヤの使命がいかばかり大きいでしょうか? 済州道の道知事を何百個与えても換えられないというのです。大韓民国の大統領を何百個与えても換えられないというのです。そのような価値が分からなければ、先生はこの業をしようともしなかったでしょう。先生のようなことをする人が、世の中に二人といると思いますか? 「私が再臨主をやる」と言う連中の顔をじっと見ると、泥棒みたいです。「なぜ、あのようになったのか? 欲心をもってやりたいままにやってみなさい! どうだ、消化するか見よう!」。大韓民国を消化できません。国を滅ぼすと同時に、自分の一家が滅びます。逆賊になってしまうのです。

ですから、皆さんがしっかりしなければなりません。大韓民国のいかなる愛国者よりも先立たなければならず、北韓のいかなる愛国者よりも先立たなければなりません。氏族的メシヤをはっきりと分からなければなりません。

王権復帰は、家庭を抜きにしてはできないというのはどういうことでしょうか? 天宙的王権になるためには個人的王権、氏族的王権、民族的王権……と、このように順々に上がっていかなければならないのです。ですから、皆さんが先生の家庭を中心として一つにならなければならないのです。個人的に一つにならなければならず、家庭的に一つにならなければならず、氏族的に一つにならなければならず、民族的に一つにならなければなりません。

王権へは、氏族的メシヤの家庭を通じていくのです。その王権は、直系子女と完全に一つになっていなければなりません。氏族的メシヤ圏とは何かといえば、二世たちです。先生の二世。完全に一つになっていなければなりません。それでは皆さん、先生の息子、娘をもっと尊重視しなければなりませんか、自分の息子、娘をもっと尊重視しなければなりませんか? 自分の一家が王権のために、王子のために犠牲にならなければなりません。一族がそうでなければなりません。

今後統一教会の信徒たちは、先生を一切訪ねてこられません。何のことか分かりますか? 今は良いですね!私が位置なしに行ったり来たりしますからね。行ったり来たりしますから、皆さんは会えますが、今後、落ち着くならばどのように会いますか? 思いのままに来ることはできません。思いどおり会えません。

氏族的メシヤ、理解できますか? (はい)。最初は何ですか? (長子権復帰)。二番目は何ですか? (父母権復帰)。氏族的メシヤはなぜ必要ですか? (王権復帰のために必要です)。それが分かればよいです。簡単なことです。結論がそれなのです。分かってみるとそれなのです。このように簡単なことを人間は分からなかったのです。それは、簡単ではないのですね。それはどれだけ複雑ですか。先生がこのように位置を確保してさっとするので、神様は気持ちが良いし、サタンはたまらないと言い、皆さんも気持ちが良いので、今やサタンが離別するのです。素晴らしいことです。

先生が語ったことは観念的な話のようですが、違います。夢のような話が、先生が語ったとおりに、みな成就したでしょう? (はい)。それ、そのようにならざるを得ません。神様が今まで悪口を言われ、ありとあらゆる反対を受けても黙っておられたのと同じく、統一教会の文先生がそうしたのです。糞にまみれた犬のような連中が、自分がメシヤをやると言って大騒ぎしています。メシヤが易しいことと思いますか? 私が知っているメシヤは死ぬほどたまらいのに、逃げていけずにこうしているのに、それをやると言っているのですね。そのまま、ただでできると思いますか? 私は、正面対決してきたのであって、回ってきませんでした。私が監獄に入って統一教会の教主になったことを誇り、統一教会の責任者になったことを誇ったのであって、恥ずかしく思いませんでした。

ところで、アメリカ人たちは今はこのように思っているのです。つまり、ワシントンみたいな所で、レバレンド・ムーンは再臨主だという考えをもう既に三分の二はもったというのです。私がどんな話をしたのかということが朝野の問題になっています。過ぎてみると、私が語った話はみな合っていたのですね。ですから、今では関心が高いのですね。

皆さんが先生のみ言に対して関心をもつより、世の中の人たちがもっと関心をもっています。それはなぜですか? 奪われてしまうという話なのです。ダイヤモンドを持っていながら、それをガラスのかけらであると思う者に、そのダイヤモンドが必要ですか? ですから、どのようにしてでも奪っていくのです。分からないので売るようになっています。

見なさい。ヤコブとエサウのうちで誰がより賢かったですか? (ヤコブがより賢かったです)。それなのです。知恵深かったではありませんか? 自分の二十一年の生涯が問題ではないというのです。奪われた長子権を探し求めるために、死ぬことを覚悟して長子になることを願ったのです。そのことを理解しなければなりません。私たちも同じだというのです。へたをすればみな奪われてしまいます。

今では私が霊界に行くとしても、地上で烈女の道理、忠臣の道理、孝子の道理を果たしたので孝子、烈女、忠臣として歴史に残される、それ以上にならなければならないのです。サタン世界でもそうなのに、天の世界を考えてみなさい。日久月深(注:月日の長いことの意味で、ひたすら望むという意味をもつ)、六十兆にもなる細胞が一挙に私の生命と共に生きる方向を整えて侍るとしても、足りなさを感じなければならないのです。ですから、神様にお伺いしてみるならば、先生はある面では神様より素晴らしいと言われるのです。神様は、長子権復帰もできなかったのですね。個人の長子権復帰も神様はできませんでした。家庭長子権は言うまでもありません。先生が全部、収拾して決着をつけました。

見なさい! 氏族的メシヤという言葉は、聖書にはありませんが、なくてはならない言葉です。長子権復帰、父母権復帰、王権復帰。先生が出てこなかったならば、神様がいかばかりかわいそうだったことでしょうか?

先生がしたことは、あたかも数千年前に茫々とした大海に砂つぶ一つを放り込んでおいたのを探し求めるよりも、もっと難しかったのです。むしろ砂一つぶを探し求めるのが易しいというのです。それがいかばかり貴いですか。それでいかばかり多く犠牲になりましたか。そのような価値あるものを自分のものとして持ってきてあげたにもかかわらず、皆さんはどれだけ貴くみなしましたか? 一生の間返しても、返すことができない負債を負っているのです。一生の間、唇がぼろぼろになるほどに請うても足りません。返すことができないのです。不平は通じません。先生自身がそのようには生きませんでした。不平を言うならば私が不平を言うようになっているのであって、統一教会の信徒たちが私に不平を言うことができますか?

どこかに行けば直ちに、「摂理的与件は、長子権復帰を中心としなければ父母が立つ位置がありません」と、このように出てこなければなりません。カイン、アベルが一つにならずしては復帰、発展がされないのです。このことが分からなければなりません。ですから、皆さんはアベルの位置なので、自分を尊重視する以上にカインも尊重視して一つにならなければなりません。そうしてこそ天の公認を受けます。

今は、世界的な時なのです。今までは国家的な時でしたが、今からは世界的な時なのです。イエス様を中心とした国家的な時を蕩減復帰して解放されました。迫害がないところから、世界的な基準を中心として氏族的メシヤになるのです。今からは自分の信仰の息子、娘を中心として一つになり、氏族的メシヤ圏を復帰することによって霊界の他の一族も後援するのです。そうなれば、連合戦線が展開されます。(一九九〇・二・一一、本部教会)

第一節 メシヤ

一 救い主は父として

1 再臨の必然性

「救い主が来る! 主人が来る!」と言いますが、その主人が来て何をするのでしょうか? その国、その世界を治めます。世界を治めようとするならば、主人が全部、自分の思いどおりに率い、世界を回りながら主管するのです。その主が、あるいは救世主であるならば救世主が願う世界こそ、神様が願い、神様が喜ぶことのできる世界です。神様が喜ぶと同時に、神様と共に始まった私たちの良心が喜ぶ世界です。ここには人種差別、国家、国境問題、歴史的背景、あるいは伝統思想は問題になりません。それこそ共通的であり、善観においては一致することができ、その一致した内容は、天と共に共鳴することができる相対基準です。そのような世界に向かってお出ましすることができる一日が来るのであり、その一日が成されたその日が、救世主がこの地に来る日です。キリスト教でいうならば、再臨主が来る日です。(一九六九・六・一五、前本部教会)

本来、神様の創造理想を前にしてみるとき、復帰の道は必要ないのです。救援摂理は必要ないというのです。私たちには、救い主とか救世主とかメシヤとか、中間媒介体になる存在は必要ないというのです。今日、宗教が必要であり、イエス様が必要であり、何かの新しい世界、今後、救世主が来てこの世の中を救ってくれなければならないという再臨思想とかいうものは、人間が堕落したので復帰摂理完成のために必要としたのです。復帰摂理完成のためにこのことが展開されるのです。               (一九八七・五・三、本部教会)

2 イエス様とメシヤ

イエス様がこの地に来て、「私は、メシヤだ。救い主だ」と語りました。とても良い意味で語ったというのです。このようにもだえ苦しむ人間たちの前に、「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」と語りました。これは、いかばかりすてきですか。今日、何かの立派な人になるというより、そのような一言を語っておきなさいというのです。そのような内容をもった人であるならば、それはいかばかりすてきな人でしょうか。歴史的な宣布なのです。

また、「救い主だ」と言いましたから、「人類の中には私しかいない」という話なのです。その話は、数多くの人類が生きていますが、私しかいないというのです。ですから、「あなたは何をする人なのか?」と聞くとき、「人類の希望の本体であり、人類の生命の本体であり、人類の救援の根源体だ」と、こう言わなければなりません。そうでなければ必要ないというのです。イエス様が、「私は道であり、真理であり、命であるから、私によらなければ父のもとに来る人がいない」と、そう語りました。

先生は、そうです。それ一つだけ取っても、救い主の資格があると思います。奇跡は必要ないというのです。「本当に根源が通ずるのか、通じないのか?」と、これさえ間違いないとすれば、メシヤなのです。それは、救い主だというのです。堂々と人類を身代わりして一つの総結論を下すことができる腹をもち、手を挙げて叫んだというのです。そのくらいするならば、メシヤの資格になり得るというのです。(一九六二・一〇・二八、前本部教会)

3 救世主は父

歴史は、回り回って目的地に向かい、目的の結実点に向かってだんだんぶつかっていき、進展していきます。その目的点は停止していますが、目的に向かっていく歴史は進展していき、進展していくこの思潮的な運命が目的的な基準とぶつかるのです。そうなればこの目的基準は何になりますか? この目的基準を収拾して、ここの主人に誰がならなければなりませんか? 天がいるならば、天が主人にならなければならないのです。神様がおられるならば、神様がその主人にならなければならないのです。ですから、その目的の基準が変わらず、一つの目的の時が、環境が、展開されるというのです。それで神様は、その時と環境が具備されるならば、指導者を送ると約束されたのです。

ですから、「終わりの日に環境が整い、一つの時期を迎えるならば、その時期と環境を支配できる一人の指導者を送る」という約束が今日、道の世界に残されているのです。それがキリスト教でいうならば、再臨思想です。メシヤ思想なのです。

そのメシヤという方は、どのような方なのでしょうか? 自分を世界のように愛される方ではありません。自分を天地のように愛する、そのような主義者ではないのです。まず誰を自分以上に愛するのでしょうか? 神様を自分以上に愛するというのです。自分が世界の人類から推薦された存在だということを知り、世界の人類を背後におき、責任を背負い、彼らと共に一つの目的を中心として同じ勝利の結果を獲得し、同じ栄光の座に同参するという心をもった方です。そのような方がメシヤなのです。そのような方であってこそ、人が好きになるというのです。それでこそメシヤになるのです。

ですから、終わりの日には、どのような主義が出てくるのでしょうか? 天宙主義なのです。これが私たちの理念です。天宙主義は、神様と私の主義です。今日、多くの人々は、天がいるかいないかを知ることができず、生の終末時代における環境をどのように収拾し、その時がどのようになるのかも分からずにいます。それゆえに、その時が来て環境が成される時に、天が収拾することのできる方として送られた方が誰なのかといえば、メシヤという方なのです。救世主なのです。

救世主なのですが、その方はどのような方なのでしょうか? 今日、私たち統一教会でいう救世主は、歴史上に既に来て死んだ、そのような世界的な偉大な師ではありません。その救世主とは誰なのでしょうか? 父です。父なのですが、何の父なのでしょうか? 神様は内的な父であり、来られる救世主は外的な父です。事実そうです。(一九六三・一〇・一八、光州教会)

二 メシヤと血統復帰

1 再臨思想の核心 ―― 血統転換

再臨思想とは何でしょうか? それは、何をいうのでしょうか? メシヤをいいます。ここでいうメシヤは、父をいいます。

皆さんは、新しい血筋を受け継がなければなりません。受け継ぐためには、メシヤが父として来て、サタン世界に勝利した、サタンが干渉することのできない全世界的な基盤でエバに侍り、蕩減復帰しなければなりません。そうして夫婦の因縁を中心とした、家庭を中心とした息子、娘を立て、それを中心として横的に接ぎ木する業が起こらなければなりません。それで統一教会で祝福をしてあげるのです。

統一教会は違います。統一教会では、血筋はどこから始まったのでしょうか? 神様から始めたというのです。ですから、いくらでもサタン世界で反対してみなさいというのです。反対していては、損害賠償を払うようになるのです。(一九八七・一〇・四、本部教会)

私たち人間は、血統的にサタンの血筋を受けたので、そのままでは天の前に戻っていくことができません。ですからメシヤは、絶対に血統復帰をして、サタンが汚した血筋を改造しなければなりません。これを転換させなければなりません。それでメシヤは、必ず来なければならないのです。メシヤが来ずしては血統復帰がなされないのです。血統を復帰しなければなりません。

メシヤがなぜ地上に来なければならないのでしょうか? それは、根が違うからです。血統が違うからです。しかし、今日、他の宗教はこれが分かりません。他の宗教は全然知らないというのです。統一教会だけがこれをみな解決して、根になったのです。この根が一番深く、一番高いので、統一教会はしきりに深くなり、高くなるのです。国より高いものであり、世界より高いものであるので、今後、統一教会に従っていかざるを得ません。天が共にあることを知らなければなりません。今後は世界の善なる霊たちを、私たちが動員することができます。

アダムが完成したならば、天使長を支配するのです。同じく皆さんが、今後完成基準に入っていくようになるときは、霊界の善なる先祖たちが天使長の立場になります。ですから、それを氏族として天使長基盤を世界的に拡大させなければならない責任において、その中心的な立場に立たなければならないのです。それを解決するためのものが宗教圏です。宗教がその責任を果たしてこそ、その氏族たちが主体的氏族圏として解放されるのです。自分の宗教に該当する善の基準に従って、解放の役事が展開されるのです。

統一教会は、世界的な宗教です。ですから、メシヤに侍って血統転換をしなければならないのです。私たちは、根が違うのです。今までのすべての芽を打ってしまい、根を打ってメシヤを中心として接ぎ木して、メシヤの根からメシヤの芽へ行かなければならないというのです。同じ根の実を結ばなければならないのです。(一九八八・一・七、前本部教会)

2 メシヤは真のオリーブの木になられる方

イエス様は、この地上に来て何をしたのでしょうか? サタンを屈伏させ得る、悪なる霊の代表を屈伏させ得る道理と道を築いたというのです。ところがその道理を一〇〇パーセント築かなければならないのに、五〇パーセントしか築けなかったので、再び来なければならないという言葉が成立するのです。

神様は、この堕落した世界を救うために宗教を立てました。この世の中は、サタン世界の畑になりました。例えば、聖書を見れば、野生のオリーブの木が出てきます。それは、サタンが管理する野生のオリーブの木なのです。それゆえに、神様が思いどおりにできるオリーブの畑をつくるものが宗教なのです。

野生のオリーブの畑は、サタンが思いどおりに管理するので、神様が管理することが一つもないのです。ですから、宗教を通じて、サタンが管理するオリーブ畑を神様が管理するオリーブ畑につくって、拡大して、世界サタン圏、悪なるオリーブ圏内のそれを凌駕することのできる基盤をつくるのです。そうするためのものが宗教文化圏なのです。

神様は今までサタンに創造世界を全部奪われた立場に立ちましたが、神様は負けることができないので、この世の中に一つの真のオリーブの木の標本を送るというのがメシヤ思想なのです。ところで真のオリーブの木、メシヤが一人で来ては駄目です。サタン世界が全部、夫婦を中心として社会を成し国家を成したので、メシヤが一人で来ては、真のオリーブの木になれないというのです。メシヤ、真のオリーブの木とメシヤの相対になる真のオリーブの木を中心として、これが一つになってこそ真のオリーブの木としてすべきことをするのです。実を結ぶことができるというのです。

それで、イエス様はこの地に新郎として来て、新婦を探し求め、真のオリーブの畑をつくり、サタン世界の野生のオリーブの木を全部切ってしまい、接ぎ木する運動ができるように準備しなければなりませんでした。ですから、神様が管理する氏族圏、すなわち、一時に全部切って、接ぎ木できる環境をつくったのが選民イスラエル圏であり、ユダヤ教であったというのです。

接ぎ木をするならば、どこを切らなければなりませんか? 首を切らなければなりませんか、足を切らなければなりませんか? (根を切らなければなりません)。人は、木と反対になっているのです。精神が根になっているので、逆になったこの首を切らなければなりません。精神が根になっているのです。

それで、イエス様の真のオリーブの木の枝の芽を一つ持ってきて、その切ったところにさっと植え込んでおくならば、そこから真のオリーブの木になるのです。接ぎ木する道理を明らかに教えてあげたというのです。本来、堕落しなかったならば、真のオリーブの木として生まれるはずなのに、堕落して野生のオリーブの木として生まれたので、野生のオリーブの木を全部接ぎ木して、真のオリーブの実を結ぶようにするために、戻す歴史が救援歴史です。ですから、救援歴史は、復帰歴史だというのです。それで、今や神様が僕たちに、野生のオリーブの木を全部切るのです。切れというのです。(一九八五・一・一、世界宣教本部)

3 メシヤと接ぎ木しなければならない堕落人間

今日の宗教の中で、最高の宗教はどのような宗教でしょうか? 愛の論理を立て、堕落した世の中の完全否定を主張してくる宗教です。堕落した世の中を否定し、そこで否定した以上の肯定的愛を展開させ得る宗教でなければなりません。そのような世界になるならば、理想世界が来るというのです。

統一教会は、何をする所でしょうか? 神様をして、まだ人間との関係で愛の味を味わえなかったのを味わえるようにし、また、神様が愛の根を人間と人間世界に下ろすことができなかったのを下ろせるようにする使命を果たす所です。

ですから、統一教会を立てたレバレンド・ムーンは、どこまでも神様の愛を中心として、個人から家庭、世界まで愛の一つの根によって、一つの幹になり、一つの枝になり、一つの葉になるよう再び接ぎ木する役事をしなければなりません。接ぎ木するためには世の中のすべてのものを切って捨てなければなりません。どこを切らなければなりませんか? 足を切らなければなりませんか? 首を切らなければなりません。それでイエス様は、「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」と語りました。首を切るという人は生き、首を切らないという人は死ぬというのです。接ぎ木しなければならない運命にあるので、そうだというのです。簡単な内容です。

今、「終わりの日が来るならば、幸福の世界が来る。終わりの日が来るならば、地上天国が来る」と、このように語っているのです。終わりの日までは引きずっていきますが、終わりの日以降は引きずっていけないのです。ですから、世界が一つにならなければなりません。終わりの日になって、一つにならなければ滅びるのです。全滅するようになります。一つにならなければ、神様が火をもって全部焼いてしまうというのです。本当に神様の愛の根をもった人が二人いるならば、その二人だけ残しておいて、それ以外の人はみな偽物として全部掃き捨てなければなりません。

掃き捨てることはできないので、接ぎ木する摂理をなさるのです。接ぎ木するのに芽接ぎのようなことをするのです。それで、真の愛、愛の根をもった芽を早く配給し、分け与えようとするのです。ですから、サタン世界は、「わあ、配給とは何ですか。このあやしげな奴ら。我々の国を滅ぼし、我々の世界を滅ぼす神様の作戦だ」と言いながら、積極的な反対をしています。それで芽接ぎをしようとするのですが、野生のオリーブの木の芽と、真のオリーブの木の芽とは違います。接ぎ木するのは同じです。ところが、子供がどこかに出かけていき、野生のオリーブの木と全く同じくらいの真のオリーブの木の芽を一つ持ってきて、「ああ、私たち野生のオリーブ畑を全部切っても替えることのできない貴い芽だ。真のオリーブの木の芽!」と言っても、それが真のオリーブの木だと誰が分かりますか? 神様ぐらいは分かるのであって、誰が分かるかというのです。分からないので、それがすてきなのです。(一九八六・二・一、本部教会)

三 メシヤの責任

それでは、天が探し求めようとするものは何でしょうか? 真なる位置を探し求める前に、真なる氏族に会う前に、真なる家庭を探し求めなければなりません。真なる家庭を探し求める前に真なる男、女を探し求めなければなりません。この世の中で神様が、「私が探し求める男、現れよ。私が探し求める女、現れよ」と言って歴史始まって以来、数千年間……数千年が何ですか。今、人類歴史を聖書を中心として六〇〇〇年と言いますが、一〇〇〇万年まで延長しなければならないのです。今も二五〇万年以上と言っているのに、数千万年の期間を人類が発展してくる中で、「私が探し求める男!」と呼んだというのです。「男、女」と。

ですから、堕落した世界の人々は、「私たちが探し求める男、どこにいますか? 横にいる男、前にいる男、後ろにいる男、ずらりと男たちがいますが、彼らは全部偽物です。女たちが願う理想的男、神様が願う、私が探し求める男、そのような男が意地悪い女の中に現れるならばいかばかりよいだろうか」と思っているというのです。男であれ女であれ、モデルの男を眺めているのです。それが希望に満ちた男です。そのような男とは誰なのでしょうか? メシヤだというのです。救世主です。救世主。

救世主とは何ですか? 救世主の責任は、個人を救うことだけではありません。救世主の家庭を救わなければなりません。家庭を救うより救世主の国を救い、それより救世主の世界を救い、救世主の天地、救世主の主人たる神様を解放しなければならないのです。

宗教を信ずる人の中に、「私一人、天国に行こう」と言う人がいますが、それは困ります。妻が夫を天国に送り、夫に従っていくと言わなければならないのであって、夫をほったらかしにして、「私だけ行きます」と言うことはできません。家庭を天国に送り、天国に行こうとするのが統一教会の人々です。その次には、大韓民国を天国に送り、天国に行こうとするというのです。世界の万民を天国に送り、天国に行こうとします。神様まで解放し、天国に行こうとする人は、イエス様と同じです。メシヤの責任がそれです。

メシヤは、「ああ、私は早く天国に入ります」と考えないのです。個人を天国に送り、家庭を天国に送り、氏族を天国に送り、大韓民国を天国に送り、この世界を天国に送り、地獄にいるすべての万民まで解放させて天国にみな送り、「神様のすべての悲しいことを私がみな責任を負います」と言う、そのような責任を負って来られた方がメシヤです。

そのメシヤ! メシヤは、「私が天国に行って生きる」という考えは夢にもしません。みな天国に送り、そのあとで、「メシヤ、どこに行きましたか? 入っていらっしゃい。入っていらっしゃい」と言われてこそ、行くのです。個人が「入ってきなさい」と言っても行きません。一族ではなくて世界万民が、「早く入っていらっしゃい。入っていらっしゃい」と言うので、「みな、できたのか?」と言って後ろを見るとき、自分の世話になる人がいなくなるようになる時、天国に入っていこうとする方がメシヤです。それがメシヤ思想です。

そして、神様は地獄を見ると心が安らかでないので、神様が地獄を見なくてもよいところまで解放し、天上天国、地上天国をつくっておいて、救援の道理が必要ないという位置に立った時に、初めて天国に入っていくという人がメシヤです。それは、深刻な話です。深刻な話の中で、最も貴い話なのです。

個人のメシヤになると言って個人の十字架を負うメシヤは必要ありません。家庭メシヤになれないのです。そうなれば、家庭メシヤを再び探し求めなければなりません。家庭メシヤになったならば、氏族メシヤを再び探し求めなければなりません。召命を受けた人は、このように個人、家庭、氏族を代表して中心になり得る救世主の責任を背負ったので、そのメシヤの願うことは、万民救助が終わり、みな入っていったのちに、入っていくことです。これがメシヤだというのです。ですから、イエス様は、自分が何だと語りましたか? 牧者だと、そう言いました。そして、人々は、羊だと語りました。(一九八九・三・一、本部教会)

メシヤは、堕落圏とは関係がありません。本然の愛の主体型として来られるので、堕落圏とは関係がないというのです。エデンの園の神様の息子、娘が堕落と関係がなかったのと同じく、本然の息子として生まれました。(一九八三・六・五、アメリカ)

 

四 真の父母宣布

1 真の父母宣布の目的

真の父母宣布とは何でしょうか? 皆さんが真の父母のようになって、御父母様がいなくても皆さんが父母になることができる世代を残すために発表したのです。ですから、真の父母というこの言葉は、すべての物事の完成ということなのです。神様を完成させることができるのです。そのようなことを言うと既成教会の信徒たちは、「神様を完成させるって?」と言うのです。神様は、絶対的な方であり、その方には何にも必要ないというのです。それは、違うのです。

真の父母を宣布する目的とは何でしょうか? 「皆さんが世界に出ていって父母よりももっと世界のために生き、もっと重い十字架を負い、蜂の群れのように飛んでいくようになるとき、世界はたちまちのうちに神様の国になるのだ」ということが、父母として宣布する内容になるのです。「わあ、レバレンド・ムーンに絶対服従しろ!」と言う、そのようなことではないのです。(一九九〇・五・二七、ベルベディア修練所)

2 真の父母宣布の意義とその結果

私たちは、四十年間そのように反対していた既成教会を生かすために、統一教会本部のために使ったお金よりも多くのお金を使いました。アメリカも私の怨讐の業をしましたが、アメリカを生かすために一年に数十億、数百億のお金を投入しました。今回、ソ連に行っても、私は負債を一つも負いませんでした。与えようと、行ったのです。神様の代わりに。お金もうけのためのものではありません。何のために? 真実、「ために生きる」愛をもって行ったのです。ゴルバチョフが私に会って、私の手を握りながら、自分も知らずに頭を下げなければなりません。天運を追って、神様の代わりに真実なる愛の心をもって彼の手を握るために、億万世を経て追い出された者、親不孝者、放蕩息子、戻ってくることのできない者、川辺に行って泣いている者を探し求めてきたのと同じ立場で彼に会ったので、彼の心が頭を下げなければなりません。

この地上に真の父母、真に満ちた男、真に満ちた息子が現れるならば、その真に満ちた父母は何をするのでしょうか? 歴史始まって以来、神様より人類のために生き、神様までも解放するというのです。この伝統を受けるならば国が生き、世界が消化されて、その懐に抱かれようとする万国統一の平和の要所が、ここに宿っていると知らせるのです。神様万歳、真の御父母様万歳と言うとき、クリスチャンたちがたくさん来ました。そこには牧師たちもたくさん来たし、長老たちもたくさん来たのですが、みな帰りつつ、「やあ、どういうわけだ。鬼神にだまされたのだな。きのうまで異端だと言っていたのに、真の父母万歳、再臨主、王権万歳と言うとは、これは何だ?」と言ったのです。我知らず手を挙げたのであって、誰かが手を挙げるようにしたのではありません。しなければ自分の先祖たちが霊界でそのままにしておかないのです。

それで、今回、真の父母歓迎大会を宣布したのは、歴史の開始の根源を正しく立てなければならない天倫の大道の原則と、堕落によってもたらされた神様の恨みと人類の恨みを残したすべての歴史的な垣を、みな平定してしまったのです。文総裁には垣が多くありました。打ち殺そうとしていた人たちが全部歓迎しました。アメリカが私を歓迎しなければならないし、ソ連が歓迎しなければならないし、私たちの韓国が歓迎しなければなりません。私の父母が歓迎したいのですが、霊界にみな行ってしまいました。(一九九〇・五・二四、漢南洞公館)

今や先生が蕩減条件をみな乗り越えて、還故郷して、真の父母を宣布するのです。真の父母を宣布するのですが、統一グループを通じて宣布し、関係のある人を中心として宣布するのです。統一教会には、既に宣布されたのですね? ここに関係のある統一グループに宣布したのです。このカイン、アベルが一つにならなければなりません。これに乗って国に宣布するのです。国に宣布するならば、カイン、アベル、反対していたものが一つになるのです。

ですから、霊界に通ずる人たちは、四月三十日(一九九〇年)が、この世が終わる日だと、みな啓示を受けていました。それは何でしょうか? この世は悪なる父母によって始まったので、悪なる父母のすべての因縁が全部屈伏し、真の父母の出発する新しい世界になったのです。相撲の土俵でチャンピオンと挑戦者が戦うとき、倒れる直前まではチャンピオンがチャンピオンです。けれどもチャンピオンだった人も、倒れたのちには穴の中に入るのです。正にそのようになるのです。

ですから、真の父母を宣布することによって、どのようなことが起こるのでしょうか? 霊界の善なる霊、神様を中心として、ために生きてきたすべての善なる霊と、サタンを中心として働いている悪なる霊が分かれるのです。この時を知らなければなりません。真の父母を宣布することによって、血統的父母はみな終わりを見るのです。真の父母がサタン世界と戦って上がってきて、民主世界、共産世界が倒れる段階に、勝利的条件をもって入ってきて宣布することにより、サタン世界は終わったというのです。(一九九〇・五・二五、漢南洞公館)

本当に真の父母宣布が終わったというときは、悪魔の邪悪なものはみな消え去らなければならず、また、真の父母を発表することによって統一が始まるのです。(一九九〇・五・六、本部教会。一九九〇・五・二五、漢南洞公館)

全国的に真の御父母様歓迎大会が終わってから、新しい時代へ近づきました。霊界に通ずる人たちは、この世が終わり、新しい世界へ行くということを、みな啓示で受けました。ですから、皆さんに霊界が再臨します。旧約時代、新約時代、成約時代と、このように昔は主流宗教を通じて、宗教を信じて善なる名前を残し善なる霊界に行っている霊たちが、神様のみ旨に従って地上の摂理を手伝ってきました。そこを通じなければ地上と関係を結ぶ道が今まではありませんでした。

しかし、真の御父母様がこの地に出てきて、個人、家庭、民族、国家、世界的伝統を全部戦いの中で勝利して越えてきたので、宗教圏解脱が始まりました。真の父母時代には、宗教はありません。世界的な勝利の版図をもったので、アダム・エバ自体が堕落せず、真の父母になったならば宗教は必要ありません。彼ら自体を中心として永遠に天と一体になって、一体理想を中心として、先祖たちがいつでも地上に生きる自分の後孫と連結するようになっていました。(一九九〇・五・二四、漢南洞公館)

それで、今回真の父母を宣布したのです。真の父母を宣布したので大韓民国は滅びません。ソ連をはじめとしてすべての国、全世界が、みなそうなのです。

もし、エデンの園に真の父母がおられたならば、そこには悪魔もいなかったはずです。皆さんの先祖たちは先に行って、天使長の位置にいるので、今日、統一教会の皆さんの後ろに来ているのです。(一九九〇・六・二六、光州教会)

3 真の父母の威力

すべての高次元の宗教には、再臨思想がみなあります。それは何でしょうか? 再臨の目的とは何でしょうか? 真の父母です。再臨主が真の父母なのです。メシヤは、真の父母を意味します。歴史の終着地なのです。また、孤児のようであり、国のない彷徨するすべての群れがここに来てこそ、一つの世界、一つの家になるというのです。真の父母がいるその世界には、悪魔がいません。そうでしょう? 悪魔はいません。それが原理観なのです。真の父母が現れるようになるならば、サタンは自然に消え去っていくのです。(一九九〇・五・二七、ベルベディア修練所)

ですから、神様と真の父母さえはっきりと分かるならば、みな解放されるという話です。生き返るというのです。ですから皆さんは、神様と真の父母を見せてあげなければなりません。皆さんが神様と真の父母を見せてあげる証拠の実体にさえなるならば、解放が始まるのです。ですから、その人にすがるならば、真の父母にすがり、その人にすがるならば、神様にすがることになるのです。本心を知っているので直ちにそうするというのです。きょう、私がなぜこのような話をするのかといえば、この日が、そのような転換期を越える一つの宣布の日であるので話すのです。(一九八四・四・一、アメリカ)

それでは、本来の神様の創造理想とは何でしょうか? 真の父母の名前を通じて、天の王国と地上王国を成すのです。真の父母の名前をもたずしては、地上天国と天上天国は生じません。今日、クリスチャンたちに、「イエス様は神様の愛する長子であり、息子であるにもかかわらず、なぜ天国に行かず、楽園に行っているのですか?」と聞いてみるならば、返答できないのです。天上天国と地上天国は、真の父母の完成と愛の基盤を通じてのみ成されるというのです。霊界に行って王国を統一するのが真の父母の使命であって、他の人の使命ではないのです。それで、イエス様は真の父母になれなかったので、楽園に行っているのです。

今日、蕩減復帰が分からないので人類歴史が解けないのです。歴史を通じて見るならば、必ず因果原則によって悪なる者は滅びるようになっているのです。ところがなぜそうなのかが分からなかったのです。

また、理想がなぜ成されないのでしょうか? 理想である神様の愛が現れなければならないのに、神様の愛がどこから現れるのか知らなかったのです。学者の頭から現れることはできません。それは、本然の父母の骨髄から現れるのです。ですから、人類世界で真の父母の役事が起こったということは、天国の起源がこの地上に連結され得る一つの基盤が設定されたというのです。真の父母を通じずには、天国は現れることができません。

真の父母は、どのようにしなければならないのでしょうか? 責任分担、全体責任分担を完成した位置で心情圏を、間接主管圏と直接主管圏の心情圏を一元化させなければなりません。天国化させることのできる、天上世界や地上世界を一元化させることのできる基盤ができなければ、天国は現れてこないようになっています。それが創造理想なのです。先生の話ではないのです。(一九八六・一〇・九、漢南洞公館)

4 真の父母と真の子女

それでは皆さんは、真の父母の本当の息子、娘なのですか? (はい)。子女とは何ですか? スーパーチャンピオン、真の父母と真の子女とは、何を中心として言うのですか? (真の愛)。真の愛よりも真の血統です。もちろん真の愛を通じて因縁づけられるのですが、成されるのは真の血統を通じて連結されたというのです。

ですから、真の血統を通じて連結されたものは、父、母に似るのです。それで皆さんは、先生に似ましたか?皆さんの目は青いし、私は真っ黒だし、髪の毛も違うではありませんか。髪の毛が全部、白いではありませんか? 私は東洋人であり、顔が平べったいです。

似るにおいては、一番骨子だけ似ます。骨子だけ似るのですが、何が似るのかといえば、サタンに勝つことと神様を絶対に愛することだけ似ます。それだけ似るというのです。そうして、サタンを主管してコントロールするというのです。(一九八七・一一・八、本部教会)

それゆえにこの真の父母を中心として、真の父母を完全に皆さんが相続を受けることができ、真の父母を皆さんの父母として侍ることができ、真の父母の解怨を皆さんの解怨として感ずることができる、そういう位置に立たなければ、天の祝福、相続という名詞を受けることができないというのです。(一九六二・一〇・七、前本部教会)

それで、統一教会の人々は、誰と一つになっていますか? 真の父母は、誰と一つになっていますか? (神様!)。ですから、皆さんが生きる道は、どうということはないのです。真の父母にしっかりとつながらなければなりません。李博士であれ尹博士であれ、自分が知っている大木の根本は通じません。自分が過ぎてきたその過去は、みなむなしいものなのです。

過去の根を切り捨て、接ぎ木し、芽と大木の根本と枝を切り捨て、新芽も切り捨て、今まであったものを全部切り捨て、新しい歴史の父母から新しい伝統を受け継いで、新しい統一教会の文化的背景を中心とした後継者にならなければならないのです。(一九八七・六・一四、本部教会)

皆さんが先生をいかばかり愛さなければならないのでしょうか? 根本問題に戻っていくのです。サタン世界の愛の痕跡がある、その愛が染まった位置で愛してはいけません。それ以上でなければなりません。それはどういうことでしょうか? 皆さんがサタン世界で生まれた父、母、妻子、その誰よりももっと愛さなければなりません。それで聖書では、「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」と語ったのです。そのような結論を下したのです。そう語り、そのあとには、「自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない」と語ったのです。十字架を負わなければならないと語りました。反対に引っ張っていく力を押して越えていこうとするので、十字架なのですね。ここで悲痛な涙を流さなければなりません。(一九八八・六・一、本部教会)

 

第三章 根本復帰と長子権設定

第一節 根本復帰

堕落によって私たちは、サタンの血を受け継ぎました。人間始祖アダム・エバがもし堕落しなかったならば、罪のない神様の子女になったはずですが、堕落によってサタンの子女になってしまったのです。元来、人間は、神様にのみ主管されるようになっています。神様だけが人間の主人にならなければなりなせんでした。ところが、人間とサタンが不倫の関係を結ぶことによって、サタンが人間の主人になってしまったのです。

分立摂理の公式

愛は、統制力、支配力を随伴するものであると原理は教えています。それで、たとえそれが不倫の愛であってもサタンは人間に対してその所有権を主張する権利をもっているわけです。しかし、創造原理によれば、どこまでも神様が人間の本来の主人であるので、結局、神様とサタンは共に人間に対してその所有を主張することができるようになりました。だからといってアダムを二つに切って、神様とサタンが分けることは物理的に不可能です。それで神様は、原理的観点から人間を二つに分立するために、あるルールを定めたのです。すなわち、内的存在としての神様と、外的存在としての被造物という立場から、内外の関係と、主体、対象の関係によって神様は、その分立のルールを定めました。すなわち神様は、堕落したアダムとエバを、彼らから生まれた二人の子供を通じて分立するようになったのです。

カインはサタンを表示する表示体であり、アベルは罪のないアダムの立場を表示する表示体です。次男(アベル)を神様は、内的立場に立てたのです。アベルは、悪の要素が少ない側、言い換えれば、アダムとエバの間に結ばれた第二の愛を表示する表示体なのです。

アベルは、二番目の愛の実です。カインは一番目の愛の実であり、サタンを表示する表示体なのです。それで、次男であるアベル――エバと天使長との関係よりも、エバとアダムとの関係がもっと近いゆえ――を神様の側で取ったわけです。

ところで、本来の命令系統は、神様から始まりアダムへ、そして、アダムから天使長に至るのが順序だったので、この場合には神様からアベルへ、アベルからカインに至るという順序にならなければなりません。これが復帰の位置であり、関係です。そこから神様はまず、この公式を復帰することによって失ってしまった原理を探し求めていくのです。

堕落行為によって人類の血統は、交差しました。言い換えれば、サタンの血が人類の血統を占領しているのです。そのようなわけで、このような復帰は、根源までさかのぼっていってなされなければならず、それゆえに次男アベルが長男の長子権を復帰しなければならなかったのです。

堕落は、母親の胎内から始まりました。ゆえに復帰も母親の胎内からなされなければなりません。そこが悪の根源地になり、出発点になったので、復帰においてもその原因へ後戻りしていかなければならないのです。それで神様は、これら二人の兄弟を表面に立てて長子権を復帰する摂理を行おうとされたのです。すなわち、カインはアベルの位置に下りていかなければならないし、アベルはカインの位置、すなわち、長男の位置へ上がっていかなけれけばならなかったのです。しかし、カインはアベルを殺してしまいました。この行為は、アダムとエバの時の堕落行為の反復です。すなわち、復帰されるどころか、再び天使がアダムを主管した立場に立ってしまったのです。ここは、なかなか理解するのが困難な部分なので、図によって説明しましょう。

このように年の差がある兄弟をもってしては、あまりに距離があるので、神様はもっと近い人を求めるようになりました。すなわち、この復帰摂理をもっと近い基準、根源に近い基準で行おうとしたのです。最善の方法は、カインとアベルの生命を戻して母親の胎内にまで立ち返らせることなのですが、それは物理的には不可能です。

これは、中央で重なるのと同じ形態になっています。ⅠとⅡは、互いに一致するのです。Ⅰの部分は、Ⅱの領域に反復されているのです。

それで、神様の摂理は、エサウとヤコブ、双子の兄弟を通じて現れるようになりました。カインとアベルに対して適用したのと同じ原理なのですが、ヤコブは、兄エサウの位置へ復帰されなければならないし、エサウは、弟ヤコブの位置へ下りていかなければならないのです。双子の兄弟の母は、リベカでした。彼女が身ごもっていた時、その胎内で二人の子供は互いに争いました。それで彼女は、神様のところに行って、神様に問いました。神様は、「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から分かれて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」と語りました。

ヤコブは、讒訴を免れる条件を立てていました。パンとレンズ豆のあつものを与えてエサウから長子権を買い受けることができました。それで、ヤコブがエサウから長子権を奪っても、サタンは彼を讒訴することができなかったのです。そうして長子権は復帰され、父からの祝福はヤコブに与えられたのです。しかし、エサウはあまりにも腹が立って、かつてカインがそのようにしたようにヤコブを殺そうとしたのです。

ヤコブの使命

ヤコブは、失ったアベルの位置と同様に、アダムの位置までも復帰しなければならない立場にありました。ですから彼は、二十一年間ハランへ逃れていかなければならなかったのです。そのために彼は、その間、自分のすべての使命を完全に果たすことができずにいたのです。二十一年後、彼は富を蓄えて、故郷であるカナンの地へ戻ってきました。堕落の過程を見るならば、母がその堕落行為を先導し、息子がその行為を完結したので、母子が協力して人間に堕落をもたらしたことになります。そのようなわけで、復帰の過程においては、その反対の経路を歩んでいかなければなりません。それで、ヤコブの時には、母リベカと次男ヤコブが目標達成のために協力したのです。

堕落の過程を見るならば、エバは父(神様)に嘘を言い、自分のお兄さんであるアダムに嘘を言いました。それゆえに、復帰においてもリベカは、ヤコブが祝福を受けるようにするために夫に嘘を言い、長男に嘘を言ったのです。二人の兄弟の父イサクは、神様の立場であり、その息子エサウはカインの立場です。

このようにして基台は立てられましたが、まだ実体としての復帰はなされませんでした。すなわち、その時にはヤコブの母は、その使命を完遂していましたが、次はヤコブの番だったのです。ヤコブの使命とは、天使によって侵害されたアダムの位置を復帰することであり、また、カインによって殺害されたアベルの位置を復帰することでした。そしてヤコブは、エサウの位置へ戻っていき、ヤコブの位置へ下りていったエサウを屈伏させなければならないのです。

それでは、二十一年後のヤコブの使命とは何だったのでしょうか。皆さんは、アダムがどのようにして失われていったのかということを考えてみなければなりません。なぜならば、そのアダムの位置の復帰が、第一に重要な彼の使命であるからです。アダムは、天使に主管されていたのです。それゆえにその立場を復帰するためにヤコブは天使と戦わなければならなかったのです。これがヤボク川で起こったことです。彼は、天使と一晩中争いました。その結果、何が起こりましたか? 天使は、ヤコブの勝利を認め、彼を祝福したのです。このようにして本然の位置は復帰されたのです。

それでは、天使はなぜヤコブを祝福する前に、彼のもものつがいを打ったのでしょうか。人間の堕落行為は、体のその部分、すなわち、もものつがいを過って使うことによってもたらされたのです。そのようなわけで、その罪を犯した部分を打つことによって蕩減は完遂されたのでした。すなわち、旧約聖書にある、「目には目を、歯には歯を」という法則が行われたのです。そのようなわけで、天使はヤコブを祝福することができたのです。

ヤコブの二番目の使命とは何でしょうか? 一番目は天使に勝つことです。それゆえに勝利、すなわち、内的勝利をすることによってアダムの位置は復帰されました。その次にその条件のもとで彼は、アベルの位置を復帰しなければならない立場にあったのです。そこからヤコブは、二十一年後にハランから戻ってきて、兄エサウの心を和らげるために自分の全財産を贈物として与えて、自分はただ兄から祝福を受けることを要求したのです。それゆえに、兄エサウは彼を受け入れ、歓迎したのです。

このようにしてエサウは、弟の位置へ下りていき、ヤコブは兄の位置へ上がっていったのです。そのようなわけでヤコブは、彼の孫、すなわち、ヨセフの子供を祝福するとき、腕を交差させて左手を長男マナセの上に、右手を次男エフライムの上においたのです。ヤコブはエサウの位置を復帰していたので、そのようにすることができたのです。

聖書によるならば、ヤコブの性格は、大変狡猾に見えます。なぜ神様がこのような狡猾なヤコブに恵みを与え、用いられ、また祝福なさったのでしょうか? それは少し変ではありませんか? しかしそれには、次のような理由があったのです。原理が次のような解答を与えています。それは、ヤコブがこのようにして神様から受けた使命を完遂した立場に立っていたからです。

皆さんは、このようなことが信じられますか? そうでなければ、これは先生がつくり出したものだと思いますか? このような事実は、数千年前に起こったことです。けれども、原理が解かれるまで、誰一人としてその真なる意味を知る人はいなかったのです。

このようにして、この図(前述)のD点からイスラエルという名前が出発しました。しかし、ヤコブが勝利の基台を立てたとしても、まだこのEにおいてはその元来の立場へ戻っていけなかったのであり、それゆえに、再びこの位置まで復帰してくる道を通過しなければならなかったのです。すなわち、この距離Dを復帰するためにまた一つのことがなされなければならなかったのです。もし、神様がその摂理をヤコブの年齢、その時点でとどめてしまったならば、ヤコブのその時の年齢以下の基準は、復帰されないままに残されるようになるのです。

神様の摂理がヤコブの時に始まり、彼のある年齢で完成されたと仮定してみましょう。そうだとするならば、完成された時のヤコブの年齢以上のすべての世代は、この条件によって復帰されますが、その年齢以下の世代、すなわち、たった今生まれた赤ん坊から中年に至るまでの世代は復帰されず、流れていってしまうのです。そのようなわけで、さらに徹底した摂理が根源地、すなわち、母の胎内から始まらなければならないのです。

タマルによってなされた腹中復帰摂理

このようにして、神様の第三次の摂理はもう一度、堕落の根源地である母の胎内から始まったのです。最初の母エバは、神様のみ言を信じなかったので堕落し、そのエバの位置を復帰しなければならないタマルは、反対に神様に対する絶対的信仰を貫徹しなければならなかったのです。それゆえに彼女は、自尊心も誇りも忘れてしまい、さらには生命までも捨てる覚悟をしなければならなかったのです。エバは、不信仰によって父である神様を捨て、その代わりにサタンを父として受け入れて神様の立場に置いたのです。そのようなわけで反対にタマルは、父である神様と共に歩まなければならなかったのです。エバは、父と一つになることができませんでした。これが堕落だったのです。そのようなわけで、タマルは父と一つにならなければならなかったのです。

ユダは、タマルの義父でしたが、それは父の立場でした。父と一つになることによって彼女は身ごもりました。結局、タマルは義父によって息子を身ごもったのです。創世記第三八章を参考にして再び見てみましょう。ユダには三人の息子がおり、タマルは、その長男の妻でした。しかし、彼女の夫は死に、このような場合、普通ユダヤの慣習としてはその次男によって息子を生まなければなりませんが、次男も死にましたし、三男はあまりに幼かったのです。それでタマルは、神様の復帰されてきた血統を継承することが、何より重要であり必要なことであると考え、義父ユダによって子供を身ごもるという最後の手段を使わなければならなかったのです。その時、彼女は誇りも捨て、生命までも投げ出す覚悟をしたのです。

タマルは、自分の使命を完遂するために命を懸けたのです。そうではありませんか? 彼女は、神様のみ旨をなすこと以外には、何の目的も、何の考えもなかったのです。このようにしてタマルは、エバと全く反対の経路を歩むことによって堕落したエバの位置を復帰したという条件を立てたのでした。

この事実は、神様のみが知り、神様以外には誰も知る人がいなかったのです。皆さんは、その隠されてきた謎と秘密をわずか三十、四十分で知ることができるようになったので、最高に恵みを受けた幸運な人たちなのです。

このようにしてタマルは、双子を身ごもりました。神様は、二〇〇〇年間その瞬間を待ってきたのです。出産の時が来て長男ゼラがその手を押し出したので産婆は、その手首に赤い糸を結びました。これは、終わりの日に共産主義が先に現れることを象徴的に予示したのです。これは、七〇〇〇年の歴史(六〇〇〇年の復帰歴史+千年王国=歴史の完成)の象徴としてサタン的共産主義の歴史が七十年目に滅亡するということを表しています。一九七八年という数字が出てくる理由はここにあります。すなわち、共産主義は、一九一七年(ボルシェビキ革命成功の年)に始まったので、大体その時から六十年間持続してピークに至り、その一九七八年を境界としてそののちは下り坂を歩むようになり、七十年が過ぎるならば絶滅するというのです。これは、真実です。そのようなわけで今は、共産主義を学んでいる人たちがそれを捨てて離れる時です。

ところで、争いは母の胎内で起こりました。次男ペレヅは、ゼラを押しのけ先に出てきました。この復帰、この逆転は、母の胎内で起こったのです。イエス様がユダの血統から生まれなければならないという原理は、この点において立てられたのです。

それで、この一点からカインは下へ下っていき、アベルが上へ上がっていったのです。そして、この点から歴史は再び広い範囲、つまり家庭から氏族、氏族から民族、民族から国家基準へ進行してきたのです。それと同時にサタン世界の拡大もまたそれに平行してなされてきました。それで、この二つの異なった陣営は、国家的基準まで進行し、二個の異なった地域に分立されているのです。図(前述)のFは、イスラエルの歴史であり、Gは、イスラエル民族を表しています。

サタン世界は、家庭的基準から氏族、民族、国家的基準まで拡大してサタン国家を形成しています。小さい家庭的基準から氏族的、民族的基準へ拡大している円のHは、カイン国家です。したがって、Gはアベル国家、つまり、イスラエル選民国家であり、やはり家庭から氏族、民族、国家へと拡大されてきたのです。神様は、イスラエル選民、その一つの国家を形成することを二〇〇〇年間待ってきたのです。サタンが既に一つの国家を形成していたので神様は、二〇〇〇年の間待たなければならなかったのです。

それゆえに神様の国は、サタン国家よりも優秀でなければならないのです。しかし、イスラエル民族は、家庭的基準から氏族、民族、国家的基準へ歴史路程を通過する過程で多くの過ちを犯しました。

真の父母によって完全復帰されなければならない

洗礼ヨハネは、メシヤが来ることができるようイスラエル民族が犯したすべての過ちを清算し、その基台を復帰しなければならない使命をもって来たのです。洗礼ヨハネは、カインの立場で現れ、一方、イエス様はアベルの立場として来られました。そして、洗礼ヨハネと一体になったイスラエル選民には、主体的な立場で、イエス様はメシヤとしてこの民族の上に来られたのです。一方、イスラエル民族がイエス様と完全に一体になったならば、彼らは絶対的な主体(イエス様)の前に絶対的な対象となり、決して破壊され得なかったのです。

このように出発した神様の摂理は最後に絶対的主体と、絶対的対象であられる真の父母によって頂点に至り完成するのです。

イエス様の時は、イエス様が十字架にかけられたので、肉身をもった真の父母は実現されませんでした。すなわち、神様の血統は立てられたのですが、霊肉を一つにした真の父母の顕現は実現されなかったのです。図は、キリスト教の歴史を表していますが、それは霊界にのみに限定されており、霊的救いのみがなされてきたのであり、肉的救い、すなわち、肉身の贖罪は実現されなかったのです。結局、今日までキリスト教には霊的な父と霊的な母しかいなかったのです。それゆえに真の父母が来られるならば、私たちはすべてその父母によって霊肉共に再び生まれるために、条件的あるいは象徴的に母の胎内に入り、新しい生命として再び生まれなければなりません。私たちは、そのための路程を手探りしながら歩んでいるのです。

今日までのキリスト教においては、聖霊は母の役割をしてきました。私たちは母の霊である聖霊を通過して父の霊、すなわち、イエス様の霊を通過して霊的基準で新しく生まれなければならないのです。

もちろん、私たちは母の胎内から生まれたわけですが、さらに一歩さかのぼって考えてみるならば、生命の起源は、父から出発するのです。母の胎内にまでさかのぼっていくことによって血統は交差し、復帰されましたが、この場合、まだ父を迎えずにいます。そのようなわけで今日までクリスチャンたちは、母の霊である聖霊の力によって生命の根源、すなわち、生命の起源であり父である、来たるべきキリストのもとへ戻っていくことを望み、待ってきたのです。堕落する前に既に息子と娘の生命は、すべて父であるアダムの体の中で一つの種として出発していたわけです。息子や娘になる種は、父の体の中にあるのです。

このように根本的に考えてみるならば、私たちは、霊的にのみ生まれるということでは満足できません。霊と肉、つまり霊肉が一緒に生まれなければならないのです。ですから私たちは、霊肉が一緒に再出発するために種の立場にまで戻っていかなければならないのです。その摂理を成就するためにイエス様は、真の父母になる新郎と新婦として来て、その真の父母を通じて私たちは再び蒔かれる種へ戻っていき、新しい生命として、この世の中に正しく生まれることを約束されたのです。それゆえに、私たちが再び生まれるときには、一つの新しい復帰された生命として生まれるのです。そうであるならば、今まで語ってきたことから見るとき、再臨主、すなわち、新しいメシヤは必要なのか必要でないのかが、自然に分かるようになるのです。

復帰された真の子女の立場に立とうとするならば

イエス様の時に完全に復帰されなかったので、そのまま今日まで拡大を続け、世界的な範囲まで拡大されてきました。それゆえ終わりの日には、世界は二つに分けられ、一方はサタンを代表し、もう一方は神様を代表します。それ以外のものは存在しません。そして、その終わりの日には、大きな混乱と危機があるのです。新しいメシヤは、これらすべての背景と基台を相続しなければなりません。新しいメシヤは、霊的にイエス様の体の中にある種の立場にあるクリスチャンのすべてのものを相続しなければなりません。

クリスチャンは、まだ完全に生まれなかったのです。それゆえに彼らは、イエス様の体の中にある種と同じものだといえます。しかし、彼らがこのような要素をもっているのは、どこまでも霊的のみであるので、まず、実体である父が初めに現れ、基台を立てるようになるのです。図の中のEに基台を立てるようになるのです。図の中のEでは、母がその使命を遂行しましたが、Jにおいては父がその使命を帯びているのです。

このようなわけで、誰にでも、母が現れる前に真の父と一体化しなければならない七年期間があるのです。それゆえに皆さんは、まだ結婚していない完成したアダムの体の中にある種の立場へ戻っていかなければなりません。根源へ後戻りしなければならないのです。

つまり、私たちはすべて、堕落しなかった人間である父から出発しなければならないのです。結局、堕落しなかった独身であるアダムの体から出発した種が、母の胎内にとどまらなければならないのです。そこにある種は本物であり、私たちはその位置へ戻っていかなければなりません。そして、真実そのことは、統一教会によって成されるのです。

天的四位基台

イエス様は、イスラエル民族に排斥されたので、そのイエス様の位置を復帰するために再臨の時には困難なことが残されているのです。もちろん、既に肉身をもって生まれ、成長してしまった私たちは、文字どおり完成したアダムの体の中の種の立場へ後戻りすることはできません。それゆえに私たちは、真の父母およびその父母から生まれた真の子女と一体化することによって、新生するための条件を立てていくのです。カインがアベルに完全に屈伏することによって両者はすべて復帰されるという原理があるので、この原理によって私たちカインの立場にある人は、アベルの立場である真の父母、罪のない真の子女と一体化しなければならないのです。彼らと一体化することによって私たちは、復帰された子女として同じ恵みを受けることができるのです。そのようなわけで罪のない真の子女が真の父母を通じて生まれるようになるとき、私たちは飲食物とその他の同じ成分のものを分けてもらったという条件を立てなければならないのです。このようにして私たちは、真の子女の立場に参与する路程を通過していかなければならないのです。

皆さんは、誰を通じて真の子女と一体化し、新しく生まれる子女として条件を立てるのですか? 父だけでは十分ではありません。真の父母を通じなければならないのです。どれだけ父が重要だといっても父だけではなく、父母とその子女を通じなければならないのです。それでは、女性は誰を通じて? もちろん真の子女を通じてです。真の父母は、真の息子と真の娘をもっています。女性はすべて、真の父と真の母と、その真の娘と一つにならなければなりません。

それでは、男性は? 真の父母と真の息子と一つにならなければなりません。女が先に堕落したので女の復帰が先になされ、その次に男の復帰がなされるのです。それでは、最初に復帰された女の立場に立つのは誰でしょうか? それは、真の父母から一番初めに生まれた娘なのです。最初の男は、真の父母から二番目に生まれた子女としての息子です。このようなことは骨子であり、とても簡単な説明です。このような説明の背後には、大変深く、複雑な過程があることを知らなければなりません。

このような罪のない真の子女の誕生によって天的四位基台は、歴史上初めて復帰されるのです。これが、私たち統一教会における天的四位基台の復帰です。そして、サタン世界のいかなるものもこの基台に連結され得ないのです。選民国家が復帰されなかったので、天的四位基台であるこの一点から始まり、家庭的基準から氏族、民族、さらに国家的基準へ拡大されていく路程を通過しなければなりません。その中心核となるのは、天的四位基台が造成された天的家庭なのであり、そこに立てられる国家こそ最も強い無敵の国家であり、それこそイスラエル国家が成就できなかった国家です。その国家は他のすべてのサタン主権に打ち勝ち、外的世界の中心として立つようになるのです。

図のLは、サタン世界を表しています。一つの天的国家が復帰されるならば、それは二つの主権へ拡大され、三つ、四つ、結局、全世界をみな覆ってしまうまで拡大されていくのです。そして、その天的国家に属する民族は、自動的に何もかも一緒に復帰してしまうのです。その一つの神様の主権を復帰するまでは、絶頂を行くような路程を通らなければならないのです。一つの国家、主権を復帰するところまで行かない限り、いかに多くの復帰の聖業を成したとしても、もし、サタン的元首、あるいは、その政府が立つようになるならば、すべてのものは崩れていく可能性があるのです。

私たちの最も急を要する任務

それゆえに神様の主権を復帰することが私たちの最も急を要する任務なのです。そのことのために私たちは、真の父母と絶対的に一つにならなければなりません。そして、韓国、日本、それ以外の全世界の食口たちと完全に一つにならなければなりません。

このような過程を通して皆さんは、この復帰の道がいかばかり困難な道であったかということを悟るでしょう。

イエス様は、ニコデモに対して、「あなたは、新しく生まれなければならない」と語りました。これに対してニコデモは、「人が年を取ってから生まれることができますか? もう一度母の胎内に入っていって生まれることができますか?」と反論しました。するとイエス様はさらに、「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことが分からないのか」と語りました。イエス様は、正にこの原理を語っておられたのです。

キリスト教でいう復活と新しい生命という言葉は、すべてこの同じパターンを意味しているのです。図のE点、すなわち、血統復帰の位置は、結局、母を通じてなされ、汚された血統は天の血統として復帰されるのです。しかし、私たちが完全な新しい生命として新しく創造され、根本的に新しく生まれるのは真の父を通じて、すなわち、真の父の体を通じて初めてなされるのです。それゆえにその新しい創造の時から、霊肉が一緒に贖罪を受ける完全な救いが可能になるのです。このようにして私たちの子女たちは、救いの過程を通じなくとも天国に行くことができるのです。(一九七二・四・一、パリ教会)

第二節 長子権設定

一 イスラエル長子権の始源

では、メシヤたるイエスが愛を中心として来たとするならば、イエスの血統は、サタンの血統ですか、神様の血統ですか? これが問題なのです。イエスが出てくるためにはイエスは腹中から長子権をもって生まれなければメシヤになることができないということを知らなければなりません。それではいつその血統を換えて長子権基準を復帰したのかを皆さんは知っているはずです。旧約時代は、それを準備する時代なのです。メシヤが来ることを知って準備したイスラエル民族がユダヤ教を編成し、歴史時代を経ていきながらその時を合わせていくのです。メシヤが来る時は、国家的時代です。宗教を中心とした国家的時代なので、ユダヤの国とユダヤ教会が一つになってメシヤを迎えるようになっているのであって、ユダヤ教会だけがメシヤを迎えるようにはなっていません。ユダヤ教会がアベルであるならば、ユダヤの国はカインの立場にいます。ですから、いつでも長子権復帰をせずしては上がっていくことができないのです。国家的次元でアベル側がユダヤ教であり、カイン側がイスラエルの国なのですが、カインとアベルであるイスラエルの国とユダヤ教がその当時に一つになったならばカイン・アベル復帰基準が樹立されたはずです。

そのようになったならば、長子と次子が逆になるので、父母から長子権をそのまま受け継ぐことができるのです。言い換えれば、アダムが堕落しなかったならば、一番目の息子も天側であり、二番目の息子も天側です。したがって、イエス様を中心としてユダヤ教がアベルであり、ユダヤの国がカインの立場でユダヤの国が完全にユダヤ教の前に一致したならば、長子権が復帰されたその基盤の上で、イエス様は父母の位置にいますから父母の基準をもって国家的次元で接ぎ木することができるのです。そうであったならば、みなできるのです。

ところで、その時にアベルの代表とは誰かといえば、洗礼ヨハネです。洗礼ヨハネが代表なのですね? (はい)。旧約時代には、洗礼という様式がありませんでした。ところが洗礼ヨハネが新しい様式を遂行したのです。それで全部、ヨハネのところに来て洗礼を受けたのです。イスラエルの国は、周辺を一回りするのに四時間しかかかりません。こちら側の端から叫ぶならば、あちら側の端まで聞こえそうな小さな国なのです。うわさが一日、二日でみな広まるのです。このような小さい国が復帰しやすいのですね。神様は知恵深い方であられます。大きい国、中国のようなものを復帰しようとすれば、いかばかり大変ですか。その手のひらぐらいの小さいユダヤの国を中心として、カイン・アベル圏を築いておいたのです。イエス時代にそのアベル・カインを連結させなければならなかったというのです。

それでは、誰がアベルの位置にいるのでしょうか? 父母になろうとするならば、結婚しなければならないですね? イエス様が結婚する前には、イエス様がアベルであり、カインは誰ですか? (洗礼ヨハネです)。それで、イエス様と洗礼ヨハネが一つになるならば、ユダヤ教も自然に連結され得る位置に立つようになります。ですから、洗礼ヨハネさえ言うことを聞いたならば、アベル圏とカイン圏が自動的に一つになるのです。そうなるならば、もっと広がってイエス様とユダヤ教と洗礼ヨハネと全部、和合した立場でユダヤの国が和合するのは、時間の問題だというのです。ですから急ぐ必要がなかったのです。ところがそれがならなかったというのです。カインが一つにならなかったのです。

それで、メシヤは、必ず国を中心として来なければならないというのです。なぜでしょうか? サタン世界が国を単位としているからです。分かりますか? それで、アベルの国を中心としてカインの国々を屈伏させなければなりません。これは、ヤコブの家庭におけるヨセフの役事と同じなのです。十一人の兄弟が全部ヨセフを殺そうとしたのです。そして、エジプトに売り飛ばしたのですね? ところがエジプトに行って総理大臣になって父母からその一族が全部滅びそうになったとき、生かしてあげるようになるや、彼らが全部屈伏することによってイスラエル圏家族基盤が復帰されたのです。誰を通じてですか? (ヨセフを通じてです)。イスラエル六十万大軍がそのエジプトの国から出発し始めるのです。そうしてこれがカナン復帰するアベル圏民族的大移動時代へ入っていくというのです。それでアベル圏を中心として新しい天地を編成してくるのです。

さあ、それならばイエス様はいつ血統的に転換したのでしょうか? これが問題なのです。これを母の胎内に押し込めなければならないのです。そうではありませんか? 長子が、サタン側が先に出てきたので、そうして天理の大道を盗んだので、これをこのようにX化して交替しなければならないのです。どこでですか? 胎内でです。

カイン・アベルの歴史とは何ですか? 弟がお兄さんの長子権をひっくり返す歴史なのです。生んでおいてひっくり返します。世界の人たちをみな、生んでひっくり返しておき、その次にだんだん狭めていかなければなりません。それをもう少し近い段階でひっくり返すものが何かといえば、エサウとヤコブなのです。エサウとヤコブ。双胎(注¨胎内にいる双子)を中心としてひっくり返すのですが、双胎はひっくり返しやすいのですね?(はい)。カインは、出て全部ひっくり返されたので、弟を打ち殺したのです。

これは、兄と弟が双胎で生まれたので心情圏においては、みな通ずるというのです。双子は、弟が悲しむならば、兄も悲しむようになっているのです。そのように通ずるのです。そのような立場で、近い位置で双胎を中心として復帰するのです。

復帰は、誰がするのかといえば、母がしなければなりません。堕落して誰がカインを生んだのかといえば、母が生んだので、復帰過程でも母がしなければなりません。母子協助を中心としてしなければなりません。ここから母は何をしたのでしょうか? 母は何をしたのかといえば、ヤコブを中心としてエサウをだましました。そのようなよこしまな者をどうして天側で選ぶことができるのでしょうか?

