天一国主人の生活


第一章 創造の原動力は神様の真の愛

一 真の愛は神様のみ旨がとどまる中心

 神様は、真理の大王、善の大王、真の大王、愛の大王です。では、神様は、もともといらっしゃったのでしょうか、お生まれになったのでしょうか。神様も大きくなってこられました。それを知らなければなりません。それをどのように知る事ができるのですか。神様の本性に似た全てのものが、小さな細胞から育ってくるのと同じです。それでは、神様は何によって大きくなってこられたのでしょうか。愛ゆえに大きくなってこられたというのです。絶対的な愛を中心として大きくなってこられました。愛の主体が神様であり、人間はその愛の対象です。

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 神様は、真の愛の為に天地を創造されました。神様が天地を創造されたのは、人を見るためではありません。愛ゆえに創造されたのです。愛は、神様お一人でもつ事はできません。お一人で愛を感じる事はできません。勿論、御自身の中に愛はあるのですが、円満に和合する喜びが充満した愛は感じる事ができません。いくら美しい花が咲いても、香りが出なければならず、いくら香りをもっていたとしても、風が吹いて初めて香りが飛んでいくのです。ですから、風のように相対的な刺激の対象が必要なのです。

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 真の愛は、神様が創造される時の根源的力です。原動力だというのです。それ故に、神様も好むのは、真の愛だというのです。神様も、私たちのように御飯も召し上がり、目もあり、鼻もあり、全てあります。そのようなお方ですが、そのお方が喜ばれる事とは何かというと、私たち人間たちが喜ぶ黄金の塊ではありません。それは、いつでもつくる事ができます。それから、知識も同じです。神様は、全知全能のお方です。知識の大王であり、能力の大王です。

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 真の愛の深さは、神様がお生まれになる時の、その底迄包括するという話です。どれほど深いか分かりません。神様が存在し始めた根源から始まったので、どれほど深いか分からないのです。一生の間生きても、全てそこ迄行けないので、あの世界に行っても、それに向かって永遠に発展するのです。ですから、夫婦でけんかをして別れるというのは考える事もできません。

 神様御自身も育ってこられたというのです。神様がその深さ迄、出発とともに根源と一緒にいらっしゃったのです。根源は、神様が先ではなく愛が先です。「神様は二性性相になっている」というのですが、なぜ二性性相ですか。愛ゆえに二性性相を大切に保管するのです。

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 真の愛は、神様が思いのままにお出ましになる事ができる橋になるのです。全ての四肢五体が、いつ愛を中心として表面で一つになってもOKであり、内面で一つになってもOKです。北でも、南でも、東でも、西でも、天国でも、地上世界でも、どこでも同じです。愛を中心として和合する事ができ、愛を中心として自律的に和動する事ができるのです。それは、愛だけがもっているものです。

 体制においても同じです。党を神様の絶対的な代わりとして立て、完全に一つになろうとするのは、神様を中心として一つになるという事です。

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 神様も、真の愛に対しては絶対的に服従します。真の愛を中心としては、神様も生命を捧げようとされます。男性や女性も、真の愛があれば、なぜ命を捧げようとするのですか。愛が生命よりも先だからです。神様がなぜ存在し始めたのでしょうか。愛ゆえに存在し始め、愛する為に存在されるというのです。愛という概念がなかったならば、神様も生まれる必要がなかったというのです。

 それ故に、神様からつくられた全てのものは、ペア・システムになっています。鉱物世界もペア・システムであり、レベルは低くても、陽イオンと陰イオンも愛を表示しながら絡み合っているのです。これは、レバレンド・ムーンがこの世に現れて、歴史上初めて発表したのです。神様御自身も真の愛を絶対視され、それに絶対服従しながら生きようと思われるその起源を発表したのは、レバレンド・ムーンが歴史上初めてです。それは、観念ではなく事実です。このように神様は、真の愛を求める為に創造されたのです。

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 真の愛というものは、神様を介在させる事なくしては成立しません。神様が介在されなければ、真という言葉、真という男性、真という女性、真という家庭、真という真理、真という愛がないというのです。神様が介在してこそ、それらが可能なのです。

 神様は、真理の大王であり、善の大王です。真の大王です。愛の大王様です。それ故に、神様を介在させない所には、善なるものがあり得ないのです。仕事もそうです。神様を抜かして行うのは詐欺です。信じる事ができません。全てのものがそうだというのです。神様を介在させる事によって、真の基準、永遠の基準が設定されるのです。

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 それでは、真の愛と偽りの愛を、何によって分別する事ができるのですか。自分を中心として「ため」に生きようとする愛は、悪魔と通じる愛であり、相対を中心として「ため」に生きようとする愛は、天地の道理と通じ、神様と通じる愛です。ここに境界線があるのです。

 神様の愛は、与えて、与えて、与えても忘れてしまうのです。それが真の愛です。年を取ったおばあさん、九十歳になったおばあさんが七十歳を越えた息子に、「おい、なにがしよ。きょう外に出たら車に気をつけなさい」と言って、相変わらず昔の幼い時の息子と同じように接してあげるというのです。毎日のように繰り返すその話を、九十歳を越える迄しても疲れません。千万年たっても疲れないのです。そのような愛が真の愛です。

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 自分の生命迄も投入して、また投入するという位置、与えて、また与えても忘れてしまう事ができる位置においてのみ、真の愛が始まるのです。真の愛は、天地を貫きます。死の世界も貫いて上がっていくのです。

 生命の世界も、硬い心でも、どこでも貫いていく事ができるというのです。愛が通る事のできない所はありません。愛は、秘密の部屋も通る事ができるのです。

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 最も速い速度をもったものが愛です。真の愛は、神様の創造能力と一致した力です。ですから、その愛をもっていれば、地の果てから神様に、「来てください」と言っても来られるというのです。醜い孫娘でも、指を少し動かせば、おじいさんが彼女に従っていきます。愛は、そのように偉大だというのです。これが真の愛です。

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 愛というものは、ただそのまま出てくるのではありません。神様の愛を通じなければ、栄光が出てこないのです。その人が栄光を享受するというのは、自分一人でいる愛をいうのではなく、億万長者になって金の畑に座っている事をいうのではありません。

 愛の因縁を完全に備え、変わらない幸福な位置にいる事を、栄光を享受するというのです。栄光は、神様の愛を除いてはあり得ないというのです。責任を完遂したのちに、完成段階の基準を経たのちに神様の愛を受けるようになれば、栄光は自動的に訪れるのです。

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 真の愛は、神様よりも貴くなり得るのです。それは何の話かといえば、神様でも愛の相対は、何千万倍も立派である事を願うというのです。それは逆にいえば、真の愛の対象は、神様より貴いというのです。皆さんも、相対が皆さんより立派である事を願うのが愛です。

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 真の愛は、神様の愛です。霊界に行けば、真の愛の色と味を感じる事ができます。そのような世界が霊界です。その真の愛と和合すれば、通じない所や聞こえない所がなく、全て通じるのです。真の愛の主人である神様の産毛があるならば、その産毛も真の愛に属しているので、少しだけ動いても天下がすぐに知るようになります。鋭敏だというのです。感情が宇宙的感情に迄、全て通じるというのです。

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 愛を中心として、人間たちが神様、創造主以上の位置に迄上がっていける特権を許諾したその道を歩んでいく事ができ、従っていく事ができる方向を教えてあげるので「神主義」というのです。

 「神主義」は真の愛主義ですが、真の愛主義は、堕落した生命を犠牲にして投入する事ができる道を訪ねていかない限り、その道に到達できないのです。それで聖書は、「生きようとする者は死に、死のうとする者は生きる」と、逆説的な論理を教えてくれた事を知らなければなりません。

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 愛の道を尋ね求めていく人は、どのようなものを備えなければならないのでしょうか。神様の愛、神様と父母、そして私が一つにならなければなりません。それで初めて真の愛だというのです。これが、神様のみ旨がとどまる事のできる中心です。私がそのみ旨と一つになる事のできる中心です。

二 神様と真の父母と一体を成し遂げるための真の愛

 本来、心と体は、離そうにも離す事ができず一つでした。人間の心は神様の心であり、人間の体はその心を包む器でした。ところが、人間の堕落が人間の体を悪魔に差し出したのです。それから、人間の体は悪魔の僕になりました。

 人間の良心は、神様を代表する心です。良心は、自分の為に存在するのではありません。天の義の為に存在します。良心は、常に善に向かって走ろうとします。ここに体は反抗します。体は、自分だけ楽をしようとし、利己的であり、本能的要求によって肉欲を表そうとします。良心は、この体を叱責して心に順応させようとします。ここに、常に血を流す葛藤と闘争が一つの体の中で起きるようになります。

 しかし、神様を自分の中に迎え入れなければ、誰も自分の体を征服する事はできません。ただ、神様の真の愛と真理の力を中心として、主体である心は、対象である体を率いて神様と一体理想をなすようになっています。これが宗教のいう完成した人間です。

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 神様を中心として、神様はお父様であり、私たち人類の先祖は息子、娘でした。その真の愛が出てくる為には、神様と一つにならなければなりません。一つになるのが原則です。一つになるための原則とは何かといえば、従順にする事しかないという結論が出てきます。神様が人と一つになる日には、神様のものが私のものであり、神様であり私であり、私であり神様だというのです。神様と一つになり得るのは真の愛だけです。

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 真の愛と和合すれば、彼は神様の体になり、細胞になります。神聖な神様の肢体になり、一体のようになって永遠に愛を呼吸し、愛を食べて生きる事ができるのです。そのような世界を天国といいます。真の愛を中心として一つになった事を、聖書は話さなかったのです。「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ一四・六)、そこには愛が抜けています。

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 真の人とは、真の愛で暮らす人です。真の愛は、与える愛であり、永遠にセンターの為に生きるという愛です。これが神様の核心です。真の愛は、神様の愛です。神様を永遠に愛そうとすれば、私は真の愛の所有者になるのです。

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 真の愛は、神様とだけ関係を結んだ愛です。自分とか大韓民国とか、また世の中の習慣性、風習、国民の伝統性、このようなものがありますが、そのようなものと関係を結んだ愛ではありません。神様とだけ関係を結んだ愛です。人間が堕落した為に、神様とだけ関係を結んだ愛になる事ができなかったのです。サタンと関係を結んだというのです。それが家庭だけではなく、家庭を越えて氏族、民族、国家、世界迄、地上世界、天上世界迄それが拡大されているというのです。今日、私たちが堕落した人として生まれ、生きている環境に染まった全ての習慣や伝統は、神様と関係ないのです。これを否定して、これを解決する事が、どれほど難しいか分かりません。

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 真の愛は、神様迄もコントロールする事ができます。真の愛を中心として一つになれば、所有権が生じます。愛する相対のものは、私のものだというのです。愛のパートナーは、いつ、どこにおいても取り替える事はできないのです。絶対的な愛の主人です。

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 真の愛には、神様の心と体を絶対的に統一させ、一つにする事のできる力があります。神様も人と似ているとすれば、心と体があるのではないですか。心と体は、何を中心として一つになっているのでしょうか。知識でもなく、権力でもなく、お金でもないのです。ただ、真の愛だけが神様の心と体を完全に統一させるのです。

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 私たち人間は、欲心が多いのです。しかし、神様の真の愛圏に、さっと入っていけば、欲心が全てなくなります。真の愛圏内には相続権があります。ですから、愛の主体である神様迄も私のものです。神様に属したものはあとにして、神様の心と体も私のものになります。一体になります。神様と私が一体だというのです。

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 真の愛は、神様の一体圏に属するもの、神様に支配されるものであって、サタンに支配されるようにはなっていません。皆さんの堕落圏は、そのようになっていません。したがって、垂直である神様の心情圏の円形は残っていますが、血統を誤って継承したので横的円形が九〇度になっていません。七五度、または一五度、このようになっているのです。その差によって、良心の呵責を受けながら、苦悶を避ける事ができず、圧迫を受けています。

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 真の愛は、ダイヤモンドより貴重です。そのアンテナから強い電波が送出され、自分の方向に従って触れ、出会い、キスをするというのです。それが真の父母のアンテナです。決して変わらないで、最後迄消滅しない貴重なものです。それで、全霊界の善の霊たちが真の父母を通して、新しい自らの明るい道を行こうとするのです。

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 世の中で最も悲しい事は、真の父母を失ってしまった事です。真の父母を失ってしまった事が、どれほど悲しい事かを知らなければなりません。そうしてこそ、真の父母に会う事が、どれほど喜ばしい事かを知る事ができます。

 それで、私が皆さんに一つ一つ指導するのです。神様の真の愛は、真の父母を通して出てくるので、真の父母には天使世界も支配されるようになっていて、全ての万物世界も支配されるようになっています。世界がその愛圏内にある事を、いつも考えなければなりません。

 真の父母は、世界の人が冷遇する立場で生まれなければならず、世界が反対する難しい立場で生まれなければならず、万物世界のどのようなものよりも貴い立場で生まれなければなりません。天使世界の天使が反対しても、それを克服してこなければならず、神様が反対しても、それを克服してこそ、それを越えて新しい理想的なものが出てくるようになるのです。

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 真の愛は、女性から始まるのではなく、神様を通して、男性を通して来るのです。それ故に、女性に生命の種を植えようと、男性たちが女性を尋ね求めて歩くのです。女性は器です。完全に空の器です。空の器とは、その器に入っていくものと対等な価値をもつのです。

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 人間に真の愛と偽りの愛というものが生じたのですが、偽りの愛とは何であり、真の愛とは何でしょうか。偽りの愛は、サタンと関係を結んだものであり、真の愛は、神様と関係を結んだものです。では、男性も女性も真の愛を願いますか。

 本来は、真の愛を願うのが人間ではありません。堕落した為に真の愛が必要なのです。堕落したのです。これが問題です。

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 女性が女王になり、男性が王になるには、真の愛を中心としてなるようになっています。真の愛を中心として女王、または男性の王が生まれるようになっているのであって、真の愛がなければ生まれる事ができないようになっているのです。真の愛は、最高の位置で会うのです。最高の位置で二人がぴたっと一つになり、ここに神様が連結するのです。結婚するのは、最高の男性世界と女性世界を成し、神様を占領するためなのです。二つの世界を占領するためだというのです。男性や女性は半分にしかならないので、完成する為に結婚するのです。真の愛は、神様と一つにするのです。

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 神様と人がどこで一つになるのでしょうか。結婚式の時に一つになるのです。本然の真の愛の中心である神様を中心として、ぴたっと一つになるのです。それは何かというと、神様がアダムの心に入っていき、エバの心に入っていくという意味です。アダムとエバの結婚式は、神様の体の結婚式です。神様の結婚式です。

 外的な位置が体であり、内的な位置が心です。それで、直接的に神様が私たちのお父様です。神様の愛が私の愛であり、神様の生命が私の生命です。神様の血筋が私の血筋です。

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 夫婦は、全て違う所から来て結ばれるでしょう? しかし、夫と妻が父母になって私を生み、父子の因縁を残すようにしたのですが、その横的な要素の中で、一つは他の所から来ました。それ故に、夫婦は別れても、父子の関係では別れる事ができません。縦的なものは一つしかないのです。これを知らなければなりません。天地間に、本然の真の愛を中心として、人類歴史を引き継いであげ得る血統的伝授の道は、垂直の位置一つしかないのです。垂直の位置が、なぜ必要なのですか。垂直に入っていけば影がなくなります。正午になれば影がなくなるでしょう? 神様と人間の理想的な愛の理想を中心とした垂直関係ができませんでした。

 それ故に、この宇宙の中で、人間と神様が真の愛を中心として垂直的な直短距離で連結できる道とは何でしょうか。このように連結できる関係は、父子の関係です。直短距離は、垂直以外にはありません。少しだけ違っても垂直ではありません。直短距離なので垂直です。その垂直を中心として、父母は東西に直短距離で連結しています。

 それから、兄弟も前後に直短距離です。これが九〇度です。これを面で見れば二十四面です。全知全能の神様がそのような理想的構想力をもたれたので、垂直と水平が九〇度を成し遂げ、前後、左右、全て九〇度を成し遂げた球形の中央に、宇宙の真ん中にいらっしゃるのです。神様は、何を中心としていらっしゃるのですか。真の愛を中心としていらっしゃいます。神様に尋ねてみれば、それしかないとおっしゃるのです。

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 真の愛は、通じれば絶対的になる事ができ、唯一的になる事ができ、永遠不変になる事ができるというのです。真の愛に一致した人は、神様に対して相対の位置に立つ事ができます。唯一的な神様、絶対的な神様、不変的な神様、永遠の神様にいつでも相対できる環境圏内に入っていくというのです。

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 私たち統一教会員の関係は、自分の兄弟より近いのです。このように、今後世界は、前後の世界が一つになり、その次には夫婦が一つになり、左右の世界が一つにならなければなりません。上下、前後、左右が一つにならなければなりません。

 上下、前後、左右、これは何ですか。上下は子女の道理、前後は兄弟の道理、それから左右は夫婦の道理をいうのです。このようにして完成すれば、霊界の神様の位置に上がっていき、神様に帰らなければなりません。それは、真の愛だけができる事を知らなければなりません。

 真の家庭は、このような公式的基準に訓練され、完成したアダム家庭を拡大させたものなので、この世界に拡大させれば東西が一つになるのであり、それは、男性と女性が一つになったのと同じです。男性を中心として、主体を中心として相対が一つにならなければならず、前後が一つにならなければならず、上下が一つにならなければならないというのです。そのようになれば、原理的な内容を中心として、真の愛によって一つの世界が間違いなく完結するのです。

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 神様を中心とした真の愛の道が、天国に行く道です。偽りの愛の終着地が、いわゆる地獄です。今迄全ての宗教は、それをはっきりと分かりませんでした。地獄と天国のバウンダリー(境界線)を知らなかったのです。今明らかになりました。堕落した愛を復帰して再出発する事が、天国の出発だというのです。

三 神様の愛の絶対対象は人類の先祖アダムとエバ

 新しい万物をつくっておいたそのエデン、新しい万物と共に永遠の福楽を享有しなければならない主人公のアダムとエバ、そのアダムとエバを立たせておいて、新しい心情的な理念を抱いて見つめていらっしゃった神様、その神様には、一瞬でも貴重でない時がなかったのです。アダムとエバが挙動するその一瞬一瞬は、表現できないほど深刻な瞬間であり、表現できないほど貴い因縁の時間だったというのです。

 成長するアダムとエバは、日が進むに従って理知と知能が明るくなり、神様の本性に代わるにおいて不足なものがありませんでした。彼らは、神様から造られる新しい世界に対して、神様の心情に代わって見る事ができ、聞く事ができ、触れる事ができる資格者に間違いなかったのです。

 神様は、アダムとエバを見つめられながら、彼らの動きが神様御自身の動きであり、彼らが話す言葉は神様御自身の言葉となり、また彼らが聞いて、見て、感じる全てのものが、神様御自身が聞いて、見て、感じるものになる事を願われました。そのような関係と因縁圏内にいるアダムとエバは、神様が心中で描かれた、神様の全体に代わる存在だった事に間違いないというのです。

 アダムとエバの為につくられた万物を抱いていらっしゃる神様は、アダムとエバを立てておいて、どのような一日を待ち焦がれ、慕われたのでしょうか。六日目迄に全て万物をつくり終えられたのですが、アダムとエバを完成した姿で創造されなかったという事は、アダムとエバと神様の間に、必ず何か残っていたという事です。神様が願われたのは、造っておいた状態のアダムとエバでもなく、彼らが成長する姿を見つめるその期間でもなく、アダムとエバを通じて成し遂げようとする一日であった事を知らなければなりません。

 この一日を迎えるその瞬間、神様も喜ばれるはずであり、アダムとエバも喜ぶはずであり、万物も喜ぶはずなので、万物もその日を待ち焦がれ、人間もその日を待ち焦がれ、神様もその日を待ち焦がれられるのは間違いないのです。

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 私たちの先祖アダムとエバは、神様の愛の懐で育ち、神様の至聖、至大な愛の心情のもとで育てられました。しかし、いくら育つ姿がかわいくて、暮らす環境が自由だったとしても、彼らがもっていないものがあったのですが、それは何だったのでしょうか。許諾してくださった万物がなかったわけでもありません。使いがいなかったのでもありません。それは、アダムとエバが神様の息子、娘になり得る心情の因縁を結べなかったという事です。それが恨です。

 神様が無限の創造の理念とともに享受する事ができる希望の世界を立てられ、アダムとエバによって天下万象が自由自在に主管される姿を見て喜ぼうとされたのは、彼らを愛されるためだったのです。外的なある条件が貴いからではなく、御自身の心血が彼らに浸透していて、御自身の骨肉が潜在していて、忘れようとしても忘れられない心情の流れがアダムとエバに向かっていたがゆえに、アダムとエバに天地の全ての万物を許諾されたという事を、私たちは知らなければなりません。

 しかし、アダムとエバは、堕落する事によって神様に背きました。万物に背いたのでもなく、施してくださった祝福に背いたのでもなく、背いてはいけない一つの原則に背いたのですが、それは何でしょうか。それは、神様と心情の因縁を結ぶ事ができる基盤です。心情の基盤に背いたのです。それが堕落です。

 神様は、アダムとエバを見つめるたびごとに希望の心情が燃え上がり、彼らを見るたびごとに、彼らが自己完成して幸福な生活をする事を思われて幸福の感情が燃え上がり、神様がつくってくださった天地万物を彼ら自身がつくったもののように主管して、楽しみ、なでてあげる事を願われました。しかし、そのような希望の心情は、アダムとエバの堕落によって、全て途絶えるようになったというのです。これが、私たちの先祖が過ちを犯した罪状の中でも、容認されない、とても大きな罪状だという事を知らなければなりません。

 しかし、神様は、堕落した人間をそのままほっておく事ができないのです。なぜですか。本来、人間を永遠の基準である原理的な法度によって造られたがゆえに、その基準を無視する事はできないからです。堕落したアダムとエバを無にしてしまいたい心は切実でしたが、彼らを無にすれば、六日間でつくられた全被造世界の原則を無にすると同時に、永遠の基準迄無にしなければならない立場になり、永遠の主体であられる神様の実存迄侵害されざるを得ない立場になるので、これを知っていらっしゃる神様は、アダムとエバをもう一度救援する摂理を始められたのです。

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 サタンは、エバと愛の関係を結び、ひいてはアダム迄堕落させました。すなわち、エバがアダムを主管したのです。それ故に、今迄これを蕩減させる為に、歴史的に数多くの女性が男性たちに蹂躙されてきたのです。女性は寂しく思うかもしれませんが、それは事実です。

 それでは、神様は何の為にアダムとエバを造られたのですか。聖書を見れば「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っている事を知らないのか」(コリントⅠ三:一六)と記録されています。体が堕落して救援歴史を経なければならない人々も、体を何だと言うのですか。「神の宮だ」と言います。神の宮とは、神様が臨在される場所をいうのです。

 堕落して救援歴史を経なければならない人が、神様が臨在できる聖殿になるとしても、堕落していないアダムと比較すれば、堕落していないアダムが良いというのです。それでは、アダムの心に神様が入っていってそこにいらっしゃるのでしょうか。言う迄もなく、百年でも千年でもいらっしゃるというのです。

 それでは、アダムは、そもそも何でしょうか。アダムとエバが何も分からない間抜けならば、神様が創造された天地万物を主管する事ができないのです。すなわち、天地を創造した技術者のような実力がなくては、主管できないというのです。それでは、誰が主管の能力を下さるのでしょうか。正に神様であられます。すなわち、神様がアダムの心と体に入っていき、アダムをコントロールして初めて正しく動くというのです。

 このように考える時、神様の体になるように造られたアダムが人間の先祖になるのです。言い換えれば、アダムは実体の神様です。無形の神様が実体の世界を主管する為には、実体、すなわち体があってこそ見聞きできるので、神様の実体になるように創造された存在がアダムだというのです。それでは、エバは誰ですか。エバはアダムの妻です。実体の妻です。したがって、アダムが実体をもった神様ならば、エバは実体をもった神様の妻です。神聖な神様が妻をもらうなどとんでもないと思うかもしれませんが、アダムは実体をもった神様の体であり、エバは実体をもった神様の妻として造られたのです。

 そのようなアダムとエバは、どのようにしなければならないのでしょうか。見えない神様の内在的な性稟にそのまま似て一体を成し、愛の実を結ばなければなりません。そのようにすれば、その息子、娘は、アダムとエバの息子、娘であり、神様の息子、娘だというのです。真の愛を通してアダムの息子であり、神様の息子をつくらなければなりません。ところが、正常な軌道で愛の因縁を立てられなかった事が億千万代の恨の歴史であり、今日この悲惨な堕落の歴史だという事を皆さんは知らなければなりません。

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 神様が王ならば、アダムとエバは、神様の初代王子、王女です。神様の相対として、天宙の全てのものを相続し得る神様の初代王子と初代王女が、私たちの最初の先祖であるアダムとエバだった事を、はっきりと知らなければなりません。このように、王族心情圏に一致する生涯を終えて入っていく所が天国です。これを今迄歴史始まって以来、どの宗教家も分からず、誰も分かりませんでした。

 ところが、既成教会では、「イエス様を信じれば、すぐに救われる」と言います。そのようなばかな話はありません。心情圏、長子権において、アダムとエバは、初代の長子と長女でした。初代の真の父母であり、地上王国の初代の中心人物でした。その王を中心とした王族が地上に残っているならば、今この世界はどのようになっていたでしょうか。神様の理想を中心として、全てのものが準備されていたはずですが、堕落する事により、サタン圏を中心として数百、数千の民族が分裂し、闘いの渦中で王族圏を制圧してきたのです。それが堕落の結論です。

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 無形の二性性相の主体としていらっしゃる神様の男性格性稟を実体として展開し、神様の内的性稟を見えるように実体として展開して相対的に造ったものがアダムであり、神様の内的な女性格性稟を実体として展開したものがエバです。別の言い方をすれば、神様の内性的な全てのものを投入して実体化させたものが人間の体だというのです。

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 エバゆえに、本来の理想的なアダムとエバが二人とも壊れたのです。それ故に、理想的「後のアダム」として来られたイエス様の前に、堕落したエバ、すなわちマリヤがイエス様の妻になるエバを復帰してあげなければなりません。復帰するには、マリヤ一人ではできません。創造主がアダムを中心としてエバを造る時も天使長が協助したので、復帰歴史完成の為に、「後のアダム」を型としてエバを造る時も天使長が協助しなければなりません。そのようにする事によって、エバが復帰されるのです。

 そして、イエス様と復帰されたエバが一つにならなければなりません。天使と天使長の立場である僕たちが、アダムの立場であるイエス様を中心として、エバの立場である娘を創造したとすれば、その娘は堕落していない神様の娘ではないですか。マリヤとヨセフが、その神様の娘とイエス様を祝福してあげなければなりません。ここで、神様の娘と神様の息子が一つになるのです。

 主管性転倒問題は、エバが行った事なので、女性が責任をもたなければなりません。それ故に、マリヤが天使長も復帰してあげるべきであり、アダムも復帰してあげるべきであり、エバも堕落前のエバに復帰しなければなりません。マリヤが、この全てを復帰しなければなりません。ですから女性は、主管性を転倒しなければなりません。マリヤは、天使長とアダムとエバ、この三つを復帰するだけでなく、神様の心情迄全て探し立てなければなりません。

 それをする事によって、神様のみ旨と人類の目的が成し遂げられるのです。神様が四千年間願ってこられたみ旨と、人類が今後天国を成す事のできる起源が、ここでできるのです。ですから、これが人類の目的点となってきたのであり、神様の目的点となってきました。

 アダムとエバが愛を結び、愛を完成すれば、そこから完全なものへの出発がなされるのです。それ故に、主管性転倒を必ずしなければなりません。

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 もしアダムが堕落しなかったならば、アダムとエバが成し遂げた家庭は、神様が喜ばれる家庭であると同時に、人類始祖において最高の幸福を感じる事ができる基台になったのです。苦痛とか失望とか、あるいは嘆息などを見たり感じたりせず、喜びと幸福だけを感じて永遠を希望とし、神様の直接主管圏内で神様の主管を受けたのです。ところが、アダムとエバの堕落により、このような全ての事が誤ってしまいました。

 したがって、それを復帰しなければならないのですが、それをそのま迄は絶対に復帰できないのです。必ず、創造原則によって復帰していかなければなりません。これが原則なので、今迄の復帰歴史を見れば、再創造歴史を通してそれをなしてきた事が分かります。エデンの園には、天使長がいて、エバがいて、アダムがいて、神様がいらっしゃいました。別の言い方をすれば、神様を中心として四位の形態を備えた位置だったというのです。そのような位置で堕落したので、復帰するにおいては再創造原則を通さなければなりません。それで、今迄復帰歴史は男性が担当してきたのです。

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 ユダヤ民族がイエス様を受け入れなかった為に、イエス様は、一人で国家と世界の為に自らを犠牲にする事に決めました。イエス様は、家族を離れなければならず、孤独に生きなければならなかったのです。しかし、神様の愛を受けました。結局彼は、堕落したアダムとエバの救援の為に堕落していない兄弟が犠牲にならなければならなかったように、人の為に自らを犠牲にしました。

 全ての人が堕落したアダムとエバの位置にいました。彼は、彼らの為に自らを犠牲にしました。祭物になりました。自分を殺そうとする人々を呪わなかったのです。むしろ、神様に彼らを祝福してくださるように願われ、祈られました。それ故に、イエス様は、神様と堕落したアダムとエバの間に仲保者として立ったのです。

 イエス様は、堕落していないアダムとして亡くなりました。そして、全世界、人類の救援のための公式的な道を行きました。それで、彼に従う者は誰でも救われる、代表的なアダムになったのです。

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 もしアダムとエバが成熟し、完成していたならば、彼らは、夫婦の愛によって一つになる事ができたのです。彼らは、肉体的だけではなく、霊的にもお互いに愛するようになっていました。その場において、アダムは、お父様であられる神様と縦的に一つになる事ができ、エバは、お父様と娘の立場で神様と一つになる事ができました。その時、アダムとエバが望んだ位置は、一つになる位置でした。そして、神様とエバも一つになってアダムを望んだのです。

 横的には神様とアダム、そして、神様とエバ、三人がいます。この三人は、完全に一つになる事を望みます。それでは、どこで彼らが会うのですか。あの上ですか、でなければこの下ですか。違います。彼らは、横的に出会って一つになったのです。もしアダムとエバが横的に一つになっていたなら、彼らはどのようになったでしょうか。完全に一体になったのです。何も彼らを離す事はできなかったはずです。

 これを成したのちに、初めて愛の位置に対する欲望が生まれます。男性と女性には、これが唯一の道であり、唯一の目標です。それは、神様とアダム、そして、神様とエバが一緒にいたいと思う唯一の位置なので、最高の位置です。神様とアダム、そして、神様とエバが一つになる事ができなければ、彼らはその場を占有する事ができないのです。その時から、神様を中心としたアダムとエバの間の授受関係が疎遠になります。

 このような観点から見るとき、私たちは、神様が縦的にだけではなく、横的にも創造していらっしゃる事が分かります。これがアダムとエバを中心とした創造理想、神様の理想です。

 アダムが神様と一体になり、エバが神様と一体になれば、彼らの間ではどちらも、「私のほうがあなたより貴い」と言う事ができないのです。より

貴いものも、より貴くないものも存在せず、ただ完全な一つのものだけが存在するのです。しかし、様々な理由で、神様とエバのすきま、そして、神様とアダムのすきまが生じるようになりました。

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 アダムとエバが成熟して成婚式をすれば、彼らは神様を中心として直接的な愛圏内で一つになるのです。ここで中心は、誰ですか。神様です。そのようになったとすれば、私たち人間は、実体をもった神様の体になるのです。そのようにしてアダムとエバが一つになっていたならば、彼らは神様の体であり、人類の父母であり、神様の中心になるのです。いくら全知全能の神様でも、相対なくして喜べば、「狂った神様だ」と言う事ができるのです。

 絶対的な神様の前に、私たち人間は、相対的存在です。絶対的な愛を中心として一体にならなければなりません。そのように、神様とアダムとエバが一体になっていれば、そのアダムとエバを中心として生まれた息子、娘は、アダムとエバの息子、娘であり、神様の息子、娘です。そのようになったならば、神様の血族としてこの地上に家庭を築き、氏族を成し、民族を成し、国家を成し、世界を成していたはずであり、永遠であられる神様の愛を中心として結ばれたその因縁は、断ち切る者がいないので、その国自体が神様の愛を基盤とした地上天国になる事を皆さんは知らなければなりません。

 アダムとエバが堕落していなかったならば、アダムがエバを愛するのは神様の代わりに愛する事であり、エバもアダムを愛するのは神様の代わりに愛するという観念がここで形成されるのです。それ故に、アダムとエバの生活は、神様の生活を表示するものになります。

 アダムとエバが喜べば神様も内的に喜ばれ、アダムとエバが悲しめば神様も内的に悲しみを一緒に感じられるようになっています。愛は、神様のものであり、アダムのものであり、エバのものだからです。一つの愛なので、そのようにならざるを得ないというのです。

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 本来、堕落していなければ、左翼と右翼はありません。統一です。「頭翼思想」や「神主義」は必要なく、そのまま天国に行くのです。救世主も必要ないのです。アダムとエバから「頭翼思想」によって神様の前に行くのであって、再び戻る必要は何もありません。全て天国に直行するのです。アダムとエバが堕落していなかったならば、天国の王子、王女として天国に行くのです。アダムとエバは、神様の王孫でしたが、堕落した為にそのようになれなかったのです。

 アダムとエバとは誰かといえば、神様の体です。エバは、神様の実体の夫人です。神様は、霊的に縦的なお父様になります。垂直的なお父様、縦的なお父様です。皆さんの心には、その二つの父母の血統を受け継ぐ事のできる本然的基準があるので、堕落したとしても永遠に変わりません。

 創造主は縦的な父母として、横的な父母を縦的な愛の相対として造られたのです。それ故に、アダムとエバは、神様の永遠の愛のパートナーです。神様の相対です。アルファとオメガだといいました。神様から愛を始めたので、戻れば神様の友人になるのです。あとで神様に戻らなければなりません。

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 アダムとエバは、誰を中心として結婚生活をしたのでしょうか。神様がそれを干渉されたでしょうか─アダムとエバが息子、娘を生みましたか、生みませんでしたか。生みました。カインとアベルを生みました。カインとアベルを生んだのですが、神様が「おい、アダムとエバよ! お前たちは一緒に暮らして息子、娘を生みなさい!」とおっしゃって生んだのがカインとアベルですか、自分勝手に生きながら生んだのがカインとアベルですか。自分勝手にして生んだのです。自分勝手に生んだのですが、誰が喜ぶでしょうか。サタンが喜ぶのです。アダムとエバは、サタンを中心として結婚したのです。これを否定できません。

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 韓半島がアダム国家ならば、日本はエバ国家です。韓国がなぜアダム国家ですか。地理的に見るとき、韓半島は男性の生殖器と全く同じです。ちょうどローマがそうです。地中海が女性の陰部と同じで、イタリアが男性の生殖器と同じです。ですから、二つが一つにならなければなりません。このような地域は、いつも文化が離れられません。一つの文化が帰着して離れる事ができないのです。

 なぜなら、愛の基盤の上に立ったのと同じ立場だからです。地政学的な全てのものを見ても、ローマと地中海は、男性と女性が一つになったものと全く同じだというのです。

 今から父と母に代わって総合的な文化時代が訪れてきます。これは、アダムとエバが堕落した時に失ってしまったものを再び取り戻す場なので、その周辺国は、一緒に堕落した三天使長の立場です。アダムとエバ、三天使長と同じです。韓国を中心として三天使長は、中国とソ連とアメリカです。アメリカは、天の側的な天使長であり、サタン側的な天使長が、中国とソ連です。台湾とインドもそうです。これがちょうどそのような立場にいるというのです。

 アダムとエバが家庭を失ってしまったその時に、アダムとエバを失ってしまい、三天使長が全て堕落しました。それを復帰しなければなりません。それ故に、韓半島において、ローマ教皇庁ができない事を収拾しなければなりません。ローマ教皇庁は、来られる主の為に備えるというみ旨をもっていましたが、失敗しました。

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 日本は、サタン側の国です。天照大神の国を、天国のエバとして完全にひっくり返さなければなりません。次子権を日本人以外の第二世に、奪って返さなければなりません。韓国と日本は、アダム国家とエバ国家なので一つだというのです。一つにしなければなりません。日本が日韓併合する時には、銃刀で一つにしようとしましたが、文総裁は、自由の環境で、愛で一つにするというのです。

 エデンの園において、女性は一人であり男性は五人ですが、アダムは目がぼーっとしていて女性を奪う事ができないのです。そのようにしようとすれば、息子、娘を全て抱かなければなりません。息子、娘をもってこそエバを取り戻せるのです。息子、娘を全て結婚させたので、エバは行く所がないのです。

 日本自体が国家的にこのような事をしなければなりません。そのようにする事によって、世界を代表したエバ国家が出生し、それがアダム国家と一つになる日には、天使長国家であるアメリカ迄加担して、三つの国が一つになるのです。

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 「成約時代」と言うとき、「成約」とは、アダムとエバを創造して、アダムとエバの家庭を完成する事をいうのです。すなわち約束を成す事です。

 そして、アダムとエバの本然的な基準に帰らなければならないのですが、堕落の血族、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界の五十億人類と、歴史時代に霊界に行った数多くの先祖迄ぶら下がっています。いくら歴史時代に忠誠を尽くし、精誠を尽くして神様を愛したとしても、それは全て過ぎていってしまい、み旨を成せる成約時代に達し得ない忠誠であり精誠だったというのです。

 神様は、アダムを造られ、アダムからエバを造られたので、神様が責任をもつべき事は、アダムを再び造る事です。神様はアダムを造らなければならず、地はエバを造っておかなければなりません。そして、エバを中心としてカインとアベルの二人の息子を失ってしまったので、これを取り戻すのです。そのように種を蒔いたので、それを収めなければなりません。

 母を中心としてアベルは右側であり、カインは左側だというのです。三角形の線と同じになるというのです。地でそれを準備しなければなりません。それをどのようにすれば解放する事ができるのですか。個人的にカインとアベルを蒔いたのであり、アダムとエバを中心として母と息子、娘が植えたので、これを世界的に蕩減しなければなりません。

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 真の愛の礎石を、誰がおいたのですか。人間がおいたのか神様がおいたのかという問題の答えは、神様です。人間が生まれる前に鉱物をつくられ、植物をつくられ、昆虫をつくられ、全てつくっておかれたのです。聖書を見れば、一番あとで人間を造られたのであり、最後に造られたのがエバです。

 それ故に、結局神様は、誰と連結するのですか。女性と連結しなければなりません。神様が礎石をおいた目的は、地上でアダムとエバが一つにならなければならないからです。アダムとエバが一つにならなければなりません。それでは、アダムとエバは、横的な面において、プラスとマイナスを中心としてどこに行って一つになるのでしょうか。男性と女性が一つになるのです。男性と女性は、凹、凸で一つになるのです。

 神様は心的存在と同じなので、アダムの心に性相が入っていき、エバの心に形状が入っていき、彼らが結婚式をするようになるのです。結局は、私たちの心と体が一つになる事と同じです。神様と私たちの心が一つになる事が、霊肉一体と同じ立場に立つのです。霊肉一体の男性と霊肉一体の女性が神様と一つになって結婚式をするのです。結婚式は、一日、一時に一双で結婚するのです。その結婚式は、アダムとエバの結婚式であると同時に、神様の結婚式だというのです。

 それで正分合です。正で分かれたものが合わさるときは、それらだけで合わさるのではありません。アダムとエバだけではなく、神様から一つになるのです。

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 縦横を中心として運動する事により面積が生じるのですが、この面積の中で、神様の真の愛を中心として、アダムとエバが内外に同じ姿を備えるようになります。そして、私たち人類の先祖の位置で初愛を結ぶ事により、永生的で内的な神様の存在と、この肉的で一生的な存在が一つになるのです。それで、神様の心の血筋と体の血筋を受け継ぐ事により、その子女は、神様とアダム完成の全ての基準を受けるようになり神様が永生されるので、私たち人間も永生するというのです。永生論理がここから展開するのです。

 それ故に、愛でなければ人間が神様の形状を受け継ぐ事はあり得ません。神様御自身が人間の形状、体の形状を受け継ぐ事はできないというのです。そのように愛が重要なのです。それで、神様の愛の理想を完成させるのに絶対的に必要なのが、絶対主体の前の絶対対象だというのです。その対象的な存在がアダムとエバです。

 ここは、内的な形状であったものが実体として分かれ、再び完全なアダムとエバを中心として愛によって一体となる事により、結局は、心的実体である神様がここに内的に入ってこられ、体的な実体であるアダムとエバが愛で一つになるのです。ここにおいて神様もアダムの形状に似て、アダムも神様の内的な形状に似て地上に定着するのです。これが家庭の基盤です。これを知らなければなりません。これが宇宙の根本です。

四 真の愛の初舞台は真の家庭

 神様は、真の愛でアダムとエバを造られました。そのアダムとエバは、神様の本来の性相と形状が展開した実体です。神様の見えない性相と形状が実体として現れたのが、創造されたアダムとエバです。それ故に、大きくなって上がっていかなければなりません。大きくなって神様と一つにならなければなりません。完成したアダムとエバになっていたならば、彼らの心と体が自動的に一つになるのです。

 しかし、堕落の為に彼らの心と体が闘ったのです。今迄、これが分かりませんでした。神様の創造理想どおりに人間が完成したとすれば、心と体は闘いません。闘う人になったという事自体が、「神様はいない」と否定し得る条件になるのです。

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 真の愛は、一人では成す事ができないのです。相対がいなければなりません。皆さんも、自分の相対が自分よりも立派である事を願いますか。誰でも、自分の息子、娘が自分よりも立派である事を願うというのです。そのような心は、神様から来たのです。

 それ故に、神様も、愛の相対が神様より立派である事を願っていらっしゃる事実を知らなければなりません。愛の相対が横的にも縦的にも自分より立派である事を願う本然的起源は、神様にあったというのです。

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 女性の心と男性の心が一つになり、女性の体と男性の体が一つになれば、神様の形状になるのです。そのようになれば、その中心に神様が臨在し、永遠に定着する事ができるというのです。正分合作用が三段階を経て、心的基準と体の基準が一体理想を成すのです。

 愛の一体、縦横に理想世界の一体圏が成されるというのです。心身一体という概念に、全てのものが統合されるのです。

 愛が一体となる事により、実体の神様として地上に定着し、繁殖した家庭が神様の家庭になり、神様の一族になり、神様の民族になり、神様の世界になるのです。そのようになれば、堕落による心と体の闘いがすぐになくなります。神様の性相と一つになっているので、自然に神様の愛が臨在して男性と女性の相克がなくなるのです。衝突なく、自動的にお互いが愛する事ができるようになるのです。そこに神様が臨在され、家庭で心的な存在となり、夫婦は体的な存在として一体を成し遂げるのです。

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 真の夫婦というものは、真の生命体を中心として、男性と女性が真の愛によって結束した夫婦です。そのような夫婦が真の夫婦です。社会は、そのような因縁を連結しなければなりません。兄弟圏の心情を横的に拡大した相対圏が真の社会、真の国家、真の世界です。人間は誰しも、自分自身が宇宙の代表になりたいのです。

 真の愛を背景とする因縁を中心として見れば、全てが平等なので、それに背く者は、立つ位置がなくなるのです。唇は、真の愛によって連結します。それ故に、生命、愛と血統、これが自分自身です。

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 真の愛の第一故郷は、真の家庭です。真の家庭とは何ですか。そこには真の父、真の母、真の夫、真の妻、真の子女がいるのです。それが真の愛の家庭基盤です。

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 父母が子女の為に無限に投入して犠牲になれば、真の愛が背後にある限り、子女はその真の愛に無限に感謝するようになり、父母は大きな喜びでその犠牲を埋めるのです。このように犠牲的な真の愛の力は、授け受けする作用を発展させ、真の家庭で、そして、真の世界で永遠の喜びと平和の関係を結ばせます。このようなところで、永生の理想世界が顕現するのです。

 しかし、このような真の愛が欠如した家庭と国と世界は、抜け殻にすぎず、むしろあらゆる不信と反目と不倫の納骨堂になってしまうのです。人間の純粋な真の愛が成長して完成する場は、真なる家庭です。真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の子女の愛、そして、真の兄弟の愛が共に完熟して実践される真の愛の初舞台は、真の家庭です。

 真の父母の真の愛を通して神様の真の愛を学びながら、真の兄弟の真の愛を通して真の国と真の世界人類に対する普遍的真の愛を訓練させる、平和世界の基本核の場が真の家庭です。それだけでなく、父母と子女間に受け継がれる真の愛を通して、過去と現在と未来の世代が一貫した真の愛の価値観によって連結していくようになる、歴史的連結の輪の基本単位も真の家庭です。

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 おじいさんとおばあさんは、父と母の為に死を覚悟して、命を懸けて愛する、これがどれほど幸福ですか。また父母は、息子、娘の為に命を懸けて愛するというのです。どれほど幸福ですか。

 皆さんは「愛の為に死ぬ」と言うのですが、孫がおじいさんの為に死ぬ事が真の愛です。おじいさんは孫の為に、父母は子女の為に、子女は父母の為に、姉は弟の為に、弟は姉の為に、夫は妻の為に、妻は夫の為に、おばあさんはおじいさんの為に、おじいさんはおばあさんの為に、愛を中心として生命を捧げようとする家庭が真なる家庭だという結論が出てきます。

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 神様が最も好まれるものとは何ですか。神様が最も好まれるものとは真の愛ですが、真の愛が最も喜ぶ相対的基準は何かといえば、アダムとエバの家庭です。この家庭は、理想的な神様の立場に立てられたものです。

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 レバレンド・ムーンが教えてあげる真の愛の道、真の愛の男性と女性が行き、真の家庭が行き、真の国が行き、真の世界が行く道は、絶対的です。一つしかないのです。二つではありません。それを教本として、全ての人が向かい合える所が家庭だというのです。

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 祝福を受けた夫婦がけんかをすれば、どのようにするのですか。夫婦がけんかをすれば、自分の息子、娘を呼んでおいて、その次には信仰の息子、娘を呼んでおいて、許しを請わなければなりません。カインとアベルが、行くべき伝統に背いたのです。ですから、自分の息子、娘と信仰の息子、娘がアベルとカインの立場であり、彼らが一つになれずに反対の事をしたので、カインとアベルの子女に悔い改めなければなりません。そのような時が来るというのです。共同運命です。息子、娘が間違えば、父母に許しを請わなければなりません。もし夫、父が間違えば、その息子、娘と夫人に許しを請わなければなりません。それが真の愛を中心とした真の家庭です。

              *

 宗教は、神様を尋ね求めていくのです。神様の教えを尋ね求めていくのです。それを成し遂げるのは、神様ではなく人間です。相対的な愛を尋ね求めていくのですが、どこでそれを定着させるのかといえば、教会でもなく世界でもありません。正に家庭だというのです。家庭に真の愛の種を植えなければなりません。真の家庭によって拡大するためなのです。そこには宗教観念がありません。

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第二章 天国と真の家庭

一 神様の創造理想は四位基台と真の家庭

 本来、神様は、天地万物を創造され、全てのものが人間を通じて完成するようになさる事により、神様の威信と人間の威信を立てようとされました。そのようになれば、人間の完成は勿論、神様の創造理想の完成も自動的に完結するという結論に到達するのです。

 そのようになっていれば、神様は万宇宙の中心の権威を備えられ、人間はその息子、娘として一体となり、神様の理想的愛の世界がこの地上に実現していました。そして、神様の悲しみが始まるのではなく、神様の喜びが始まっていたのです。そのようになっていれば、神様は、喜びの中で、人間の権威を一〇〇パーセント褒めたたえていらっしゃったのです。

 神様が人間をそのように高く褒めたたえられる事を見習い、人間も、同じように神様に対して高く褒めたたえていたのです。そのようになれば、共同運命に置かれるようになっていたというのです。

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 神様は、人間始祖アダムとエバを中心として、万物を主管するだけではなく、愛の家庭を築こうとされました。私たち統一教会では、この基準を「四位基台の完成」と定義しています。結局、神様のみ旨とは創造理想を完成する事ですが、その創造理想を完成するという事を具体的に言えば、それは四位基台の完成だというのです。

 それでは、四位基台とは何でしょうか。完成したアダムと完成したエバが、神様の愛の中で祝福を受け、そのお方の息子、娘になると同時に神様が願われる夫婦となり、その次に、神様が願われる家庭を築く為には子女がいなければならないので、子女を完成させる事です。

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 神様のみ旨は、創造理想を完成する事によって成されます。それでは、神様の創造理想とは何でしょうか。勿論万物をつくる事が神様の創造理想でもありますが、アダムとエバを中心として創造理想を成そうとされたというのです。神様の創造理想の完成、み旨の完成とは何でしょうか。神様を中心として、神様の愛を中心として四位基台を完成する事により、創造理想も完成し、み旨も完成するのです。言い換えれば、「神様のみ旨の完成」という言葉は、常に神様の愛を中心として四位基台的愛の基盤を内包しているという事実を、皆さんははっきりと知らなければなりません。

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 四位基台は、愛を中心として東西南北が備えられていく事です。愛を除けば何もありません。その愛は、アダムだけの愛ではありません。エバだけの愛ではありません。アダムとエバが統一された位置で、神様の愛を連結させなければならないのです。神様の愛を連結させたその位置には、アダムとエバの愛があると同時に、息子、娘の愛が介在します。

 私たちがしばしば言う「三対象理想」という言葉も、アダムを中心として見れば、天がいて、妻がいて、子女がいるという意味です。これは三掛ける四は十二、十二数の対象圏の事をいっているのです。またこれは、愛を中心とした人々の三つの位置についていっている言葉です。

 ところが、今迄信仰生活をしてきた人々は、神様の愛を中心として創造理想を完成するという、そのようなみ旨が分かりませんでした。それは、神様のみ旨の完成、創造理想の完成をいうのです。それが四位基台の完成です。四位基台を完成すればどのようになるのでしょうか。天と地が定着するようになります。天と地が初めて定着するようになるのです。

 天は上の軸と同じであり、地は下の軸と同じであって、これを中心として一つになるのです。ここで子女は、中央の軸に向かって一つになれる平面的な形態を備えなければなりません。そして、これが育つ事により、中央に上がっていって一つの円形を描き、さらには愛の理想である球形を成すのです。

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 全てのものは、中央線を通らなければなりません。なぜ人の鼻は、上から下に垂直に下りているのでしょうか。中央を失ってしまってはならないからです。顔を見れば、目は神様を象徴し、口は万物を象徴しています。それで、歯が三十二本です。四掛ける八は三十二、歯は三十二本です。これは全体数を表しています。四数は東西南北であり、八数は全体数を代理したものです。乗数なので、四掛ける八は三十二、全体を象徴しているのです。それは、万物を食べなさいという意味です。これは、外的なものを取り入れる事です。一方で、話すという事は、内的なものをはき出す事です。全て四位基台になっています。授け受けする道理です。

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 縦横に備えられた愛の圏が、四位基台の愛の圏です。そのようになった時に、初めて父母が父母として登場するのです。父母として登場するので、横的な面において初めて実体的な神様の代身者として登場するのです。神様がアダムとエバを造って感じられた喜びを感じさせる為に、横的な子女を養育できる力を人間に許諾されたのです。これが神様の創造理想です。

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 神様を中心としてアダムとエバが愛を感じたとすれば、その愛は神様の愛であり、その四位基台は神様を中心とした四位基台です。それから子女ですが、この子女関係は、神様を中心として相対的です。ところで、相対となっている子女を生み、ただそのま迄はどこにも使う事ができません。教育をしなければなりません。大きくなっていかなければなりません。大きくなっていく中で、男性は右側、女性は左側に行かなければなりません。

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 新しい時代の四位基台は、アダムとエバの息子、娘から始まります。ですから、アダムとエバが結婚して繁殖すれば、結局は四位基台圏を成すようになっているのです。

 本然の息子、娘に帰っていくには、どのように帰っていくのでしょうか。神様の本来の心情と、神様が願われた理想家庭を中心として、相対圈が新たに生じるのです。四位基台は三段階でしょう? 神様、アダムとエバ、息子、娘です。この場合が縦的です。これが横的に展開していかなければなりません。横的に着陸する事により、縦的な要素がこれを基盤として、無数に平行に広がっていくのです。これが一つのモデルとなります。

 アダムが理想とした四位基台が全世界的に発展していく為には、このような伝統的な家庭の内容を完成させなければなりません。これを完成させなければ、横的な連結を成す事ができません。別々に分けて考えてはいけないというのです。アダムとエバが結婚して暮らせば、既に神様は右側に来ていらっしゃり、自分の息子、娘は左側に立つのです。これが一つです。この三つが一つになっている事を知らなければなりません。

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 横的に見れば、アダムは長男です。次男はイエス様であり、完成したアダムは三男です。縦的原理から見れば、三男は三代目でしょう? ですから、おじいさんの立場が第一代であり、父の立場が第二代であり、第三代は息子であり、それは孫の立場です。このようになっていたものが反対を向けば、孫がおじいさんの立場になります。反対に、祖父、父、孫となるのです。それ故に、先生に絶対服従していく事によって、神の国の四位基台、三代圏を完成し、神の国に入っていく事ができるのです。ですから、蕩減復帰です。

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 統一教会の主体思想は、神様を中心とした思想です。この主体思想の中で、秩序的段階について言えば、三段階がなければなりません。ですから、父母と夫婦と子女がいるのです。この中心が神様と因縁を結び、四位基台理想を拡大させ得る愛の理想圏なのです。これが、私たちの主体思想の内容です。

 愛は、拡大する力をもっています。それが集約されれば一つになります。それ故に、拡大し得る理想と連結し、全人類を抱いて生きていこうとするので、拡大させなければなりません。これを拡大させたのが、私たち人間の繁殖です。アダムとエバの二人を、横的に拡大させたのです。

 それ故に、主体思想の内容を要約すれば、神様が、愛を中心としては絶対的な主体です。その次には真の父母です。その次には自分達夫婦です。自分達夫婦が真の父母の代わりとなり、子女をもつのです。これが四位基台です。

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 四位基台は、父母を中心とした真の愛の起源を表しています。その次には、父母と子女の完全な愛の一体を表しています。それは、一時的なものではなく、永遠です。永遠であると同時に、絶対的だというのです。その愛の起点とは、唯一であり、不変であり、絶対的です。そのような愛は、神様だけにあるのでもなく、父だけにあるのでもなく、母だけにあるのでもありません。家庭的基盤の上、真の家庭の基盤の上に成立するのです。