エバというものをじっと考えてみると、エバは誰をだましたのかといえば、父なる神様をだまし、自分の夫をだましました。その次には、自分のお兄さんをだましたのと同じなのです。

それと同じくリベカは、神様の代身であるイサクをだましたのです。また、夫の代わりに誰をだましたのですか? 自分の長子をだましたのです。長子をだましませんでしたか? エバは、神様をだまし、自分の夫であると同時にお兄さんをだましたのではありませんか? (エバの)兄は、(アベルあるいはヤコブの)兄の位置にいるのですね。長子の立場にいるのですが、それをだましたのです。

だまして反対にもっていったので、蕩減復帰の原則を中心として見るならば、これは天のみ旨を中心として、母が次子を中心として二人の男をだましたことになるのです。エバが神様をだまし、夫をだましたので、ヤコブが母と一つになって、父と自分の兄をだまして蕩減復帰するのです。

それで、母子協助することによって何をしようというのでしょうか? 長子権を探し求めるのです。兄が狩りに行って帰ってきた時、パンとレンズ豆のあつもので長子権を売ったので復帰の条件に引っかかったのです。売ったので、実際行動をするときは屈伏しなければなりません。それでここから初めてイスラエルという名前をもつようになったのです。初めて長子権を復帰したイスラエル圏になったというのです。

けれども、取り替えはしたのですが、双胎の兄弟を中心として取り替えましたが、まだ、胎内では交差できませんでした。それで、ユダを通じて、どんなことが起こるのでしょうか。ユダはヤコブの四番目の息子です。ユダには息子が三人いました。その長男の嫁が誰かといえば、タマルという女なのです。タマルは、神様の祝福を受けた血族がいかばかり貴いかということを知っていたのです。それでその血族を受け継ぐためにはどんなことでもしようとしたのです。

ここでおもしろいことには、カインとアベルの時もそうしましたが、エサウとヤコブの時にも二人が胎内で争いました。胎内で争ったのです。その時、この二人の子が胎内で争うので「私は、どうなることか」と言って神様の前に祈祷しますと、神様が、「あたなの胎内には、二つの国民があり、大きい者は、小さい者に仕えるであろう」と、このように語ったのです。あとで何かの説明があってそれを解釈することができるのでしょうか? 長子復帰、次子を通じて長子復帰する争いの路程を経ていかなければならない私たちの原理を知っているので明らかなのですね。

タマルもやはり同じなのです。タマルが懐胎したその二人の子が争い、神様に祈祷すると神様がエサウとヤコブの母リベカに語った言葉と全く同じ返答をするのです。「あなたの胎内には二つの国民があり、大きい者(兄)は、小さい者(弟)に仕えるであろう」と。

こうしてペレヅとゼラが生まれました。ところで兄であるゼラの手が先に出てきたのです。ゼラの手が先に出てきたのでそこに産婆が赤いひもを結んでおきました。これは、後代に対する証拠のしるしとして見せてくれるのです。後代に必ず共産主義が出てくることを予告したのです。そのゼラを押しのけて長子の権限を回復するためにペレヅが胎内で兄を引っ張っておいて生まれることによって、ここで次子が初めて長子復帰をするようになるのです。それで押しのけて出てきたという意味でペレヅという名前をつけたのです。

このようにリベカの伝統歴史、タマルの伝統歴史、すなわち、血統転換の戦いの路程を通じて胎内で長子を次子につくり、次子を長子につくることによってここで初めてイスラエル歴史の過程での長子権が始まったのです。分かりますか?(一九八六・一・三一、漢南洞公館)

二 次子と祝福

1 復帰摂理は長子権を探し求める摂理

 もし、人類始祖が堕落しなかったならば、どうだったのでしょうか? この地球の主人は、二人ではないのです。主人は一人なのです。

 ところが堕落することによって神様として主人にならなければならない立場を失ってしまい、神様の息子の立場にならなければならない人間であるにもかかわらず、反対に悪魔がこの世の主人になり、人間は悪魔と共に連結されるしかない立場になったというのです。このように悪魔と連結されたすべてのこの世界の上に、再び救援摂理をして着陸するというのは、そんなに易しくはないというのです。

 皆さんが旧約聖書で学んだように、初めてサタン世界で宗教という背景を中心としてサタンと戦って勝ったという、勝利したという内容を中心として出現した民族がユダヤ民族、ヤコブの後孫であったというのです。イスラエルの後孫。

 それで、イスラエル民族を中心として家庭から氏族を編成し、民族を編成するのです。そのイスラエルの国を中心として世界を支配することのできるメシヤを送ると語ったのです。国を中心として天は開拓してきたというのです。

 それで、ここで問題になるのは、イスラエルがサタンに勝ったという意味なのですが、これが何なのかというのです。サタン側と神側を分ける役事をしてくるというのです。皆さんが知っているとおり、カインは何ですか? カインは、サタン側の長子だというのです。それでは、アベルは何ですか? アベルももちろん堕落したアダム、エバの後孫ですが、これは天側なのです。天側に立てようとする、将来長子権を身代わりして立てようとしたアベルだというのです。長子権、神側長子権なのです。ところで、ここでサタン側長子権と神側長子権といって長子権が二つ生ずる立場に立つというのです。ですから、ここにいつも闘争がないはずがありません。戦いがないはずがありません。

 このような戦いをするには、個人的にサタン側長子権、その次には天側長子権、カイン・アベル問題を中心として戦いをするのです。そこに兄の位置がサタン側になったので仕方なくサタンに従ってきながら、サタンの迫害を受けながらこれを分立させ、個人的長子権から家庭、氏族、民族、国家、世界へ分かれてくるのです。

 イスラエルとはどんな言葉なのでしょうか? 長子権、サタン側の長子権に勝って天側の長子権へ置き換えさせておくことのできる基準を設定した位置をいうのです。それでは外的世界、サタン世界はどうですか? 世界を一つにつくるにあたって、今までこの国家基準を中心として長子権の位置を守っているというのです。神様の復帰摂理が世界的長子権を探し求めてくるので、民族と国家を全部分立させておき、国家というその位置から出てこられないように今まで妨害してきたのです。ですから、神様の摂理から見るならば、神様のみ旨に従うすべての人たちは、世界へ行こうとする人たちです。世界に向かっていこうとするのです。(一九八六・六・八、世界宣教本部、グランドボールルーム)

2 長子祝福

 皆さんがよく知っているとおり、ヤコブは祝福を受け、二十一年間、僕の生活をしながら冷遇されました。ラバンの氏族圏内に入っていって氏族の迫害を受けながら二十一年間耐え忍び、氏族の祝福を受けて戻ってくる時、エサウがそこに一つになることによってイスラエル氏族圏が形成されたのです。そうでなかったならば、エサウ氏族圏の前にアベルとしてヤコブが現れることができないというのです。対等な天の氏族圏をもってサタン側の氏族圏の前に出ていって、どちらがもっと耐え忍び、勝ち、どちらがもっとために生き、愛するのかという観点を前にして、サタンと神様の所有権交換が起こったという事実を知らなければなりません。

 なぜそうでなければならないのでしょうか? 神様の世界では、本来、長子が祝福を受けるようになっているのであって、次子が祝福を受けるようになっていません。次子の位置で長子権を取り返さなければ、天の国の息子の位置に立つことができません。それは祝福を受けることのできる原理基準を身代わりすることができないからです。ヤコブの賢いこととは何ですか? 兄が狩りに行って帰ってきた時に、腹が空いていることを知っていて、パンとレンズ豆のあつものを与えて長子権を買ったということは驚くべきことだというのです。それは、父をだましてでも、父が反対するとしても、長子の権限を探し求める権利があるからです。堕落したものを蕩減復帰するためには、避けられなかったというのです。

 さあそれで、ここに戻ってきて勝つことにより、家庭的に出ていく抜け道をつくらなければならないというのです。なぜでしょうか? アベルの一族が長子権を中心として入っていかなければならないからです。それで、長子権をサタン世界がもっていたので、イスラエルの国に入っていくに先立ち、サタンの代表国であるエジプトに入っていったのです。エジプトに入っていって戦ったのです。

 エジプトに入っていってエジプトの多くの民の前に四〇〇年間迫害を受けたのです。イスラエルの一族がエジプトに入っていってエジプトの多くの民の前に四〇〇年間迫害を受けながら、神様のために耐え忍んでエジプトの国を屈伏させて出てきたのです。

 そうして、イスラエルの国、天の国を探し求めることのできる権限を探し求めていく過程では、荒野を経て入っていかなければならなかったのですが、そこで探し求めることができなくなってしまったのです。その国を探し求めることが最高の希望でした。それを探し求めるには、息子、娘や妻が飢え死にするのが問題ではありませんでした。六十万大衆が倒れ、約六十万が残ったとしてもその国を探し求めることができるよう、死にながらも入っていけと激励しなければならなかったのですが、騒動が起こって全部行くことができず、倒れたというのです。

 モーセに血気がなく、知恵深かったならば、エジプト人を殺しただろうかというのです。モーセがじっとしていたならばエジプトの主権を受け継ぎ、その国の王になり、王になったのちにエジプトの宝物を全部所有するようになり、イスラエルの国の代わりにカインの国を復帰した基盤で、イスラエル復帰が自動的に展開されるのです。しかし、モーセが血気をもって人を殺すことによって、これが途絶されたという事実を知らなければなりません。

 それはなぜそうでなければならないのでしょうか? 本来の堕落しなかった世の中では、長子が祝福を受けるようになっており、次子は祝福を受けられないようになっています。ところが堕落することによってサタンが長子の位置でこの世を全部支配するので、サタン世界と戦って勝利のチャンピオンの贈物を持って戻ってこずしては兄の位置に、アベルが長子権の位置に戻っていく道はありません。ですから、不可避的に個人的なカイン・アベルの戦い、家庭的なカイン・アベルの戦い、氏族、民族、国家、世界型のカイン・アベルの戦いを展開しながら、出たり入ったりしながら蕩減復帰歴史を手探りしてくるのです。今までこの過程を知っている人がいなかったので、この過程で多くの宗教人が犠牲になったのです。多くの信仰者が犠牲になったというのです。(一九八四・五・一、世界宣教本部)

3 なぜ次子が福を受けたのか

 堕落とは何かといえば、理想的祝福圏で堕落したのです。ですから、サタン圏内の支配を受けるようになったというのです。それゆえにサタンの前に生まれたすべての長子は、サタンの息子になったのです。エジプトで長子を打つ業とかいうものは、みなこうして起こったのです。聖書の歴史を見るならば、次子がなぜ福を受けるのでしょうか? 長子権復帰を知らなければ、聖書の歴史は謎みたいです。エサウとヤコブの歴史を見るときにヤコブは母を中心としてエサウをだまして祝福を受けるのですね? 神様がそれを知っていながらヤコブを祝福したという事実は、宗教歴史を背景とした真理を中心としては、解釈することのできない謎になっています。

 なぜそうなのでしょうか? これは、私たちの統一教会の原理を知らずしては解く道がありません。私たちの統一教会の原理は、漠然とした原理ではないのです。では、統一教会の原理は、何の原理なのかというのです。それは、再創造原理なのです。創造原理を破壊したのでこれを再創造するのです。創造原理というものは、永遠なものです。これを中心として復帰歴史をしているという事実を知らなければなりません。

 出ていってまた、ここに入ってきて一段階上がってくるのです。上がってきてこの業をするのです。それで、先生も今まで四十年の間、他郷生活をしたのです。定着してはいけないのです。分かりますか? 個人的蕩減復帰路程、家庭的蕩減復帰路程、氏族的、民族的、国家的蕩減復帰路程まで、それが一九七二年度までなのです。(一九八六・一・二一、本部教会)

 本来、次子の位置では、神様に対する愛の道理を中心として上がっていくようにはなっていないのです。これを探し求めていくためには、次子は長子を表に立てなければなりません。長子が罪を犯したので、父母を探し求めていこうとするならば、長子が次子に、「お前が私の代わりに前に立て」と言って押してやるのです。こうして兄の代わりに一緒に上がっていくのです。双胎として一つの胎内にいるのと同じです。兄が弟の前に立ったとしても、兄より先立っているのです。ですから、聖書の歴史は、次子が福を受けるのです。次子が福を受けるのは、迫害を受けるからです。(一九八六・一一・一七、リトル・エンジェルス芸術会館)

三 真の御父母様と長子権設定

1 長子権設定

 本来、神様の創造理想から見るとき、長子は神側で始めなければならず、もちろん次子も神側で始めなければなりません。ところが長子権がサタン側になり、次子権が神側になりました。これを取り替えなければなりません。それで聖書に出てくるエサウとヤコブの問題を中心として見るときに、ヤコブが母の協助を受けて母と一緒になり、エサウにパンとレンズ豆のあつものを与えて長子の嗣業を奪う役事をしたというのです。

 ところで今まで聖書の歴史がなぜこのようになったかということを知らなかったのです。これは、統一教会が出てくることによって初めてはっきりとしたというのです。ですから、次子が天と地を懸けて世界的基準で長子権を復帰せずしては、長子権を探し求めて立てずしては、御父母様が御父母様として振る舞うことができないというのです。なぜかといえば、堕落した父母がカインとアベルを生んでおいたからです。サタン側の長子であるカインを生んでおき、堕落圏内にいるアベルを生んでおいたというのです。

 堕落圏を乗り越えて長子権も神側の長子権、次子権も神側の次子権にしてこそ、堕落しなかった本然の世界に立つことができるのです。これが、本来の創造理想だというのです。神様が絶対的であるほどにその理想も絶対的に残っているので、再びこれを探し求めてくるための歴史過程を経て蕩減復帰して、どのひとときであってもこれを乗り越えなければならないというのです。(一九八五・八・一六、イースト・ガーデン)

 長子権復帰? それはどれほど難しいことでしょうか? これゆえに、全部とろけるのです。道人たちが無数に犠牲になり、キリスト教がローマ帝国四〇〇年の間苦労し、サタン世界の版図を越えるために血を流したのです。皆さん、ローマに行ってその洞窟に入ってみたでしょう? 壇を作り、祖先の死体を壇下に埋め、その臭いをかぎながら、その水を踏みながら生きたのです。天がさせたのでそうするのであって、誰がしますか? 人間としてはできないのです。ですから、天がいかばかり苦労しただろうかというのです。歴史におけるその功を、皆さんは分かりません。それを分からなければなりません。

 先生がそのようなことを全部知って一代、四十年間にこれを解いたのです。神様も何万年、何十万年かかったのに――人類歴史を八十五万年から一五〇万年ととらえているのです――このような歴史過程で神様も解けなかったことを先生が四十年間の歴史にすべてのことを解いて、これを再び終わりに合わせたという事実、これが驚くべき事実なのです。

 先生を見て、毎日平凡に過ごす、もっぱら平面的に生きる先生と思ったのであって、先生の内面的な世界のその生に対する苦痛を誰が考えてみましたか? 自分たちは、外的に喜ぶならば「いい」と言い、「ああ、先生、いい」と言い、先生にどんな苦痛があるのか分かってくれましたか? ここに長くなったというおばあさんたち、おばさんたち。

 ひたすら神様しか好みません。み旨もそうなのです。完成することは、神様を中心として完成しなければならないのであって、それ以外の氏族を通じて完成しますか? 援助を受けて完成しようとするのですか、違うというのです。

 今では長子権復帰がされましたから、皆さんは天下に誰も頼ることができないということを知らなければなりません。

 長子権復帰はそのように難しいというのです。これが原理原則なのですが、それを正し、理論的な体系において、今ではそれを否定することができません。先生は、言うだけだと言う人がいないのです。(一九八六・二・九、漢南洞公館)

2 長子権勝利の結果

 真の父母の名前とともに四位基台圏を成して敬拝する所は、堕落圏ではないのです。神様が直接主管するので、解放圏が展開されることによって、天上世界のすべての霊人たちが地上に来て、天使長と共にアダム家庭を保護するように保護できる時代に入ってきたというのです。昔は、カイン圏が霊界になっており、アベル圏が地上になっていたので、アベルがカインを救うために犠牲になる時であったので、利用されてきました。今では長子権を復帰したので霊界が天使長になり、今日、統一教会を中心としたアダム圏であるのでアダム圏を後援するようになっているのであって、利用するようになっていません。ですからサタンが活動する地がありません。余地がないのです。サタンは、追放されるのです。強く、大胆に立った基準を、一歩も譲れない前進的姿勢と平衡的基準を備えて前進するところには、悪魔の勢力圏は全部崖から落ちるのです。(一九九一・一・一、零時、本部教会)

 今から皆さんは御父母様の代わりに愛をもたなければなりません。代わりに愛をもたなければなりません。全部、アベルを愛することのできるお兄さんにならなければなりません。アベルは何ですか? 怨讐なのです。その怨讐を自分の実の弟以上に愛する運動をしなければなりません。そうでなくしては今後、世界を天側に引っ張っていくことができないのです。

「神様は、そのひとり子をたまわったほどにこの世を愛して下さった……」とそう語ったではありませんか?このように愛するというのです。自分の愛するアベルを犠牲にしてもカインを探し求めなければなりません。カインを探し求めなければ長子権復帰ができません。

 今や私たちの時が来ました。私たちの時代が来たというのです。反対する人が今後、反対しようとするならば、恐ろしくなるというのです。恐ろしくなります。また、自分の先祖たちが来て今後、首を締めつけます。そのようなことを体験するというのです。反対しようとするならば、これが締めつけられるというのです。霊界が直接発動して入っていきます。

 ですから、伝道が必要ない時が来るのです。霊界がみなします。そうではありませんか? この地上は、アダム、エバの世界と同じなので、天使世界に該当するその天使たちが保護するようになっているのであって、滅ぼすようになっていないのです。ですから、堕落した天使を追放することのできる段階に入ってきたので、長子権が復帰されるのです。長子権が復帰されることによって天使世界が地上世界の人間に協助するようになっているのです。今までは、協助ではないのです。人間世界を蹂躙したのです。それで数多くの霊通者たちが、多くの人たちがその穴に落ちて犠牲になったというのです。(一九八六・二・九、漢南洞公館)

 蕩減路程における世界長子権復帰の基準を成就することによって、初めてこの地上に原理結果主管圏と直接主管圏が真の御父母様の名によって連結されるのです。この連結された基準、一致した線上以下にはサタンはおれないようになるのです。(一九八六・一・三一、漢南洞公館)

 世界的にサタンを愛したという条件さえ立てるならば、私に従うすべての人は、サタンが連れていけないというのです。そうであるならば、どのようになりますか? カイン・アベルが変わるのです。皆さん、アベル圏は今までは追われる位置にいましたが、今や天の国の長子権をもって立っているここに、サタンの天下は崩れていかなければならないのです。後退一路であって、ここに対峙する何ものもありません。対峙したならば、めちゃくちゃになるのです。それが原理観なのです。

 悪なるサタンが銃や剣をもってアベルに血を流すようにして、天が行く道を妨げてめちゃくちゃにしたことを考えるとき、長子権を復帰したその時代においては、サタンは天を中心として長子権を復帰したその基準の前に出ていくことができないのが原理なのです。そうですね? 天国に直行することのできるその基盤の上にサタンはさからうことができないのです。どれだけ共産党が大きいといっても、秋に露にあって落ちる葉のように、一挙に落ちていかなければならないというのです。それで、腐ったそのものを肥料として、新しい生命の復活の基盤としてつくらなければならない、とこのように見るのです。

 今は、はっきりそのような時になりました。個人的な責任分担、家庭、氏族、民族、国家、世界的な責任分担を完成したその長子の権限を誰が持ったかといえば、先生が持っているのです。

 ですから、大韓民国が統一教会の文先生に対して反対し、政府が憎んで、そうしてみなさいというのです。憎めば憎むほど、混乱が起こるようになっているのです。反対すればするほど崩れ始めるというのです。世界が黙っていないというのです。国民が黙っていないというのです。自分でも分からないようにつむじ風が吹きつけるでしょう。天運が一〇〇パーセント回ってきました。今からは、ここに対峙する方法とすべての組織体系をどのように運営するかということが問題です。(一九八六・一・三一、漢南洞公館)

3 霊界に形成された長子権

 霊界は、カイン・アベル圏を中心としてサタン圏の中心になり、アベル圏をもてないように立ちふさがったというのです。今では長子権が換わったので霊界のすべての垣が崩れるというのです。地上でこの長子権が展開されて、統一教会が世界的に歓迎されることによって歴史的なすべての霊界の垣が崩れていくのです。サタン側の長子権の壁が全部崩れていくというのです。サタン側の長子権が崩れると同時に、天側の長子権を中心としてふさがれていたこの世界に全部、道が生じます。分かりますか? 長子が行くことのできる道、その道をつくっておかなければなりません。

 それをダンベリーでしたのです。ダンベリーで。分かりますか? 地獄から霊界まで道を築いておいたのです。ハイウェーを。ですから、この小路に従っていくようになるならば、この道は曲りくねっていますが、あの宝座まで、天の国の王宮まで連結されるのです。これは、長子権回復がなされないならばできないというのです。(一九八六・二・九、漢南洞公館)

 今の時代でいうならば、カイン・アベルを中心として見るとき、心情的基準で興進が霊界で長男の位置にいます。長男の位置に立っているのです。長男の位置に立って次男と心情的に一つにならなければ天国に入っていけません。イエス様も天国に入っていけなかったのです。原理がそうではありませんか? 天の国、天国に入っていこうとするならば、真の父母が出てきて、真の父母の息子、娘の伝統的な心情を通じた長子と次子が一つにならなければなりません。天国は、そうして入っていく所です。霊界のイエス様が今、長子の位置にいますか? 心情圏内では、真の父母と心情的因縁ができていません。

 ですから、興進が行くことによって、興進が霊界で長男の位置にいるのです。それで霊界でのロード興進という言葉は合っているのです。(Lord:支配者、主人、王子の意)。御父母様の代わりに行っているのです。ですから、霊界に長子権が生じたというのです。ですから、イエス様は絶対に侍らなければなりません。(一九八七・一二・四、漢南洞公館)

四 私たちと長子権復帰

1 長子が貴い理由

 皆さん、私たちの原理でカイン・アベルを見るとき、カインが貴いですか、アベルが貴いですか? 誰が貴いですか? (アベルです)。思い違いです。アベルは弟の位置であり、カインは長子の位置です。正しく知らなければなりません。次子よりも長子の位置が貴いのです。長子は一人ですが、次子は多くあり得るのです。長子に何人もなることができますか? 長子というものは、一人しかいないのです。長子がなぜ貴いのかといえば、一人しかいないからです。そうではありませんか? 次子はどれだけでもいることができるのです。それが分からなければなりません。

 神様が復帰摂理をしてくるにあたって、長子をサタン側に立ててきたのが恨みです。愛の病気にかかったのです。愛の病気によって、過ってその長子を生んだというのです。ですから、道理にかなった法度の基準を探し求めていって、再び自ら和合することのできる個体の位置に上がってくることのできる時と期間を迎えるために、億万年かかるとしても、これが分からなければ迎えることができないのです。

 それでは、アベルを立てた目的とは何でしょうか? アベルの子供たちを生かすためではなくて、長子権を立て、家の中の伝統を正すためであることを知らなければなりません。統一教会の信徒たちは、これを分からないでいるのです。「うーむ、私がアベルだろう●」と言うのですが、この責任者たちは知らなければなりません。「私たちは、アベル的位置にいるから、それでよい」。そうではありません。皆さんを立てたのは、長子圏の一族を設定するためです。自分たちが福を受けようとするならば、長子圏をつくっておき、その長子が福を分けてくれるならば、もらって食べるのです。ところが、長子圏はほったらかしにして……。その長子権は、自分ではないのです。来られる主を中心として、縦的な天上世界と因縁を結ばなければなりません。横的世界だけをもってしてはできないのです。原理で解釈しなければなりませんが、皆さんはみな知っていると思うので、このように話をするのです。統一教会の文先生がこの道を知ったので、「ために生きよ」という、決定的な論理を立てざるを得なかったというのです。生まれたのも、ために生まれたのです。男が生まれたのも女のために生まれたということを知らなければなりません。「私」というものがありません。  (一九八五・一二・二二、本部教会)

2 長子権復帰の基準

 イエス様を後のアダムと言ったでしょう? 今日、統一教会ではみな、先生を父母と言いますが、第三のアダムをいいます。この第三のアダムが来て一番目のアダム、二番目のアダムの失敗を全部蕩減復帰しなければならないのです。父母が過ったのです。ですから、父母がみな、責任を負わなければなりません。

 皆さんは、なぜ先生のみ言に服従しなければならないのでしょうか? 先生が世界的な個人蕩減復帰をしたからなのです。何でもってしたのでしょうか? 先生は、世界的な個人責任分担を完遂することによって世界的な個人蕩減復帰の基準を掌握したというのです。

 その次にはどのようにしなければならないのでしょうか? 出ていかなければなりません。家では駄目なのです。家の中では絶対駄目です。本来のエデンの園において上がっていく原理の道は、長子が行くようになっているのです。蘇生、長成、完成、これは長子が先に上がっていくようになっているのです。そのようにして完成するのです。

 先生についていうならば、み旨から見るとき、アベル的世界の代表なのです。次子の位置にいます。三番目の息子として来たのです。分かりますか? ですから、一番目の息子であるアダムが上がっていったその基準を復帰せずしては、この道を上がっていけません。完成の道は長子の子女が先に行く道なのです。ですから、先生が三番目の息子の立場に立つならば駄目です。出ていって長子復帰をしなければなりません。出ていって戦わなければなりません。出ていって長子を自然屈伏させて、戻ってこなければなりません。

 そうして長子が、自分が行く道は立てておいて、「天側の人であるお前が先立たなければならないのであって、私は行けません」と言って、ここから押してやらなければなりません。押してやらなければならないのです。押してやらずしては上がっていけません。代わって上がっていけという、相続を受けていかなければならないのです。そうして、家庭基準で勝利したならば氏族圏に出ていき、氏族の長子を全部屈伏させて連れてきて、氏族圏から民族圏へ上っていくのです。宗教で出家という言葉がありますが、それはなぜそう言うのでしょうか? それは、原理を知らないからです。何のことか分かりますか?(一九八五・一二・二四、本部教会)

 宗教が今日までなぜ受難の道を行き、なぜ宗教が歴史路程において迫害を受ける時に発展するのか、その原因が分からなかったというのです。このようなすべての霊界と宗教世界、神秘の世界の背後でねじれた、サタンと神様だけが知っている秘密の内容を明らかにした人は、歴史始まって以来、レバレンド・ムーン、先生しかいないというのです。これは、空論ではないのです。そのように動くのです。そのまま、そのとおりに動くのです。皆さん、伝道してみなさい。その人たちが決心して統一教会に行くと言えば、必ずサタンの役事が起こります。間違いないのです。公式的なのです。

 ですから、自分が勝利しようとするならば、出ていかなければなりません。出ていって長子権を復帰しなければなりません。その長子が、弟である次子にお兄さんのように侍り、すべての祝福をお前によって受けますと言うことができるようにならなければなりません。そうして、長子が次子の位置に入ってきて、次子が長子の位置に上がってこなければなりません。そうして、長子が、「お前が私の代わりに上がっていけ」と、このように押してやってこそ長子圏氏族から長子圏民族へ出ていき……。この業を行ってこそ一段階ずつ上がっていくのです。長子が代わって押してやってこそ上がっていくのです。そのまま上がっていけないのです。このような原理的な内容があるので長子権復帰基準を完成しなければなりません。そうでなくては神様の摂理を成すことができないというのが宗教歴史の秘密なのです。

 それで、出家とは何でしょうか? 真なる宗教の道を行くためには家を離れなければなりません。国を捨て、家を捨てて出家しなければならないという言葉がこうして出てきたのです。(一九八六・一・二一、本部教会)

3 長子権復帰の要素

 先生もそうです。先生にも妻がいるし、息子がいるでしょう? 自分の妻と子供たちをサタン世界の人たちと換えることができるのかというのです。返事してみなさい。換えることができますか、できませんか? (できません)。換えることができないならば同じです。神様の息子がイエス様であるならば、神様がイエス様をこの地に送って、サタン世界の人たちを息子、娘につくるといって、養子を息子の位置に立てるために自分の直系の息子を殺すことができますか? 返事してみなさい。

 神様は、歴史始まって以来、自分の側にいるすべての人たちに福を与えたのではないのです。全部祭物にしました。犠牲にさせて血を流すようにしました。キリスト教も四〇〇年の間、ローマの怨讐の前に迫害されましたが、全能なる神様が四〇〇年間、どのように耐え忍んできましたか? なぜそのようにして、神様がいないと結論を下すことができるようにしたのでしょうか? なぜ神様がそのようにしてきたのでしょうか? それが問題です。

 サタン側は、カインです。兄なのです。天側は、アベルです。この戦いです。神様は長男を愛してから、小さいほうの息子を愛するようになっているというのです。カインである長男は、サタン側です。長男がサタン側になったというのです。その長男を救うためにアベルを立てたのです。アベルを立てて長子権を復帰するのです。長子権を復帰するには、握りこぶしでぶん殴ってするのではなく、愛でもって感動させなければなりません。愛でもって溶かして復帰しなければなりません。愛したという位置に立たずしては、愛して彼らが回れ右する前には自分の息子、娘を愛する道がありません。神様の創造理想から見るとき、本来、長子が先に愛されるようになっているのであって、次子が先に愛されるようになっていますか?

 ですから、聖書の歴史を見れば、長子を打つ役事をしてきたのです。長子を打つ前に次子をどれだけ犠牲にしたか分かりますか? エジプトにおいても四三〇年の間、アベルである次子を打ったのちに長子たるエジプトを打って出てきました。国家や民族全体の前に祭物的責任を果たしたのちには、神様が祝福してくれます。祭物を受けたのちに、祭物以上の祝福をするという方式によって祝福するのです。それでエジプトに行ったイスラエル民族が四〇〇年間祭物の役をしたので、イスラエル民族にエジプト民族以上の祝福を与えなければならないのですが、エジプト民族が反対しますから、これを除去する業を天がさせたのです。一日に始まったことが四三〇年間、数多くの自分の側の人を祭物としてカイン世界を救うために、愛するために努力した果てに起こったことです。何のことか分かりますか?

 このように見るとき、神様の愛の摂理のためにするならば、統一教会のムーニーたち、統一教会の人たちを犠牲にして、祭物として世界を救おうとしなければならないのです。そのような神様の伝統歴史をそのまま受け継がなければ、統一教会の文先生は偽物です。統一教会のムーニーたちは、偽物です。

 既成教会は四十年間、私に反対しました。このごろもそうなのです。その敗残兵たち、既に戦いはみな終わったのです。世界の神学界が今では方向を変えてレバレンド・ムーン神学を宣伝しているのです。中央では既に方向を決定して負けたという調印をしているのに、田舎の山の谷間で敗残兵たちが対抗するのと正に同じです。これ、間もなく、みな消え去るのです。

 それでは、先生は、自分の妻よりも、子供よりもサタン世界をもっと愛したのかということが問題です。妻子をもっと愛してはいけません。神様はアベル圏を愛する前にカインを先に愛さなければなりません。カインを愛する以上、アベルを愛してはいけないというのです。(一九八六・二・一、本部教会)

4 長子屈伏の秘法

 長子を屈伏させることのできる秘法とは何ですか? サタンは、「神様も完全な神様、神様が探し求めようとするアダム・エバも完全なアダム・エバなのですが、堕落しなかったならば、アダム・エバは、本然の天使長である私を愛することが原理の基準です。ですから、私が堕落して悪い立場にいて、あなたたちは善で正しい立場にいるならば、私を愛したという条件を立てなければなりません。そうでなければ、私の前で神様の振る舞いをすることはできません」と主張するというのです。それが問題なのです。「私があなたと一つになることのできる一つの秘訣があるとするならば、それは何でしょうか? あなたの送った人が、私を愛さなければなりません。神様と一つになって私を愛する位置に立たずしては、愛したという条件を立てずしては、私が占める長子の権利と嗣業を探し求めていく道はありません!」とブレーキをかけるのです。それで、イエス様が怨讐を愛せよと語ったのです。

 怨讐を愛せよということは、怨讐の個人だけを愛しなさいということではないのです。怨讐の家庭、怨讐の氏族、怨讐の民族、怨讐の国家、怨讐の世界を愛せずしては、怨讐世界の長子権を探し求めることができないのです。それが、神様が復帰摂理をする歴史的路程であることをよく知っているサタンは、そのように主張してきているという事実を知らなければなりません。

 ですから、個人基準の長子復帰をしたならば、家庭基準の長子復帰をするために、必ずサタン家庭が迫害する、殺そうとする一線に出ていって争い、愛でもって屈伏させ、私たちのすべてのことを教えてやらなければなりません。それで、彼らが伝統の良いことも知って自然に心に感動を巻き起こし、涙でもって悔い改めをして生命をささげ、あなたのために祭物になりますと宣誓をせずしては、カイン世界の祝福権を探し求めて戻ってくる道がないということを、はっきりと知らなければなりません。(一九八四・五・一、世界宣教本部)

5 怨讐を愛さなければならない理由

 愛をもたずしてはサタンを屈伏させることができないのです。ですから、天国に入っていくことのできる家庭になるためには、神様も堕落した天使長を愛したという位置に立たなければならず、神様の息子、娘の家庭もサタンを愛したという条件を立てなければなりません。そして、皆さんが出ていって戦い、サタン世界を愛でもって屈伏させたという条件の上に立たなければならないのです。「私は、怨讐を全部打ちのめすのではなく、怨讐を屈伏させて長子権を回復するようになった」と言わなければならないのです。

 神様が怨讐を打ち殺すのではなくて、怨讐を愛したという条件と、怨讐たるサタンをアダムの代身の位置に立った人として愛したという条件を立てなければなりません。迫害を受けながら涙と血の汗を流し、すべてを耐え抜き忍んで、自然屈伏させて神様の愛を抱いて戻ってきて、初めて祝福を受けることができるのです。

 そこでサタンが放してくれるのです。「ああ、あなたは今から天国に入っていける子女になることができます」という公認を受けなければなりません。誰がサインしなければならないのかといえば、サタンがしなければなりません。サタンがしてからのちに皆さんがサインし、皆さんがサインしたものを真の御父母様がサインしなければなりません。真の御父母様のサインを通してこそ、神様の前を通過するのです。それが天国です。(一九八六、二、二二、本部教会)

 ですから、今まで宗教人たちは、また、神霊なる宗教指導者たちはみな、どこに集まったのかといえば、天国に入っていく門の前に集まったのです。天国に入ろうとするならば怨讐を愛さなければなりません。その怨讐とは誰なのでしょうか? 堕落しなかったならば、天使長なのです。堕落しなかったならば、完成したアダム、エバと天使長が共に神様の愛の懐の中で天国生活をしたはずです。それが元来の、創造理想なのです。ですから、堕落はしたのですが、サタンは讒訴するのです。「私は、堕落しましたが、あなたが立てられた創造理想は変わることができますか?」と言ってです。変わることができないというのです。「それを実践しておいて私を治めなければなりません」とこう言うのです。その言葉はどういうことでしょうか? 「あなたとあなたの息子が、私を堕落する前に愛したその基準を再び探し求め、愛したという条件を立てずしては、天国に入れません」という話です。そういう時に神様は、「そうだ」と言わざるを得ないのです。それで、イエス様も十字架を負って怨讐のために祈祷しなければならなかったのです。(一九八九・一一、一五、漢南洞公館)

第四章 還故郷と氏族的メシヤ

第一節 故郷と本郷

一 お父様の故郷回顧のみ言と祈祷

 きょうお話する題目は、「故郷」です。故郷について話をしてみます。

  国を思い、つらい思いをした若いころ

 多分、人間はみな同じであるはずです。年が若い時は、故郷を離れてみたがります。私も今や七十歳になって、昔の幼かった時から物事に分別がつき、考えたこと等、すべての過去のことを考えてみるとき、大韓民国の八道、もちろんその時は十三道でしたけれども、十三道の中で咸鏡道がどのようになっており、平安南道がどのようになっており、黄海道がどのようになっており、その次には、江原道、慶尚南北道、全羅南北道、忠清南北道がどのようになっているのかということが気にかかりました。それは、皆さんもみな同じだったはずです。二十代を前後して全国を回っていたことが思い出されます。

 その時に感じていたすべてのことは、切実に相対的国――自分の国――を見る時にその故郷が、その国が、幸福であり平安であったならば、それほど印象的ではなかったはずです。しかし、貧しく生きる村々を経て、あるいは、山野を巡りながら感じたのは、「このかわいそうな民族」ということでした。そのような思いが今も忘れられません。

 私たち人間は、体をもっているし、心をもっています。皆さんの体の故郷と心の故郷が異なり得るのでしょうか? 同じでなければならないというとき、永遠な私の心の故郷はどこなのかというのです。

 皆さんは故郷を考えますが、私も故郷を離れて、もう数十年になります。あるいは、外地を巡り歩き、あるいは監獄に入ったりもしました。その中で私は監獄暮らしをするとき、監獄の鉄格子から差し込んでくる太陽の光を眺めるたびに考えました。アメリカの刑務所、韓国の刑務所、共産党の刑務所でです。私は、日本の刑務所まで知っている人なのです。その太陽の光は同じ光なのですが、獄中に差してくる太陽の光は、その内容が深刻なのです。そこでは、韓国を涙でもって慕うようになり、その次にはまたアジアを、東洋を、涙で慕うようになるのです。

 日本は昔、私たちの怨讐でしたが、監獄に入って日本人に会うようになるときは、誰よりも近いと感ずることができるというのです。このようなことを見ると、遠い所で困難な目に遭うほど、近い所の怨讐は怨讐でないことを感ずる時があるのです。

 人間が価値問題を論ずるとき、私たちはよく「あの人は立派な人だ」と言います。けれども、その人が自分の故郷でのみ生きては故郷が貴いということが分かりません。また、大韓民国でのみ生きては、大韓民国が貴いことは分かりません。アジアを経、世界を経て、遠く離れれば離れるほど、離れる距離に比例して、また時間に比例して、故国を離れてきた時間が長ければ長いほどそれが消え去るのではなくして、もっと切実になるというのです。

 このようなことを見るとき、人はもちろん、一つ所に定着して生きなければなりませんが、定着した基地を中心として東西南北へ拡大しながら、因縁を保ちながら生きようとすることも人間の生涯を編んでいく群像ではないでしょうか?

  父母は悲しみと喜びの同伴者

 故郷とは、どのような所でしょうか? 故郷はそうです、私が今までずっとこのように過ごしてみると、私の成長するときのこと、韓国人として生まれて学ぶ八〇パーセント以上を教えてくれた教材が残っている所です。

 父、母という言葉は、簡単です。父、母は、誰しもみなもっていますが、その父、母に対する立場によって千差万別の価値基準が設定されるのです。私が悲しい時の父、母は、私にとって慰めの父、母。うれしい時の父、母は、それ以上に刺激させてくれる父、母……息子、娘が喜ぶ姿を見て悲しむ父母はいません。そのようなことを見るとき、悲しい時に同伴者になり、うれしい時に同伴者になって、私が物事の分別がつく時まで、食べて生きることの一切を面倒見てくれる主体者としての、私の同伴者ではなかったのでしょうか?

 私が寂しいならば寂しいことを慰め、困難であれば困難なことを慰め、病気になれば病気になったことを全部心配してくれ、慰めてくれ、私が物事に分別がつく時まで、成長するにあたって、私のすべての心身を中心とした同伴者ではなかったでしょうか? その同伴者が変われば困るというのです。同伴者として永遠まで変わり得ない立場に立ったのが父母なのです。

 ですから、変わらない父母を、良い所があるならばそこにお連れしていきたいのです。ぐるぐる回ってみて、その中に良い所があるならば、父、母と共に、世界至る所、どれだけ遠くに行っていても、その中に良い所があるならば、その良い所を自分だけがもちたいのではなくして、同伴者たる父母と共に分かちたいというのです。

 どうしてそうなのでしょうか? 父母は、私の心と体の変わらない同伴者であるからです。私が寂しい時、寂しさの中にある私を慰めることのできる最大の同伴者が父母であり、私がうれしい時、その喜びを一緒に褒めたたえることのできる友達以上の最大の同伴者が父母だからです。それで、人間は変わらない同伴者がいる所を中心として生きたがるのではないか、とこのような結論も出てきます。

 それでは、故郷には誰がいるのでしょうか? 父母がいます。また、父母の上には、祖父母がいます。おじいさん、おばあさんと、父、母は違います。誰が近いのかと聞くとき、物事に分別がつかない時は、父、母が近いと見ますけれども、長い歴史を経て、私たちの父母は誰の保護を受けたのかと追求してみるとき、私が父、母を中心として変わらない主体者として慕わしさをもつのと同じく、父、母もおじいさん、おばあさんを中心としてそうだというのです。

 このように見るとき、人間の宗之祖上(注:一番もとになる祖先)はどのような方なのでしょうか? 私たちの祖先がいるのですが、その中で一番に立つ者は誰なのかというとき、私たち人間の根本になる祖先ではないでしょうか? その祖先の祖先がいたならば、その祖先が父母として侍ることのできたその方ではないでしょうか? そのような方が人間を創造なさった神様であり、私たちの父であるというとき、私たちの父母の心を永遠に引きつけることができるし、私たちの祖父母の心を永遠に引きつけることができるし、数多くの祖先たちの心を引きつけることができるのみならず、それが結ばれ得るのです。

故郷に対する慕わしさと向心は不可避的なもの

 人は、どれだけ遠くにいても根本を離れることはできません。変わらない心情的、情緒的な根本を離れることができないようになっているのです。これは、根がそこから広がっていったからです。根を乗り越える存在がないので、故郷に対する慕わしさと、そこに心が向かうのは不可避的なものなのです。

 それで、故郷が良いとか悪いとか、きれいだとかそうでないということが問題ではないのです。良いとか悪いとかということを離れて、忘れることができないのです。どこか海外に出ていくとか、遠い世界へ離れれば離れるほど、そこにいるとき、雨が降るといえば、その雨は全く同じです。雨が降る現象は同じですが、その雨に対する自分の心は、故郷との距離に従って違ってくるのです。また、環境の与件に従って違ってくるのです。あるいは、友達と会うとか、誰か愛する人たちと同伴してそこで生きるとしても、故郷を離れたときは、自分の妻も自分と一緒に故郷を慕う心を同伴して、そこに行って感ずることができることを願うのです。

 また、自分の妻のみならず、息子、娘も故郷に連れていって、心深いところにとどめておいた追憶の数々を分けてあげたいのです。このように見るとき、故郷というものは、私の生において重要な教育の材料を八〇パーセント以上供給する所なので、私たち人間から故郷との因縁を切ってしまうことができないのです。

 学校に行くとしても幼稚園時代、小学校時代、その次に中・高等学校時代、その次に大学、その次に社会に出ていって出世して成功した時代と、このようなことを見れば、故郷を離れ、遠くに行けば行くほど故郷と遠くなるようですけれども、忘れられないのです。それでは、皆さんの心の中で一番忘れられないものとは何でしょうか? 幼稚園時代だというのです。父、母の手に導かれて幼稚園に行って先生たちと歌を歌い、踊りを踊っていたことが、小学校に通うときより、物心がついたのちに回想するならばもっと強いというのです。中学校より小学校、高校よりも中学校、大学よりも高校時代の追憶がもっと強いというのです。

 全部思いが家庭を中心として、父、母、兄弟を思うのですが、これが大学を出てだんだん大きくなって、物事に分別がつけばつくほどどこへ行くのかですか? 「私が何にならなければならない」ということを中心として外に出ていこうとするというのです。

 外に出ていこうとするようになるならば、これが一つのセンターを中心として三六〇度から見るようになるとき、この間隔の距離はだんだん遠くなるのです。十里行ったのと一〇〇里行ったのと見てみるならば、最初の一度の差異というものは無限だというのです。このように行っていた人たちをそのままにしておくならば、去ってしまうのです。

 しかし、故郷というものがあるので、そうではなくなるのです。どれだけ出世をしたとしても、博士になって成功したとしても、どこへ行くのでしょうか? 「ああ、私の妻や息子、娘の所に」と思いますか、息子、娘を率いてどこへ行くのでしょうか? 故郷へ行こうとするのです。「錦を飾って故郷に還る」という言葉があるように、離れれば離れるほど寂しいのです。寂しくなるというのです。ですから、故郷へ帰ろうとするというのです。

生涯忘れられない情緒的な教材を残してくれる所が故郷

 人生生活において、皆さんはどんな環境にいるのでしょうか? 私が七十歳を越えてみると、十代がどうであり、二十代がどうであり、とこのような事由が多いのです。故郷でどのようにしたということ、故郷の山河、何の山、何の山、何の山はどうのこうの……。幼かったとき、そこであちこち歩き回りながら過ごしていた、あるいは山に登って野生の花をつみ、あるいは山菜を採り、このようないろいろと感じた事実は抜き捨てることができないのです。

 特に、幼かったとき、自分の家の近くあった木、栗の木があったとか、あるいは、アカシヤの木があったとかということは、忘れることができないのです。

 大概カササギは、アカシヤの木にたくさん巣を作ります。そのカササギは賢い鳥なのです。カササギは一番高い所に巣を作ります。

 カササギが鳴けば、良い消息があるという話があります。朝、グワッグワッグワッと鳴けば、良いというのです。そしてカササギは、天文学について、気候について知っているのです。今年は雨がどこにたくさん降るのかを知っているのです。カササギが門を作るのを見て、「あっ、今年は風がたくさん吹くんだなあ」と知ることができるというのです。ですから、カササギの巣を見て、「あっ、今年、農事は台風が吹くから駄目なのだなあ」と知ることができます。そのようにカササギは、風が吹かない、反対側に穴を開けるのです。

 そのようなカササギの巣のある所に登ってみると、カササギたちがひなを愛するその強い母性愛、父性愛は大変なものです。

 カササギは貞節がある鳥です。一般の鳥を見れば、卵を産むときだけ会う鳥たちがいるのです。それでは、会って何カ月にもならないからといって、その母性愛に差異があるのでしょうか? 差異がないのです。私は鳥がとても好きでした、この韓国にいる鳥たちが。それで観察してみると母性愛というものは、長い間つがいで生きるハトのような鳥であれ何であれ、ひなを愛するのはみな同じでした。

 カササギの巣を見物しに登っていくと、母親のカササギが来てつっつくのです。それで侵入者を防止するために高い所に巣を作るのです。カササギの巣は高い所にあるのですが、これが気になるのですね。それで見ると、木の枝をくわえて、巣を木の上にかけ、その次には、わらくずをもってきて置きました。それを見れば、ひなを愛する心がみなあるのです。どこからか綿みたいなもの、ふわふわしたものをくわえてきて作りました。人間が作った内部屋より素晴らしいのですね。

 このように愛の巣を作っておいて、雌が入って卵を産むのです。そのカササギの卵は実に美しいのです。薄く青みがかかっているのですが、筋があります。

 それに関心があって毎日のように登りました。一番初めカササギたちは、たまらないと大騒ぎしました。けれども、毎日のように登ってきて、去っていっても異常がないのですね。異常がないので、その次には、毎日のように登っていっても、カササギたちが来てグワッグワッとあいさつするのです。「また来ましたね。よく見ていきなさい」とそう言うのです。

 このように登ったり下りたりしながら見ますと、卵を産んでからのちに、卵からひなが出てきて成長するのは鳥は実に速いのです。それを見ていると情が移るのです。そうしてカササギのひながみな、大きくなって出ていくようになるならば、どれだけ寂しいか分かりません。まだ分別がつかないときには、それを見て、「ああ、私も相当に情が深い人だ」ということを感じました。

 そのアカシアの木は、とげが生えていて見た目によくない木ですが、私と因縁があったことを一生忘れられません。ある時は枝までも思い出されます。今もそうです。このような枝があり、このような枝がありました……。ある時は、登っていってはスルスルと下りてきたりするので、母は実に心配なのですね。その高い所に登って下りてきますから。その高さはどのくらいかといえば、約三十メートルになります。そのように高い木なのですが、たちまちのうちに登ったり下りたりするのです。しかし、一度過ると大騒ぎになりますね。ですから、母はそんなことをするなと言われるのですね。そのようなことは、すべて忘れることのできない事実です。

 そのような一つのことを中心としても、鳥であるならば鳥に対して、比較して生態を研究することができるそのような教材が多いのです。

 故郷に行けば、小川があるのです。そこに生きる小魚という小魚は、みな捕まえてみました。ドジョウがいるし、ウナギがいるし、カニがいるし、ありとあらゆるものが、みないます。そのようにいろいろな淡水漁を、みな捕まえたのです。大きいもの、小さいもの、区別なくです。

 その時は、まだ、分別がついていませんでしたから、水を入れる穴を掘って――魚は、水の中ではみな、生きていると思っていました――魚を捕まえて入れておいて、一晩寝たならば、みなひっくり返って死んでいます。それをよしとせず、「精誠を込めてお前を生かしてやろうとしたのに、なぜ死んだのか?」と思うのです。事情も分からずにです。

 それを見れば、先生は情的な人なのです。魚を見ても、「おい、お前の母さんが泣くだろうな」とそう思うのです。その魚を見て泣いたのです。そのようにしながら過ごしたすべてのことが回想されます。このように人が成長するにおいて情緒的な多くの教材を残してくれる所が故郷です。

 山を眺めるときも忘れることのできない、すべての情緒的なものがあります。また、小川を見るときもそうです。小川があるならば、そこにもたくさんの魚族がすんでおり、数多くの虫たちがすんでいます。そのようなことをみな、学びの材料として活用するときは、すべての知識を供給するのに忘れることのできない役割をするのです。

 韓国人として、韓国の故郷の山河にあるすべての動植物や、自然系のことを教材として、自分の内的な人間が成長するにおいての豊富な知識を備えることができます。そのような多くの材料を与える所が故郷だというのです。ですから、故郷の山河が慕わしいのです。

 春になれば春の園に、かげろうが揺らぐ春の園の中で……私は自然を実に好みました。それで山に行って昼寝をするのです。大きい木に寄りかかって自然の中で昼寝をするのです。そうしながら山菜を採り……それ、見れば多いのです。このようなすべてが忘れられません。

 さあ、そのようなことを見るとき、故郷の山河のすべてのことは、自分が人間として、情緒的な人間として成長するための基本的な教材になるのです。

 皆さん、昔、小学校時代に机に穴を開けたことが今も思い出されるでしょう? どこがどのようになってこうで、ということが思い出されるのです。それと同じく、山河のすべての木は同じ木であっても、そこの木の姿や形が自分の印象に残るのです。それが自分のすべての情緒的な面において記憶に残る、一つの教材としての博物館だというのです。

 良いことも悪いことも故郷で学びました。幼かったある時、町内の子供たちと喧嘩をして鼻血を流すようになると、お父さんお母さんを探していきます。お父さんお母さんを探していくのですが、そのお父さんお母さんが、「なぜ喧嘩をして血を流して入ってくるのか?」と、人の事情も分からずに小言を言っていたことを、今考えてみると、いろいろと感慨が新しくなります。

 母としては、男の子が出ていって、喧嘩し、ぶたれて鼻血を出して戻ってくるようでは駄目だというのですね。私が子供を育ててみると、そのような心情を知ることができます。その時は、「お母さんはなぜそうなのだろうか。鼻血が出てこうしているのに洗ってくれもせず、むしろだだをこねると大騒ぎだ」とこう思いましたが、今、分別がついてみると、その時、母にすがって、「お母さん、ありがとう」と言うことができたならば、その母はどう思っただろうかと思われます。極と極なのです。

  機を織りながら足がむくんだ母

 このように見るならば、そのすべての材料の中で一番忘れられない材料とは何でしょうか? それは、情緒的な面なのです。

 私の母は、多くの息子、娘を育てながらも仕事をするのが実に早かったのです。普通の人の二倍以上でした。十縒り――一縒りが二十糸筋だから、十縒りならば、二〇〇糸筋です――のものを織るならば、二日で四十尺を織りました。一反が四十尺なのです。一日に十五尺、二十尺を織るのです。四十尺が一反なのですが、それを二日ぐらいでみな織ったのです。

 普通の人は、この四十尺を織ろうとするならば、一日に五尺ずつ織っても八日かかるはずなのに、母は二日あれば織りました。

 母はそのように多くの機を織るので足がむくみます。それで私のところに来ては見せてくれます。その時、「足痛くないの、お母さん? 一日中したからどれだけ痛いですか!」と言えば、「痛いとは何が痛いの? それをしなければ、どうしますか?」とそう言われるのです。そしてその足を見せてくれて、「さあ、これを見なさい」と言われるので、触ってみていたことが忘れられません。それでも子供たちのためにそれを恨まず、自分の体に克って苦労していたその母の姿が忘れられないのです。そのような父母でした。

 ですから、どこかに行けば行くほど一番恋しいのが、母なのです。母と、その次には、自分と遊んでいた兄弟たち、妹たちです。

 私に姉がいました。すぐ上の姉が。私より二歳上の姉、二歳違いの姉がいたのですが、その姉は私を実に愛しました。誰よりも愛したのです。私が、何かがなくて大騒ぎすれば自分が非常に大事にし、愛している包みをひっくり返すのですね。娘のときは、そうではありませんか? 嫁に行く前には。このぐらいの包みをみな持っているのです。私が必要とするものがあって、「何々が必要だ」と話せば、すぐにその包みの中から探してくれました。何が必要だとえんえん泣き声を立てるからといって、お母さんがそれを準備してくれますか? そうでないので、その姉が包みをひっくり返して私を呼び、「やあやあ、ここにあるよ、ここにあるよ」と言いながらくれました。そうしてくれた姉が思い出されます。

 そのようなすべてのことが、情緒的な面において忘れることができないのです。このごろのことより、幼かった時のすべての印象がいかばかり刺激的か分かりません。

 ですから、すべての人格素養を中心として自分を育てていくにあたって、情緒的な面や生活的な面がとても重要なのです。

 韓国人が韓国人の服について、どこか別の所に行って習うのではありません。故郷でみな学ぶのです。どのように着、何をどのようにするかです。何が良く、何が悪いということを、みな学ぶのです。その次には、生活するすべてのこと、どのように生きるのかを、全部学ぶのです。このようなことを見るとき、そのすべてのことが、情緒的な背景が深くなるすべての因縁をもっており、歴史をもっているので、忘れてしまうことができないのです。

 その時、私がある部屋のどこに座っていて、母の顔がどうでとその感じていたことが今になってみると、みな忘れることができない追憶として残っています。それを見るとき、一般の人々が争う所ではないのです。そこには情が交流しながら自分の一家を思い、子女を思う父母の愛が植えられているのです。ですから、「私の心がその所を離れることのできない因縁をもっているのだ」と思うとき、母がいかばかり恋しいか分からないというのです。

 お母さんは良い方なのです。風采が良かろうが醜かろうが、お母さんは良い方です。もちろん、悪いこともあるのです。このごろは、赤ん坊を捨てるというそのようなこともありますけれど。

 このように見るとき、自分が忘れることができなかったことは、良かったことよりも、打たれたそんなことが追憶として残るのです。

 そして、私の家を中心として隣村との関係です。そこの村の中には、文氏だけが住んでいますか? 別の姓氏の人が入ってきています。李氏も来ていますし、金氏も来ています。そうすると、故郷の大人たちが全部、よそから来た人をないがしろにするのです。村内に、いとこ、おじさんたちがたくさん住んでいるのですが、一人寂しく入ってきて住んでいる金氏であるならば金氏に対して、村内で何がどうのこうのと言いながらよそ者扱いにして、ないがしろにするというのです。自分たちは、姻戚のはとこまで分け合って使いながら、そのようなよそから来た人には貸してやらないのですね。そのような何かがあるというのです。

 それを見ると、私は耐えられないのです。お父さんお母さん、おじいさんが貸してあげなければ、私が背負ってでも持っていってあげるのです。そのようなことは耐えられないのです。その時のその心のパターンが今日、この統一教会を立てていくことのできる教育の一版図であったという思いをしたりします。

 ですから、故郷は、自分の忘れることのできない教材であり、心情の中に残された博物館と同じなのです。それで故郷を忘れることができません。

  故郷は心情的な教材を供給され得る所

 故郷は、自分が成長するにおいて八〇パーセントの原資材を供給する、その人格を中心とした原資材を供給する心情的分野だというのです。心情的な分野を中心として故郷以上、いかなる学校、いかなる有名な大学の学士、博士になろうとも故郷以上に、心情的材料を供給され得る所がありません。なぜかといえば、故郷には、父母がいるし、おじいさんがいるし、姉がいるのですが、彼らの情緒的関係は永遠に従っていこうとするからです。一時的ではないのです。死ぬ時までその心に抱いていくというのです。

 女は、夫が死んだのちにも忘れられないのです。一生の間、その胸に溶けてなくなるほどに抱いていくのです。息子、娘も同じです。自分の一族も同じです。ですから、故郷は情緒的な面で、長い因縁を中心として、誰であっても生かそうとする所なので貴いのです。その貴いということは、情緒的に変わらない愛を中心としていう言葉です。

 皆さんの一生を中心として見るとき、父母をもてなかった人、孤児院で育った人、故郷をもてなかった人はかわいそうではないでしょうか? 違いますか。それは、情緒的な分野なのです。心情的生活は、男であるならば男として、女を迎え結婚して住むところから始まります。そうでなければ、孤児院生活だとか自分の心情の世界で誰かに世話になって育ったこととか、そのようなこと全部が追憶の対象として残るというのです。そのようなすべての情緒的な面に関係づけられていることは、忘れられません。

  自分が居する所に従って変わる故郷

 故郷という言葉を中心として見るとき、自分が生まれ育った故郷から離れ、ソウルに来たならば、ソウルは外地なのです。では、平安道定州の地が故郷の地なのですが、外国に出ていくようになるときはどのようになるのでしょうか? ソウルが故郷になります。ソウルが故郷になるのです。昔は、ソウルの人に会えば、京畿道の輩、京畿道のちゃっかり屋とそう言ったのですが、外国に出ていくようになるならば、京畿道の人であれ、慶尚道の人であれ、全羅道の人であれ関係ないのです。自分の同胞だというのです。同胞というそれ自体、我が国の人だというのです。「我が国」というとき、お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん、みな入ります。すべての風習も同じであり、生活環境も同じであるのでその時は、延長された兄弟のように思うのです。全羅道の人でも困ったことがあるならば、私が姉に手助けしてあげていた心のように、正にそうなのです。

 もし皆さんが霊界に行ったとすれば、どこを恋しく思いますか? この地球です。この霊界に行くようになるならば、何千年前に生きていた霊人たちに会います。霊界も同じなのです。霊界に行っている人たちが、故郷があるというときは、霊界が故郷でしょうか、地球(この世)が故郷でしょうか? 霊界に住みながらも故郷がどこかと聞くならば、地球だと、地球のどこそこだと話すというのです。これを見るときに、それはなぜそうなのでしょうか? 地球が自分の故郷とどれだけ遠いですか? 部落でいうならば、数百万個の中の一つにしかならないのに、それをみな包括している地球が自分の故郷だというのです。

 なぜでしょうか? 故郷には、自分を永遠に忘れることのできない主体の位置で考える父母がおり、お兄さんがおり、家族がいるからです。

 私もそうです。今まで、私のように兄弟たちの前に責任を果たせなかった人はいません。みな忘れてしまおうと努力しましたから。他の人たちは、覚えていようと努力しますが、私は忘れてしまおうと努力するのです。なぜでしょうか? アベルよりもカイン的な全体を愛してから、アベルを愛さなければならないのが原理の基準だからです。

 今も私が一つ忘れられないのは、監獄にいるとき、私の妹が亡くなったことです。母が多くの家族を率いるのが大変だというので、私の母方のおばが来て、「お姉さんは子供たちも多いことだからどうか私のところに娘を一人下さい。私が育てて嫁にも送ってやりますから」とこう言うので、妹を平壌の私の母方のおばの家に送ったのです。そのおばには、娘がいなかったのです。それは私が一番愛する妹なのです。そうして妹を送り、私が泣いていたことが今も忘れられません。