 愛が絶対的なので、その愛を中心とした家庭の信義は、絶対的です。愛は、全ての関係においても絶対的です。そこでは、一つが侵犯されるという事は全体の破壊を意味するので、そのような事は容認する事ができません。したがって、四位基台自体は、愛が侵犯され得る問題において、自らの生命を凌駕したとしても、これを擁護し、保護しなければなりません。ここで最も恐ろしい事は何かというと、この愛の基盤が破壊される事です。それが一つの核となって拡大したものが世界です。

 そのようにして、一つのアダム家庭からその息子の家庭が生まれ、父母の家庭と息子の家庭が一つにならなければなりません。それで、四位基台が生じれば、この四位基台は将来、霊界の四位基台へと移っていくのです。

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 神様の創造理想の最後とは何でしょうか。原理でいえば、責任分担を完成し、愛を中心として四位基台の家庭理想を完成する事です。なぜ四位基台が必要かというと、父子関係の家庭理想を成さなければならないからです。父母の愛を中心として一つになったその縦的伝統を受け継いだアダムとエバが、横的伝統を展開させていかなければならないのです。

 アダムを起点として十二部族が生まれ、その十二という数字を中心として三百六十日という日が拡張されたように、全ての民族の拡張のための摂理の基準を立てる事が創造理想の完成だというのです。

 そのような面から見るとき、「み旨の道」におけるみ旨とは何でしょうか。創造理想の完成です。創造理想の完成とは、四位基台の完成をいうのです。父を中心とし、母を中心とし、息子を中心とし、娘を中心としたものではありません。真の愛を中心とした四位基台の完成です。

 真の愛を中心として、これが責任分担の完成です。責任分担の完成というのは、全ての愛の理想を基準として男性と女性が完全に一つになり、神様が創造なさった全ての基準に一致すれば、その地上において縦的な基準として受け継いだアダムとエバの伝統を、肉身を通して初めて横的に展開させていく事をいうのです。息子、娘を一人か二人だけ生むようにはなっていません。アダムとエバの時代が来れば、東西南北に息子、娘をたくさん生むようになっているのです。

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 一人の男性は、必ず一人の女性と共に家庭を形成しなければなりません。そのようにしなくては、統一世界に行く事ができません。過去の信仰者たちは、家庭を捨てていきましたが、捨てた家庭を高い次元において再び取り戻し、勝利の家庭として新しい基台の上に立てなければ、天国に行く事ができません。一つの家庭が形成されたからといって、その家庭だけで天国に入っていけるのではありません。四位基台を形成して初めて行く事ができるのです。

 どこで四位基台を成さなければならないのでしょうか。この地上で成さなければなりません。いつ成さなければならないのでしょうか。自分が死ぬ前に成さなければなりません。

 それを成さなくては、国家を迎え得る国民になる事はできず、世界を迎え得る人類になる事はできず、神様のみ旨が成されなければ天国世界を迎え得る天民になる事はできないのです。

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 皆さんは、妻をもって幸福だと思うかもしれませんが、私は、そのように思いません。女性も幸福なのではありません。幸福なのではなく、十字架を背負ったのです。主体である人は、相対を幸福にしてあげなければなりません。子女がいれば、その子女も幸福にしてあげなければなりません。三大十字架を背負わなければならないのです。

 ですから、四位基台の復帰が最も難しいのです。それは、世界を征服する事に比喩する事ができます。

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 皆さんの息子、娘は、神様が数千年の歴史を経ながら数多くの預言者、烈士を犠牲にさせて探し出された一つの家庭を通じて、願いのともし火のごとくに生まれた貴い息子、娘です。各家庭の息子、娘が四位基台の完成という神聖な目標の帰一点をもたらす事を考えるとき、その息子、娘に対しても、日がたてばたつほど、本当に感謝しなければなりません。父母がそのような心をもつようになれば、その息子、娘たちは絶対に飢え死にしません。

              *

 今、皆さんは堕落圏内にいます。長成期完成級で祝福を受けた家庭は、上がっていく道があります。それは、先生に従っていく事ができる道をいうのです。しかし、皆さんの父親や母親と、皆さんの四位基台が一つにならなくてはなりません。

 ノアじいさんが箱舟を造る時、その夫人がよく協助したと思いますか。息子、娘がどれほど批判したと思いますか。「神様が審判される」と言って、一日でもなく百二十年間、弁当を持って山に上がっていき船を造ったのですが、ノアの妻がよく協助したかを考えてみてください。ノアの妻が協助しないのですから、その息子、娘に至っては、協助しないのは当然でしょう。皆さんは、母と完全に一つにならなければなりません。

              *

 立体的な四位基台を成さなければなりません。上下の位置、前後の位置で一体を成さなければなりません。そのようになれば、いくら転がしても、止まった時は垂直になるのです。

 サッカー・ボールを置いた時、中心は垂直です。一点しかありません。それ故に、家庭において四位基台の立体理想が成されなければなりません。

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 父母の前に孝子になるだけではいけません。夫婦がいなければなりません。ですから、四位基台を成さなければなりません。これは絶対原理です。このような事を考えてみるとき、今日、個人的四位基台、家庭的四位基台、国家的四位基台はどのようになっていますか。家庭的四位基台形態を拡大したものが国家であり、国家的四位基台形態を拡大したものが世界であり、世界的四位基台形態を拡大したものが天宙なのですが、その根本は家庭です。

 そのように行く中で、サタンが一匹もついてくる事ができないように整備する、家庭四位基台の教育がジャルジン教育です。そこを通らなければ落ちるのです。国籍を失った家庭になるのです。登録をするためベツレヘムに行って、赤ん坊のイエス様を馬小屋で出産するという、それ以上に悲惨な事も起きるのです。その道を訪ねていかなければなりません。

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 神様を愛すれば愛するほど、永遠の父母の愛を受けるようになるのです。孝子になればなるほど、その父母の愛を余すところなく受けるのです。忠臣になればなるほど、聖君の愛を余すところなく受けるのです。真の夫になればなるほど、妻の愛を余すところなく受けるのです。

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 素晴らしい善の夫、善の妻とは、どのような人でしょうか。妻として、神様の代わりに、真の御父母様の代わりに絶対視する夫をもった者、夫としてそのような妻をもった者が真の夫婦です。神様を絶対視し、父母を絶対視し、夫婦を絶対視し、そのもとに生まれた子女を絶対視しなければなりません。これが統一教会でいう四位基台理想です。

二 真の家庭は天国の民の生産工場

 女性は、宇宙を与えられても、神様を与えられても換える事ができない貴い宝物をもっている事を知らなければなりません。愛を実現できる根源の王宮が私にある事を知らなければなりません。ですから、神様は、どれほど安全な場所にそれを入れておかれたでしょうか。おしりの肉がなければ、どのようになっていましたか。凍りついていたでしょう。

 男性たちは、どのようになりますか。保護するのにどれほど良くできていますか。全ての精力、全てがそこに集まっているのです。それ故に、それは、自分と同じような人を再びつくりだす事ができる器官です。父母となる事ができるその場所というものは、どれほど神秘の王宮でしょうか。

 天国に行けば生産地がありません。神様が人を造られたのは何ゆえでしょうか。垂直には繁殖がないからです。垂直の位置は一点しかありません。神様は、一点、垂直の位置で愛をなすので、そこでは繁殖をする事ができません。霊界では繁殖する事ができません。それ故に、横的な三六〇度が必要です。横的世界には、東西南北に繁殖していく事ができる位置がいくらでもあります。

 ですから、それが、天国の民を生産するための生産地だというのです。その国の民として来る人は、すなわち天国の息子、娘です。神様御自身の愛する息子、娘になるのです。その人は、神様御自身を中心とした細胞と同じです。私たちの生命は、その国に行けば神様の細胞と同じです。神様御自身になるのです。根本から来たので、根本へ帰っていくのです。

 それ故に、男性と女性は、霊界に行けば一つの体となって神様に似るのです。最後は神化するようになるのです。神様に似なければなりません。神様は二性性相だと言ったでしょう? 二性性相は何から出発したのかというと、愛から出発しました。愛の結実として本然の神様に似て、帰ってくるのです。ですから神様も、お一人では孤独なのです。

 神様は、花の咲く愛の園をつくり、色とりどりの花が満開となり、愛の香りであふれたその園の中で、昼寝をしたり、動き回ったりしてみたいと思われたのです。そのような神様だったのです。

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 生殖器は、真の愛を中心とした王宮であり、真の生命を中心とした王宮であり、真の血統を中心とした王宮です。最も貴いものです。これがなくなれば天地がなくなり、これがなければ神様の理想、神様の家庭、神様のみ旨を成し遂げる事ができないのです。これは、全体を完成し得る一つの起源です。

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 子供は一人だけ生めばよいのに、なぜ神様はたくさん生むようにされたのでしょうか。これが問題です。一人だけ生めば、アダムとエバの二人しかいません。そのようになれば、どのようになっていたでしょうか。二人だけで生きなければなりません。一家庭だけで暮らすのです。そのようになれば、世界がなくなります。天国をつくろうとすれば、横的に広げていって数多くの家庭を生産しなければなりません。そのようにしてこそ、天国の民が生まれるようになっているのです。霊界では繁殖がありません。地上の夫婦は、天国の民を生産する生産工場です。

 全てを満たそうとすれば、一度にはできません。ですから、数多くの世代を継いで生まなければならないのです。そのようにして天国の民が増えていくのを御覧になるとき、神様は喜ばれるのです。その国では、食べる事も、着る事も、寝る事も、何も問題になりません。自動車も必要なく、工場も必要ありません。全てのものが準備されている所です。

 自分が願えば、ひゅーっと飛んでいくのです。信じる事ができないほどに早い所です。一歩動けば、数千マイルを移動するのです。

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 先生は見え、神様は見えないだけです。結婚初夜に夫婦同士で盛んに愛し合う時、既に神様が入ってきてアダムとエバと一つになるのです。人間を創造した目的は何ですか。霊界では繁殖する事ができません。

 霊界の民を創造する所が地上の家庭です。天の民をたくさん生んで育てたのちに逝く人が栄光の位置に立つのです。栄光の位置に立ちたいと思えば、今から息子、娘をたくさん生まなければなりません。

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 地上は、天国の民を生産する生産基地です。霊界では繁殖がありません。堕落する事によって、悪魔の息子、娘になってしまったのです。

 それ故に、これを接ぎ木する役事をして、天国の民に戻してしまわなければなりません。それ故に、皆さんがあの世に行く時は、嫁に行く娘が婚礼家具をもっていくのと同じように、天国の民をどれだけ復帰して連れて帰っていくかが問題です。

 神様は、孫を御覧になる事ができませんでした。アダムとエバを通して孫を御覧になろうとしたのですが、御覧になれなかった事が恨です。それ故に、この地で息子、娘を生んで育て、その人々を全て抱いてくる事を願っていらっしゃるのです。

 その広大無辺な天国には、数千億の民が必要だというのです。先生は、それを知っているので、監獄に行きながらも、一つの生命を救う為に、御飯も食べずに、夜も寝ないで生涯活動してきたのです。夜を朝だと思い、朝を夜だと思った事が何度もあるのです。そのようにしながら、一つでも多くの生命を救おうとしているのです。そこにおいては、あらゆる国境を超越しているのです。

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 人間は、誰もが愛を中心として結婚生活をする中で連結するようになっています。完全な愛を成したその基準の上で完全な息子、娘が生まれるのと同じように、神様の子女圏と神様の兄弟圏と神様の家庭の理想的夫婦圏を生んで育てなければならないのが、地上で生きる私たち人間の責任です。

 霊界では繁殖が不可能です。霊界は中心です。中心は、面積がないので、息子、娘を生む事のできる空間がありません。ですから神様は、膨大な天国に行って暮らすようにする為に、平面的、立体的空間をつくられ、神様の国の国民を生産するようになさったのです。

 それ故に、夫婦というものは、天国の国民をつくる分工場です。そうだとすれば、この地上で息子、娘をたくさん生んで連れていく事が、その世界を相続し、所有権を受ける事のできる相対圏となるのです。息子、娘がいない人は、そのような相対圏がありません。一つになった素晴らしい相対圏をたくさん、十二カ月の十二数以上もたなければなりません。

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 神様を誇り、男性となり女性となった事を誇らなければなりません。そのような男性、女性となって、天国の民を繁殖しなければなりません。これは鉄則です。アダムとエバは、繁殖をしなければなりません。心と体が一つとなり、神様の愛によって霊的五官と肉的五官が一体となり、真の愛で永遠に一つにならなければなりません。そのようになる事ができる男性、女性として永遠に会う事のできる男性は、永遠の人類を代表した王権をもった王であり、女性は、王権に対する王妃です。父と母は、心の中において万世の父であり、万世の母です。真の愛には、そのような背後が連結されている事を知らなければなりません。

 そのような姿勢を備えた愛を中心として一つになり、結婚を通してその愛を訪ねていくのです。愛ゆえに行くのです。結婚は、二人だけではなく、縦的な神様を占領するためのものです。東西に分かれ、どこに来て爆発するのか分かりますか。垂直線です。垂直線で爆発してぶつかるので、戻ってこなければなりません。戻って、上がっていかなければ下りていくのです。ここで神様は下りてきて、私は上がっていく事により、神様が中心に入っていくのです。

 このようにして下りてきてみると、神様が愛の中心核になっているのです。ここにおいて、このように垂直になっているのを水平にしようとするので、息子、娘が必要なのです。それ故に、このような垂直をつくっても息子、娘を生む事ができなかった男性と女性は、天上の位置に行って神様に侍る事ができません。息子、娘を生んで愛してみた人であってこそ、神様の二性性相、理想的主体である神様に侍る事ができるのです。皆さんも、真の父母に侍る為には息子、娘を生まなければなりません。息子、娘を生む事ができなかった人が養子をとったならば、自分の息子、娘を生んだ以上にその息子、娘を愛する訓練をしなければなりません。ですから大変です。それ故に、統一教会では、「愛する息子、娘をたくさん生みなさい」と言うのです。

 統一教会の子供たちは、天運に乗ってきます。食べる事は心配いりません。その中からは、判事も出てくるはずであり、検事も出てくるはずであり、大統領も出てくるはずであり、あらゆる人が出てくる事でしょう。五色燦然と輝く光が出てくる事でしょう。

 それ故に、真の愛を中心として、母として恥ずかしくなく、父として恥ずかしくなく、天国の民をたくさん連れていかなければなりません。

              *

 今日、夫婦というものは、天国の民を生産する工場です。ですから、息子、娘をたくさん生んで入っていけば不幸ではありません。あの世に行けば、高い位置に行くのです。東西南北を中心として見れば、四季が三カ月ずつで十二カ月です。ですから、イエス様も十二弟子を選んだのです。イエス様を中心として、三弟子は、東西南北の代表型と同じです。神様を中心として、これが中央を中心として四方を備えたのです。

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 地上の家庭は、天国をつくるための横的な世界です。縦的な世界は繁殖する事ができません。横的な世界で息子、娘が増えれば、彼らが神様の民となるのです。

 皇族が繁殖すれば、長孫だけを残し、全てが民となります。親戚になるというのです。親戚にも長孫がいるでしょう? 氏族たちも、氏族たちを合わせた長孫がいなければならないのではありませんか。それがアダムとエバです。アダムとエバは、伝統的な永遠の王と王妃です。しかし、民主世界では、これが全てなくなるのです。

 天国の民を生産するための生成基盤は、天の家庭基盤ではなく、地上の家庭基盤です。息子、娘を生むという事は、天国の民を生産するという事です。

三 天国の民の教育は真の家庭で

 地上にある家庭は、天国に連れていく民を再創造する工場です。私たちは、その工場の主人の役割をなしたのちに霊界に行くのです。ですから、正しい道さえしっかりとつかんでおけば、息子、娘を教育する必要はありません。自然になされるのです。自分の神様を全てもっているのです。教育は必要ありません。堕落したので、このようになったのです。堕落する事によって、根本が分からなくなったのです。

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 神様が願われるものは、失ってしまったエデンの真の家庭です。その真の家庭に立てられる真の父母、真の父母の前に立てられる真の夫婦、真の夫婦が愛する事のできる真の子女のいる家庭が、神様が一緒にいたいと思われる天の家庭だという事を、皆さんは知らなければなりません。このような家庭が現れれば、その時には、イエス様も兄弟と共に喜ぶ事ができるのです。そのような家庭が現れなければなりません。

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 真の家庭は、真の男性と真の女性が一つになって夫婦として出発するのです。息子、娘を生んだのちに真の家庭が出てくるのです。心と体が完全に一つになった男性と女性が永遠の愛を中心として一つになったところから、分かれる事のない子供が出てくるようになるのです。父と母が分かれたところから、感情的に分かれた子供が出てくるのです。

 心と体が一つになり、真の愛を中心として一つになった夫婦から、心と体が一つになった子供が出発するというのは自動的な結論です。そうでなければ、家庭に真の愛がとどまる事ができません。神様は、真の愛がない所に臨在なさる事はできないのです。これは論理的な結論です。

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 天国の倉庫に入っていこうとすれば、神様の愛と神様の生命と神様の血統的因縁を中心として、きれいにならなければなりません。そのようになろうとすれば、生まれた時から神様の息子、娘であり、育っていく時も神様の息子、娘であり、暮らすのも神様の家庭でなければなりません。そのように暮らしてから行く所が地上天国であり、天上天国です。それ故に、天上世界にも、そのような家庭、そのような一族が入っていくのです。個人救援ではありません。

 神様の愛を受ける事ができる息子、娘として、神様の愛を受ける事ができる兄弟として、神様の愛を行使する事ができる夫婦として、また神様がアダムとエバを愛したのと同じように、第二創造主の立場から、神様の代わりに自らの息子、娘を愛していくのが人生行路です。始まりも愛であり、過程も愛であり、終わりも愛です。愛の教科書に一致する事のできる完成品として入っていく所が天国です。そこに入っていく時には、個人で入っていくのではありません。家庭全体が入っていかなければなりません。

              *

 妻が夫に対する時は、どのようにしなければならないのでしょうか。「私とあなたは、共に生まれ育った双子の兄妹なので、私たちは、別れようとしても永遠に別れる事ができない事を、今やっと分かりました」と言いながら、手をしっかりと握り締めなければなりません。アダムとエバがエデンの園から追い出される時、分かれていく事によって悲しみの涙を流しましたが、今、復帰時代においては反対の涙を流さなければなりません。天国の息子、娘になる事ができなかった事を、私の一生を通して復帰しなければならないのです。

              *

 国を建てようとすれば、王がいなければならず、女王がいなければなりません。息子、娘がいなければなりません。また、王国を守る事ができる中心家庭がなければなりません。ですから、今、イエス様は、楽園に行って待っているのです。天国は、一人で入っていくようにはなっていないのです。

              *

 愛の所有を中心とすれば、相対の故郷が私の故郷になり、相対の家庭が私の家庭になる事ができるのです。そこにおいて、子女の完成、兄弟の完成、夫婦の完成、父母の完成が成されるのです。

 神様の教本に提示された全ての内容を成す事ができなかった事を、今日、真の父母を通して再現し、知るようになり、それを再度実行する事により、堕落していない本然的立場において、神様が完全に恨の峠を越えて教育に対する定義を下す事ができるのです。そのようになる事により、天国の民として、合格者、合格家庭になるのです。

              *

 キリスト教における聖霊は、女性神ですが、霊的に、また実体的に二つの世界を生んで育てなければならない責任があったように、統一教会で祝福を受けた女性は、二つの世界に対する責任を負わなければなりません。天国の民もつくらなければならず、サタン世界の民を全て拒否する事ができるようにならなければならず、その人々を統治できるようにならなければなりません。

 皆さんの息子、娘は、神様の国の民です。ある一国家の市民ではありません。天国の民だというのです。皆さんは、このような目的をもって育てなければならないのであり、そうでなければ、今後、皆さんの家庭には希望がありません。地獄に行くようになるのです。

              *

 真の御父母様は、いつも私の為に生きた父母様だという事を知って、今からでもその父母様のみ旨を私が全て相続し、今後誕生する子孫を大切に育て、私のような人にはしないと決心して立ち上がらなければなりません。それだけが先生の望む、たった一つの願いです。

 その貴い息子、娘を再び皆さんのような息子、娘にしてしまえば、どうするのかというのです。「私はこうだったが、将来の私の子孫はそのような息子、娘にしない」と決意して精誠を尽くし、神様がエデンの園でアダムとエバを造って喜ばれたように、息子、娘を真の息子、娘にする為に保護しながら抱いて育て、堕落した子孫の前轍を踏ませないようにしなければなりません。

 再びそのような道を行かないように最善を尽くして育て、神様の前で祝福を受けるように、私が準備し、全ての内容を備えさせてあげなければならないという責任感をもって将来の家庭を築いていけば、天国の息子、娘になるのです。

              *

 皆さんは、自分の息子、娘を教育する時に、父母だけを愛する息子、娘になりなさいと教えてはいけません。「私は、この国を愛する忠臣だ、愛国者だ。母としての愛国者ではなく、愛国者としての母、忠臣としての父だ」と教育しなければなりません。

              *

 父母が素晴らしければ、その家の息子、娘も素晴らしく、息子、娘が素晴らしければ、その家で育つ犬や鶏も素晴らしいのです。犬がほえる事ができず、鶏が鳴く事ができなければ、それが素晴らしい事ですか。「父母は和やかだが、その家の犬はよくほえるし、鶏もよく鳴く!」。そのようになってこそ素晴らしいのです。「あの家の人はそうではないのだが、鶏はあまりにもよく鳴くし、犬はよくかんだりもする」、そのような家庭は、滅びるのではありません。栄えるのです。

              *

 息子、娘は、その父母を、神様の代わりとして、真のお父様と真のお母様よりも素晴らしい父母として侍らなければなりません。そのようにして、真の父母に敬拝する前に、先に自分の父と母に敬拝できる家庭にならなければなりません。家庭生活の中で神様に代わるのが自らの父母です。ですから、四大心情圏と三大王権は一つの家庭で成さなければなりません。

              *

 神様の愛の主権は、絶対、唯一、永遠、不変です。その国の主権もそうであり、その国の民もそうであり、その国の万物もそうであるがゆえに、今、再整備して、絶対、唯一、不変、永遠の国民性で再登録しなければなりません。万物もそのように再整備する時なので、全体を反対に回さなければなりません。このように回っていたものが反対に回らなければならないという事実を知らなければなりません。

 神様の国では、絶対主権が必要であり、民が必要であり、万物が必要です。私たちの家庭を見れば、主権の代わりに父母がいて、民の代わりに息子、娘がいて、万物の代わりに物があります。それが小さな天国の基盤です。それを神様の為に、全て捧げてしまわなければなりません。そのようにしてこそ、大きな国、大きな世界が成し遂げられるのです。

四 天国の基盤は真の家庭から

 神様は、絶対者であられ、唯一、不変、永遠であられるお方です。そのお方のみ旨も同じです。絶対者であり、不変なお方なので、そのお方のみ旨もそうだというのです。

 創造主と人間の真の愛を中心として完成する真の家庭を願っていらっしゃった神様は、人間と一体となる条件が必要でした。ですから神様は、人間始祖に与える戒めが必要だったのです。その戒めとは何でしょうか。愛の家庭、愛の全体、最も貴いものを相続してあげようという約束の条件が戒めだというのです。人間には成長過程を経て成長して上がっていく未完成段階があるという事を御存じである神様が、最も貴い真の愛と家庭を人間に相続してくださろうとした条件が戒めでした。

 真の愛と真の家庭を相続してあげようというのが、神様の約束された戒めです。

              *

 神様のみ旨は、一つにする事です。堕落していなければ、私たちの心と体は一つになっているのです。男性の心と体が一つになり、女性の心と体が一つになっていたのです。そのようにして、二人が心と体の一つになった家庭を成していれば、そこからは統一の世界が展開していたのです。

 今日、この世界は一つになっていません。この世界というものは、男性と女性を拡大したものです。

              *

 神様は、最も深い所に隠密にいらっしゃいます。より深い所に下りていけばいくほど愛は大きくなっていき、最後には神様の真の愛を探し出すようになるのです。

 皆さんが子女をより一層深く愛すれば、神様の愛と出会うようになるのです。このような真の愛の家庭は、地上天国の基盤となります。それ故に、天国が別の所にあるのではありません。

              *

 天国は、真の家庭によって構成されます。神様のように暮らすのです。内的な父母である神様と永遠に共に暮らせる夫婦の生活環境だというのです。天国とは、そのような人々が入っていける所です。神様の体、神様の家庭に属する家庭が入っていく所です。完成したアダム家庭が、そこに入っていくのです。

 ですから、天国は、家庭的に入っていくようになっているのであって、一人で入っていくようにはなっていません。今迄「個人救援を受けよう」と言っていたのは、天使長世界です。ですから、真の家庭の所有は、天国です。真の家庭が所有物であり、主人となるのが天国だというのです。真の家庭と真の主人が真の所有権をもつのが天国だというのです。家庭的主人が所有するのが天国だというのです。

              *

 皆さんが、神様の息子、娘となり、神様の家庭を築いてこそ、天国が成されます。一つの家庭においても、全て同じです。サタンがわなを仕掛けて引っ張り、神様も引っ張っているのですが、その食口が神様の前に完全に帰ろうとすれば、限りない精誠を尽くさなければなりません。そのようにしてこそ、個人個人に対して、五人家族ならば五人家族に対してサタンが引っ張り、神様が引っ張っていても、サタンの綱を切ってしまい、天の側に帰っていくのです。

              *

 夫婦は、神様をお迎えして愛の部屋に入っていく事を、お互いが考えなければなりません。そのようにして、心と体が完全に一つになれば、その夫人は、天下の女性の中で王の中の王であり、美人の中の美人であり、一つしかない絶対、唯一、不変の永遠の私の体だと思わなければなりません。愛する私の体だと思いなさいというのです。愛の体だというのです。

 主体と対象が愛で一つになる事により、夫人は私の愛の所有になります。愛で一つになる時は、相対を中心として、その愛も私のものなので、主人も私のものになり、その主人の所有も私のものになるのです。同じ価値をもったので、宇宙が全て私のものになるというのです。

 この事は、神様を感じなければならないという話です。ですから、誰もが、神様に侍って生き、愛したという体験をしなければなりません。そのようにしてこそ、天国家庭として神様の貴族となり、血族となる事ができるという事を知らなければなりません。神様が天国においてこのような祝福家庭を御覧になれば、星のように輝いているというのです。ですから、神様が常に喜ばれるというのです。

              *

 栄光の真の家庭とは、地上でも幸福であり、霊界でも幸福になれる、真なる家庭の事をいうのです。あの世の中心存在であられる神様と直接共に暮らす事ができる家庭が、栄光の真の家庭になるのです。うれしくて、またうれしくて、永遠に喜べる真の家庭にならなければなりません。お互いにうれしくなければ、協助して愛の理想的世界を築かなければなりません。愛の理想的な主体と対象として、自らを愛の対象として迎えてくれたので、お互いに感謝し、「ため」に生き、尊敬する事ができる世界を築かなければならないというのです。