 それを見れば、兄弟というものはそのように良いものです。そうして、私がソウルに行ったり来たりするとき、そのおばの家に寄って妹に会い、話をしたりしました。会えば、涙をにじませながら話していたことが、今も追憶に残っています。そのように愛していた妹が、私が監獄にいるとき、何の病気か分からないままにだんだんと体が悪くなって死にました。それを獄中では知らなかったのです。ところが、一度はすっと霊的に現れて、白い衣を着てあいさつをするのですね。「私は、このようになりました」と、その時が霊界に行った日だったようです。かわいらしい顔つきだった妹でしたが、それが今も忘れられません。

 情緒的な追憶の内縁というものは、それを克服する力がないのです。ですから、人は愛から生まれ、愛を中心として生きるようになっていると、このような結論を下すことができます。生まれてからのすべての追憶の感性を振り返って考えてみるときに、人は、愛を中心として生きるのが幸福なのです。それゆえに霊界で高い位置に行きたい人は、誰よりも人のために涙をたくさん流す人になりなさい。父母の心のように、父母の体のようにです。

  大宇宙圏の故郷を思う人は、すべてのことを抱擁する

 永遠に安息して生きることができ、幸福の基台を無限なる世界に拡大しては、無限なる世界へ縮小させることのできる力の母体である愛の王宮があるというとき、私はそこに行って住みたいのです。私は、そのような世界で住みたいのです。私は、そのような本郷の地、本郷の故郷をもちたいのです。

 皆さんは、一方向性の世界に行って定着するのか、四方性、立体性の世界の故郷に行って定着するのかという問題が、皆さんの一生の課題なのです。皆さんの心の、本来の心情的度量というものは、無限です。東西南北、前後左右、球形体を拡大して宇宙までも接続することのできる本質をもっています。これが無限に拡大しようとするのですが、これが私なのです。私の拡大した本性であるにもかかわらず、皆さんの拡大した愛の本性をどのくらい協助してやれるのかというのです。深刻な問題です。

 東へ、西へ、南へ、北へ、前後左右へ広がりたい本性の愛の心情圏が私の本性であるにもかかわらず、どれくらい私自身がその力を与えて広がっていくことのできる援助者になっていますか? あるいは、反対者になっているのですか? 援助者になるときは、宇宙全体が私の故郷になるというのです。平安道定州が私の故郷なのです。定州でも徳彦面上思里二二二一番地の一つの家なのですが、これを拡大するならば無限に大きくなります。

故郷を考えるように三千里彊土を考えよう

 それでは、故郷を考えるように三千里彊土(注:領土)を考えてみましたか? 外国に行って外国の監獄に入っていると、その位置を越えることを私は発見しました。「ああ、監獄が不幸な所でないのだなあ」ということを発見しました。外国の監獄に入ってみると、韓国の監獄が懐かしいのです。そのように考えるとき、「監獄生活が不幸なものではないのだなあ。だから、韓国で私を捕らえて監獄に押し込んだ怨讐たちも愛さなければならない」という思いをもちました。この位置に、私がここにいるとき、その怨讐が訪ねてきて、「昔、韓国であなたを監獄に押し込んだこのかわいそうな、許しを受けることのできない怨讐が訪ねてきました」と涙するようになるときは、崇め、褒めたたえたい心が生ずるのです。ですから、「ああ、イエス様が怨讐を愛しなさいと語ったことは、イスラエル圏内で語ったことではないのだなあ。天上世界の道理を知り、大宇宙圏内の故郷を思う心をもってみるときに、これは部落で争い、鼻血を流す、そのようなことを許すのは問題ではないのだなあ」ということを感じました。

 ですから、心情を中心としてたくさんの風雪を体験した人は、不幸な人ではないのです。霊界を知ってみるとそうなのです。貧しいからといって不幸なのではないのです。子供一人に、億万金、大韓民国の地を売り払っても買えない宝の価値があると、子供の一カ月分の月謝を準備する父母の道には、天地が和合するというのです。貧しいことが不幸ではないのです。そのような粘りのある父母たちの子孫を通じて、そのようなお母さんたちの系統を継いだその後代の中から、世界を愛することのできる聖子たちが生まれたというのです。

  心の永遠なる本郷を探し求めていく方法

 私たちは、故郷を探し求めていかなければなりません。肉的な故郷は、私が生まれた定州ですが、霊的な故郷はあの世界、神様の心情がある所です。肉的な故郷は横的な故郷ですが、霊的な故郷は縦的な故郷なのです。横的な故郷を手探りして世界を愛してから、縦的な故郷を愛することができるのです。それゆえにこの地球で生きるのは、横的な愛をなすことのできる訓練なのです。

 肉の故郷は、自分の生まれた所ですが、霊の故郷は、自分が行かなければならない所です。ですから、「霊的故郷は投げ打って、肉的故郷である定州に行こう」と、そう言いません。私をみな忘れてしまい、父母をみな忘れてしまい、私の兄弟をみな忘れてしまい、神様を愛せよというのです。神様が愛する一番の皇族を愛せよと、霊的故郷では訓示するのです。

 心の故郷福地を探し求めていかなければならない人生行路の前で、脱落者にならないために、故郷を越えて、この国を越えて、人類を越えて愛してから、神様とあの世の先祖たちと今後の後孫を抱き、愛していかなければなりません。そのような疲れきった生涯の道を行く人たちは、高い天の故郷において主人に近い位置にとどまるというのが天理原則です。

 私は、そのことが分かったので世界の人から悪口を言われながらも行ったのです。「世界の人よ、打て」と言って行ったのです。私が、この横的な道をまっすぐ行かなければならないのに四方から全部打つので、四方から押して打つので、「ジグザグに行くことができません。ずっとまっすぐに行くための試練なのだなあ」と思ったのです。ですから、万事が解決されたのです。怨讐も問題でないのです。

 それで横的な人生行路を経て、縦的に天上世界の本郷に父を訪ねていって、その永遠な父の家で幸福に満ちる息子、娘になりますように! そのようなことが故郷を訪ねていく人たちの希望の基地ではないでしょうか? それでどのくらい精誠を尽くさなければならないでしょうか? それを考えてみなさい。

  祈祷

 愛するお父様。故郷が慕わしいゆえにその行く歩みをとどめることができない生涯の路程であることを私たちは手探りして推し量りました。

 ここに立ちました息子も、肉を中心とした平安北道定州郡徳彦面上思里二二二一番地、私の父母を中心とした兄弟と、その村と、その環境を忘れてしまうことができません。そうできないように、私の本郷の地における永遠なる心の故郷を探し求めていくのに、私が肉的な故郷よりも神様を、肉的な兄弟よりも天の国の皇族を、肉的な国よりも天の国の王国を、民をもっと思います、という生活をした人は、間違いなく天の国の保護を受け、神様の愛を受けることができる位置に立つことができるということを推し量って、み言を語りました。

 お父様。故郷は良い所です。なぜでしょうか? 永遠に変わらない父母の愛が漂う所、兄弟の愛が漂う所、村の愛が漂う所、誰が何と言っても、一〇〇〇年の受難の道がおいかぶさり、またおいかぶさり、またおいかぶさるとしてもそれを越えて出てきて、また、慕わしく思うものが故郷だからです。そのことを考えるとき、愛が偉大であることをもう一度感じました。今日、私たちの生涯において、天の故郷を中心として、行く道の前に迫害が加重され、困難さが加重されてもまた、よみがえる慕わしさの心、永遠なる主体たる神様を中心として故郷の父母に対する心、一生を越え、また越えて永遠に行くことのできる、このような浸透する心情と欽慕の心をもった人は、いつも二つの世界の故郷をもった幸福者であることを、この時間悟るように、お許しくださいますようお願い申し上げます。

 自分が与えたい時に与え、受けたい時に受けることができる、愛を中心としてそのような位置に生きる人たちが幸福な人であることを知りましたので、その世界に向かって自ら生き、自分の一生行路を収拾し、その標準を定めまして厳粛に、本郷に、心深く、大きいその世界に拍子を合わせ、その道に協助することができる体の版図を整えなければなりません。そうでなくして恥ずかしい自分自身を発見するときに、いかばかり悲惨なことであるかを悟ることができますように、それを固く決意しながら、締めていきながら生きることのできる統一教会の信者たちになるよう、お許しくださいますことをお願い申し上げます。

 今や七十歳を迎え、初めて迎える聖日であるこの日に故郷を語りました。私が年を取るにつれて故郷に近づくことを知るようになりながら、自ら整えなければならないすべての準備がまだ尽きないことを感ずれば感ずるほど、今後の十年、あるいは、それ以上の年を前にして、すべての忠誠とすべての努力を加重させなければならない責任を感じながら、きょうみ言を語りました。

 これらの人たちが、このみ言を通じまして心の中に忘れることのできない本郷を、本性の故郷を慕いますので、すべてのことを忘れて乗り越えていくことのできる誇らしく、大胆であり、強い群れになりますようお許しくださいますよう切にお願い申し上げます。

 お許しくださいましたその日、その故郷の地の前に恥ずかしくない、愛され、歓迎されることに堂々とした息子、娘になりますよう祝福してくださいますようお願い申し上げます。すべてのみ言を真の御父母様のみ名により申し上げました。アーメン。(一九八九・二・一二、本部教会)

1 本郷の意味

 皆さんには、故郷というものが印象的であるはずです。誰にとっても故郷はありますが、大概その故郷で住んでいる人たちは、故郷が美しく、良いということをよく知りません。本当の故郷の味は、故郷を離れてみてこそ感ずることができます。本郷というものも本郷の地を離れてみてこそ、その味を知ることができるのです。

 私たちが生まれて住んでいる故郷は、皆さんがよく知っています。けれども、人間が探し求めていかなければならない本郷の地は、まだ現れませんでした。

 元来、私たちの人間始祖が堕落しなかったならば、その本郷はどこでしょうか? アダムとエバが住んでいたエデンの園であり、その村なのです。その山河であることに間違いありません。今日、堕落した父母の血統を受けて生まれた人間は、「本郷」といえば、自分たちが生まれた所を思いますが、今日、人類が追求し、慕っている理想的な本郷というものはあまりにもむなしいものです。

 今日、私たち統一教会が探し求めていく最高の目的地はどこでしょうか? 私たちは、失ってしまった本郷を探し求めていかなければなりません。その本郷には、御父母様がおられ、兄弟がおり、親戚がいます。彼らが悲しみの中から私たちを迎えてくれるのではなくして、永遠の喜びと幸福の中から私たちを迎えてくれることのできる所、そして、その喜びが一時的な喜びとして終わるのではなくして、永遠に継続され得るその本然の所を私たちは探し求めていかなければなりません。

 本郷という所は、住みたいというそのような所です。家を離れてみるとよく分かるように、行きたいし、見たいし、住みたい、そのような所です。私たちの心が行きたいし、心と共に体が行きたいそのような所です。ところが今日、私たち人間は、真実なる意味でそのような本郷に行くことができるのでしょうか? 行くことができません。堕落したので私たちは、心とは相いれない距離でいつも間隔をおき、互いに押し合い、押され合って争う路程を経ていっています。

 心が慕うのと同時に体も慕う、永遠に安息することができ、幸福の基台であると誇ることができる本郷を私たちは探し求めていかなければなりません。ですから、今まで歴史過程において数多くの人たちがこのような本郷を慕い、追求し、欽慕しては死んでいきました。また、多くの宗教人や哲人も、この本郷の地を探し求めるために今まで苦労しているということを私たちは知らなければなりません。それゆえに、本郷の地が必ず現れなければならないのです。

 神様は、本郷を慕う私たち宗教人を率いて、その本郷の地へ引導なさるために今まで闘争してこられました。そのような神様は、必ずそのような人を本郷の地へと引導なさるに違いありません。ですから皆さんは、この地で準備をし、神様が、「お前が本郷の地を慕うように私もお前を慕わしく思った」と言うことができる実質的な内容をもって、あの世に行かなければならないということを知らなければなりません。(一九六九・五・一一、前本部教会)

2 本郷の家

 私たちは本郷を、本郷の家をなぜ慕わしく思うのでしょうか? 本郷といえば必ず家を思うのですが、家をなぜ好むのでしょうか? その家は何の家なのでしょうか? 箱のような小さい家、入ってみたとき、それがその国において十等以下の家であるとしても、その家は懐かしいのです。ねじれた箱のような家で愛するあなたとささやくことは、豪華な宮殿の宝座で愛をささやくことに対比することができないというのです。

 それで私の本郷の家がどこなのかというとき、どこだと言わなければなりませんか? 私の本郷の家、その本郷の家はどこなのですか? 私たちが語るに、統一教会の信徒たちは、本郷の家といえば、その家は箱のような小さい家、草ぶき屋根の家、何の瓦ぶきの家と、このようないろいろの家を語りますが、そのような家は必要ありません。愛の家をいうのです。

 私の本郷の家とはどこですか? それは、家をいうのではないのです。私の本郷の家は、お母さんなのです。お母さんです。本来、本郷の家がお母さんです。お母さんの胎内から出てきたでしょう? 私たち統一教会の信徒たちは、そのことを考えなければなりません。これを考えてこそお母さんが貴いということが分かります。故郷の家だけ、故郷の地だけ慕わしく思うことを知っていますが、それは相対的な地であって、本質的故郷の地は、主体的本郷の地は、お母さんの体なのです。

 皆さん、本郷の地がどこなのかというとき、私に言わせれば、平安北道定州のあの上思里なのです。それ、名前は良いです。上思里という所なのです。「それで、そこに行けば何がありますか?」と聞くようになるならば、何があるとは何ですか? あるもの、みなあるのですね。それでも、本郷の地は、そこではないというのです。父母が私の本郷の、本質的本郷の地であるというのです。お母さんの深いおなかの中が本郷の地だというのです。深いお母さんの愛が、根本たる所が、本郷の地だというのです。

 さらに進んで本郷の家、その家はどこにあるのでしょうか? 父母が私の家なのです。その家の兄弟たちが私の家なのです。それが愛の家だというのです。その町内の隣人が愛の家なのであり、この国が愛の私の家であり、この世界が愛の私の家であり、この宇宙が愛の私の家だというのです。愛を中心として見るとき、宇宙の家だというのです。宇宙。このごろは、宇宙村だといいます。宇宙村というよりも宇宙家といわなければならないのです。世界村ではないのです。世界の家なのです。世界家。宇宙は、私の家だというのです。(一九八六・五・二五、本部教会)

3 本郷へ帰ろう

 本郷へ帰らなければなりません。皆さんが帰ろうとするならば、どのように帰らなければならないのでしょうか? 失郷世界、失ってしまった故郷を探し求めていこうとしますから、故郷がどのような所かを知らなければならないのです。故郷の何がどうなのでしょうか? 故郷の愛がどうなのかというのです。父母の愛が慕わしくて帰っていくのです。父母が慕わしくて帰っていくのです。兄弟が慕わしくて帰っていくのです。そこは、自分の妻子が安息でき、夫婦が安息できる所です。

 さあ、今から帰っていかなければならないのですが、帰っていこうとするならばどのように帰らなければならないのでしょうか? 私たちは、エデンの園で何を失ったのかといえば、父母を失い、その次には子女を失ってしまいました。今は、愛を中心として語るのです。神様を失い、父母を失い、その次には、兄弟を失ってしまいました。長子たるカインは、アベルを失ってしまいました。兄は、愛する弟を失ってしまい、弟は、愛する兄を失ってしまいました。これが問題です。

 本然の愛に反対する、そのような立場に立った人たちを引っ張り回すものは何ですか? サタンです、サタン。堕落することによって地獄が生じたのです。それによって家庭を失ってしまい、その次には、氏族を失ってしまい、民族を失ってしまい、国家を失ってしまい、世界を失ってしまったというのです。

 それでは今日、復帰路程において一番の問題は何でしょうか? 世界を探し求めるためには、世界救援に先立って国家救援がなければなりません。世界が出てこようとするならば、国家過程を経なければならないし、国家過程に先立って民族過程がなければなりません。民族がなくしては国家が出てこないからです。

 民族というものは、数多くの氏族を連合させたものです。数百、数千の姓が入っているのです。ですから、民族に先立って氏族を救援しなければなりません。氏族が天側に立っていなければなりません。氏族に先立って家庭が神側に立たなければならず、家庭に先立って個人が神側に立たなければならないのです。

 ところで問題は何かといえば、皆さん個人が、家庭に先立って、神側に完全に立っているのかということです。皆さんが職場をもって働いているということは、サタン世界の混濁とした水の中で泳いでいることだということを知らなければなりません。これをいつか水の根源に行って洗わずしては天の国には行けません。ですから、世界を探し求めようとするならば、国を探し求めなければなりません。

 還故郷しなければならないのですが、本郷の地へ帰っていくためには、堕落した世界がありますから、これを収拾しておかずしては入っていけません。(一九八六・九・二八、本部教会)

第二節 必然的な還故郷
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一 摂理の中の故郷

1 ヤコブと故郷

ヤコブがハラン生活でラバンの反対を受ければ受けるほど、心において追求したこととは何でしょうか? 故郷というものを考えたというのです。神様が許してくださる祝福があるとするならばそれを受け、その地で良い生活をするということよりも、自分の家と共に、自分の兄弟と共によく生きるという観念に立っていたというのです。ハランの地で自分の妻子とよく生きるということよりは、故郷に帰って父母に侍り、兄弟と共に一つになってよく生きるという考えをしたというのです。その考えとは何でしょうか? 民族のために生き、世界のために生きる基礎的な思想になるのです。

結局は、どのように父母と一つになるのかということと同時に、兄弟と一つになるのかということがヤコブの日常生活の中で忘れることができない主流思想だったというのです。羊を飼う牧者生活をしながら、寂しい生活をすればするほどその寂しさと悲しさを通して何を考えたのでしょうか? 自分がそこでお金をもうけ、あるいは祝福を受けるそのことが目的ではありませんでした。故郷を思う心、神様が祝福なさった自分の父母、イサクの家庭、自分の父母とアブラハムおじいさんから受け継いだその祝福を尊重する心に、いつも徹したというのです。そのような心の姿勢だったというのです。自分がじっと考えてみるとお兄さんについても分かるというのです。長子の嗣業を根こそぎ奪ったので、兄がそのように自分を殺そうとすることもあり得ると考え、兄に同情する心ももったというのです。

ヤコブが生活するのに、一番必要としたことは何でしょうか? 環境が難しく、あるいは孤独な生活の中へ、迫害生活の中へ、巻き込まれていけばいくほど、その位置でお兄さんを恨むとか父母を恨むのではなく、むしろその環境を通じて、そのようなお兄さんのために生き、父母のために生きるという心がいつもありました。自分がもし、故郷に帰る道があるならば、自分の一生の間苦労して得たものを、全部彼らに分けてあげても感謝するという心があったのです。

もしそこで、自分を中心として、自分のものであり、自分のためのものであると考えたならば、ヤコブの信仰路程は失敗に帰したはずです。それは、なぜでしょうか? ヤコブを祝福したのは、ヤコブ個人が良い生活をせよと祝福したのではなく、民族を編成なさろうとする神様が、イスラエル民族が良く生活することができる基盤を築く目的で祝福したのです。(一九七三・五・二七、ベルベディア修練所)

2 イエス様と故郷

皆さんに故郷がありますか? (はい)。どのようですか? どこなのですか? 皆さんが住んでいたその所が故郷ではありません。どこが故郷なのですか? 今まで歴史時代に真なる人たちには故郷がありませんでした。そのような人たちに故郷がなかったのに祖国があったでしょうか? 祖国はなかったのです。

アブラハムも夜間に荷物をまとめてカルデアのウルから逃げていったのです。ジプシーになれと追い出したのです。イスラエルの名前でもって祝福を受けたヤコブも、自分の兄が殺そうとするので故郷を捨てて逃げていったのです。また、イスラエル民族を今まで、二〇〇〇年の間追い払ったのです。ローマが追い払いました、全部。キリスト教はイスラエルの国から始めてローマへ行ったのですが、ローマから追い払われたので、いかばかり犠牲をたくさん強いられたかというのです。もし故郷があり、祖国があったならば、そのように死ななかったというのです。ユダヤ教もキリスト教も今まで故郷がないというのです。

イエス様に故郷がありましたか? ありませんでした。イエス様は家を捨てて出てきました。母に対して、「女よ、私と何のかかわりがあるのか?」と話したのです。兄弟もいたのですが、自分の兄弟でないと語ったのです。神様が見る兄弟ではなく、神様が見る父母でなかったというのです。神様が見る故郷でなく、神様が見る国でなかったというのです。

ですから、今まで善を追求したすべての宗教の指導者たちには、その国全体が故郷ではなく、祖国ではなかったのです。これは、合っているというのです。世界の人々が、国はもったけれども、その国はいつ失うのか分からない国であり、故郷をもったけれども、その故郷はいつ失うか分からない故郷なのです。ですから、雲の上でさすらう人類であることを知らなければならないのです。さすらい人なのです。

本来、神様が人類に許した故郷は、一つの所なのです。一つの所。そこがアダム家庭が住む所でした。それでは、その故郷の主人とは誰でしょうか? 神様なのです。神様。また、故郷の主人が誰なのかといえば、神様を中心としたその時の真の父母なのです。アダム、エバが堕落しなかったならば、その時代に真の父母になり、神様と一つになったはずです。それで真の父母の愛の圏が展開され、愛を中心とした出発基地が、人類の故郷になったはずだというのです。

それでは、神様の恨みとは何でしょうか? 故郷! イエス様の恨みとは何でしょうか? 故郷! 数多くの義人たちの願いとは何でしょうか? 故郷! その次に祖国を探し求めることだということを知らなければなりません。これは、人類の希望なのであり、宗教人たちの希望なのです。(一九七九・一・一四、ベルベディア修練所)

二 還故郷と時

皆さん、今の時がどのような時なのかを知らなければなりません。今が摂理的に見るとき、どのような時なのかというのです。先生が韓国に行って仕事するのは、既に世界的な蕩減時代を経て韓国を連結させる時になったということです。カナンの福地、イスラエル民族が四十年荒野路程を過ぎてカナンの福地に入っていった時代に匹敵するというのです。

それでは、そのような時になるならば何が違うのでしょうか? 私たちが働いてきた普通の時とそのような時と何が違うのか、ということを知らなければなりません。何が違うのかといえば、統一教会を中心として、先生を中心としてサタンと対決するにあたって、サタンが讒訴することのできるいかなる条件ももっていない、そのような時に入ってきたのです。(一九八八、六、一五、イースト・ガーデン)

今は、蕩減するための時代だというのです。それで、皆さんに氏族的メシヤ権を許して還故郷させたのです。大韓民国において父が現れて数万数千の面、部落にメシヤの息子、娘を配置したのです。

今からはイエス時代と違います。メシヤは殺されません。先生の迫害の時代は、みな通り過ぎたというのです。先生が着陸しました。南韓に着陸すると同時に北韓に着陸するようになっています。

アメリカの民よりソ連の国民がレバレンド・ムーンをもっと支持するのです。北韓においても二世たちは、全部、今やうわささえ立てば、文総裁に従ってくるなと言っても従ってくるのです。(一九八八・七・二二、漢南洞公館)

今の時がどのようになっているのかといえば、皆さんは、郷里のために行きましたが、先生は、国に向かったのです。国が、国の運勢が先生を迎えることのできる時へ入っていくというのです。(一九八九・一・三、漢南洞公館)

今からは、世界の統一教会は、どこに行っても反対がありません。そのような時になったのです。反対がないのです。自分が昔反対していたことを考えると、心が冷え冷えとするのですね。そして故郷に帰って、昔のように反対してみようと口を開けるならば、反対する人が反対されるようになっているというのです。このような安全地帯に処することができる時になったというのです。(一九八八・二・五、本部教会)

三 還故郷命令

1 真なる故郷

今日私たちは、還故郷、真なる故郷へ帰らなければならないのですが、故郷とはどこですか? 真なる故郷とは、愛がある所です。故郷は、私の動脈の血が歴史と共に動く所です。なぜでしょうか? 私が成長する時まで、その地方のすべての要素を吸収して大きくなったからです。私の細胞と共に、血と共に、心臓の鼓動と共に躍動する所です。愛の感情を抜くことができないほどに、深くしみ込んでいる所が故郷だというのです。

今や私たちは、どこへ行かなければならないのでしょうか? 故郷を探し求めていかなければなりません。故郷に行くとするならば、誰を訪ねていくのですか? 故郷に行く時は、誰を訪ねていこうとしますか? (真の御父母様を訪ねていきます)。世の中のできの悪い連中は、若い者たちは自分の妻の家を訪ねていこうとします。妻が故郷なのですか? 故郷を訪ねていくときは、父母の懐が恋しくて訪ねていくのです。

昔、幼いころ、物事の分別がつかない時、家の庭で子犬と遊んだり、春になれば黄色いヒヨコがピヨピヨ鳴き、その山川草木の自然と共に、家に配置されたすべてのものが私の心情的因縁と共に眠っている所が故郷というものなのですね。それらを見て呼ぶ声が何かといえば、「うちの子犬」と言うのではありません。「愛するお母さん」とそう言うのです。昔のように子犬が尾を振って出てくるのを見たとき、「お母さん!」とこのように呼ぶというのです。昔、そのような子犬を愛したように、お母さんの懐がもっと良いのです。お父さん、お母さんを呼んでから、その次には自分の嫁さん、新郎を呼ぶのです。(一九八八・五・一一、清州教会)

私たちが「真なる故郷」と言う前には、この地球にはまだ真なる故郷が生まれなかったというのです。宗教的に見るならばそうだというのです。真なる故郷は生まれませんでした。真なる故郷には誰がいなければならないのかといえば、真なる父母がいなければならないのです。真なる故郷の家において主人にならなければならない方は、真の父母であり、その真なる父母はどのような人なのかといえば、真なる男と真なる女が真なる愛を大黒柱として結ばれた夫婦をいうのです。(一九八八・五・一七、釜山教会)

2 故郷に対する私たちの心

今日、宗教というものは、人々が故郷を追求するにおいて絶大なる貢献をしました。天国に行こう、あるいは理想世界に行こう、極楽世界に行こうというのですが、そのような所は私たちが生きるこのような所ではありません。私たちが永遠に生きることのできる本郷の地だというのです。まさしくこのような面において、宗教は本郷を追求するのに貢献をしたというのです。では、その所は、どのような所なのでしょうか? すべての条件が整えられている所です。心と体が少しも足りなさを感じない、完全無欠な所です。その所を人類は今、追求していっているのです。

けれども、どれだけ故郷に行くといっても、喜んでくれる人がいなければむなしいのです。もし、韓国人二世が外国で生まれ、祖国である韓国を訪れてきたのに、韓国語が分からなければ、それも気まずい思いをするのです。もちろん、故郷に行くことも良いのですが、まず、故郷にいる人たちと言葉が通じなければなりません。そして、うれしく迎えてくれる人がいなければなりません。自分を迎えてくれる人がいるということは、いかばかりありがたいことか分かりません。また、迎えてくれるその人が、自分が願っていた以上に迎えてくれるのか、あるいは、それ以下に迎えてくれるのかということが問題です。もし、願っていたそれ以上に迎えてくれるならば、祖国に対する印象も良くなるのです。それゆえに皆さんは、いつでも外国人に対するときは、注意しなければなりません。

その人たちは、韓国であるならば韓国、または、訪ねてみたいある国を訪ねていくときは、飛行機に乗るなど、自分の経費を使い何時間もかけ訪ねていきます。それゆえに、その訪ねてくる人たちに愛情を与えなければなりません。そうしてこそ、何度も訪ねてくるのです。その人たちがある国に到着するならば、まず何を先に感ずるようになるのかといえば、その国の国民性はどうかということです。そして彼らは、その国で自分が学ぶことは何であるのかを考えるのです。そのような心をもって回るのに、もし、道を尋ねるとか、あるいは、何かを買うとかというとき、人々が不親切であり、気持ち悪く対するならば、その国に対する彼らの印象がとても悪く記憶され、その国に来たことも後悔するようになるのです。二人の不親切な人に対されるだけで、とても気持ち悪くなるのです。その人たちが自分の国に帰れば、必ず自分が訪れてきたその国に対して良くない評価をするようになるのです。

このようなことを見るとき、自分が故郷や祖国を訪れるようになるとき、自分をうれしく迎えてくれる人がいて、自分の心を全部開いて相談することができるならば、彼は幸福な人です。反面、どれだけ祖国の地を訪ねていくとしても、迎えてくれる人がいなければ、彼は不幸な人です。まず、言葉が通じなければならないし、その次には、自分をうれしく迎えてくれることのできる人がどれだけいるのかということです。これが問題です。(一九六九・五・一一、前本部教会)

3 還故郷のみ旨

今や故郷に行って何をするのでしょうか? 故郷に行って何をしますか? 還故郷するにはどこに行くのかといえば、還故国ではありません。還故郷なのです。還故郷なのです。家へ帰るのです。自分の本来の家へ帰るのです。今日、人類歴史を考えてみるならば、還故郷の本来の家はどこでしょうか? アダム・エバと堕落したその家です。

還故郷とは何かといえば、堕落したアダム・エバを基準としたものではありません。今日、私たちがいう還故郷は、堕落しなかった本然的完成したアダム・エバの故郷をいうのです。そのアダム・エバの故郷が、今、私たちが行こうとする故郷が、神様の前に成就されたのですか、されなかったのですか? 堕落のゆえにされませんでした。蕩減復帰完成時代が来たので、できなかったことをつくるために還故郷するには、アダム・エバの堕落した以上の故郷の地に行くのです。そこには、神様がおられるのです。(一九九一・八・二九、国際研修院)

4 還故郷の背景

それでは、蕩減復帰路程においてメシヤが来てしなければならないこととは何でしょうか? 世界史的な蕩減基準を乗り越えた上で、アダムが堕落することにより神様の摂理の出発を見るようになっているのであって、アダムが堕落した以下で神様の摂理の出発を見ることができないのです。今まで故郷へ戻ることのできる道はアダムの堕落によりふさがれていたので、故郷へ戻ろうとするならば、アダムの代身者が来て、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界史的な蕩減条件でも設定しなければなりません。そうでなくしては、帰ることができないのです。(一九八八・六・一、本部教会)

真の愛の内的運動は、一〇〇を投入するならば一五〇が出てくるし、一〇〇〇を投入するならば一五〇〇が出てくるし、一万を投入するならば二万が出てくるように、大きく現れる真の愛の実績、存在実績、価値実績の内容が整えられました。ですから神様の真の愛の役事は、サタン世界も征服してきたというのです。このように見るとき、故郷を失った人たちの故郷に帰りたい心はいかばかり切実だろうかというのです。(一九九一・八・二九、国際研修院)

皆さんを故郷に送るのは、先生が長子権をみな復帰したからです。先生が一人で長子権を復帰して帰ってきたので送ったのです。それで故郷に見事に送りましたか、間違えて送りましたか? (見事に送られました)。皆さんを還故郷させて、先生も今や父母としてお出まししなければならないからです。(一九八九・一・三、漢南洞公館)

堕落によって天側が次子の悲しみの位置に立ったので、長子権を回復する業を人々にさせることも、神様が思いどおりにできないということを知らなければなりません。心が冷え冷えすることなのです。

この氏族を世界個人的長子権復帰、世界家庭的長子権復帰、世界氏族的長子権復帰、世界民族的長子権復帰、世界国家的長子権復帰、世界的長子権復帰をしてこそ、初めて本然の堕落しなかったエデンの園に、このサタンの讒訴圏を抜け出た、家庭出発が始まるのです。

これを見るならば、私たちはすべて失郷民です。失郷民が故郷を訪ねて帰っていくのに、このようにするとは夢にも知らなかったというのです。(一九八九・二・二六、本部教会)

今までは、サタンが故郷を占領して主人の振る舞いをしながら私たちを追い払ったのですが、今からは皆さんが故郷に行って、皆さんが(サタンを)追い払わなければならないのです。それは、自動的なのです。そのようになるならば、善なる霊たちが皆さんの故郷に来て守るのです。悪なる霊をみな打ってしまうのです。それが原理観です。

先生が監獄に六回も出入りしながらこの日を願っていたのです。世界に還故郷を宣布することのできるその時を眺めて出てきたというのです。先生の一生を振り返るならば、父母がみな霊界に行き、そのようなことを考えると心がふさがるのです。しかし、皆さんが故郷で皆さんの多くの親戚たちを私の父母、兄弟の代わりに解放すれることを考えながら、昔のことを忘れ、祝福してあげるのです。(一九八九・六・一五、イースト・ガーデン)

み旨から見るとき、キリスト教がアベルであり、アメリカがカインです。

南・北朝イスラエルがあったではありませんか? 北朝イスラエル十支派、南朝ユダ二支派にユダヤ教が分かれ、北朝全部が悪い業をしました。それで南朝二支派が彼らを救うためにありとあらゆることをしたのです。バアル神を崇め、アシラの木像を立てて退廃的な思想を中心としていたので、神様がどれだけ救おうとしても救うことができなかったというのです。それでエリヤを中心として、北朝イスラエルのすべての偶像たちを撤廃してしまったのです。

そうして生きておられる神様を見せるならば、ユダヤ支派全部が一致すると思いました。アベルに屈伏すると思ったのに、むしろ反対し、エリヤを捕らえて殺そうとしました。それでエリヤが、「私だけが残りました」と言って最後の祈りをするその時に、神様がエリヤに、「まだバアルに屈しない七〇〇〇の群れがいる」と言いました。残された七〇〇〇の群れを中心としてカイン圏復帰路程を展開させなければならないというのです。

ですから、先生はそれを探し求めようとしますから、七万名を中心として七〇〇〇名を韓国側にさっと接ぎ木しなければならないのです。イエス様の時代に七〇〇〇名さえいたならば、イエス様はなぜ死ぬでしょうか? カイン・アベルという核心的な内容を中心として、祭司長たちと書記官たち七〇〇〇名が一つになったならば、祭司長圏、カイン世界はアベル的イエス様の前に必ず和合することができたはずです。そのような運動を今しているのです。ですから、今年までに七〇〇〇名の教育を急ぐのです。

それで、キリスト教を中心としたこの組織体をつくってアメリカに影響を及ぼそうとします。キリスト教を生かすのです。キリスト教とアメリカが私に従ってくることができる時代に入ってきたので、それが可能です。アメリカのキリスト教を中心として見るときに、カイン・アベル圏、キリスト教がアベルであり、アメリカがカインですから、ダンベリーを出てきたのがレバレンド・ムーンの勝利の締めくくりです。それによって、還故郷をするようになったのです。(一九八八・一〇・三、一和龍仁工場)

5 還故郷の意味

今や統一教会に反対する時代は過ぎ去りました。汝の家の家族が怨讐だと言っていたその怨讐の群れとは、家のなかの家族ではないのです。今では国を越えてあの国境地帯にいる金日成、世界国境地帯にいるソ連以外には私たちの怨讐はいません。約三年過ぎてみなさい。統一教会に反対しては道端でぶん殴られるというのです。「この野郎、何だと?」と、このようなことを聞きながら。

それで今は統一教会の反対時代ですか、歓迎時代ですか? (歓迎時代です)。それで皆さんが故郷へ帰るようになるならば……。昔、お父さんお母さんが、「この野郎め! 家の中を滅ぼし、村を滅ぼし、国を滅ぼして逃げた奴め!」とこのようなことを言ったのは、サタンの代言だということを知らなければなりません。

神様の名前で勝利の盾をもって還故郷する皆さんは、昔と違います。その部落が歓迎しなければならないし、大韓民が歓迎する圏内と世界が歓迎する時代に入ってきたので、皆さんの部落は全部歓迎しなければなりません。では、どこで団結するのですか? 御父母様を慕い、御父母様を愛し、御父母様のみ旨の解怨成事するために歴史をかけて、涙と血と汗を全部ささげて本然の基準に和し、神様の愛の花を咲かせることができる私自身(自分自身)を探し出しますというのですが、どこでその花を咲かせるのですか? これが問題なのです。どこで解くのですか?

先生がアメリカにいるならば、先生を眺めながらその場に行くことはできません。ですから皆さんは、今までは分かりませんでしたが、神様の心情を知り、先生の心情を知らなければなりません。皆さんが故郷の村に入っていって、この心情圏を再度植えつけなければなりません。蕩減ではないのです、今からは。蕩減ではないのです。過去は、蕩減して流れていってしまいました。今からは真のものでもって植えつけなければなりません。植えつけるようになるとき、故郷へ帰る金氏であるならば金氏、朴氏であるならば朴氏という、そのなにがしでもって植えつけてはいけません。

このように見るとき、御父母様の故郷を訪ねていく前に、皆さんの故郷を先に訪ねることのできる恵みを受けているという事実を知らなければなりません。先生は、一段階高い位置に行かなければなりません。南北を統一して故郷へ帰らなければならないのです。皆さんは子女の立場ですから、一段階低いのです。御父母様が歴史時代の個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的蕩減路程を歩みながら、とめどもない涙と血と汗を流してきたのです。そのすべての事実を、御父母様の代わりに背負い、御父母様が北韓の地に入っていって、天の前に勝利と感謝をささげることのできる心情を身代わりして、皆さんの故郷の地を御父母様を身代わりして涙でぬらし、血と汗でぬらさなければならない責任が残っているということを知らなければなりません。

このようになるとき、反対する人は直ちに罰を受けるのです。既成教会は今から行く道がありません。ここからきれいに部落民たちが動員されて、既成教会を追い出すのです。先生の一族を探し求めたように希望を抱き、先生の代わりに愛することによって、先生が過去に愛せなかったことを再現させて、愛したという条件をその地に立てることにより、先生の伝統的根を深く下ろすことができる因縁を皆さんの故郷に広げ、植えつけられるのだというのです。これが今回、還故郷せよという命令だということを知らなければなりません。

(一九八八・六・一、本部教会)

6 「故郷に行け」と語られる

イエス様は何と語りましたか? 預言者は故郷でもてなしを受けられないと語りました。ところが、統一教会の文先生は、皆さんにどこへ行けと語りましたか? 故郷に行って祖先になれと言うのです。そのようなことは歴史にはありませんでした。聖書にそのような教えはありません。故郷でもてなしを受けられないと語ったのですが、今からは故郷でもてなしを受ける時が来たと語るのです。それは聖書にありません。それは、先生のみ言であるとともに、間違いなく天の経綸の中に現れなければならない言葉です。ですから、故郷に行けと言うのです。(一九八八・一〇・二三、一和龍仁工場)

それでは、人類が行かなければならない故郷とはどこにあるのでしょうか? 人類が行かなければならない祖国とはどこなのかというのです。真が宿る故郷、真が宿るその国とはどこなのかというのです。このように見るならば、今日、統一教会が主張し、統一教会のレバレンド・ムーンが皆さんに教えて、行けというその道、その目標以外には発見することができないというのです。絶対できないというのです。これは、理論的な結論だというのです。(一九七九・一・一四、ベルベディア修練所)

今日、イスラエル民族大移動時代を迎えたので、統一教会の信徒たちは、ソウルにいるとか、どこにいるとしても、還故郷しなければなりません。(一九九一・八・二五、本部教会)

先生は今まで、口を閉じてありとあらゆる辱めを受けながらも、耐え忍んできました。エデンの園で神様がアダム、エバを大切に育て、成熟したその位置で、「お前は、私の永遠な家である。お前の家の中が千年万年、全世界に砂のように栄え、空の星のように拡大されるのだ」とそのように願いました。神様が血筋に従って同居することのできる基台でした。その希望の基台がとぎれたのです。それを連結させなければなりません。連結させて戻っていくには、どこへ戻っていけばいいのでしょうか? アダム、エバが堕落して、悪い種を蒔いて、偽りの根が出てきました。偽りの祖先が出発しました。ですから、皆さんを追い詰めて真なる祖先の位置にもっていって植えておかなければなりません。それで還故郷しなければならないというのです。

堕落によって偽りの根が生じました。本然の心情ではありません。本然の心情に反するサタン的根を片づけ、抜いてしまい、これを腐るようにして、腐った根の上に真なる種を植えるのです。本然の故郷の地の上に新しい心情圏、真の父母と真の神様の愛が皆さんの家の中で、金氏であるならば金氏、文氏であるならば文氏、皆さんの村と家から新しく出発しなければならないのです。ですから、還故郷しなければならないということを知らなければなりません。(一九八八・五・一五、本部教会)

皆さんに故郷に帰れと言うのは、先生が儀礼的に来て語る言葉ではないのです。歴史を清算して故郷に帰ることのできる父母という立場の特権を与えてから、このような恵みを相続させて、祝福家庭に故郷へ帰れと命令したということを知らなければなりません。    (一九八八・七・三、ベルベディア修練所)

故郷へ帰らなければなりません。今や統一教会の信徒たちは、絶対に家を出てきてはいけません。今までは、家を出てきたのですね? 今までは、家を出なければなりませんでした。サタン世界から長子権を伝授されなければなりません。今が伝授される時機なのです。今回、私が巡回するのは、皆さんにこれを伝授してあげるためなのです。

皆さんは、真なる愛を伝授されて故郷に帰り、真なる御父母様の伝統を植えつけなければなりません。そうすることによって神様が共になさり、神様のすべての相続権が万民の祝福になり、万福が横的にしみ込むことができる幸いなる韓国の地になるというのです。(一九八八・五・一一、清州教会)

今からは、摂理のみ旨と一致する氏族的メシヤの使命を、心情を中心として皆さんが植えるならば、形成されたものは誰も抜けません。私がみな、差し込んでおいたからです。氏族的メシヤを私が差し込んでおいたので、抜く者がいません。

それゆえにここソウルにいる人たち、統一教会の祝福を受けた人たち、就職であれ何であれ、みなやめてしまって故郷へ帰りなさいというのです。

しかし統一教会の機関にいる人は、私に承諾を受けて、「ここにいます」と言えばいることができるのです。他の所にいる人はみな出てきて、故郷復帰なのです。先生が、自分個人を中心として、自分が出世するために摂理に背反してしたならば、今日、世界に統一教会の基盤が築かれたでしょうか? 同じことです。

お母様は、先生がアメリカを中心として四十カ国を巡るとき、いかばかりくたびれ疲れたでしょうか。けれども、絶対服従して、みなこのようにこの道を歩んできたのです。同じく皆さんも先生の代わりにすべてのものを捨てて故郷に行くというのです。故郷に行きなさい。

では、このソウルが故郷でない人、手を挙げてみなさい。今から皆さんは、故郷の水を飲まなければならないし、故郷で生産する御飯を食べ、そこで住みながら四年間、もてる精誠をみな尽くさなければなりません。

ソウルにある家は、みなどうしますか? それを売って故郷に行くのですが、売って国にささげていくのですか? 同じなのです。今後、皆さんが国に戻ってくるとき、皆さんの一族が、韓国が統一されて統一の園になり、ソウルに上ってくるとき、その家が皆さんの後孫たちの足場になるはずだというのです。それを売っていかなければなりませんか、置いて行かなければなりませんか? はっきりと言いなさい。売って行かなければなりませんか、置いて行かなければなりませんか? (置いて行かなければなりません)。置いて行かなければなりません。

錦を飾って還故郷するとき、先生が世界的勝利の基盤を築いたならば、皆さんは、氏族的勝利の基盤を築くために……。これは、先生が世界的版図を築いたならば、皆さんは何もあってはなりません。モーセ時代と同じなのです。皆さんの一族を何も持たずに訪ねていって、食べさせ生かすという祖先にならなければなりません。(一九八九・二・五、本部教会)

7 還故郷させた理由

世の中は、失郷の世界にあります。失郷民世界版図になったこの人類を、サタンの愛、サタンの生命、サタンの血筋を経たものを、どのように帰郷させるのですか? これを知っている神様が、メシヤをこの地に送られて、失郷民が帰郷できるようにするのが天の摂理だということを知らなければなりません。帰郷したのちには、宗教であれ何であれ、みな必要ありません。お父さん、お母さんを引き止めて愛し、慕って涙を流すことが礼拝中の礼拝なのであり、すべてのみ旨の完成です。(一九九二・一・二六、本部教会)

統一教会は恐ろしいです。ここに私の欲心をもって軍隊をつくって独裁的に侵略したならば、世界に残るものがどこにありますか。神様を知ったので、打たれて奪ってくる作戦をするのです。

長子権復帰をしました。今からは反対に適用する時が来たというのです。ある家に入っていって、「あなたは、真の父母の歴史を知っていますか? 聞いてください」と言うのです。大胆に。涙を流し、夫婦二人がひざまずいて痛哭させることのできる基盤をもっているのです。それは嘘ではないのです。すべてのことが、みな終わったのです。

皆さんに全部、故郷を天国基地に入籍させなければならない責任があるために、行けと語ったのです。ごちゃごちゃ言わずに行かなければなりません。統一教会の信徒は、ごちゃごちゃ言わずに、みな荷物をまとめるのです。避難する人たちがごちゃごちゃ言っていては、みな死ぬでしょう? ごちゃごちゃ言っていては、みな地獄に行くのです。出エジプトしなさいというのに、エジプトに残っていて、僕の生活をしたのですね? 終わりになって僕の子になるのです。私が語った意味が分かった人、手を挙げてみなさい。

(一九九一・八・二五、本部教会)

! 宗教史に還故郷は初めて

アダム、エバが堕落せず、サタンがいない位置で神様と愛の関係を結ばなければならないのに結べませんでした。先生が歴史始まって以来、初めて条件を立てました。

先生が条件を立てたので今日、私が戻ってきて皆さんに故郷に帰れというのです。御父母様は、勝利の主権をもったので皆さんがカナン復帰をして、エジプト世界から帰ってきて故郷に帰り、永遠に生きることのできる幸福の家庭をつくり、新しい氏族を編成し国に接ぎ木しなければならないというのです。ですから、故郷に帰らなければならないのです。

宗教の歴史世界に、このように故郷に帰れという言葉はありませんでした。故郷から出てこいという、出家という言葉はありましたが。国を捨て、世界を捨てて、みなそうしました。(一九八八・一〇・一五、漢南洞公館)

堕落した世界を救うために、宗教をつくり救援摂理をするということは、新しく戻っていくことです。救援摂理歴史とは、復帰歴史をいうのです。復帰歴史とは何でしょうか? 再創造歴史なのです。再創造歴史ですから、神様の人間創造は、根本的に「ためにする愛」を投入するその世界から始め、その家の愛の女王になり、愛の王になるのです。彼らのために皆さんが祖先になるのです。

今まで宗教世界において還故郷という言葉はありませんでした。国を離れ、家を離れる出家というものはありましたが。先生はこのような原理原則を詳しく教えるのです。故郷に帰って何をするのですか? 新しい社会を建設せよというのです。困難をみな背負いますが、そこには天地が後援するのです。

(一九八八・一〇・五、木浦教会)

9 還故郷とその訓示

還故郷せよとという言葉はどれだけ幸いな言葉ですか、還故郷が? イスラエル民族がカナンの福地に帰っても、それは故郷の地ではないのです。そこには戦わなければならない未来の世界的版図が残っています。世界版図圏を越えて、今や故郷に戻ってきて南北を中心として統一した位置にいるならば、誰も私を追い出すことはできません。万国が入ってきて侍るのであり、万民が崇めることができるそのような位置なのです。神様に侍ることができる驚くべき位置であるにもかかわらず、これを無視する正気でない者はどこへ行くのですか? ですから、きょう教えてあげたことを肝に銘じて、あすの行動を……。今からは横的な行動ではなく、縦的度数を合わせながら行動しなければなりません。この縦的起点に九十度の角度でなければならないし、私がどこかに立つようになるときは、ここで平行線に立った神様の代身者として行動できる者にならずしては、天の国に残っていることはできません。(一九八八・一〇・三、一和龍仁工場)

故郷へ帰ることができなかった人たちが、故郷へ帰ることができるという許しを受けて、その日を自分がもったというときは、いかばかりうれしいですか? 「ああ、明洞に二十階建てのビルを買いましたから、そのために私は故郷であれ何であれ……」と言っていては千年万年後孫に恨みを継承して、その胸に大きな釘を打ち込んでおく悪党の群れになるのです。アダムが過ったことに対して、今まで恨まないこの地の人類の後孫たちがどこにいますか?

ビルディング一つをもって故郷を売り飛ばすのですか? このように見るとき、ああ、逆賊の息子になって千年万年恨みを抱き、行こうとしても行くことができないし、同情票をもらうにももらうことができません。

賢い文先生が来てこのように一生の間苦労し、悪口を言われ、そのように生きました。私のような人は、今後世の中の悲運の歴史が来るとしても、解放の歴史が、光明なる歴史があとに従ってくることを知っていたのでこの道を行くのであって、私一人良い生活をしようというのではありません。統一教会の人々が立派に生活するようにし、さらに民族を立派に生きるようにし、アジアを立派に生きるようにし、人類を立派に生きるようにするためのものです。

それで棍棒で打たれるとしても、足が一本折れても故郷に帰りますか、帰りませんか? (帰ります)。返事をちゃんとしないのですね。今までの返事を聞いていては……。

先生が皆さんの目に血の涙が出るほど苦痛と試練を与えるとするならば、何人ぐらい行動を始めますか? 私は、今やみ旨も成した立場で話すのです。私の行く道において、皆さんを率いていく時は過ぎ去りました。今ではそれこそ、世界舞台で自分の生活力どおりに生きる時が来ました。そのような時になりました。(一九九一・八・二九、国際研修院)

昔、イスラエル民族がカナン復帰するときは、みな、乞食の群れのように入っていったのですね。ぼろきれをまとった乞食の群れが。四十年間の荒野での暮らし向きの内容は、人間らしくなかったのです。食べられないのは毎日のようであり、うずらだけ食べたので汚いのですね。顔を見て、姿を見れば、死ぬほどたまらない状態になった人たちだというのです。

カナン七族が生きるカナンに入っていってみると、そこには牛がおり、馬がいました。立派に生活している家を見るのでどのようなことが起こったかといえば、「ああ、あの人たちと結婚したら良い。良いものを食べたい」とそう思ったのです。気を奪われたというのです。気を奪われたのです。反対を受けるとき、気を奪われたというのです。

しかし、皆さんが今から還故郷するときは、気を奪われてはいけません。それはどういうことかといえば、カナン七族を屈伏させて自由に結束させることのできる、自由な環境を開拓して、皆さんにメシヤとして主人の振る舞いをせよというのですが、この主人を、できませんか? これができないならば、首を打つのです。まさしくこれが退廃分子なのです。不純分子だというのです。

就職するために統一教会に入ってきたのではないでしょう? 就職するために統一教会に入ってきた皆さんではないではありませんか、全部。日本も同じなのです。(一九八九・二・五、漢南洞公館)

私が皆さんを激しくこき使うではありませんか? 私がしたことを皆さんにさせるではありませんか? させるとき、「お前たち、するのか、しないのか」と言って誓いをさせるではありませんか? 誓ったならば実践しなければならないでしょう? 今回も氏族的メシヤになりますと、みな誓ったでしょう? この者たち、私はそれ以上しました。氏族的メシヤのみならず、国家的、世界的メシヤの責任を今、果たしているのです。皆さんは、小メシヤにならなければなりません。虎の子が猫の子になってよいですか? 私が世界的メシヤであるならば、皆さんは国家的メシヤになりますと言ってこそ希望があるのであって、「ああ、氏族的メシヤもできない」と言ってはいけません。(一九八九・一・八、本部教会)

三 還故郷命令

1 真なる故郷

今日私たちは、還故郷、真なる故郷へ帰らなければならないのですが、故郷とはどこですか? 真なる故郷とは、愛がある所です。故郷は、私の動脈の血が歴史と共に動く所です。なぜでしょうか? 私が成長する時まで、その地方のすべての要素を吸収して大きくなったからです。私の細胞と共に、血と共に、心臓の鼓動と共に躍動する所です。愛の感情を抜くことができないほどに、深くしみ込んでいる所が故郷だというのです。

今や私たちは、どこへ行かなければならないのでしょうか? 故郷を探し求めていかなければなりません。故郷に行くとするならば、誰を訪ねていくのですか? 故郷に行く時は、誰を訪ねていこうとしますか? (真の御父母様を訪ねていきます)。世の中のできの悪い連中は、若い者たちは自分の妻の家を訪ねていこうとします。妻が故郷なのですか? 故郷を訪ねていくときは、父母の懐が恋しくて訪ねていくのです。

昔、幼いころ、物事の分別がつかない時、家の庭で子犬と遊んだり、春になれば黄色いヒヨコがピヨピヨ鳴き、その山川草木の自然と共に、家に配置されたすべてのものが私の心情的因縁と共に眠っている所が故郷というものなのですね。それらを見て呼ぶ声が何かといえば、「うちの子犬」と言うのではありません。「愛するお母さん」とそう言うのです。昔のように子犬が尾を振って出てくるのを見たとき、「お母さん!」とこのように呼ぶというのです。昔、そのような子犬を愛したように、お母さんの懐がもっと良いのです。お父さん、お母さんを呼んでから、その次には自分の嫁さん、新郎を呼ぶのです。(一九八八・五・一一、清州教会)

私たちが「真なる故郷」と言う前には、この地球にはまだ真なる故郷が生まれなかったというのです。宗教的に見るならばそうだというのです。真なる故郷は生まれませんでした。真なる故郷には誰がいなければならないのかといえば、真なる父母がいなければならないのです。真なる故郷の家において主人にならなければならない方は、真の父母であり、その真なる父母はどのような人なのかといえば、真なる男と真なる女が真なる愛を大黒柱として結ばれた夫婦をいうのです。(一九八八・五・一七、釜山教会)

2 故郷に対する私たちの心

今日、宗教というものは、人々が故郷を追求するにおいて絶大なる貢献をしました。天国に行こう、あるいは理想世界に行こう、極楽世界に行こうというのですが、そのような所は私たちが生きるこのような所ではありません。私たちが永遠に生きることのできる本郷の地だというのです。まさしくこのような面において、宗教は本郷を追求するのに貢献をしたというのです。では、その所は、どのような所なのでしょうか? すべての条件が整えられている所です。心と体が少しも足りなさを感じない、完全無欠な所です。その所を人類は今、追求していっているのです。

けれども、どれだけ故郷に行くといっても、喜んでくれる人がいなければむなしいのです。もし、韓国人二世が外国で生まれ、祖国である韓国を訪れてきたのに、韓国語が分からなければ、それも気まずい思いをするのです。もちろん、故郷に行くことも良いのですが、まず、故郷にいる人たちと言葉が通じなければなりません。そして、うれしく迎えてくれる人がいなければなりません。自分を迎えてくれる人がいるということは、いかばかりありがたいことか分かりません。また、迎えてくれるその人が、自分が願っていた以上に迎えてくれるのか、あるいは、それ以下に迎えてくれるのかということが問題です。もし、願っていたそれ以上に迎えてくれるならば、祖国に対する印象も良くなるのです。それゆえに皆さんは、いつでも外国人に対するときは、注意しなければなりません。

その人たちは、韓国であるならば韓国、または、訪ねてみたいある国を訪ねていくときは、飛行機に乗るなど、自分の経費を使い何時間もかけ訪ねていきます。それゆえに、その訪ねてくる人たちに愛情を与えなければなりません。そうしてこそ、何度も訪ねてくるのです。その人たちがある国に到着するならば、まず何を先に感ずるようになるのかといえば、その国の国民性はどうかということです。そして彼らは、その国で自分が学ぶことは何であるのかを考えるのです。そのような心をもって回るのに、もし、道を尋ねるとか、あるいは、何かを買うとかというとき、人々が不親切であり、気持ち悪く対するならば、その国に対する彼らの印象がとても悪く記憶され、その国に来たことも後悔するようになるのです。二人の不親切な人に対されるだけで、とても気持ち悪くなるのです。その人たちが自分の国に帰れば、必ず自分が訪れてきたその国に対して良くない評価をするようになるのです。

このようなことを見るとき、自分が故郷や祖国を訪れるようになるとき、自分をうれしく迎えてくれる人がいて、自分の心を全部開いて相談することができるならば、彼は幸福な人です。反面、どれだけ祖国の地を訪ねていくとしても、迎えてくれる人がいなければ、彼は不幸な人です。まず、言葉が通じなければならないし、その次には、自分をうれしく迎えてくれることのできる人がどれだけいるのかということです。これが問題です。(一九六九・五・一一、前本部教会)

3 還故郷のみ旨

今や故郷に行って何をするのでしょうか? 故郷に行って何をしますか? 還故郷するにはどこに行くのかといえば、還故国ではありません。還故郷なのです。還故郷なのです。家へ帰るのです。自分の本来の家へ帰るのです。今日、人類歴史を考えてみるならば、還故郷の本来の家はどこでしょうか? アダム・エバと堕落したその家です。

還故郷とは何かといえば、堕落したアダム・エバを基準としたものではありません。今日、私たちがいう還故郷は、堕落しなかった本然的完成したアダム・エバの故郷をいうのです。そのアダム・エバの故郷が、今、私たちが行こうとする故郷が、神様の前に成就されたのですか、されなかったのですか? 堕落のゆえにされませんでした。蕩減復帰完成時代が来たので、できなかったことをつくるために還故郷するには、アダム・エバの堕落した以上の故郷の地に行くのです。そこには、神様がおられるのです。(一九九一・八・二九、国際研修院)

4 還故郷の背景

それでは、蕩減復帰路程においてメシヤが来てしなければならないこととは何でしょうか? 世界史的な蕩減基準を乗り越えた上で、アダムが堕落することにより神様の摂理の出発を見るようになっているのであって、アダムが堕落した以下で神様の摂理の出発を見ることができないのです。今まで故郷へ戻ることのできる道はアダムの堕落によりふさがれていたので、故郷へ戻ろうとするならば、アダムの代身者が来て、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界史的な蕩減条件でも設定しなければなりません。そうでなくしては、帰ることができないのです。(一九八八・六・一、本部教会)

真の愛の内的運動は、一〇〇を投入するならば一五〇が出てくるし、一〇〇〇を投入するならば一五〇〇が出てくるし、一万を投入するならば二万が出てくるように、大きく現れる真の愛の実績、存在実績、価値実績の内容が整えられました。ですから神様の真の愛の役事は、サタン世界も征服してきたというのです。このように見るとき、故郷を失った人たちの故郷に帰りたい心はいかばかり切実だろうかというのです。(一九九一・八・二九、国際研修院)

皆さんを故郷に送るのは、先生が長子権をみな復帰したからです。先生が一人で長子権を復帰して帰ってきたので送ったのです。それで故郷に見事に送りましたか、間違えて送りましたか? (見事に送られました)。皆さんを還故郷させて、先生も今や父母としてお出まししなければならないからです。(一九八九・一・三、漢南洞公館)

堕落によって天側が次子の悲しみの位置に立ったので、長子権を回復する業を人々にさせることも、神様が思いどおりにできないということを知らなければなりません。心が冷え冷えすることなのです。

この氏族を世界個人的長子権復帰、世界家庭的長子権復帰、世界氏族的長子権復帰、世界民族的長子権復帰、世界国家的長子権復帰、世界的長子権復帰をしてこそ、初めて本然の堕落しなかったエデンの園に、このサタンの讒訴圏を抜け出た、家庭出発が始まるのです。

これを見るならば、私たちはすべて失郷民です。失郷民が故郷を訪ねて帰っていくのに、このようにするとは夢にも知らなかったというのです。(一九八九・二・二六、本部教会)

今までは、サタンが故郷を占領して主人の振る舞いをしながら私たちを追い払ったのですが、今からは皆さんが故郷に行って、皆さんが(サタンを)追い払わなければならないのです。それは、自動的なのです。そのようになるならば、善なる霊たちが皆さんの故郷に来て守るのです。悪なる霊をみな打ってしまうのです。それが原理観です。

先生が監獄に六回も出入りしながらこの日を願っていたのです。世界に還故郷を宣布することのできるその時を眺めて出てきたというのです。先生の一生を振り返るならば、父母がみな霊界に行き、そのようなことを考えると心がふさがるのです。しかし、皆さんが故郷で皆さんの多くの親戚たちを私の父母、兄弟の代わりに解放すれることを考えながら、昔のことを忘れ、祝福してあげるのです。(一九八九・六・一五、イースト・ガーデン)

み旨から見るとき、キリスト教がアベルであり、アメリカがカインです。

南・北朝イスラエルがあったではありませんか? 北朝イスラエル十支派、南朝ユダ二支派にユダヤ教が分かれ、北朝全部が悪い業をしました。それで南朝二支派が彼らを救うためにありとあらゆることをしたのです。バアル神を崇め、アシラの木像を立てて退廃的な思想を中心としていたので、神様がどれだけ救おうとしても救うことができなかったというのです。それでエリヤを中心として、北朝イスラエルのすべての偶像たちを撤廃してしまったのです。

そうして生きておられる神様を見せるならば、ユダヤ支派全部が一致すると思いました。アベルに屈伏すると思ったのに、むしろ反対し、エリヤを捕らえて殺そうとしました。それでエリヤが、「私だけが残りました」と言って最後の祈りをするその時に、神様がエリヤに、「まだバアルに屈しない七〇〇〇の群れがいる」と言いました。残された七〇〇〇の群れを中心としてカイン圏復帰路程を展開させなければならないというのです。

ですから、先生はそれを探し求めようとしますから、七万名を中心として七〇〇〇名を韓国側にさっと接ぎ木しなければならないのです。イエス様の時代に七〇〇〇名さえいたならば、イエス様はなぜ死ぬでしょうか? カイン・アベルという核心的な内容を中心として、祭司長たちと書記官たち七〇〇〇名が一つになったならば、祭司長圏、カイン世界はアベル的イエス様の前に必ず和合することができたはずです。そのような運動を今しているのです。ですから、今年までに七〇〇〇名の教育を急ぐのです。

それで、キリスト教を中心としたこの組織体をつくってアメリカに影響を及ぼそうとします。キリスト教を生かすのです。キリスト教とアメリカが私に従ってくることができる時代に入ってきたので、それが可能です。アメリカのキリスト教を中心として見るときに、カイン・アベル圏、キリスト教がアベルであり、アメリカがカインですから、ダンベリーを出てきたのがレバレンド・ムーンの勝利の締めくくりです。それによって、還故郷をするようになったのです。(一九八八・一〇・三、一和龍仁工場)

5 還故郷の意味

今や統一教会に反対する時代は過ぎ去りました。汝の家の家族が怨讐だと言っていたその怨讐の群れとは、家のなかの家族ではないのです。今では国を越えてあの国境地帯にいる金日成、世界国境地帯にいるソ連以外には私たちの怨讐はいません。約三年過ぎてみなさい。統一教会に反対しては道端でぶん殴られるというのです。「この野郎、何だと?」と、このようなことを聞きながら。

それで今は統一教会の反対時代ですか、歓迎時代ですか? (歓迎時代です)。それで皆さんが故郷へ帰るようになるならば……。昔、お父さんお母さんが、「この野郎め! 家の中を滅ぼし、村を滅ぼし、国を滅ぼして逃げた奴め!」とこのようなことを言ったのは、サタンの代言だということを知らなければなりません。

神様の名前で勝利の盾をもって還故郷する皆さんは、昔と違います。その部落が歓迎しなければならないし、大韓民が歓迎する圏内と世界が歓迎する時代に入ってきたので、皆さんの部落は全部歓迎しなければなりません。では、どこで団結するのですか? 御父母様を慕い、御父母様を愛し、御父母様のみ旨の解怨成事するために歴史をかけて、涙と血と汗を全部ささげて本然の基準に和し、神様の愛の花を咲かせることができる私自身(自分自身)を探し出しますというのですが、どこでその花を咲かせるのですか? これが問題なのです。どこで解くのですか?