              *

 真の家庭の核心は、夫婦です。それでは、夫婦とは何でしょうか。神様の実体対象である神様の体です。真の愛をもった神様の事を、皆さんは父と呼びます。神様が父ならば、私とは父子の関係だというのです。父と息子であり、母と娘ですが、一つの体です。縦横を一つにしたものなので、そうだというのです。

              *

 若い青年男女の願いは、理想家庭の完成、すなわち真の家庭を築く事です。ここで真の家庭とは、神様が喜ばれる家庭の事をいいます。それ故に、最も重要な事は、神様をいかに知るかという事です。

              *

 真の家庭は、神様の目に入れても痛くないというのです。胸に抱いて踊られるのです。どれほど踊り騒いでも、神様は全能でいらっしゃるので、抱いて空中を舞いながら踊りたいと思われるのです。真の家庭は、神様を解放して慰労する事ができる対象です。

              *

 真の家庭とは、神様がつくられ、神様のみ旨どおりに理想が成し遂げられた家庭です。

 完成したアダム家庭が真の家庭だというのです。しかし、アダム家庭がそのようになる事ができなかったので、そのようになる為には復活が必要です。復活した家庭によって、復活した氏族、民族、国家、世界を立てようというのです。そのようになれば、この地上において、サタンや、罪悪や、神様とサタンが闘う人類歴史の戦争などというものはなかっただろうというのです。そのようになれば、サタンもいなくて、この世界は、今日のように様々な国に分かれ、民族が異なり、文化が異なり、言葉が異なり、全てが異なる、このような世界にはならないというのです。

それでは、真の父母とは、どこから来られたお方でしょうか。

神様からです。

神様から連結されているのです。

ここで、

第一に神様の愛、

第二に神様の生命、

第三に神様の血統

にならなければなりません。

これは何かというと、

ここにある全ての世界も、

神様の愛、

神様の生命、

神様の血統

の為に生じたという事です。

そのようになれば、

ここには、

サタンを中心とした

愛や、

生命や、

血統

などというものはあり得ないのです。そのようにしようとするので、今迄の

愛と

生命と

血統、

この全てのものは、神様に帰らなければならないというのです。

 しかし、直接帰っていく事ができないので、ここで息子、娘を通じて帰っていくのです。この時、カインとアベルが問題になります。ですから、アダムとエバを中心として神様に帰っていくのだというのです。

              *

 男性も、真の愛でなければ心と体が一つにならず、女性も、真の愛でなければ心と体が一つになりません。心と体が一つになってこそ、真の愛のカップルになる事ができます。真の愛のカップルになってこそ、真の愛をもった神様の子女となります。そのようにして神様の家庭になるのです。

 神様が最も好まれるものとは何でしょうか。ただ真の愛だけです。愛は、一人でなすものではありません。神様が人間を造られたのは、御自身のパートナーを造られたという事です。真の愛のパートナーとして人間を造られたのです。それを手本として、全宇宙がペア・システムをもって造られたのです。

 ですから、神様の愛も永遠であり、男性の愛も永遠であり、女性の愛も永遠であり、子女の愛も永遠なのです。これが神様の家庭です。

              *

 神様を中心として家庭生活を始めるという事は、神様の家庭が出発するという事です。そのようにして、神様と人間が愛を中心として一つになって家庭が出発するのですが、私たちの家庭だけが出発するのではありません。天国の家庭の出発とともに、これが並行していかなければなりません。

              *

 神様の解怨を成就した家庭が、神様の家庭です。兄弟以上に愛する事ができる長男の資格、夫の資格をもった人々によって構成された家庭が、安息の場所なのです。父母として、こじき迄も自らの子女として迎えて暮らしたいと思う安息圏をつくらなければなりません。それが統一教会の祝福家庭の使命です。それが祝福家庭の宿命的使命だという事を忘れてはなりません。

              *

 真の父母の真の愛を通じて神様の真の愛を学びながら、真の兄弟の真の愛を通じて真の国と真の世界人類に対する普遍的真の愛を訓練させる、平和世界の基本、その核の立場が真の家庭です。

              *

 霊界に行けば、理想的夫婦、理想的な真の家庭は、神様といつでも共に暮らす事ができます。ですから男性は、神様の性相、心の立場にならなければならず、女性は、形状となって一つにならなければなりません。これが一段階もっと大きくなって一つになるのです。この二人の心的な面が性相になり、体的な面が形状となって、ここで初めて実を結ぶようになります。それで、神様を中心として、心と体の一体圏が成されるのです。

 そのようになれば、アダムの息子、娘には、神様の心、神様の愛を中心とした骨が生まれ、アダムとエバのような体が生まれるようになるのです。それ故に、神様御自身は、アダムとエバのような形状をもって、見える人類を支配する事ができるのです。そのようになれば、完全に地上天国となり、神様を見る事ができるのです。

 今は、天国に行っても神様が見えません。真の父母がそのような全ての事を成し遂げてあの世に行った時、神様は真の父母の心の中に入っていかなければなりません。そのようになれば、神様が体をもたれ、全ての宇宙を動かし、支配する事ができる時代に入っていきます。神様が神聖な形状をもたれるというのです。

 それらを全て完成すれば、すなわち天上世界が完成し、地上天国が完成すれば、神様が形状をもたれるのです。それは、愛を中心として可能なのです。アダム家庭において肉体的に愛が一つになっていれば、神様も、性相と形状を兼ね備える事ができるので、体をもつ事ができるというのです。それは、愛でなければできません。「一体」という言葉は、そこから出てくるのです。

 霊界は、真の愛、絶対的な愛によって統治する世界です。全てのものが真の愛と連結しているのです。真の愛は、種です。堕落していない種が連結して、地上と天上に満ちるのです。

 ですから、今の世の中は、堕落した結果の世界なので、なくならなければなりません。堕落した世界の血統はなくしてしまい、本然の神様の血統を連結しなければなりません。どのようにしてそのような世界をつくるのでしょうか。その方法が結婚です。結婚とは何かというと、家庭を接ぎ木する事です。

              *

 霊界にいる人々も、真の家庭が必要です。その真の家庭がなければ、神様の位置に連結されず、天国に入っていく事ができません。地上天国で暮らした夫婦も、あとから天国に入っていくようになります。それが神様の創造理想です。そこには宗教もなく、文化も一つしかなく、家庭が全てのものを完成するのです。家庭があらゆるもののセンターです。ですから、私たちの家庭は、センターに立ちたいと思うのです。

 そこには、宗教が必要ありません。キリスト教も解放であり、仏教も解放であり、全て解放です。イエス様も家庭が必要であり、釈迦牟尼も家庭が必要であり、マホメットも必要であり、全ての聖人も家庭が必要なのですが、その家庭は、誰によるものでしょうか。真の父母の家庭です。

 今迄は、全ての家庭は、偽りの血統で連結されていました。本然の家庭ではなかったのです。祝福家庭が現れる事によって、神様の血統が連結された真の家庭が生まれるようになったのです。

 レバレンド・ムーンは、四方八方のあらゆる場所に勝利的な基盤を築きました。霊界と肉界も同じです。そのようにして、真の家庭から真の世界に発展していくのです。真の家庭から、真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界、真の宇宙、真の天国が築かれるのです。

              *

 今は、私というものをはっきりと知りました。私は、どこから因縁を結び、どのような生活過程を経て、どこに向かって行くのかという事を知りました。このように行く私は、何をもって行くのでしょうか。神様の憂いを抱いて行くのです。私の個性が復帰されていれば、私がこの家庭だけに安息するのではなく、私には、家庭を中心とした氏族があり、氏族を中心とした民族があり、民族を中心とした国家と世界人類が残っているという事実を知って、死んで土に埋められる前に、この世界の果て迄行って数多くの民族を父の前に導き、その後ろから万民を祝福していく事ができる一日が私に来る事を侍ち望みながら、毎日のように闘っていく事ができなければなりません。そのような人が、神様に代わる事のできる人です。

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 今迄、私たちが信仰してきた観念というものは、「私は、神様を信じて天国に行こう」というものでしたが、天国に行く前に何をしなければならないのか分かりますか。私自身が、心と体を中心として一つに統一されなければなりません。そのような闘いをしなければなりません。自分を統一できない人が天国に行く事はできません。私の家庭を中心として一つになる事ができなければ、天国に行く事ができないというのです。私が、親族を中心として善の場所に導いていく為には、精誠を尽くさなければなりません。そのようにしなくてはならないのです。

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 アダムとエバは、堕落する事によって死亡世界に占領され、死亡世界を主管するサタンは、神様の創造理想時代において、反対に神様に背く家庭をつくり、現在迄神様と対峙する世の中をつくりあげてきた事を考えるとき、神様が心で思い描かれるのは、勿論理想的な家庭ですが、その内心は、怨讐が願う基準よりも、怨讐が知っているその基準よりも、堕落前の理想時代の家庭基準よりも、もっと素晴らしく、愛情の深い家庭を成したいと思われたのではないのでしょうか。そのような事を私たちは考えなければなりません。

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 イエス様がこの地上に来て教えられた真理は、簡単です。「天地を創造した神様は、私の父だ。私は、その息子だ。あなた方は、私を信じればその息子になる事ができる。私の父であると同時に、あなた方の父だ」と言いました。その次には、私たちに子女の道理を教えてくれると同時に、自分の父を教えてくれました。それから、「私は新郎であり、あなた方は新婦だ」と言いました。これは何でしょうか。神様を中心として家庭を築くのに必要な要件を、イエス様が来られて初めて叫ばれたのです。聖書がそうです。ほかのものは必要ありません。

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 聖書を見れば、神様を父だと教えてくれています。イエス様は、「自分はひとり子だ」とおっしゃいました。またイエス様は、信者を見て「新婦」と言い、それから「兄弟だ」とおっしゃいました。これが、神様の家庭を中心としたその愛の型において、全てのものを備えた内容を明らかにする教理となっているので、神様の家庭をつくっていく教理であり、その息子が神様の家庭に安息する事ができる家庭の道理を教えてあげたものです。

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 聖書が教えてくれたものは、家庭です。イエス様は新郎であり、私たちは新婦だというのです。新郎新婦が出会って神様を中心とした「小羊の婚宴」をなし、家庭に帰っていくのです。これが新約・旧約六十六巻を総合した結論です。それ故に、聖書は偉大だというのです。

 聖書が指向する最高の目的は何であり、聖書が要求する希望とは何でしょうか。イエス様個人ではありません。イエス様が新婦と一つになった神様の家庭を、侍ち焦がれていらっしゃったというのです。神様の家庭をつくれば、何をするのでしょうか。

 家庭、すなわち新郎新婦が出てくれば息子、娘が出てくるのであり、息子、娘が出てきて繁殖すれば、氏族になり、民族になり、国家になり、世界になるのです。その世界とは、どのような世界でしょうか。神様の愛と連結した「神主義」の世界です。「神主義」の世界であると同時に、アダムとエバ主義の世界です。アダムとエバ主義の世界とは何でしょうか。父母主義の世界です。

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 天国の終着点は、真の家庭の完成です。真の家庭の中には、真の国があり、真の世界がなければなりません。真の世界と真の国に影響を及ぼす事ができる真の愛の伝統として、「絶対セックス」という言葉が出てきます。絶対セックスとは、絶対、唯一、不変、永遠のセックスをいいます。神様の属性である愛を中心として連結された対象的なパートナーと、そのような観点において愛で一体化するのは、全て性関係によって結ばれるのです。

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 互いに異なる人種と文化背景をもった夫婦であっても、神様の真の愛で一つになった家庭を築いたならば、そこから生まれる子女の間には、人種や文化的な葛藤が存在できません。

 その子女たちは、父母を愛するそれ以上の心をもって、両方の文化と伝統を愛し、大切にするはずです。世界の至る所で深刻な社会問題となっている人種間の葛藤を、政治や経済によってのみ解決しようとすれば、その結果は失敗しかありません。人種差別は赤ん坊の揺りかごから始まるものなので、真の愛を中心とした真の家庭の理想をもたなくては、この問題の根本的な解決は不可能です。

 したがって、その中心理想は、やはり一人のお方、すなわち神様の真の愛を中心とした真の家庭を築く事です。

 人類が歴史の最初から神様と一つになっていたならば、既に人類は、真の愛を中心とした真の家庭を築き、「ため」に生き、より「ため」に生きる真の愛を実践する事によって、真の国家、真の平和の世界を成し遂げていたでしょう。

 この歴史的な闘いを終息させる為には、神様に帰らなければなりません。まず、神様を中心として個人の心と体が一つにならなければなりません。そのような真の男性と真の女性が、神様を中心として真の家庭を築く事により、その中に再び神様を迎えるようになるのです。真の愛を中心とした真の家庭こそ、神様がお住みになる地上基地になるのであり、さらに真の国家、真の平和世界の出発地になるのです。これによって、真の自由と幸福の世界が開かれるのです。

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 今からは、デモをしなければなりません。デモをして、真の父母を誇り、真の家庭を誇り、真の血族を誇り、真の純潔を誇らなければなりません。それは、真の御父母様がこの地上に来られた目的を世界化させるのと同じように、皆さん個人や、家庭、氏族、民族、国家も、全て真の父母になるためです。個人において家庭的な真の父母、家庭的な基準において真の父母、真の家庭、真の純潔、民族基準において真の父母、真の家庭、真の純潔、国家基準において真の父母、真の家庭、真の純潔、これが世界化されるのです。

 国家基準において世界化し得る立場になるので、真の父母の基準が私たち個人から世界と天宙迄連結し、真の家庭基準が連結し、真の純潔の血筋が連結する事によって、堕落がなかった解放の時代に越えていくのです。ですから、この全体を清算するためのデモをしなければなりません。伝道よりも、この事をしなければなりません。

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第三章 神様と真の父母

一 真の父母は神様と人類の希望

 神様は、私たち堕落した人間にとって、先生の中の最も大きな先生です。先生の中の大王の先生だというのです。それは、神様に知らない事がないからです。また、父母で言うなら、父母の中でも最初の父母です。すなわち、真の父母です。王としては、王の王です。

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 今日、堕落した人間の願いは、神様の息子に会う事です。神様の息子としては、個人的な息子、家庭的な息子、氏族的な息子、民族的な息子、国家的な息子がいます。彼らを全て取り戻さなければならないのですが、このように取り戻そうとすれば、人類がどれほど苦労するでしょうか。ですから、国家的基準にある息子圏を代表したメシヤを送るのです。このメシヤを迎える日――個人的神様の息子、家庭、氏族、民族、国家的息子迄、全ての息子を取り戻したという喜ばしい知らせを、人間世界に与えるためのものがメシヤの降臨だという事実を、皆さんは知らなければなりません。

 堕落した私たちは、神様の息子、サタンの讒訴圏から外れた神様の息子に会わなければなりません。会ってからのちには、神様が愛する事のできる父母を取り戻さなければなりません。

 またその次には、父母の家庭を取り戻すのです。父母の家庭を取り戻し、神様の愛を取り戻すのです。そして、神様に会うというのです。

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 神様の愛を中心として愛の関係を結ぶ事ができるものは、ただ完成したアダムだけです。アダムは、真のお父様です。それ故に、先生が真のお父様の位置にいるというのです。それでは、パートナーは誰ですか。女性です。絶対女性です。世界的な女性を代表したものがキリスト教の新婦教会です。新婦宗教を代表したものがキリスト教です。キリスト教の主流思想は、再臨主、メシヤを中心とした新婦思想です。

 真の父母は、二つではありません。唯一です。それは、男性も絶対的に一人であり、女性も絶対に一人です。二人ではあり得ません。そのように、二つの唯一な存在が出会って真の父母になるのです。真の父母は、神様の創造理想を中心とした真の理想的夫婦だというのです。

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 真の父母は、個人的、絶対的一つの標的になり、家庭的標的、氏族的標的、民族的標的、国家的標的、世界的標的となり、地上・天上天国の一つの中心形態を代表するのです。真の父母を立てるという事には、神様の愛を中心として創造理想を完成した地上・天上世界を、統一させるという目的があります。

 それ故に、個人から世界、天地迄、その統一的中心になったので、個人も接ぎ木する事ができ、家庭、氏族、民族、国家、世界が接ぎ木する事ができるところに迄来たというのです。先生は今迄、一生涯この事を準備してきました。神様の真の愛を中心として、個人の中心にならなければならず、家庭の中心、氏族の中心、民族の中心、国家の中心をどのように形成するか、これが目的でした。そのような目的に向かっていくという概念をもって、これから始めなければなりません。

              *

 神様が終わりの日に約束された一日は、「父母の日」です。真の父母に侍る事ができる日です。別の言い方をすれば、堕落によって父母を失ってしまったこの地上の数多くの人々が、神様の祝福を成す事のできる本然の父母を、再び迎える日です。

 人類がある復帰の一つの目標を定め、神様に向かって進んでいく中において、必然的な条件とは何かといえば、父母の門を通らなければならないという事です。父母の門を通る迄は、心情を連結させる事ができません。この時代は、心情的にはこの民族とあの民族が通じる事ができず、この宗教とあの宗教が通じる事ができず、この家庭とあの家庭が通じる事ができない時代です。私たちがこれを通じさせる為には、必ず神様の心情を知らなければならず、神様の心情と因縁を結ばなければならないのですが、これを連結してくれる仲保者が真の父母です。ですから、失ってしまった本然の真の父母を探し出してこそ、神様の心情と連結する事ができるというのです。

              *

 エデンからアダムと神様を追い出しました。それで、霊的な父と肉的な父に分かれました。これを家庭で失ってしまったので、世界的に取り戻すときには、世界型の大家庭が生まれなければなりません。それでキリスト教文化圏は、母の文化圏なのです。新婦の文化圏です。東洋と西洋を中心としてカインとアベルが一つになった息子、娘をキリスト教が抱いて、誰のところに行かなければならないのかといえば、来られる再臨主のところに行かなければなりません。そのようにしていれば、七年以内に世界を統一するのです。

 その来られる再臨主が真の父母です。真の父母が現れ、真の子女が現れ、真の家庭が出てこなければなりません。真の家庭を編成するのが統一教会でいう祝福です。家庭を編成するのです。

              *

 エデンの園で真の父母になる事ができなかった事が堕落です。真の父母が来られる事によって、試練と迫害の路程がなくなるときには、世の中は真の父母の道理を求めてくるのです。真の父母の息子、娘を見ると、彼らの生活と全ての人生は、世の中の人とは違うというのです。貧しく見えても、そこには平和があり、哀れに見えても、そこには希望があり、苦しんでいるように見えても、そこには喜びをもった人生があるというのです。

              *

 アダムとエバは、神様が本当に願う真の人類の先祖、人類の真の父母にならなければならなかったのです。その真の父母の血族によって、私たち人類は生まれなければなりませんでした。歴史の出発から始まらなければならなかった人類の真の父母、その真の父母は、神様の栄光の実体として、人類の前には勝利的な永遠の実体として現れなければならなかったのです。それにもかかわらず、アダムとエバは、勝利的な実体として現れる事ができませんでした。

 これが、今迄の悲しい歴史を成してきた怨恨の基台になったという事を、私たちはよく知っています。それによって天の法度を離れ、自らの実体を失ってしまい、神様の心情を蹂躙した私たち人間は、み言によって実体を取り戻し、心情の世界を取り戻す復帰の路程をたどってきているという事を、私たちはよく知っています。

 このように堕落した人間は、万物よりも悪なる位置に立つようになり、神様に自由に対する事ができない悲しい立場に落ちるようになったのです。このような人間は、自ら回復する事ができないので、神様は、彼らを目覚めさせて再創造の役事をしてこられました。僕の位置を経て、養子の位置を経て、息子の位置を経たのち、勝利的な主管圏を備えて真の父母の位置迄復帰してこられたという事実を知らなければなりません。

              *

 皆さんは、堕落の氏族です。皆さんは、神様がどのような方でいらっしゃるのかを知らなかったのです。真の家庭、真の社会、真の国家、真の主権がどのようなものだという事を分かりませんでした。それでは、皆さんは、これからどのようにしなければなりませんか。人間の堕落以後六千年間、数えきれないほどの涙を流されながらサタンと闘う神様ではなく、栄光の神様を知らなければなりません。二千年間闘ってきたイエス様と聖霊ではなく、栄光のイエス様と聖霊を知らなければなりません。闘う天上世界の億千万の聖徒ではなく、栄光の中で生き、栄光を享受する億千万の聖徒を知らなければなりません。地上で迫害されて苦痛を受ける聖徒ではなく、栄光の中にいる聖徒を知らなければなりません。そのような聖徒を見ましたか。見る事ができませんでした。アブラハムも、ヤコブも、モーセも、イエス様も栄光の神様を紹介する為に来て、死んでいきました。栄光の真の父母を紹介して、栄光の真の息子、娘を紹介して、栄光の真の民族と真の天民をつくる為に努力しました。

              *

 神様が御覧になる時、この世は堕落した世の中なので、愛国者が一人もいませんでした。孝子もいなくて、聖人、聖子もいなかったのです。メシヤが地上に来られて、神様の家庭を築かなければなりません。そこから孝子が出てきて、国の基盤の上に愛国者が出てきて、世界的基盤の上に聖人、天宙的基盤の上に聖子が出てくる事ができるのです。第一・第二アダムが失ってしまったものを取り戻す事が、私に対する召命です。全てのものを売り払ってでも、その国を取り戻さなければなりません。統一教会員ならば、霊的、肉的、全てのものを投入して犠牲になっても、「私が天国を成し遂げる。愛国者になる。聖人、聖子になる」と考えなければなりません。

 それでこそ、神様の祝福を受けるようになります。「あなたこそ本物の孝子であり、本物の愛国者であり、本物の聖人、聖子だ」と言われるその時、初めて「私があなたを祝福する」と言われるのです。そこから全てのものを相続されるようになります。その場が、全ての統一教会員の本郷です。

              *

 本来、「父子」という言葉は、本然の父と息子、娘をいうのです。そのような父子がなければ国もできません。万民は、平和の世界を願っています。その世界は、今日の世界の先進国家が追求している、そのような文化を通して成されるのではありません。

 真の父母を通して成されるのです。真の父母が一枚のむしろを使い、ぼろきれのふろしき包みを担ぎ、いくら色あせたよれよれの服を着ていたとしても、また千丈、万丈の奈落から気力の果てた姿で出てきたとしても、堕落した人間は、その真の父母を中心として神様の心情を学ばなければなりません。

 それでは、どの程度に心情を接ぎ木しなければならないのかといえば、お父様の腹中から接ぎ木をし、お父様と共に生きたという条件を立てたのちに、お母様の腹中を通して生まれ、成長しながら父母に侍って暮らさなければなりません。しかし、それによって終わるのではなく、父と母と共に暮らす事のできる親戚と愛の因縁を結び、親戚を中心とした氏族と心情の因縁を結び、その氏族は民族と心情の因縁を結び、その民族は国家と心情の因縁を結び、その国家は世界と心情的な因縁を結び、その世界は天地と心情の因縁を結び、その天と地を通して神様迄心情の因縁を結んだという基準を立てなければなりません。それでこそ神様が「あなたは私の息子である」とおっしゃるのであって、自分自身だけを中心として心情の因縁を結んだ人を、神様が私の息子だとはおっしゃいません。

              *

 再び生まれなければならないというのは、堕落したアダムとエバの子孫である父母の血肉を通して生まれなければならないという事ではなく、堕落とは関係のない父母の血肉を通して生まれなければなりません。そうでなくては神様に帰る事ができないのです。

 罪の根本は、アダムとエバから始まったので、これを踏み越えて、すなわち原罪と因縁がない位置で生まれたという資格を備える事なくしては、神様のもとへ帰る事ができないのです。

 神様が私たち人類を救援しようとされるとき、堕落圏以下ではいくら救援しようとしてみたところで救援できないのです。それで、神様は、堕落していないアダムとエバ以上の真の父母をこの地上に再び送り、その父母を通して人類が再び生まれる路程を経るようにして、サタンと永遠に関係がなくなり、サタンが讒訴しようにも讒訴できないようにされ、神様だけが主管され、神様だけが干渉なさる事ができるようにされるというのです。そのような位置で人類が再び生まれる事なくしては、原罪をもった人間が、原罪のない位置には帰れません。

              *

 堕落した父母の因縁によって、神様から離脱した伝統を受けて、この世界がこのようになりました。ですから、真の父母が来て新しい主義を立てなければなりません。それが真の家庭主義です。真の家庭主義が出てこなければ、世界主義が出てくる事ができません。この真の家庭主義の代表者は、神様の真の息子にならなければなりません。彼は、神様の心情的な全てのものを相続する内情的な相続者であり、外形的な相続者、そして、万物所有権の相続者にならなければなりません。

 別の言い方をすれば、神様の心を相続する事ができる方であり、体を相続する事ができる方であり、万物を相続する事ができる方でなければなりません。そのような息子でいてこそ神様の代身者になる事ができます。その息子が来て、初めて天国が成されるようになるのです。

 真の家庭主義は、神の愛主義です。愛がなければ、いくら世界の第一主義だと威張って歩き回っても、その人は不幸な人です。真の家庭主義は、父母が行けば、その息子、娘が父母のあとを永遠に従っていく主義であり、また兄が行けば、弟が永遠に従っていく主義であり、弟が行けば、兄が永遠に従っていく主義です。ですから、弟の国があれば兄の国が従っていき、兄の国があれば弟の国も従っていかなければなりません。

 それでは、神の愛主義とは、どのような主義ですか。国境を超越して、この全ての平面的な世界を超越して、お互いが授受する事において、争って先に与えようとし、受ける事を遅らせようとする主義です。そのような主義の世界が今後、訪れる理想世界です。理想世界は、何か大きな権勢をもって号令する世界ではありません。理想世界というものは、自動的に心が動いて神様の愛に和合する事ができる万民兄弟主義世界です。今後、そのような世界になるはずです。

              *

 四大心情圏と三大王権を私の家庭で花咲かせ、嫁に行って、妻をめとって、そのまま本郷の地に移しておく事が神様の創造理想でした。ここに、全ての事がかかっています。ここに真の父と母、真のおじいさん、おばあさん、真の夫婦、真の子女がいるのです。天国にあるのではありません。ここで一つになって、もっていくようになっています。人類平和の家庭、王の家庭を築く事ができる教材、テキストブックが統一教会にだけあるというのです。その教材をもってこられた方が真の父母なのです。真の父母の家庭には、真の父母のおじいさん、おばあさんもいらっしゃり、真の父母の息子、娘も全ているのです。その真の御父母様は、どのような事をされるのでしょうか。世の中の国は、全て滅びていきます。アメリカも滅び、イギリスも滅び、韓国も滅びる兆しでいっぱいでしょう?