先生がアメリカにいるならば、先生を眺めながらその場に行くことはできません。ですから皆さんは、今までは分かりませんでしたが、神様の心情を知り、先生の心情を知らなければなりません。皆さんが故郷の村に入っていって、この心情圏を再度植えつけなければなりません。蕩減ではないのです、今からは。蕩減ではないのです。過去は、蕩減して流れていってしまいました。今からは真のものでもって植えつけなければなりません。植えつけるようになるとき、故郷へ帰る金氏であるならば金氏、朴氏であるならば朴氏という、そのなにがしでもって植えつけてはいけません。

このように見るとき、御父母様の故郷を訪ねていく前に、皆さんの故郷を先に訪ねることのできる恵みを受けているという事実を知らなければなりません。先生は、一段階高い位置に行かなければなりません。南北を統一して故郷へ帰らなければならないのです。皆さんは子女の立場ですから、一段階低いのです。御父母様が歴史時代の個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的蕩減路程を歩みながら、とめどもない涙と血と汗を流してきたのです。そのすべての事実を、御父母様の代わりに背負い、御父母様が北韓の地に入っていって、天の前に勝利と感謝をささげることのできる心情を身代わりして、皆さんの故郷の地を御父母様を身代わりして涙でぬらし、血と汗でぬらさなければならない責任が残っているということを知らなければなりません。

このようになるとき、反対する人は直ちに罰を受けるのです。既成教会は今から行く道がありません。ここからきれいに部落民たちが動員されて、既成教会を追い出すのです。先生の一族を探し求めたように希望を抱き、先生の代わりに愛することによって、先生が過去に愛せなかったことを再現させて、愛したという条件をその地に立てることにより、先生の伝統的根を深く下ろすことができる因縁を皆さんの故郷に広げ、植えつけられるのだというのです。これが今回、還故郷せよという命令だということを知らなければなりません。

(一九八八・六・一、本部教会)

6 「故郷に行け」と語られる

イエス様は何と語りましたか? 預言者は故郷でもてなしを受けられないと語りました。ところが、統一教会の文先生は、皆さんにどこへ行けと語りましたか? 故郷に行って祖先になれと言うのです。そのようなことは歴史にはありませんでした。聖書にそのような教えはありません。故郷でもてなしを受けられないと語ったのですが、今からは故郷でもてなしを受ける時が来たと語るのです。それは聖書にありません。それは、先生のみ言であるとともに、間違いなく天の経綸の中に現れなければならない言葉です。ですから、故郷に行けと言うのです。(一九八八・一〇・二三、一和龍仁工場)

それでは、人類が行かなければならない故郷とはどこにあるのでしょうか? 人類が行かなければならない祖国とはどこなのかというのです。真が宿る故郷、真が宿るその国とはどこなのかというのです。このように見るならば、今日、統一教会が主張し、統一教会のレバレンド・ムーンが皆さんに教えて、行けというその道、その目標以外には発見することができないというのです。絶対できないというのです。これは、理論的な結論だというのです。(一九七九・一・一四、ベルベディア修練所)

今日、イスラエル民族大移動時代を迎えたので、統一教会の信徒たちは、ソウルにいるとか、どこにいるとしても、還故郷しなければなりません。(一九九一・八・二五、本部教会)

先生は今まで、口を閉じてありとあらゆる辱めを受けながらも、耐え忍んできました。エデンの園で神様がアダム、エバを大切に育て、成熟したその位置で、「お前は、私の永遠な家である。お前の家の中が千年万年、全世界に砂のように栄え、空の星のように拡大されるのだ」とそのように願いました。神様が血筋に従って同居することのできる基台でした。その希望の基台がとぎれたのです。それを連結させなければなりません。連結させて戻っていくには、どこへ戻っていけばいいのでしょうか? アダム、エバが堕落して、悪い種を蒔いて、偽りの根が出てきました。偽りの祖先が出発しました。ですから、皆さんを追い詰めて真なる祖先の位置にもっていって植えておかなければなりません。それで還故郷しなければならないというのです。

堕落によって偽りの根が生じました。本然の心情ではありません。本然の心情に反するサタン的根を片づけ、抜いてしまい、これを腐るようにして、腐った根の上に真なる種を植えるのです。本然の故郷の地の上に新しい心情圏、真の父母と真の神様の愛が皆さんの家の中で、金氏であるならば金氏、文氏であるならば文氏、皆さんの村と家から新しく出発しなければならないのです。ですから、還故郷しなければならないということを知らなければなりません。(一九八八・五・一五、本部教会)

皆さんに故郷に帰れと言うのは、先生が儀礼的に来て語る言葉ではないのです。歴史を清算して故郷に帰ることのできる父母という立場の特権を与えてから、このような恵みを相続させて、祝福家庭に故郷へ帰れと命令したということを知らなければなりません。    (一九八八・七・三、ベルベディア修練所)

故郷へ帰らなければなりません。今や統一教会の信徒たちは、絶対に家を出てきてはいけません。今までは、家を出てきたのですね? 今までは、家を出なければなりませんでした。サタン世界から長子権を伝授されなければなりません。今が伝授される時機なのです。今回、私が巡回するのは、皆さんにこれを伝授してあげるためなのです。

皆さんは、真なる愛を伝授されて故郷に帰り、真なる御父母様の伝統を植えつけなければなりません。そうすることによって神様が共になさり、神様のすべての相続権が万民の祝福になり、万福が横的にしみ込むことができる幸いなる韓国の地になるというのです。(一九八八・五・一一、清州教会)

今からは、摂理のみ旨と一致する氏族的メシヤの使命を、心情を中心として皆さんが植えるならば、形成されたものは誰も抜けません。私がみな、差し込んでおいたからです。氏族的メシヤを私が差し込んでおいたので、抜く者がいません。

それゆえにここソウルにいる人たち、統一教会の祝福を受けた人たち、就職であれ何であれ、みなやめてしまって故郷へ帰りなさいというのです。

しかし統一教会の機関にいる人は、私に承諾を受けて、「ここにいます」と言えばいることができるのです。他の所にいる人はみな出てきて、故郷復帰なのです。先生が、自分個人を中心として、自分が出世するために摂理に背反してしたならば、今日、世界に統一教会の基盤が築かれたでしょうか? 同じことです。

お母様は、先生がアメリカを中心として四十カ国を巡るとき、いかばかりくたびれ疲れたでしょうか。けれども、絶対服従して、みなこのようにこの道を歩んできたのです。同じく皆さんも先生の代わりにすべてのものを捨てて故郷に行くというのです。故郷に行きなさい。

では、このソウルが故郷でない人、手を挙げてみなさい。今から皆さんは、故郷の水を飲まなければならないし、故郷で生産する御飯を食べ、そこで住みながら四年間、もてる精誠をみな尽くさなければなりません。

ソウルにある家は、みなどうしますか? それを売って故郷に行くのですが、売って国にささげていくのですか? 同じなのです。今後、皆さんが国に戻ってくるとき、皆さんの一族が、韓国が統一されて統一の園になり、ソウルに上ってくるとき、その家が皆さんの後孫たちの足場になるはずだというのです。それを売っていかなければなりませんか、置いて行かなければなりませんか? はっきりと言いなさい。売って行かなければなりませんか、置いて行かなければなりませんか? (置いて行かなければなりません)。置いて行かなければなりません。

錦を飾って還故郷するとき、先生が世界的勝利の基盤を築いたならば、皆さんは、氏族的勝利の基盤を築くために……。これは、先生が世界的版図を築いたならば、皆さんは何もあってはなりません。モーセ時代と同じなのです。皆さんの一族を何も持たずに訪ねていって、食べさせ生かすという祖先にならなければなりません。(一九八九・二・五、本部教会)

7 還故郷させた理由

世の中は、失郷の世界にあります。失郷民世界版図になったこの人類を、サタンの愛、サタンの生命、サタンの血筋を経たものを、どのように帰郷させるのですか? これを知っている神様が、メシヤをこの地に送られて、失郷民が帰郷できるようにするのが天の摂理だということを知らなければなりません。帰郷したのちには、宗教であれ何であれ、みな必要ありません。お父さん、お母さんを引き止めて愛し、慕って涙を流すことが礼拝中の礼拝なのであり、すべてのみ旨の完成です。(一九九二・一・二六、本部教会)

統一教会は恐ろしいです。ここに私の欲心をもって軍隊をつくって独裁的に侵略したならば、世界に残るものがどこにありますか。神様を知ったので、打たれて奪ってくる作戦をするのです。

長子権復帰をしました。今からは反対に適用する時が来たというのです。ある家に入っていって、「あなたは、真の父母の歴史を知っていますか? 聞いてください」と言うのです。大胆に。涙を流し、夫婦二人がひざまずいて痛哭させることのできる基盤をもっているのです。それは嘘ではないのです。すべてのことが、みな終わったのです。

皆さんに全部、故郷を天国基地に入籍させなければならない責任があるために、行けと語ったのです。ごちゃごちゃ言わずに行かなければなりません。統一教会の信徒は、ごちゃごちゃ言わずに、みな荷物をまとめるのです。避難する人たちがごちゃごちゃ言っていては、みな死ぬでしょう? ごちゃごちゃ言っていては、みな地獄に行くのです。出エジプトしなさいというのに、エジプトに残っていて、僕の生活をしたのですね? 終わりになって僕の子になるのです。私が語った意味が分かった人、手を挙げてみなさい。

(一九九一・八・二五、本部教会)

! 宗教史に還故郷は初めて

アダム、エバが堕落せず、サタンがいない位置で神様と愛の関係を結ばなければならないのに結べませんでした。先生が歴史始まって以来、初めて条件を立てました。

先生が条件を立てたので今日、私が戻ってきて皆さんに故郷に帰れというのです。御父母様は、勝利の主権をもったので皆さんがカナン復帰をして、エジプト世界から帰ってきて故郷に帰り、永遠に生きることのできる幸福の家庭をつくり、新しい氏族を編成し国に接ぎ木しなければならないというのです。ですから、故郷に帰らなければならないのです。

宗教の歴史世界に、このように故郷に帰れという言葉はありませんでした。故郷から出てこいという、出家という言葉はありましたが。国を捨て、世界を捨てて、みなそうしました。(一九八八・一〇・一五、漢南洞公館)

堕落した世界を救うために、宗教をつくり救援摂理をするということは、新しく戻っていくことです。救援摂理歴史とは、復帰歴史をいうのです。復帰歴史とは何でしょうか? 再創造歴史なのです。再創造歴史ですから、神様の人間創造は、根本的に「ためにする愛」を投入するその世界から始め、その家の愛の女王になり、愛の王になるのです。彼らのために皆さんが祖先になるのです。

今まで宗教世界において還故郷という言葉はありませんでした。国を離れ、家を離れる出家というものはありましたが。先生はこのような原理原則を詳しく教えるのです。故郷に帰って何をするのですか? 新しい社会を建設せよというのです。困難をみな背負いますが、そこには天地が後援するのです。

(一九八八・一〇・五、木浦教会)

9 還故郷とその訓示

還故郷せよとという言葉はどれだけ幸いな言葉ですか、還故郷が? イスラエル民族がカナンの福地に帰っても、それは故郷の地ではないのです。そこには戦わなければならない未来の世界的版図が残っています。世界版図圏を越えて、今や故郷に戻ってきて南北を中心として統一した位置にいるならば、誰も私を追い出すことはできません。万国が入ってきて侍るのであり、万民が崇めることができるそのような位置なのです。神様に侍ることができる驚くべき位置であるにもかかわらず、これを無視する正気でない者はどこへ行くのですか? ですから、きょう教えてあげたことを肝に銘じて、あすの行動を……。今からは横的な行動ではなく、縦的度数を合わせながら行動しなければなりません。この縦的起点に九十度の角度でなければならないし、私がどこかに立つようになるときは、ここで平行線に立った神様の代身者として行動できる者にならずしては、天の国に残っていることはできません。(一九八八・一〇・三、一和龍仁工場)

故郷へ帰ることができなかった人たちが、故郷へ帰ることができるという許しを受けて、その日を自分がもったというときは、いかばかりうれしいですか? 「ああ、明洞に二十階建てのビルを買いましたから、そのために私は故郷であれ何であれ……」と言っていては千年万年後孫に恨みを継承して、その胸に大きな釘を打ち込んでおく悪党の群れになるのです。アダムが過ったことに対して、今まで恨まないこの地の人類の後孫たちがどこにいますか?

ビルディング一つをもって故郷を売り飛ばすのですか? このように見るとき、ああ、逆賊の息子になって千年万年恨みを抱き、行こうとしても行くことができないし、同情票をもらうにももらうことができません。

賢い文先生が来てこのように一生の間苦労し、悪口を言われ、そのように生きました。私のような人は、今後世の中の悲運の歴史が来るとしても、解放の歴史が、光明なる歴史があとに従ってくることを知っていたのでこの道を行くのであって、私一人良い生活をしようというのではありません。統一教会の人々が立派に生活するようにし、さらに民族を立派に生きるようにし、アジアを立派に生きるようにし、人類を立派に生きるようにするためのものです。

それで棍棒で打たれるとしても、足が一本折れても故郷に帰りますか、帰りませんか? (帰ります)。返事をちゃんとしないのですね。今までの返事を聞いていては……。

先生が皆さんの目に血の涙が出るほど苦痛と試練を与えるとするならば、何人ぐらい行動を始めますか? 私は、今やみ旨も成した立場で話すのです。私の行く道において、皆さんを率いていく時は過ぎ去りました。今ではそれこそ、世界舞台で自分の生活力どおりに生きる時が来ました。そのような時になりました。(一九九一・八・二九、国際研修院)

昔、イスラエル民族がカナン復帰するときは、みな、乞食の群れのように入っていったのですね。ぼろきれをまとった乞食の群れが。四十年間の荒野での暮らし向きの内容は、人間らしくなかったのです。食べられないのは毎日のようであり、うずらだけ食べたので汚いのですね。顔を見て、姿を見れば、死ぬほどたまらない状態になった人たちだというのです。

カナン七族が生きるカナンに入っていってみると、そこには牛がおり、馬がいました。立派に生活している家を見るのでどのようなことが起こったかといえば、「ああ、あの人たちと結婚したら良い。良いものを食べたい」とそう思ったのです。気を奪われたというのです。気を奪われたのです。反対を受けるとき、気を奪われたというのです。

しかし、皆さんが今から還故郷するときは、気を奪われてはいけません。それはどういうことかといえば、カナン七族を屈伏させて自由に結束させることのできる、自由な環境を開拓して、皆さんにメシヤとして主人の振る舞いをせよというのですが、この主人を、できませんか? これができないならば、首を打つのです。まさしくこれが退廃分子なのです。不純分子だというのです。

就職するために統一教会に入ってきたのではないでしょう? 就職するために統一教会に入ってきた皆さんではないではありませんか、全部。日本も同じなのです。(一九八九・二・五、漢南洞公館)

私が皆さんを激しくこき使うではありませんか? 私がしたことを皆さんにさせるではありませんか? させるとき、「お前たち、するのか、しないのか」と言って誓いをさせるではありませんか? 誓ったならば実践しなければならないでしょう? 今回も氏族的メシヤになりますと、みな誓ったでしょう? この者たち、私はそれ以上しました。氏族的メシヤのみならず、国家的、世界的メシヤの責任を今、果たしているのです。皆さんは、小メシヤにならなければなりません。虎の子が猫の子になってよいですか? 私が世界的メシヤであるならば、皆さんは国家的メシヤになりますと言ってこそ希望があるのであって、「ああ、氏族的メシヤもできない」と言ってはいけません。(一九八九・一・八、本部教会)

四 回帰性

1 人間

さあ、もし皆さんにどこで死にたいのかと聞けば、どのように返事をしますか? (故郷)。そう、故郷なのです、故郷。どこで死にたいのかと言えば、「祖国で死にたい」と言わなければならないのです。そこは局限されたどこかではなくして、全世界なのです、全世界。私の国と私の故郷は、世界、地球だというのです。皆さんは、故郷に埋められなければなりません。

それで故郷を訪れますか? (はい)。それを経ずしては故郷、祖国、天国を探し求められないのです。(一九七九・一・一、ベルベディア修練所)

すべての宇宙は、回っていかなければなりません。循環しなければなりません。ですから、幼い人がのちに父母になり、おじいさんになって死んでいくのです。愛を中心として回っていくのです。その次にはまた、その人の息子、娘たちがそのようになり、またその次には、その孫たちがそのようになり、こうしながら回っていくのです。これが一サイクルです。おじいさん、お父さん、自分が一サイクルを描きながら発展していくのです。これは変わることができません。

本来、人間が真なる父母を通して、真なる愛を中心として連結された子女として生まれたならば、そこから愛でもって一つになって生活するすべての方法が公式化され、自動的に循環しながら生き、人間世界のどこにあっても和合するのです。生きて年を取れば和合する永遠なる世界へ帰っていくことができるようになっていたはずです。

なぜ帰っていかなければならないのでしょうか? 神様が無形の父としておられますから、無形の父の世界に行って生きなければならないというのです。なぜ行って生きなければならないのでしょうか? 愛の世界だからです。人間が地上世界で生きるときは、自分を中心とした方向の愛のサイクルをもちますが、神様の世界に行っては、神様を中心として円形的なサイクル圏内へ入っていくのです。方向がありません。東西南北に、みな通ずるというのです。

私たちが行く霊界は、時間を超越しています。時空を超越しているので東に行ったものが西と、西へ行ったものが南と、南へ行ったものが北と通ずるようになっています。ですから神様の愛を中心として、球形的な理想郷に着陸するために人生生活をしているという事実を知らなければなりません。

それを何でもって知るのでしょうか? 鮭みたいなものも、自分が生まれた所を探し求めていくのに、万物の霊長である人間が、愛を中心として自分の本宮を探し求めていくことができないということがあり得るのかというのです。神様が鮭もそのようにつくったのに、人間にそのような素性を入れておかなかったのでしょうか? その素性が愛なのです、愛。本質的愛のにおい、神様から出てくる本質的愛のにおいを、真に満ちた父母の血統を通じて受け継いだならば、自動的にその心や体は、神様のにおいをかぐことができるのです。(一九八七・一〇・三一、漢南洞公館)

2 こうもり

皆さん、こうもりを知っているでしょう? こうもりは夜に出てきて木の枝の間をすいすい飛び回りますが、ぶつかりません。行く道を知っているのですね。皆さんも天の国へ帰っていくことのできる本性の心、愛の心が動いて、本性が和動して自分の方向性を失わずに行くことのできる皆さんになりましたか?

ですから、絶対的な信仰をしなければなりません。絶対的なその法度に順応しなければなりません。鮭は絶対的に順応するのであって、相対的に自分の思いどおりにすると思いますか? その次には、絶対的な愛です。愛以外には道がありません。直行しなければなりません。心と体が直行しなければなりません。(一九八七・一〇・三一、漢南洞公館)

3 鮭

皆さん、アラスカに行けば鮭が多くいます。鮭を知っていますね、鮭。鮭は桃色をしていますか? 五種の種類がいます。桃色をしているのもいますし、赤色をしているのもいますし、いろいろな種類がいます。鮭は、淡水で稚魚をふ化して海に出ていくのですが、四〇〇〇匹、五〇〇〇匹が五大洋を経てくるのです。そのように回り歩くのです。そのように回り歩いて、稚魚は四年たてば卵を産むほどになるのです。成熟した鮭になって卵を産む時になったならば、どこに行って真の愛の対象に会うのでしょうか? 自分が生まれた所を探していって会おうという条約ができています。そのような法度ができているというのです。それを誰が立てたのでしょうか?その鮭たちが立てたのでしょうか? それは、神秘に満ちた問題なのです。

鮭は生まれた所に行って子を産むと、誰が定めたのかというのです。自分の祖先の一匹ぐらいがそうだということにしましょう。祖先の一匹ぐらいそうだとしてもそれが千年万年、歴史が変わるとしても変わらず、そのような法度に従って動かなければならないという論理は立てることができないというのです。(一九八七・一〇・三一、漢南洞公館)

子供のために一度死のうと考えてみましたか? それ、サーモン・フィッシュ(Salmon fish:鮭)なのです。それで私がサーモンをサルヴェーション・フィッシュ(Salvation fish:救世魚)という言葉も作ってあげたのです。犠牲になるのは一番なのです。神様の調和がそのように深いというのです。子のために四〇〇〇マイルを……。四年前に、このように小さい子が離れ去って、四〇〇〇マイルの大洋を回り、郷愁に浸り家族を探し求めて、自分が昔、小さい時に離れ去った故郷へ戻ってくるというのです。そこで自分の父、母が自分を生んでくれて死んだのと同じく、自分も子供のために犠牲になり、父、母のそばに行くために探し求めてくるというのです。人間世界にこのような教育の材料がどこにありますか?(一九八七・七・一四、アラスカ)

見なさい。アラスカの鮭は、四〇〇〇マイルにもなる道を行っても、四年たてば戻ってきて子を産むのです。どのように戻ってきますか。そのような小さい生物もそうなのに、万物の霊長である人間が神様を探し求めていくことができないのかというのです。(一九八八・七・三、ベルベディア修練所)

五 還故郷は人生の目的地

1 人生は還故郷路程

私たちすべての人間が探し求めていくものとは何でしょうか? 本然の世界、真に満ちた人間の姿を探し求めていくのです。そうしようとするならば、真に満ちたおじいさんである神様と、真に満ちた父母に会わなければなりません。そうしなければ真に満ちた人間を探し求めていくことができないのです。そのような家庭になるとき、初めて私たちが安息することができるのです。何を中心としてでしょうか?

愛を中心としてです。愛を中心とした真に満ちたおじいさんおばあさん、真に満ちた父母、真に満ちた子供でなくしては安息する所がないと、このように見るのですね。それが故郷を訪ねて行く道だと、このように見るのです。人生は、故郷を訪ねていく路程です。(一九八二・一二・五、アメリカ)

故郷というものは、その何だか分からないままに恋しさを呼び起こすものです。旅行をすれば、眠る部屋が毎日変わるのですが、眠っていて水を飲みたくなれば、眠った部屋が違うにもかかわらず、きのう眠っていた所の水道がある方向に行くようになります。そうしていて、じっと考えるならば、きのう眠っていた所ではないのですね。このように違った環境にぶつかるたびに、ついつい思い出されるのが故郷です。故郷の、そのすべてが、いかばかり切実なものか分かりません。ですから、旅行する人たちは、いつも故郷を忘れることができないのです。

堕落した人類は、故郷を探し求めていく運命にある旅人の立場です。ですから、どこにも情を移すことができません。もし、どこかに情を移すことができるならば、帰っていくことができないのです。今日、私たちは、旅人と同じ立場にいるので、いずれ帰らなければなりません。帰っていくには故郷において足しになることのできる何か、故郷に行って誇ることができ、残しておくことのできる何かを持っていかなければなりません。それを探し求めようと努力してから故郷に行ってこそ、本当に故郷の味を知ることができるのです。しかし、故郷に対して無関心に過ごすならば、故郷に行くとしても故郷の味が分かりません。(一九六九・五・一一、前本部教会)

どっちみち人間は、自分の家で住んでから、故郷に帰るようになっているのです。世の中の故郷もあるのですね? 世の中の故郷もありますけれども、それよりも本然の故郷に、永遠な故郷に帰るようになるとき、そこで歓迎を受けることのできる内容を整えられないとき、悲惨なのです。(一九九一・一・二〇、本部教会)

2 救援の条件――還故郷

故郷に行くことのできない人たちが、故郷に行くことができるという言葉を聞くだけで目を閉じて死ぬことができるのですが、故郷に行く車を示しておき、車に乗ることができる時代が来たと話してみなさい。その人たちは郷愁で胸がいっぱいになるのです。

このように、数十年締めつけられていたこの恨みの峠を越えるというとき、故郷をみな、訪れるのです。懐かしかったものをもう一度訪ねて、二度と故郷を抜け出すような自分の一族になるまいと思わなければなりません。その基台にすがり万年天国を成して、後孫の前に引き継ぎしてあげるというその心を抱いていくとき、祖先がそこに感動するのであり、そこに住む人たちが感動するのです。後孫と子女たちはもちろん、故郷の山河のすべてのものも「早く来なさい、いらっしゃいませ」と歓迎するのです。そのようなことを知って還故郷できるのですから、先走者にならなければなりません。先走者になりますか? 後走者になりますか? 「先走者」というときの「せん」は何の字ですか? (先という先の字です)。「そう」という字は? (走るという走の字です)。駆け足の走、まず走っていくのです。「先走者」になるのです。「後走者」になるのですか? (先走者になります)。それでは先走者になるという人、手を挙げてみなさい。

さあ、私がここから始めるならば、一挙にスルスルとオートバイに乗っていくように行くのですか? 会社にいた人、包みであれ何であれ、火で燃やしてしまい、邪魔になるものは片づけなければなりません。未練なくさっと出発しなければなりません。エジプトを立ち去る時に、そこで判事をしていたならば何をし、金塊があるならば何をしますか? 座り込んで、それをしていては先に死ぬのです。捕らえられて死にます。それゆえにこの時間に、みな解任です。皆さん、統一教会に入ってくる時に、就職しに入ってきましたか? 就職しに入ってきましたか、救いを受けに入ってきましたか? (救いを受けに入ってきました)。救いを受けることとは何ですか? 還故郷ではありませんか? 救いを受けることとは何ですって? (還故郷です)。還故郷です。今や皆さんの故郷が天の国になるのです。天地に対して誓うのです。(一九九一・八・二九、国際研修院)

第三節 還故する郷時の姿勢

一 二種類の故郷を失った人

故郷を再び訪れる人は、故郷を離れた人でなければ故郷を失ってしまった人です。二種類です。故郷を離れた人の中には、生活が苦しくて離れた人もいるし、追い出された人もいます。自ら離れた人と、占領され、略奪されることによって故郷を離れざるを得なかった人、この二種類の人がいます。

皆さん、避難民を見ましたね? 彼らは、離散家族であるよりは、故郷を離れた離郷家族になっています。故郷を失いました。

生活が苦しくて故郷を離れたのは、自分の責任です。そうでなければ、国が滅びたので故郷を離れた人です。自分の意志によって故郷を離れた人は、自分の意志によって帰っていくことができますが、国を失ってしまい、追い出された人は、国を取り戻さなければ戻っていけないのです。

国を失ってしまった民族、その同族の故郷を誰が探し求めてあげますか? このように考えるとき、皆さんは悔い改めなければなりません。南韓の地に下ってきた一〇〇〇万同胞が国の故郷を探し求めるために、いかばかり涙を流しましたか? いかばかり血の汗を流しましたか? 文総裁も故郷を失った一人です。また、南韓はどうですか? 南韓自体も同じ意味で国を奪われた位置にいます。分断された民族の恨みを脱げないので、やはり故郷を失った民です。今、住んでいる所が祖国ではないのです。(一九九二・一・二六、本部教会)

二 御父母様がおられた所――私たちの故郷

それでは、ムーニーの故郷はどこでしょうか? ムーニーの故郷はどこなのですか? 簡単なのです。故郷は、御父母様がおられる所だというのです。故郷は、御父母様がおられた所です。故郷とはどこですか? (御父母様がおられる所です)。御父母様が住む所が皆さんの故郷なのです。子女たちは、父母が食べる物を食べ、父母が着るものを着、父母が語る言葉を語らなければならないのです。それで先生が韓国語を学びなさいというのです。韓国語もできずに、「私は、あなたの子女です」と言うことができないというのです。

皆さん、ホーム・タウン(home town:故郷)があるならば、次には何がなければなりませんか? 皆さん、ホーム・カントリー(home country:故国)をもっていますか? 皆さんが霊界に行けば、「どの世界から来たのか?」とこのように聞かれます。宇宙の中にある地球なので、どの世界から来たのかと聞いてみるというのです。そういうことなのです。皆さん、ホーム・ワールド(home world:本郷)とは何ですか? 御父母様が住んでいる世界がホーム・ワールドであり、御父母様が住む国がホーム・カントリーなのです。ホーム・タウンを探し求めていかなければならないし、ホーム・カントリーを探し求めていかなければならないし、ホーム・ワールドを探し求めていかなければならない道が堕落によって生じたので、この道は死んでも行かなければならないのです。死んでも行かなければならないというのです。そのような運命であることを知らなければなりません。(一九八四・五・一、世界宣教本部)

三 還故郷の秘法的内容

還故郷することのできる秘法の内容、妙法的内容を知らなければなりません。最初は何かといえば、神様を絶対に中心とした真の愛です。二番目は、その愛と絶対一つになった生命です。三番目は、その生命と絶対に一つになった血筋です。

男、女はなぜ結婚しようとしますか? 血筋を残すためには、息子、娘が必要でしょう? ところが、もとから、天から天地運勢を伴って真の愛を通じて植える準備ができていません。

それで、氏族的メシヤが帰っていくには何をもたなければなりませんか? 愛をもたなければなりません。私たち統一教会の祝福を受けた家庭は、エバの位置にいます。自分の息子、娘――争う息子、娘ではありません――を抱いて救ってあげに行くのです。アダム家庭が堕落して氏族が過って栄えたのを、氏族的メシヤの責任を中心として一族を救ってあげに行くのです。

その息子、娘を前に立て、父親が中央に立たずしては父親の行く道がありません。天の国の前にある新しい生命の種を受け継げません。家庭の愛、家庭の生命、家庭の血統基盤になっていますが、氏族的神様の愛、神様の生命、神様の血統になっていません。これを連結しなければなりません。(一九九二・一・二六、本部教会)

先生の故郷はどこでしょうか? (定州です)。定州なのですが、統一教会の人たちに、「あなたたちの故郷はどこですか?」と聞いてみるならば、何と答えますか? (定州だと言います)。なぜですか? 自分の故郷が定州なのですか? (父の故郷ですから)。どんな父なのですか? 根本だけは、他の所にあるのですね。それが問題なのです。それでは、五十億人類が全部、定州の地で生まれましたか? 堕落しなかったならば、自分が生まれた国が自分の故郷なのです。自分の一族の故郷なのです。その一族の中心になる原産地がアダム・エバの故郷なのです。

アダム、エバの故郷やその後孫たちが生まれた故郷は、みな同じなのです。天の国に故郷がどこにありますか? 先生の故郷、皆さんの故郷は全部、天の国ではないのです。天の国で生まれたことにするために、氏族的メシヤをさせて接ぎ木し、皆さんの父母までも堕落しなかったアダム・エバの位置に立てておこうとするのです。

イエス様は、アダム・エバが堕落したのを復帰しようとして死んだのです。今やイエス様とアダム・エバ家庭が失敗したのを再臨主が来て復帰して、みな勝利の版図を築いたので、イエス様が失敗したこと、アダム家庭が失敗したことに対して権限をもち、全部、再度任命するのです。任命してイエス様の代わりに氏族的メシヤとして立てて、自分の父母を堕落しなかったアダム・エバと同じ位置に引っ張り上げるようにするのです。そうすることによって、その故郷が、生まれた所が、天国と連結される一族の解放圏を迎えることができるのです。

ですから、皆さんの祖先のすべてが、これだけ解決するならば全部皆さんを通じて、皆さんの父母と一緒になって皆さんを通じ、先生を通じて再び生まれたという条件をもって霊界へ帰るのです。地に再び降りてきて、全部かけ継ぎして戻っていかなければなりません。ですから、それが現れるようになる時は、死んだ先祖たちが、首を長くするというのです、その道を通じて行こうとして。地のために集中して、統一的方向を中心として歩調を合わせるのですが、サタンが反対するほど、この運勢の時が過ぎていくのです。

(一九八九・一一・一五、漢南洞公館)

真であり、永遠なる神様が喜ぶ愛の道を探し求めていかなければならないというのです。それは、一つしかないのです。それが真の愛なのです。出発と到着点が同じなのです。戻っていくというのです。そのような意味で帰郷という意味も出てくるのです。

それで、帰郷の贈物とは何でしょうか? 神様が願う宇宙を代表した愛の価値です。国家を代表しても買うことができないし、氏族を代表しても買うことができないし、家庭を代表しても買うことができないし、自分の人生を与えても買うことができない、堕落した世界で買うことのできない真に満ちた愛の価値、それだけが贈物なのです。それゆえに人は何を探し求めていかなければならないのでしょうか? 故郷を探し求めていかなければならないのです。何を中心として? 真の愛を中心として。(一九八八・七・三、ベルベディア修練所)

四 還故郷する時に持っていくもの

1 カイン圏基盤を探し求めていけ

私たちは今後、どのようにしなければならないのでしょうか? 天的な立場から故郷を探し求めなければなりません。先生が勝利的基盤を築いたので、今では故郷を訪ねていかなければなりません。

なぜ故郷を訪ねていかなければならないのでしょうか? 故郷を訪ねていこうとするならば、カイン圏を世界的に蕩減復帰することのできる基盤を形成しなければなりません。そのようにできなくなる時は、個人が故郷へ行く道がないのです。それ、何の話なのか言ってみなさい。個人的な何? (個人が故郷へ帰っていくことのできる道は、カイン圏サタン世界を屈伏させることです)。そうなのです。

個人が故郷へ帰るには、一人で帰ることはできません。サタン世界、サタン個人、サタン家庭、サタン氏族、サタン民族、サタン国家、サタン世界を屈伏させることのできる条件をもたずしては、故郷へ帰ることはできません。なぜそうなのでしょうか? 堕落したアダムによってみな、失ってしまったからです。個人を失ってしまい、家庭、氏族、民族、国家、世界をみな、失ってしまったというのです。アダムの失敗したことが、世界的失敗として登場したというのです。(一九八八・六・一、本部教会)

2 深刻な心で行け

さあ、皆さんは故郷へ帰るのがうれしいですか、心配ですか? (うれしいです)。故郷に行って何をしますか? 踊りを踊りますか? うれしければ踊りを踊らなければならないのではありませんか? 踊りを踊るようになっていますか? 踊りを踊って、その角度が合いますか? 深刻なのです。

歴史上に生まれて死んでいった死刑囚以上に深刻なのです。この角度を私があまり残っていない期間に合わせなければならない使命が残っています。死んだ芽ではなくして、生きた芽が私から根を下ろし、芽を出さなければなりません。これが一つになるならば芽が出てくるのです。必ず繁殖が始まるのです。

真なる愛を中心とした中心の根と、真なる愛を中心とした真なる中心の芽が必要です。皆さんのような芽をもってしては駄目なのです。ですから、涙を流し、血の汗を流してこの地の上で生きては死んでいった多くの人たち以上の愛が、皆さんが地のために、村の人のために、神様のためにしたという基準を設定することによって、正常な根が皆さんに下り始めるのです。

還故郷する時に対するすべてのことを詳しく教えてあげたにもかかわらず、「先生がその時、一九八八年六月一日にただ呼んで話しただけであって私とは関係ありません」と言ってはいけないのです。これは、絶対的に関係があります。

今までは自分勝手に生きましたが、今からは深刻だというのです。自分が敗者なのか勝者なのかを決定しなければならない責任があるのです。その責任が先生にあるのではないのです。皆さんにあるのです。敗者の覇権をもって帰るのか、勝者の覇権をもって帰るのか? どちらなのですか? (勝者の覇権です)。勝者の覇権! 真の御父母様が勝利し、神様が勝利したその内容をもって帰らなければなりません。その内容が他のことではないのです。故郷へ前進するのです。世界を縮小して私の家庭に全部反映されたものなので、それを探し求めてくる御父母様と神様の蕩減歴史を考えるとき、人が訪ねてくるならば涙でもって迎えてあげなければならないのです。一人の人が自分を訪ねて来るならば、夜を徹して話をしてあげても疲れを知らない心情にならなければなりません。

汗を流さなければなりません。地を掘れというのです。「私は、大学を出ましたから、就職をしましたから、会社の何ゆえに……」、そのようなことを言ってはいけません。私はそのようなことが分かりません。それは認めることができません。それを別途に認めることはできません。原理は、一つしかありません。その道をみな、行かなければならないのです。故郷に行ってすべてのことに責任を負い、神様のみ旨の前に一致することのできる基盤を確定しておいて出てくるならば関知しませんが、全部故郷に帰らなければなりません。故郷に帰らないならば、今後、後孫たちの讒訴を受けるのです。(一九八八・六・一、本部教会)

それでは、故郷に帰りたくない人、手を挙げてみなさい。故郷に帰りたい人、手を挙げてみなさい。例外がないのですね。故郷に帰ることを誰が許可しますか? (御父母様がされます)。御父母様が許可してこそ故郷に帰るのです。どれだけ来たくとも来られません。おじいさんもびくともできません! 自分の兄弟も、息子、娘もびくともできないのです。お父さんとお母さんもびくともできません。父が戻ってこいと言ってこそ、戻ってきます。戻ってこようとするならば、こうこうして戻ってこなければならないのです。そのままでは戻ってこられないのです。

死ぬとしても故郷に帰りますか? 妻一人が死ぬとしても故郷に帰るのですか? 故郷に帰るのに、妻一人が死ぬとしても故郷に行き、恨みを解くためにそれができませんか? さあ、妻一人打ち倒してでも故郷に行かなければなりませんか、行ってはなりませんか? (行かなければなりません)。それでは、子供はどうですか? (行かなければなりません)。子供二人のうち、二人みな死なせても行くのですか、一人死なせても行くのですか? 二人みな死なせても故郷に行かなければなりませんか? みな死なせても故郷に行かなければなりませんか? みな死ぬとするならば、おじいさんおばあさん、三代がみな入っていくではありませんか? さあ、返事しなさい。「行かなければなりません」と思う人、両手を挙げてみなさい。(一九九一・八・二九、国際研修院)

さあ、ですから、故郷に帰りますか、帰りませんか? (行きます)。故郷に帰らないという人は、先生が韓国に戻ってきてはならないし、北韓にも帰っていくなという輩です。(一九八九・二・五、本部教会)

3 真の愛をもって行け

皆さんが故郷に行くときには、真なる愛をもって行かなければなりません。真なる愛をもって故郷の地に行って真なる愛を植えて愛するようになるときは、皆さんが祖先になるのです。皆さんが、一代祖になるのです。皆さんが朴氏であるならば、朴氏として天の国に接ぎ木することのできる一代になるのです。このように見るならば、皆さんの父は逆に皆さんの息子格になるのです。

そのようになるならば、この祖先たちが下りてきて近い親戚を中心として全面的に後援するようになるのです。どうしてそうなるのでしょうか? アダム・エバが堕落しなかったならば、成熟する時まで誰が管理し、育てるのかといえば、天使長なのです。それと同じく皆さんが今や故郷に帰って一族を成すにあたり、天の本然の心情圏を身代わりして現れることにより、皆さんの善なる祖先たちは天使世界に該当するので、皆さんを自然に歓迎しなければなりません。アダム・エバを初めに創造するとき、天使が歓迎して一緒に造ったのと同じく、皆さんの善なる祖先が、皆さんが郷里を訪ねていくとき、皆さんを歓迎するのです。数千数万がその地で生き、義人として血を流し、涙を流して死んでいった善なる祖先たちが、天使長の立場で皆さんを歓迎するのです。

それで、御父母様が許した真の父母の特権、世界的に勝利した真の父母の特権を中心として、彼らが歓迎して国と世界を動かすことができるように命令するようになるときには、皆さんの祖先が国家を越え、数多くの善なる霊たちが皆さんの郷土に協助することのできる時代圏内に入ってくるというのです。夢のような話なのですが、今に見ていなさい。(一九八八・五・一七、釜山教会)

五 還故郷の方法

故郷へ帰るには、男が先に、夫が先立っていくのではなくして、妻が息子を先立たせていくのです。ヤコブが還故郷するのと同じく、正にそのようにするのです。僕を先に立て、次に息子、娘を先に立て、妻を立て、一番最後になって夫が行くのです。自分の一族を先立たせるのです。(一九八八・八・二二、漢南洞公館)

六 還故郷と先になった者

ここソウルに住んでいる人の中で、地方が故郷なのに地方を捨ててソウルに来て住んでいる人たち、もう一度手を挙げましょう。みな、立ち上がりなさい。何人にもなりませんね。故郷が地方にあり、ここソウルに来て住んでいる人たち、立ち上がってみなさい。この人たちはみな、先生が語ったように一般社会とか何かの機関にいる人たちは全部、その機関を通じて自分の故郷の地、大邱なら大邱、全羅南道ならば全羅南道のその所に移動することのできる道があるならば、その措置を通じて行かなければなりません。それがなければ、そのまま故郷へ帰らなければなりません。

きょうから、こうでなくしては皆さんが氏族的なメシヤ圏を失ってしまいます。祝福を先に受けたからといって、その家庭が先の家庭になれないのです。祝福を受けなかった人が自分の故郷に帰って、今や先生のみ言だけをもって氏族的なメシヤを中心として収拾しておくとするならば、その人が祖先にならなければならないのです。祖先になるだけでなく、彼を祖先として侍らなければならないのです。

上の家庭が先に故郷に行って、全部呼び寄せて私たちの故郷を生かそうと主導しなければならないのに、逆になるならば、そのざまは何なのですか? 逆になり得るというのです。はっきりと話してあげるのです。分かりますか? (はい)。先の者が後になり、後のものが先になるという聖書の言葉のように、そのような時が来るかもしれません。一番初めから悪口を言われて追い出されたならば、訪ねて入っていく時は先に入っていかなければならないではありませんか? 古くなった順に、家庭順位に比例して決定したのですが、今や入らなかったならば、後の者が全部先になるのです。(一九八九・二・五、本部教会)

七 韓国が還故郷のモデル

侍ることによって救いを受けると言いました。その侍ることとは、どのような侍り方なのですか? 今の皆さんと同じこの姿で? これは侍るとはいわないのです。サタンが皆さんの横に来たとしても、サタンがその姿勢を見て真似をし、拍子を合わせることができる姿勢を整えなければならないのです。

そのような還故郷時代だということは驚くべきことです。歴史時代に初めてです。これが歴史始まって以来初めてなのです。このような時代になってくることによって、すべての宗教はどこに行くのでしょうか? 全部故郷へ下ってきて、無力化して落ちます。坊さんたちも故郷に帰っていき、山から下りてきて、そのようになるのです。今、そうだというのです。

昨日、宗教協議会会長の報告を聞いたのですが、宗教人も今では、「坊さんだけが仏教をつくるのではない。平信徒圏内へ下りなければならない」と言いながら、「平信徒もみな仏教をつくり、精誠を尽くすことができる」という時代へ下りてきたというのです。下りてきて上がっていく道が分からなければ、それっきりなのです。今、統一教会はみな下りてきたのです。みな下りましたね? みな下りても、統一教会は上がっていくことができるのです。

結局は、どこへ行かなければならないのでしょうか? 愛を探し求めていかなければならないというのです。お金も集めてみて、世界も支配してみて、学者にもなってみて、人々が良いということをみなしてみると、みな使い道がないというのです。ですから、どこへ帰っていかなければならないのでしょうか? 真なる愛と一つになった私自身、体と心が、神様の縦的人と横的人が一致することのできる私、このように一致した男、女が神様の縦的愛を中心として、永遠に核が骨のようになって、その体が丸くなる、一つになる、それ以外にはないというのです。

愛に同化して統一された感覚、宇宙感覚に酔って生きることのできるその境地が人間が探し求めていく理想的な出発点だというのです。それはどこで探し求めることができるのでしょうか? 統一教会以外にはありません。ですから、今やレバレンド・ムーンがだんだん有名になるのですね。そうであれば、学者たちも従ってくるのであり、皆さんも従ってくるのです。

それでは今や、皆さんが故郷へ帰るようになるならば、日本は故郷へ帰るなとそう言われなければなりませんか、帰れと言われなければなりませんか? (帰れと言われなければなりません)。それでは、全世界の統一教会の信徒も故郷へ帰れと命令しなければなりませんか、してはいけませんか? (しなければなりません)。それでは、故郷へ帰った皆さんが失敗するようになるときはどうしますか? 犬の糞の塊のようなにおいを発するようになるならば、どのようにするのですか? 「韓国の手本に従って私たちはそうしました」と言うときは、大騒動が起こります。問題が大きいのです。韓国だけではないのです。韓国で故郷へ帰るのが最初の出発であるように、これが核にならなければなりません。骨にならなければなりません。(一九八八・六・一、本部教会)

第四節 氏族的メシヤ

一 氏族的メシヤとは何か

1 氏族的メシヤの位置

氏族的メシヤとは何でしょうか? 真の愛の主人なのです。真の愛の主人、これは、イエス様が願い、アダム・エバが願い、神様も願っていました。ですから、すべてが真の愛の主人になって前進しなければなりません。そうなれば、みな終わるのです。氏族的メシヤになれという言葉は、氏族的祖先になれということです。

(一九八九・一・三、漢南洞公館)

事実、氏族的メシヤというものは、一番素晴らしいものです。「やあっ! 世界で一番だ。億万金を与えても買うことができないものなのだなあ。やあっ! これ、分かってみると一番だ。これ以上ない」と言うのです。皆さんは、いくらのものだと思いましたか? 後退するならば、皆さんはいくらのものだと思ったのですか? アメリカ大統領が問題でなく、イギリスの女王が問題でないほどの価値をもったという事実を知らなければならないのです。イエス様が問題でない価値であることを知らなければならないのです。

それで、氏族的メシヤは、一代において氏族を中心として歴史的な故郷を案内する先鋒者だということを知らなければならないのです。モーセのように出エジプトの先鋒者であることを知らなければならないのです。盲目的ではないのです。モーセは何も分からずにしましたが、私は具体的にみな知っているのです。理論的にみな知っているのです。故郷を訪ねていかなければなりません。しかし、カインを探し求めずしては故郷に入れないということは原理的な事実です。サタン世界にお兄さんの氏族が残っているので、彼らが私(自分)の氏族の位置に来るように、お兄さんを救ってあげなければなりません。そうでなければ、サタンになるので仕方がないのです。彼を救ってあげてこそ彼が囲いになり、自分の故郷に入っていって自分の一族を救うことができるのです。そうでなければ皆さんの父母を伝道しておいても、サタンがまたくわえていくのです。引っ張っていくのです。そういう危険性があるので、神様はこのような摂理をせざるを得ないというのです。自分の父母、自分の一族、故郷をみな伝道しても、また引っ張っていくというのです。(一九七九・一・一四、ベルベディア修練所)

それで、氏族的メシヤとは何でしょうか? 一言で言うならば、父母を王権の座へ上げて立てるための役事をするのであり、その次にはまた、愛を中心として父母が始めて、私が生まれた本来の故郷である天の国の故郷へ帰ることができるのです。

そうでなければ、故郷がないというのです。これをしてあげなければ生まれた故郷はありません。故郷がない所には、父母はいることができません。故郷が設定されることによって、韓国で住んでいたすべての人たちの故郷が今後、天の国の故郷の位置に入り収まるのです。そうすることによって土地も、人々が生まれたそのすべての所が、天の国に属して、堕落しなかった位置で生まれた父母の位置を、代わりに受け継ぐようになるのです。

問題は何でしょうか? 氏族的メシヤは、一番目に父母をメシヤの位置に、同位圏に上げておくのです。その次には、故郷がないので故郷を探し求めなければなりません。そうすることによって世界的故郷、天宙的故郷は、御父母様を通じて既に築かれた基台があるので、これがそのまま連結されて天地が地上天国、天上天国へ連結されていくのです。

氏族的なメシヤとは何ですか? 一番目は、父母を堕落しなかったアダム・エバにつくるのです。その次には、故郷、故郷を探し求めて立てることによってどんなことが起こるのかといえば、王権回復が起こるというのです。そのようになるならば、みな終わるではありませんか? それをさっと入れるのです。一番目は、父母同位圏に立ち、その次には、故郷復帰するのです。王権復帰するのです。

ですから、生まれたすべての人たち、ソ連であれアメリカであれ、生まれた人たちが天の国の故郷をもつようになるということです。天の国の故郷をもとうとするので、天の国の父母をもたなければなりません。天の国の父母をつくるのが氏族的メシヤの使命だというのです。

そうすることによって地にもサタンが住むことができないのです。今までこの地にはサタンが全部、分割区域を引き受けていたのです。それが分からなかったのですね。このようにすることによって統一された家庭が生まれた地域になるので、サタンは本来から、いることができないという結論になるのです。(一九八九・一〇・一七、漢南洞公館)

2 氏族的メシヤの権限

皆さん、今の時はどのような時ですか? 今後、氏族的メシヤ権を行使しなければ、氏族的メシヤ・シップ(メシヤ資格)は相続されません。世界的メシヤ・シップは相続されません。

今やこのメシヤ・シップ一つだけ相続されれば、縦的な父母、横的な父母がしたすべてのことを皆さんの時代で相続されるのです。そうでなくしては受けられません。もう一度言うならば、皆さんは、イエス様が生きて、死なずに結婚してイスラエル一族を救う、その位置にさえ行けばよいというのです。

それで、イエス様の蕩減をしなければなりません。イエス様の過ちを蕩減しなければなりません。イエス様は氏族的メシヤになれずに死にました。そうなるようになるならば、世界的なメシヤは、先生が責任を果たしので相続を受けることができます。なぜそうなのでしょうか? 先生は、再臨思想をもち、イエス様を身代わりした再臨思想をもったので、イエス様的イスラエル圏を身代わりした再臨思想を皆さんに引き継ぐことができるのです。

それはどういうことかといえば、皆さんが、イエス様のできなかったことと、先生が今まで四十年間戦って勝利したことを、身代わりした位置に立つというのです。宇宙的な基準、それを皆さんが相続を受けます。イエス様の失敗と、イエス様が十字架の道を行ったのを蕩減しなければならないし、先生の十字架の道を蕩減しなければなりません。

ヤコブが行った道は、イスラエルの家庭が行かなければならない道であり、モーセが行った道は、イスラエル民族が行かなければならない道であり、イエス様が行った道は、クリスチャンが行かなければならない道であり、先生が行った道は、統一教会の信徒たちが行かなければならない道です。同じ立場です。皆さんのその圏は何でしょうか? 氏族的メシヤがイエス時代の責任さえ果たすならば、その次には私が皆さんに引き継ぎをしてあげるというのです。(一九八九・四・一、ベルベディア修練所)

二 氏族的メシヤの使命

1 氏族的メシヤの任務

堕落することによって何を失ってしまったのかといえば、真の父母を失ってしまいました。これは、個人的真の父母であり、国家的真の父母であり、世界的真の父母であり、宇宙的真の父母です。個人的王になることができ、国家の王の位置をもつことができるし、世界の王の位置、天上天下の王の位置をもつことができたのが、堕落せずに神様の愛の前に孝子、孝女の権威を備えたアダム・エバの位置であったということを知らなければなりません。

それでは、メシヤ、救世主とは何でしょうか? 何の救世主なのですか? 権力の救世主ではないのです。お金の救世主ではないのです。知識の救世主ではないのです。愛の救世主なのです。生命の救世主であり、血統の救世主です。なぜでしょうか? 堕落したので神様の愛を失ってしまい、生命を失ってしまい、血統を失ってしまい、これを受け継ぐことができなかったので、それを再び探し求めてあげるために来られた方が救世主だからです。

皆さんは、種を過って受けました。悪魔の種を受けたのです。天使長の種を受けました。根が天使長です。それで神様がメシヤを送るために今まで六〇〇〇年間働いたのですが、縦的な位置においては横的に送ることが難しかったというのです。

先生も同じなのです。神様の息子になるためには、垂直の位置に入らなければなりません。東西南北の感覚と前後、左右、上下のすべての感覚を体得することによって神様が見るようになるとき、見るものがなく体験したということのできる位置に入っていくようになるとき、息子の位置に入っていくのです、本然の位置に。そこに入っていけないように、サタンがあらゆる方向で妨げているのです。サタンが一番怖がるのが神様の愛に接することです。お金を怖がるのではなく、権力でもありません。神様の前には、権力は必要ありません。神様は全知全能な方であるので、知識は必要ありません。全知なる方に何の知識が必要ですか? 知識の王なのに。

このように見るとき、メシヤとはどのような方なのでしょうか? 今日、統一教会でいう氏族的メシヤとは何でしょうか? 今までは、一人のメシヤを送るための戦いをしました。イエス様時代には死んだのです。文総裁時代に来て、私を打ち殺すためにすべてのキリスト教と世界全体が合わさって私を打ちました。しかし、文総裁は知恵深い人です。私はこのようなことを誇るのです。実に知恵深い人です。ですから悪魔が私を一番怖がるのです。神様は、一番喜びます。

文総裁が今までしたこととは何でしょうか? 共産主義、民主主義を克服しました。右翼左翼が、みななくなりました。今や残ったものは、頭翼しかありませんから、左翼を捨て、どうであっても体が貫かれてでも統一教会にすがって、頭をつかまえようと大騒ぎするようになっています。今、その段階に入ってきました。

そのようなことを知っている文総裁は、賢い人なので、世界を収拾するために学界を収拾しました。統一科学を中心として、科学と宗教が分立したこの闘争を防御するために、宗教は科学的な論理を通じて決定して、今日、現代の知性人たちがこれを消化することのできる内容として教えてくれるのです。科学者大会を通じて世界の碩学たちが文総裁を悪く思わず、好ましく思うというのです。

それでは今日、氏族的メシヤを送る神様はいかばかり悲惨だったでしょうか? 今までは文総裁は、個人的メシヤ、家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤの蕩減条件を、みなやりのけました。今からは三十八度線、国境を越える段階に来たのです。ですから、文総裁の影響は、大韓民国を越えて世界に波動を送るのです。大海に、五大洋六大州に波動を送っているのです。

大韓民国はどうですか? 山中のウサギの子は、自分がすむ所が一番だと思うのですね?? 虎がすむ所は嫌だというのです。大韓民国は、いつでも取って食べることができるのです。私が操作をしようがどうしようが。アメリカを滅びる立場から救った私なのです。中国が滅びていくのを防いだ人が私なのです。ソ連を引っ張り出したのが私なのです。CIAでもないし、アメリカ政府でもありません。そのような男が既成教会が反対することに手を出したならば、今までそのままにしておいたと思いますか? ガラガラと、みな平らにしてしまったのですね。しかし、そうしません。「できること、みなやってみろ。お前たちの実力どおりにみなやってみろ」と思ったのです。実力どおりにさせてみて、最後の勝負の場で負けたのちにもチャンピオンでいられますか? そのような者が賞をもらいますか? 大衆からぶん殴られるのです。天地に声もなく除去されるのです。宗教世界においてチャンピオンの座から脱落せず、勝利的権限をもって、このくらいまで来ました。

神様一人、しがない立場に立ってイエス様一人を送ったのに、この氏族的メシヤを殺してしまいました。千辛万苦して文総裁をつくって何をしたのでしょうか? 天上世界、地上世界のすべての統一圏を中心として僕の僕から、僕からずっと、養子、庶子、直系子女とこのように上がってきて、地獄から天まで鉄柱を打ち込んだというのです。

文総裁が神様の愛を中心として世界から国、アダム・エバ、カイン・アベルを中心として僕の位置まで鉄柱を打ち込みました。先生を通じて縦的な神様の愛が、天上の最高の位置から地上の最低の位置まで打ち込まれたのです。これは、抜き捨てることができません。

その次に横的にも先生が経なかったところがありません。戦いはみな終わりました。今や統一教会に反対する人がいません。個人的に反対し、家庭的に反対し、氏族的に反対し、民族的に反対し、国家的に反対し、世界的に反対し、天宙的に反対したすべてのことをさっと清算しました。この中で父なる神様と言い、真の父母と呼ぶことのできる、生命以上の決意を固くもった人は、悪魔の世界とよこしまなる死亡の世界とは関係ない者になるのです。

そのような垂直の位置で、天にいる神様の代わりに地上に降りてきて、地上から横的な面で氏族的メシヤを派遣するのが今回のことだというのです。氏族的メシヤは、私が今死ぬとしても、必ず世界的に築かれた版図、この鉄柱、垂直的世界に接ぎ木するようになっているのです。

ですから、今、先生は何をするのでしょうか? 氏族的メシヤを送ってアベル的一族の祖先になるようにするのです。この祖先たちは、生命の種をもったというのです。メシヤは父母なので、種をもって現れるのです。皆さんの一族と父母は、サタン世界の種を受けたのです。皆さんが生命の種をもってぶつかるならば、どこに行っても通じます。モーセとパロの魔術師が投げた杖が、みなヘビになりましたが、のちにはモーセのヘビがパロの魔術師のヘビをのみ込んでしまったのと同じく、今からは迫害がみな過ぎ去るのです。

氏族的メシヤは、ユダヤ教、縦なるキリスト教、統一教会を中心として伝統的すべての失敗を圧縮させて勝利的権限をもって仏教、儒教等、すべての宗教が受けるというすべての福を総合した位置で、決定的核として伝授したのです。それが氏族的メシヤです。皆さんは、国家を心配する必要がありません。皆さんは、世界を心配する必要がありません。皆さんの一家を心配すればよいのです。        (一九九〇・二・四、本部教会)

2 氏族的メシヤの責任

還故郷するための三つの条件は、生命、愛、血統であり、これを実現するためには死を覚悟しなければなりません。私が命を懸けて数多くの峠を越えてきました。死を覚悟してするところから、新しい国の黎明を帯びた東方の朝の光が、統一教会の道を通じて輝くのです。

その国に輝く日差しも神様の愛、生命力も神様の生命、それは、千秋万代に続き得る光明の伝統の太陽になっているので、永遠に変わらない天の血統を受け継いでこそ、その太陽の日差しを受けて永遠に侍ることができるというのです。それは、人類の生命の本体たる神様を象徴するのであり、御父母様を象徴することを知らなければなりません。御父母様の伝統と天の復帰摂理の伝統を継承して生命と換えておき、その換えておいたものがどんな世の中の脅かしにも除かれない主体性を帯びたと自信をもつようになるときに、皆さんの新しい日は出発するのです。

そこまで、もてるすべての精誠を尽くして成就しなければなりません。先生が千年万年、信仰の道を、神様の創世の何億年間も御苦労なさったすべての開拓の結実を皆さんの前に無償で伝授してあげますから、完全に継承するならば天下に、天上世界に恥ずかしくない統一教会の血族権限を褒めたたえることができるのは間違いありません。それ以上利なること、それ以上価値あることがないことを知り、その価値の前にある平和の世界へ直行することのできる皆さんになることをお願いするところに、還故郷の道とともに新しい国の統一が始まることを知りますように。アーメン。(一九九二・一・二六、本部教会)

本来、人類の祖先が九十度の角度の一番きっちりした基準に内的な心と体が一つにならなければなりません。そのような愛を中心として縦的、横的なものが一体になった、一番中心の部分の位置が私たちの本然の父母が探し求めなければならない位置であったというのです。

ですから、心情の角度を合わせなければならない本然の世界、本郷の世界に入っていって、その位置で定礎石を正しく置かなければならない、運命的であり、必然的な使命が故郷を訪れていく復帰の終着点において、韓国統一教会の食口たちがしなければならない責任だということを忘れてはいけません。このような角度になるものを中心として、そのような角度の男とそのような角度の女をパッとくっつけて水平線に置くとき、これがぴったり合って一つにならなければなりません。縦的に一つになり、横的に一つになって立てたもの、このようになるならばいけません。神様は、その位置が成立してこそ主管するというのです。そうしてこそ神様が主管するというのです。(一九八八・六・一、本部教会)

具体的には、自分の氏族を復帰するためには、氏族的メシヤの責任を果たさなければならないのです。このような命令は、歴史上なかったのです。氏族的メシヤの立場は、第二の真の父母の立場として、イエス様の立場より素晴らしいというのです。そのような立場を付与された、とてつもない価値があるのです。どのようなものとも、これは換えることができません。

なぜ氏族的メシヤとして責任分担を果たさなければならないのでしょうか? 最初の理由は、皆さんの父母を救わなければならないからです。父母は、第一のアダムの立場であり、皆さんは、第二のアダムの立場にあります。父母を復帰し、再創造してアダムの使命を完遂しなければなりません。

二番目の理由は、皆さんには故郷が必要だからです。氏族的メシヤの使命を果たすことによって、自分の故郷をもつことができるようになるのです。結局、氏族的メシヤの責任分担を果たさなければならない理由は、アダム家庭の完成のためのものです。具体的には、氏族を教育しなければならないのです。(一九九一・五・一二、イースト・ガーデン)

3 氏族的メシヤの使命

天のために涙を流したのと同じく、血を流さなければなりません。血を流す歴史的な受難の峠を楽しく探し求めていかなければなりません。自分自身の解放のために、それ以上に注がなければならない自分であることを今まで知らずに来たというのです。自分は関係せずに、相対的にするならば、みなできるものと思いますけれども、それは違います。根本に戻ってくるのです。故郷の地に戻ってくるためには、皆さんが根拠地を撃破しなければならない責任が残っていることを、はっきり知らなければなりません。

今や皆さんの根を整備しなければなりません、根を。根がどのようになったのですか? 堕落することによって父母が過りました。長子が過りました。ですから、真の父母を中心として、真の息子、娘を中心とした本然の父母権と長子権を中心として、もとかえさなければなりません。そのままでは接続ができないのです。一八〇度反対にもってきてくっつけてこそ、出発することができるのです。

それで皆さんは、故郷に戻っていって、祖先を取り換えなければならない運命が残っていることを知らなければなりません。(一九八八・六・一、本部教会)

アダム・エバの失敗により、イエス様も真の父母として来たのですね? 最初の父母が失敗したことを蕩減すると同時に、イエス様の解怨成事をしなければならないのです。その次には、三番目の父母が愛の十字架を負っていったことを中心として、皆さんが一族における難しい人を自分よりも愛することができる愛を植えることによって、歴史時代に父母たちが越えてくる道に残してきた垣をすべて崩して越え、天の前に直行できる位置を探し求めていくのです。そうするために氏族的垣を崩さなければならないのが、氏族的メシヤの使命だというのです。何を中心としてですか? 真の愛を中心としてです。

ですから、自分のことだけを考えてはいけないのです。夜であれ昼であれ。おじいさん、おばあさんを全部見て回ってから、一番遅く寝なければなりません。血の汗を流してもうけては、自分の息子、娘、自分の家ではなく、自分の一族を食べさせ、生かさなければならないのです。

荒野路程にあるのと同じです。モーセの前には六十万がいます。食べるものがあるならば自分の家の者だけを食べさせてはいけないのです。支派を越えてモーセの前にもっていって置き、死ぬならば一緒に死のうと思わなければならないのです。一〇〇日食べてきたものを一日にしても、十二支派はモーセの前に持ってきてささげなければなりません。

このような生活をせずしては心情的紐帯関係を、家庭から氏族、民族、国家、世界へ連結することができないということを知らなければなりません。外的な国家世界は、先生が蕩減復帰基準を立て、連結し得る基盤を築きましたが、皆さんの氏族的基盤を私が築いてあげることはできません。そうではありませんか? これが、氏族的メシヤの責任だというのです。

ですから、先生に願ってはいけません、今からは。今までは、先生が全部責任を負いましたが、今からは、皆さんの一族は皆さんが責任を負わなければなりません。

九十度の角度の心情を中心として、この角度を合わせなければなりません。個人的に、家庭的に、氏族的にこれを一つにつくらなければなりません。眠り、起き、食べ、生きるすべてのことが、自分を中心としたことではないのです。一族のためのものです。私が死んでも、金氏であれば私たちの金氏のためにすべてのことを解決しなければなりません。金日成が出てきて南韓に選挙しようと言ったところで、氏族を収拾しておいたので行く所がありません。統一教会は、この準備をしなければならないのです。それが生き残る道なのです。国を生かす道なのです。ですから、氏族的メシヤの使命のために前進に前進をしなければならないのです。アダム・エバの失敗とイエス様の失敗を国家的心情圏まで拡大させるためには、氏族的メシヤが十字架を負わなければならないのです。(一九八八・一〇・三、一和龍仁工場)

個人が勝利して家庭をもつならば、家庭は氏族と民族と国家と世界の峠を越えていかなければなりません。それゆえに個人の願いとは何でしょうか? 天側に立つ家庭を探し求めることです。家庭を探し求めておいて、「今まで祝福という問題を中心として千辛万苦の受難の道も克服してきたのだが、今では結婚したから、ああこれでよい」と言いながらグウグウ昼寝をしてみなさいというのです。おもしろく生きてみなさいというのです。それがどういう圏内かといえば、サタンが世界的に包囲し、国家的に包囲し、民族的に包囲し、氏族的に包囲している圏内です。

このように見るとき、「いいぞ」と言って生きなければなりませんか? (違います)。その圏内では、子供をたくさん生むほど大きな患難が来るのです。「これはまた、何のことか?」と思うかもしれませんが、おもしろい話をしてあげるのです。

個人が安息しようとするならば、家庭がなくてはできないので、今まで統一教会は家庭を探し求めるために戦ってきたのです。また、家庭が安息しようとするならば、氏族圏がなくてはできません。氏族が囲いになり、吹いてくる風と、それ以外のすべてのものを防ぐ責任を身代わりする、そのような舞台をつくらずしては、私が安らかな家庭で生存することができないのです。

そうしようとするならば、親戚を中心として族長になれというのです。族長になるならば、争いが起こってもすべての親戚が一線に出ていって戦うので、族長は作戦を指揮しながら休むことができるのです。

それで、皆さんに対して先生は、氏族的メシヤの使命をしなさいと語ったのです。そのような話を聞きましたか、聞きませんでしたか? (聞きました)。それ、みな教えてあげたのです。何をしなさいって? (氏族的メシヤの使命です)。氏族的メシヤの使命を果たしなさいというのです。その次には、民族的メシヤの使命を果たしなさいというのです。今後、世界に出ていって伝道をするようになるならば、民族的メシヤの使命を果たすのです。(一九七二・五・一八、大邱教会)
三 氏族的メシヤ宣布

1 氏族的メシヤ宣布の日時

皆さんを氏族的メシヤとして送ったのはどういうことでしょうか? 昔、イエス様が霊界から地上に縦的な過程を通じて送りましたが、今日、文総裁は天を代表した神様の位置から、氏族を代表することのできるメシヤ型の数万家庭を世界に派遣したのです。今では滅びません。今年(一九八九年)一月三日午後二時三十分に氏族的メシヤを宣布したのです。(一九八九・一・八、本部教会)

2 氏族的メシヤ宣布の背景

このごろ、私は涙を流さないですね? 私が泣くようになるならば、神様が泣きます。霊界で泣いてしまいます。私が痛哭する事情があるとしても、慰めなければならない責任があるそのような男として、弟が死んだと涙を流すことができません。その時は、涙を流さず、冷たい態度をとらなければならないのです。

氏族的メシヤという言葉はなぜ出てきたのでしょうか? 氏族的メシヤという言葉が出てくるようになったのはなぜでしょうか? メシヤの位置は、父母の位置です。真の愛をもった主体にならずしては、父母の位置という言葉はあり得ません。堕落した世界に本然のもので残っているものがあります。一つは、愛する子供のために生きる父母の心がそれです。堕落した世界に、例外的に残っているただ一つの本然の心情的基準とは何でしょうか? 父母が子供を愛する心です。消え去っていく心情圏ではありますが、それが創世以降に本質的形態として残っている種火と同じです。

大邱のリンゴは有名ですね? 沙梨院もリンゴが有名です。それらが互いに同じ色、同じ姿であるときは、大邱リンゴと沙梨院リンゴと取り換えてもかまいません。同じときはかまわないのです。

統一教会で一番有名な人は誰ですか? 先生ですね? 皆さんが先生と同じだというときはどうですか? 同じだというときは取り換えても、神様はかまわないというのです。そのようにして取り換えられた皆さんが統一教会の教主をするとしても、神様は不平を言いますか、言いませんか? (言いません)。それでは、統一教会の食口の中で、「誰に似たいですか?」と言うとき、誰に似たいですか? (お父様!)。そうですね。先生に似たがるのです。それでは、統一教会の文先生は、誰に似なさいと言わなければなりませんか? 私に似なさいと言わなければなりません。

蕩減復帰の道は、似なければ行けないのです。代身者にならずしては蕩減がされません。ですから、蕩減の道を行くことを考えるならば、似ずしてはできません。昔、失ってしまった模様と同じ模様を代わりに立てておいて血を流し、蕩減復帰しなければならないのです。打たれて奪ってくる作戦をしながら、天の国の所有権を主導してくる、それが摂理の方法です。

それで先生が苦労しましたから、皆さんも苦労しなければなりませんか、苦労してはいけませんか? (苦労しなければなりません)。金持ちの家の子孫たちは、父母が死ぬならば、一代も行けずに父母から受け継いだ財産をみな売り飛ばします。なぜそうなのか分かりますか? 父母と違ってそうなのです。父母は、自力で一家を成し立てながら、一文でも惜しんで分けて使いました。そのような点で息子、娘は違います。父母と同じでないので滅びるのです。(一九九〇・二・一六、漢南洞公館)

統一教会の教団は、宗族です。宗族だというのです。私の血が同じく動ずるのです。私が涙ぐむならば、涙ぐまなければならないし、私が喜ぶならば、喜ばなければなりません。血族です。人種を越えて、文化背景が異なるすべての国家基準を越えて、壁を崩して一つに集まった、新しい天の国の創建のための民族です。この民族が神聖になるとき、天の国の創国が顕現し、そのような聖なる創国の民族として生きていくとき、創世界が始まるのです。その世界の上に、天宙的な地上の天国と天上天国が連結されるのです。それは、言葉をもってできるものではありません。

個人において最後の決定をなし、天地に宣布しなければならず、家庭を中心として最後の宣布をしなければならず、氏族を中心として最後の宣布をしなければなりません。この前私が来て、祝福を受けた家庭は、一人ずつ全部動員しなければならないと語りました。国が困難なとき全国に散らばって相撲をし、最後の生死の決定をなさなければならないと語りました。そのような国家の運命時代が来ると語りました。それで皆さんの家庭を地方に、みな送り出しました。

今からは氏族を中心として、最後の宣布をする時なのです。そのようなことを先導するためにレバレンド・ムーンは、世界万国を中心とし、万民族と万国家を身代わりして、天地に勝利の絶対的条件、一方向性の絶対的条件を立てなければなりません。そうでなくしては、国に入っていって氏族を団結して、公義の法度に従って最後の解放を前にして、宣布することができないのです。「サタンは消え去りますように」と宣布するならば、皆さんの先祖たちが皆さんの家庭に入ってきて、主人の振る舞いをします。変わるのです。

「私たちの家庭は、天を愛することにおいて夫婦の愛以上、子女の愛以上、もっている所有物全体を犠牲にし、一家を祭物に定めて、氏族を代表して天の家庭として育てますゆえ、氏族解怨を成就するためにこの仕事をしますから受け取ってくださいますように」と言うならば受け取ってもらえるというのです。(一九八七・九・一三、本部教会)

3 氏族的メシヤ宣布の意義

今の時は、イエス様が成すことのできなかった理想の家庭基準を成して配置する時なのですが、それが家庭的メシヤの派遣であるということを知らなければなりません。家庭的メシヤとしてどこに送るのかといえば、自分の血族、自分の親族に送るのです。

私は、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界へ蕩減の路程を歩みました。それゆえに皆さんは、私と同じそのような蕩減路程を歩まなくてもよいです。私は今や皆さんをイエス様の立場と同じ氏族的メシヤとして送るのです。皆さんは今、結婚した立場にあります。そのような基盤の上にいます。それは、個人、家庭、氏族が一つに連結されるというのです。私はいつもすべてのことが天に連結される蕩減路程を歩みました。皆さんは、できませんでした。どのようにそのすべての蕩減路程と連結され得ますか? 皆さんは、そのような路程を通過することができなかったではありませんか?

そうであるとしても皆さんを祝福してあげました。祝福というものは、イエス様より素晴らしい立場を意味します。祝福を受けた皆さんを、サタンは讒訴できませんでした。なぜでしょうか? 真の父母を中心として、血統が連結されているからです。

それを眺めるならば、サタンも個人、家庭、氏族、民族、国家、世界のいかなる次元でも讒訴することができません。それが最終的な観点です。絶対に讒訴することができないのです。これが解放の境地です。それで、今回、この氏族的メシヤを宣布したのです。(一九八九・四・一、ベルベルディア修練所)

今や氏族的メシヤになれと宣布したのはどういうことでしょうか? 皆さんが私の代わりに責任を負うならば、天が後援するというのです。私が過去に、統一教会が難しい中で開拓していたその時代に、後援して開拓していたその役事を、霊界で今も間違いなくしているというのです。その時は、反対を受ける中でも統一教会を氏族的復帰時代へ発展させた天です。今は反対を受けませんから、どれだけ発展するだろうかというのです。(一九八九・一・八、本部教会)

4 氏族的メシヤ宣布の目的

み旨を知って動く皆さんは、自分の一族の前に氏族的メシヤを宣布しなければならないのです。聞こうが聞くまいが、責任を遂行しなければ、皆さんが天に引っかかるそのような時が来るのです。それで、氏族的メシヤを宣布するのです。そのような時を越えていくために氏族的メシヤを宣布したので、今行動開始をしなければなりません。全部故郷へ行かなければなりません。

もし、故郷へ行けないならば、国を生かせというのです。故郷に行けないならば、南北統一のために苦労せよというのです。氏族的メシヤができないとしても北韓を救うことのできる民族的メシヤの責任を果たそうと努力するならば、氏族的メシヤ圏を乗り越えるというのです。

故郷に帰るにあたって、今後の自分の生活問題、息子、娘の教育問題と、このようにしていてはみな滅びます。イスラエル民族が出エジプトにあたって、出ていかなかった人たちはみな滅びたではありませんか? 呪いを受ける民族になることもあるのです。そのような天的なみ旨があるので、先生が前もってみな宣布するのです、氏族的メシヤを。(一九九〇・一一・九、漢南洞公館)

堕落したアダム・エバが失敗したことを、皆さんが再び復活させて探し求めた家庭の資格を、天の国の天権をもって是認公布するのです。それが氏族的メシヤ宣布の目的です。(一九八九、一〇、八、本部教会)

5 氏族的メシヤ宣布の影響

蕩減復帰の道はそうではありませんか? 世界舞台でサタンが讒訴することを分立させなければなりません。そうして戻ってきて、国家基準でこのように防御して、氏族メシヤ権を設定することにより、この東西南北に通ずることのできる世界的な連係になるようにするのです。私たち祝福家庭、二万一〇〇〇家庭に該当する世界の祝福家庭が連結されて、それが全部一つの基台になり、条件になって完全に勝利的足場になって入っていくことができるというのです。(一九八九・二・五、漢南洞公館)

今や氏族が連合する時が来ました。それ、変ですね? 氏族的メシヤを宣布してから三日もたたないのに、私に宗長になってほしいと言うのです。昔、その人たちの中で、統一教会の文総裁を軽視し、悪口を言わなかった人はいませんでした。ところが、宗長たちが集まった連合で、私に宗長になってくださいとそう言っているのです。連合宗長になってくださいと言うのです。このようなことを見るならば、天が手助けしてくださってそうなるのだということが分かります。全部、準備されているのです。(一九八九・一・八、本部教会)

6 氏族的メシヤ宣布と還故郷

きょうが、(陰暦で)最後の日ですね? あすが(陰暦で)一月一日ですか? (はい、そうです)。ですから、最後の時間になる前に通告しなければならないのです。その氏族的メシヤを私がこの前宣布したのと同じく、そのような時が戻ってくるので、皆さんもきれいに自分の故郷に帰らなければなりません。

故郷。私も今、故郷に行きたいのです。ここ、ソウルにいたくありません。このように外国において従う統一教会の信徒たちが故郷に行って、全部還故郷活動をするようになる時は、その余波が北韓を凌駕するようになります。その時には、先生の故郷は自然に上がってくるのです。戦わずにそのまま通ずるというのです。水が、潮水が、その先生の故郷を埋めることもできるし、通ずるというのです。ですから、金日成の徒党以上の精誠を尽くして心情的な故郷、カナンの地を編成することが統一家の使命だというのです。それできょうは、氏族的メシヤになれというのです。(一九八九・二・五、本部教会)

四 氏族的メシヤの自覚

1 氏族的メシヤの責任を与えた理由

先生は皆さんを呼んで、高貴なものを相続させてあげようとするのです。先生がそれを失敗する場合にはすべての霊界が讒訴するのです。先生はそのことを知っているのです。どれだけ恐ろしいことですか。先生はよく知っています。先生の過去の生涯路程がどれだけ困難なものであったとしても、それ自体は問題になりませんでした。その困難さより、霊界の讒訴がもっと恐ろしいのです。それでどれだけ迫害を受けるとしても、それが易しい道であるということが分かったというのです。どちらが価値あることかということを知っているのです。

それで、一度決定を下すならば、ごちゃごちゃ言う必要がありません。私は、見て、聞いて、味わい、においをかぎ、触ってみて、そうして決定を下すのです。不平を言うことができません。先生は全部、実験してみてから決定するのです。ですから、皆さんが先生の言うことを聞かなければなりません。皆さんは、自分自身を見ることができません。ですから、口を閉じなければなりません。このようなことをはっきりと知らなければなりません。いかばかり恐ろしいですか? すべてのことが良くありません。それでただ活動する道しかありません。絶えず活動していってこそ勝利をすることができます。それが先生の立場です。先生は、今まで勝利的条件を山のように積んできました。それは、美しい山であり、美しい川であり、美しい野原です。それで、自然にすべての動物たちが集まるのです。

先生は時々、皆さんを激しく追い詰めますが、皆さんは逃げていくではありませんか? 皆さんは、何回もそうしました。それは事実なのです。どれだけ愚かしいことか。先生は、教会でそのような態度をとる食口をよく見ます。先生は、そのような食口たちを集めておいて、「出ていけ」と強力に命令するのです。私はそのようなことをたくさん見ました。いつも問題があります。いかばかり不幸な場面ですか? 私は醜い顔、醜い目、醜い耳、醜い心、醜い体をいかばかりたくさん見たか分かりません。皆さんは、過去にそのすべての醜い姿をしました。ですから、いかばかり恥ずかしいですか

今、先生は皆さんにメシヤという名前を与えました。何のメシヤなのですか? (氏族的メシヤです)。氏族的メシヤ! それでは、皆さんはどのようにしなければなりませんか? そのようなメシヤとして何をしなければなりませんか? 国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤになることのできるすべてのことを準備しておきました。山のように大きい宝物を皆さんのために準備しました。皆さんがメシヤになりさえするならば、宝石山のような、このすべてのものを相続されるのです。水道管のようなものが連結されて水が流れて下っていくように、皆さんに相続されるのです。

皆さんがこの価値あるものを相続されるにあたって失敗するならば、後世に、皆さんの後孫たちが皆さんを讒訴するのです。神様が皆さんに手助けしてくれず、先生も手助けしてやらず、お母様も、先生の直系の子女たちも手助けしてくれず、すべての統一教会の食口たちも手助けしてくれません。

先生に従わなければなりません。先生が過去に歩んだのと同じ道を歩まなければならないのです。そうしたのちに自由があるようになるのです。その次に新天地が展開されるのです。私たちは、自由を願うのです。

それで今回だけは、一度メシヤになりますか? (はい)。それで、一人で行くとそう言いましたか、家庭が行くとそう言いましたか? (家庭が行くと言いました)。今までのメシヤは、男一人しかいませんでしたが、今からは家庭メシヤというものがあります。家庭メシヤ。今までの一人としてのメシヤは反対も受けましたが、今正に、家庭メシヤが落ち着く世の中になれば、反対する人がいません。

カナンの地に入っていかなければならないのに、ヨルダン川の川辺で天幕を張り、「今ではみな来たので、ここで千年万年生きなければならないのだが」と思うかもしれませんが、この天幕をぶち壊し、踏みつけ、川に投げ込まなければなりません。ヨルダン川の川辺で眠るのですか?

そのような時には、モーセが来て火をつけ、全部けっ飛ばしてしまわなければなりません。水に投げ込まなければなりません。ヨルダン川の水が深いと思ったのに、目を開けてみると深くありません。ひざまでしか水が上がってこないのです。小川を渡っていって死ななければなりません。三分の二の体が地にすがり、そこで休んでもかまいません。それをサタンは持っていけません。死んでもかまわないし、死んでも成功なのです、成功。それが長い長い四十年間の路程の目的です。

今は、足が軽いですか、重いですか? (軽いです)。七十歳になった先生のひざみたいですか、三十代の皆さんのひざみたいですか? それで先生の前に先立つのですか、後ろに従うのですか? (先立ちます)。それでは、モーセはどうですか? 「やい、この野郎! なぜ先に行くのか?」とそう言うでしょうか? 荒野のまっただ中で道が分からないときは、「おい、この野郎。行けば大変なことになるぞ!」とそう言うかもしれませんが、ヨルダン川が見え、カナンの地が見えるときは、「早く行け! いいぞ、うまいぞ、うまいぞ、私の息子、娘よ!」と言いながら褒めたたえるようになっているのです。ヨルダン川も見えない荒野のまっただ中では、先に行くならば死にます。その時は私に従ってこいと言いましたが、見えるときは、「先に行け」と言うのです。これがすてきなのです。

それで、イスラエル民族はみな渡っていき、モーセだけ渡っていけませんでした。どのようになったのですか? モーセは、「あ、呪いを受ける群れだ! 私を捨てていったのだなあ。死ぬべき奴ら! 滅亡しろ!」とそう言いましたか? 「おお、私は死んでもいいからお前たちは永遠に祝福を受けなさい」と言ったのです。モーセが手を挙げて、「神様、私より勇猛なあのイスラエル民族を御覧ください。彼らの将来を保護してくださいますように! いかばかり希望に満ちた彼らでしょうか!」と祈祷するのです。神様は、「ああ、立派な指導者であることよ。お前の祈祷どおりにしてやろう! お前は安らかに永眠するように」と語るのです。いかばかりすてきな死でしょうか?

先生はそのようなことを考えるのです。先生もそのような勇敢なムーニーを見たいと思います。先生に従いながら皆さんはあまりにも疲れました。いろいろと異質的な姿を見せてくれました。このような時に勇敢に、「川を渡って私が一番先にあちらに足を踏み出します」と言う、そのような群れがいるならば、ヨルダン川を渡る群れを見てモーセが立派だと感じたのと同じく、先生もそう思うのです。

私たちは、愛の氏族ですね? (はい)。先生は、愛の氏族を信じます。愛の氏族を愛します。私は、愛の氏族を守り、保護することを願います。私は愛の氏族である皆さんを誇らしく思います。愛の氏族が行く道は、一つの道です。二つの道ではありません。ただ一つの道を行く、一つの氏族です。

さあ、今度こそは間違いなく氏族的メシヤの責任をもって各自の故郷へ帰って、「私は、氏族的メシヤとして帰ったのだ!」と言いながら自慢するのです。これは、皆さんと皆さんの後孫たちのためにです。イスラエル民族が十二支派に土地を配りあてる時と同じです。今やカナンの地に入ってきたのですが、昔はヨルダン川を渡った地がカナンだったのですが、今ではこの地球がカナンなのです。神様のもと、一つの民族、一つの国なのです。

どこにも行く所がないではありませんか? どこであっても、アメリカであれ各国が自分のもとにあります。昔は、カナンに七族がいてイスラエル民族に反対しましたが、今ではムーニーに反対する人たちがいなくなりました。すべてが歓迎することのできる立場にいるのです。イスラエルの人々は、乞食になって入ってきて、カナンで良い暮らしをしていたその七族の風習などに従っていって滅びたのですが、今からはムーニーたちを尊敬し、ムーニーたちに従ってくる立場になりましたから、滅びる道はありません。イスラエル民族は、カナン七族の風習に従っていかざるを得なかった立場にいましたが、今の時は、外的な世界はみな滅び、腐って、今では皆さんだけに希望があるというのです。それで皆さんを手本にしようとするので、サタン世界も滅びないのです。反対です。

モーセの時には、カナン七族にはお金もあるし、美人もいたのです。イスラエル民族は乞食になったので、彼らに願い、頭を下げて入っていきましたが、今は違います。反対です。

今は、そのような時ではありません。歓迎するので、皆さんをうらやましがるほどになりました。ですから違うのです。イスラエル民族が、カナン七族の文化と伝統に従ったこと、これが問題です。それで、イスラエル民族が滅びるようになったのです。これが重要なことです。今は違います。私たちが中心です。ムーニーが中心なのです。滅びていく外部の世界には希望がありません。ムーニーが唯一の希望だと、彼らが仰ぎ見るのです。

ムーニーたちが一つになって、今からはメシヤとしての責任を完遂しなければならないのです。強く大胆であれ! 神様がヨシュアとカレブにそう語ったように、強く大胆であれというのです。長子権復帰のために父母をもち、天をもち、すべてのものを備えたこの地上の基盤をもったので、激しく押しまくりなさい! 後ろで神様が支えてくださるるし、真の父母と真の家庭と統一教会の力が要塞のように、後ろで皆さんを保護するのです。一つの道へ前進さえするならばよいのです。それが勝利する道です。

先生がアメリカの法廷で闘争するとき、監獄に行くことを覚悟しました。皆さんは、監獄の解放のために行くことを覚悟し、先生が法廷で戦ったよりもっと大胆に家庭を率いて、カナンの天地の所有権を拡張するために走る勇者たちになることを決意しましょう! そのような勇士になれますか? (はい)。できますか、できませんか? (できます)。皆さん、一人だけではありません。夫妻で、家庭でです。

それで、皆さんの父母から受けて今まで生きてきた、そのような習慣性をもってはいけません。皆さんの息子、娘たちに今から本当に教えなければなりません。そのままにしておくならば、家庭が、祝福受けた者がみな、滅びます。ですから、仕方なくメシヤの責任を負わせて表に立たせるのです。それが歴史的最高の時代に生きている私たちがしなければならない責任であることを知り、霊界と地上界が、天地が眺め、宇宙が眺める、このような愛の驚くべき時期を占める主人になりますように! アーメン!(一九八九・四・九、ベルベディア修練所)

2 氏族的メシヤの尊貴性

氏族的メシヤが安物だと思いますか? 賢い先生がメシヤの使命をするために一生をささげても達せず恥ずかしく思うのです。皆さんの前に氏族的メシヤという言葉は、驚くべきことです。イエス様よりももっと貴い価値の位置に立つことができるのです。のみならず統一教会に反対し、ありとあらゆる悪口を浴びせかけた人まで、堕落しなかったアダムの位置に引っ張り上げてあげようとするのです。世の中にそのような話があり得ますか。それは、あり得る話ではありません。話をする文なにがしは、真の父母の位置にあるので今まで語ったすべてのことを、みな成しました。成さなかったことがありません。(一九九一・八・二九、国際研修院)

なぜ氏族的メシヤが貴いのかといえば、家庭の前に中間に立っているからなのです。ここが氏族的メシヤなのです。氏族的メシヤとはいったい何でしょうか? 先生は、世界的、あるいは国の中心になっていますが、皆さん自身はそうではありません。皆さんには五パーセントの実績がないというのです。ですから先生が世界を愛し、国を愛してきたのと同じく皆さんは、神様を愛するように自分を愛し、自分の夫や妻を愛し、自分の家庭を愛し、子供を愛するように、自分の家族を愛するのです。その愛を中心として、それと同じく国を愛し、世界を愛するのです。そうするならば国と世界は、先生が既に連結しているので自然に連結されるのです。

このようになるならば、皆さん自身が行く道は、個人的心情圏から家庭的心情圏、氏族的心情圏、国家的心情圏、世界的心情圏、天宙的心情圏まで連結され得る基盤が形成されるので、この氏族的なメシヤ基準がどれだけ重要なのかを知らなければなりません。

これを原理で見るとき、家庭が蘇生であるならば、氏族が長成、国家は完成だというのです。国家を中心として見るときは、国家が蘇生であり、その次には世界が長成であり、天宙が完成だと、このようになるのです。世界を中心としては、世界が蘇生であり、天地が長成であり、神様自身が完成として、愛でもって結びつけられるのです。この三段階原則によって連結されていく、このような発展原則に従って見るようになるとき、国を探し求めるにあたって氏族的メシヤ基準がどれだけ貴重であるかということを知らなければならないのです。(一九八九・二・五、本部教会)

皆さんは、氏族的メシヤ、氏族の救世主なのです。氏族の救世主という名前をもったというのです。ヤコブ家庭でメシヤが来ることをどれだけ待ちましたか? 何千年も待ちました。何千年待って迎えなければならないものなのですが、皆さんを氏族の前にメシヤとして任命して送りましたから、そのメシヤの種子がいかばかり貴いものですか?(一九九〇・一・一四、本部教会)

3 氏族的メシヤの価値を自覚せよ

ここに出てきた皆さんは、金氏であるならば金氏の家門のメシヤと同じ使命を果たさなければなりません。金氏家門であるならば金氏家門、朴氏家門であるならば朴氏家門において天の国を創建するにあたってこの氏族を代表して、「私がメシヤだ」と思いなさい。救い主だと思えというのです。金氏家門を救ってくれる救世主だと思わなければなりません。そうであるためには、金氏家門全体を身代わりして、祭司長的な責任を果たさなければなりません。(一九六五・一〇・三一、大邱教会)

今、最後に残った終着地とは何でしょうか? 解決方法とは何なのかというのです。すべての壁をみな崩し、処方をするのですが、このような恵みを受けようとするならば、どのようにしなければならないのでしょうか? 氏族的メシヤになれというのです。氏族的メシヤ。

これさえ終わるならば、個人的讒訴条件、家庭的讒訴条件、氏族的讒訴条件、民族的讒訴条件、国家的、世界的讒訴を提示するその何ものも、みななくなるというのです。(一九八九・三・一九、世界宣教本部)

皆さんが今、三時代のイスラエル圏を受け継ぐ厳粛な事実を知らなければなりません。傍系的宗教は対等な位置で神様を中心として父と呼ぶことができ、我が国と呼ぶことができる、あなたの国でなくして私の国だと呼ぶことができる解放の圏を迎えることができるという、イスラエルの勝利の覇権を受け継ぐことができるという驚きを忘れてはいけないのです。

氏族的メシヤはどれだけ恐ろしい言葉なのか分かりますか? メシヤが責任を果たせないならば、死ななければなりません。死ぬ前には戻ってくることができません。これがメシヤの使命なのです。

メシヤ圏を蹂躙してはいけないのです。私の生命が消える恨みがあるとしても、私の一族が消える恨みがあるとしても、蹂躙してはいけません。自分の父母が皆さんを捕らえて殺すことはできないでしょう? 十字架にかけることはできないでしょう? それが福なのです。イエス様の前にそのような福があったならば、どれだけのことができたでしょうか。世界と戦い、蕩減条件を立てて、この世界の版図とみな戦い、勝って、還故郷することのできる伝統を誰がつくるのですか? 氏族圏までつくって、この氏族でなくて家庭まで行くことのできる道を全部つくりました。

皆さん、いつ世界的問題を懸けて蕩減路程を行ってみましたか? 先ほど語った僕の僕から始め、カイン・アベルを中心として息子になり、母、エバ圏を中心として、アダム圏を中心として神様へ帰らなければならないのですね。その次に、万有の主人である神様へ帰らなければなりません。今、そのような時が来るというのです。その次には、氏族的な一つの心情圏を探し求めたので個人、家庭、氏族、民族を中心として世界を包括しても余りがなければならないのですね。

さあ、歴史始まって以来、先生が数千年の恨みを抱き、蕩減復帰のために立てた氏族的メシヤ権の驚きを忘れてはなりません。(一九九一・一・二〇、本部教会)

先生が皆さん、祝福した家庭を氏族的メシヤとして送ったのは、世界家庭を代表してそうしたということを知らなければなりません。ですから、全世界の夫婦の前に記録的な男と女になり、そういう息子、娘たちは、歴史上に、地球に生きて死んでいった人々と異なった一族の祖先になったことを知り、それこそ神様の息子、娘としてここから直行して天国に入ることのできる人にならなければなりません。(一九八九・三・一、本部教会)

五 氏族的メシヤ活動申請

1 申請書提出者確認

七月一日から祝福家庭は、氏族的メシヤの活動を具体的に実施しなさい。氏族的メシヤとしてしなければならない責任分担に関して、指示した申請書に記入し提出しなさい。提出しない者は、先生が責任を負いません。

今までは、投入しても消耗してしまいましたが、今から投入することは、自分の財産になります。それは、将来のための準備になります。皆さんは、強力な武器を付与されているのです。昼には教育し、夜にはお金を稼ぎなさい。遊ぶ時間がありません。眠る時間を減らさなければなりません。神様がどれだけ深刻か、考えなければなりません。すべての時間を神様のために使用しなければなりません。皆さんは、自身の出生地へ帰って氏族的メシヤの責任を果たすという決意をしていますか?(一九九一・五・一二、イースト・ガーデン)

九月一日の日、氏族的メシヤになると申請した人、手を挙げなさい。みなしましたね。(一九九一・八・二九、国際研修院)

2 活動申請書(様式)

3 総動員

九月一日から総動員! ここにいる機関長たちは……。そこの文昇龍! あんたが理事長になりませんでしたか? 荷物をまとめて出発する引っ越し(注:韓国語で引っ越しは「イサ」であるが、理事も同じ発音の「イサ」)、その長です。あなたが担当している会社から追いやりなさい。その代わり、どうしても必要な人は相談して何人か残すのです。再び戻ってきてこれを連結させるには支障がありますから。再び戻ってこなければならないでしょう? 故郷を訪ねたのちには、社会を訪ねなければならないのですね? 再び戻ってきて訪ねようとしますから、共議によって最少数残るのです。

ですから、仕方なく行っては、戻ってこようとしますから、相談をして最少限度の人員だけ残すように決定するのです。一掃するのです。それで避難民なのです! 荷物をまとめて出発するのです。

(一九九一・八・二九、国際研修院)

第五節 氏族的メシヤ活動

一 氏族的メシヤのための祈祷

(祈祷)

父なる神様。きょうは、一九八九年一月三日、今、この時間を期しまして、午後二時二十五分を期しまして歴史的なすべての内容を明らかにし、天が願う祖国がどこであるのかを確定し、一九八九年元旦を迎えまして、宣布されましたこの日の上に、氏族的メシヤが来るようにしてくださいますようお願い申し上げます。この時間にここに集まりました統一家と教会の代表たちの上に、氏族的メシヤとして祝福を受けた家族たちを中心として宣布いたしますから、うれしく受けてくださいますようお願い申し上げます。

この地上にありますすべての氏族に属する人たちは、氏族的アダム・エバの位置にいます。その先祖たちは、堕落しなかった天使長の立場に立ちまして、天上の後援を受け、地上におります氏族たちと後孫たちを保護することにより、メシヤを中心として一体になることにより地上のカイン・アベルの統一が始まり、縦的な基準において霊界と地上界の統一が始まり、神様を中心とした氏族的メシヤの愛圏版図が確定されましたので、サタンは、思いどおりに寓居することができず、原理的、理論的原則によって位置を離れ、ここから立ち去らなければならない時代がまいりました。

これを知りましたので、この氏族的メシヤの責任を負った家庭は、すべての精誠を尽くして外的なカイン国家が世界型を蕩減復帰するために受難の道を歩んだすべてのものを代表いたしまして、家庭的な立場でも父母を復帰するために苦労し、兄弟や親戚を復帰するために苦労しなければならないということを悟らなければなりません。そうでありますから、どれだけ困難であっても短期間に解放するためにすべての心をみな、ささげまして、メシヤ的責任を全うするために出動することを願いましてこの場に集まりました。出動を願うこの群れたちを、神様と真の父母の名前を身代わりさせて派遣いたしますから、受けてくださいますようお願い申し上げます。

今やこの地の上に生きておりますすべての人々は、国を心配する心に従いまして一つの心が、天の心がこもりますようにお許しくださいますことをお願い申し上げます。霊界にいます、恨みを抱いて行ったすべての霊人たちは、地上に解怨成事の基台が準備されることにより、そこに和動して一つになることのできる立場に立ちましてカイン・アベルの縦的基盤を完成することにより、神様が天上世界と地上世界に真の愛を中心として挙動することができる足場が確定されることを知っております。中でも特に家庭基盤、氏族基盤、民族基盤が国家基準まで連結され得る世界史的な、あなたが願っておられましたその時間がまいりましたから、それを宣布するこの時間を栄光の時間として、勝利の時間として、すべてのことを譲渡する時間として定めてくださり、氏族的メシヤ権をお許しくださいますことを切にお願い申し上げます。

二 氏族的メシヤとしての決心

1 氏族的メシヤは覚悟が必要

故郷にどのように訪ねていくのか今まで知らなかったのです。皆さんに、氏族的メシヤになれとはどういうことでしょうか? 真の父母になれということです。ですから、ここにいる人たちは、統一教会の文先生が死ぬほど苦労させるとしても、「感謝いたします」と言わなければなりません。死ぬほど苦労するならば、何百倍、何千倍の天の福があるということを知り、それを甘受していく環境をつくるならば、祖国が自動的に成されるのです。

ですから、歴史時代のいかなる孝子、忠臣、いかなる歴史的な聖人よりも自分のほうが素晴らしくなければなりません。私がもっと素晴らしくなければなりません。この伝統を受け継がなければなりません。レバレンド・ムーンが皆さんを世界的な犠牲の位置に送り出す代わりに、世界にない愛でもって愛してあげ、福を与えるのです。この伝統をはっきりと知らなければなりません。

その偉大なる聖賢より素晴らしい皆さん自体の価値は、千万金を与えても換えることができない価値です。にもかかわらず、これをたちまちのうちに捨てる愚かな者になってはいけません。個人の感情のゆえに、私個人が困難だと、これを捨てることができますか? (できません)。故郷が行ったり来たり、祖国が行ったり来たりするのです。(一九七九・一・一四、ベルベディア修練所)

自分の氏族に責任をもつのです。自分の氏族を救わなければならないのですね。氏族的メシヤと同じ責任を背負って行けというのです。死を覚悟して行けというのです。

さあ、先生が今までこの道に出で立って、韓国全体が反対し、キリスト教全体が反対し、世界全体が反対するのを押して出てきて、開拓するのがどれほど大変だったでしょうか? そのようなことを考えるとき、皆さんは、反対されず、歓迎される環境と与件においてするので、自分の氏族を救えなければならないのです。

皆さん、今までの集まりが常習的なものと思ってはいけません。歴史的なのです。戻っていくのです。戻っていきなさいというのです。違うのです。時代が変わるというのです。

そして、皆さんが外地に出ていき修練し、み旨を中心として熱心に活動してきた新しい習慣性をもち、その町内全体を変革しなければなりません。従っていってはいけません。神様が何もない中から自分の全体を投入して愛の対象圏をつくってきたのと同じく、皆さん自体を投入しなければなりません。必ず一つに一致させなければなりません。故郷の人たちの中で、皆さんが最高の位置まで行けば、霊界が協助するのです。今に見ていなさい、事実がそうなのか、そうでないのか。そして、ビデオテープをたくさん作って伝道しなさい。(一九八八・六・一五、イースト・ガーデン)

皆さん、先生が慕わしくて男の目からどれだけ涙を流してみましたか? 問題はこれなのです。皆さんはそのような生活をどれだけしましたか? 先生は今も、一言で痛哭します。二言は必要ありません。天に対して二言は必要ありません。「あなたの心は、この所に向かっていくのですね?」と言えば、「そうだ」と言うのです。天がそうであるので私たちもそうでなければならないというのです。

さあ、そのような私自身を発見して、私はみ旨の道を行っているという自負心をもって自慢することのできる人を天が願ったという事実を考えるとき、今や皆さんは、故郷へ帰らなければならないのですが、どのような人として帰るのでしょうか? そのような私として帰らなければなりません。(一九八八・六・一、本部教会)

2 代役者になれ

統一教会の信徒は、誰を愛しますか? 私たちは、神様とイエス様を違うものと見るのではありません。イエス様と神様に侍るなかで父母の因縁を結び、その父母がおられる故郷の地を愛する人になるのです。そのようにすることのできる真に満ちた父母が現れなければ、故郷の地はまだないのです。

それでは、この世界で真実なる故郷の地はどこにありますか? キリスト教の多くの群れが集まる大教派にありますか? 違います。真に満ちた孝子は、手の先に血が流れる痛さを耐え忍びながらも、父と呼ぶことのできる人です。良い場で自分の安逸をうたい、深い眠りをしようとする人を神様は願われません。

この時間にも手の先に血を流しながらも、「私の足りなさを許してくださいますように」と言って血の道を意に介さず身もだえし、苦労する位置であってこそ父母が訪れてくることができます。

それでは、故郷の地を訪ねていって父母に会って何をするのでしょうか? 父母として来られるその方は何をするのでしょうか? その方は、堕落した祖先であるアダム・エバの代役者であり、彼らが失敗して負った傷を彼らの代わりに縫いつくろわれるのです。

アダムが堕落することによって世界人類がめちゃくちゃになったのです。イエス様は、これを縫いつくろわなければなりません。これは、父母が縫いつくろわなければなりません。

それを真の父母がしなければならないのですが、その父母が三十億人類をみな縫いつくろわなければならないのでしょうか? 違います。御父母様に孝と忠を果たした孝子、孝女、忠臣、烈女がその名牌をもって出ていき、代役者として縫いつくろわなければならないのです。

私が韓国に戻ってきつつ感じたことは、「お父様。あなたが愛する韓国が本当に万民の故郷の地になることができますか?」ということでした。この国は、万民の故郷の地になることはもちろんであり、父の故郷の地にならなければなりません。神様が愛するこの国の民は忠孝を尽くす息子、娘として、この地韓国をして世界を救援できる理念と連結する足場をつくるようにしなければならないというのです。

三〇〇〇万民族が苦しめられ、追われながら、荒廃した山野から吹いてくる冷たい風を受けるのもすてきなことですが、そこに恐ろしい猛獣まで飛びかかる境地にある韓国を、神様の故郷の地としてつくり、万人の祖国としてつくらなければならないことを考えてみなければなりません。

私たちが国のために戦うだけでは神様の国の責任者になることはできません。その国は、世界が行く道に責任を負うことができるし、神様の心を慰め、世界のために神様が行かれるいばらの道を平坦な道にならすことのできる、民族的責任を負った国でなければならないというのです。

私たちには、行かなければならない所があります。そこは、故郷です。故郷に行って父母に会わなければなりません。そうして、父母の法度に従っていかなければなりません。父母がしなければならない責任を私が身代わりし、その心情の因縁を連結させて死亡圏に入っている万民たちを生命の道へ引導して、一つの氏族、民族、国家型をなして泰平天国をつくらなければなりません。

この国は泰平天国になりましたか? 韓国を主となし、万民と万国を万世に幸福にしましたか? そうできなかったというのです。今から韓国がそのような道を築かなければなりません。

このように、神様が行かれる道は、救援摂理の道として私たちが必ず行かなければならない道です。私たちは、父母を探し求めてその国をなし、再び世界を探し求めなければなりません。これが天地が必ず行かなければならない所です。

故郷の地に行って何をするのでしょうか? 父母に会わなければなりません。どれだけ故郷の地だといっても、父母と関連を結ばなければ何もならないというのです。たとえ父母が死んだとしても故郷と関係を結ばなければなりません。そのようにならなければ氏族が現れません。新しい父母、新しい息子、娘が新しい法度を立てた家庭を中心として一体化して氏族を成し、国家を成さなければなりません。(一九六五・一〇・一〇、前本部教会)

3 孝子以上になれ

皆さんは、故郷に帰って誰よりも孝子にならなければなりません。故郷に孝子がいるならば、歴史時代にその地にいた孝子の中の、そのいかなる孝子よりももっと大王の孝子にならなければなりません。忠臣が出たならばそれよりもっと大忠臣にならければなりません。

どれだけ孝子、忠臣になったとしても、真の父母と横的な因縁をもたなければ何の意味もありません。真の父母を中心として横的な父が水平になるとき、縦的な父が現れるのです。完全なマイナスが生ずるとき、完全なプラスが訪れてくるのです。(一九八八・五・二一、本部教会)

4 徹して行け

さあ、皆さんは、どこへ行く人たちですか? 「故郷を訪ねていきます」と言うとき、どこへ行かなければなりませんか? 忠清北道ならば忠清北道の自分の故郷の地を訪ねていかなければなりません。

皆さんが幼かったとき、山で跳び跳ね、そこで花をつみ、草をむしったりしていたいろいろの事由が残っている所、父母を思い出として慕うことのできる刺激的なすべての要因が残っている、その所に行かなければなりません。そのような所へ行って、その山や川を眺め、「昔、私が遊んでいた野原があるし、登ったり下りたりしていた木がこのように大きくなったのだなあ!」とこのように思いながら、一抱えを越す木をかき抱き、その木に登るとき、母が来て、私が落ちるかと思って心配され、涙を流して忠告していたそのような事由をたっぷり感ずることができなければなりません。

また、井戸を見ても私が水を汲んで飲もうとした時、愛するお母さんが来て、井戸に落ちるかと心配しながら大騒ぎしていたそのような事由。また、いたずらっ子の姿で池で泳いだこと、田んぼに入ってどうのこうのしていたすべての事由まで、みな考えることができなければなりません。そのようなことを考え、父を思い、母を思い、その昔、兄弟たちを愛したことなどを思いながら母を探してみると、母はいないし、兄弟もおらず、祖先の墓地を訪れて、「お母さん、私、来ましたよ」と言うとき、涙がポロポロ流れるのです。

故郷をたどり、心情にしみ込んだその心をもって、「お母さん!」と呼ぶとき、涙がひとりでに出てくるのと、何の感ずることもなくさっさと一人で行って、「お母さん、私、来ましたよ」と言うのとどちらが母の心に合うでしょうか? 昔の幼かった時の事情を隅々までよく知って、母を恋しく思い、たっぷりしみ込んだ心をもって墓の前で、「お母さん!」とあいさつするのと、どちらが母にとって望ましい息子だろうかというのです。どのような息子が願わしいですか?

もし、そのような事由を感じながら母のところに涙ぐんで訪ねてくる息子と、そのような事由もなく大統領をやったとか長官をやったとか、出世の欲望をもって、「お母さんの前に福になることのできる息子として来ました」と言う息子と、どちらの息子がもっと心情圏内に近いだろうかというのです? 二番目ですか、一番目ですか? (一番目です)。

それと同じく、統一教会の文総裁が故郷を訪ねていく時は、神様と人類の始祖を中心として本然の心の中でそうあり得るし、また、そのようになることを願ってきたのです。真なる神様の愛を中心として因縁づけられたその世界の、真なる人類の父母と共にたっぷり抱かれ得る息子、娘になり、昔、その園で神様と私たちの真なる父母に侍り、真なる神様と真なる御父母様の愛の中にひたり、天下のすべてのものが神様の懐にあるように私の懐にあり、神様が造られたすべての万物が、私たちの美しさと私たちの価値ある愛を褒めたたえるのを見て、感ずるすべての感激にひたり、「お父様、私、訪ねてきました」と言うのです。そのようにするのと、ただそのまま剛直になり、「あのダンベリー監獄から出てきました」と言いながら涙を流すのとどちらがより必要ですか? (一番目です)。合っています。(一九八八・五・一一、清州教会)

5 主人の本分を果たせ

皆さんも同じです。四十年の間あざ笑ってきた故郷に帰って、主人の本分を果たさなければなりません。新しい祖先の、主人の本分を先生のように果たさなければなりません。

先生は、その主人の本分を果たすために追い出されましたが、皆さんは、歓迎を受けることのできる時代に、主人の本分を果たすようになっています。親の愛がそれほど天にいっぱい満ちたということを考えなければなりません。(一九八八・一〇・八、一和龍仁工場)

先生は昔を静かに考えてみると、私が住んでいた部落の土地、山があるならばその山の深い谷間まで、何が生きているのかをみな究めてみてこそすっきりし、沼があるならば、沼に何の虫がおり、何の魚がいるのかをみな暴き出してみてこそ、心安らかだったのです。そのために夜を徹してその業をしたのです。山をさまよい、隅々までひっくり返してみて、どこに何が生きていると心でもって呼ぶときは、それはどこにいるということが思い出されてこそ心安らかなのです。そのような性格なので天地をそのようにくまなく暴いたのです。

今回、済州道に行ってもそうしました。四方が全部海で取り囲まれているのですが、その中に何がいるのか考えられなければ、どうして生きていけますか。心苦しいのです。海で取り囲まれているのですが、その山に何がいるのか知らずにいると、心苦しかったのです。

ですから、悪魔がおり、神様がいるのですが、悪魔の鉄甲の中に私が入っていると思うといかばかり心苦しいですか? 神様がその中にいる私を呼んでいるのに、その声が聞こえもしないとは。その業を撃破しなければなりません。痕跡も残さず、なくしてしまわなければなりません。そのような業をしてみると、この原理の道が明らかになり、今日、統一教会がその中から蘇生してきたのです。

ですから、皆さんは、その村の本当の主人にならなければなりません。虫までも全部愛し、こうしながら故郷を愛さなければなりません。故郷を愛せないのに国を愛しますという人は偽者なのです。根のない幹があり得ますか? あり得ないというのです。

故郷を愛さなければなりません。そのようにして歓喜に徹して、完成した男性であり、完成した女性として……皆さんは、皆さんの妻を世界と戦って勝利した女王として、韓国のすべての怨讐を平定して勝利した女王として、夫に侍る立派な方として侍ることができます。また妻は、夫をそのような王として侍ることのできる夫婦として出会った間であるということを知らなければなりません。

この愛を中心として億万世と連結されている一つの構造体、その構成体を成した一つの部分であり、私は国家を代表し、天地を代表し、神様を代表した一つの愛の世界であるというとき、神様は、「ノー」とは言われないというのです。皆さんの故郷でそうであり得る、主人たる権威を誇る人にならなければなりません。

皆さんの息子、娘がその伝統を受け継ぎ、そのようにならなければならないのです。そのような伝統を受け継ぐことのできる子々孫々を残すようになるとき、この氏族基準を中心とした個人時代、家庭時代へ大きくなっていってもよいというのです。どれだけでも上がっていってもよいのです。

ですから、故郷を愛の血の涙でぬらして、そこに皆さんが定着することができる起源地につくらなければなりません。祖先になるのです。先祖なのです、元祖。元来の祖先なのです。元来の祖先の心情圏をもたずしては、故郷に神様の道理を広めることができないというのが原理の教えです。(一九八八・六・一、本部教会)

今や皆さんは、天の国の愛の僕生活をすると思いなさいというのです。天の国を建てる愛の僕生活であり、愛の秘密決死隊員であり、スパイ工作情報員だと思いなさいというのです。そうであるならば、できないことがありますか? 生きるためには、男が女の真似もできるのであり、乞食の業もすることができるのです。国を生かすためには、自分の一族を生かし、自分の国を生かすためには、私はそれ以上することができるという心の姿勢をもち、実際行動をそのようにするときは、部落は黙って自然屈伏するのです。(一九八九・一・三、漢南洞公館)

6 氏族の種になれ

今日、皆さんは、故郷に帰って種になる存在にならなければなりません。そして、その種が植えられて大韓民国はもちろんのこと、天地が訪ねていくことができる、神様がいつでも訪ねていきたい環境を残すことができなければなりません。そのようにしておいてあの世に行くようになれば、天の国の息子、娘として愛を受けて生きるに違いありません。このような生涯路程を今から定立しなければなりません。

(一九九〇・一・一四、本部教会)

先生が、「故郷を訪ねていけ」と言えば、故郷を訪ねていくことが種を植えることではありませんか? 新しい種を植えるのです。アダム・エバの種になったので、皆さんを通じて新しい種を植えて、新しい根を差し込もうとするのです。ですから、新しい種を植えるには、肥料をもってきて注がなければならないのです。ですから、悪口を言われに行かなければならないのですね? 善意の悪口を言われ、苦労をたくさんしなければなりません。三年してみなさい。三年も必要ありません。六カ月あれば、みな終わると見るのです。昔、皆さんが一次の伝道に出ていくときも故郷の代わりの地に行って、一二〇軒をつくって、教会をつくりなさいと追い出した時があったでしょう? それ、みな失敗したでしょう? その次にホーム・チャーチをしなさいと言ったのに、それも失敗したでしょう? 今や最後です。最後だというのです。(一九九一・八・二九、国際研修院)

歴史的なすべての被造世界、人類の男・女、家庭のすべての種として祝福してあげたのです。種だというのです。数多くの家庭が育ってきましたが、天地が必要とし、神様が必要とする家庭ではありませんでした。それは、種ではありません。

氏族的メシヤとして行けというのは、そこに生まれたものが全部偽物、野生のオリーブなので、汝の氏族に新しい種を植えて、真のオリーブが出るようにし、切って接ぎ木し、真のオリーブの畑をつくりなさいということなのです。その一族においては、それ以上の福音がありません。国を探し求めるよりも、世界を探し求めるよりも、天地を探し求めるよりももっと貴いのです。

統一教会はそのような貴いものをもっているし、文先生が神様を身代わりしてそれを任命する資格があるので、霊界のすべての死んで行った皆さんの先祖たちは、目を上向きに開けて……数千年数万年間、この時間をどれだけ待ち焦がれたことでしょうか? 皆さんの一生が問題ではありません。先祖の生命力を中心として、標的として生まれたのです。今まで先祖たちは、永遠なあの霊界に行って、彼らのあきあきする生の環境が反転し得る、喜びの一日を待ち焦がれてきたことを考えるとき、今やふたが開かれて旗を掲げ、先祖を動員し、一族を動員して命令することのできる覇権者が来たという事実は、その一族には最高の福だというのです。

その植える時間は、いつでもあるのではないのです。分かりますか? 植えるのは、誰でも、いつの時でもできるのではありません。種として選ばれたといっても、腐ることもあります。み旨の一念、神様が願い、師が願うその一念から自分の故郷に行って真に満ちた種になって育ち、真のオリーブの木の枝を伸ばして、その枝を切ってあげなければなりません。切ってあげて全部、接ぎ木してあげなければなりません。天使長の死亡の根、悪魔の根をもった一族たちの根本を切ってしまい、真の父母の根、真なるアダムの根、神様の愛と責任分担を完成した理念の中で一体となり、誰も分立させることのできない、絶対的な愛を中心とした根から出てきた枝を接ぎ木しておくことによって、永生の版図が自分の一族圏内に拡張されるという驚くべき事実を知らなければなりません。(一九九〇・一・一四、本部教会)

7 氏族復帰のためには一体一心になれ

天は、いつも私たちが行く前に、みな準備しているのです。その準備しているものを受け継ぐことのできる業ができないので、いつも失ってしまい、どれだけ天の御苦労に損害を、被害を被らせているのかを知らなければなりません。

皆さんも統一教会に来る時、反対され、深刻になって出てきた人が多いでしょう? 今回、入っていくとき、いかばかり深刻ですか? その反対していた地域を完全に占領し、のみならず反対されていた師が戦っている祖国のために、私が協助し愛国者にならなければなりません。氏族を建設して愛国者の先鋒者になるという、その道が残っていることを知らなければなりません。氏族を救助できないならば、愛国者になることができません。そのような心をもって帰っていって、熱心に動かなければなりません。

その過程は簡単です。カイン、アベルが合わさるのです。体と心が一つにならなければなりません。皆さんの父母に、体と心が一つになって対さなければなりません。これが訓示なのです、訓示。統一の秘訣はこれです。体と心が完全に一つになれなかった人が統一を願うのは嘘です。その心がみ旨のための心であり、その体がみ旨のための体なのです。心の生活がみ旨のための生活ですから、体の生活もみ旨のための生活なのです。心と体が和することのできる間なのです。それが分かっていなければなりません。

父母が一つになって子供まで一つになるとき、家庭を中心として氏族圏を復帰することができるのです。皆さん、祝福家庭が多いので帰る家庭が多いですから、そうであるならば、この家庭は全部、自分を投入しなければなりません。食口全体が氏族復帰のために一心一体にならなければなりません。息子であれ誰であれ全部、そうでなければなりません。こうして、おじいさん、おばあさんが全部、皆さんの家に行って、「お前の家が良いからお前の家で住みます」と訪ねてこなければなりません。そのおじいさん、おばあさんを送り返すならば、涙を流しながら戻っていくという情状が今から現れるのです。父母もそうであり、姉、弟妹たちにもそのようなことが起こるのです。(一九八九・一・三、漢南洞公館)

! 氏族同士連合せよ

韓国統一というものは、統一教会の文先生を中心として統一教会の信徒たちが完全にプラス・マイナスになって、私が縦的な所にあれば、統一教会の信徒は、横的基準で走ればよいのです。私が国のためにこの基盤を築いたので、皆さんが南北統一のための基盤を築くときは、氏族を連合せよというのです。(一九八九・一・八、本部教会)

中心氏族を早く復帰した人たちは、今からは、すべての国を一つの国として動かすことのできる責任者として登場するのです。ですから、氏族をかけて行かなければなりません。イスラエル民族がモーセに従っていきながら滅びるようになったのは何ゆえかといえば、氏族同士が一つになれなかったからです。

世界的に見るならば、十二支派が、十二から三十六へ、三六〇になりました。そこに全部、吸収されなければなりません。それが反対に合わされなければならないのです。(一九八九・四・一、ベルベディア修練所)

9 氏族を中心として競争せよ

きょう、皆さんが考えなければならないことは何でしょうか? (一人の食口を指しながら)君の姓は何ですか? (モーリスです)。モーリスであるならばモーリス、君はアメリカを代表したのではありません。君の氏族を代表したメシヤです、メシヤ。そのようになるならばアメリカを君に任すというのです。アメリカの国を君に任せて救ってくれというのです。国を救う責任を任すというのです。何の話か分かりますか? (はい)。

統一教会の信徒たち、今から競争です。氏族を中心として競争です。誰がナンバーワンの氏族をつくるのかというのです。皆さんの先祖たちもそれを知っては、「私たちが勝たなければなりません! どうしてじっとしていますか? 出ていって活動しなさい! 活動しなさい!」と言いながら、互いに競争するというのです。(一九八八・一一・一三、ベルベディア修練所)

10 氏族的メシヤは自立せよ

先生が今しなければならないのは、世界の運勢を連結させることです。世界の運勢を連結させるように、今、みな準備できているのです。この南北が平定化され、道を貫いて交流するすべての基盤ができるならば、世界は直ちに一つの世界へと越えていくのです。ですから、今年から早くすればするほど、すべてのことが早まるのです。そこに、もてる精誠を尽くして総進軍しますように! (アーメン!)。

今からは、私が皆さんの所に訪ねていかずとも、独自的にすることができますね? (はい)。皆さんは、家庭をもった人たちではありませんか? 氏族的メシヤたちなのに、メシヤに誰が手助けしてくれますか? 手助けするならば、本物になれないのです。本物は他にないのです。氏族的メシヤに誰が手助けするのかというのです。メシヤが、国に手助けしなければならないのですね? そうではありませんか? 彼らが国に手助けしなければならないのであって、国が彼らに手助けしてはいけないのです。

税金を誰が出さなければなりませんか? 国が税金を出さなければなりませんか、皆さんが税金を出さなければなりませんか? (私たちが出さなければなりません)。氏族が出さなければならないのです。

(一九八九・一・三、漢南洞公館)

氏族的メシヤが来て手助けしてくれと言えば、それでよいですか? 協会長! 言ってみなさい。先生は、手助けしてくれという祈祷を一度もしませんでした。それを手助けするならば、さなぎになります。さなぎが何か分かりますか?