 真の父母は、家庭を収拾して国を収拾するのです。この二つの責任が真の父母にあります。真の愛と真の愛の生命の種で接ぎ木する事により、収拾する事ができるのです。人類が堕落したので、今日の偽りの愛、偽りの生命の種を受けました。これが野生のオリーブの木になったので、真のオリーブの木に接ぎ木して真の愛に接ぎ木し、真の愛を中心とした生命を再び受け継がなければなりません。そうでなければ、真の父母の血族になる事ができないのです。

              *

 今日の既成教会では、「イエス様を信じて天国に行く」と言うでしょう? 私たちは、「天国を成していく」と言います。天国は今、空いています。本然の理想的な家庭形態をもつ事ができず、これを成し遂げようとしましたが成し遂げる事ができなかったので、再臨時代にメシヤが来て成し遂げなければなりません。再臨主は真の父母です。そして、真の国の王、天地の王として来るのです。

              *

 先生は、天地の全体を代表して開拓した真の父母になりますが、それは一つの種と同じです。種を植えれば、それを中心として根から幹を経て芽が出てくるのです。千年、万年、いつ迄も大きくなるのではありません。大きくなれる時迄大きくなって、次第に縮むのです。それと同じです。種は、実を結ぶようにしてくれるのです。

              *

 帰る事ができなかった故郷を、真の父母を中心として真の国を成し遂げた立場で取り戻す事ができるように、勝利的権限を下さった事が、天下を与えられても取り替える事ができない有り難い事だという事を知って、涙を浮かべながらその故郷の道を帰らなければなりません。

 不平を言えば呪われます。先祖がしりをたたくので、今後、息子、娘が平安でなくなります。皆さんに対して薬を与え、病を与える時が来るというのです。

              *

 私たちは、サタンから生まれた堕落した人間なので、サタンの愛から出発しました。それで、神様の愛と真の父母を中心とした愛の因縁をもつ事ができなかったので、真の父母の息子、娘になる事ができなかったというのです。

 結局、メシヤとは何ですか。真の父母です。それでは、なぜ真の父母の愛を必要とするのですか。私が真の父母の愛を通して再び生まれなければ、生命が出発する事ができないからです。生命は、愛によって出発するのです。ところが、私たちは、堕落した生命から出発したので、これを否定して真の父母の愛と因縁を結ぼうとするので、真の父母の愛を求めるのです。それで、メシヤが必要なのです。

              *

 救世主、その方さえこの地に来られれば、その方の中では、神様が求めてこられた個人も生き返る事ができ、神様が求めてこられた家庭も生き返る事ができ、民族、国家、世界が生き返る事ができるので、今日、道義世界を望んでいる数多くの民族は、「救世主よ、来たりませ!」と言いながら、救世主を待ち焦がれているというのです。

 なぜなら、その方が完成した世界的な真の父母の立場にいらっしゃるので、私たちは、その方にさえ侍れば、真の父母の息子、娘になります。また息子、娘になって育ててもらえば、私たちも結婚して真の父母になる事ができるというのです。

              *

 統一教会の食口だけは、世界を兄弟のように考え、一つの国のように考え、神様を中心として一つの血筋を受け継いだ兄弟のように考える事ができるのです。この運動が統一運動です。

 先生が今迄四十年の闘争過程で滅びなかったのも、神様が願われるそのような考え、そのような思想をもったからです。神様と同じ立場にいるので、それを保護される為に滅びないのです。それと同じように、皆さんも自分を中心として考えるなというのです。この全ての国境を越えて、神様の息子、娘の代わり、真の父母の息子、娘の代わりとして生きるようになれば、今後、成される全ての版図は、皆さんのものになるのです。

              *

 神様の理想が分からず、統一の概念が分からない者たちは、地獄に落ちるのです。彼らは、恥ずかしい姿になってしまうのです。皆さんは、子女です。今この時の皆さんは、子女になるのです。

 旧約時代には兄弟でした。兄弟として長子権を復帰する、そのような時代は過ぎました。メシヤの心情は、父母の心情です。祝福を受けて、周囲の堕落した人々を一度見回してください。サタンは滅びていくのです。

              *

 歴史上のどのような聖人、賢哲、どのような孝子、忠臣を問わず、私が神様を愛する事においては、彼らとはその根本が違います。私は、世の中を中心としてはいませんでした。完全に新しい次元において、神様の本然的愛を中心として、本然の愛による生命と一つになり、その生命と一つになった血統の因縁を自分が伝授されて、神様が「私の息子、娘を抱いた家庭だ」と誇る事のできる家庭が、今日の堕落した世界には一つもないというのです。家庭を夢見て、それを成す為に送った方がメシヤであり、これがメシヤの使命なのです。

              *

 真の父母は、家庭を収拾する為に必要です。サタンが家庭を破綻させておいたので、その混乱した家庭を収拾する為に救世主が必要なのです。サタンが国を滅ぼしておいたというのです。家庭を破綻させて国を滅ぼし、神様の家庭と神様の国を永遠に編成できないようにする事がサタンの最高目的です。ですから、家庭をサタンから奪ってくる為に真の父母が必要なのであり、サタンが滅ぼしておいたものを奪って、神様が願う国をつくる為に救世主が必要なのです。

              *

 皆さんが知っているように、レバレンド・ムーンの夫婦は、真の父母という言葉で全世界に知られています。今日、私たち夫婦が本当に真の父母として真の愛、真の生命、真の血統によって神様と連結したという事が事実ならば、この地上には、平和を成し遂げた「真の家庭と私」から解放と自由と統一と幸福の天国が芽生えてくる事を記憶してくださるようお願いします。

              *

 神様が愛の理想を中心として、解放された位置に堂々とお立ちになり、「私は解放された天地創造の主人である!」と言って万歳をお叫びになる事ができる為には、地上で真の父母を中心として愛の因縁を、血縁的関係を結ばなければなりません。また、そこで血縁的関係を結んで生まれた息子、娘がいなければなりません。その息子、娘を中心とした家庭によって一つの国家、世界迄形成する事が、創造主と全人類の歴史を通じた希望の基準だという事を知らなければなりません。

              *

 父母の中の真の父母が神様です。神様は、私たちの真の父母だというのです。真の家庭の王、真の国の王、真の世界の王が私たちの御父母様だというのです。その方に侍る事ができる千年太平時代を迎えなければなりません。韓国の「月よ、月よ、明るい月よ、李太白が遊んだ月よ……」という歌のように、この地上で御父母様に侍り、千年、万年生きたいという、そのような希望を成す事ができる統一教会員各自の使命と、召命的目的があるという事を知らなければなりません。

              *

 天地に運動する数多くの存在物の価値基準を決定し得る核心であり、中心が真の父母です。全ての存在の希望の価値を決定し得る要因が真の父母だというのです。したがって、神様が常に共にいらっしゃるのです。神様がそのようなお方としていらっしゃるからです。歴史的な結実を追求する原理の原因になるのであり、時代の中心であり、未来の主人が神様です。したがって、真の父母は、神様が臨在なさる事ができる中心本部なのです。

              *

 真の父母は、神様の体です。私たちに良心と肉身があるのと同じように、宇宙の原点、最初の出発点は神様と真の父母です。人を例に挙げれば、神様はアダムとエバの心です。それが平面的な心ではなく、立体的な心です。その立体的心と平面的心が自分の位置を決定する事は、それ自体では不可能です。愛の力によって永遠の位置を決定するのです。真の愛の出発は、そこからなされます。そのようになる場合には、全て一体です。良心に苦痛があるときには、肉身も苦痛を感じます。避ける事ができません。一体です。

              *

 真の父母という人は、神様の心の中における息子の中で、最高の息子だというのです。相対完成した永遠の息子として、その息子の歴史は、このようになってこそ永遠の息子が生まれるという神様の教本となるものであり、そのような歴史を残した息子だというのです。

              *

 神様が見ていらっしゃるレバレンド・ムーン、真の父母の価値と、皆さんが知っている価値とは、天地の差です。原理的な観点で、あまりにも差があります。神様の立場で見れば、レバレンド・ムーン、真の父母というものは、歴史始まって以来、創造の時代から願ってきた事です。真の父母というものは、堕落した人間たちが願う前に、創造された神様が願われたものです。創造する前から願われたものなのです。創世以前に神様が願われた目的だったというのです。

 それでは、この被造世界は何億万年などと言いますが、何千万年の歴史を経ながら、創世以前の理想をこの地上に実現する為に、あらゆる努力をしてきたのが今迄の宗教歴史です。それが主流宗教の歴史だというのです。ユダヤ教は第一次選民、キリスト教は第二次選民、統一教会は第三次選民圏を通して出てくるのです。長い歴史時代を通して多くの犠牲者を出したのは、その一つの目的を再び取り戻すためなのです。

              *

 真の父母には神様の愛が宿っています。今迄私たちが考える事もできず、夢にも考える事ができなかった、そのような神様の愛が宿っています。神様の愛を中心として父子の因縁が連結するのです。それ故に、皆さんが祈祷するときには、神様を直接呼ぶのではなく、真の父母を通さなければなりません。皆さんが祈祷するとき、最後に真の父母の名によって祈祷するという事は、簡単な事ではありません。習慣的に感じる、そのような簡単な内容ではありません。

 そのような内容が成される一つの起点は、天上ではなく地上だというのです。それで、地上で新しい天地が展開する事を皆さんは知らなければなりません。真の父母との因縁は、霊界のような漠然とした世界ではなく、地上で連結します。真の父母は、実体を備えて地上へいらっしゃるというのです。ですから、真の父母は、私が呼べば返事をする事ができ、私が難しい立場にいれば同情してくださるのです。このように平面的な途上において、真の父母に出会う事ができるという事が、人間にとってどれほど幸福で楽しい事か分かりません。

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 地上に生きなければならない人々は、本来神様の真の愛から生まれ、真の父母を通して真の子女を中心とした血縁関係を経て、この血縁的基盤を縦的として、世界に拡大しておかなければならなかったのです。そのような主体的家庭を中心として、相対的家庭によって連結した世界像、すなわち地上世界と天上世界が成し遂げられなければならなかったのです。これが神様の愛を中心とした創造理想世界です。

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 皆さんの中心は、イエス様を中心とした真の父母です。歴史的な万民は、真の父母を中心として一つにならなければなりません。ここから未来の伝統的起源が立つようになります。統一する事ができる伝統の起源は、ここからだというのです。三数の中心がここからです。それでは、私たち統一教会員は、どのような群れですか。真の父母の教理を教わり、真の父母の息子、娘になる群れです。真の父母の息子、娘にならなければならないという教理を教える所は、統一教会しかありません。

 それ故に、統一教会は、歴史が探し求めてきた中心である真の父母に侍る事ができる所です。時代が要求する中心である真の父母に侍る事ができる所です。未来の起源となる事ができる真の父母の因縁を、私が相続する事ができるというのです。したがって、私は、歴史的な結実です。私は、時代的な中心です。未来の起源となるのであり、先祖になるのです。真の父母の心情と一致する事ができる因縁を結んでこそ、そのようになる事実を知らなければなりません。このような心をもって、このような祈祷をすれば恥にはなりません。

 これを何によって統合するのですか。真の父母の愛によって統合させなければなりません。誰に統合させるのですか。息子、娘に統合させなければなりません。その息子、娘とは誰ですか。真の父母の愛を中心とした息子、娘です。別の言い方をすれば、堕落していないアダムとエバが生む息子、娘と同じです。ここから天国の息子、娘になる事ができるのです。したがって、今日、三時代の愛の因縁をもって生まれた位置が、真の父母の息子、娘になる位置です。たとえ人間が堕落したとしても、歴史過程をさかのぼっていき、その位置を取り戻さなければなりません。

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 真の父母と生活すれば、どのようになりますか。個人的な生活、家庭的な生活、氏族的な生活、国家的な生活、世界的な生活、天地においての生活、神様に侍る生活、全てが通じるのです。皆さんが真の父母の家庭を中心とすれば、氏族も皆さんの家庭であり、民族も皆さんの家庭です。私の家庭です。民族も私の民族であり、国家も私の国家であり、世界も私の世界であり、天地も私の天地であり、神様も私の神様だというのです。このような観念を知らなければなりません。全て真の父母と一つになっているのです。

 真の父母は、神様と一つになっているのですが、神様は世界人類と共に生きようとされるのであって、一つの宗派と共に生きようとはされないのです。宇宙と共に、理想世界全体と共に、その愛を中心として生きたいというのが神様の創造理想であり、神様の家庭を中心として始まる生活方法です。

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 霊界に行けば、アダムとエバが神様の形状に似て神様と一つになるのと同じように、皆さんが真の父母を通さなければ、神様の形状を完全に受け継ぐ事はできません。

 また、神様がアダムとエバを中心として愛の世界を成し遂げる事ができなかったので、真の父母を通して愛を再現させるのが復帰です。

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 今全ての父母が「レバレンド・ムーンが真の父母ならば、私たちは何だ」と言いながら大騒ぎです。聖書を見れば、来られる主は真の新郎だといいます。それでは、自分の新郎は何になるのですか。それは偽りの新郎です。そのようになるのです。聖書には二人の人の話だけが出ています。一人は新郎、一人は新婦です。本然のエデンの園における理想的な新郎はアダムであり、新婦はエバでした。彼らは、神様が造られた理想的なカップルだったのです。

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 可愛そうなアメリカの家庭に、真の父母を教えてあげたという事実は驚くべき事なのです。真の父母を知るようになったという事実は、驚くべき事です。また真の兄弟、真の家族を取り戻したという事実は、驚くべき事です。真の家庭、それ自体をアメリカが本当に願うのであり、真の世界が願うのであり、真の宇宙が願うのです。ところが、アメリカの人々は、父母の愛を知る事ができません。それが恨です。

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 王は、自分の国の家庭の為に自分の息子、娘を犠牲にさせ、王自身が犠牲にならなければなりません。そのように犠牲になっても、自分の民族を食べさせて生かす責任を果たす人が善君です。それで、母と息子が一つになり、王と一つになるのです。このように、この王が父母の愛をもってよく食べさせるようにし、全て投入して、投入して、投入しなければなりません。それが善なる王です。

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 真の父母になれば真の子女が出てきて、真の家庭が出てきて、真の氏族が出てきて、真の国、真の世界がここから自動的に生じるのです。その中で「真の父母」という用語が最も重要です。

二 神様は縦的父母、真の父母は横的父母

 真の父母は、神様が創造される前、神様の心の世界から始まったというのです。神様が創造された全ての理想は、真の父母を中心とした愛の理想を表題として始まったので、「真の父母」は、創造前から神様が願われた希望の言葉だという事を知らなければなりません。

 真の父母を探し出す為に、神様の摂理路程において数多くの人々が犠牲になったという事実を知らなければなりません。神様は、数多くの宗教を立てて摂理してこられました。宗教の中では、天使世界の宗教、カイン的な宗教、アベル的な宗教、庶子的な宗教、養子的な宗教、庶母的宗教、養父母的宗教、それから真の母の宗教、真の父の宗教があります。

 新教と旧教が、神様の摂理の全体的なみ旨に合わせて世界を指導する責任を負ってきた全ての宗教圏を統合し、一つの国、一つの世界、一つの平和世界を成し遂げなければなりません。一つの平和世界を追求する神様のみ旨を完成させようという数多くの宗教が現れたのですが、その主流宗教がキリスト教だったというのです。

 キリスト教は、何を教えるのですか。真の父母と愛を教えるのです。イエス様に関しては新郎だという話を教えてあげ、兄弟だという話を教えてあげ、神様に関しては父母だという話を教えてあげました。家庭的理想を中心とした内容を全面的に備えたものがキリスト教なので、そのキリスト教は、神様が理想とされる家庭を全面的に完成させられる内容を教えてあげたというのです。それ故に、数多くの宗教を越えて、キリスト教だけが世界を統一したのです。

 それでは、再臨主とは誰ですか。エデンで真のお父様と真のお母様を失ってしまったので、真のお父様としてこの地に来られ、真のお母様を立て、神様との心情的一体を中心として、血統的一体、血肉の一体を中心とした神様の家庭にならなければなりません。神様をお迎えして暮らす事ができる第一次の家庭がメシヤの家庭だというのです。

 メシヤとは、完成したアダムの位置をいうのです。完成したアダムとエバが夫婦を成し、神様をお迎えして暮らし、神様を中心とした息子、娘を生んで、神様の一族を生み、この地上で生きて、神様と共に天上世界へ移っていくのが天国だというのです。

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 見えない針の先端が神様ならば、見える先端は私たち人類の先祖です。それで、神様は垂直的な父母です。そのような神様が霊界で息子、娘を生めばどれほど良いでしょうか。しかし、霊界では生産ができないのです。

 神様はなぜ、横的な父母アダムとエバを造られたのですか。アダムとエバは、天国の民を生産するための生産工場として造られたのです。なぜなら、垂直には一つの焦点しかないので生産できないのです。中心で生産すれば、どのようになりますか。今迄の全てのものを押し出さなければならないという結論になるのです。そのように、垂直には一点しかないので生産が不可能なのです。

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 赤ん坊は、神様が産むのではありません。真の父母を通して生むのです。横的な真の愛の父母の位置に立った方が誰かといえば、今日の統一教会でいう真の父母です。神様の前に、縦的な愛を中心とした真の父母の前に、九〇度を備えた横的な愛をもった方が真の父母です。それ故に、二つの父母の愛が必要なのです。一人のお方は、創造主である父母であり、一人のお方は、被造物の、神様の対象として理想を描きながら造られた肉的な父母です。それ故に、神様は心的な父母の位置にいらっしゃり、真の父母は肉的な父母の位置にいます。このように、縦的な愛と横的な愛を中心として生まれなければならなかったのが人間でした。

 皆さんもこれに似なければならないので、自由に縦的な愛に似るようにする為に「縦的な私」がいるのです。それが心です。今迄心が分かりませんでした。仏教でも心を知りません。しかし、統一教会では心を知っています。神様の創造理想を通して縦的な愛の前に、横的な愛を中心として、それから前後の愛、球形的な理想を描いてこそ、東西南北に通じる力の消耗がなく、いつ作動しても良い事ばかりであって悪い事はないというのです。相克がないというのです。

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 皆さんの心は縦的な私であり、体は横的な私です。真の愛を中心として、この点で一つになるのです。そうでなければなりません。皆さんの心と体は闘うでしょう? なぜですか。堕落したからです。これがどのように一つになるのですか。真の愛がなくては一つになりません。

 ここで、神様のように真の愛を通して一つになれば、そのまま天国に行きます。救世主が必要ないのです。そのまま入っていくのです。

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 天の王は縦的な中心となって心の位置に来て、地上の王は体になるのです。それ故に、完成したアダムとエバの理想的結婚式は、神様が中心になり、アダムとエバが体となってする結婚式です。それが神様の結婚式であり、アダムとエバの結婚式だというのです。

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 カインとアベルが一つになって神様の前に帰る時、初めて横的基盤が築かれるのです。神様の前に帰ろうと思えば、どのようにしなければなりませんか。真の父母を通して行かなければなりません。このように完全に一つになったその場を中心として、主である真の父母が来る時迄引っ張ってきた歴史がキリスト教歴史です。それが霊的なキリスト教歴史だというのです。

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 皆さんも先生が行く天国に行こうとするなら、資格がなければなりません。それをもとうとすれば、先生のみ言どおりに一つでもしなければなりません。それによって皆さんがどのようになりますか。皆さんが真の神様、真の父母、真の国、真の世界、真の天国を中心として、愛で連結される価値をもつようになります。神様を、私個人のお父様であり、家庭のお父様であり、その次には国のお父様であり、世界のお父様であり、全ての天地のお父様として侍り得る権限を得るというのです。言い換えれば、神様を私の個人的なお父様として侍る事ができ、家庭的なお父様として侍る事ができ、氏族的なお父様として侍る事ができ、民族的、国家的、世界的なお父様として侍る事のできる権威を相続されるというのです。

 それは、父母になるための神様であり、父母の立場にいらっしゃる神様だからなのです。それで、個人の神様であると同時に、個人のお父様であり、家庭のお父様であり、氏族のお父様であり、民族のお父様であり、国家のお父様であり、世界、天の国のお父様だというのです。それは世界でも同じであり、霊界でも同じです。

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 先生のものは私のものではありません。これは人類のものであり、神様の愛を中心として一体となった、堕落の侵犯とサタンの讒訴圏から外れた、本然の所有決定の条件基地だと考えるのです。アベル、天の側の愛を中心として相続された所有物だというのです。初めて地上に、真の父母を中心として神様の所有が生まれるのです。それ故に、統一教会では、物を買ったなら売ってはいけません。必ず真の御父母様が手放すという方式を経なくてはいけません。それ故に、先生が一度買ったものはこじきになっても売ろうとしないのに、それを売り飛ばした者たちは、あとで全て法に引っ掛かるのです。

 真の父母は、神様の愛と一つになった所有を決定されましたが、この横的な祝福を受けた家庭に、父母の位置に進んでいける道がなければなりません。しかし、そのような愛を中心とする所有の決定を父母から受ける事ができませんでした。ところが、「父母の日」を共に記念する事によって、皆さん自身にも、今迄万物から子女、このように逆に上がっていったものが、この直接主管圏時代に来て平面で連結するのです。ここで個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、この七段階の形態が全て成され、中央線に連結されなければなりません。それは、男性の七段階、女性の七段階を中心として、全て連結するためなのです。

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 救世主がこの地上に来られる時は、自らの新婦を取り戻されるというのです。真の女性を取り戻さなければなりません。真の女性を取り戻す事によって、神様を中心として歴史上初めて、堕落しないで完成できる縦横が連結するのです。内的天のお父様と外的真の父母を通して初めてこの地に着陸して、天国と直通する道が連結するのです。

 先生は、歴史始まって以来世界人類の中で、最も多くの迫害を受けた人です。多くの反対を受けた人です。一つの時代において、個人的にも世界的迫害を受けなければならず、家庭的にも世界の迫害を受けなければならず、それから氏族も同じです。統一教会の氏族は、世界の祝福家庭を通して全世界百六十カ国の全ての民族に接ぎ木しなければなりません。それを復帰していくのです。氏族的に、それから民族的に、その次には国家的にしていくのです。

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 皆さんは、先生が世界的条件を中心として勝利した基盤の上にいるので、先生の心情を受け継がなければなりません。その心情を受け継いで、「私は真の父母の息子、娘である事に間違いなく、アベル的立場に生まれたが、この世界のカインを屈服させる事は間違いない」と言う事ができなければなりません。

 なぜなら、それは霊的な面において完全に勝利の基盤を築いたので、実体圏にある力は消えるようになっていて、押せば、引くようになっています。

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 皆さんは、ただの一個人ではありません。「自分は世界全体を代表した中心だ」という観念をもてば、それがそのようになるのです。誰でもそのような考えをもって世界を代表しています。息子、娘は父母を代表していて、父母はその一家を代表しています。同じです。感謝しなければなりません。

 「摂理は自分のためのものだ」というその内容は、簡単なものではありません。自分が負債を負っていく事なので、四方を見る事ができないくらい恥ずかしさを感じる事ができなければなりません。一時でも、そのような過程を通過しなければなりません。父母によって自分が生まれた事を幸運だと考えて孝行をするならば、全ての歴史が自分の為にそのようになったと考えれば、その孝行以上に国と世界を愛さなければなりません。そのような関係をもって行かなければできません。そのような主体性をもった息子、娘が、真の父母の息子、娘になり得るという事を記憶してくださるようにお願いします。

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 今日、私たちが生きているこの世界に真の父母を迎えましたが、この地には、真の父母の息子、娘だけが生きているのではなく、堕落した父母の息子、娘も生きています。本来は、真の父母の血肉を通して、神様の愛する息子、娘になるはずだったのですが、堕落により、堕落した息子、娘になったので、私たち人類始祖が誤った事を、全て解怨成就してあげる為に再び来られる父母が再臨主であり、救世主だというのです。ですから、その方が来られて、先に生まれた長子を復帰しなければなりません。その長子が庶子のようになりました。血筋が変わりました。庶子と同じです。本然的愛では、神様の血統を受けたのですが、堕落する事によって、他の血筋を受け継ぎました。だからといって神様が捨てる事はできません。

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 皆さんが労働をするのは創造です。一生働いても疲れを感じないで、神様の愛の世界に接触する事ができ、神様を慰労し得る道を訪ねていく事が愛の一生だというのです。神様が創造されたものを、私が趣味と思い、楽しく天の記念品にしていくと考えて生きなければなりません。

 それで、真の御父母様がそのように自然を求め、海という海、五大洋六大州、川という川、山という山、景色の良い所を全て実地調査しながら生きるのです。皆さんも、そのように神様の愛をもって自然の嘆息圏を解放させるという真の父母の生活に従っていきますか、都市にいて自分個人を中心として環境を破壊し、公害を起こし、子女の情緒的側面を発展させる事ができる道を妨げる父母になって生きるつもりですか。このような事を比較してみる時、先生がこのように自然を愛していった道を統一教会の食口たちは自然に従っていくので、都市分散、自然化した都市世界、自然と和合し得る理想的天国が可能だというのです。

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 神様が生きていらっしゃるという事が本当に実感できます。韓国の独立万歳運動の指導者が三十三人です。韓国の反対側がウルグアイですが、ウルグアイの独立軍指導者も三十三人です。南米の国も三十三カ国で、今私がジャルジンに行って仕事をしていますが、そこも都市が三十三だというのです。本当に不思議です。その周囲にある主要都市が三十三だというのです。それは本当に不思議です。

 摂理のみ旨を見れば、神様が生きていらっしゃるからそうなのです。ですから、三十三人にしなければいけません。自分迄入れれば三十四人です。重要です。国家的メシヤと、何が何でも一つにならなければなりません。不平を言ってはいけません。絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなさいというのです。

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三 神様を解放する真の父母

 悲惨にも、神様が理想とされた真の家庭は実現されませんでした。エデンの園で蛇はエバを誘惑し、エバはアダムを誘惑して、利己的な偽りの愛をこの世に植えました。人類の罪と不幸は、人間の先祖アダムとエバがサタンを動機として結ばれた不倫なる愛の結果から始まりました。

 個人を復帰して、真の家庭を復帰して、真の愛と善を世界的基準に拡大しなければなりません。ただ、この真理だけが争っている教派を一つに統一する事ができ、また地上天国を成す事ができるという事実を知っている私は、五十年前にこの啓示をキリスト教徒に明らかにしました。私は、もう一つの分離された教派をつくる意向は絶対にありませんでした。

 しかし、神様のメッセージは、既成教団から拒否されて迫害を受けました。私は、やむを得ず他の基盤を築かなければならなかったのであり、過去四十三年の苦労がそれでした。

 一九五四年、韓国で「世界基督教統一神霊協会」として始め、日本、アメリカ、ヨーロッパ、そして、全世界に宣教師を派遣しました。この基盤の上に私たち夫婦は、多くの団体を立て、真の家庭の原理が学術、言論、宗教、芸術、産業分野等で扱われ、この世界を蕩減復帰する事ができる標本と典型をつくろうと努力しました。

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 エデンの園で失ってしまった全てのものをどのように復帰するのか、これが先生の還故郷という考えです。故郷へ帰らなければなりません。それで、氏族的メシヤと国家メシヤを派遣しました。神様は、イエス様という一人のメシヤしか送る事ができませんでした。そのメシヤは、氏族を解放するメシヤでした。今この時に、先生は、神様の立場で百八十五カ国に国家メシヤを派遣しました。その国家メシヤは、イエス様の時の氏族的メシヤより次元が高いのです。

 そのようなコンセプトがイエス様の時にはありませんでした。十字架で全てのものを失ってしまいました。家庭がなかったのです。それで、天国に入っていく事ができず、楽園にとどまるようになったのです。本然の天国では、家庭から氏族、民族、国家へと続いていくのです。

 イエス様は、家庭を成し遂げる事ができませんでした。エデンの園でも、家庭が失敗したのでアダムが追い出されました。それを復帰する為に真の父母が現れ、失ってしまった家庭以上のレベルである国家基盤の上でメシヤを派遣したのです。

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 人間が堕落する事により、神様を失ってしまい、真の男性、真の女性、真の夫婦、真の子女の位置を失ってしまいました。粉々に全て壊れました。堕落した人間たちは、神様と一つになる事ができません。神様に侍る事ができる真の男性と女性が一つになり、離れようとしても離れる事ができず、別れようとしても別れる事ができない真の夫婦を成して、真の息子、娘を生まなければなりません。すなわち、神様を中心とした真の父母、真の夫婦、真の息子、娘となって四位基台を成し遂げなければなりません。

 したがって真の父母は、神様をお迎えしてきて、全ての家族の中心にならなければなりません。ここでの生活制度は、万民が生活する事ができる生活制度であり、ここで望む国家観、ここで論議される世界観、ここで教える理念は、全世界の万民が共通してもたなければならない国家観であり、世界観であり、理念だという事を知らなければなりません。

 ところが、これがそのようにできないので、現在、修羅場が展開されるのです。しかし、人類は、今迄一つの門に向かって終末の時を願ってきたのです。真の父母の願いは、人類が神様を中心として真なる家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙を成し遂げる事です。そのようになれば、神様の愛迄も復帰する事ができるのです。

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 神様の怨恨とは何でしょうか。民族を抱えて泣かれ、地に対して泣かれましたが、神様が願われる勝利した息子を抱いて喜びの涙を流せない事が天の怨恨だというのです。すなわち、天から「あなたは勝利した息子だ」と認められる人がいない事が、天の怨恨であり悲しみです。

 それだけではなく、失った息子、娘を復帰する為に、そのようにさまよわれた神様を抱いて泣いた人が一人もいなかったというのです。

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 「神の日」において、人間として成してさしあげなければならない神様の願いとは何かといえば、神様の真の愛を中心として神様を完成させてさしあげる事です。神様を完成させようとするならば、人間が完全な主体の前に完全な対象の位置に立たなければなりません。それが真の父母です。また、神様を真の愛を中心として解放しなければなりません。それを誰を通してするのですか。真の父母を通してするのです。このような内容を知っているので、神様を解放してあげる事ができるのです。

 主体的神様を中心として、先生がマイナスになって一つになったのと同様に、皆さんが真の父母を中心として、実体的にプラスとマイナスになる事によって、神様と一つになった位置に思いのままに行く事ができるのです。再創造原理がそのようになっています。

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 先生が祝福してあげる事によって、神様を中心とした一族、一国が、一世界、天上天下に垣根がつくられるので、神様が解放されるのです。

 神様の胸に打ち込まれた釘を、地上で真の父母の胸に打ち込まれた釘を抜かなければならない責任者とは誰ですか。真の父母だというのです。また、その事を最後にしなければならない人が、お母様です。お母様を前面に立てて世界を巡回するのです。女性たちは全員、お母様の代わりにならなければなりません。

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 今日の歴史は、父母を取り戻さなければならない歴史的な方向に流れています。神様がいらっしゃるならば、その神様を中心として創造の目的を完結させる事ができ、すなわち救援の目的を完結させる事ができる真の父母がいて、その真の父母が神様に孝心を尽くさなければなりません。同時に天使たちは、その真の父母の息子、娘を中心として忠誠の道理を果たすのです。それが本然の創造原則ですが、それが壊れてしまったのです。ですから、私たちは、それを再現させて蕩減しなければなりません。失ってしまったのならば、失ってしまったその姿どおりに取り戻さなければなりません。

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 皆さんは、父母が所有する父母の息子、娘ではなく、先に神様の息子、娘にならなければなりません。堕落していなかったならば神様の息子、娘ですが、逆になっています。今は、神様の息子、娘になる事ができなくなっています。ですから、真の父母の息子、娘になったという条件的基準で、根が違うのでその根を切り捨て、大木の根元を切り捨ててここに接ぎ木をし、先生を中心として新しい芽を連結するのです。接ぎ木をするのです。それが神様を解放してさしあげる事です。

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 キリスト教だけでも数百の教派に分かれ、教派間で闘っています。そのように闘うところが神様の肢体と神様の踏み台になる事ができますか。できないというのです。そのような観点で見てみるとき、神様が思いどおりにできる教派がないというのです。

 それでは、神様にこの地上で天国を成し遂げようという理念があるならば、神様はどこに行かれるはずですか。仕方なく一つの家庭でも訪ねていかれるしかないという結論が出てきます。

 それでは、父母が神様と直接一つになり、その父母を中心とした子女が父母と完全に一つになり、神様がその家庭の唯一の主人になり、その家族が主人である神様の家族になり、その家庭の所有が神様の所有になる、そのような家があるかというのです。

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 アダムとエバがエデンの園で夫婦になる事ができなかった事を、歴史時代を通して克服してきた全ての結果を締めくくるものとして、真の父母を再現するその祝宴が「小羊の婚宴」です。「小羊の婚宴」を通して真の父母が結婚式をもつならば、その息子、娘もその伝統に従って結婚する事により、全てのものを真の父母の理想に、神様の願われる愛の世界に包括する事ができるのです。

 その中心から全体の環境的要件迄、自分と接触させる事ができる愛の解放的王子、王女として登場する家庭が、私が暮らす事のできる私の家庭だったのです。神様の家庭であり、私たち人類の家庭であり、私の家庭だったのです。それが大きければ大きいほど、神様と、人類と、愛する事のできる国を代表するのであり、それが平等と統一がある愛の天国だったというのです。

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 アダムが堕落する事により、偽りの父母が生まれたでしょう? ですから、真の父母が現れなければなりません。偽りの父母は、サタンを根拠として生まれたので、神様を中心として真の父母にならなければならない本然の創造理想が残っているというのです。それ故に、堕落したアダムを救い、本然の真の父母の理想を地上に実現しなければなりません。

 それでは、どのような力でできますか。偽りの父母を通して生まれたこの世界人類が、もし堕落していなかったならば、神様の息子、娘になり、本来真の父母の息子、娘になっていたのです。それが創造原理なので、偽りの愛によってこのようになった事を放棄できないというのです。

              *

 皆さんがいくら忠臣の家庭になったとしても、国がなくなる時にはなんにもなりません。国でいくら忠臣でも、国がない時は歴史に定着できる基盤がないというのです。ですから、家庭を通して国を取り戻さなければならず、国を通して世界を取り戻さなければならず、世界を通して天宙を取り戻さなければなりません。そのようになれば天宙の主人です。

 ですから、個人は家庭の為に投入しなければなりません。投入して忘れてしまわなければなりません。「ため」に生きて犠牲になりなさいというのです。個人は家庭の為に、家庭は氏族の為に犠牲になるのです。氏族は民族の為に犠牲になり、全て犠牲にならなければなりません。民族は国家、国家は世界、世界は天宙、天宙は神様の為に犠牲にならなければなりません。神様迄行くようになれば、神様も犠牲になり、私に戻ってくるというのです。そのまま流れていくのではありません。最後に神様に投入して忘れてしまえば、神様が全て所有され、それに愛を加えて天地の世界を私に与えてくださるのです。

              *

 人類の解放とともに神様が解放される事を知らなければなりません。皆さんの家庭が解放される事は、家庭を失ってしまった神様の悲しみを私が慰労してさしあげる事です。一族を解放させ、一族を失ってしまった神様の悲しみを慰労して、一国を私が建国し、神様が国を失ってしまった事から解放してさしあげなければならないのです。先生の一生は、失ってしまった天宙を取り返して、神様の悲しみを慰労するという事です。私の願いはありません。私の考えはありません。絶対信仰、絶対愛、絶対服従するのです。「死になさい」と言えば直行します。死んでも戻ろうと思いません。

 それで、神様を完成させて、神様自体を永遠にサタンから解放しなければなりません。自然監獄に閉じ込められたのと同じように、捕らわれの身になった事を解放する事ができる息子にならなければなりません。それでこそ、家庭で解放されなかった恨を抱かれた可愛そうな神様が、終わりの日に世界と天宙で解放され、初めて自分の姿勢を備え、神様を中心とした家庭愛、氏族愛、民族愛、国家愛、天宙愛の法度を中心とした主権を立てる事ができるのです。

四 真の父母は天国への通路

アダムとエバの位置が、神様に代わる位置であり父母の位置ならば、先生も霊的に見れば父母の位置、神様に代わって地上を代表した位置にいるのです。この地を通して霊界に行った全ての霊人たちは、アダムとエバを追いかけていったのです。ですから、先に行った霊人たちは天使世界に属しています。したがって、皆さんを思いのままに後援する事ができるというのです。

 今、霊界に行っている霊人たちは、真の父母を通して生まれずに、偽物の父母を通して生まれたので、真の父母を協助する事ができません。しかし、天使長が失敗した全てのものを蕩減して、子女の位置でアダムとエバが成長しているそのような立場に対しては、いくらでも後援する事ができるようになっています。それ故に、霊界が協助する事により、世の中がますます短期間のうちに崩れていくというのです。

              *

 父母がお互いに愛し、息子、娘を愛しながら、国を代表してそれを見せてあげ、その次には天地に代わってそれを見せてあげ、自分の親戚に代わってそれを見せてあげ、父母を通じて見せてあげ、兄弟を通じて見せてあげるように教育しなければなりません。これが世界から順番に下りてこなければなりません。天地を愛する標本、世界を愛する標本、国を愛する標本にならなければなりません。将来において、見せてあげる事ができる教科書にならなければなりません。

 それだけではありません。主人にしようとするので、父母の心情と、先生の心情と、神様の心情を知って所有権を相続しなければなりません。教会に入ってきて再び生まれ、教育を受けて完成するのです。成長すれば、全てのものを知るようになるのです。私も主人の位置に立ちたいと思うようになります。全てを相続するのです。それが主人です。どこでも同じです。それが主流思想です。こちらについていっても真の先生に会い、あちらについていっても真の父母に会うのです。全て同じです。それ故に、天国はどこに行っても同じだという事ができます。

              *

 皆さんが残さなければならない事は、天から真の愛、真の父母から真の愛を受け継ぐと同時に、真の血統を受け継がなければなりません。これが誇りです。これが変われば、天国に行く事ができないのです。行けません。結婚というものは、それ自体が父母様の愛を受け継ぐ事です。皆さんは、堕落した為に真の血統をもつ事ができなかったのです。真の血統は、祝福によってのみ可能です。堕落した世界の根は、堕落した父母です。それで、真の父母を中心として新しく接ぎ木をし、新しい真の血統を受け継がなければなりません。そのような位置が統一教会の祝福の位置だという事を知らなければなりません。

              *

 「重生」という言葉があるでしょう、生まれ変わるという言葉です。ニコデモが夜にイエス様を訪ねてきて、生まれ変わるという事に対して尋ねた時、イエス様が「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいの事が分からないのか」と答えられたのですが、重生は再び生まれるという事です。生まれ変わるというのです。生まれ変わるという事はどういう事ですか。偽りの父母から生まれた人が、真の父母を通して再び生まれる事を意味するのです。再び生まれる時、神様の愛、神様の生命、神様の血統を受け継ぐ為には、「サタン世界の愛と、サタン世界の生命と、サタン世界の血縁とは全く関係がない、それは意識にもない」と言う事ができるようにならなければなりません。

              *

 堕落する時と反対に、真の父母を通して、イエス様を中心として二人が一つになって蘇生、長成、完成の位置に復帰してあげなければなりません。アダムの息子、娘を霊界と肉界が一つにして、イエス様の息子、娘を一つにして、再臨時代にも一つにして、全てここに入ってこなければなりません。このようにする事によって、アダムの息子、娘になるというのです。

              *

 皆さんには、父母がいて、息子がいて、万物がありますが、家庭教会はこのような姿を拡大させたものです。アダムが堕落により、この三つを失ってしまいました。ですから、この三つを一度に取り戻し、神様に捧げなければなりません。失ってしまったものを取り戻し、真の父母を通して神様に捧げようというのです。

 ですから、神様を経てこなければなりません。失ってしまったものを探してあげ、神様が所有され、父母から再び相続しなければなりません。それでこそ皆さんの家が生じ、皆さんの世界が生じるという事を知らなければなりません。

 その基台が、正に家庭教会です。これは何かというと、祭物です。これは、一つの祭壇です。ここで三大祭物を捧げるのです。

              *

 自らのものを全て自分の所有圏にはできないのです。自らの所有圏をもてばサタンです。私のものという心をもてばサタンです。本来の神様のものに帰らなければなりません。帰るには、そのま迄は帰る事ができません。天使長を通して、エバを通して、アダムを通して神様に帰るのです。それは何かというと、真の父母を通して帰らなければならないという意味です。皆さんが着た服も、皆さんのものではありません。

 家庭を築く為には、皆さんに所有圏や所有観念があればできません。私は誰々の父だ、という所有圏を越えなければなりません。私は何をもっている、という所有観念を越えなければなりません。これが全て神様の所有になり、そして、神様が本来人間を全ての万物の主人として造られたので、真の父母を中心として真の父母の所有の系統を通したのちに、三段階ごとに神様に公証され、真の父母から皆さんが所有権を伝授されて、初めて皆さんの所有権時代が来る事を知らなければなりません。

              *

 皆さんが天国の所有を受ける為には、皆さんの財産、息子、娘、皆さんの一身、全てを捧げなければなりません。旧約時代型、新約時代型、自分自身を全て神様の前にもっていって所有権を決定し、「あなたの家庭は私の家庭であり、あなた方は全て私のものであり、あなたの息子、娘は私の息子、娘である」と言う事ができ、神様の物、神様の息子、娘、神様の分身という公認を受け、神様が「今はもう必要ない」とおっしゃり、真の父母を通して、父母を通して、母を通して、息子を通して相続する時、初めて皆さんにおいて天上世界と地上世界の所有権が決定するのです。愛の所有権ではなく、万物の所有権が決定するのです。堕落の愛によって、全てのものが堕落の所有として決定したのと同じように、本然の愛によって、全てのものに対する所有権が決定するというのです。

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 所有権を神様に返してさしあげる為には、真の父母の名前を通さなければなりません。真の父母の名前を通さずには帰る道がありません。それ故に、世界統一は統一教会を中心として成就せざるを得ません。手をつけなくても、争ってより早く入籍しようと列を成して待つようになるのです。最初になるか、二番目になるか、三番目になるかを争いながら、必死になって闘う時が来るでしょう。

              *

個人が行く道も真の父母を通して、

家庭が行く道も真の父母を通して、

氏族の道も真の父母を通して、

民族の道も真の父母を通して、

国家の道も真の父母を通して、

世界の道も真の父母を通して、

天国に行く道も真の父母を通して行かなければなりません。

そのような道を真の父母が築く為に、

一生を懸けて受難の道を歩いているという事実を知らなければなりません。

              *

 真のアダムは、真の父母です。真の父母の言語は、真の子女が真の父母を通して引き継ぐ言語です。それが原理です。真の父母は、レバレンド・ムーンとして来たのではありません。天から来たというのです。神様から来たというのです。それ故に、神様が分からない人は真の父母が分からないとみなすのです。

              *

 皆さんが生んだ息子、娘は、神様が四千年間準備して生んだメシヤ、イエス様より立派になる事ができる息子、娘です。イエス様の父母がいるならば、その父母が祝福を受けてイエス様を生みましたか。皆さんは、真の父母を通して祝福を受けて生んだというのです。

              *

 祝福は、先生の主張ではありません。全て神様が教えてくださるとおりに処理し、このような論理体系を間接的につくりました。私がもともと分かっているならば、私の口で話をします。ですから、どのようにも否定する道理がありません。

              *

 復帰する為には、母の腹中で絶対的に一つになり、父母が率いた世界の人と絶対的に一つにならなければなりません。それは、女性が一つになるようにしなければなりません。女性が堕落する事により、真の父母を失ってしまい、神様迄失ってしまいました。今、女性が復帰される事により、神様と真の父母を知ったので、その真の父母と完全に一つにならなければなりません。真の父母を通して生まれなければならない全人類が、偽りの父母を通して生まれ、偽りの父母になったので、女性が彼らを真の父母のように愛する事ができる運動を起こしてこそ、世界は復活して解放が展開するのです。その運動が「世界平和女性連合」の運動です。

 それで、世界的な基準で家庭と相対するのです。家庭では、母と息子、娘が一つにならなければなりません。そして、父と一つにならなければなりません。ところがこの父は、偽りの父だというのです。ですから、真のお父様が来られれば、この真の父母を中心として一つになり、母と息子、娘が偽りの父を教育しなければなりません。そして、一つになって本然の家庭を復帰するのです。母と息子、娘が父を救ってあげなければなりません。

              *

 地上に生まれた全ての人間の中で、真の父母を通して生まれた人は一人もいません。真の母、真の父、真の父母の血統を受けずに生まれた者は、天国に入っていく道がないというのです。神様の創造理想から見れば、真の父母の血統を受け継ぎ、真の父母を天上天国、地上天国の王権の主人として仕え、親族圏内で愛を中心として真の御父母様と共に暮らし、自分も結婚して子孫を残し、そのまま移るところが天国です。ですから、皇族圏の愛を中心として、体恤した経験をもたない人は天国に入っていく事ができないのです。

              *

 勝利した真の父母と、国家的に祝福を受けた家庭が一つにさえなれば、その国が帰ってくるようになります。国連で真の父母と国連の各国が決定さえすれば、一日で復帰できるのです。そうすれば、祝福さえしてあげればよいのです。堕落は、結婚式を間違ったのです。神様と真の父母を通して、正しい結婚さえしておけば、完全に復帰するのです。来たる再臨主が全ての事を勝利したので、思いどおりにしても、サタンはこの横的な線を侵犯する事はできません。

              *

 サタンが最も無念で悔しい事とは何かというと、皆さんが真の父母に出会ったという事実、その次には、真の父母が皆さんに、「皆さんが真の父母の息子、娘だ」という事を教えてあげた事です。このように教育する事を最も嫌い、最も恐れます。ですから、その伝統を見習う事が問題です。

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 皆さんの希望がほかのところにあるのではありません。真の父母の息子、娘になるのです。真の父母の息子、娘となり、真の孝子、孝女になるのです。その真の父母が、今後天下を中心として地上の王の王になるのです。それ故に、人類の希望や歴史の希望、時代の希望、全ての希望の中心が結実する事ができるところがここです。

              *

 原理で見れば、真の父母の愛が成したその基盤の上で、万物が支配されるようになっているので、このような愛の内容を皆さんが決定的に備えたのかという問題が、何よりも重要な問題なのです。

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 養子が直系の位置に行こうとするなら、アダムとエバの時代に天使長がもった心情的な全てのものを蕩減しなければなりません。猜忌というものを蕩減する為には、信仰の息子、娘が信仰の父母の腹中にいる息子、娘を、自分の生命より貴重に思い、愛さなければなりません。その次にサタン世界を取り戻さなければなりません。このような内容は、全て本質的な内容です。

 それは、皆さんが先生の息子、娘を愛さなくては入っていく事ができないという意味です。腹中から愛したか尋ねてみなさいというのです。先生を愛して、神様のみ旨をもっと愛して、腹中から私の息子、娘を自分の体よりも愛したのですか。問題は、自分より愛したのかという事です。イエス様は、「自分の息子、娘より、自分の家族よりも、私を愛したのか」と言いました。これをしなければ行く事ができません。それが引っ掛かっていれば、今からでも三年間で蕩減しなければなりません。

              *

イエス様が氏族的なメシヤとして立つ為には、

ヨセフ家庭とザカリヤ家庭が一つになった基台をつくらなければなりません。

そして、国家を蕩減しなければならなかったのですが、それができませんでした。

しかし、統一教会は、この国家に対して蕩減する事ができる民族的基盤を築いていっています。今は、氏族時代が過ぎた基台の上にいます。

 一つは真の御父母様に侍ったという事であり、また一つは真の父母の息子、娘という名前をもったという事です。子女になる事ができるというのです。それは、本当の子女ではなく庶子です。養子は血筋が通じていないのですが、庶子は血筋が通じるのです。そのような位置に立つ事なくしては、この世の中を救う道がありません。言い換えれば、氏族圏を越えて民族圏に向かってきたというのです。その圏内において、皆さんが祝福を受けました。

              *

 神様が万物をつくられましたが、主人になれずにいるというのです。本来、万物は、愛を通して、愛と一つになるその場で神様の所有として決定します。神様の所有として決定した真の御父母様を中心として、その真の父母の愛と因縁をもった基盤のもとで、真の父母の子女も愛の中から出てくるので、真の父母の息子、娘の所有圏が展開し、その息子、娘の所有圏を通して一つになる事のできる万物の基盤が愛と連結するとき、その息子、娘の所有物が出てくるようになるのです。

              *

イエス様とアダムの解怨を成就しなければなりません。

イエス様が間違い、

アダムが間違って父母になる事ができなかったので、

それを解怨成就しなければなりません。

それで、三代の為に生きなければなりません。

おじいさんから三代です。

アダムが蘇生であり、

イエス様が長成であり、

真の父母の息子、娘迄、

三代圏を連結しなければなりません。

これは不可避な事です。

              *

「真の父母の日」が展開する事によって、

「真の子女の日」が生じ、

「真の家庭の日」、

「真の国家の日」、

「真の世界の日」、

「真の天宙の日」、

真の神様の解放迄連結する事ができるというのです。

それ故に、どの時代であっても、

「真の父母」の名がなくては連結する事ができないという事実を知らなければなりません。

 皆さんの目は、先に真の父母に会いたかったというのです。どれほどこの目が涙を流したか分かりません。鼻が真の父母の胸で、真の父母のにおいをかいでみたかったというのです。偽りの父母に会った事を、どれほど嘆いたか分からないというのです。口が真の父母の話をして、真の父母の乳を飲みたかったのですが、偽りの父母のうそを学び、偽りの伝統を立てたのです。この耳が真の父母の話を聞いてみたかったというのです。この手が真の父母の胸を触って、真の母と真の父を引き寄せる事ができる手になりたかったのですが、偽りの父母と怨讐にもてあそばれ、恨を抱いた手になったのです。広げようにも広げる事ができず、握ろうにも握る事ができない恨の手になった事を知らなければなりません。

 永遠に真の父母に侍り、出発と同時に永遠に分ける事のできない真の父母の伝統を受け継ぎ、そこに満足感を感じて生きなければならない体であり心だったのですが、歴史の恨をもって悲惨さと怨恨を抱き、嘆息圏内から抜け出す事ができない心と体になったという事実を知らなければならないというのです。

 この地球星の全ての地も、真の父母が踏んであげる事を希望するというのです。真の父母の息子、娘が踏んであげる事を希望するのです。

              *

神様が家庭から所願成就できる道を計画されたので、真の父母を願われたのです。

真の父母の考えから真の父母を創造され、

真の父母の愛とともに一致する事を願ったというのです。

そうです、蘇生、長成過程を経て成熟し、

アダムとエバの結婚式が神様御自身の結婚式として、

人間と神様の愛が定着する事ができる一つの焦点を合わせなければなりません。

              *

ほかの父親には真の愛がありませんが、レバレンド・ムーンは真の愛をもっています。

それで、白人も喜び、黒人も喜び、万物も喜び、天地も全て喜ぶというのです。

私たち統一教会の家庭には、真の父母、真の子女、真の家庭、真の社会、真の国家、真の世界、真の神様がいるという事を知らなければなりません。

そして、永遠に変わらない真の血統をもっています。

人は、真の血統の橋を通じて、全て愛で連結されています。

愛を中心として、ここから始まり、神様迄、全て真の血統です。

 真の家庭は、一つの言語と文化をもつのです。文化は、言語を意味するのです。文化は、言葉によって、言語によって形成されます。

              *

新・旧約聖書を全て捨てても、真の父母を取り戻さなければならないという事実を知らなければなりません。真の父母をもたなければならないという事なのです。それで、真の兄弟が出てきて、真の国が出てきて、全て出てくるのです。それで、世界的な因縁を通じて基盤を築き、その父母が出てきたのちに、父母を通して子女が出てくる事ができるのです。そのような天地の調印式をしなければなりません。

それを神様が公認して、サタンが公認して、その次には真の父母が公認しなければなりません。その時から「真の子女の日」が世界的に設定されるのです。

              *

歴史的な転換時代に置かれている私たちの責任は、神様の身代わりの立場に立つ事であり、真の父母の身代わりの位置に立つ事であり、真の家庭と、真の国家、真の世界の代表者の位置に立つ事なので、歴史時代に孝子の中の孝子になるのです。歴史時代の孝子が私を本物の孝子だと称賛する事ができる天国の孝子にならなければならず、天国の忠臣にならなければならず、天国の聖人にならなければならず、さらには天国の聖子にならなければなりません。

              *

偽りの父母は、サタンの愛を中心として落ちたのですが、真の父母は、神様の愛を中心として上がっていくので、愛の世界へ前進していくのです。

愛とは偉大で永遠に平等なのです。愛という名前だけ聞けば、いくら高い位置にも一度に同参できる資格をもつようになります。女性が無学文盲で、男性が世界の大学者でも……。

それは、私たち人間がいくら不足でも、神様と愛の関係を結ぶようになれば、神様の位置に上がっていく事ができるという事です。そのような価値の内容がある為に、全ての人間の心はどうなのかというと、最高のものを願うのです。

世界を全てもったとしても、それ以上に良いものがあれば、またもちたいと思うのです。

              *

 偽りの愛の立場にいるものを真の愛で取り戻してこようと思えば、全てのものを否定しなければなりません。真の父母を通して、真の愛を知ったあとからは、過去、現在、未来に対する垣根がない、全てのものを完全に清算した息子、娘として生まれたという解放的な位置に立つので、皆さんが結婚をして夫婦で暮らす事ができるのです。そうでなければ、到底望めないというのです。イエス様も、今迄夫婦生活ができませんでした。

 世の中の家庭、氏族、民族は、全て滅びるようになっています。中心がないというのです。サタンがそのようにしておいたのです。神様は、その中で個人的中心、家庭的中心、国家的中心、世界の中心的存在を求めて、統一教会を通して祝福をしてくださったというのです。サタン世界の五十億の人類を滅ぼしたその代わり、それ以上の資格で立てたものが祝福家庭だという事を知らなければなりません。

キリスト教を中心として、

アメリカがアベルならば、ここ(ブラジル)はカイン、カトリック圏です。

ラテン文化圏、カトリックはカイン圏です。

お兄さんと同じだというのです。

プロテスタント、弟を通さなければなりません。

弟がこのカトリックを助けてあげなければなりません。

アメリカを中心に、新教で弟であるアベル国家圏の北米を一つにし、その上に父母様が来て、アメリカに築かれた全ての勢力基盤を通して、この南米帝国、カトリック文化圏を消化しなければなりません。先生がカトリック文化圏についていく為に来たのではありません。

また、統一教会がカトリック文化圏に従っていくのではありません。

統一教会が生まれれば、カトリック文化圏が統一教会を通して行かなければならず、ブラジル人が父母様を通して行かなければなりません。

そうでなくては行く道がありません。

              *

氏族的メシヤの氏族的基盤である百八十家庭は、

全てを天の前に奉献しなければなりません。

祝福される前の全ての所有、

家も、土地も、万物も、所有物というものは、

本来神様の所有だったのですが、

祝福とともにアダムの前に伝授してあげなければなりません。

これが原則ですが、堕落する事により、

神様が主人の立場に立つ事ができなかったのであり、

真の父母が主人の立場で来る事もできなかったのです。

今に至っては、主人の立場に立つ事ができなかった事を、

サタン世界で天使長の使命を行う事ができる人を通して、

息子を通して、母を通して、父を通して、族長を中心とした全体が献納しなければなりません。血統復帰、所有権復帰、心情圏復帰を、七代を中心として献納して戻っていかなければなりません。