祈祷する前に何倍、何十倍熱心にしなさいというのです。死ぬくらいに力を尽くしても駄目なら、祈祷しなさいというのです。少ししても伝道ができるし、祈祷しなくてもお金がついてくるのです。そういうものです。(一九九〇・五・二五、漢南洞公館)

11 故郷で四年は走れ

氏族的メシヤのためには、もてる力を尽くさなければなりません。一つだけでもできた日には、祝福してあげるようになっています。昔は、先生が全部迫害を受けながら発展したのですが、皆さんは今、一族が歓迎するのです。祖先たちが直接後援するようになっています。全部教えるようになっているのです。それは、分かりますね? 統一教会の人たちは、おめでたく見えてもみな、霊界から教えてくれるので残っています。先生が良くて従っていこうとしますか? 先生に従っていくのがどれだけ疲れますか? そうでしょう? しかし、今では疲れません。四年苦労するならば、統一教会の信徒たちは幸運をつかむのです。(一九八九・二・五、本部教会)

今からは、皆さんは口を閉じていてはいけません。集ってくるならば、先生が一九五〇年代に七年間二時間以上眠らず、皆さんを昼夜教えたのと同じく、夜昼なしに約七年間してみなさい。七年間もしなくてよいです。四年もかかりません。四カ月以内に、みな終わるのです。私が故郷に行くようになれば、たちまちのうちに統一してしまうのです。

ですから、父母によく教えてあげなければなりません。兄弟たちに真実なる意味ではっきりと教えてあげなければなりません。自分の手で、他人の口を借りず、皆さんの血の汗を通じて教えてあげなければなりません。精誠を込めて教える態度を、その姿勢を父母が手本にし、お兄さん、お姉さん、弟妹たちが手本にし、甥、姪たちが手本にするならば、「私たちの家の宝である私のおじさん。私の弟妹、お姉さん、うちの息子、娘」と、このようになるのです。(一九八九・一・三、漢南洞公館)

12 心情の根を下ろせ

今までは、事実上、他郷生活でした。今からは、自分の故郷を訪ねていくのです。故郷に行って涙を流し、精誠を尽くさなければなりません。

イスラエル民族がエジプトに行って四〇〇年間生きたのと同じく、私たちは四十三年間その業をしましたから、故郷に帰って愛の根を下ろさなければなりません。神様を愛し、父母を愛し、兄弟を愛さなければなりません。そして、世界的サタンが讒訴する起源を断ち切ってしまわなければなりません。イスラエル民族はそれができなかったので、カナンの福地の理想天国を形成することができませんでした。ですから、サタン世界に何も願うなというのです。荷物を背負って往来するとしても、私たちが一番なのです。悪口を言われ、夜に町内の犬がほえても、私たちが一番なのです。そのような自負心をもち、父母も堂々と部落の天地を愛の喚声とともに消化する業に同参して、前進しなければならないということをよく記憶し、戦ってくれることを願います。(一九八八・六・一、本部教会)

それでは、今や皆さんは故郷に行って何をしなければならないのでしょうか? 争えというのではありません。心情の根を打ち込み、芽が出るように努力せよというのです。ところで、その故郷で数千年、数百年の歴史を通じて生きてきた先祖の中には、国のために生きた忠臣もいるし、あるいは烈女、孝子、孝女も多かったはずです。その人たちに負けないように、それ以上にしなければならないのです。それが条件です。その地の上で生きて死んでいった人の中に愛国者がいるならば、そのいかなる愛国者でも霊界に行けば、彼らが黙って皆さんに、「立派でした」と頭を下げるようにしなければならないのです。彼らは地上では、サタン圏内で生きたのです。しかし、今や本然の心情を中心として故郷の地に根を下ろした立場で、神様を中心として出発するその心情的祖先の芽に、善なる天使長の立場に立った私たちに、対抗し得るのかというのです。それで自然に頭を下げるようにする基盤を全体的に形成せよというのです。

そうするならば霊界が協助するのです。霊界が協助してその一族全部を、近い群れを全部集めて皆さんの前にひきずり込むのです。そうすることによって皆さんを中心として霊界が、神様を中心として霊界の霊たちが降りてきて取り巻くのです。善なる霊たちが取り巻くので、悪なるサタンが侵犯することができない圏内になるというのです。それで、その基準を中心として本然の真なる祖先の位置を心情的因縁で受け継ぎ、新しく植えたのと同じ基盤になったので、その基盤を中心として皆さんの一族が、おじいさん、おばあさん、誰ということなしに頭を下げることができるようになるのです。

ですから、ために生きなさいというのです。ために活動するのです。一族を復活させることのできる、一族を代表した氏族的メシヤの使命を果たすのです。

そのようにして皆さんの一族が協助するようになるときは、村が協助するのです。そして統一教会にたくさんの人たちが入ってくるようになるならば、家庭基準から氏族基準に連結されるのです。郡と郡は、自動的に道へ連結されるのです。幾重にも重なり合って連結されるのです。(一九八八・五・一五、本部教会)

今、はっきりと分かり両手を挙げ、誓いますから、すべてのことを栄光として受けてくださいまして、真の父母の名前を通じ神様の名前と共に万宇宙に宣布いたしますこのことを、実質的な宣布として天上世界の生命録に記録してくださいますことをお願い申し上げます。歴史に記録され得るこの時間になりましたから、喜びとしてこれを受けてくださいますことをお願い申し上げます。

今や万民が国境を越えて、大韓民国を中心といたしまして、どこであっても自分の故郷へ連結させることのできる地上天国世界の中央本部が生じたという事実を、本郷の祖先の基地が真なる愛を中心として定着することのできる一つの国家基準が立ったということを、すべての国がここに相対圏を中心として縦横の角度でもって連結され得る平行線を備えるようになるときは、いかなる国にもサタンが手を出すことのできない時だということを知りました。

今やあなたの息子、娘たちが帰りまして、氏族的メシヤの使命を迫害なしに、イエス様が願っていた勝利の基盤を中心として国家を越え、世界を連ねることができる心情的基盤の基台を守ることのできる氏族の主人になりますと決心しますから、これらの者たちのために、お父様、祝願してくださいますよう切にお願い申し上げます。

恨みの多い歴史時代に宗教の門をたたいたすべての人たちは、出家を決心し、家庭を捨てようとし、国に背反し、国に背を向けて後ろ向きにならなければなりませんでした。今後、国に、自分の故郷に侍り、父母に侍って、天と共に褒めたたえることのできる勝利的世界がなされたこの喜ばしい時代を忘れ、失ってしまう群れたちが、背道の群れたちにならないようにお許しくださいますようお願い申し上げます。順道の群れになり、天の国の因縁に従い、支派編成に加入し、天の一族になることができるよう祝福してくださいますことをお父様、切にお願い申し上げます。

この時間、このような祈祷をおささげすることのできるこの場をお父様がいかばかり待ち焦がれ、また私の生涯をかけての願いであったということを御存じのお父様、今やこのような時を迎え、従っております統一教会の信徒たちを解放させ、慰労しなければならないにもかかわらず、自分の氏族を中心として、復帰しなければならない責任を果たさなければ南韓の地が生きることができず、北韓の地が生きることができないということが分かるようになりました。このことを知るようになるとき、また再び十字架の道、自分の家庭を中心として、自分の父、母を地上にお迎えするためには、この地に来られた真の父母が神様をこの地上にお迎えするために愛の十字架を負われたのと同じく、また再び子供たる道理を身代わりしなければなりません。そうして、父母に侍ることのできる、十字架を負うその道を耐えて成す業をしなければなりません。そのような業をしなければならない氏族的メシヤ権を付与しましたからお父様、全体祖先を動員し、全体千々万の先祖たちを動員され、過去に私に協助してくださったのと同じく天が協助してくださいますことを切にお願い申し上げます。

統一の群れたちが天上世界のすべての因縁に従い、統合することのできる運勢を地上世界に宣布いたします。この氏族的メシヤと世界的メシヤを中心として、世界的な中心たるお父様と連結させ、解放圏を成すことにより、万民解放の祖先たちになることのできる人々になり、祖先を占めた国をつくり、世界を占める民になることができる群れにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。

真の父母もこの日を喜ばしい日として受け、国の希望の日として立てたゆえ、お父様、祝福してくださいますようお願い申し上げます。

万世の因縁に従って努力し、摂理の愛にすがっていく、このようなみ旨を背負ったこれらの者たちが行く道の前に、万事が都合よく運ぶことを願いながら、万々世々のように勝利の栄光がこれらの者たちを取り囲み、これらの者たちの行く道のどこでありましても現れるよう、お許しくださいますことをお願い申し上げます。

強く大胆でなければなりません。天の主体性を失わず強く大胆な心をもち、自分の父母たちを収拾し、自分の祖先たちを収拾し、自分の親戚と環境を収拾するメシヤ的権威を植えておくことができますように、お許しくださいますことを切にお願い申し上げます。

備えの足りない位置におりましても、今のような名前をこれらの者たちに命名いたしますから、十分なる愛をもち、さらに大きな後援の量を補充してくださいまして、平準化基準に立つことができますよう復帰氏族圏を拡大させ、国と南北統一の世界へ進展するようにお許しくださいますようお願い申し上げます。アジアと世界へ連結させ、天の解放まで連結しますようお許しくださいますよう切にお願い申し上げながら、このすべてのみ言を真の御父母様のみ名により宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。(一九八九・一・三、漢南洞公館、一九八九・一・八、本部教会)

三 達成すべき目標

1 心情の基台

私はきょうも忙しいのに何をしに来たのかといえば、天的な蕩減条件を立てて勝利することによって、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙的基準まで失ってしまったものを探し求めてきて、今日、三千里半島にいる統一の息子、娘の前に全部、伝授してあげようとするのです。真の愛を中心として相続権があるとそう語りましたね? (はい)。同位権があるとそう語りましたね? (はい)。同参権があると語りましたね? (はい)。

ですから、「私は、世界を代表した者だ! 私の手によって大韓民国を、南北を統一し、私たちの一族を統一する! 私は、真なる祖先として残らなければならない!」というそのような確信をもたなければならないのです。そうすることによって、今や先生と連結された天運を受け継ぐのです。

それで、今回、南北統一をする前にしなければならないことは何かといえば、故郷に行って、故郷にいるすべての先祖たち、故郷に住むすべての人たちが真実、皆さんを愛するようにつくらなければなりません。それが皆さんの課題なのです。復帰された長子権をもって帰るのです。ですから、反対しようとするならば胸がドキドキするのです。そのように信じなさい。分かりますか? 「これは押されるなあ」と思って激しく押すならば転がっていくというのです。今や私が行く道には、私の一族が解放され、天国一族が解放され、私の国が解放され、私の世界が解放され、私が行かなければならない天国が解放されるのです。そのような代表者だというのです、代表者。

なぜでしょうか? 皆さんは、真の父母の前に真の子女の名分をもったので相続権、同位権を付与することができるのです。このような天の特権的事実を信じ、すべてのことを愛の圏内に投入しなければなりません。神様が投入したのと同じく皆さんが完全に投入することによって一族が復活するのであり、一族が復活するにつれて一国が復活するのです。(一九八八・五・一七、本部教会)

皆さん、どのようにして先生は皆さんを故郷に送ったのでしょうか? 故郷に送ったのは、左右において九十度の角度を帯びるようにするためです。氏族的神様のみ旨を中心として故郷に送るようになったので、これが一八〇度回っていかなければならないのですが、一八〇度回っていく前に九十度の角度を乗り越えなければなりません。皆さんの故郷です。誰も反対できないようになっています。世界的な勝利の版図を築いたので御父母様が築いてくださった公義の基台を通じて、勝利の基台を中心として皆さんの故郷に帰らなければなりません。そうして先生と一緒に、蕩減歴史を闘争歴史の手本として、愛の実体として、そのすべての存在世界とその一族全体、後孫までが皆さんの前に頭を下げて愛の祖先であると言い、敬拝することのできる位置に立たなければなりません。そのようにできなければ、故郷をもてないというのです。(一九八八・八・二〇、一和龍仁工場)

善意の戦いを一度してみますか? (はい)。皆さんの父母、皆さんの一族を天国に送るための戦いなのです。ですから、訪ねていって戦わなければなりません。

先生は、七年間一日に二時間しか眠りませんでした。皆さんもそうしなければなりません。私は劉協会長に三年半の間、(一日に)十六時間ずつ講義させました。私は劉協会長が難しいと言う時、「この者め、誰を殺そうと横になっていますか? 先生に横になりますと話もしないで横になっていますか?」と言って訓練していたことが、今思えば胸が痛いのです。その人、先生が好きだったのですね。醤蝦(注:エビの類の極めて微小なもの)というものがあるではありませんか? 醤蝦? わあ、臭いがくさくてその横にも行けないのですが、それをうまいといって、手でこうして食べていたのが今も目に鮮やかです。今は、アメリカに場が生じて、牛肉の骨つき肉や肋肉の片方全部をダースで持っていって満たしておき、食べさせることのできる局面になったのに、そのようにかわいそうに生きていたことを考えるならば、胸が痛い時があります。なぜこのようにしたのでしょうか? 伝統を立てるためにそういう業をしました。

皆さん、今からみ言の宣布をしなければなりません。今から原理宣布といって皆さんの町内で、八時間であれ何時間であれ、夜を徹して、私が七年間したように皆さんもそのようにしなさい。七年もかかりません。七カ月するならばみな、回っていくのです。私がそのようになるならば、トラックに何かを積んで行くかもしれないですね。一族が私を招待して、ですね。

一族が招待するならば、私がそこに招待を受けなければならないでしょうか、受けないほうがよいでしょうか? (受けなければなりません)。なぜ受けなければなりませんか? カイン、アベルが一つになるところは、神様が臨在するようになっています。氏族が一つになるときは、文総裁はいつでも訪ねていくことができるのです。

私が訪ねていくならば、その一族全部、皆さんのおじいさん、おばあさん、一家を率いて十二人以上、一二〇名集まって、私たちの御先祖様が来られたと敬拝できるようにならなければならないのです。それが皆さんの願いです。(一九八九・一・八、本部教会)

2 国家的メシヤ圏確保

今からは、皆さんが全部、氏族的メシヤなのです。氏族的メシヤを全部配置しましたから、国家的メシヤ圏をつくらなければなりません。(一九九〇・三・二七、ベルベディア修練所)

3 郷里で果たすべき責任

今からは、教会を後ろに置いて全部、家に行き、自分がよく食べ、良い生活をしようと思ってはいけないのです。まず帰ってしなければならないことは何かといえば、教会を整備しなければなりません。その次には、自分の息子、娘が後ろ指を指されてはいけません。もらい食いする、物もらいになって、世話になるようではいけません。血の汗を流し、正義の真なる血肉の価値を通じたその基盤で息子、娘を食べさせ生かし、息子、娘に新しい伝統を教育しなければなりません。のみならず、自分の一身を投入してその一族を生かしたのちに、一族が私を落ち着かすようにしてこそ私が生きるのです。そうでなければきれいに祭物として消え去るという犠牲的精神をもたなければなりません。そのような精神をもった相続者たちがおらずしては、この南韓の地が天国基地として残ることのできる国家の要所が準備されないということをはっきりと知らなければなりません。

真なる故郷で真なる主人になるには、個人としてではないのです。その主人は、自分の氏族を代表した責任者としての主人であり、氏族を率いた者としての主人であり、民族十二支派であるならば、十二支派長を代表することのできる主人であり、さらに乗り越えては、国を代表することのできる主人であり、世界を代表することのできるメシヤ的代行者としての主人です。天地を代表し、神様を身代わりして、神様と真の父母を解放するための真に満ちた忠臣として、勝利者として、主人の責任を果たしますというのが、統一教会の信徒たちが郷里に帰ってしなければならない責任と任務だということをはっきりと知りますように! (アーメン)。(拍手)(一九八八・五・一七、釜山教会)

自分の故郷を中心として、新しい種として植えられ得る父母の赤い血筋がそこに埋められ、すべての山野、山川がそのすべての犠牲の代価を褒めたたえることができるように、頭を下げるようにつくらなければなりません。そこに植えられ、花が咲くならば、初めの花は天の花であり、二番目の花は御父母様の花として、三番目の花は自分の長男の花として、四番目の花は自分のものとして定めると思わなければなりません。この者たち! 適当にしますか? とんでもないです。(一九八八・一〇・三、一和龍仁工場)

四 故郷で活動する時の姿勢

1 うらやましがるな

エジプトから帰ったイスラエル民族が、カナン七族を前に、なぜ滅びたのでしょうか? 彼らが帰ってきつつ、どのようなことを考えたのでしょうか? 四十年の間、砂漠を巡り歩きながら生きたので、その姿はいかばかりだったでしょうか? 服などまともに着ていたでしょうか? 砂、砂、砂、砂の中で生きたというのです。そこで入浴などしたでしょうか? ところが戻ってきてみると、カナン七族には、立派な家があるし、羊がいるし、農土があるし、良い生活をしているのですね? カナンに入ってくるや否や先祖たちが教えなければならないことは、そのカナンの地の娘たち、男たちをうらやましがるなと言わなければならなかったのです。そこに染まってはいけないということを教えられなかったのです。

今回、故郷に帰る皆さんもカナンの福地に入っていったイスラエル民族と同じなので、皆さんは故郷に帰ってお金持ちの人をうらやましがってはいけません! 権力者をうらやましがってはいけません! 浮わついてはいけません! 正しい教育をしなければなりません。神様を愛し、自分の後代を愛し、イスラエル圏の自分の民族を愛することのできる伝統が第一なのです。

皆さんが子供を抱いて教会に出入りするとき、彼らに吸収されてはいけません。何千年ぶりに何万年ぶりに故郷に帰ってきた還故郷の喜びをもち、細胞と骨から響き出る泣き声とともに、血の涙でもってその地をぬらし、天から血の涙をぬらした聖なる地であるという名前が下ってこなければなりません。そこから天国が始まるというのです。                              (一九八八・五・二〇、大邱教会)

故郷に戻っていって皆さんは、故郷を復活させなければなりません。故郷が連結されたのではないのです。そのような使命があるのです。

イスラエル民族はそれができませんでした。四十年の間に、乞食の群れになって戻ってきては、よく食べ、良い生活をしているカナン七族がうらやましく、彼らのもっている羊の子がうらやましく、家がうらやましかったのです。天幕を張って住む身の上でしたから。このようにして国を売り飛ばし、神様を売り飛ばしたのです。(一九八八・四・六、漢南洞公館)

2 強く大胆であれ

今までの宗教的救援基台は、個人的基台です。しかし、今は、別の基台です。家庭と一つになってすべての氏族がもっと高い天国を代表することのできるそのような基準です。家庭的な基盤の上に立っているのです。ですから自信をもてというのです。そうであろうとするならば、強く大胆であれと語ったのですが、どのようにしてこそ強く大胆であれるだろうかというのです。(一九八八・一二・二〇、イースト・ガーデン)

今からは皆さんが故郷へ帰るとき、インディアンのような怨讐がいないのです。皆さんが故郷へ帰るのに、インディアンのように皆さんを襲撃する怨讐がいないのです。皆さんを歓迎する故郷があるという事実、これは驚くべきことなのです。

レバレンド・ムーンがこの国で、言い尽くせないほどに苦労したので、義人だという世論が起こっているということと、皆さんが愛国的な仕事をしたということをずっと報告するならば、全部、涙を流し、よくやったと拍手をするのです。

今や皆さんは、故郷に帰って二十歳前後、中・高校生たちがいる学校に行って講義してみなさい。くるっと回っていくというのです。くるっと回っていきます。二十歳前後は、皆さんの仲間なのです。二十歳以上はお兄さんであるし、二十歳以下は弟妹と同じです。皆さんの仲間なのです。自然に合わさるようになっているというのです。二十歳前後は、皆さんの分担なのです。問題が生ずるならば皆さんに従っていくのです。

そのような環境が待っていますが、どこへ行きますか? ここにそのままいなければなりませんか? 故郷に下っていかなければなりませんか? (故郷に行かなければなりません)。それで、皆さんが祖先になりなさいというのです。皆さんに今から、祖先になりなさいというのです。これは、とてつもない事実なのです。統一教会の信徒たちは、全体計画によってそのような時代に入っていくというのです。

また、皆さんは祝福を受けた家庭ですから、サタンが讒訴できないのです。ですから、強く大胆でありなさい。ぶつかるならば、彼らが壊れるのであって、私たちは壊れません。原理的にサタンが讒訴できるいかなる条件もありません。原理的に彼らが攻勢を受けなければなりません。後退しなければなりません。

皆さん、その間牧師たちも伝道し、地方の有志たちも伝道し、みなそうしましたから、故郷に帰ってそれ一つをつくるのは問題ないではありませんか? そうではありませんか?(一九八八・六・一五、イースト・ガーデン)

今は、北韓もソ連も、全部飽和状態にあります。思いどおりにしようとするのですが、文総裁が手を出すので思いどおりにできないのです。何のことか分かりますか? 原理的基準において、既にサタン圏内を抜け出た世界版図的勝利の父母の心情圏を中心として、真の愛を中心として基盤を築いたので、それを侵犯したならば、サタン世界はめちゃくちゃになるのです。今では、統一教会を打つことができない時代に来たということを知らなければなりません。自信をもちなさいというのです。強く大胆であれというのです。ヨシュアがカナンの地に入っていくとき、四十年の間、放浪生活し、悲惨になった後孫に対して強く大胆であれと命令したのです。その命令を受けた後孫たちがカナンの地に入っていくとき、乞食の身の上で入っていきました。四十年の間、荒野生活をしたので、乞食の中の乞食であり、パンツの一枚もあっただろうかと思ってみなさい。暮らし向きが人間らしくなかったのですね。砂の冠を被って入っていったのではありませんか? カナンの地に入っていってみると、そこのカナンの七族には羊もいるし、家もあるし、それで息子、娘が良い暮らしをするし、すべて良い暮らしをしているのです。

そうであるとしても、そこに幻惑されてはいけません。彼らの父親、母親たちが、「お前たちが住む所はこの地ではなく、この地を越えてもっと高い世界に向かって、神様の王国に向かって前進しなければならない責任が残っている」と訓示しなければならないというのです。(一九八五・五・一七、釜山教会)

3 強い信念をもて

皆さんは強い信念だけをしっかりもって行くならば、皆さんの祖先たちが、お母さんであれ誰であれ親戚が押してびくともできないように、口を開けないように圧力を加えるというのです。「私の言うことを聞け」という式です。なぜそうなのでしょうか? 堕落した悪なる霊は立ち去り、善なる圏内の本然の氏族的基盤を中心として父母と連結され得る、国家的基準まで連結された御父母様と世界的基準までサタンを押してきた基盤の上に立ったので、サタンは立ち去り、天使長型霊界のすべての皆さんの祖先たちが協助するようになっています。

(一九八九・三・一九、世界宣教本部)

4 三倍以上活動せよ

今回、先生が韓国に戻っていって何をしたのかといえば、全部、自分の故郷を訪ねていけと追い出しました。全部、故郷へ配置したのです。故郷に帰って、今まで外部で、外国で活動してきたことの五倍以上、三倍以上活動せよと語ったのです。そうするならばくるっと回ってくるというのです。

祭司長になれというのです。それで、先生の命令に従って新しい心情を植えなさいというのです。そうするならば、サタンが干渉できません。そのような決心をしていく皆さんの立場は、堕落する前のアダム・エバの立場に匹敵するというのです。天使長、皆さんの祖先たちがみな来て、「ヨイショ、ヨイショ」と後押しするというのです。

皆さんが一つ鉄則として知らなければならないことは、その地方で生まれた忠臣、愛国者、孝子、教会の牧師たちが尽くした精誠以上に精誠を尽くしなさいということです。そうするならば彼らが全部、協助するというのです。それが条件なのです。そのようにするならば、サタンが讒訴することのできる圏以上の位置に立つようになるので、サタンが反対せず、霊界の協助により皆さんの祖先たちが後孫たちに現れて全部、統一教会に入っていけと霊的に協助し、伝道するというのです。(一九八八・六・一五、イースト・ガーデン)

さあ、それで故郷に行く皆さんは、農村で農業をするならば、農民の中で最高になり、学校に通うならば、学校に通う学生たちの中で最高の学生にならなければなりません。(一九八八・五・一一、清州教会)

故郷を愛さなければなりません。今までは考えなかった故郷に、博士たちも帰っていくのです。故郷の山川を愛さなければなりません。皆さんのおじいさん、おばあさんたちが土地を掘り、血の汗を流した、それ以上愛さなければなりません。これが文先生が行った道なのです。

ここにいる李博士、学校に通うとしても、どこかの土地に行って稲刈りをしてみましたか? 今や帰って、草刈り鎌を握って汗を流した祖先たちを考えながら、それ以上に汗を流せというのです。田んぼの畝間を掘り、まぐさを刈って牛にも食べさせてみなさい。祖先たちがした以上のことをしなければなりません。だからといって万年せよというのではないのです。条件なりとも立てなければなりません。そうしてこそ皆さんの祖先たちが再臨することができるのです。何の話か分かりますか? その町内で生きて死んでいった霊たちが、土地を訪れ、因縁を訪ねていって、そのような人たちに再臨して恵沢を受けていくのです。

自分の家の中を切り回すことのできない人は、国を救うことができません。修身斉家治国平天下と、そう言ったではありませんか。それは合っている言葉なのです。

私も家の中を切り回せませんでした。今までの戦いは、カイン兄弟間の戦いでした。家の中の戦いではありませんでした。父母に侍れなかったというのです。それで、還故郷して神様に侍り、長子権と次子権を探し求めて南北を一つにつくらなければなりません。そして真の父母の名前をもって祖先たちと合わさり、神様の前にこの国を奉献しなければならない責任が文総裁にあります。(一九八八・四・六、漢南洞公館)

5 氏族を愛し地を愛せよ

故郷に帰ったのちに、夫婦同士争ってはいけないのです。飢えながらも、争ってはいけません。悪口を言われながらも争ってはいけないし、泣くとしても自分のために泣いてはいけません。その一族のために泣かなければなりません。私たちの故郷の父母たちが、私たちの祖先たちが天に侍れず、涙を流せず、この土地を耕せなかったことを、私が還故郷してしますと言わなければなりません。地を愛し、民を愛する父親、主人が来たということのできる、神様の代わりにその郷里を保護することのできる、また、先生の代わりに郷土を愛することのできる皆さんになることによって、韓国領土には天国が訪れてくるのです。分かりますか? 通り過ぎる言葉だと思ってはいけません。

それでは、帰るという人、手を挙げてみなさい。帰らないという人、いることができますか? そういう者は、腕を打ってしまわなければならないのですね。私も故郷に行けば、いかばかり……。ここの三十八度線が開かれるならば、私が先に行くのですが……。

還故郷して氏族的メシヤになるにあたっては、迫害がないので、み言さえ語るならばみな収拾されるようになっているのです。(一九八九・一・一、本部教会)

それでは今から、「故郷に帰れ。還故郷せよ」と語ったその時から、文氏の息子、娘を皆さんよりももっと愛さなければなりませんか、皆さんを文氏の息子、娘よりもっと愛さなければなりませんか? (文氏の息子、娘をもっと愛さなければなりません)。今の時は、先生が教えてあげたとおり、アベル圏を犠牲にしてカインを復帰する時代なのです。世界史的な転換時代に入ってきたので、アベルが長子権を復帰する時代なので、全部故郷へ帰るのです。

それを故郷のサタンは反対できないというのです。特にその上、宴会のもちをもらって食べた人たちは、全部条件に引っかかって、先祖たちが必ず霊界で何千倍、何万倍も問題になるのです。そうとは知らず、普通のもちだと思い、もちを一個食べたのですが、それが福もちだと知らなかったのですね? そうではありませんか? 間違って食べ、薬が入っていたならば死ぬのですね? これ、生きるもちだと知らずに食べたのです。

ですから、自分の故郷に帰り、今からは統一教会の信徒たちが還故郷したので、世界の統一教会より自分の氏族をもっと愛せよというのです。先生が命令することはそれなのです。統一教会の信徒よりも、自分の一族をもっと愛して、一族の王になれというのです。もう一度言うならば、氏族的メシヤになれというのです。氏族的メシヤの基盤が起こってこそ、民族的メシヤが立つことができる基盤が生ずるのです。(一九八八・八・二八、漢南洞公館)

皆さんが今から故郷に帰るならば、故郷の山河を再び眺めて、「ああ、これは私に下さった神様の礼物だ」とこのように思いなさい。自分より年が多いおじいさんの木、私より年の多い川にいる砂利たち、そして野原を眺めながら、「元気でいたか?」と言わなければならないのです。それが愛です。

自然を愛することができてこそ、人を愛するのですね。それを再びしなければなりません。復帰なのです、復帰。アダムが万物を愛せなかったので、万物を愛さなければなりません。郷土に帰って自然を愛さなければなりません。自分の町内にある草から、すべての山川草木まで全部愛せよというのです。山川草木、動物までみな愛することのできる立場になったならば、その基台の上で人を愛せよというのです。人は、万物を復帰してからのちに愛するようになっています。

どれだけ素晴らしいといっても、どれだけ主人だといってもそれが原則です。どれだけできが悪いといっても、罪人であるとしても、万物よりもっと高く愛さなければならないというのです。天倫がそのようになっています。

なぜ悪なる人を神様が打つことができないのでしょうか? その悪なる人たちも支配することのできる万物であり、宇宙なのです。宇宙を打ってから、人を打つようになっているのであって、人を先に打つようになっていません。ですから、このような道理を御存じの神様は、がまんしてこられるのです。それで万物を愛し、人を愛さなければならないのです。

その次に人を愛するときは、一番悲惨な人たちから、悲惨な幼い子たちから愛して、ずっと中年へ上がってくるのです。世の中で生活の難しい人たちは、良心的な人たちが多いのです。私たち統一教会の家庭は、世の中で一番生活の難しい人を愛せよというのです。生活の難しい人は、悪魔の世界にいるとしても、今後そのような人の中で神様の天運を受け継ぐことができる人が出てくると見るのです。(一九八八・四・六、漢南洞公館)

今年に入って私が韓国に、「韓国統一」という標題をつくりました。歴史時代に一生を通じて、世界を遍歴しながらこのように死なず、生きて故郷の地に戻ってきて誰よりも疲れきった生活をしなければならない、これが今年の標語なのです。韓国統一をどのようにするのですか? 私が先頭に立って誰よりも疲れきった道を行くというのです。

ここにいるお母様がそうだというのです。お母様は、従って回りたくなければ家にいてください。今やそういう時が来たのです。なぜでしょうか? なぜそうなのかといえば、氏族的メシヤになって故郷を訪ねていけという話をしたからなのです。氏族的メシヤを成さなければならないということを語ったので、それが可能だというのです。お母様はなぜそうなのか知らないのですね。昔であれば間違いなく出かけなさいというのですが、今は、私が一人で行ったり来たりするのです。

それはなぜでしょうか? 大韓民国の誰よりも、神様を中心として一番疲れる位置に立とうとする人が私だからです。それで今でも、夜十一時を過ぎてあの木浦へ行って、十二時間以上動き回ったのです。このように疲れるのです。今では私が地方を訪ねて回り、その次には、万物を愛さなければならないのですね。その次には人を愛さなければなりません。その次には何を愛さなければなりませんか? 神様を愛さなければなりません。ところが、堕落した人間は、本然の人として戻ってこなければ、神様を愛することができません。(一九八九・二・五、本部教会)

6 いかなる教会に対しても寛容であれ

私が今回指示したことの中には、二世を立て故郷を復帰せよと語りました。まとめて故郷に帰るのです。統一教会の家庭教会の理念を代表することのできる二世たちを連れて、皆さんの故郷に帰るのです。一人が十名、二十名の若者を連れていって、死ぬといえば死ぬし、生きよといえば生きるし、二十四時間、その部落を握り、ありとあらゆることをみなしてもその町内の人たちが反対できないのです。父、母もそうなのです。今では、文総裁に反対できない環境へ世界がだんだん巻き込まれていっているのです。「いいぞ!」というようになっています。たちまちのうちに回っていくのです。

郷土に帰って、何の教会であれ既成教会を壊さず、反対するなというのです。既成教会に私たちが入っていって、神様の思想を入れるのです。(一九八八・四・六、漢南洞公館)

五 故郷ですること

1 宴会を開け

昨年の秋夕(注:日本でいうお盆。旧暦八月十五日)に私が、宴会をせよともち代を与えたでしょう? (はい)。もちをたくさんもらって食べたはずです。ですから、「今回は、あなたたちが宴会を一度しなさい」というのです。宴会するお金を与えて文総裁がしたことに感謝して、互いにお金を出し合い、借金をしてでもしますと、国の宴会をするとき、そのような人たちは崇め慕われるのです。

国の宴会をする時が来そうですか、来そうではないですか? (来ます)。南北が統一される時、宴会をしなければなりませんか、してはいけませんか? (しなければなりません)。牛、何千頭をほふらなければなりませんか? (約三万頭ほふらなければなりません)。一家庭に一頭ずつはみな、ほふらなければなりません。ああ、歴史的なそのようなことが起こるのに一頭ずつほふらないのですか? 昔、旧約時代に祭祀をささげる時はいつでも牛一頭はほふって祭祀をしたのです。その時、牛肉を食べ、汁まで食べた人たちは、サタンが引っ張っていけなかったといいますし、先生が祈祷すれば引っ張っていけないのです。それは、福を与えるのです。(一九八九・一・三、漢南洞公館)

この前、先生がもち代を与えたでしょう? (はい)。もち代を与えて宴会をしましたか? (はい)。私たち統一教会の信徒たちは、与えませんでしたか? (私たちは、何にももらいませんでした)。もらって食べたのでしょう?

私が昨年、もち代として与えたのが二十二億ウォンなのです。二十二億ウォンが飛んでいきました、お金が。故郷に行って宴会せよというのです。今や全国で統一教会のもちをもらって食べたはずです。四〇〇〇万を中心として見るならば、二十二億ウォンであるならば、一人にいくらずつ回りましたか? 計算してみなさい。(五十五ウォンです)。間違いありませんか? 五十ウォン。五十ウォンならば、もち何個ですか? 一個? 半個? (一つ一〇〇ウォンです)。何が? (二個一〇〇ウォンです)。二個で一〇〇ウォンですから、一個に五十ウォンではないですか? それで四〇〇〇万が全部、一個ずつはもらって食べたというのです。

それで、食べてから唾を吐いたでしょうか? 「ああ、これはうまい。もっと食べたい」とそう思ったでしょうか? 「一個くれるとは何ですか。三個ぐらいはくれなければ」と思ったはずです。今や、私がそのように一個与えましたから、二個は皆さんが与えなければならないのです。そうしてこそ三数を合わせるのですね? 三数は完成数ではありませんか? それ、するのですか、しないのですか? (します)。もち代を出すのですか、出さないのですか? (出します)。

先生がそうですから、今回故郷に帰った皆さん、錦を飾って還故郷したので宴会をしてあげなければならないのではありませんか? そうではありませんか? 宴会をしたのです。(一九八九・一・一、本部教会)

宗教には、断食、奉仕、犠牲がありますが、今やそのような時代は過ぎ去ったのです。統一教会もたくさん断食したのですね? 夜眠らず徹夜して。皆さん、故郷に行って家を売ってでも、その一族とその一門を生かすために宴会をするのです。みな、売り飛ばしてもかまいません。分かりますか? 今後は、世界が食べさせ、生かします。文総裁がアメリカだとか全世界を生かすために苦労するので、万国が先生の前に朝貢をささげる時が来るのです。

それで今、東亜日報が恐れています。世界日報を恐れているのですね? (はい)。すべての政党が恐れるのです。恐ろしくてぶるぶる震えるようになっています。その震えるのを見るとき、気持ちが良いですか? (はい)。ぶるぶる震えて、ひっくり返って死んではいけません。ひっくり返ろうとするならば、つかまってあげ、昼食を食べられなかったならば、昼食をおごってあげたりしなさい。なぜ、ぶるぶる震えるのかというのです。そういうときは、「あなたは、震えずにあなたの父や先祖たちと一緒に来なさい。私が宴会してあげるときは、よく食べ、気持ち良く踊るならば、あなたたちはみな救いを受けるから、そうしますか?」と聞いて、「はい」と言えば、それが氏族復帰になるのです。(一九八九・二・五、本部教会)

2 家庭的歓迎大会を行え

統一教会は、恐ろしい団体です。それでは、何にとって恐ろしいのでしょうか? 悪魔にとって恐ろしく、罪悪にとって恐ろしいのです。悪にとって恐ろしいのです。そうであってこそ、希望が訪れてくるのです。結論は簡単です。転換時期を迎えて、民族の前に真の父母の歓迎大会を宣布しました。ですから、皆さんも故郷に帰らなければなりません。錦を飾って還故郷しなければなりません。大韓民国がこのごろは、先生を歓迎するではありませんか? そうでしょう? (はい)。皆さんは、一族に歓迎されなければなりません。そうすれば、大韓民国が転換するのです。天の国のために生きる王子、王女になりますように! (アーメン)。そのような皇太子夫婦になりますように! (アーメン)。姫様の夫婦になりますように!(一九九〇・五・二〇、本部教会)

今、大韓民国が転換時期から回っていこうとするならば、真の父母を中心としなければなりません。根本が違います。自分のためにする伝統の、堕落の歴史に置いてきた根を抜いてしまい、全体のためにする歴史に根を下ろし、回さなければならない時代が戻ってくるのです。ですから、大歴史的転換時期を迎えるというのです。

真の父母歓迎大会を通じて発表したように、真の子女、真の家庭歓迎大会をしなければならないのですが、それは誰がしなければならないのかといえば、皆さんの一族がしなければなりません。統一教会全体と国民全体がしましたが、今や皆さんの一族に戻っていって私たちの祖先たちを訪ねようと褒めたたえることのできる、真の血族を中心とした、一族を中心としたそのような歓迎大会が終わらなければならないのです。それが氏族的メシヤ宣布なのです。このようになるならば、国は自然に生ずるのです。国を考える必要はありません。大韓民国一つしかありません。それが拡大されて大きくなっていくならば今後、天地のどこにもっていって合わせても、どのような人が対するとしても問題ではないのです。文化が異なるのが問題ではないのです。本質的基準が一つになることによって和合することができるし、すべての付随的な存在を治めることができるこのような真の愛を中心とした統一の世界になるというのです。そのことのために新しく真の御父母様歓迎大会宣布とともに、一族歓迎大会宣布を皆さん自身がしなければならないのです。それをしなければならない責任が皆さんにあります。(一九九〇・五・二〇、本部教会)

3 お父様の伝統に従い伝統を立てよ

今から先生は何をすることができるのでしょうか? 先生が家族と共におもしろく生きるとしても、皆さんは不平を言うことができないというのです。先生が立てた伝統を、皆さんも伝授されなければなりません。今までは復帰するためにカイン、アベルが分かれ、父母がみな分かれましたが、今からは伝道をするとしても一つの家がみな動くのです。飢えても一緒に飢え、悪口を言われながら働く時が来たのです。

それでは、皆さんの願いとは何ですか? 家庭が私に請い願うことがあるならば、その願いとは何でしょうか? どのような願いなのでしょうか? 「ああ、私に神様が、御父母様が、どこどこに行って祝福を受けることのできる土地を下さい」とお願いするのです。どこへ行くのですか? 皆の考えが、「私たちの故郷へ送ってください」とこう考えたのです。今や故郷へ行くのですが、家庭的メシヤとして行かなければなりません。家庭的メシヤとして行かなければならないということを知らなければなりません。家庭的メシヤとして。

さあ、それでは、故郷に行ってどのようにしなければならないのでしょうか? 皆さんと一つになるようにつくらなければなりません。その方法は簡単です。息子は出ていって天の伝統を伝授する教師になって、「このようにしてこそ天国が成されます」という手本を見せてあげ、父母は、その町内の父母たちに、「このようにするならば、天国部落になります」ということを見せてあげなければなりません。そのようにすればよいのです。簡単なのです。夫は妻を、妻は夫を互いに愛し、父母は子供を、子供は父母を愛する愛の家庭を成し、それを全部、伝授してあげるならばよいのです。(一九八五・八・二〇、ベルベディア修練所)

今から不平を言わず、どんな自分の息子、娘であれ何であれ、眼中においてはなりません。先生は、みな捨てた人なのです。皆さんも新しく決意をして、伝統を受け継ぐことのできる第二の後継者になるためには、先生が行った道を一緒に行かなければならないと固く決意しなければなりません。先生は、父母として、天の父母として、真の父母としてすることのできる歴史的な蕩減を、みな経てきたのです。

先生は、世界的祖先の位置に立つためにこのような業をしましたが、皆さんは、自分なりに氏族的祖先になるためのその伝統、その自分なりの分野に該当する伝統を受け継ぐために、皆さん自身もそのような道を行かなければならないという事実を知らなければなりません。今から十二支派が編成されていくのです。ですから、伝統が必要だというのです。自分のことを考える人はここから抜けるのです。(一九八四・四・一、アメリカ)

きょうこの時間以降に故郷に帰って、真に満ちた神様の伝統、御父母様の伝統を継ぎ、植えて、その地を愛の涙で満たし、苦労の血でもって贖罪の祭祀をささげて、許しを受けることのできる天国の位置になるように精誠を尽くす群れはみな、そうなることを願いながら、このすべてのみ言を真の父母のみ名によって祝願いたします。(アーメン)。(一九八八・五・一一、清州教会)

4 心情圏を植えよ

今や皆さんは、故郷に帰って真の父母の心情圏を植えなければなりません。それで皆さんを故郷に今回全部、配置するのです。全部故郷に帰るのですね? 故郷に帰れという話を聞きましたか? (はい)。皆さんの故郷、南韓の地の故郷の心情的版図が、先生が世界的蕩減基準を中心として立てた心情的基準と、相対的に平面基準にならなければなりません。本然の心情をすべてどこに植えますか? 故郷の地に植えようというのです。(一九八八・五・一五、本部教会)

真なる心情を本郷の地に植えなければなりません。これを植えられなかったのが堕落でした。そして、皆さんは、皆さんの宗(注:ここで宗とは、文氏ならば文氏という全体の氏族を意味する)中の宗長家庭にならなければなりません。(一九八八・五・一五、本部教会)

5 氏族復帰

① 一族救援

先生が故郷に帰る前に、皆さんが先に帰らなければなりません。復帰過程では父母が先に入るのではないのです。アベルが先に復帰されなければなりません。統一教会がアベルならば、既成教会はカインであり、一般国民もカインなのです。これらが一つになって故郷に帰るのです。故郷に帰って何をするのですか? アベルになった皆さんが、カイン圏を完全に収拾しなければなりません。

それで今回、故郷にすべて帰りますけれども、御父母様のみ言を聞いて故郷に帰る皆さんは、昔、アダム・エバが堕落した位置とは違います。御父母様がサタンのすべての迫害を個人的に勝利し、家庭的に勝利し、氏族的に勝利し、民族的に勝利し、国家的に勝利し、世界的版図を中心として蕩減条件を完全に勝利し、復帰して戻ってきて、皆さんに伝授するために先生が探し求めてきたのです。

皆さんがこれを受け取り故郷へ帰るならば、浮き草ではありません。今までは浮き草でした。風の吹くままに動き回ったのです。けれども、今からは千年万年不動であり得る、神様が訪ねてくることができる故郷の地に、真の愛の立て札を立てるのです。誰の名前で? (神様の名前で)。縦的な父母である神様の名前と、横的な父母である真の御父母様の名前で。そうすることによって今や私たちの民族、私たちの氏族は、滅びる民族、氏族ではないというのです。御父母様が勝利した基盤を通じてここに差し込まれるすべての愛の種は、悪魔が手を出すことができないのです。

故郷に行くのは、皆さんの一族を生かしてあげるためなのです。また、そのような迫害と反対は、今からはみな消え去っていくようになるのです。文総裁に反対し、統一教会に反対しては、この国に、この世界に利益になり得ないと知性世界の人たちであるならば判断を下すことができる時代に来たのです。ですから、今や故郷に帰って仕事をしなければなりません。(一九八八・五・二〇、大邱教会)

今や時が来たのです。他の所に行かずに、氏族を訪ねていきなさい。氏族的メシヤになれと私が送りました。皆さんの氏族を中心として、外的なカイン氏族を復帰せよというのです。

氏族復帰をしなければならないのです。それは何かといえば、北朝イスラエルと南朝ユダとに分かれたのを、エリヤを通じて一つにつくろうとしたのと同じです。それで、エリヤが奇跡を起こしてアシラの預言者とバアルの預言者八五〇名を全部、焼き捨てたのです。こうすれば全部、生きた神を崇めると思ったのに、むしろエリヤを殺そうとしたのです。それで逃げていったではありませんか? 逃げていって恨み嘆いて神様に自分の生命を召してほしいと言うと、神様は、イスラエルにはまだバアルに屈しない七千余の群れがいると語りました。それは何かといえば、南朝ユダと北朝イスラエルが彼を中心として一つになる可能性があることを物語っているのです。

韓国が今、アベルであり、南朝であるならば、世界の人はみな北朝です。それで七〇〇〇名、外的七〇〇〇名が一つになったならば、イエス様がなぜ死にますか? 氏族復帰、ヨセフの家庭とザカリヤの家庭が一つになれなかったのです。一つになれなくてイエス様が死んだのです。その二つが、カイン、アベルが一つになってこそ中心者が立つのです。アダム、エバは、アベルを通じて救いを受けます。アベルが責任を果たしてカインを屈伏させ、完全に一つになってこそ父母が現れることができるのであって、そうでなければみ旨の進展がなされません。進展がされないのです。

神様の前に出ていくには、人間個人において心が体を完全に征服して、心の人をつくってこそ神様の前に出ていけるのです。家庭を中心としても同じなのです。妻と二人、完全に一つになってこそ家庭が神様の前に出ていくのです。息子、娘を中心として一つになってこそ家庭全体が天の前に出ていくのです。その家庭を中心として氏族が一つになり、氏族圏周辺を一つにつくってこそ全部が神様の前に出ていくことができるのです。民族圏内に出で立つのです。そうして神様を探し求めていくのです。(一九八九・一・二七、漢南洞公館)

② 氏族復帰の方法

イエス様が来てしなければならないことは何でしょうか? 氏族的なメシヤの使命を連結することでした。ところがそれができずに亡くなったので、国家的なメシヤの基準を自動的に失ってしまったのです。それゆえに皆さんを、氏族が多いですから、氏族的なメシヤ十二支派の代表とすることのできる氏族的なメシヤと同じ使命を背負わせ、この三千里半島にみな派遣するのです。

そのように派遣する位置がどのような位置なのかといえば、長成期完成級に立てられた位置ではないのです。完成期完成級で神の日に侍ることのできる心情の因縁を中心として、サタン世界の夫婦がお出ましになる位置に行ったので、皆さんが信仰をもって夫婦が一心団結さえするならば、嫁ぎ先の舅、何の誰それと区別することなく、全部バタバタと巻き込まれていくのです。皆さんはそのような信仰をもたなければなりません。そうしながらアベルの使命を十分に成し遂げなければならないのです。家庭的なアベルの使命を果たそうというのです。

もちろん祭物も神様のみ旨に合うようにささげなければなりませんが、アベル自体がカインを屈伏させることのできる作戦をしなければならないというのです。そのためには、お兄さんに対してアベルが、「お父さんが私だけを愛するから、お兄さんに申し訳ありません」と一言だけ言ったならばどうだったでしょうか? 「お兄さん。神様が私の祭物を受け取り、お兄さんの祭物は受け取りませんでしたから、よわりましたね」と言ったならば、条件になるのではありませんか? こういう立場に立って、今や天の家庭的なアベルの基準を中心として、カイン的な家庭の前にアベルの権限を自慢する前に、カイン家庭を屈伏させることのできる戦略を使わなければなりません。戦法を使わなければなりません。戦法を使わなければならないのです。

ここで、「神様は宇宙のアベルであり、この世界の人類は神様の前にカインの立場にありますが、神様は、僕の僕の体を着て、養子、子女の体まで着て今まで復帰の役事をしてきたので、私たちはその伝統を受けて、自分の氏族に行って、そのような伝統を再び提示して屈伏させる役事をしよう!」と言うのです。これが長くかからないのです。三年、長くとも三年なのです。それで十年と見るのです。(一九六八・三・三、大田教会)

皆さんは、アベルです。皆さんの家庭がアベルの立場で、皆さんが一族を一つにさえするならば、二つが一つになるならば、ここにお母さんが来ることができるし、お父さんが来ることができます。この父母が一つになり、父母が勝利したので、カイン、アベルはこれを中心として一つになり、祝福を受けた家庭が自分の氏族を一つにさえするならば、それで終わりだというのです。

それで、皆さんを氏族的メシヤとして皆さんの故郷へ送り返すのです。皆さんは故郷へ帰って一つにならなければなりません。これをすることによってイエス様が願っていたことが成され、再臨主の願うことが成されるのです。

また、再臨時代の願いなのです。それゆえにイエス時代に失敗したことを、再臨時代にすべて清算したという条件としてみなしてくれるのです。そうすることによって、御父母様が行く所はどこであっても従っていくことができるというのです。

それでは今や皆さんは、どこへ行かなければなりませんか? (生まれた所へ行かなければなりません)。皆さんは、カインの親族を復帰しなければなりません。祝福家庭は、アベルの位置にいます。アベル家庭がカイン家庭を救援しなければなりません。カイン家庭というのは、周囲の親族たちを言うのです。それゆえにすべての親族を一つにすることによって、自動的に父の国家、世界、天宙的勝利に連結されるのです。ですから、親族を一つにしなければならないのです。これが最後の使命です。(一九八九・三・一九、世界宣教本部)

皆さんはどのようにしなければならないのでしょうか? 皆さんが今、一番先にしなければならないことは何でしょうか? 出ていって伝道することも必要ですが、今や皆さんは家庭を救わなければならないというのです。皆さんの氏族を救わなければならないというのです。民族が上から連結されますから、皆さんは氏族を救うことのできる時になったのです。今からは苦労せず、皆さんが氏族を一挙に追い詰めることができる時になったというのです。

ただ一つ知らなければならないことは、皆さんが外部に出ていって働き、精誠を尽くしてきた三分の一ほど努力せよというのです。三分の一努力するならば、父母は直ちに回っていくのです。

統一教会の版図において、今後文化活動をしなければなりません。それで映画みたいなものを作って皆さんが持っていってお父さん、お母さんに一回だけでも回してあげるならば、「わあ、知らなかったね」と言って回っていくのです。こうして、皆さんの家庭と皆さんの父母は、皆さんが責任を負わなければなりません。

カイン、アベルが復帰されたのちにはどこへ入っていくのでしょうか? 父母を復帰するのです。世の中のカイン、アベルを復帰して自分の兄弟を復帰するのが原則です。それゆえに、今日、外的な舞台に立って私たちが築いておいた基盤が、国家と連結することのできる基盤になっているならば、今からは皆さんの内的な兄弟を復帰しなければならず、父母を復帰する責任があります。今からはそのような面に主力を尽くせというのが、先生が皆さんに語りたいことなのです。分かりますか? (はい)。

それで、父母に孝行せよというのです。父母に孝行し、町内で手本になり、父母が喜ぶ息子、娘にならなければならないのです。ですから、皆さんが外地に出ていって講義をしていたように、自分の故郷に帰って講義できなければなりません。もし、それが駄目ならば皆さんの代わりに、皆さんより素晴らしいアベル的な存在を送って、皆さんの家庭のために犠牲になるようにします。代わりに苦労し犠牲になり、互いがこのような相対的関係を結んで自分の家庭を復帰するのに主力を尽くすようになるならば、相当な数が復帰されると見ています。ここで自分の父母が復帰されていない人たち、手を挙げてみなさい。全部復帰しなければならないのです。

(一九七四・四・二九、中央修練院)

③ 氏族復興会

今後は、家庭復興会をしなければなりません。これは、世界全体を代表した家庭復興会なのです。

家庭復興会は、皆さんの一族を中心としてするものですが、その復興会は、全体の氏族たちを代表した復興会なのです。互いがそのように思うのです。それは韓国のみならず、世界の数多くの祝福家庭が氏族を連結させた、その氏族を代表した復興会だと思いなさいというのです。

このようになることによって、そのような復興会に世界の人がみな同参するのです。今日、私たちの統一教会、韓国にある統一教会は、韓国が基地になることによって、氏族基盤を中心として世界を代表して復興会をすることができるのです。これがどれだけ幸いか分からないというのです。

ですから、この復興会の宴会に牛をほふってもかまいません。それは、皆さんの思うとおりにしなさい。鶏をつぶすならば鶏をつぶした分だけ福を受けるのです。牛をほふれば牛をほふった分だけ、牛一〇〇頭をほふるならば牛一〇〇頭ほふった分だけ福を受けるのです。ためにするその心情、自分の努力のいかんに比例して全部左右されるのです。そこに比例して皆さんの先祖の解放圏が展開されていくのです。(一九八九・一・三、漢南洞公館)

今や韓国統一が可能な時に入ってきたのです。すべてのことが。

今や故郷を訪れて氏族復興会をするならば、それは歴史的な復興会となるのです。これは国を探し求めようと三・一運動、万歳を叫んでいた以上の驚くべき事件なのです。歓迎を受けることのできる立場で天理が動いていくことのできる、このような環境をもったのです。このような舞台で自分の氏族を動かせないならば、みな死ななければなりません。(一九八九・二・五、漢南洞公館)

悪霊たちが今まで薬を与え、病気を与えたのです。今からは、善霊たちが薬を与えます。病気を与えるのではないのです。薬を与え天国に送るのです。私たちの先祖たちを、薬を与え、生きるようにつくるのです。サタンは、薬を与え、地獄へ連れていきましたが、私たちは薬を与え天国に送るのです。

皆さんの先祖たちが天国に行くようにするために激しく打ったり、病気を与えたりするのです。「この者! なぜ行かないのか? 行かなければ病気になるぞ!」と言うのです。祖先たちがそのような行動を始めるのです。今に見ていなさい。そのような行動が始まるのです。ですから、行くまいとしても行かざるを得ないというのです。このようになるならば、道知事だと偉ぶり、お出ましになっていては、祖先たちが首をつかんで、「この者、こっちに来い!」と統一教会の門前に連れてきて、「啓拝していけ!」という、そのようなことが起こるのです。その祖先たちの中で、霊界において怨讐になって罪を犯したならば謝らなければならないのですから、自分の責任者、代表者を送って許しを請わなければならないのです。ですから、そのようなことが起こるのです。

今までサタンが病気を与え、薬を与えたのですね? そうして、地獄に連れていったのです。薬は、みな嫌がるのですね。薬が何なのかといえば、棍棒なのです。苦労なのです。分からないうちにほうり込むのです。

今や復興会をしなければなりませんか、してはいけませんか? (しなければなりません)。本当に皆さんがメシヤになるのです。そうして皆さんがさっと祈祷さえする日には、メシヤの権限をもっていくのです。今までメシヤ、氏族的メシヤをしたのですね? メシヤの道理を果たさなければなりません。それで復興会をしなければならないのです。(一九八九・一・三、漢南洞公館)

きょう、ここに集まりなさいと言ったのはなぜでしょうか? 氏族的復興会、これを命懸けでせよというのです。今後、教域長たちは全部、修練させることのできる能力がなければなりません。なくともそのようにするのです。

今や故郷に帰るならば、生きる道がどうこう言うことがないのです。原理のみ言で行って生きます。原理のみ言さえ彼らの前で上手に語るならば、「あなたの家庭は、私たちが食べさせてあげます」と言うようになっているのです。祭司長を誰が飢えさせますか? そのようになっています。(一九八九・二・五、漢南洞公館)

6 統班撃破

それでは、私たちの目標とは何でしょうか? 今までしてきた統班撃破です。統班撃破は、私たちの目標なのです。自分の郷里において親族たちを中心として、一門を中心とした統班基準の前に、サタンの侵犯は、絶対に許すことができません。根を抜いてしまうのです。雑草を抜いてしまわなければなりません。雑草を。(一九八八・六・一、本部教会)

氏族の中には家庭があります。民族を中心としては数多くの氏族があり、氏族が連結されて民族が編成されるのです。国家は今後、統一教会を信ぜずしては駄目なのです。

氏族的基盤さえ解決されるならば、民族は自動的に編成されるのです。また、氏族と統班撃破は連結されています。統班撃破は、氏族圏で展開されるのです。部落といえば部落、統班が全部、氏族圏内にあるのですね? それで、先生が今まで統班撃破という言葉を使ってきたということを分からなければなりません。

今や氏族的メシヤになるならば、統班撃破が完了されますか、されませんか? 完了されるのです。(一九八九・二・五、本部教会)

7 聖殿建築

全国に一五〇〇の教会を買おうと思ったのですが、今どれだけになりますか? 五百何十ですか? (五三〇個です)。五三〇個の基地を立てました。

皆さんは、今から聖地の代わりにその基地で祈祷しなければなりません。きょうから。分かりますか? その買った土地を中心として精誠を尽くし、天の前に私たちが建てることのできる新しい聖殿、この地はキリスト教はじめ宗教が多いのですが、天の父母に侍り、天の心情の根を下ろすことのできる宗教がなかったことを皆さんが知り、皆さんを通じた新しい根が、心情的根が下ろされ得る精誠を込めた基台の教会になるようにしなければなりません。

霊界が私たちに協助する時代に入ってきたので、皆さんは、故郷を収拾して族長にならなければなりません。族長になって自分の村に聖所をつくり、祭壇を築き、贖罪の羊のような祭壇を作らなければなりません。教会を造らなければならないというのです。今まで堕落した歴史時代を経てきながら悲しんだその故郷の地! イスラエル民族がバビロンに捕らえられていって何百年もあとに戻ってきて、散らばった聖殿を復旧して神様を崇尚してきたのと同じく、聖殿を建てなければならないのです。

面単位の教会、それは私が建てるのではないのです。皆さんの一族を集めて皆さんが建てなければなりません。

皆さんの一族たちが、カインたちが蕩減復帰するためには、精誠を尽くして皆さんを長として侍ることのできる、祭司長として侍ることのできる地方教会を建てなければなりません。皆さんの一門が建てなければなりません。皆さんが建てるのではないのです。神様のゆえに教会を建てなければならないし、その次には学校を建てなければなりません。その次に皆さんの家を建てなければならないのです。今や皆さんの家があるならば売ってでも教会を建てなければなりません。売ってでも学校を建てなければなりません。それはなぜでしょうか。イスラエル民族の二世がカナン復帰をしました。全世界の二世は、私たちの味方なのです。二世を自分以上の忠臣、功臣につくりますというそのような教育基盤をつくっておき、天の前に、「あなたが活動することのできる現在の基盤と未来の基盤がここから広がっていくはずです、私たちの一族は……」という、このような祈祷をしなければなりません。

最初に何を建てなければならないのですか? 神様に侍ることのできる聖殿を建てなければなりません。その次には? 息子、娘のために、皆さんが全部、教師をすることのできる氏族的メシヤになって、私がこのように神様に侍り、人類を愛したということを教材として残してあげることのできる学校を造らなければなりません。先生も同じなのです。それで教会を建てるために働きましたし、その次には学校を建てるために働いたのですが、大韓民国で、学校認可を出しませんでした。

今回、私たちの成和神学校(成和大学)を建てましたね? 一棟建てるのに、家を十二軒以上建てることのできるお金を費やしたのです。一〇〇〇年歴史に残る家なのです。

そのような家を建てるのですが、それは先生の息子、娘のためのものですか、皆さんの息子、娘のためのものなのですか? 皆さんの息子、娘のためのものです。皆さんが献金してその学校を建てなければならないのです。献金しましたか? また、教会まで建てなさいと言ったので、全部先生がするものと思っているのです。それは滅びます。皆さんができないならば、日本の食口たちにでも建てさせるのです。何の話か分かりますか? 皆さんが故郷で責任を果たせないならば、日本の食口たちを通じて、血を売ってでも教会を建てるのに主力を尽くせと言うのです。

それで、今後は、夫とか妻がどの故郷、面であるならばその面に入っていって、その教会に入っていって住むのです。教会を建てるのに血の汗を流さなければなりません。

ですから、そのようなことを中心として、どこどこ教会というものを中心として皆さんが帰っていって祈祷場所をつくらなければなりません。聖殿で祈祷しなければならないのですが、祈祷する所がないならば、皆さんが先祖から受け継いだ田を中心として、土地だとか田んぼを売ってでもつくっておき、一族会議をして策定しておかなければなりません。その祈祷場所は、皆さんがつくらなければなりません。そのことが分からなければなりません。

その次には、その祖先の中で良い暮らしをしている家があるならば、良い暮らしをしている家を教会にしなければなりません。良い暮らしをしている家を全部壊してでも、教会に出さなければならないのです。

祖先になるためには教会を造らなければならないし、その次には学校を造らなければなりません。伝統を死守することができるように、新しい歴史を開拓しなければなりません。何の朴氏、文氏、いかなる一族であっても特別にその伝統がありますね? これをする前にはみな、止めておきなさい。天を父母として侍り、真の父母に侍り、そこに血族が永遠に定住することのできる理想的福地をつくらなければならないのです。

皆さん、今や氏族的メシヤの基盤を築くならば、皆さんの氏族から国に朝貢をささげなければなりません。そのような時が来るのです。皆さんがかせいで、思いどおりに食べて生きましたね? 今後は全部、三〇パーセント、十一条ではなくて十の三条をささげなければなりません。十の三条。一つは何ですか? 今まで私たち統一の食口たちは、一つは何ですか? 皆さんは、十一条をささげますか、十の三条をささげますか? 先生は何条ささげますか。(十の十条です)。十の十条ではなくして十の二十条なのです。借金してします。一生の間借金してこの業をするのです。

復帰路程に借金したと、神様は追及しません。み旨のために負債を負う者が福を受けるのです。分かりますか? 保護されるのです。お金が生ずるならば、皆さんは貯金通帳を持って皆さんの息子、娘の学費を考えるのですね? 私は、お金が生ずるならば世界を考えるのです。ですから、神様が保護するのです。分かりますか? 福を受ける道がそうなのです。先生が何パーセントですって? (二十条)。二十条。何百条なのですね。何百条。 お金があっても、私は出歩きながら昼食も買って食べないし、腹がすいても、どこかで夕食を食べようともしません。ですから、指導者は負債を負ってはいけないのです。私は、統一教会の信徒に負債を負いませんでした。大韓民国の前に負債を負いませんでした。アメリカの前に負債を負いませんでした。ドイツの前に負債を負いませんでした。私が経てきた国は全部、私の世話になりました。

負債をなくする者は滅びません。それはみな、真になるように与えたので真になるように納めなければなりません。ですから、その話は何かといえば、朝貢がささげられて入ってくるというのです。日本人たちが今、先生のために命を懸けてここに訪れてくるのは、私が日帝時代、怨讐たちを全部、秘密裏に送ってあげたからです。荷物をまとめて。一言あれば、みな銃殺なのです。

アメリカ人たちが今、そうです。韓国人も、言うまでもありませんね。皆さんはよく分からなければなりません。ですから、十の何条をしますか? 一条は教会のために。二条は国のために、三条は世界のために。税金をささげなければなりません。そのことを知らなければなりません。

ですから、私がこの次に行って見て、その町内で教会より大きい家をもっている人が統一教会の信徒であるならば、雷が落ちるのです。私たち統一教会のそのような人たちは、今後、祝福を受けられないのです。分かりますか? 天の国の一族に入っていけません。

そのようなことを知って、皆さんの故郷に帰って、今や先生が聖地策定を一五〇〇個宣布したことを、どのようにしてでもつくっておかなければなりません。

ピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers:清教徒)というセットラー(Settler:開拓者、移住者)たちがアメリカに行って天幕生活をしながらヨーロッパよりもっと良い教会、ヨーロッパよりもっと良い学校を建てておき、自分の家を建てたではありませんか? それと同じようにしなければなりません。そのようにした上に独立国家を建てる、それ以上にならなければなりません。何をするにせよ、先生の設計をみな分けてあげなければなりません。分かりますか?