              *

地獄が二つあります。地上地獄、天上地獄がありますが、天国の門は一つです。

地獄の門が開くからといって、地上から天国に直接入っていくのではありません。

真の父母を通して入っていくのです。

真の父母を通して入っていく門が、一つの天国の門です。

              *

所有権、心情圏、実体圏を神様に返してさしあげなければなりません。

家族と共に、国家と共に、世界と共に神様に帰らなければなりません。

それを祭物として、真の父母を通して神様に返してさしあげ、

全てのものを清算しなければなりません。

そのような基盤の上で、真の父母を通して皆さんの家庭の父母と、子女と、万物の所有権平面的基台が連結するのです。そこが地上天国です。堕落していない立場で所有権を地上に連結しなければならなかったのですが、堕落したので、蕩減の道を経て再度連結しなければなりません。

 そうすれば、天国の所有権、絶対的な愛の主権時代を迎える事ができるのです。そのような解放圏を迎える為に、家庭盟誓の八番に地上天国の解放圏を完成し、その目的を達成する事を宣言したのです。

              *

 いくら理想家庭を願い、いくら理想的な父母を願い、いくら理想的な夫婦を願い、いくら理想的な息子、娘を願ったとしても、ないというのです。それが、真の父母を通し、初めて総合的な完成が成されるのです。

 皆さんがそのような伝統の位置で、神様に代わり、真の父母に代わる後継者として天下になかった兄弟の位置で、同じ種の価値、アダムとエバが神様と一つになったものと同じ種の価値を成し遂げなければなりません。世界で収穫された家庭を拡大したその基盤で、全ての人間の新しい子孫の種を、神様と真の父母が一つになって蒔いた種と同じ価値の種をつくっておけば、チャンピオンの記録を引き継ぐ事ができる後継者になるのです。

力のある者が世界を指導するといいました。

お互いが力で対決して闘うのではありません。

力のある者が力をもつ事ができるように環境条件をつくり、

弱い者を全て巻き込んでしまって、チャンピオンシップ、新記録達成者のような行いをしているので、

これは、神様が願われる善意の競争を通して勝利の結果をもつ事ができなかったというのです。それ故に、これは、いずれ地球上で清算されてなくならなければなりません。

              *

世界の全ての家庭が、真の父母を中心として、「真の父母の息子、娘だ」と言う事のできる再覚醒が展開するようになる時、そこから世界的天国が顕現するのです。

世界の家庭全体を中心として、このようになる時、新しい地上天国の世界へ入っていくのです。

              *

成約時代というものは、全世界が等しく真の父母の恩恵を受ける事ができる場に入ってきたというのです。その代わり、血統転換、所有権転換、心情圏転換をしなければなりません。これが氏族的メシヤの責任です。正に女性時代になったのでこのような事が可能なのです。

              *

堕落したこの世界に、悪魔の愛と生命と血統を受け継いだこの世界に、神様の所有権を完全に奪われました。今、私たちは、これを元に戻さなければなりません。神様の真の愛を受け得る息子と娘が一つになり、この世界を収拾しなければなりません。神様の愛を受ける事ができる息子、娘を中心として、アダムとエバ、カイン・アベルを中心として失ってしまった家庭の血族的因縁を収拾しなければなりません。そして、万国が解放され、歓迎するその基盤の上で、この全ての悪魔の、サタン世界の所有権を真の愛の主人、愛を受け得るナンバーワンの男性と女性、ナンバーワンの息子、娘を中心として神様にお返ししてさしあげなければなりません。

全世界の人間たちは、真の父母の愛を通って行かなければなりません。その門を通らなくては、天上世界の本然的故郷の地へ帰る道がありません。地獄しか行く道がないのです。これをさかのぼっていかなければなりません。反対する国と闘い、勝ち進んでいかなければなりません。そして、今日の統一教会は、世界的メシヤ圏の勝利を受け継ぎ、国家的メシヤ圏を越え、氏族的メシヤ圏を尋ね求めてきたのです。サタン世界の氏族圏を中心として、サタン家庭に入っていって世界と交替しなければなりません。

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第四章 天一国の民になる道

一 人類に対する神様の希望

 神様と人間が一つのみ旨を中心として一つの愛に和合して生き、全天地が神様の愛を喜びながら、その愛を実際の生命の中心として立てた中で、全てが一つになって生きる事が神様の創造本然のみ旨でした。しかし、アダムとエバが堕落する事により、神様の愛は、神様の愛としてのみ残るようになりました。すなわち、人間と関係を結ばなければならない神様の愛は、人間と関係を結ぶ事ができずに人間から離れるようになり、全ての被造世界から離れるようになったのです。

 それ故に、今迄神様は、御自身が立てようとされたその愛を中心として、全ての万物を糾合し、神様と万物が共に喜ぶ事のできる一日を願われながら、六千年の歴史を経過してこられたのです。しかし、いまだ全被造万物が神様の愛を中心として一つに統一されないまま、その神様の理念は、理念のまま残っていて、取り戻さなければならない希望の愛もそのまま残っているのです。ですから、今迄神様は、そのみ旨を必ず成し遂げる為に摂理してこられたのです。

 このように、人間の堕落以後今日迄、時代を問わず、神様は、神様の希望を成し、人間に対して信じ得る心と、愛する事ができる一つの心を取り戻す為に、長い間摂理してこられたのですが、いまだにそれらを成し遂げる事ができず、取り戻す事ができずにいらっしゃるのです。

              *

 創世以後今日迄、宇宙的な勝利の一日を迎える事ができなかった神様は、地上の人間を通して、願われた勝利の日を迎えようとしていらっしゃるのです。それ故に、地上の人間たちがその日を探し立ててさしあげる事ができなければ、この地で人間を蹂躙しているサタンを処分する事ができないばかりでなく、天上で神様に人間を讒訴しているサタンの勢力も退ける事ができないのです。それ故に、神様は、いかなる苦労も意に介される事なく、いかなる犠牲も意に介される事なく、いかなる闘いも意に介される事なく、きょうこの時間迄、皆さん個人個人を立てる為に盾となっていらっしゃるのです。

 これを見れば、私たちは、神様の希望とは何かという事を知る事ができます。神様は、皆さん個人個人を立てられ、人間を堕落させた怨讐サタンを分別して、サタンが主管する悪の歴史を終結させようとしていらっしゃるのです。

 私たちは、そのような神様の希望を成してさしあげ、天の前や万物の前に堂々と立つ事ができ、神様に勝利の栄光をお返しできる人間にならなければなりません。そのようになってこそ、苦労してこられた神様の摂理の目的が成し遂げられるようになるのです。

              *

 神様は、アダムとエバを造られ、彼らが希望の人格者になる事を懇切に願われたのですが、そのアダムとエバが堕落してしまいました。堕落前から抱いてこられた慕わしい心情、堕落前から抱いてこられた希望の心情に対して、人類の先祖アダムとエバが裏切る事によって、神様の心には悲しみがしみわたるようになったのです。神様は、アダム家庭に対する悲しみの心情、憤りの心情を抑え、慕わしい心を再び取り戻す為にカインとアベルを立てられたのですが、彼らは、その希望を成してさしあげる事ができず、逆に悲しみだけを神様に与えたという事実を、皆さんは考えなければなりません。その後、千六百年という歳月を経て、再びノアを立てられました。しかし、結果は同じ事になりました。そこからまた四百年を経て、アブラハムを立てられたのですが、やはり同様でした。慕わしく思った一人に出会って心情を分かち合おうとされたのですが、アブラハムも、やはり神様が抱かれた慕わしい心情を完全に解いてさしあげる事ができなかったのです。そのようにして、数千年間抱いてこられた慕わしい心情を悟らせる為に、三代を経ながらヤコブ家庭を立てられたのです。しかし、その家庭においても、完全にみ旨を成し遂げる事はできませんでした。

 イスラエル民族を立てられても、このような慕わしい心情を躊躇なく話す事ができず、教える事もできず、支配する事もできない立場で、彼らのあとから従っていかざるを得なかった神様の事情を、私たちは知らなければなりません。

 慕わしく思ってこられた一つの民族形態を地上に立てられ、その民族が塗炭の苦しみに陥るたびに、神様は、その慕わしく思われる心に比例して苦衷を感じられ、悲しまれ、困難に遭われたという事実を、私たちは知らなければなりません。

 長い歴史路程を経てこられる間、神様は、慕わしい心情を私たちの心に植えつけ、歴史に植えつけ、世界に植えつける為に闘ってこられました。それ故に、私たちが接する物一つにも神様の慕わしさがしみ込んでいるという事実を知らなければなりません。私たちが対する食口にも、歴史的な神様の慕わしさがしみ込んでいるという事を知らなければなりません。私たちが生きているこの国、この世界にも、神様の慕わしさがしみ込んでいるというのです。

 したがって、私たちが目を上げて、神様がつくってくださった万象を見つめる時、その万象が神様の切実な慕わしさの対象だという事を感じなければなりません。万物でもそうであるならば、万物の霊長である人間はどうでしょうか。

 たとえ悪の姿をしていても、神様は間違いなく一つの基準をもって慕ってこられたという事実を皆さんが感じるようになる時、天の前に本当に感謝しなければなりません。

              *

 神様が、今迄数多くの悲しみの歴史過程を経てこられながらも、人類を捨てる事ができずに胸に抱いてこられた内容とは何でしょうか。それは、神様が人間に対して「お前は、私の実の息子、娘だ」と言い得るようになる事を願われたのです。このような理想を成し遂げる為に、今迄神様は闘ってこられたのです。

 神様の善の園において、神様の栄光の中で、神様の愛を中心として万物が和動する中で、万物の主人の資格を備え、神様に「私の父よ! 栄光をお受けください」と言えたはずのアダムは、堕落により、そのような価値を喪失してしまいました。ですから神様は、創世以後本然の息子、娘が現れて、「お父様」と叫ぶその一言をお聞きになりたかったのだという事を、皆さんは知らなければなりません。

今日私たちが叫んでいるそのお父様は、罪悪の立場から叫ばれる、そのようなお父様ではありません。したがって、私たちは、罪悪の世の中から抜け出して、善の理想の園に入っていかなければなりません。その理想の園とは、人間が神様の栄光を現し得る世界であると同時に、喜びに陶酔して生き得る世界です。別の言い方をすれば、人間が動ずれば万物が動じ、人間が静ずれば万物が静ずるようになり、人間と万物が動じ静ずると同時に、創造主である神様も動じ静じ得る世界です。そればかりでなく、神様と人間の相対的な関係を超越して一体となり得る理想の園なのです。

 神様はこのように、人間が神様御自身と一つになる事を願われたのであり、一つになった中で驚くべき愛を中心として喜びに酔う、その一場面を思い描きながら、そのような世界を創造してこられたのです。ところが、人間が堕落する事により、これが自分達の恨みとなると同時に天倫の恨みとなり、堕落以後今日迄、その恨みに恨みを加重させる悲しい歴史を引き起こしてきたのです。

 それでは今日、神様がこの地に対して摂理なさる最大の希望とは何でしょうか。それは、堕落の父母をもっている人類を再び神側に立て、「私は、あなた方の永遠の父であり、あなた方は、私の永遠の息子、娘だ」と叫ぶ事です。そのようにする事ができる日を迎える事が、堕落した人間たちの歴史的な希望であり、天倫に対する天的な希望だという事を、皆さんは悟らなければなりません。

              *

 今日、この地上には、数多くの人々が生きています。彼らは、各自のビジョンと意見をもって生きており、また何かの主義主張をもって生きています。しかし、心から神様に敬拝し、神様を主張しながら、神様から召命を受けたと、天と地の前で自信をもって立ち上がる人はいません。

 今、私たち人間が最後に取り戻さなければならない事とは何でしょうか。自らの主義主張と、自らのあらゆる主観的な行動を全て放棄し、自分の心と体は神様に代わり、自分は神様に代わって行動すると主張して立ち上がる人がこの地上に現れる事を、今日迄歴史上に現れて死んでいった数多くの人々が望んでいたのです。また、神様は、このような代身者が現れる事を願われ、無限な苦労と忍耐をされながら、長い間摂理していらっしゃるのです。

 したがって、地上の悲しみとは何かというと、何かの主義がなくて悲しいのではなく、また行動する人がいなくて悲しいのではなく、神様の心情に代わり、神様のみ旨に代わって主張する事のできる主義がなく、また神様に代わって行動する人がいないという事が悲しみであり、切なさだというのです。

 今日、この地と人間世界に散在している嘆息と苦痛と、しみわたっているあらゆる恨みを除去する事に対しても、神様に代わる事ができる主義主張と、神様に代わる一人の人が現れなければなりません。したがって、摂理の目的もこの一人であり、歴史の目的もこの一人だという事を知らなければならない時になったという事を、皆さんは再び感じなければなりません。

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 皆さんは、神様に代わって心から本当に信じる事ができる一人の友人をもたなければなりません。さらには、神様に代わって信じる事ができる一つの兄弟、父母、夫婦をもたなければなりません。そのようにして、家庭を超えて、社会、国家、世界の舞台に迄伸びていかなければなりません。これが神様の願われた希望だったのです。

 しかし、神様は、人間を個人の立場で追い出され、信じる事ができない立場に立てられ、人間世界のいかなる希望も全て絶たれた中で、人間をして神様を信じさせるようにされました。そのようにして、その信じる人が一つになって、すなわち兄弟同士、友人同士で、神様に代わってお互いに信じ得る関係を結ぶ事を神様は願われたのです。これがまさしく神様の願われた最高の希望なのです。

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 レバレンド・ムーンがサタンに、「サタンよ、お前が要求するものは全て満たしてあげたか、あげなかったか」と尋ねれば、「満たしてくれた」と答えるというのです。神様の本然の愛を中心とした全てのものを中心として、堕落したサタン迄も愛して余りあるほどに、天国に入っていき得る堂々とした基盤を築いたので、サタンは、「あなたが行く世界は解放であり、あなたの願いで成し遂げられないものはない」と言って祝福しなければなりません。「どこに行こうと、あなたが願うもので、成し遂げられないものはなく、あなたが願うもので、あなたのものではないものはありません」と言うというのです。

 「神様のみ名によって、真の御父母様のみ名によって、真の家庭の名によって世界は解放されなければならない!」と言う時は、「アーメン」と答えるようになっているのです。春が来ました。雪がどれほど冷たく、氷がどれほど硬いとしても、溶けるようになっているのです。ですから、春の季節には種を蒔きなさいというのです。サタンが悪の種を蒔いた以上に世界の果て迄、アメリカの果て迄種を蒔くのです!

 良い種は、家庭です。サタンは一つ植えたのです。それが堕落したアダムとエバです。今、私たちは、新しい家庭をつくる為に、どこにおいてもそれを築き上げなければなりません。そこにおいて全てのものを栽培する事ができます。それをこのアメリカの地でしなければなりません。それが神様の願われた目的です。

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 神様が男性と女性を造られ、大きくなる事を願われたのは何ゆえでしょうか。愛するためです。愛するためだとすれば、その愛は神様よりも高くなるほうが良いでしょうか、低くなるほうが良いでしょうか。神様が、「おい、お前たち! 私がお前たちを愛するよりも、お前たちが私を愛するほうが大きくなってはいけない」とおっしゃるでしょうか。そのようにはおっしゃらないというのです。

 それでは、今皆さんが永遠の神様とつかみ合って闘えば、神様のほうがより情熱的でしょうか、それとも弱いでしょうか。情熱的です。神様には、全てあります。ないものがありません。神様がより情熱的な時は、どのような時でしょうか。新しい男性と女性が現れて、昔の私たちの先祖よりも情熱的に愛するようになれば、神様も息切れされるようになるのです。

 そのような情熱的な夫婦に出会ったならば、神様は、人間と離れて生きられるでしょうか、それともくっついて生きられるでしょうか。くっついて生きられるのです。したがって、愛を中心としてのみ、愛においてのみ永遠性があるという事を知らなければなりません。真の愛には永遠という概念がある、という話が成立するのです。

二 天一国は本然の故郷

 人間は、誰かの子女にならなければなりません。その誰かの子女とは、神様の子女の事です。誰かの兄弟にならなければなりません。その誰かの兄弟とは、神様の家庭の兄弟です。誰かの夫や妻にならなければなりません。それは、神様の家庭の夫や妻の事です。

 内的な神様の全てのものを実体的なものとして御覧になり、刺激をお受けになる為に、神様はアダムとエバを創造されました。アダムとエバは、第二の実体の神様です。愛の相対を必要としてお造りになったからです。神様の愛の相対は、猿ではありません。人間以外にはいないのです。

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 今迄神様は、所有権をもつ事ができませんでした。サタンが全て所有したのです。サタンの国、サタンの民、サタンの物、全てがサタンの所有です。サタンが神様の所有権を盗んでいったのです。真の父母も所有権をもった事がありません。いまだに真の子女、真の国、真の世界としての所有権をもった事がありません。真の人、真の男性と真の女性が生まれなかったのであり、所有し得る人が生まれなかったので、そのような所有権をもつ事ができなかったのです。

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 今迄神様は、所有権者になる事ができませんでした。悪魔が主人になったのであり、神様の息子、娘が主人になる事はできませんでした。主人に代わって悪魔と悪魔の息子、娘が、神様の創造された被造物に対して権勢を振るい、害を被らせてきたのです。これを全て回収しなければなりません。万物は、全て本然の父母のもとに帰らなければなりません。真の父母と真の子女、真の国、真の氏族のもとに帰らなければなりません。

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 今、私たちは、誰々の息子、娘、誰々の兄弟という考えから抜け出さなければなりません。私は、神様の息子、娘であり、真の父母の息子、娘であり、世界と天宙を解脱させる相続権を受け継ぐ事ができる私自身だというのです。そのような私に、サタンの立場で一族が矢を投げつけましたが、私が何千年の歴史を経るのではなく、生きている間に私の備えるものを全て備えてメシヤとなり、過去に反対した一族と父母を訪ねていって救ってあげられる平面的再臨の形態を備え得る、このような時代を迎える事により、初めて地球星の天国化が可能なのです。

 このように見るとき、今日、祝福家庭が今迄暮らしてきた生活と行動は、全て零点です。悪魔の巣窟の中にいたという事を知って、自らの解放圏を迎える為に努力しなければなりません。そのようにせずに、昔と同じ習慣性をもって息子、娘を抱いてそのまま幸福になる事を願えば、全て滅びるのです。

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 イエス様がエルサレムを回られる時、道端にあるいちじくの木を見て、実がないといって呪われました。すると、そのいちじくの木は、たちまち枯れてしまいました。実がなければ、そのような結果が訪れるのです。

 未来国家を建設するにおいて、あなた方が神様の為に準備したものは何ですか。それは、実を意味し、中心核を意味し、事実を意味します。それは何でしょうか。神様の国の民です。神様の国の民は、りんごや桃の実ではないというのです。

 今迄神様は、天国の民をおもちになる事ができませんでした。ですから、今、その本然の民を救っているところなのです。完成した民をもつ事ができなかったのです。

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 真の国を地上天国と呼びます。その国ができてこそ、神様が本然のアダムとエバに「完成した時に、あなた方は、万物を主管しなさい」と祝福されたそのみ旨を成し、人間は初めて、この地の真の主人として現れる事ができるのです。また、その時に初めて人類は、お互いに真の兄弟になる事ができるのです。その時に初めて私たちは、神様の真の息子、娘になるのです。天のお父様に対しては真の孝子、孝女になり、主人に対しては忠臣になり、この宇宙万物に対しては真の主人になるのです。そのようになれば、神様は、私たちに全権をゆだねられるのですが、外的な全権だけではなく、内的な全体の心情の中心迄移してくださるようになるのです。神様が全てのものをゆだねられても安心する事ができる息子、娘になるのです。

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 人類歴史は、暗い夜を過ぎ、夜明けを経て新しい光明の太陽を迎える為に進んでいます。それでは、太陽とは何を表しているのでしょうか。人類の太陽は「人類の父母」を表しています。この父母が現れる迄は、人類の故郷である本郷の地が現れる事はできません。

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 愛の故郷をもつ事ができるという事実は、氏族的メシヤの福音であり、朗報です。その次には、祝福を中心として血統が転換されるのです。今からは、故郷が私の故郷になるのです。私の血筋は、そこから流れ出てきました。その血筋を広め、万国の愛の流れがきれいな水になり、天国という大海に入っていくのですが、そこが霊界です。

 霊界は、この地上の愛の大海が連結された世界であり、そこが天上天国です。それ故に、あの世では、愛の体恤心情をもたなければ生き残る事ができないのです。

 愛の心情は、子女の心情、その次には兄弟の心情です。兄弟は拡張であり、夫婦は統合です。このように一つになって中央を占領するのです。

 結婚とは、本然的神様が愛という概念を中心として一つになる事ができるようにされた事です。彼らは、成熟して愛を中心に一つになる事によって、この実体の位置で神様と一つになるのです。そこにおいて何が垂直かというと、愛が垂直です。それ故に、縦的な神様を中心として、初めてここにおいて横的なアダムとエバが、縦的に運動する愛の実体の前にさっと入ってくるのです。そのようにして、初めて家庭的な定着地が生まれるのです。

 個人と家庭、氏族、民族、国家、世界がこの一点を中心として定着するのです。これが軸です。

 神様は男性格主体だと言ったでしょう? ですから、男性が中心です。なぜ男性が中心かというと、赤ん坊の種、生命の種をもっているからです。女性には赤ん坊の種がありません。それが核です。愛の種も、生命の核と接するためのものです。神様と一つになるためのものです。生命の種が神様でしょう? それ故に、理論的で、核心的な定着点は、神様の愛と一致する所です。

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 現在、堕落圏内にいる私たち人間が行かなければならない目的地は、天国です。別の言い方をすれば、還故郷しなければならない、故郷へ帰らなければならない、このように思うのです。故郷へ帰るにおいては、私一人では行く事ができません。創造目的というものがあるので、創造目的を完成した立場で故郷へ帰っていかなければなりません。

 堕落していないアダムとエバの立場から見れば、たった二人で帰ったとしても、彼は天地を代表し、世界を代表し、国を代表し、家庭を代表した立場で帰っていく事ができるのです。これが、本来神様によって息子、娘として造られたアダムとエバに賦与された責任でした。

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 自分が生まれた故郷を中心として、いかにしてこれを天国の故郷に代置して拡大させるかという事が問題です。それ故に、氏族的メシヤを設定したのです。氏族的メシヤを設定する事によって、母親はアダム家庭に代わり、それから自分はイエス様に代わり、先生は再臨主に代わるのです。三代、二代、一代が、歴史の根源地である自分の先祖と真の父母圏を横的に連結するのです。

 それ故に、自分を生んだ母親がアダムとエバに代わり、皆さんはイエス様に代わり、先生は再臨主に代わるのです。これによって、皆さんの母親と皆さんの生まれた場所が天国の故郷になるのです。天の領土圏内にある故郷の位置を再び復帰してきたのです。

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 皆さんの故郷は、故郷ではありません。国が故郷となり得る時が来たのです。それ故に、皆さんがあの世に行くようになれば、今迄あった境界線はなくなります。今は故郷に境界がありますが、このような事をしておけば、霊界に行って国境なく連結する事ができるのです。どの故郷の地にも連結する事ができる地上天国の基盤ができるのです。

ですから、これを連結すれば、全ての国家の戸籍に入籍したものが、そのまま天国に編入されるのです。ですから、堕落せずに繁殖した人間の故郷が天国の故郷に代わるようになったので、天国に生まれた立場に立ち、全て接ぎ木されて天国に入っていくようになるのです。そのようにして、故郷復帰が成されるのです。

 そのような故郷、そのような国家が復帰されれば、天宙が復帰されるのです。そのような基盤の上で真の父母復帰が完成するのです。真の父母復帰、真の父母が立つ事ができる位置で、このように全ての天国の条件、天宙復帰の基盤を完成してこそ、真の父母が使命を完成するのです。

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 皆さんの故郷はどこかというと、真の父母が生まれた所であり天国です。ソウルが真の父母の生まれた所であり天国ですか。そのコンセプトをどのように克服するのですか。そのコンセプトをどのように越えていくのですか。「私は全羅道の人だ。私は京畿道の人だ。私は韓国人だ。私はアメリカ人だ!」というコンセプトを神様は願われません。エデンの園のアダムとエバに、そのようなコンセプトはなかったというのです。

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 神様の遺業を相続する為に最後に越えなければならない条件とは、神様をもち、真の父母をもち、真の兄弟をもち、真の民、真の国、真の世界をもたなければならないという事です。「全人類が私の兄弟であり、あなたと私は永遠、不変だ」と言う事ができ、分ける事のできない兄弟の心情を通じて、天的家庭の家族として生きる事ができる人にならなければなりません。

 「この地は私たちのもの、天は私たちのもの、父は私たちの父だ」と言う事ができる真の家庭を中心として、この地上に真の国を成し遂げ、神様の遺業を相続する事ができる皆さんにならなければなりません。

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 今日、私たちの信仰生活と神様を信じるというキリスト教を注意深く見てみるとき、天国に残る事ができる民は、どれくらいいるでしょうか。さらには、「神様の所有だ」と永遠に主張する事ができる民族はどこにいて、「神様の国だ」と主張する事ができる地はどこにあり、そのような物、そのような人はどこにいるのかというのです。これを皆さんは知らなければなりません。

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 どれほど立派な夫をもらい、どれほど良い暮らしをしたとしても、神様が分からなければ、地獄に行くのです。神様の民として入籍しなければなりません。いくら有名なハーバード大学の総長だったとしても、神様の国の民として登録されなければ、地獄に行くのです。

家庭、社会、国家、世界、人類の歓迎を受けたのちに天国に入っていくのです。

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 天一国には、主権と国と国民が必要です。ですから、昨年(二〇〇一年)の神様王権即位式は主権復帰でした。それから、神様祖国定着大会は領土復帰であり、その次には天一国国民として入籍するのです。分かりますか。ですから、カードをもって初めて国民になるのです。国が形成される為には、主権と領土と国民が完備されなければなりません。それが完備された上で、このような天一国の万世安着を宣布したという事実を信じ、神様のように自信をもち、文総裁、真の父母のように自信をもって一気に押せば、押す事のできないものはないというのです。

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 神様の王権を樹立したのは神様ではありません。真の父母です。分かりますか。天一国をつくったのは神様ではありません。真の父母です。

 天一国という言葉は、天宙平和統一国です。「天」という字、これは二人です。二つの世界です。これは水平です。天国と地上の人です。天の人と地上の人の二重構造になっているのです。皆さんは心と体の二重構造になっているでしょう。心と体は、一つになっていますか、なっていませんか。闘っていますか、統一されていますか。闘っている人は、天一国の国民になる事ができません。

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神様王権即位式ののちには何をしたのでしょうか。韓国において先生が何をしましたか。神様祖国定着大会をしたのでしょう? それは、真の愛の血統を受け継ぎなさいという事です。それを世界的に行いました。その次には何をしたのでしょうか。天一国を宣布しました。天宙平和統一国です。それが天一国です。

それでは、天一国とは何でしょうか。二人が一つになる国です。分かりますか。天は二人でなければなりません。父母は二人でなければなりません。全てペア・システムになっているのです。天一国とは何でしょうか。昆虫世界、動物世界から、全てペア・システムになっています。それが一つにならなければなりません。二つの物、二人の人、二人の父母、二つの性格、主体と対象が一つになった所には本然の基台が生じ、神様がお立ちになる事ができるのです。