設計を全部分けてあげ、精誠を尽くしながら私たちの一族が、私たちの民族が誰にも負けない聖殿に侍らなければならないのではないですか? そうでしょう? そうしてこそ福を受けます。分かりますか? きょう、そのことを宣布しますから、間違いなくそのように収穫することを願います。(一九八八・六・一五、イースト・ガーデン。一九八八・七・二二、漢南洞公館。一九八九・二・五、漢南洞公館。一九八九・二・五、本部教会)

8 灯台設立

故郷に帰って、今からは灯台を建てなさい。分かりますか? 灯台、灯台とは何ですか? 夜に、暗い所を明るくするものなのです。それ、何の灯台なのですか? 南北統一、東西統一の灯台の火をともせというのです。今からは、聖地のその火を消さないように火をともさなければなりません。(一九八八・一〇・三、一和龍仁工場)

六 氏族的メシヤと祖先との関係

1 本然の祖先――真の父母

世の中では今まで統一教会を見くびっていました。そうではありませんか? ひとりでに流れていき、消えていくものと思ったのです。しかし、そうではありません。国の問題もそうです。これは、誰をもってしてもできません。全部が飽和状態で沈んだのです。これを回復させる本然の基準とは何でしょうか? 真の父母の思想です。

アダム、エバは、家庭的真の父母でありながら、氏族的真の父母になるのですね? そうではありませんか? 歴史的に見るならば、真の父母が祖先です。国家が形成されるならば、国家の祖先とは誰でしょうか? 真の父母です。家庭の祖先とは誰なのでしょうか? 真の父母です。世界の祖先とは誰なのでしょうか? 真の父母です。(一九九〇・五・二五、漢南洞公館)

2 祖先の前での姿勢

一族を解放させなければなりません。皆さんの先祖たちのために墓を訪ねていって一身をささげますと誓いなさい。「私たちの烈祖たち、祖先が過ったことを、私が責任を負います。降りてきて持続的な反対をする人がいるならば、私が代わりに打たれます。降りてきて曲がりくねりながらも天の前に立つようになるとき、サタンが讒訴できない位置で後援することができるようにするために、先祖を解放するために来ました」と、このように宣言して出発しなければならないのです。

先生を後援するのと同じく、先生がその後援の中心に立っているので、これを中心として後孫、一族の何代かの孫たちに……。みな一族の系列がありますね? 何代おじいさん、五代、七代と、みなあるではありませんか。そのような系列的な代数を中心として現在の一族を連結させ、皆さんに協助することによって、私たちの民族がイスラエル圏に参与することができるのです。そうして解放の国、天国に入っていくことができるのです。それが皆さんがしなければならない責任です。(一九八八・一・二三、前本部教会)

故郷に行って何をするのですか? まず、墓から精誠を尽くして手入れしなければなりません。故郷に行って宗孫(注:本家の一番上の孫)の責任を果たすのです。韓国の風習は祖先によく侍ることですから、碑石も建てるし、ああ、私のおじいさんがこの園を愛されたのだが、私が来てこの荒廃した土地の上に木を植え、私のおじいさん、おばあさんが喜んでいた理想の園をつくり、町内をきれいに整え、私によって故郷の山河が褒めたたえることのできるこのような姿をつくっておきますと言うとき、気持ちはどうですか? 便所にハエ一匹が来ても逃げていくほどにつくります、というのはどうですか? そのようにしておくならば、その故郷で親分になりますか、なりませんか? 親分という言葉は悪い言葉ですが、今のこの意味は、良い意味の善なることに王になり、大将になるのです。そうして祖先の座に上がって座ってこそ後患がないのです。(一九九一・八・二九、国際研修院)

事実、皆さんの町内を真実愛した人がどこにいましたか? 町内をじっと分析してみるとき、皆さん、町内をみな知っていますね? 何の家、何の家とみな分かりますね? また、周囲の畑が誰それの畑であるということをみな知っていますね? けれども、自分の畑などを愛したのであって、その町内を真実愛した人がいますか?自分の家などを愛したのであって、その町内とその面(注:行政単位で郡と里の中間。邑と同格)を愛した人がいますか? いません。歴史始まって以来、神様しかいないというのです。ですから、神様を今まで主人として万物が従っているのです。

今までは、その町内を愛する主人がいなかったのですが、文総裁によって愛する主人たちが生ずることができるというのです。生ずることができるというその人たちとは誰なのですか? 今回、配置された人たちです。

ですから、祖先たちの前に恥ずかしくないように生きなければなりません。祖先たちが国を愛したよりも、もっと愛さなければなりません。愛は、一〇〇パーセント与えるならば、一二〇パーセントが戻ってくるのです。真実なる愛は、愛すれば愛するほどなくなりません。歴史を動かしてくるのです。(一九八八・七・二二、漢南洞公館)

3 祖先は天使長の立場

皆さんが故郷に入っていって、神様の真に満ちた愛の心情と本然の心情を中心として故郷に植えなければなりません。そうすることによって誰が祖先になるのですか? 神様を中心として皆さんがなるのです。そして、心情を中心とした祖先圏が初めて地上の超民族的基準で蒔かれるのです。そうして、大韓民国の心情の園が芽を吹く時が来た、とこのようになるのです。家庭を中心として堕落以前の基準を復帰しなければならないので、皆さんは神様と一つになり、夫と妻が一つになり、神様と一つになった夫婦から生まれた息子、娘が完全に四位基台として一つになって、そこから祖先の位置に君臨しなければならないということを知らなければなりません。ですから、皆さんを中心として見るとき、皆さんの先祖たちは、天使長の立場にいるので、皆さんが故郷の地に来ることを待っているのです。(一九八八・五・一五、本部教会)

皆さんの先祖たちが全部、皆さんのあとに従って出で立つのです。皆さんの祖先たちは、天使長の立場です。天使長。分かりますか? 復帰の道は、再創造の道です。創造原理を見るならば、天使を先に造り、アダム、エバを造りました。ですから、先に行っている皆さんの先祖たちは、天使長の位置にいるのです。

皆さんは、アダム、エバの位置なのですが、アダム、エバが成熟して結婚する時まで、誰が保護しなければならないのですか? 神様が守り、保護するのではありません。僕たちが引き受けて育てるようになっています。天使たちが引き受けて育て、結婚させて自分も恵みを受けることのできる新しい分野が残っているというのです。

ですから、霊界の善なる霊たちは、皆さんの前において真なるエバが現れ、真なるアダムが現れるその日を願って地上に再臨して、皆さんが故郷に帰るに当たって、国を探し求めるために出で立つ歩みを歓迎するのです。

(一九八八・六・四、漢南洞公館)

4 祖先の後援

皆さん、故郷に行くようになるならば、先生の心と同じこのような蕩減の苦難をもち、勝利の善なる種を植えるために還故郷するようになるならば、皆さんの先祖が全部後援して、姻戚のはとこにまで教えて宴会の席をつくっておき、待たなければならないのです。そのようになりましたか、なりませんでしたか? ならなかったので心配なのです。

先生が昔、この道に出てくるようになったときには、腹がすくとき、ある女の人がもちを作って先生を招き、食事を出してくれました。昨夜、自分の祖先が現れて、「貴いお客様にどこそこへ行くならば会うはずだが、その方をお連れしてこのようにしなければ大変なことになる。天の国の暗行御使(注:李朝時代、王より密命を受けて全国を秘密裏に行脚し悪を摘発した目付役人)の中の大王の暗行御使の出動なのですが、ここに引っかかる日には一族全体が永遠になくなる。もてる財産全部をはたいて、すべての精誠を尽くせ」と語ったというのです。

先生にそのように侍ってきた霊界の背後の歴史が、皆さんがそのような心情の基盤が一致する位置で行くときに、同調しなければならないのが自然の道理なのです。皆さんが足りなくしてそうなのです。(一九八八・一〇・三、一和龍仁工場)

霊界にいる皆さんの祖先たちもこの世の中を見下ろしながら、誇らしい後孫たちに協助したくて地上に降りてきたがるのです。それで多くの祖先たちが皆さんの周囲に降りてきます。これが氏族を中心とした宗派を超越した宗教世界なのです。皆さんの祖先たちが皆さんを信じ、愛しながら、皆さんに従ってきたがるのです。すべてのものが従ってきます。それで皆さんに協助するために献身したがるのです。

メシヤというものは、絶対的に中心になる概念なのです。いったん、命令をするならば、それで終わりなのです。それに対して何がどうのこうのと言うことができないのです。いったん、命令をするならば終わりなのです。それをしなければならないし、それに従わなければならないのです。そのような中心になるものがメシヤなのです。

それでお父様が地上で神様のように立って、多くの祝福家庭を氏族的メシヤとして送り出すのです。今まで神様はそのような家庭をもてなかったのです。家庭が愛の領域をもてなかったのです。

今は違います。真の父母がそのような家庭として、神様の家庭として地上に立っているのです。それで、神様がここにメシヤを送られたのです。今、横的に世界の所々に皆さんが立つのです。皆さんを送り出すのです。これは、イエス様が当時、イスラエル民族においてカイン氏族とアベル氏族が一つになったその上で、祝福を受けたのと同じなのです。(一九八九・五・一、世界宣教本部)

今や皆さんの祖先たちが協助するようになっています。昔は、悪い祖先たちが後孫を利用したのです。しかし、今や、善なる祖先たちが降りてきて活躍することのできる時が来ました。ですから皆さんは、それこそ十字架を負わなければなりません。氏族圏の十字架を負い、民族を身代わりして蕩減し、国家と世界の十字架を背負い、国家と世界のために蕩減しますという人がいなければなりません。世界的恵沢圏内で皆さんが十字架を負い、戦うならば、皆さんによってバタバタと、みな復活することができるというのです。平面的な立場で祖先代々に救援することができる足場が築かれるのです。そうしてこそ皆さんの一族の解放が始まるのです。皆さんは、今やこのような祈祷をしなければなりません。「私がその代価を受けられないとしても、私たちの祖先たちが過去に過ったことをお許しください。私たちの先祖たちが隊列でまごまごし、このように行っても逆に行き、ありとあらゆることをしたことをみなお許しください。まごまごしたとしても天のみ旨の前に立つことのできる系統的烈祖たちの再臨復活の道を築いてください」と祈祷しなければなりません。

まず、皆さんの祖先を解放しなければなりません。そのことが、分からなければなりません。その次には、皆さんの一族を解放しなければなりません。そうするために今回、既に故郷に配置しましたね? 故郷に配置するのは、六〇〇〇年の聖書の歴史始まって以来初めてです。カインを救わなければならない復帰歴史において、故郷を救いなさいと言うことのできる論理はありません。カインを愛し、戻ってきて救うようになっているのです。先生が世界的カインを蕩減して戻ってきたので、皆さんが福を受けるのです。(一九八八・一・二三、前本部教会)

5 祖先の基盤は故郷

私が故郷を正しく愛するのを見せてあげなければなりません。国を愛することは、事実遠く、社会を愛することは遠いですから、皆さんの故郷の山河を訪ねていけというのです。「私も知りませんでした。文総裁のみ言を聞いてみると、真の天地の大道が通ずる話です。一度聞いてみなさい」。ここから始まるのです。

心情の基台を築いてこそ、祖先たちが故郷に来てその基台を中心として、後孫を通じて復帰されるのです。祖先たちがここソウルに来て、李博士であるならば李博士をどのように訪ねていきますか? 祖先たちには、故郷が情の移った所なのです。祖先たちの考えは、李博士が育つ時の故郷での考えなのです。勉強したことは自分だけが知り、出世したことは自分だけが分かるのであって、父母が分かりますか? 故郷復帰とは何かといえば、霊界を復帰させるためのみ旨があるのです。霊界の協助を受けて、後代たちが行くことのできる伝統的基盤を立てておこうというのです。天運の時がそのようになるのです。私がそのままどんぶり勘定的にするのではありません。このようにならなければならないのです。

愛は、私の家からなのです。私が父母の愛を受けたならば、父母を愛さなければならないのです。天理がそうです。すべての心情的な誘発点は、父子の関係から連結されるのです。それは全部、郷里から植えられてくるのです。ところが、これが堕落することによって全部、交差したというのです。それをこの地で解かなければなりません。郷里へ帰って、サタン側に立って愛する数多くの孝子、孝女以上の孝子、孝女の立て札を差し立ててこそ、天使長でない善なる霊人たちが地上に来るのです。そうして横的に動く霊人たちが故郷で愛する名前をもって、ソウルの家に来て協助するのです。そのようにして横的基盤を広げていくことができるのです。それが復帰です。(一九八八・四・六、漢南洞公館)

七 還故郷と南北統一

1 南北が分かれた理由

今や帰るや否や、教会一五〇〇個を買おうと語った土地がありますね? その土地が? 基地に帰ってイスラエル民族が全部御飯をもらいに来て、聖殿基地を中心として失ってしまったすべての恨みを蕩減するのと同じく、民族を代表して痛哭しなければなりません。大韓民国がなぜこのように腐敗し、この民族がなぜこのようにかわいそうになり、南北がなぜ分かれたのかというのです。神様のみ旨に仕えられなかったからであり、失ってしまったからなのです。私たちは戻ってきて、新しい氏族的メシヤとして伝統的心情圏をこの領土、どこであっても私たちの土地の前にこの基盤を築くために戻ってきた祖先であると、祖先の権をもって痛哭をしなければなりません。(一九八九・二・五、本部教会)

2 南北統一の前の準備事項

南北が統一されそうですか、されなさそうですか? されそうでしょうか? (はい)。統一させますか、させられませんか? (させます)。できそうだというのと、させるというのは違います。今までは、できそうな立場でしましたが、今からは本当に言葉どおりにしなければなりません。私は、言葉どおりに、みなしました。一生涯私は約束どおりみなしますし、私が予言したことは、みなしました。皆さんも約束したとおりにしなければなりません。そうであるならば、大韓民国は、自動的にそのようになるのです。韓国統一、その怨恨の統一をなすのです。

その次には、一つの統一された国家を中心として中国とカイン・アベルを一つするならば、世界統一は自動的になされます。中共と一つにするために三十五年以上、先生が骨折っているのです。先生が一九八一年度の科学者大会の時に、中共との因縁を中心として技術平準化を提唱してアジアの最前線に立つと話をした時、ICUS(科学の統一に関する国際会議)議長団が全部、文総裁が何の冗談をあのように言うのかと思いましたが、それを五年ぶりに成したのです。五年ぶりに。それで一九八四年十二月七日、新華社通信が体制変更を発表しませんでしたか?

その次に、ソ連が滅ぶと私たちが発表した時、その時、五年待ってみなさいと語りましたね? 今、何年過ぎましたか? (四年になりました)。その時、どれだけ反対しましたか? 「わあ、あの文総裁が心配だ」と言いました。その時、その言うことを聞いてはいけないのです。発表したのでそのようになるのです。

皆さんも発表するのです。「韓国統一」を発表しました。しなければなりません。今やできる方法が分かりました。分かりますか? できる方法が分かりましたか、分かりませんでしたか? (分かりました)。皆さんに今や教会の土地に教会を建てるといううわさが聞こえるならば、私がいつ訪問するか分かりませんね。忘れると思ったでしょう? 図面はみなあります。神様の聖殿一つ建てておけずに南北統一をするとは、それは泥棒たちなのですね。地方聖殿が展開されてこそ、四〇〇〇万人が合わさって先生がおられ得る、南北が合わさって、六〇〇〇万人が合わさって天に侍ることができる位置を確保するのではないですか?

その精誠の伝統を皆さんをして見せてあげ、周辺にいるすべての国民たちが血のにじむような心情をもって、「驚くべき群れたち、やあ! 天が共にする群れたち」と言うようにしなければなりません。それで皆さんが主張してきたその国を探し求めて成すようになるとき、六〇〇〇万人を教育することのできる材料としてつくるというのです。たやすくするなというのです。難しくせよというのです。(一九八九・一・三、漢南洞公館)

3 氏族が一つになるならば南北統一が始まる

この地上で生きて死んでいった多くの人たちの中には、多くの孝子もいたし、忠臣もいたのです。この地上で生きて死んでいったすべての孝子、忠臣以上に皆さんが真の御父母様の伝統を受け継ぎ、還故郷するようになる時は、その伝統の根を下ろさなければならないのです。根を下ろすにはどのようにすればいいのでしょうか? 今まで生きて死んでいったいかなる孝子よりも父母の前に孝行し、いかなる忠臣よりも忠誠を尽くさなければなりません。そのような心情圏が現れなければ、根を下ろせないのです。

それで今回、先生が還故郷を歴史始まって以来、宗教世界で初めて宣布するのです。数百万年の歴史を過ごしてきましたが、先生が出てきてすべてのことを蕩減したので、皆さんが初めて故郷に帰り、父母にすがって悔い改めさせることができ、一族にすがって悔い改めさせることのできる道を行くことができるのです。先生は、今までそれができませんでした。今や戻ってきて初めてしようとするのです。それ以前には故郷を捨てなければならず、国を捨てなければなりませんでした。大韓民国を捨て、アメリカに行って戦わなければなりませんでした。

これはなぜでしょうか? カインを屈伏させて、アベルが長子権を復帰してこそ、故郷に帰ることができるからです。自由世界と戦い、勝利して長子権を奪い、故国に帰るのです。その長子権は、サタン世界の天使長の愛以上の、神様を愛する愛を立てておいてこそ、長子、次子が神様の懐に抱かれ得る時代をつくることができるのです。それをどこから? 皆さんの故郷、皆さんの家庭からなのです。

それでその家庭の分身、真の父母の分身になって、真の父母を中心として父母の愛の伝統を横的に受けて、氏族、民族、国家、世界へ発展したのと同じ道理でもって、三千里半島の四〇〇〇万民族の前へ戻っていくのです。そして御父母様の愛を縦的な基準で受けて、横的に植えて根を下ろすのです。いかなる愛の基準より高い位置に立って、涙と血肉を蒔き根を下ろすようにしなければならないのが、還故郷する私たちの責任であることを知らなければなりません。今やこれを知ることによって、今まで七十年生涯のみ旨を成すことができず、旅人の生活をして追われ、とどまる所もなく荒野であえぎ苦しみ、流浪生活をしていた先生が着陸することのできる基地が、皆さんの故郷の地で始まるのです。

家庭が立ち、氏族圏が始まるようになるならば、皆さんの氏族を中心として、イエス様を中心として失ってしまったザカリヤ家庭とヨセフ家庭の氏族基準を蕩減復帰するのです。そうして、その基準を中心として、皆さんが先生の代わりに国家を連結させ、大韓民国の南北統一時代へ越えていっているということを知らなければならないのです。(一九八八・五・一一、清州教会)

皆さんが故郷に帰って、皆さんの祖先と皆さんの一族を連結させるようになる時に、南韓は自動的に一つになるのです。(一九八八・五・一一、本部教会)

皆さんが故郷に帰るならば、皆さんの先祖たちが協助するようになっています。氏族を中心として見るならば、皆さんはアベルです。また、皆さんの父母や親戚は、カインです。カイン、アベルと国家が一つになり、世界が一つになった圏内にいるというのです。反対する人は一人もいません。一人もいないのです。

ですから、長子権を復帰した基盤に立って、主体性を中心として強制的な立場で自分の一族を、価値観を中心として修練しなさいというのです。おじいさんから父、母、姻戚のはとこまで全部、私たちは血族的に一つにならなければならないのです。目的をもって仕事をしなければならないのです。国を、南北を統一しなければなりません。南北を統一するには、氏族が一つにならなければなりません。(一九八九・二・五、漢南洞公館)

皆さんは今どこで何をしなければならないのかを知らなければなりません。氏族圏では国家圏を越えていかなければならないのではありませんか? 皆さんは今、氏族的復帰圏にいるので、先生が真理を接いであげることにより、国家的基準を中心として一つにならなければなりません。そのように一つになるならば、今後南北統一は自然に始まるのです。そのように自然に一つになってこそ、中共とソ連を消化することができるのです。

それでどんな結論が出てくるかといえば、氏族的メシヤの設定です。どこに? 韓国の皆さんの故郷、金氏は金氏の故郷にと、このようになるのです。祖国というものは漠然としていますが、氏族的メシヤの配置は具体的です。韓国の金氏であるならば金氏、自分の生まれたその土地に氏族的メシヤを配置するのです。それが家庭的還故郷だというのです。正に着陸が始まるのです。移動がありません。(一九八九・一・三、漢南洞公館)

4 還故郷と南北統一

一九八九年一月一日元旦の標語「韓国統一」、神様のみ旨でもって願ってきた、神意でもって願ってきた祖国は、真の愛を中心とした人類の祖国であり、本郷です。

これはどういうことかといえば、韓国は、神様のみ旨で願ってきた祖国、真の愛を中心とした人類の祖国であり、本郷です。韓国は、人類の祖国と本郷にならなければなりません。ですから、統一された韓国でなけれればなりません。今まで人類は、本郷と祖国をもてませんでした。その本郷と祖国が韓国になるのです。この韓国が、今や南北統一されるということなのです。

それでは統一を、どのようにするのですか? 愛を中心としてするのです。愛と生命の原則を中心として編んでいくのです。一番目は、「統一原理型」といって個人においては、体と心が愛を中心としての統一です。神様を中心として、個人の心身統一なのです。

その次に、家庭を中心としての内外統一。これは、父子関係を中心としての内外統一です。自分の家庭を中心とした統一圏、父子の関係を中心としてその家庭といろいろな家庭が合わさるのです。内外統一なのです。内外統一というのは、自分の家庭、アベル的家庭をいうのです。

またその次には、民族内外統一。これも同じです。氏族を一つにしてこそ、それがアベルになり、各氏族を合わせることができるのです。その各氏族を一つにするため、長子権回復のためには自分が投資しなければなりません。この原則は不変なのです。

その次には、国家内外統一。南韓と北韓とは違うのですね。南韓が内的な立場で、外的に統一するには、カイン、アベルと同じ道を行かなければなりません。ですから、南韓はために生きて、投入しなければなりません。北韓のために生きて南韓が投入しなければなりません。ですから、このごろ大統領が北韓に対してしきりに「与える」と言っているではありませんか? そのような時になったので、自分も知らずに、しきりに「与える」と言うのです。

ところで一つの問題は、このような原理原則を中心として守護し、防衛できる道がないということです。道が分からず、各自がサタンの入ってくるのを防御できないことが問題だというのです。ですから教育を早くしなければなりません。皆さんは急がなければならないのです。郷土に入っていってサタンが侵犯する道を防ぐために、氏族的メシヤになってカイン復帰、氏族基盤を中心として国家のためにするようになるならば、みな終わるというのです。国家内外統一時代が、この時代にとどまっているのです。

それが始まるならば、大韓民国で、南韓で完全にメシヤを中心として世界的基準において氏族圏を統一するようになるのです。その統一された愛の圏が、サタンの愛で国家基準を中心に歴史を支配してきたその基準を乗り越えるというのです。そのようになるならば、世界のために投入する国家形態が神様の名のもとに設定されます。その時から、サタンは反旗を掲げることができなくなるというのです。

サタンは今まで、国家基準を中心としていろいろな国家に分け、宗教に反対しました。しかし、南韓の地において、民族を中心として国家基準で、もし統一的基準がぱっとでき、これを中心に北韓に投入するとき、国家基準を乗り越えるのです。北韓は、自然に一つにならなければならないというのです。(一九八九・一・三、漢南洞公館)

今や皆さんは、故郷に帰って主人の本分を果たさなければなりません。故郷で個人、家庭、氏族、民族を中心として世界まで、先生の前に連結させる業をしなければならないのです。大韓民国さえ連結させればいいのです。国のために一族が動員されて、接ぎ木されるようにしなければなりません。全部、先生に従っていく道を行きなさいというのです。そうしておくならば、国家基準は自動的に復帰されるのです。アダム・エバの国は争って探し求めるのではありません。自動的に生ずるのです。故郷へ送り返すならば自動的に生ずるというのです。(一九八八・一〇・一五、漢南洞公館)

統一教会がしなければならないことは何ですか? 統一教会を中心として韓国の民がしなければならないことは、南北統一です。アメリカの行く道を正しく教えなければならず、ソ連の行く道を正しく教えなければなりません。そうしようとするならば、アメリカ国民に教えることのできる教本を作らなければならず、共産世界に教えることのできる教本を作らなければならないのですが、その材料収拾をどこでするのですか? 韓国南北統一運動本部で作らなければならないというのです。

ここが最後の熾烈な闘争地です。ここに世界解放の鍵がかかっているので、韓国の民は息子、娘を愛し、家庭を愛し、氏族を愛するだけでなく、南北全体のために犠牲になり、世界のために犠牲にならなければなりません。このような時が来たので、皆さんは還故郷するのです。

皆さん、南北統一がどこから始まるのかといえば、統・班長を通じて始まります。自分の故郷に帰り、父と母、四位基台を復帰するところから始まるのです。お兄さんお姉さんを中心として、真なる神様の愛に接ぎ木する業をしなければなりません。彼らは、真なる神様の愛を知らないので、皆さんが教えてあげなければなりません。皆さんが教材にならなければなりません。「国はこのように愛さなければならず、世界はこのように愛さなければなりません」と教えなければなりません。皆さんが故郷に帰って、そのように愛さなければなりません。その故郷の山河に、今まで歴史始まって以来、生まれて死んでいったいかなる忠臣、孝子よりも、天を中心としてそれ以上の涙と血の汗を流し精誠を尽くさずしては、神様が顕現し指導なさることができないというのです。これが原則です。

カインを愛さなければなりません。アダムが天国に入っていくためには、カインを愛さなければなりません。天使長を愛さずしては入れません。ある人は、家を出てきて十年、二十年、三十年の間故郷に帰りませんでした。私がそうでしたから。故郷に帰ってはいけなかったのです。世界でサタンに勝利してから、福をもって行かなければなりませんでした。先生が世界的蕩減の勝利基盤を築いたので、その福の恵沢により、霊界に行っている皆さんの祖先たちは国家基準なのです。国家基準は、世界基準内にあるので、祖先たちは帰っていく皆さんを、先に造られた天使長の位置で待っているということを知らなければなりません。

それでは皆さんは何をしなければならないのでしょうか? アダム・エバ以上に、神様を愛さなければなりません。それさえすれば、皆さんの祖先たちが皆さんの道をあらゆる方向から後援して、ありとあらゆる奇跡が起こるというのです。皆さんの親族たちが今や口を開いて反対しようとするならば、口がくっつくのです。舌が離れない業が起こるのです。ありとあらゆる奇跡が起こるのです。

こうして今から一年の間に、韓国の民の各家庭の上に旗印を差し立て、神様の愛を中心として、その家庭に真に満ちた根を下ろさなければなりません。皆さん、祝福家庭が根を下ろすためには、皆さんの一族を全部、その根を下ろした木に接ぎ木することができるように、心情的紐帯を結ばなければなりません。南韓の地がそうなることによって北韓の地も自然に連結されて、解放の光が南から昇って、北韓をなめ尽くしても余りあるのです。

今まで真の父母の愛の心情圏を失っていたのですが、歴史始まって以来初めて分かれた南・北韓とこの世界に、真の父母の愛を通じてカバーすることができる基準を立てました。それがこの水平線です。先生は、世界から逆に入ってきて連結させ、再び戻ってきてここに立ったのです。入ってきて蕩減して、サタンを追い出しました。今からは発展します。そこに皆さんを連結させ、皆さんの家庭を中心として、家庭、氏族、民族、国家を再編成するならば世界は終わるのです。

そのように韓国問題さえ解決される日には、東西問題は自然に解決されるのです。そのキーが韓国です。分かりますね? (はい)。真の父母の愛の心情圏以外には、開ける道理がないのです。

このことを知って皆さんは故郷に帰り、統一教会に入ってきて数十年苦労した以上の努力でもって、故郷の地を愛さなければなりません。故郷の草一本でさえもペアになって本然の父母の愛の心情を、何百年前に、何百万年前に受けなければならなかったのに、受けられませんでした。それが今や私を通じて、その愛の因縁の条件を伝授してあげるならば、この地と万物は、私と一つになって神様の前に帰ることができ、真の父母の名のもとにに属されて統一世界へ前進することができるのです。

皆さんが一つになって努力すれば、三〇〇〇万の家庭に新しい根が下り、南北統一のみならず、東西の統一、地上天国と天上天国の統一の起源が生ずるのです。歴史の前に一度しかない幸いなる時代が来ると知って、この時代に脱落せず、加担して、前進的な勝利を褒めたたえることができる勝利者にならなければなりません。

本然の故郷が神様を中心として復帰されることによって、サタンは永遠に底なしの穴に閉じ込められ、解放の旗印は、真なる愛の国家とともに永遠に続くのです。(一九八八・五・九、光州教会)

一九八八年九月二十七日を中心として統一、世界統一転換式へ戻っていくのです。開天節を中心として檀紀四三二一年を期して、数理もどうしてそのように合うのやら! それをしてみるとその日がぴったり合わさりました。世界統一国、新しい地上天国への出帆、天地の前にためらわずに発展することができるようになったのです。なぜでしょうか? 統一教会の信徒たちが、故郷にみな行っているからです。故郷で生きることのできる分け前を、みな分けてあげました。自分の故郷の地。

ここに入っていって自分たちの家を建てて住み、息子、娘を育て、天の功臣たちを育てて出さなければならないのが、今回の還故郷です。宗教世界で還故郷という言葉は、歴史始まって以来初めてなのです。高次的な宗教を信ずるようになれば出家を教えてくれますが、故郷に帰れという言葉はないのです。故郷に帰れという言葉は、歴史に初めてのうれしい消息であるということを知らなければなりません。帰るには、父母に侍り、御父母様の国を相続してもらって帰りなさいというのです。分かりますか? (はい)。

今後、統一教会の全部に、解放命令をするのです。統一教会では何をするのですか? 故郷に行って故郷の国を探し求めなければならないのですね。故郷と直結した国、故郷と直結した世界、故郷と直結した天国を成すならば、教会では何をしますか? そうではありませんか? 皆さん自身にあるのです。

それで、地で結ぶのも皆さんが結ぶのであり、地で解くのも皆さんなのです。地で結び、解くことが天上世界でも結び、解くという聖書の教えと同じです。天国の鍵をペテロに与えたのと同じです。しかし、聖書にある天国の門の鍵でなくして、天国を皆さんに与えたのです。これが還故郷して愛の種を蒔き、氏族復帰をしなければならないという訓示なのです。(一九八八・一〇・一四、本部教会)

5 南北統一は地上統一と天上統一の起源

皆さんが今、故郷に行って一つにつくるならば、皆さんの氏族はもちろんのこと、国まで連結されるのです。国まで連結されるならば、その次には解放なのです。世界は、自動的に連結されるのです。今まで蕩減歴史は、国を中心としていたのですね? 国の基準を中心とした一つの国家圏になるならば、今日、国を中心とした愛国市民、歴史時代のいかなる国の民たちが愛する以上に、生命をその民に降り注ぐとしても、神様の愛の理想のために命をささげますという国民性が設定されるようになる時は、統一世界圏へ自動的に連結されるのです。

(一九八八・八・二二、漢南洞公館)

国を探し求めなければならないのです。今、私が皆さんを故郷に送るのですが、何の責任者として送るのかといえば、故郷の氏族的メシヤとしてです。イエス様が成せなかった基準を復帰するために送ったのです。

故郷に行くのですが、国がありません。国は、誰が先に開拓しなければならないのですか? それは、皆さんがすることではありません。御父母様が、復帰摂理の一段階を先立って開発しなければならない責任があるので、先生は、南北統一運動に対する万盤の準備をしてきているということを知らなければなりません。それとともに皆さんも故郷に行って、皆さんの氏族を完全に復帰することによって……。これは、一つの国が生ずるならば、自然と世界的版図に拡大されていくのです。イエス様の位置を身代わりしたのです。イエス様は氏族復帰に失敗しました。

先生は世界国家を代表した中心国家を立てて設定し、皆さんの氏族さえ復帰されるならば、自然に皆さんのところに来るのです。ですから、皆さんが氏族的メシヤになるならば、国家的メシヤ基盤を連結させるのです。国家から世界の版図をもって中心国家を蕩減しながら……。南北統一とは、共産世界と民主世界の統一をいうのであり、地上統一と天上統一の起源になるのです。(一九八八・一二・二〇、イースト・ガーデン)

6 南北統一されて安息が訪れる

先生は、兄に対して原理のみ言を語れませんでした。私の父母に対しても原理のみ言を語れませんでした。自分の家庭を集めて原理のみ言を語りたいという思いがどれだけ切実だったでしょうか? けれども、自分の一族を中心として復帰摂理は成されません。イエス様の死を蕩減するために、世界まで行って戻ってこなければなりません。霊的基盤を中心として再び実体基盤を立てるまで、回って戻ってこなくてはならないのです。

世界の前に、ある国が守護されなければならず、国の中で氏族が守護されなければならず、氏族の中で家庭が守護されなければならず、家庭の中で夫婦が、子女たちが守護されなければなりません。実際にはそのような国がないのです。その国のない基盤で自分の一族を愛してみても、サタンに讒訴されるのです。そのことが分からなければなりません。(一九八九・一・三、漢南洞公館)

今まで創造以降の歴史を通じて、地上世界に対する神様の期待があるというのです。文先生の時代に来て初めて個人的に期待し、家庭的に期待し、氏族的に期待したのですが、この氏族が滅びる氏族になっていっています。自分の妻などを思い、子供などを思い、父母などを思っているというのです。それは滅びます。それを思うなというのではないのです。戦ってから、勝利してから、南北統一をしてから位置を確保せよというのです。(一九八七・一一・八、本部教会)

八 尊影(注:御父母様のお写真)に侍ること、統一旗掲揚、入会願書提出
P315
私たち統一教会は、歴史を再編成するのです。新しい天の国家を再編成するのです。そうしようとするならば、まず、何からしなければならないのでしょうか? 国民がいて、公務員がいなければならないのですね。み旨から見るならば、統一教会の信徒は公務員になるし、入会願書を出す人たちは国民になります。使命が違います。

今、統一教会で入会願書を出した人たちは、判こを押しました。ところが人々は、六・二五動乱のとき、判こを押して首が飛んでいき、虐殺され、一族が虐殺されるのを見たので、判こを押すことを一番恐れるのです。

この前、江原道のある地域長が来て話をするには、あるカトリック教会がその教会から少し遠い所を伝道しなければならなかったようなのです。ところが、統一教会の啓蒙伝道隊員たちがその所に行って講義をし、入会願書を七〇パーセントもらったというのです。部落全体の七〇パーセントもらったのですが、誰かが「ああ、統一教会が入っていって町内全部の入会願書をもらったそうな」と言ったので、カトリック教会の人たちは気持ちが悪いのですね。それで、「私たちも行って伝道をしよう」と言って、全部訪ねていったのです。

そうしてその町内の有志たちを訪ねていって、「私たちカトリック教会を信じなさい。統一教会は異端の邪教ですよ」と言ったそうです。すると、その有志たちは、「私たちは、統一教党に入籍しました」と言ったというのです。「統一教党」と言ったというのです。結局は、統一教会に入会願書を出したことを、党に加入したことのように思っているというのです。党以上に思っているのです。

きょう以降、皆さんは、先生の写真を持ち歩くのは良いことです。そうするならば、どのような苦難に遭遇するとしても、無事に耐えきることができるように保護されるのです。旧約時代、モーセがイスラエルの民をエジプトのパロ王から脱出させ、カナンへ引導するために奇跡を行いました。長子が患難に遭い、病気になって死にましたが、羊の血を門柱に塗った家は、その患難がすべて避けていったのです。霊界では、私たち人間のすべての行動を見ることができるだけでなく、保護もしてくれるです。(一九八四・一・一五、アメリカ)

イスラエル民族がカナンの福地に入っていって、何をしなければならないのか分からずに滅びました。カナン福地に入っていって、どんなことをしなければならないのか知りませんでした。けれども先生は知っています。しかし、そのような話をしませんでした。カナンの福地に行って何をしなければならないのか知っています。祖先たちの轍を踏むなというのです。

それが分かったならば、祈祷室を準備して先生の写真を置き、千回万回敬拝しなさいというのです。昔、再臨主に侍るために準備していた許孝彬氏の団体では、毎日三〇〇〇回敬拝をしたのです。皆さんも一度してみなさいというのです。縫い物も糸一筋ずつ手でしました。裁縫機械でするならば不敬だというのです。そのように精誠を尽くしても、足りないのです。種のない、腐った実ではありません。流れていきますが、種があります。どこに行っても蘇生します。統一教会の信徒たち、社会で公認する人でなければ今後、使わないのです。行く所のない乞食の群れのような者が入ってくるようになっていません。(一九八八・五・一五、本部教会)

なぜそうなのかといえば、サタン世界でも父母の写真を掛けるでしょう? 終わりの日が来たので、天の父母に侍る教育の資料として使うのです。文総裁は有名なのです。愛国者だという言葉はみな認めるのですね、既成教会の牧師たちも? 聞いてみなさい。愛国者だと言うのです。また、私の功績には、天下がみな頭を下げます。そして、「あの写真を掛けた以上、あの方の前においては、夫婦同士、軽率に喧嘩もできません」と言い、息子、娘の前にも、「おいおい、あの文先生の前では駄目だ」と言うようになるならば、悪いことがどこにありますか? 自分の父母の写真以上に侍ることにより、祖先たちが来て、祖先として侍るのです。分かりますか? それは祖先たちが来て、その家に侍る祭壇になるのです。そうすることにより、天上世界の福を受ける道ができるので、朝の三時になるならば、自分たちは眠りますが、一家の周辺からよこしまなる悪魔たちをみな追い出すのです。(一九九一・八・二五、本部教会)

家庭統一を成して、御父母様の写真と共に、師のみ言と共に、主人意識、愛国者の意識を植えておかなければなりません。

創造理想の神様の愛と人間の愛を、縦横の合徳理念を、個人から家庭、氏族、民族、国家……。血統的基準を継いだ新しい氏族圏をもったという立て札を立てて、勝利の王権をもち、旗をはためかすことができるようにしなければなりません。通りすがりの人がその旗を呪うならば、罰を受けます。それで旗を掲げなさいというのです。

また、私は皆さんに旗を掲げなさいと言いましたね? 写真を張り、旗を掲げるならば、みな終わるのではありませんか?

部屋の中に御父母様の写真を張り、統一教会の旗を掲げるならば、それは既に天の国の一族ですか、サタン世界の一族ですか? (天の国の一族です)。天の国の一族になるのです。天の国の一族につくってあげるというのです。ですから、最近、旗を掲げることを呪って雷に打たれる人が多いではありませんか。実に不思議でしょう? 先生に後ろ指を指して手に病気ができたならば、このように持ち上げて何日何夜か祈祷し、悔い改めてこそ治るのです。そのようなことが起こるのです。なぜでしょうか?

天運が訪れてくるのに個人の運勢で妨げることができません。宿命的な道です。モーセが杖を挙げているとき、それを眺めた人は、みな生きました。分かりますか? 統一教会の旗を眺めに、行くたびに敬拝し、来るたびに敬拝し、写真を見に、行くたびに敬拝し、来るたびに敬拝するならば生きるというのです。(一九九一・八・二五、本部教会)

九 還故郷活動の結果とその恩賜

1 還故郷活動の結果

今まで統一教会の信徒たちが十字架を負い、迫害を受けたのは、長子復帰時代だからで、長子を復帰するためのものです。皆さんは、長子復帰時代よりもっと苦労をしなければなりませんか、してはなりませんか? (もっとしなければなりません)。もっとしなければならないのです。ですから、氏族的メシヤは、イエス様の解怨成事をしなければならず、先生の解怨成事をしなければなりません。

イスラエルの家庭は、ヤコブの解怨成事をしなければならず、イスラエルの一族は、イスラエル民族は、モーセの解怨成事をしなければならず、キリスト教は、イエス様の解怨成事をしなければならず、統一教会は、文先生の解怨成事をしなければなりません。そうしなければ天国に行けません。分かりますか? 原理が、そのようになっています。これは、私の話ではありません。

先生がこの韓国に来て韓国を統一するというとき、誰が協助してくれるのでしょうか? 神様が協助します。ですから、神様と一つになってサタン家庭を愛し、サタン氏族を愛し、サタン民族を愛し、その次に、サタン国家、サタン世界を愛し、霊界、地獄までも愛したというのです。地獄まで愛しました。そうしたので、愛したので、先生が行く所は全部、個人天国、家庭天国、氏族天国、民族天国、国家天国になるとしても、サタンは讒訴できません。「お前、神様と共に私を愛せなかった」という言葉を言う所がないというのです。ですから、先生と一つになる時は、先生のみ言と一つになる時は、皆さんからサタンは完全に離れるようになります。

今、氏族的メシヤという言葉は、家庭をもって行くという意味です。祝福家庭なのです。分かりますか? 家庭をパスしたのです。旧約時代にメシヤを送るのは新郎を送るということであり、今、成約時代には先生が苦労して何をするのかといえば、家庭的メシヤを送ります。

旧約時代にメシヤを送るというのは、天から人を送るということです。全部、縦的な道を通じてするというのです。今、成約時代においては、先生を中心として、先生は地上で、神様を中心として、地の東西南北へ送るのです。

皆さん、氏族復帰をするためには、氏族的メシヤが必要だというのです。そのように氏族復帰をすることによって、民族は自動的に展開されるのです。氏族復帰さえするならば、国家であれ世界であれ、ここから問題がみな解決されるのです。

それで、メシヤは誰の責任を果たさなければならないのでしょうか? イエス様が失敗したことを復帰しなければなりません。イエス様は結婚しましたか、できませんでしたか? (できませんでした)。皆さんは、結婚しましたか、できませんでしたか? (しました)。結婚を中心として見るとき、どちらがより良いですか? それでは結婚をどのようにしましたか? 向こう見ずにしましたか、どのようにしましたか? 真の父母を通じて血統が転換されたのです。血筋が変わったというのです。

そうすることによって、イエス様の解怨成事が、皆さんの氏族を中心としてなされるのです。歴史時代にふさがれていた垣、イエス様が結婚できず、息子、娘を生めなかった恨みによって今まで二〇〇〇年間、歴史的曲折を残し、神様に苦痛を味わわせるようにしたことを、解放する起源が生ずるのです。そうすることによって、皆さんの本郷の地が生ずるのです。イエス様の本郷の地が生じたのと同じです。分かりますか? 愛の本郷の地が生ずるのです。

その次には、何をしなければならないのでしょうか? 先生の解怨成事をしなければなりません。先生は、皆さんのように故郷をもてませんでした。今も、故郷に行かなければならないのではありませんか? そうでしょう? 故郷に行かなければなりません。青春時代に自分の父母、一族を率いて、神様の故郷がそこから出発し、神様の国がそこから何の迫害もなく出発できる、自由な環境をもてませんでした。

私の父母に、原理のみ言を語ってあげられませんでした。私の兄は、立派な兄でした。信仰においては、模範的な兄でした。早くに我が国が解放されることを啓示で受けました。また、弟がどういう人かは分からなかったのですが、世界に兄、弟という関係をもった私が、歴史始まって以来初めての人になることだけは間違いないというのです。それが分かったのです。弟がどのような人なのかということが分かったのです。天が教えるには、「世界の弟の中で最高の弟であるから、お前がお兄さんの立場で、どんな話であっても聞かなければならない」と語ったのです。

ですから自動的にカイン復帰がされたのです。分かりますか? 兄弟基準におけるカイン復帰なのです。私が家を売ろうが何をしようが、兄には異議がないのです。そのような兄に対して、原理のみ言を一言も語れませんでした。それは、どれだけ不幸なことですか?

世界を巡りながら多くの民族を越え、国境を越えて諭し、天国に行ける民として再び新生させるために、ありとあらゆる風雪を体験しながら、生涯をささげてきたのに、自分の父母のためにはできなかったというのです。それは、キリスト教が反対することにより、大韓民国が責任を果たせずに、そのようになったのです。

今では還故郷をしても、父母はみな故郷を去り、兄弟たちは何人かいないと思います。一人、二人の兄弟は残っているはずです。故郷を訪れるとき、そのあきれ返るような事情、外部で感じていた事情を全部比較しても、それ以上あきれ返るような事情がないのです。

ですから、皆さんが還故郷して、イエス様が二〇〇〇年間難を受けながら祝福の日を待ち焦がれてきたこと、また先生が七十歳になるまで、栄光の座を押しのけて十字架の道、反対の道を行きながらも、怨讐を愛するためにもだえ苦しんだ、それまでしなければなりません。そのように考えるとき、皆さんが今まで数十年間統一教会に来て苦労したより何十倍苦労するとしても、皆さんが故郷に帰ったその栄光と価値は、先生より素晴らしい位置をもっているということを知らなければなりません。

そこから真実、父母を愛する涙を流さなければなりません。「お父さん、お母さん、親不孝をいたしました。お兄さん、お姉さん。気苦労おかけして申し訳ありません」と愛でもって同化させ、一族に侍り、皆さんがここに上がってきて祖先にならなければなりません。

皆さんが祖先にならなければなりません。これが天地開闢なのです。おじいさんが孫になり、父が息子になるのです。そのようなことが起こるのです。

イエス様の解怨成事、その次に誰の解怨成事ですか? (真の御父母様の解怨成事です)。真の御父母様の解怨成事は、ここに座っていてはできません。故郷へ帰らなければなりません。イエス様が氏族を中心として本当の意味で迫害のない位置で、天理を教えることのできる環境になりませんでした。皆さんは、皆さんの父母と妻子を抱いて迫害のない位置で天理を教えることのできる環境をもって、先生以上に迫害を受けた位置で、先生以上に父母を愛しますという心がなければなりません。皆さんがそのようにすることによって共産党は崩れるようになります。共産党は、自動的に後退するのです。それが原理観なのです。氏族的メシヤの行動は、イエス様以上、その次に先生以上なのです。分かりますか?(一九八九・一・八、本部教会)

2 故郷復帰に参加した価値

今では時代が違います。過去は兄弟時代で、この時代は父母を復帰する時代なのです。完全に違うのです。父母の概念を知らなければなりません。

さあそれで、この氏族的メシヤというものを誇りに思い、先生のような誇らしいメシヤにさえなるならば、どこに行っても反対はないのです。先生は、片方を眺めながら戦ってきました。そのような人生路程を歩んできて、このような基盤を築いたのです。これは無価値なものではないのです。貴いものです。ですから、皆さんも考えてみなさい。いかばかり誇らしいですか。これは、歴史に初めてのことなのです。(一九八九・四・二、ニューヨーク)

父母! メシヤ! 過ぎ去った世代の祖先たちと宗教指導者たちが、いかばかりメシヤを願ったでしょうか?どれだけ彼らが願ったとしても、彼らはメシヤに会うことができなかったのです。しかし、この世代、皆さんの世代において初めてこれが可能になったのです。真の父母と一緒にいることができるこの世代が、いかばかり祝福を受けた世代なのか、分かり得ないのです。それくらい福を受けた世代なのです。

サタンも、そのような父母には反対できないのです。真の父母は、真に満ちた兄弟たちを一つにして抱くことができますが、サタンは、そうできません。ですから、サタンが頭を下げるのです。それが原理なのです。それが神様の創造観です。 私たちがメシヤだということがどれだけ誇らしいことか! 分かりますか?(一九八九・五・一、世界宣教本部)

3 還故郷による恩賜

還故郷というものが、宗教歴史時代に発表されたということは、神様の復帰摂理において極めてうれしい福音です。ところが皆さんは、福音の内容を、説明を聞く前はいい加減に考えていませんでしたか? そうであるならば、いかばかりみ旨に対して無知でしたか?(一九八八・七・二二、漢南洞公館)

先生は、故郷を愛することができないではありませんか? そうでしょう? 皆さんが幸いなのですか、先生が幸いなのですか? (私たちが幸いです)。皆さんは、父母に会うことができます。(一九八九・一・三、漢南洞公館)

ですから、皆さんの時代には、父母をかき抱いて、「お父さん!」と言えば、皆さんの父母も一緒に、「父よ!」と言うことができるのです。ですから、どれだけ幸福ですか? 先生は、そのようにできませんでした。兄弟の血族を中心として、「父よ!」と言うとき、血族が同感して一緒に涙を流す場にいることができませんでした。「お父さん!」と呼ぶことができなかったのです。天の国の声を一緒に訴えることができませんでした。このような悲しみを帯びているということを知らなければなりません。

このような曲折の歴史を抱いてきた先生の代わりに、皆さんの家庭を愛しなさいというのです。皆さんの一族を解放しなさいというのです。解放できるものが何かといえば、み言です。み言を宣布できる時になったという事実は驚くべきことです。(一九八八・一・二三、本部教会)

第六節 王権復帰と入籍

一 故郷と三大主体思想

1 三大主体思想の根本

三大主体思想とは何かといえば、神様です。三大理想的本体とは何ですか? 神様です。神様とは誰ですか?私たち人間の欲望でもって探し求め得るすべてのこと、真の父母の中の真の父母です。真の師の中の真の師です。真の主人の中の真の主人です。(一九九〇・七・一、本部教会)

2 三大主体思想の中心――ために生きる生活

天の血統を中心とした真の父母を中心として、追い込まなければなりません。生活の方法は、三大主体思想なのですが、真の父母の思想、真の師の思想、真の主人の思想です。それが父母を拡大させた愛の概念であって、ために生きる思想だというのです。知識だけを教えますか? 人格を教えなければなりません。広い社会性を備えたすべての人格、家庭を中心とした父母だけではいけません。ですから、父母の代わりに大きな愛を教えなければなりません。(一九九一・一・一、本部教会)

私が皆さんのためにすることは、父母の心情で、師の心情で、主人の心情で、ために生きるのです。そのことを知らなければなりません。それで、何をしようというのでしょうか? この国の北韓の地にも行き、全羅道の島の地方にも私が訪ねていって、この八道の山河にさすらう人々を接ぎ木して、その芽が天の芽として伸びるようにして、善の功徳の上に同じ実を結ぶようにしようというのです。そうして皆さんが三大主体思想をもって国のために生き、世界のために生きる道を手助けしてあげようというのです。そうすれば、皆さんが良くなるのであって、私が良くなるのではないのです。枝を植えるのです。(一九九〇・六・二六、光州教会)

3 三大主体思想と私たち

きょうは、何かといえば、真の御父母様の宣布をする日なのです。すべてのことが信じられない世の中であり、眺めることができない世の中であり、絶望的な世の中ですが、一つの希望峰が芽を吹いたのです。それが何かといえば、真の父母なのです。真の父母しかないというのです。

一番初めに先生が、アメリカは絶望的であり、滅びるとそう語りましたね? 全世界がそうです。今や孤児の中の孤児であり、行くべき道が分からずに泣いているし、また、主人がいなくて大騒ぎなのです。主人がいないし、その次には、師がいないし、父母がいない世の中なのです。その三つを失ってしまいました。

どのようにしてその三つを探し求めることができるのでしょうか? 真の父母にその三つがみな連結されています。真の父母がこのような三つを完成するのです。真の父母が真の師であり、真の師が真の父母なのです。なぜでしょうか? 今、サタンが全人類を手に握っています。人間の堕落以降にそれを教えた人はいません。そのことを知らなければなりません。真の父母が真の師なのです。真の愛を中心として教えるので、真の師なのです。それが、真の主人なのです、真の主人。ある時は僕に命令を下すように、厳しく命令します。それが真の主人なのです。どれだけ難しい境遇で命令をするとしても、皆さんにすべての所有権を相続してあげたがるのです。

ですから、今からはっきりと理解しなければなりません。私たちは、真の父母のすべての心情を相続しました。「私」は主人、自動的に主人になります。師になり、真の父母になるのです。他のいかなる人も皆さんを指導することはできません。私たちには他の師、主人と父母が必要ありません。(一九九〇・五・二七、ベルベディア修練所)

さあ、故郷に行って何をしなければならないのですか? 今回、主人になるために行きなさいというのです。その次には真の父母、父母になるために行きなさいというのです。堕落した世界、無知なる人間たちに完全に教えてあげるために行きなさいというのです。三代の愛を中心として、三大主体思想を完結させるために行きなさいというのです。

三大主体とは誰ですか? 神様です。神様は、主人の中の主人なのですね? 神様は、父母の中の父母です。根です。神様は、師の中の師です。金日成の三大主体思想ではありません。創造理想を中心として、愛を中心として三大主体思想が主人思想、その次には父母思想、その次には師思想です。国と比較するならば、父母は家庭にいるし、師は学校にいるし、主人は国にいるのです。みな、ぴったり合うのです。これをどのように連結させなければならないのかという問題、愛でもって和するようにする、その論理的内容はなかったのですが、統一教会は、論理的内容を整えましたから、国家に適用するならば国家の平和の世界、世界に適用するならば世界の平和の世界、天地に適用するならば天の平和の世界が、真の愛を中心として来るのです。(一九九一・八・二九、国際研修院)

二 八段階と八定式

1 縦的・横的八段階

皆さんの体がサタンの支配から抜け出て、神様と一つになっていますか? 自分を完全に否定しなければサタンに勝つことはできません。ですから、苦労をしなさいというのです。三年半の間。乞食、僕の僕から上がってこなければなりません。縦的に僕の僕から僕、養子、庶子、直系子女、その次には、母、父、神様とこのように八段階なのです。また、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様、これも八段階なのです。ですから、縦的に八段階、横的に八段階です。それが原理観です。先生の言葉ではないのです。

このような言葉は、先生が初めて語るのです。図書館にあるのでもないのです。東洋思想、西洋思想をもってこれを解くことができますか? (いいえ)。神様しか知らないのです。そして、サタンと先生と、三人だけが知っているのです。それを操縦するのは先生なのです。神様もできないし、サタンもできません。(一九八九・四・一、ベルベディア修練所)

2 サタンの活動と八段階

御覧なさい。サタンが今くわえているものは何ですか? 今まで歴史的に個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様、この八段階を中心としてくわえているものは何でしょうか? 「あなた、神様は、原則的な主人であり、あなたの息子、理想的なアダム・エバ、すなわち、真の父母というものは、原則的な息子なのです。その原則的な父が私を天使長としてつくったので、私、天使長が堕落する前は、あなたの愛とあなたの息子の愛を受けることができるのが原則でした。その愛を尽くさずしては、あなたが原則的な父として原理的な息子を愛することのできる位置に立てないのではないですか?」と言うのです。これが問題です。堕落したが、あなたが私を愛さなければ、私のこの所有を、本然のエデンでアダムの愛、神様の愛の圏内で主管を受けていたすべての万物を探し求めてはいけない、とサタンは言うのです。

個人的に神様とアベルが一つになって私を愛して、個人的な愛の条件をもってこそ探し求めることができるのであって、そうでなければ探し求めていけないのです。家庭もそうであり、氏族、民族、国家、世界もそのような立場にあり、天地もそのような立場にあると主張するのです。それが、サタンが私たちの胸ぐらをつかむ、何と言いましょうか、首を締める綱なのです。(一九八四・五・一九、イースト・ガーデン)

3 御父母様の八段階勝利

本然の祝福家庭を欽慕するその基準から見るとき、神様がどれだけ今まで待ち焦がれ、イエス様が三十三歳まで過ごしながらいかばかり待ち焦がれた祝福家庭でしたか? 二〇〇〇年の間、再臨時代を経て本然の祝福家庭へ戻っていけるその道をいかばかり待ち焦がれたのかというのです。

それは簡単にできないのです。これは復帰の過程であるので、八段階で七回出たり入ったりして長子権を復帰する業を、先生が四十年かかってしたのです。キリスト教と自由世界ができなかったことを蕩減して回して合わせたのです。これを合わせなければ大変なことになるのです。ですから、先生がどれほど忙しかったことでしょうか。四十年内に蕩減できなければ、四〇〇〇年歴史をふさぐことはできません。これは明らかにそうなのです。

それは、通りすがりの客ではないのです。天の王宮、天の国、天地全体の出発点が間違うならば、大変なことになるのです。めちゃくちゃになるというのです。(一九八六・二・九、本部教会)

先生に似なさいという言葉は良い言葉ですか、悪い言葉なのですか? (良い言葉です)。築かれたすべての福をただでそのまま引き継いであげるというのです。先生が大きな峠を越えたならば、これを中心として同じ型をつくりなさいというのです。そうするならばこの垂直線は同じだというのです。そのように蕩減していくのです。

個人蕩減、家庭蕩減、氏族蕩減、民族蕩減、国家蕩減、世界蕩減、天宙蕩減、神様の心情的蕩減まで八段階が残っているのです。それが、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰、世界復帰、天宙復帰、神様まで八段階です。これは、縦的な蕩減路程、横的な蕩減路程を愛を中心として上下に全部、無事通過することができるのです。このような連結を成すことによってこの球自体は、愛の圏の所有物になるのです。そのようになるならばこの地球にはサタンの所有権はあり得ないので、サタンは自動的に追放されるのです。終わりです。(一九九〇・二・一六、中央修練所)

4 八段階と氏族的メシヤ

人類を代表した父母の位置に上がっていくためには、最初のアダム、二番目のアダム、三番目のアダム全部が、「ここにサタンが讒訴する条件が完全にない」と言うことができるように解明しなければならないのです。子女圏世界版図基盤の上に父母圏世界版図を形成しなければならないのです。もちろん、この七年路程の長成、完成、御父母様の七年路程がみなできたものと見るならば、原理結果主管圏が直接主管圏と連結されることによって初めて真の父母の形成が始まるというのです。その時までは、アダム・エバも子女として育ったのではありませんか?

真の父母形成の位置は、どのようにしてなるのですか? 神様と一つになる位置なのです。人間の責任分担、原理結果主管圏と直接主管圏を一体化させることとは、夫婦が愛を中心として一つになり責任分担を完成することなのです。責任分担の完成基盤の上に神様と真の父母が一つになるのです。そうではありませんか? ですから、その位置に上がっていかなければならないのです。

その次に、子女圏復帰解怨成事をしたならば、ここに父母圏が始まらなければなりません。この世界五十億人類は、結局はアダムの子孫であり、その次には宗教圏があるので、イエス様の子孫なのです。これと同じなのです。ですから今後、第三アダムが来て、世界をも全部連結させて、本来堕落しなかったアダムの子供として戻しておくのが復帰歴史です。それで父母圏解怨成事をしなければならないというのです。

子女解怨成事時代が過ぎ去ったので、長子権を復帰することによってサタンを追放し、今や完全に神様の懐に抱かれ得る子女になったというのです。そうであるならば、この抱き得る父母が父母圏を形成しなければなりません。父母圏を形成しようとするならば、アダム時代、イエス時代、再臨時代が解放圏に立たなければならないのです。

先生でいうならば、個人アダムであると同時に家庭アダム、氏族アダム、民族アダム、国家、世界、天宙アダムの歴史を編んできたのです。僕の僕からずっと縦的に八段階を探し求めて上がっていくのです。それを中心として八段階だけ上がっていくだけではなく、横的に個人、家庭、氏族、民族、国家、世界までみな解かなければならないので、世界の五十億人類まで、世界まで縦横を中心として蕩減路程をみな経て上がっていくことにより、サタンが讒訴することのできない解放圏を成就させるというのです。

そのような過程を経てくることにより父母圏さえ完成させておくならば、過去、現在、未来にもサタンが讒訴する圏がなくなるというのです。ですから、先生が第三次アダム圏完成基準を中心として何をさせるのかといえば、アダム家庭、その次にイエス家庭を……。イエス様も失敗し、アダムも失敗したのですね。また、イエス様が出てくる時までの復帰歴史の中で、アブラハムからヤコブ、モーセ、全部失敗の歴史なのです。それを全部清算しなければならないのです。それは子女圏解放にも関係があり、父母圏解放にも伸ばしていくのです。

ですから、父母圏解放をするためには完成した国家代表であると同時に、世界的父母が出てこなければならないのです。その基準を全部築いたのですが、これがまだ横的に連結されていないのです。統一教会氏族編成、民族編成の蕩減的条件は全部つくったのですが、これが世界的に連結されていないのです。中心はできているのですが、世界的に連結されていないというのです。

世界へ連結するためには、どのようにしなければならないのでしょうか? ここから氏族的メシヤとイエス家庭、アダム家庭が失敗したことを連結させることによって時代別――個人時代、家庭時代――にこのような条件が成立し、世界人類がみな入っていくのです。(一九八九・一〇・一七、漢南洞公館)

5 八段階宗教と真の父母宗教

今まで人類歴史を八十五万年だといいます。大体八十五万年と見るのです。その期間に宗教運動というものは、はるか未開なところから迫害を受けて出てきたのです。それでは、このような役事をさせる方とは誰なのですか? 神様です。神様なのですが、僕の僕から段階的に分かれてくるというのです。ですから、僕の僕の中では、僕が主人になるのです。主人が僕を使うのではなく、僕が使うようになるのです。

天の国の僕の主人になろうとするならば、サタン世界を全部合わせた僕の迫害を受けて、勝利しなければなりません。

ですから、死ぬ覚悟をしなければならないのです。それで、「死なんとする者は生きる」という言葉が出てきたのです。僕の僕から僕の立場に上がっていき、その次に僕から養子の立場へ越えていく時も、必ず迫害があるのです。ここも同じなのです。七段階まで。神様まで八段階なのです。

ではこれを誰が担当しなければならないのでしょうか? 人々は変わっていきますが、神様は変わりがないのです。それで、この世界の宗教の中には、僕の僕になる宗教、僕の宗教、養子の宗教、庶子の宗教、息子の宗教、母の宗教、父の宗教、真の父母の宗教があるのです。一番あとには、父母の宗教が生じてくるのです。終わりの日になっては、真の父母を中心とした真の父母の宗教が出てくるのです。

統一教会という言葉、宗教を統一するという言葉が出てきたのは、真の父母の内容をもった宗教の教理を通ぜずしてはそれが不可能だからです。(一九八三・一・二三、ベルベディア修練所)

6 八定式

霊界と地上界の歴史を経て、今では太平洋沿岸をみな経、大西洋を経て上陸したのちにアラスカで何をしたのかといえば、八定式をしたのです。八定式は、縦的な蕩減歴史的路程、横的な個人、家庭、氏族、民族、国家、世界蕩減路程、八段階縦横の路程を経て定着することによって長子権復帰が起こり、この地の世界の人間の前には、蕩減の路程が解消されるのです。八定式をすることによってそうなのです。先生が宣布したのです。八月三十一日アラスカで。

なぜ八月なのかといえば、一九四五年を中心として一九四八年までの三年間、死なずにしたので今年のすべての時は、正月から八月まで摂理的プログラムを、みな合わせなければなりません。それで急いだのです。そして、八月三十一日、そのような長子権復帰時代を中心として、勝利的立場で父母に侍ることのできる立場に立ったので、父母の愛によって兄弟たちに対して過ったすべての歴史時代の人々を許してあげるというのです。何のことか分かりますか?

長子権が復帰され、御父母様が抱いてあげることにより、父母の愛の圏内で長子権復帰のための歴史時代の戦争史、闘争史がなくなり、愛でもって和合できる、蕩減が必要でない時に入ってきたというのです。そのようなことをするためには八定式をしなければならないのです。

八定式をすることによってその息子、娘を、長子と次子を前においた父母が生じて、このような子供たちを許してあげたので、そのあとには父母容赦圏時代が来るのです。

それで愛援摂理時代を宣布するのです。救援摂理ではありません。愛でもって援助する救援時代なのです。今までは、蕩減復帰救援だったのですね? それがなくなるのです。長子権復帰をすることによって、兄弟たちが父母の懐にただそのまま抱かれ得る立場に入ってきて、父母の愛を中心として、父母に許しを受けることのできる環境をつくっておいたので、この地上に統一教会に反対する勢力はなくなるのです。反対する時代は過ぎ去るのです。今、そのようになったのです。アメリカに、統一教会の文先生に反対する人がいないのです。いるといってもそれは、共産党の本当のアカと解放神学の連中のみなのです。全部、世の中を知らない者たちなのです。(一九八九・一〇・三、リトル・エンジェルス芸術会館)

縦的な蕩減、横的な蕩減、八段階の蕩減が全部終わったので、昨年(一九八九年)八月三十一日を中心として八定式というものを、西欧社会の一番高いアラスカに行ってしました。一番高い所なのです。そうして九月一日に天父主義を発表しました。天父主義なのです。愛援主義であると同時に父母主義なのです。父母主義は、愛そうというのです。愛するのにサタンは反対できません。統一教会の行く道にサタンが反対しなければ、たちまちのうちに世界的なものへ展開されるのです。(一九九〇・二・一六、中央修練院)

八定式が終わることによって何をすることができるのですか? (天父主義)。父母圏解怨成事が始まるのです。この時が来るので先生が父母の位置で、皆さんを氏族的なメシヤの位置に立てて、イエス様の位置の解怨成事、アダム家庭の解怨成事をするのです。皆さんの一族を通じて、父母の失敗の基盤を全部解消させることにより、初めてすべての人が生まれた故郷が、天の国の故郷の地へと転換されるというのです。皆さんの故郷は全部異なるではありませんか? 韓国であると言うことができますか? 一つの国の形態を中心として先生と連結されて、先生に統治され得る故郷の地をして連結させて、自分の父母が生まれた所が天の国の父母の位置に選定されることによって、皆さんの故郷が天の国の故郷に認定される時代に入ってくるというのです。分かりますか? 何のことか? (はい)。そうであってこそ世界の万民が全部故郷をもつのです。(一九八九・一〇・四、漢南洞公館)

三 天父主義

1 「天父主義」と名づけた理由

先生はなぜ天父主義という言葉を語ったのでしょうか? 共産世界と民主世界があるのですが、それらどのように形成されたのですか? 家庭を中心として形成されているので、私たちの天父主義を中心として家庭さえ連結させるならば終わるのです。これらはすべて必要ないのです。条件さえ立つならばクルッと回って行くのです。ですから、民主世界であれ共産世界であれ、家庭理想がないというのです。みな壊れていったのです。

ソ連人の趣味は、酒を飲むことと女房、それしか知りません。女房もみな酒を飲みますから、そのような女房を好むのです。ですから、家庭もめちゃくちゃになったというのです。今や家庭を連結させ、家庭消化の版図を拡張させることにより、家庭理想を中心とした父母主義と王権主義が完成を見るようになるのです。そうすることによって本然の世界に帰ることができるというのです。(一九八九・一〇・一七、漢南洞公館)

2 天父主義宣布の背景

存在の基台は、何でもって確定しようとするのですか? 理想から見るとき、愛をもってするのです。私たち人間は、堕落したので二種類が生じたのです。ですから、世界が全部サタン圏に入っていったのです。ここから、天は全部浸透して奪ってくるのです。個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代、天宙時代まで……。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様までです。蕩減です。それが、統一教会では八段階です。横的な面でも八段階、縦的に上がっていくのも八段階です。これを結びつけて定着したと宣布したのです。

今回、アラスカで先生が一九八九年八月三十一日に宣布したのが八定式です。こうすることによってどのようなことが始まるのかといえば、世界の人類の前に蕩減を必要とする時代を越えていくというのです。その話とは何かといえば、統一教会の世界の前に、先生が行く所や、統一教会の信徒たちが行く所には、迫害時代がなくなるというのです。

今や、天の国に王国を建てるとか、何をするとか、私たちがありとあらゆることをするとしても、誰も讒訴できません。それで、その基地として定着する式が八定式です。この八定式を基盤として、一九八九年九月一日に天父主義を宣布しました。

これは何かといえば、八定式が終わる時までは長子権復帰時代です。今や長子権が復帰されたので、長子権も天側に復帰されることによって、サタンが反対することのできない世界的頂上圏に上がってきて立つのです。今や私たちが強く大胆に押すならば、アメリカも押されるし、共産世界も押されるし、韓国も押される時が来ました。日本も押されるのです。ですから、強く大胆であれというのです。(一九八九・一〇・四、漢南洞公館)

統一教会の先生が八定式をし、その次には何をしたのかといえば、天父主義を発表しました。その天父主義を発表する前に何をしたのかといえば、父母圏解放なのです。兄弟圏を解放したので父母圏を解放しなければなりません。世界の父母、国の父母、氏族の父母……。イエス様は氏族的父母になれずに死んだのですね。その次にはイエス様の前に父母が一つになれませんでした。父母がイエス様を敬ったならば氏族的、家庭的アダム圏の父母になったはずなのに、これが分かりませんでした。

イエス様は、氏族の代表であると同時に、民族、国家の代表になるはずでしたが、自分の家庭的父母圏をもてなかったので死んだのです。それで私たち統一教会は、今や兄弟圏を解放したので、父母圏を解放しようというのです。今日、氏族的メシヤを押し立てることにより、皆さんの父母が統一教会に反対していたのを、堕落したアダム・エバが失敗したことを、皆さんが再び復活させて、探し求められた家庭の資格を、天の国の天権をもって是認公布するのです。それが氏族的メシヤ宣布の目的なのです。(一九八九・一〇・八、本部教会)

3 天父主義は家庭中心

今日、私たちがここでいう天父主義時代、八定式が終わることによって発表した天父主義時代は、何をもってつくるのかといえば、個人ではないのです。家庭なのです。それが分からなければなりません。天父主義は何をもって成すのかといえば、家庭なのです。ですから、神様がこのみ旨を成す時、サタン世界や民主世界の一番の問題が何なのかといえば、家庭の破綻なのです。

共産世界は、家庭というものを認めません。家庭は、搾取基盤の基台だといっているのです。神様との関係ができていません。民主世界も同じなのです。ですから、事実上家庭形成のすべてのものが傾きました。社会基盤であり、国家基盤であり、世界の基盤であるにもかかわらず、これが今まで散らばっているのです。ですから、今後、私たちの家庭基盤を中心として右翼世界と左翼世界は、自然に吸収されるというのです。それでは、ここにおいて天父主義は何を中心として成すのでしょうか? 家庭を中心として成すのです。(一九八九・一〇・一七、漢南洞公館)

今や家庭絶対主義時代なのです。家庭を抜きにすれば、天父主義時代とは何をする時代ですか? 家庭を抜きにしては、その天父主義という言葉は成立しません。主義というものは、一つの過程的なものです。橋を渡っていくのと同じです。

統一国は、家庭を統一した国ではありませんか? 家庭を中心としてなされるのです。民主主義がどうなったのかといえば、サタンが民主主義を引っ張っりながら、家庭を破綻させてしまったのです。キリスト教思想圏内にあるアメリカの家庭が、なぜ破壊されますか? 聖書にはそのような法がないのに、なぜでしょうか? 完全にサタンに利用されたのです。

ですから、家庭を絶対視しなければなりません。家庭で絶対的神様のように父母に侍ることにより、絶対的神様の二性性相、性相と形状が絶対的に分立され得ないように、永遠に共にいたのと同じなのです。その次に子女が、アダム・エバが堕落せず、完全に一つになったのと同じです。   (一九八九・一〇・一七、漢南洞公館)

天父主義は、家庭を中心とした王権を回復させて連結させることにより、王権が復帰されるのです。天宙的王権が復帰されるのです。ですから、家庭がなくてはならないのです。これは、必ず家庭が中心なのです。統一的家庭基盤を通じてアダム的統一家庭、氏族的アダムの統一家庭、それなのです。アダムの氏族がいたのではないですか? 民族的アダムの家庭を中心として、統一してこれがずっと連結されなければならないのです。それで、統一的家庭基盤を通じて王権が復帰されるはずだというのです。(一九八九・一〇・一七、漢南洞公館)

4 天父主義と王権

九月一日には、何をしたのでしょうか? 父母圏解放と子女圏解放を整えたので、ここに統一圏家庭が成立するのです。今や新しく生ずるこの家庭的主人は、真の父母を中心とした父母主義なのです。兄弟主義を越えて父母主義です。

父母の愛を兄弟の中で否定する者がいないので、ここから統一的運勢の家庭的基盤が設定され、宇宙が初めて従い戻り始めるというのです。昼夜の正常な軌道に従って、世界が回り始めるのです。このように天父主義を宣布することによって今後、統一王権主義時代へ越えていかなければならないのです。神様が王にならなければなりません。それが私たち統一教会の誓い五の一条なのです。

私たちは、神様を中心とした何なのですか? 一つの主権を誇るのです。私たち統一教会が標傍する、イエス様が願った、神様が願った統一王国をつくり、天上世界と地上世界の地獄を撤廃し、神様が直接統治することのできる愛万能圏時代へと越えていくのです。愛の伝統に従い、垂直的愛が何であり、縦的な愛を中心としてどのように連合されるのかということをはっきり知り、生活舞台に適用するのです。そして、万国、万象世界、天上世界のどこであってもこれを拒否され得る圏を乗り越えることにより、自然に解放の時代が来るのであり、統一の時代が来るのです。

最後に残るのは、永遠なる王権を中心として、長子権を中心とした統治理想世界であり、そこへ行くのです。例えば大韓民国の大統領は国の王であり、道知事は道の王なのです。このような観念なのです。ですから、王権と言っても変に思わないでください。

郡であるならば郡の王権なのです。面であるならば面王権、その次に、部落であるならば部落王権、これが本来アダムに許されていた王権主義なのです。その主義を私たちの家庭ももちます。私はここから始めましたが、この王権を通じて千年万年回っては、あのてっぺんまで経て、根まで通ずることができる自主的な木であるならば、木を代表した枝なら枝、葉なら葉になるというのです。

その話とは何かといえば、皆さんがこの位置にさえ立つならば、どこにでも通ずるというのです。真なる家庭は真なる氏族的な郡に通ずることができ、郡の真なる家庭は道に通ずることができ、道の真なる家庭は国に通ずることができ、国の真なる家庭は世界に通ずることができ、世界の真なる家庭は天の国に通ずることができるのです。通じてからどのようになるのでしょうか? そこで守って、自分のためにするというのではないのです。ために生きるのです。ために生きる創造原則を中心として範囲が広ければ広いほど、犠牲にならなければなりません。苦労をもっとしなければならないのです。こうして解放時代、統一の時代が来ますように。(アーメン)。

「来ますように」と言う時、「アーメン」と言いましたから結局は、私たちがつくらなければならないという話ではありませんか? 南北統一は、私の手で。先生の手ではないのです。王権を継いだアダムの手で。アダムの代身者がしなければなりません。家庭的王権でも、結んでしなければなりません。氏族的王権でも私が死ぬ前につくって死ななければなりません。そうでなくしては、連結され得るものがありません。

もう一度いうならば、木の細胞の樹液は、枝を経、幹を経、根を経て水路を通じてどこにでも通ずることができるのと同じなのです。王の実権を代表することのできる精髄的素性を備えることができないならば、その天の国の一族の存在性を失うという話なのです。

今、語っているのは、王権なのです。王権とはそれなのです。皆さんの父母が王なのです。国を代表した家庭の王なのです。会社であるならば会社の社長が王です。自分の父母の代身なのです。国の王権を受け継ぐことのできる道を築くための橋梁なのです。そのように生きることによって、私たちが天の国の皇族として即位し、千万年生きるのが天上天国だったというのです。(一九八九・一〇・八、本部教会)

四 王権復帰と氏族的メシヤ

1 設定日時

本来、アダムが完成するならば天国の父が完成し、エバが完成するならば天国の母が完成し、そして家庭の主人になるならば、家庭的天国の王権が生ずるのです。それゆえにアダム・エバは個人的王であり、家庭的王であり、氏族的王であり、民族的王であり、国家的王であり、世界的王になるのです。今やこのような国家基準を乗り越えることのできる時に来たので、サタン世界の王権をみな踏み、天の世界の王権を設定することができるのです。その日がきょう一九九〇年三月二十七日だというのです。こうすることによって、世界は今やレバレンド・ムーンが風を巻き起こすとおりに回っていくようになっているのです。(一九九〇・三・二七、ベルベディア修練所)

2 王権復帰設定が可能な理由

私たちにおいて一番目とは何ですか? 神側に立つのです。その次に何ですか? 家庭が天側に立つのです。そのようになるならば、どちらにせよ御父母様を中心として世界的版図が全部連結されるのです。また、復帰の内容を見るならば、一番目は兄弟権復帰が終わり、二番目は父母権復帰が終わりました。三番目は、王権復帰です。

さあ、故郷は一つであり得ますか? 元来の故郷は、先生が生まれた所ですが、その次のすべての氏族の故郷は、定州ではありません。それは、皆さんが生まれた所にならなければならないのです。分かりますか? 故郷が間違い、サタンが占領したのですが、皆さんの故郷で天を中心とした父母が生まれるので、そこがエデンの園だというのです。そうして、堕落しなかった本然の園を中心として生まれた皆さんの善の後孫は、その世界に向かって広がっていくのです。この垂直線を中心として、先生の一族を中心として皆さんが全部連結されるのです。縦的なものを、自分の一族よりももっと愛さなければなりません。縦的なものが先ですから、これを愛し、その次に自分の一族を愛するのです。そうであればサタンが占領できないのです。このようなことが成立することによって、今では王権復帰が可能なのです。(一九九〇・三・二七、べルベディア修練所)

3 氏族的メシヤと王権

統一教会は、宗教です。宗教は、永世の道を探し求めていくのです。永遠であられる神様が、愛の対象として人を造りました。永遠なる愛は、愛の対象が自分よりもできが良いことを願うのです。息子、娘が自分より良くなることを願うのと同じようにです。それは神様に似たのです。ですから、私たち人間の価値というものは、神様よりも良くなることができる愛の対象であると見るとき、このような永遠な真の愛における永生の論理は、自然的な論理なのです。永生の道を築いていくのです。永生の個人心情版図、永生の世界で歓迎することのできる家庭的版図、氏族的版図、民族的、国家的版図を成していかなければならないのです。

祝福を受けた家庭の前に世の中があり得ません。アダムの前に世の中がありましたか? あるのは自分が率いた家庭と、神様に侍ること以外にはありません。それと同じなのです。よこしまで邪悪な悪の世界を中心とした習慣性を、きれいに清算しなければなりません。解放された姿をもって、本然の長子権を純粋に受け継ぐことのできる息子の自負心を、その息子がもつことのできる父母権復帰なのです。長子権を経て家庭を成して、息子、娘をもってこそ父母権が復帰されるのです。アダム時代に、父母権を失ったのです。

氏族的メシヤを中心として、父母権を復帰することにより、本郷の地を故郷の地へ設定することのできる天の祝福を受けたこの価値を見ても分からない、滅びる種子たち! 先生は通りすがりの一人の客として語ったのではないのです。一家の長として、一国の長として、一天下の中心存在として霊通力で語っているのです。

氏族的メシヤを軸として王権が連結され、国が連結されるのです。世界と国の基準をみな築いておきました。垂直に立っています。皆さんは、東西南北を中心として連結させる蘇生の個人であり、長成の家庭であり、完成の氏族なのです。こうして国家的基準を中心としなければなりません。(一九八九・一〇・一七、漢南洞公館)

氏族的メシヤがしなければならない責任とは何かといえば、アダムとエバが堕落したのと同じ立場の自分の父母を、結婚したその父をアダムの代身の位置に、自分の族長として立てておくことであり、そうすることによって初めて地上で直接主管圏に同参できる恵沢圏内に入ってくるのです。サタン世界の個人、家庭、氏族、民族、このように逆に発展したすべてのことを蕩減した勝利の条件は、先生を通じて立ててきたので、先生に絶対侍って一つになる立場で、アダム家庭一族にならなければなりません。アダム一族にならなければならないのです。分かりますか?

個人アダムは天の息子の位置であり、息子たる彼らの家庭の主人になり、家庭の王になり、その氏族の王になり、氏族の中心になり……。このようになるのです。アダムが霊界に行っても、霊界の王になるのです。王権を占めることのできる方がアダムだというのです。このように個人的王権、家庭的王権、氏族的王権、民族的王権、国家的王権……。アダムが個人から世界的王権の代表者になりそこなったのを総蕩減する価値的内容を、先生が世界の版図で全部探し求めてきたのです。サタン世界、天上世界に行って探し求めて戻ってきて全部積んでおいたので、皆さんの家庭、氏族さえ連結されるならば、国家と世界は連結されるようになっているのです。

ですから、統一国が顕現するのです。ただのどんぶり勘定式ではないのです。サタンと神様の間に大使を通じた会議の決議を経て、その結果の一致点に従わずしては統一世界は出てくることができないのです。(一九八九・一〇・三、リトル・エンジェルス芸術会館)

五 氏族編成

1 祝福が氏族編成

歴史時代に悪口を一番たくさん言われたチャンピオンを選び出せと、世界の数多くの国家の放送局でクイズを出せば、直ちに文なにがし、文先生、レバレンド・ムーンだと、みな答えるでしょう。そうすると、「合っています」と言うようになっています。誰のために悪口を言われましたか? 文総裁のために悪口を言われましたか、誰のために悪口を言われましたか? 統一教会のために悪口を言われましたか? 違います。大韓民国のために悪口を言われましたか? 違います。神様のために、ただひたすら神様のためにです。

それで神様が、「私の前に一番の孝子である文総裁を、世の中の人がみな嫌だと言っても、連れていって孝子賞を与える」と言うとき、過去の仏教の釈尊や儒教の孔子や誰々も、「否」と言うことができません。なぜでしょうか? 事実がそうなのですね。神様が探し求めている孝子になりますと言い、神様が探し求めている氏族をなしますと、歴史時代に努力した人とは誰ですか? 統一教会は、神様が願う氏族を編成するために合同結婚式をしました。世の中の人たちは、合同結婚式を前にして、「ああ、世の中に無価値であやしげなものが出てきた。合同結婚は、あり得ない業だ。大韓民国は東方の礼儀の国なのに、合同結婚式とは何ですか!」と思ったのです。私がどれだけ迫害を受けたか知れません。(一九八八・一・三一、本部教会)

2 氏族的メシヤと氏族復帰

今は、三十八度線を越える時です。大きいヒマラヤ山脈を越えるのですが、その前にある山をどれだけ越えてみても、ヒマラヤの頂上を越えることができなければ何の意味もありません。今は、大きい山を越える時です。その山を越えていくようになる時は国が違います。いつでも越えられるというものではありません。越える時を逃すならば、越えられないのです。既成教会の責任者たちにおいてもそうです。今が越えてくる時です。ですから今、風が吹くのですが、この時に基盤を築かなければなりません。

皆さんをなぜ故郷に送るのでしょうか? 父と母を連れて越えていこうというのです。分かりますか? (はい)。それが愛なのです。皆さんが故郷に行って自分の霊的先祖たちと共に後孫を動かしてこそ、霊肉の統一的氏族が編成されます。(一九八八・七・二二、漢南洞公館)

ヨーロッパの食口たちはいませんね? それならよいです。私たち氏族、私たち氏族と言うとき、もう既に先生が祝福した家庭はどれだけですか? 約二万一〇〇〇家庭になります。二万一〇〇〇家庭を世界に全部派遣したのは、イエス様が再臨してユダヤ教とユダヤの国が一つになった位置、勝利することができるその位置を身代わりして派遣したのと同じなのです。何のことか分かりますか?

さあそれで世界に行って、先生は今戻ってきました。どこまで来ましたか、どこまで? 南韓まで来ましたね? 南韓に来たので、南韓にあるすべての統一教会の信徒たちは故郷へ帰りなさいというのです。氏族に帰りなさいというのです。

木は同じ木ですが、種が違います。木々は、緑の色はみな同じですが、種が違います。氏族が違うというのです。ところがその故郷の氏族の中に種がありません。真なる種がないというのです。真なる愛の種がありません。それを父母を中心として、お兄さんお姉さんの一家が完全に統一教会の一家にならなければならないのです。そうしてこそ位置を確保するのです。統一教会の食口だけではできません。一家が故郷に帰って定着しなければなりません。(一九八九・二・五、本部教会)

神様の本然の世界でも、個人が完成したのちには何を探し求めていくのですか? 家庭完成をしなければなりません。家庭完成をしてからは何をするのですか? 家庭第一主義ではありません。氏族完成をしなければなりません。生育して繁殖せよと語りましたね? 氏族を率いなければなりません。家庭は、氏族の伝統を残さなければなりません。氏族は、民族の伝統を残さなければなりません。(一九八九・二・五、本部教会)

3 氏族的メシヤと支派編成

先生は、み言を通じて世界基盤を築いたのですね? 昼であれ夜であれ二十四時間眠らず、食べずにその業をしました。皆さんも氏族的な復帰のためにそのような精誠を尽くすようになるときは、皆さんの一族が皆さんを祖先の中の祖先として侍ります。自分の財産なり全部、国に連結させることができるようにどうか努力してくださいと、すべてのものを献納するようになっているのです。

誰よりも故郷を愛し、誰よりも故郷の人を愛し、誰よりも自分の息子、娘たちを愛する立場に立って、根を下ろすようにしなければなりません。これが氏族的メシヤの残された責任だということをはっきり知らなければなりません。先生が築いた国家と世界の蕩減路程なしにここに戻って入ってくる時、何かといえば、国、大韓民国まで来たので、氏族基盤を中心として皆さんの宗中(注:一族とか一門という意味)を訪ねて入っていくのです。

皆さんの宗中を訪ねていくようになれば、皆さんは宗中の父母にならなければなりません。その次に皆さんの家庭の父母、皆さんの個人の位置に連結されて、そこから始まる皆さんの個人と家庭と氏族は、国を越えて、世界を越えて天上世界へ帰ることができるのです。

それでこの氏族的復帰が終わるならば支派編成時代が来るのです。分かりますか。韓国が今や南北韓統一がなされるようになるならば、神様の名前でもって新しい支派編成が始まるのです。十二支派、イエス様は十二弟子を中心とした支派編成ができませんでした。(一九八九・二・五、本部教会)

4 眷族とは

さあ、それで還故郷してアダム・エバが広げるべきであった本然の愛を中心として、皆さんの家庭の要所、故郷の地に根を下ろし、永遠なる祖先たちになりますように! (アーメン)。それでは、皆さんがその氏族の十代後の子孫であるならば、皆さんの十代前の先祖は、十代後の子孫になるのです。逆になるのです。天地開闢が起こるのです。天地開闢とはそれなのです。天地が地天になるのです。地獄が天国になるのです。

それで私がいつ訪ねていくのですか? 訪ねていくならば、どのように侍るのですか? 町内で、「文総裁、異端、来るな!」と言わなければなりませんか、歓迎しなければなりませんか? (歓迎しなければなりません)。どこから? (故郷から)。国から、道から(注:この「道から」という言葉は韓国語で「トーロプト」ですが、これはまた別に「道路から」という意味にもなって次の言葉が語られている)舗装を……。何の舗装? 金の舗装。金の舗装をして、こうして一族にお迎えして、一番愛してきた本棟にお迎えしなければならないというのです。他の所には行かないというのです。自分の祖先たちが生まれ、自分の孫が生まれた部屋、自分が生まれた部屋、自分の父が生まれた部屋、自分の歴代の祖先たちが生まれたその場に、神様は安着しようとなさるというのです。そうであるならば、何が心配ですか? そのような基台を築きなさいというのです。

元来は、今回、皆さんが故郷へ帰って面単位の聖殿を建てなければならないのです。「郡へ訪ねてこられる神様を面にお迎えし、面へ訪ねてこられる神様を私の家にお迎えするために、面教会を私が建てなければならないのですね」と言わなければならないのです。そのようにして私の家にお迎えし、その本殿、私が生まれた本殿へお迎えしなければならないというのです。そうして息子が生まれたと町内が宴会し、母が喜んだその歓喜以上の心をもって御父母様に侍る日を楽しむことのできる環境になってこそ、そのような環境に生きる後孫たちが天の眷族(注:家族というような意味)になるのだというのです。

天の眷族とは何か分かりますか? 眷族(注:韓国語では眷属)とは、眷(あるいは、圏)内に支配を受ける一族だというのです。仲間になるのです。そうなるならば、故郷に帰りたいですか、帰りたくないですか? (帰りたいです)。それでは、帰るときには、しがない存在として帰らなければなりませんか、何をもって帰らなければなりませんか? 先生が韓国にしがない存在として帰ってきましたか、何をもって帰ってきましたか? ヤコブが二十一年間、天の祝福を受けたものを全部もって帰ってきましたね? そうであるならば、皆さんが今や祝福を受けてもっていく礼物(贈り物)とは何でしょうか? 他のものは何にもありません。真なる愛さえもっていくならば良いのです。分かりますか? (はい)。祝福の礼物の中で最も貴いものは何ですか? 天地が慕い、歴史が昔から今まで慕う礼物があるのですが、その礼物を一度もらうならば永遠に忘れることができないのです。それが真の愛という礼物なのです。(一九八六・六・一、本部教会)

5 支派編成の資格者

天国家庭、天国氏族を従えることができなければ、天国氏族圏に同参できなければ、その支派の中に入ることができません。保留になるのです。(一九八五・八・一六、イースト・ガーデン)

統一教会の人たちは、故郷に帰らなければなりませんか、帰ってはいけませんか? (帰らなければなりません)。みな帰らなければなりません。荷物をまとめて故郷に帰るのです。

故郷に帰って、故郷の教会基盤を中心として、そこから整備して出で立ってこそ、道を整備することができる時が来て、新しい国に対して侍ることができるのです。この基盤ができずしては、歴史的に道と国と国家中央とを連結する基盤が築かれません。

その次に皆さんの町内、皆さんと皆さんの家庭を中心として一族が全部入ってくるならば、家庭的カイン・アベルにおいては、サタンが支配することはできません。できないのです。このことをはっきりと伝達してあげなければなりません。

このような時であるので、もう一度言うならば、今や家庭的カナン復帰時代ですから、家庭的カナン復帰をしなければなりません。そして皆さんは、今や支派編成をしなければなりません。支派編成。このようになるならば今や十二支派を、世界に十二支派を編成しなければならないのです。このような基盤がない人は零落します。抜けていくのです。(一九八九・二・五、漢南洞公館)

六 還故郷と本郷入籍

1 入籍とは

「入籍のために本郷の地へ帰ろう」と言うとき、入籍とは何か分かりますか? 花嫁さんが新郎に従っていくならば、籍を移さなければなりません。そのような人は、自分が生まれた本然の籍を取り消してしまい、他の所へ移っていかなければならないということを私たちは知っています。

この地上に住んでいるすべての人は、故郷をもっています。その故郷で生まれるや否や国に入籍するようになります。大韓民国であるならば、大韓民国の主権国家に属するすべての地方、町や村、いかなる地域であっても、そこで生まれるならば必ず入籍をしなければなりません。入籍することによってどのようになるかといえば、その家の父母の息子であることが証拠づけられ、その国の民であることが証拠づけられるのです。その国がある限り、その父母がいる限り、入籍された子女を抜き捨てることができないのです。

統一教会は、宗教団体です。ですから、宗教団体としてとどまることのできる所、とどまることのできる国を探し求めていくのです。私たちが制定した、私たちが入籍することのできる国がないのです。その国を探し求めていって入籍をしなければなりません。今日、この地上に宗教が必要なのはなぜでしょうか? 本然の故郷の地に入籍をすることができなかったからです。神様を中心として見るときは、この人間たちは、神様の民ではありません。神様の本然の地と因縁をもった人、入籍された人ではないというのです。

今日、人間が生まれたその故郷の地というものは、神様側から見るならば、怨讐の国の地だというのです。その国に属している故郷というものは、神様が喜ぶことのできる、神様の統治を受けることのできる国の故郷の地になれません。これが問題です。ですから、今日、宗教を通じてより次元の高い善へ戻っていかなければなりません。

今日、私たちは、個々人の歴史的時代に生まれて故郷の地に入籍しましたが、その入籍は神様と関係のないものです。入籍した国をもっていますが、その国は神様と関係のないものです。そのような国々が地球上に多くありますが、その国々は神様と関係がないし、地球もやはり神様と関係がないという結論になるのです。(一九八八・五・二二、本部教会)

2 入籍時代到来

今や春になって四方に氏族的メシヤの青々とした枝が新しく吹き出るようになるならば、その国々の霊界は全部、私たちの味方なのです。入籍時代、神様の国を中心として入籍時代が来るのです。十二支派、十四万四〇〇〇の群れに入るといいますね? 十四万四〇〇〇とは何か分かりますか? 入籍時代が来るのです。南北統一時代を中心として入籍時代に向かっていかなければなりません。行こうとするならば、自分の氏族圏が全部天の国の故郷の地と同じ立場に立ってこそ、天の国の入籍時代に氏族的に入籍するのです。

個人ではないのです。お分かりですか? 個人救援時代は過ぎ去るのです。今後、一国の大統領が統一教会に入会して誓うならば、その人たちも天の国の眷族になるし、教会が提示する礼式さえ経ていくならば、みなサタン世界から抜け出るのです。(一九九一・八・二五、本部教会)

3 入籍要件

それでは、この世界の人たちはどのような立場にいるのですか? 善と悪の間に挟まっています。本来、堕落しなかったならば、善なるものでした。善のみであらねばならないのです。生まれるのも善なる立場で生まれなければならないのです。しかし、生命体を受け継いで出生しましたが、その出生の根源地の背景に原則的な過程を経なければならない道をまだ終結できなかった、成就できなかったという事実を、皆さんは知らなければなりません。未完成品は、完成の道を残しているのです。

どれだけ八〇パーセントを完成したとしても、残った二〇パーセントが八〇パーセントの価値を否定する主導的位置にあることもあるのです。一〇〇パーセントの完成品を願う立場から見るとき、九五パーセントの完成品をもってしては、一〇〇パーセント完成の位置に入ることができないのです。そのようになるならば、それもやはり等外品になってしまうのです。

一〇〇パーセントの完成品、絶対者であられる神様が創造した被造物は、絶対的に完成しなければならないというのです。絶対的に完成したとするならば、誰も批判することができないし、誰も是正することのできない位置に立たなければならないのです。絶対的でなければならないのです。絶対的な主体の前に、対象的な存在として取り扱いを受けるためには、それもやはり絶対性を帯びなければならないのです。このような内容をもってこそ理論的結論になります。これが問題だというのです。

それでは、人はどのように生まれたのでしょうか? 入籍に先立って、絶対的人間として生まれるためには、どのようにならなければならないのでしょうか? これをはっきりと知らずしては、絶対的に完成品を身代わりできる、私が行かなければならない位置、永遠に成就された位置においてすべてのことに勝利し、自分の主体性を天の前に主張できる、その位置を探し求めていくことができないのです。(一九八八・五・二二、本部教会)

今後、統一教会が国から歓迎を受ける時になるならば、入籍時代が来るのです。皆さんは、入籍しなければなりません。三十六家庭が入籍しようとするならば、入籍動機がイエス様より素晴らしい基準をもたなければなりません。そうでなくしては、入籍できません。この原則をもたずしては七十二家庭も入籍できないというのです。全部、この原則をわきまえずしては入籍ができないのです。あきれ返るような業が起こるというのです。(一九七二・六・一三、光州教会)

すべての嘆息の堕落圏を踏みつけて、愛でもって万国を治めることのできる勝利の息子、娘として皆さんの内部屋に真の父母をお迎えし、神様に侍るようになるならば、自動的に入籍手続きが終わるようになるのです。その位置から天国は永遠に続くのです。(一九八八・五・二二、本部教会)

4 還故郷と入籍

今後私たちは、私たちの祖先たちが私たちと同じ位置で喚声を叫ぶとき、その中間で、邪悪な反対要素が南北韓の地にあってはいけません。これを清算するために、宣伝工作として私が南北統一運動を提示しながら故郷へ帰りなさいと語ったのです。

故郷へ行ったとき、忠臣烈士の霊たちが来て、忠臣烈士たちの祖先が来たと泣き叫ぶようになるときに、人類の真なる祖先に侍ることのできない天使世界、霊界を身代わりして皆さんの祖先たちが、天使長の代わりに皆さんを保護育成するようになるのです。天使長ができなかったことを代わりに蕩減することにより、地上に神様の愛の定着点が縦横に決定され得るし、そうすることによって皆さんは、真なる祖先の位置を継いで、その地の上に立てることができるようになるのです。そのような時代が来たということは、歴史の後にも先にもないことです。前にもなかったし、後にもない貴い時であることを知らなければなりません。

今回、先生が皆さんに、全部故郷へ帰りなさいと語ったのはなぜでしょうか? 先生が世界的に蕩減したすべてのことを皆さんに与えたので、皆さんがそれをもって、昔のアダム・エバの本然の位置に行って位置を確保するならば、何万年後に生まれる人々を、みな従えることのできる祖先の位置を相続するというのです。そのような位置を相続できる特権が付与される、この時であることを知らなければなりません。

忠臣烈女たちが皆さんの故郷で流した血と汗以上の血と汗を、皆さんが流すようになるならば、天上世界で皆さんの祖先たちが両手を挙げて、「勝利した私たちの祖先が来た」と皆さんを褒めたたえるのです。そうであり得る基盤をつくっておくことによって、天上世界がアダムを歓迎できなかったことを蕩減復帰するようになるのです。この道が残っているのです。そのようになるとき、喚声とともに父母の位置に立つことができるという、認定的内容を提示した条件を神様から付与されるようになり、そこから初めて入籍が始まることを知らなければなりません。(一九八八・五・二二、本部教会)

今や最後の戦いです。皆さんの一家を従えて氏族を復帰しなければなりません。町内に行って住みなさいとそう語りましたね? 一家を従えて動かなければなりません。皆さんは福ある人たちです。

(一九八八・二・二四、漢南洞公館)

統一教会の祝福を受けた食口たちは、氏族的メシヤとして、それぞれの一族で宴会をしながら、先生だけを紹介すればよいのです。私たちの国と世界の中心として、このような方であり、この方が私たちの祖先の中の祖先であると言う時、それに反対せずに、「そのとおりです! 天下がみな、そのようになりました。世界がみな、そのようになりました」と言うようになれば、その国から天の国の新しい入籍時代が始まるのです。

入籍は、氏族がするのではないのですね。民族がするのです。なぜ氏族復帰をしようとするのかといえば、十二支派を編成するためです。それによって、本然の地に国の主権基盤を形成することができるからです。ですから、努力いかんによって、支派編成にあたっては、どれだけ功を立てたかということが……。世界に広がっている氏族を中心とした、統一教会の競争時代へ入っていくのです。(一九八九・二・五、本部教会)

今日、統一教会の氏族的メシヤという言葉は、氏族的種をいうのです。種を植えそこないました。今後、動員しなかった祝福家庭は、全部線を引いて消してしまうのです。入籍されません。

今後、入籍するのです。南北が統一されるようになるとき、世界の統一教会の家族、祝福を受けた家庭の中で正常な行動をしたすべての人は、氏族を越えて、全部入籍するのです。(一九九〇・一・一四、本部教会)

今回、皆さんが故郷に帰らなければ、祝福家庭も今後困ることになるというのです。ここに加担せずしては今後の支派編成において、入籍が不可能だという事実を知らなければなりません。なぜそうなのでしょうか? 霊界で誰を救い出すのかといえば、一線に行った人たちを救援するのです。帰っていった人たちを救援するのです。

(一九八九・二・五、漢南洞公館)

5 本郷入籍と天国

皆さんが真なる故郷へ帰る時は、万国の支派長たちになるのです。分かりますか? 十二支派が七十門徒、一二〇門徒になってそのような国家、民族が形成されるのです。それがただそのまま天の国に移されて入っていきます。ですから地上に天国が顕現し、天上に天国が顕現するのです。誰によってですか? 縦的な真の父によって、真の愛を中心とした真の父によって、横的な真の愛を中心とした真の父によってです。その真の愛によって生まれた息子、娘は、世界的版図内で神様から相続を受け、神様と同位に同参することのできる権限をもった者になったので、天国に入っていくというのです。(一九八八・五・二〇、大邱教会)

さあ、ですから、皆さんが今から故郷に帰って、どのように早く、自分を中心として自分の血族はもちろんのこと、環境的与件を拡大させるかという戦いが始まるのです。競争が始まるのです。

それでどの支派に属そうが、故郷に帰ったその根と共に支派編成をするのです。東西南北の枝、どこに属するかが策定されて、本籍への登録が始まる時が来るのです。皆さんの一族がこの世界に入籍して本郷へ帰るのか、天国へ帰るのかというのです。帰郷の道に立ったことを知らなければなりません。(一九八九・四・六、世界宣教本部)

付録

祝福家庭還故郷措置する時の指示事項

日時 : 一九九一年八月二十九日

場所 : 国際研修院

第一節 カナン復帰と摂理的意義

一 荒野復帰路程分別のための試練

荒野路程がいかばかり難しかったですか? 今日、世界的カナン路程を行っているのです。国家的カナン路程、世界的カナン路程。このカナン路程というものは、全部迫害の過程を経るのです。試練の過程を経るのです。蕩減路程だというのです。勝利するためにいかばかり苦労しましたか! また、先生の生涯四十余年の間、いかばかり大変だったでしょうか?

二 還故郷を通じた祖先確立

今や皆さんは、故郷へ帰って祖先を確立するのです。

①長子権、②父母権、③子女権、三代勝利権復帰、この三代勝利権を復帰するならば、おじいさんからお父さん、お兄さん……。これがカイン圏です。今まで三代がカイン圏になりました。おじいさん、お父さん、自分のお兄さんである三代が、今まで長子権復帰するのを反対しました。ですから、アベル的立場で、今や反対に復帰することによって長子権が復帰されるというのです。三代勝利権復帰という意味が分かりますか? おじいさん、お父さん、お兄さん、三代を一挙に蕩減復帰するのです。

三 本然の理想家庭

本然の理想家庭! それはどのような家庭でしょうか?

1 天父王、地父王、子女国王!

天の国の王、神様が王であられます。その次には、地父王、これは、地の王ですから地父王になります。

家庭とは何かといえば、天の国の王、地の国の王、その次には子女の国の王……。それは、過去、現在、未来の王権を中心とした皇族心情圏をいうのです。天父王、地父王、子女国王とは、まさしくそのような心情圏を探し求めなければならないという話です。それが家庭です。

2 真の愛、王宮

家庭というものは、真の愛を中心とした王宮と同じです。したがって夫婦生活を、真の愛の王宮生活のようにしなければならないというのです。

3 真の愛、父母と子女

次には、皆さんが真の愛の父母になって真の愛の子女、王子と王女を生まなければなりません。天の国の民は、霊界では繁殖できません。霊界では繁殖できません。ですから、地上の夫婦を通じて天の国の王子と王女を拡大するのです。ですから、真の愛の父母になって天の国の王子と王女を生まなければなりません。

4 サタン世界と一八〇度異なる方向と伝統確立

今からは、地上世界と天上世界へ入っていくので、サタン世界と一八〇度違います。一八〇度異なる方向です。今までサタン世界側へ行っていたものが、今では天側へ行きます。

その次には、伝統を確立しなければなりません。皆さんの祖先たちがするすべてのことは、一族が受け継ぐことのできる伝統になります。その伝統は、再創造の役事をいうのであり、神様を中心とした「ために生きる」伝統をいうのです。

5 カイン圏完全吸収消化

どれだけ方向が異なるとしても、私たちの周辺にはカイン圏があります。サタン世界があるということです。カイン圏を完全に吸収してしまわなければなりません。自然にそうならざるを得ません。私たちが基盤を築き、国家的に問題を巻き起こし、社会的に手本になるならば、全部が私たちを全部注目するので、私たちに反する生活は、だんだん締めつけられていくことによって、私たちの前に吸収されてしまいます。

ですから、カイン圏完全吸収です。吸収だけでなく消化しなければなりません。サタン世界を完全に消化する業をしなければなりません。

6 建国、天国化

私たちの大韓民国を南北統一することができるようにするのは、天国を成すためです。み旨がそこにあるのです。建国、天国化!

①孝子、②忠臣、③聖人、④聖子

愛を中心としたこのような伝統的な系列が、方向性が、一致しなければなりません。孝子の行く道が異なり、忠臣の行く道が異なり、聖人の行く道が異なり、聖子の行く道は異なりますが、全部同じ系統です。

同じ系統なのですが、何が同じなのでしょうか? 世の中で父母を愛するのは、孝子一代に終わります。忠臣もその一カ所のみで終わります。しかし、真の愛を中心とし、これを立てるようになる時は、その方向は永遠に残ります。その祖先を中心として立てた基盤があるならば、それは、自分の後孫たちが守ることができない時でも残り、その基盤で功を立てるならば、そこから積んで上がっていくことができます。ですから、真の愛を中心とした方向性をもって孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を果たせば果たすほど、発展するのであって、後退はありません。国を見るならば、奸臣がいるではありませんか? そのような変動は起こりません。真の愛でもってするならば、しきりに発展していくという意味です。

第二節 原理観的組織

一 三段階組織

次には故郷に帰って原理観的組織をつくらなければなりません。今や一族を従えようとするならば、ただそのままどんぶり勘定式にすることはできません。それを制度化しなければならないし、平準化しなければならないし、共同生活をすることができるような制度が必要です。組織が必要だというのです。

1 面・里・班組織

天の国の組織から見るならば、三段階に連結した組織になるのです。三段階は、一つです。一つの運命圏にあるのです。もし、今後、面・里・班の中のどの一つが過っても、全体が被害を被る結果になるというのです。手ならば手に病気が生ずるなら、この手全体を切るとかしなければならない道理と同じです。三段階がぴったりくっついていなければなりません。

そのような関係になっているので原理的観を中心とした生活訓練をしなければなりません。ですから、直ちに班と統を通じなければならず、面を通じなければなりません。三段階が同じ効果を備えることのできる内容を中心として、班で活動しなさいという話です。そうしてこそ連結されます。

2 洞・統・班組織

これは、都市組織です。これは、現在になるのです。現在だといっておいてその次には、蘇生、長成、完成を中心として連結されなければならないので、これを連結させて面・里・班と洞・統・班が基準になったとするならば、その上の基準は、面・郡・道なのですが、これは組織的段階です。蘇生、長成、完成の原理的関係から見るならば、班・里・面へ逆に上がっていくのです。班・里・面、班・統・洞、その次の三段階は、面・郡・道組織だというのです。

その次には、道・中央・国会、その次には、中央・国会・世界、このようになります。その次には、国会・世界・天宙、その次には、天の国の王宮と地上の王宮と神様、全部このように段階組織でもって押し寄せていくのです。組織編成はこのようになるというのです。

組織内容は、どのようにするのですか? 一番目は、四人組(四位基台)です。今回、氏族的メシヤとして行くようになるならば、一人で基盤を築くことは難しいのです。生活面も難しいし、みなそうです。そして、子供たちを連れて一緒に住まなければならないのに、家もないし、みなそうではありませんか? 避難民生活です。それで臨時に四位基台の家があるならば、その家で一緒にかゆを炊いて食べながら、合同生活をしてもよいです。そのように出発するのです。

そのようにせずに個々人として生活していては、現地で生き残れません。誰も供給できません。自体解決なのです。何のことか分かりますか? ですから、田んぼがあるとか畑があるならば、農業をすることも考えます。こうして全部、初めから位置を固く確保しなければなりません。

一人ですることは難しいですから、四人が兄弟のようになって活動しなければなりません。四人兄弟のようになって活動しなければなりません。東だとか西だとか南だとか北だとか、その中でどの方向が先に撃破されるのかという問題を中心として、重点的に教育するのです。

こうして一つの親族で五十名が生じたならば、五十名を全部くっつけて教育するのです。早く教育しなければなりません。それを機動隊員にして活動するのです。一つの洞や里の中にいろいろ姓があるならば、各姓が一つになって、その町内を全部消化するために、引っ張ってきてみ言を聞くようにするのです。四人が一つになり、それが足りないとき、十二名が一つになって仕事をしなさい。

十二名にさえなるならば、夫婦だけでも二十四人ではありませんか? この程度ならば、その町内に影響を与えるのは問題ありません。ですから、教会基盤が生じたのちに、その教会基盤を中心として十二の一族が位置を確保しなければなりません。教会を中心として十二の一族を編成、十二氏族が基盤を築くことができるように協助していきなさいということです。

一つの基盤を築くのに三つ四つ一度に協助するし、また、十二の基盤を築くのに十二人が合わさって一つ一つ基盤を築いて広げていくのです。そうするならば部落を一挙に巻き込むことができるのです。そうして機動隊員を約百名連れて、全部引っ張り出すのです。隣町、姻戚、はとこ。嫁がそこから来ますし、姻戚のはとこまで全部いるのです。

ですから、十二氏族さえ連合するようになれば、その次は問題ではありません。その次には一二〇個の氏族まで連合運動しなければなりません。このようになるならば、郡を越えることができます。それで、道まで影響を及ぼすことができる環境へと発展していかなければなりません。

ところでその発展する原則は、個人的な立場の氏族的メシヤたちが一生懸命にする、そのすべてを合わせることです。全部、集中撃破運動をして四人基盤完成、十二人基盤完成、一二〇人基盤を完成したならば、大変な基盤です。郡でなくて道を動かすことができます。ですから、完全に消化できるのです。

御飯を食べてこの業をするのです。サタンが天の国を滅ぼすために何万年の間、その業をしてきたのです。サタンが休みますか? サタンは先頭に立って思いどおりにしています。しかし、神様は思いどおりにすることができません。条件的行動です。地上の相対が犠牲の代価を払った、その条件基盤を通じて働くことのできる神様ですから、いかばかりあきれ、苦しまれたでしょうか?

しかし、今からは対等な位置ではありません。私たちの長子権、優先権を中心として、サタンを撃破することのできる時が来ました。天の怨恨を解くにあたって、私たちの当代に、して余りある時代が来ましたから、もてるすべての精誠を尽くして、激しく押さなければなりません。

二 氏族的メシヤ

1 一二〇家庭

氏族的メシヤは、一二〇家庭を撃破するのが目的です。なぜそうなのでしょうか? 一二〇は、十二数の十倍だからです。

2 三六〇家庭

夫婦合わせれば七二〇名になります。これがホーム・チャーチです。私たちが一番初めに開拓教会に出ていく時は、一二〇家庭を伝道して、一二〇名を伝道して自分の教会をつくろうというのが標準でした。ところがみな、できなかったのです。その次には、三六〇家庭、ホーム・チャーチ運動でした。今回、これが最後です。

これは、氏族的メシヤ運動なのですが、三六〇家庭の夫婦を合わせるならば、七二〇名になるのです。七十二数に該当するのです。三十六数と七十二家庭に該当する数を、自分の氏族を中心として蕩減復帰するのです。

三十六家庭、七十二家庭、一二〇家庭まで、みな入るのですね? これがイエス様を中心として探し求めるための十二弟子と、その三倍である三十六になり、七十二門徒、その次に一二〇門徒、これが標的です。地上に一二〇門徒の実践的家庭が成立するようになれば、イエス時代に失敗したことを復帰するのです。それが、まさしく氏族的メシヤの責任です。氏族的メシヤは、イエス様がしなければならなかった責任を完遂しなければなりません。それで、そのような数が出てくるのです。

3 七二〇家庭

七十二家庭の十倍数が七二〇家庭になるのです。

三 北韓同胞、第二故郷許諾

北韓から出てきた同胞は、第二の故郷を許します。これはどういうことかといえば、北韓から出てきた人たちは、カイン・アベル問題を中心として見るならば、創造環境圏内の環境的な主体と対象になっているので、北韓に行けない人は、第二の対象圏を、昔伝道に出ていった所とか、ホーム・チャーチをしていた所の中で、もう一度選択して活動することができるということです。分かりますか?

1 教育

一番目は何かといえば、教育です。北韓から出てきた人たちは、北韓に入っていって戦わなければならないので、教育面に全部動員しなければならないということです。修練し、教育しなければなりません。

故郷が北韓にある人たちは、北韓に入っていって共産党と戦おうとするならば理論武装をしなければなりません。ここに北韓の人、多いでしょう? 北韓から来た人たち、手を挙げてみなさい。自分のお父さんであっても北韓から来た人たち、手を挙げてみなさい! どれだけにもならないのですね。

2 巡回師平均基準

今後、北韓に行って私たちが選挙運動をするとき、その全体が勝利することのできる環境の平均基準を立て、いつでもそれを操縦しなければなりません。

四 教会使用問題

1 郡教会以上は修練会場として使用

今、郡教会というものは、教域長の活動場所ではありません。これは、修練場所として使うのです。面以下の里・班、そして、都市の洞・統・班、そこで教育を受けた人たちと伝道された人たちとを、できるならば近い教会、教域本部を修練所として活用して教育するのです。何の話か分かりますね? (はい)。

それで現職教域長たちは、全部解任です。何の話か分かりますか? そして、勝共連合や国民連合みたいなものも同じです。全部、地方に帰って統班撃破運動に加担しなければなりません。

2 教会を臨時居住地として許諾する

眠る所がないならば、避難民部隊が教会に行って住んだように、住む所がないならば、そこに入って眠りながら基盤を築くのです。前に語った四人が一つになり、十二人が一つになり、一二〇人が一つになって環境打開に総力を傾けるのです。

イエス様の時代に共同生活していたのと同じく万物を共同で使用するのです。旧約時代は、万物です。新約時代は、息子です。成約時代は、父母です。万物は旧約時代、息子は新約時代、自分は成約時代です。分かりますか?

ですから、自分の万物は、根こそぎ自分のものではありません。天の前にもっていって接ぎ木しなければなりません。自分のものではありません。自分という所有権がありません。真の愛を中心とした主人がアダムではありません。天が中心なので、天を中心として私はそこに相対的な存在、対象的な立場に立つということを考えなければなりません。ですから、所有権がまず誰になければならないのかといえば、神様になければならないので、神様に戻っていくのです。

天の国が今後、地上に建設されるならば、このようになるのです。憲法がこのようになります。すべてのものは、天の国に帰化しなければなりません。ですから、統一ができないはずはありません。強制ではありません。自分で志願しなければなりません。入籍する日が始まります。その氏族が入籍する順序になるので、先に入籍するならば祖先になるのです。残りは、その前に頭を下げなければなりません。

ですから、自分の所有権をもっていては天の国に入れません。天にささげて天の国に入り、再び相続を受けてこそ自分の所有になるのです。それは、五パーセントを完成して、天のすべての相続権を受けることのできる天の国の足場と基盤をつくっていなければならないというのです。三代の基盤を整えて新しく相続するのです。

おじいさんが死なずに生きているのに、全部出しなさいと言っていいですか? ですから、教会を臨時居住地として使うことを許すというのです。だからといって、全部そこに来なさいというのではありません。三家庭以上入るならば困ります。

五 北韓に負けない組織

北韓には、五家庭(五号担当制)組織がありますね? 私たちは四です。これを中心として負けないように、全部命令一下、動くことができるようにしなければならないのです。

標準は何ですか? どのように活動するのですか? 組織をどのようにするのですか? 北韓に負けない組織を立てなければなりません。なぜですか? 北韓は、サタン側です。外的天使長です。アダム側は内的なので、内的組織が外的なものに引っ張られていってはいけません。外的組織が内的なものに吸収されなければなりません。そのような意味で、北韓に負けてはいけないという内容を書いたのです。

こうすることによって今後、近づいてくる総選挙時代に対備するのです。いずれ総選挙をしなければならないのです。金日成がいなくても総選挙をしなければなりません。その基盤を今、私たちは築こうというのです。分かりますか? (はい)。国を救うのに私たちが先頭に立たなければなりません。私たちがすべての分野で先頭に立たなければなりません。総選挙時代に対備して、先取権を獲得することは避けられない天の立場であるように、私たちはここに対備する位置で、このような準備をしなければなりません。

第三節 氏族的メシヤの使命

氏族的メシヤの使命は、三大主体思想完遂です。「氏族的メシヤの責任」といえば、三大主体思想が出てきます。

①一番目は真の父母の心情圏、二番目は師、三番目は主人です。

②王、学校の先生、家庭の父母、これを国家的体制から見るならば、国の大統領、その次に学校の先生、家庭の父母です。

③宿命的使命。

氏族的メシヤは、宿命的使命であるので、生死圏を乗り越えなければなりません。生死を意に介さないようにしなければなりません。サタン世界圏内にとどまるので生死の問題を克服し、超越するところにのみ氏族的メシヤとしての使命完遂が始まるのです。すべての氏族的メシヤの使命は、三大主体的使命を完遂することです。
第四節 神様と真の御父母様の伝統

神様と真の御父母様の伝統とは何ですか? 一番目は、ために生きること。二番目は、投入して、また投入して忘れてしまうこと。三番目は、完成に向かって祈祷と精誠を尽くすことです。これをするためには、皆さん一人では駄目です。なぜ祈祷しなければならないのかといえば、主体たる天の協助を受けて、天が私に共に同調しなければならないからです。その次にはなぜ精誠を尽くさなければならないのでしょうか? 環境的与件を全部、受け入れることのできる道を築かなければならないからです。祈祷は、天との主体的因縁を結ぶためのものであり、精誠は横的な因縁を拡大するためのものです。

第五節 再創造路程

再創造路程では、神様が先に環境を創造したので、皆さんが伝道に行って環境をどのようにつくるかが問題です。伝道に行って環境をつくって、次に、自分の主張をしなければならないという話です。

神様が必要なすべての原資材をつくっておいて、人を造り始めたのですね? それと同じです。先に環境をつくっておかなければならないのです。

一 環境創造

二 主体対象創造

主体・対象の関係をつくらなければなりません。創造です。環境を創造したのちには、主体と対象の関係を設定しなければなりません。そうしようとするならば、環境を誰がつくらなければならないのでしょうか? 私(自分)がつくらなければなりません。

例えば、復帰路程においては、人間が堕落することによって人をつくる土もないという話です。サタンが主人になったからです。分かりますか? それで、サタン世界から探し求めてこなければなりません。統一教会は、この業をするのです。三年の間苦労して……。すべてのお金を自分が使うのではありません。全部天にささげて公的な祭物として三年過ぎたのちに、私をつくるために原資材を確保したという条件を立て、祝祷をしておき、その次には、体を失ってしまったので体を探し求めなければなりません。すなわち、体を基盤としているサタンに勝つ訓練をしなければなりません。三年半か三年間。

三年半の間、出ていって戦い、伝道して三大天使長圏、十二人の中で三天使長を探し求めてこなければなりません。それが祝福を受けることのできる起源になるのです。信仰の三人の息子、娘がいなければ、祝福を受けられないと語りましたね? それが再創造です。

神様が環境創造から始め、その次に天使長を創造したのと同じ再創造過程が必要です。ですから、統一教会の信徒たちは、三年の間、訓練しなければなりません。ありとあらゆる事縁をみな、なめ尽くすのです。悪口も言われ、むち打たれ、ありとあらゆることが生ずるのです。そこで自分が貞節を立て、蕩減路程のその道をまっすぐ行かなければなりません。

そうして自分を再創造することのできる天的祭物をささげたのちには、体を探し求めることのできる条件が生ずるので、その次には出ていって戦わなければなりません。サタンと戦わなければならないので、長子権復帰をしなければなりません。実体的に霊的サタンを屈伏させてこそ、初めて復帰された私(自分)を探し求めることができのです。サタンをはがしてしまわなければなりません。

そうしようとするならば、一線に出ていかなければなりません。ですから、統一教会は三年半の間、開拓時代のように、迫害を受けながら開拓しなければならないのです。開拓時代には、一線に出ていってサタンと戦わなければなりません。ここに伝道をしなかった人、多いでしょう? 今回、その業をしてこそ身代わりすることのできる条件が立つのです。ですから、お金を稼いでするのです。分かりますか? (はい)。一族が反対するのを克服して出てこなければなりません。それが氏族的メシヤの使命です。再創造過程は、一番目は、環境創造、二番目は、主体と対象の関係創造、三番目は、対応圏です。

三 対応圏

家庭があり、社会があります。それが対応圏です。家庭で立派ならば、社会に出ていっても立派でなければなりません。国においても、理解されなければならないのです。それですべて世界的人物になろうとするのですね? 永遠なる神様の息子、娘になろうとするのです。天宙的出世の基準を立てていくのです。それが対応圏です。必ずそうでなければなりません。環境的与件の間には、主体と対象があります。それが対応圏です。芸術であれ何であれ、全部対応関係を平準化するために必要なのです。

ですから、「人」ならば、人の体の中には、宇宙世界のすべての世界の関係が、対応的な作用をしているというのです。それで我知らず、体がおかしいときがあるでしょう? 我知らず病気になり、我知らず気持ちが良い、それはみな、対応関係の反応によって起こるのです。月を中心として潮水が対応的に上がったり下がったりするではありませんか?

ですから、雌は雄に対する対応関係、雄は雌に対する対応関係、一つになるためにそのような対応関係が起こるのです。そのことをいうのです。環境には、必ず主体と対象があり、対応関係があります。鉱物界にはプラスとマイナスのイオンがあり、花の世界にはおしべとめしべがあり、昆虫世界には雄と雌、動物世界には雄、雌、人は男と女、みなこのようになっているではありませんか?

男、女は何かといえば、愛を中心として神様に対応するのです。また、息子、娘に対して対応関係をもつのです。全部、そのような関係が問題です。関係の哲学というものは、今から問題です。

個人関係、対人関係、国家関係……。全部、関係ですね? 女関係、男関係……。全部、関係です。外交関係、信仰関係も全部、関係です。このすべての関係を円滑にすることができるのは、真の愛しかありません。真の愛の関係を結んだときは、ここに外的であれ内的であれ、反発されることがなく、歓迎されるのです。それで、真の愛が絶対勝利の要因であり、成功の要因であり、発展的要因になるのです。真の愛を活用して十を投入するようになるならば、十以上になって出てくると語りましたね? それで神様自身も大きくなっていくという論理がここから出てくるのです。

四 愛の関係連結

愛を拡大させて無限なる世界まで連結しようというのです。すべてのことが、みな終わったという話です。「勝利的基台とカイン・アベル基台」とそのように書きなさい! 勝利する基台は、カイン・アベル基台を通じてなされるという話です。

①家庭基台、②氏族基台、③国家基台(アダム、エバ、イエス)

三番目の国家基台は、アダム、エバ、イエス基台です。イエス様がこの地上に来た時は、国家基台を探し求めて来たのですね。その最高の目的も国家基準です。ですから、アダム完成理想として来られた基準は、国家基台で完成をしたという意味です。

五 真の父母の基台と一致

国家基台と連結したならば、その次には、世界基台と連結されなければなりません。イエス様が失った国家、その次には世界、その次には天宙、これは皆さんが連結するのではなくて先生を中心としてする話です。国家的、世界的、天宙的勝利基盤が氏族的に既に立っています。イエス様が失敗したすべてのことは国家基準ですが、それほどに氏族復帰をするならば、国家に対して歓迎を受けることのできる基盤になるのです。その次には、先生を中心とした国家基準と世界基準は問題ありません。世界と天宙基盤は、自動的に連結されます。

国家の次には、世界、天宙、神様まで連結されるのです。皆さんすべてが勝利するならば、みな終わるのです。

九月一日以降、皆さんは誰の指導も受けず、成長した息子、娘の資格をもって建国の勇士として出戦するのです。(アーメン)。確かですね? (はい)。

今や出発する時間になりました。これをみな指示してあげてこそ、先生が飛んでいくとしても体が軽いのです。韓国に戻ってこないとしても、いつ戻ってくるとしても先生の責任は果たしました。故郷へ行くことのできる道までみなつくっておいたのですね。故郷に帰る道は簡単です。

帰ろうにも帰ることができなかった故郷の道を、真の父母を中心として真の国を成した位置で故郷を訪れることができるように勝利的権限を与えたのは、天下を与えても比較することができないほどにありがたいことであることを知り、その故郷の道を、涙しながら帰らなければなりません。不平を言ってはいけません。呪われます。祖先たちがお尻を打ち、今後、息子、娘は安らかではないのです。皆さんに対して薬を与えたり病気を与えたりする時が来るというのです。

先生の直接言うことを聞かないならば、今から問題が起こるのです。困難なことが続けざまに起こるのです。今に見ていなさい。そうなのか、そうでないのか。皆さんは、先生が故郷に帰るための前衛隊です。分かりますか? (はい)。ですから、国家を動かさなければならないのです。そのような希望を抱いて帰らなければなりません。

ヤコブが二十一年間苦労して得たすべての財産を積んでいって、誰にささげましたか? (エサウにささげました)。今みな屈伏したのですが、誰にささげなければなりませんか? 御父母様にささげ、神様にお返ししなければなりません。自分の財産であれ何であれ、御父母様の名前のもとにすべてのものを売って使ってもかまいません。祈祷して。それを許します。それを教会のために使ってもかまいません。この機会を通して祖業田(注:先祖から受け継いだ田畑)を売り飛ばしてもかまいません。それは今後、その一族を受け入れることのできる良い先例、すなわち、礼物的条件になるのです。

イエス様当時、物々通商しましたね? そのようなこと分かりますか、物々商店? それが分かりますか? アナニヤ夫婦が財産を売って、半分を隠したので雷に打たれて死にましたね? その内容を知っていますか? 嘘をつけないのです。

皆さん、自分が自分の良心をよく知っているではありませんか? 自分がよく知っているのです。誰かに聞いてみることもありません。聞いてみることがありますか? 自分がよく知っているのです。自分がよく知っていながらそれを隠蔽するために誰かに聞いてみるし、相談し、そのような業をするのです。良心的にすべてのことを照らしてみるとき、自分のことは自分がよく分かっているのです。神様よりも私がもっとよく知っているのです。

ですから、良心に照らしてみて、本然的神様の息子、その傷のない息子、娘になるのかという問題と、真の愛を受けることのできる純潔なる心の基台をもち、愛の情緒的な内容を汚さず、歴史時代を過ごしたが、今もその姿が純潔であるかどうかを考え、そうでないと知ったならば、悔い改めの祈祷をしなければなりません。大声で痛哭しなければなりません。

このようなことを考えただけで、涙にくれる、そのような姿勢をもって、故郷の地に帰らなければなりません。また、故郷の地に帰っては、難しいと思うなというのです。歴史時代に私一人の解放のためにいかばかり大変でしたか? この世界の難しい、大変な、そのすべてのことが私にぶらさがっているのに、私個人が故郷の地に行って難しくて大変だと言うことができますか? 難しいところで働くようになるならば、同情する人がいるはずです。御飯を食べずに飢えて仕事をするようになれば、食べさせてくれる人もいるはずです。

そのようなことを考えるとき、故郷の郷土に帰って、愛の種を再び蒔かなければなりません。愛の種を蒔こうとしますから、汗とともに、血の涙とともに苦労しなければなりません。苦労したことは、誰かが来て盗んでいくことはできません。真の愛の心情を蒔いたので、誰かが来て盗んでいくことはできないというのです。そうすることによってその基台の上に立てられた国は、永遠に神様の所有として残ることができるのです。この時だけは、皆さんが責任を完遂しなければなりません。

皆さんが精誠を尽くして、カイン的基盤で家庭的基盤を蕩減復帰するならば、この家庭的基盤は、皆さんの後孫、子孫万代に行くとしてもなくなりません。このようなカインを創造して相対的圏を成せず、蕩減条件を立てられないならば、自分が立てたすべての主体性までもなくなるのです。相対圏がなければ、天運が除去すると、そう語りましたね? これは、絶対的です。ですから、蒔いたならば刈り入れなければならないのです。それで、蕩減復帰です、蕩減復帰!

先生がアメリカに行って苦労したのは、世界的基盤を築くためでした。私が主体的立場で行使するのです。創造を宣言するのです。「アメリカが滅びる! 皆さん、私の言うことを聞きなさい!」とこのように叫んだのです。死ぬ位置に立ったので、生かしてあげに行ったというのです。事実を話すだけです。天を代表して投入するならば、相対が生ずるようになっています。ですから、今になっては完全にひっくり返るのです。

相対圏形成を、帰った基盤の上に実績として残して上がっていきなさいというのです。それで個人的復帰、家庭的復帰、氏族的復帰をしておくならば、その相対的基盤がパッとできて主体と対象が一つになった基盤の上に、対応圏が国に連結されるのです。再創造路程では、環境、主体と対象圏、対応圏、これが絶対的要因です。これは全部、公式的に合っています。復帰は、そのようになっていくのです。

ですから、皆さん自身も今や神様の代身の主体者になって、このような基台をつくらなければなりません。全部、再創造の役軍になるのです。そうなるならば誰も奪っていけないのです。さあ、そうであり得る人たちは、天の前に誓いましょう! 「私は間違いなくそのような責任者になります」という人、両手を挙げて誓いましょう! (アーメン)。誓いましょう! (アーメン)。誓いましょう! (アーメン)。

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