 聖書にも、「もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら」(マタイ一八・一九)となっているでしょう? 神様迄合わせれば三人でしょう? 同じ事です。二、三人の人が国の基盤になるのです。家庭の基盤になり、国の基盤になり、世界の基盤になるのです。そこから家庭が生まれ、氏族の出発がなされるのです。二人以上でそのようになるのです。

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きょうは、天一国二年十一月五日、第四十三回を迎える「真の子女の日」でございます。「神の日」と「子女の日」と「万物の日」を総合して、エデンの園において家庭で成し遂げる事ができなかった事を、天上世界に迄拡大した人類を中心として、エデンの家庭完成を総決算する事ができる天一国を中心とした平和統一平定時代を発表いたしました。

神様が、天上地上平和統一解放聖火式の終わった各祝福家庭を訪問するにおいて、支障なく思いどおりに訪問され、苦楽を共にする事ができる時代として、同じ生活圏において迎える事ができるように、天上世界の願いは地上にあり、地上世界の願いは天上にあるので、天の願いどおり、地の願いどおりにお互いが一つになって平定された基準に立ち、解放された忠孝の道理を残し、天国中心の先祖たちとして地上に残る事ができるように祝福してくださる事を懇切にお願い申し上げます。

 きょう、天一国平和統一平定時代の到来を発表し、今や、霊界の恨を解き、地上に再臨して子孫たちを協助し、また教団の教主たちは宗教を中心として世界に協助し、不義によって苦衷の中に束縛された天の全てのものを解怨成就し解放する事ができる時代、自発的に、自由に活動する事ができる時代、蘇生の天国を創建する事ができる時代を迎えましたので、許諾してください。

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 きょう掲げた標語は何ですか。真の愛で? 私たちの家庭は天一国の孝子、忠臣、聖人、聖子の真の家庭を完成させます。ここには神様の創造理想の全てが入っています。この真の家庭を中心とした孝子の伝統を受け継ぐのが忠臣であり、忠臣の伝統を受け継ぐのが聖人であり、聖人の伝統を受け継ぐのが聖子であり、聖子の伝統を受け継いで王権が樹立されるのです。

 ですから、相続とは、王権を手にしたその基盤において成されるのであり、自分のもっている所有意識であれ、国に属しているものは全て否定されなければならないのです。それは、あってはならず、いずれにしろ決別しなければならない堕落した結果だというのです。神様が願われない怨讐の血筋で連結された汚れた世界です。神様は、そこに影を掛ける事も願われないのです。

 それ故に、神様は、今日この世の中の全ての悪の世界、戦争によって数多くの人々が死んで滅び、栄枯盛衰を経てきた今迄の全て世界に対しては管掌なさる事ができなかったのです。

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 一度神様の前に一〇〇パーセント本物の孝子の家庭になってみたいと思いますか。そのようになってみたいと思うならば、何が惜しいでしょうか。それしかありません。そのようになろうと思えば、自分の七代先祖から燃やして祭物にしたとしてもしなければなりません。祖業田や国迄売ったとしてもしなければなりません。このようになっているにもかかわらず、「総生畜献納を教会に納付しなさい」と言っても躊躇し、食べて残ったものを……。アナニヤがペテロの前でそのような事をして、夫婦ともその場で死んでしまい、地上から消えてしまったという聖書の話を知っていますか。それよりももっと恐ろしい時代が来たという事を知らなければなりません。

三 天一国の民の態度と資格

 神様は、ただ外的に民族の形態だけを備えた民族を待ち望んでいらっしゃるのではなく、外的な形態だけを備えた国家を待ち望んでいらっしゃるのでもありません。民族がいれば、その民族を動かす事ができ、国家と主権があれば、その国家の主権を動かす事ができる、心情で連結された一つの主権と、一つの民族と、一つの民を待ち望んでいらっしゃるのです。

 選民ならば、彼らは、神様がいかなるお方かを知り、いかなる目的の為に自分達を立てられたのかを、はっきりと知らなければなりませんでした。そのようにして、いかなる苦難に直面しても、いかなる艱難が迫ってきたとしても、それを貫かなければならなかったのです。このような事が、当時のイスラエル民族の取るべき態度であり、神様に対する心的基準でした。

 しかし、選民である事を誇ったイスラエル民族は、歴史路程において神様に多くの罪を犯しました。勿論、その時代に対する犯罪よりも、その時代を動かしている神様の心情に対する犯罪のほうが大きかったという事を、まず私たちは知らなければなりません。

 それでは、神様が人間を復帰するには、何から復帰しなければならないのでしょうか。願いも願いですが、事情、さらには心情を復帰しなければなりません。切っても切る事ができず、分けても分ける事ができない心情の世界を復帰しなければなりません。ですから、今迄神様は、心情の基台を広める為に、その一日を見つめながら、歴史の峠ごとに背後で苦労してこられたのです。今日私たちは、このような事実を知らなければならないのであり、これを知らなかった先祖に対しては、公憤の心情を抱いて抗議しなければなりません。

 私たちが様々な事情に絡んだ生活環境で暮らしているとしても、それは結局、全て過ぎ去ってしまうものです。いくら「地上で幸福な生涯を生きた」と言って自らの栄華を謳歌する者がいたとしても、それは全て過ぎ去ってしまうのです。

 しかし、何かの使命をもって生涯を生きた人ならば、その人には残るものがあります。それは何でしょうか。事情ではなく、事情を支配し得る心情です。この心情が歴史を支配し、民族精神を鼓吹させ、思想を連結させていくのだという事実を、私たちは否定する事ができません。

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 今迄神様が働いてこられたとすれば、それは、人間を救援し、御自身のみ旨を成すためです。神様のみ旨とは、神様の国を成し遂げる事です。それ故に、その国の民となる事ができ、その国の息子、娘となる事ができ、御自身の側にいる事ができる人を育ててこられるという事は、間違いないというのです。

 神様は、どこに国を建てようとしていらっしゃるのでしょうか。霊界に建てようとしていらっしゃるのではありません。正にこの地に地上天国を建てようとしていらっしゃるのです。それでは、この地に立てられ、神様の国の民となる事ができる資格者とは誰でしょうか。それがまさしく皆さんです。皆さんは、天国を建国する事ができる中心です。

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 皆さんは、「過去の人間は、こうだったのだなあ。今日の私は、どうであり、今後はどのようになろう。神様の事情はこうであり、神様のみ旨はこうであり、神様の心情はこうであり、お父様は悲しいお父様だったので、私はそのお父様の前にどのように進んでいかなければならないのか。お父様が血と汗と涙をもって祭物となってこられたので、その祭物を受ける為には、血と汗と涙を流さなければならない」。このようにして悲しい涙をもって、「お父様は、与える為に悲しんでこられ、与える為に血の汗を流してこられたが、私たち人間は、受ける為に死に、受ける為に涙を流し、受ける為に苦痛を受けてきたので、授け受けする事ができるその一日は、どれほどの喜びとなるだろうか。涙で出発し、喜びの涙が目の前を遮り、しみわたった恨が込み上げて爆発し、私の口で喜びと栄光と勝利の凱歌を歌う事ができるその日をもたなければならない」。こうでなければなりません。

 そこにおいて初めて神様が、「お前は私の息子だ、お前は私の娘だ」とおっしゃる事ができ、天下万物の全ての福を前に置いて、心情と事情が通じ合う立体的な理念圏内において、神様が「お前は私の息子であり、私はお前の父だ」とおっしゃる事のできる父子の因縁を復帰して印を受け、初めて天の家庭を築き、天の民族を築き、一つの世界、一つの主権、一つの天地をつくる事が、人間である私が取り戻さなければならない因縁の中心だという事を、皆さんははっきりと知らなければなりません。

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 天国の民の段階に入っていかなければならない運命が、皆さんの前に置かれています。このような皆さんは、新たな歴史的な意識をもたなければなりません。私という一存在は、自分の為に生きようとするのではなく、天国の民である同胞の為に生きようという観念をもたなければなりません。それだけではなく、天国の兄弟の為に、天国の夫婦の為に、天国の父母の為に努力しようという観念をもたなければなりません。それは、部分的な観念ではなく、宇宙的な観念です。

 ただイエス様を信仰する人として、むやみにイエス様を信奉するのではなく、内的にも外的にも天地の運勢と和合してイエス様を信仰する人にならなければなりません。神様は、宇宙的な摂理を中心として、天国復帰の理念を立てていらっしゃいます。私たちは、そこに立つ事ができる息子、娘、そして民にならなければなりません。そして、天国の同胞を愛する事ができなければなりません。

 皆さんの周囲に信じる民がいれば、皆さんは、彼らを兄弟と、また同胞と思う事ができる人にならなければなりません。また、全ての人がそのようになるようにしなければなりません。このような事を考えてみるとき、皆さんの責任は、この上なく大きいのです。

 六千年歴史を縦的に見れば、旧約時代には天の民を集め、新約時代には天の子女を集めました。このように歴史は逆に流れてきたのです。

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 この地の誰もが異口同音に、今日を「終わりの日だ」と言っているこの時、すなわち歴史的な終結、科学的な終結、倫理と宗教的な終結を予告している世界的な終末時代に置かれている皆さんは、どのようにしなければならないのでしょうか。

 イエス様が叫ばれたみ言、すなわち「まず神の国と神の義とを求めなさい」のように、自らの事は考えずに、ただこの地上に神様の国と神様の義を立てる為に不変の忠誠を尽くす人にならなければなりません。そのようにして、皆さんは、自らを万宇宙に誇る事ができなければならず、神様の代身者の使命を完遂する人にならなければなりません。

 すなわち、その国の本質的な理念の内容を皆さん自体の生活に適用し、それが皆さんの生涯の実体的な価値を形成し、永遠の未来を約束する希望の一日を実現するようにしなければなりません。もしそのような皆さんになる事ができなければ、皆さんは、神様がアダムとエバの堕落以後四千年間苦労されたのちにイエス様を送られて役事させたみ旨と、イエス様以後今日迄、イエス様と聖霊を合わせた三位神が役事してきたそのみ旨とは、何の関係もなくなるというのです。

 このような観点から、今、皆さんは何を探し出さなければならないのでしょうか。皆さんは、その国とその義を立てる事ができないようにしている、すなわち天宙的な理念を立てる事ができないようにしている不義の条件を探し出さなければなりません。そのようにして皆さんは、一身の生活において闘争して勝利し、神様の息子であるイエス様に代わる存在にならなければなりません。すなわち、皆さん自身が、その国に処する事ができる人、その国の義の民になろうとすれば、食べる事、着る事で争う愚かな人になってはいけません。食べる問題、飲む問題、着る問題を超えて生きる人にならなければならず、むしろそのような物が自分に少しでも付与されれば、ぼろを着て飢えている人にそれを分け与える事ができなければなりません。一切れのパンがあれば、そのパンを一人で食べるのではなく、多くの人に分け与えたいと思っていらっしゃるのが神様の心情です。イエス様は、このような心情を身代わりしたのですが、イエス・キリストの前に現れた人間たちは、そうではありませんでした。

 それでは、今日、家庭において不和が生じる原因、争いが起きる原因はどこにあるのでしょうか。それは、家庭は自分だけの為に存在すると考えているからです。食べ物があれば、それは自分だけが食べる為にあると考えるので、争いが起き、不和が生じるのです。正にこれが罪の矢であり、サタンだという事を、皆さんは肝に銘じなければなりません。

 それ故に、今日皆さんは、食べる問題を解決しなければならず、着る問題を解決しなければなりません。自分だけの為に生きようとする心、すなわち家庭不和の条件を打破しなければならず、正にそのような歴史的な矛盾を踏み越えなければならないのです。このように、皆さんは、衣食住の全ての問題を超え、真の勝利者の姿をもって神様の前に現れなければならない立場に立っている事を忘れてはいけません。

              *

皆さんは、国と義の為に生きる人にならなければなりません。いかなる難しい環境に直面したとしても、自分自身に対する父の願いがある事を思いながら、その環境と闘って勝利する人にならなければなりません。そのような皆さんになって初めて「神様の真の息子、娘だ」と言う事ができるのです。

それでは、神様の国を建設する事ができる人とはどのような人でしょうか。自分自身を否定し、切ない心で神様の為に生きる人です。自らを否定し、社会と民族、国家、世界の為に生きる人が、まさしく神様の国を建設する事ができる人だというのです。さらには、国家と世界を否定しても神様の為に生きる人が、天国を建設する事ができる人だというのです。また何かの悲しい環境に直面しても、自分自身の為に悲しむのではなく、社会と国家、世界、ひいては神様の為に悲しむ人であってこそ、神様の国を建設する事ができるのです。

今日、皆さんは、皆さん個人の何かの欲望を満たす為に努力するのではなく、より大きな目的の為に犠牲となり、奉仕する信仰生活をしなければなりません。そのようにして、ただ神様のみ旨と人類だけの為に苦労されたイエス様の心情的基準迄行かなければならず、今迄苦労してこられた神様の切ない心情を慰労してさしあげる神様の真の子女の立場迄行かなければなりません。

皆さんは、不義を見れば憤慨する心をもち、また与えたいと思われる神様の愛をもち、この世の果てに迄行って、神様の国と神様の義を探し立てる為に苦労しなければならず、さらには、今迄人類を救援する為に悲しみの中で苦労してこられた神様の心情を慰労する事ができなければなりません。

 それだけではなく、皆さんは、神様の国と神様の義を探し立てるその過程において、サタンとの闘いで敗北せずに勝利し、個人から家庭、社会、民族、国家、世界を一つに連結させる事ができなければなりません。すなわち皆さんは、いかなる立場に置かれたとしても、そこにおいてサタンと闘い、勝利する人にならなければなりません。

 社会に出ていけば、その社会のどのような環境の中でもサタンと闘い、勝利しなければならず、国家に出ていけば、その国家の最も難しい問題に責任をもって立ち上がり、サタンと闘い、勝利する人にならなければなりません。

 もしこのような人が現れれば、私たちがその人を見ると、今は滅びるように見えるのですが、あとから繁栄するようになるという事を、皆さんは知らなければなりません。また、正にそのような人が、家庭や職場、団体、国家の主人です。家庭において父母の為に自らの生命を捧げて孝の道理を尽くし、夫と妻が各々烈男烈女の道理を尽くし、国王の為に忠臣の道理を尽くす人が、正にその家庭の主人であり、その国家の主人です。

 このような心が皆さんの心の中からわき出てきて、体と一つになり、サタン迄も皆さんを尊敬して従うようになる時、初めて皆さんは、その国とその義を探し立てる民として立つ事ができるのです。

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今日、数多くの人々は、「私はいかなる人間だ」、「私は国の民だ」と言って誇っています。今日、アメリカ人たちは、「大国の民だ」と言って誇っています。しかし、それは永遠ではありません。アメリカは、自分の国だけの為に生きているのであって、他の国の為に生きなければならないという事を知らずにいます。昔、ギリシャ文明がローマの為にあったという事実を知らなかったのと同じです。ローマも、自分の国の文明がイギリスを経て現代文明の為にあったという事を知りませんでした。それ故に、今日、アメリカの国民は、自分の国の為に働くのは勿論ですが、他の国の為にも働かなければならない事を知らなければなりません。しかし、大部分のアメリカ人は、これを知らずにいます。そのような中でも、自分達だけの為に生きるのではなく、天倫の為に働かなければならないという理念が一部の人々に立っているという事は、不幸中の幸いです。

 今日、統一教会に集まった皆さん、皆さんは小さな教会に座っていますが、これを広げれば世界に代わる事ができ、さらには天城に代わる事ができるという心情を感じたとすれば、問題は解決するでしょう。いかなる事も解決する事ができるのです。皆さんは、神様のみ旨を身代わりした子女なので、神様をこの世界の主人として侍る天国の民にならなければなりません。そして、皆さんは、いつどこにおいても、父のみ旨から外れる事ができないという事を肝に銘じなければなりません。

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 歴史的な終末時代において、私たちは、華やかに着て、おなかいっぱいに食べて生きる民族ではなく、歴史に代わって耐え、奉仕する民族にならなければなりません。逆さまにならなければなりません。そうであってこそ公平です。主権をもって他の生命を奪ってきたいかなる理念にも、反対の立場に立たなければなりません。そのような時が来なければなりません。必然的に、このような過程を経なければならない歴史路程です。そうでなければ、道がふさがります。

 そうだとすれば、神様が行く道、神様の息子、娘が行く道、神様の民が行く道とは、どのような道でしょうか。耐えて、奉仕し、犠牲になりながら行く道です。皆さんは、耐えるにおいて盲目的であってはいけません。救い主の為に、神様の為に耐えなければなりません。神様のみ旨の為に耐えなければなりません。一時があるので、その時の為に耐えましょう。それ故に、再臨思想がない高等宗教はありません。

 一時が来ると言いますが、その時とは、どのような時でしょうか。心の主体であられる神様が、心の目的を達成される時です。人間は、心の主体であられる神様のみ旨に従って闘い、その時の為に探し求めていかなければならない歴史的な運命に置かれています。人間が神様に従い、神様の目標に向かっていくところでは闘いの路程がないはずがないので、このような曲折を記録しているのが歴史です。

 その闘いとは、どのような闘いでしょうか。耐える者が先に打たれる闘いであり、犠牲になる者が支配される闘いであり、新しい理念と新しい希望をもって立ち上がる人々が殺される闘いです。そのような闘いの歴史路程でした。それ故に、この地上で善を叫んできた人は、誰もが苦痛の路程を耐えなければならなかったのであり、民族に代わって犠牲にならなければならなかったのであり、自分の信念を曲げない為に死の場に出ていかなければならなかったのです。

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 貧しく暮らしている人に対しては、助けてあげなければなりません。日本を中心としてアメリカを助け、アメリカを通して飢えて死んでいるアジアの人、可愛そうなインドのような所を助けなければなりません。この世界の人々は、一つの国の人々です。アメリカ人がアメリカの国民を愛するよりも、天の国の人が天の国を中心として愛するほうが、より強いというのです。

 今、韓国は悲惨な立場にありますが、ここで支援している全てのものをもって韓国を助けてあげれば、韓国民族が私を褒めたたえながら喜ぶ事を知っています。しかし、私は、韓国を助けずに、アメリカに来て、このような事をしているのです。なぜならば、アメリカには世界へ向かい得る、より高い次元の何かがあるからです。

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 自分の生活文化の背景に歴史時代の痕跡が残っていては、本然の純粋な天国の民になる事ができません。サタン世界の文化背景を中心として習慣化した、そのような痕跡は、天国の本然の世界にはあり得ないというのです。生活的、習慣的な要素が残っていては天国に入っていく事ができないのです。

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 民さえ転換すれば、地は自然に転換するようになります。主権さえ立てられれば、民も転換し、国も転換するのです。ですから、レバレンド・ムーンは、世界的な主権を手にする事ができる最も近い基地であるアメリカとソ連に対して関心をもつのです。今迄、ソ連はアメリカと両極化していましたが、彼らさえも世界の頂上で一つに統一されています。神様は、そのような頂上を導きたいと思っていらっしゃるのです。強いて比較するならば、そのようになった時、導いていく機関車のようなものがレバレンド・ムーンだというのです。

 このような一つの主権における一つの民、一つの地、一つの文化圏がエデンの園ですが、エデンの園には言語問題がないというのです。なぜならば、天国には天国の母国語(真の御父母様の言語)を使う人が入っていくようになっているからです。

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 一つの国家を見ても、そこには代表者がいて、氏族には氏族の代表者がいて、家庭には家庭の代表者がいます。人間は、このような全ての世界と関係をもっているので、宇宙的な父母、教団的な父母、家庭的な父母に侍っていってこそ天の民となる事ができるという事を、皆さんは知らなければなりません。

 今日、全世界の人類が探し求めているものとは何でしょうか。宇宙的な父母です。特にキリスト教信者たちは、教団的な父母が現れる事を願っています。その宇宙的な父母が現れる日が、正に再臨の日です。しかし、まだ教団的な父母と対面させる事ができる摂理が成されていません。

 神様は、六千年間摂理のみ旨を立ててこられましたが、教団を中心として大祭司長の責任を担ってこなければならないという再臨主の使命が残っているのを見るとき、新郎新婦という約束圏内の摂理は成されたのですが、新郎新婦が教団を中心として生活する事ができる真の父母の位置には、まだ行く事ができていない事を知る事ができます。

 真の父母の位置が決定する迄は、真の子女たちによって築かれる真の家庭は成立しません。一段階さらに進んで、宇宙的な父母の位置が決定する迄は、教団的な父母の位置が決定されないのです。

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 二十四時間、常に明るい光を発し、常に熱い情熱を発する人が神様の国の人です。虫たちが、真っ暗な夜に光りのある所に寄り集まってくるのと同じです。

 それ故に、神様の生命力と愛の力、明るく熱いものを永遠にもち続ける事ができる人ならば、その人は天国の人に間違いありません。

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 真の父の国、真の母の国、真の長子の国があります。そこに連結されて天国の民が生まれるのです。ですから、私が天国の民であり、天国の息子、娘であり、天国の主人だ、そのような結論が出てくるというのです。家庭から出発して、天国の主人になるのであり、皇族圏に入っていくのです。家庭の主人は孝子、国の主人は愛国者ですが、これが一つにずっと連結されなければなりません。一つの道を行かなければなりません。孝子から愛国者、愛国者から聖人、聖人から聖子になるのが一つの方向です。あとに戻る事はありません。

 神様は、一つの道を行く事を願われます。最初は孝子にならなければなりません。「あなたが絶対的に必要だ。苦難の場であろうと幸福な場であろうと一緒にいたい」とおっしゃる事ができる私にならなければなりません。生涯、「永遠に一緒にいたい」とおっしゃる事ができる私にならなければなりません。誰かがいくら否定し、迫害したとしても、皆さんはその道を行かなければなりません。天国の民になれば、そこには蕩減がありません。一度成し遂げた結果は、永遠に存続するのです。

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 皆さんは、この国が認めなければならない真の家庭になるのです。この国の民が認めなければなりません。この国の氏族が認め、この国の家庭が認め、この国の個人が認め、皆さんの家庭が個人、家庭、氏族、民族、国家の認定圏を超えてこそ、世界へ入っていく事ができるのです。

 ここで認められなければ、皆さんの行く道はふさがるのです。認められる事によって、歴史始まって以来、初めて皆さんは天国の民として入っていく事ができる事を知らなければなりません。

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 皆さんの婚約者が気に入らなくても、耐えて犠牲となり、耐えて奉仕しながら行かなければなりません。「あの人と出会わなければ、私は学ぶ事ができなかったはずであり、私を天国に行かせる為にあの人を私に与えられ、もっと苦労し、奉仕し、犠牲になる事ができる精神を私にもたせてくれるのだなあ!」。そのように考えれば、偉大な人となり、天国に行く事ができる人になるのです。

 神様は、罪人迄もその息子、娘にする事を願われていらっしゃるのに、婚約者の顔が少し悪く、日本人で、背が小さいからといって、「ああ、私の好みに合わない!」と、そのように考える事ができますか。男性として生まれ、最も醜い女性を連れて、より犠牲となり、より奉仕すれば、一等天国に行くのだという事を考えなさいというのです。

 最も偉大な夫となり、聖人の夫になるのだという事を知らなければなりません。統一教会の食口ならば、それくらいの事は考えられなければなりません。

 女性にとって最も幸福であり、最も貴い事は、夫をもったという事です。それから、夫婦にとって最もうれしい事は、子女をもったという事です。その子女は、父親のものでもなく、母親のものでもありません。この世界のものです。天国のものです。族譜は天国にあるのです。

 自分の息子、娘ですが、みな国籍に入っているでしょう? 国籍があるという事は、その国の民だという事です。それと同じように、その息子、娘は、天国の息子、娘だというのです。それから、その夫婦は、天国を代表した夫であり、天国を代表した妻だというのです。そのように思う事ができる心であってこそ、入籍する時、天国の基準に拍子が合うのです。そして、その基準に共鳴する事ができるのです。この地上において共鳴的体験をしなくては、いくら祝福を受けたとしても、天上世界では困るというのです。

 男性も同じです。女性をもったという事が最高の幸福です。二人が一つになって、愛を中心として息子、娘をもったという事が第二の幸福です。そのような愛の家庭を世界に伝授しなければなりません。そのようになれば、天国の民としての資格を完全に備えるのです。

              *

 三位基台は、三大祭物です。アブラハムの三大祭物があり、ノアにも三層の箱舟があったでしょう? 全て三大祭物です。このように祭壇を築いて三人が祭物を捧げ、その地域の民の為に忠誠と誠心を尽くし、自分の息子、娘に対して福を祈る心情をもって、その地域を抱く事ができる人にならなければなりません。そのような地域を受け持って三年間だけ活動すれば、天の民の資格を備えるのです。

              *

真の人とは、全体の為に犠牲となって苦労した人です。

真の人の中には、

真の息子がいて、

真の娘がいて、

真の師、

真の友人、

真の父母、

真の兄弟、

真の家庭、

真の国、

真の天国があります。

それでは、真の天国とはどのような所でしょうか。

全体の為により犠牲となり、苦労した人々が行く所です。

              *

アダムとエバは、個人で間違った結婚をする事によって滅びたので、今は逆に、国家間において二世が交差結婚をするのです。今は、愛さざるを得ません。

愛によってその怨讐を溶かさなければなりません。

このような基準を立てる為には、

アメリカという国を中心として、

六カ国の怨讐の国々、日本、韓国、ドイツ、フランス、イギリス等の怨讐が集まり、

その怨讐の国に行き、

その国の忠臣以上になり、

新しい国を蘇生させるための伝統として、

怨讐を愛したという挙国的な愛の基台を通してのみ、

一つになったその基台の上で天国が出帆するのです。

              *

天国に行こうとすれば、怨讐を愛さなければなりません。

エデンの園には、神様を中心としたアダムとエバ、

それからアダムとエバを中心とした天使長がいました。

アダムとエバが完成して天国に入っていく時、

天使長も一緒に入っていくようになっていました。

愛して入っていく所が天国です。

天使長が、神様の愛とアダムとエバの愛を受けたのちに、

一緒に入っていくのです。それが創造原理です。

              *

生きるのは、自分の為に生きるのではありません。

全体を代表して生きなさいというのです。

自分が女性ならば、全ての女性に代わってこの時代に生まれ、自分を見ている女性の手本にならなければなりません。

一つの標本として生きるのです。

そのようになれば、子孫たちは間違いなくその標本に従っていくのです。

そのように標本に従って連結する所が天上世界であり、永遠の世界です。

ここに合格すれば、全ての事が無事通過ですが、合格できなければ、大変な事になるのです。そこは、真の父母が教えてあげるのではなく、真の父母を通して完成した人々が行く所です。あの世には、そのような教育制度がありません。

この地上で教育を受けてから行かなければなりません。

地上でつなぐ事は、天でもみなつながれ、地上で解く事は、天でもみな解かれるのです。

              *

 天国の民は、万民の前に奉仕の旗を掲げて立ち上がった人々です。それ故に、今日私たちがある民族を救う為には、自分が所有している全てのものを、その民族の為に分け与えなければなりません。それでも救う事ができなければ、自らの生命迄捧げる事ができる人にならなければなりません。このような人が、すなわち天国の民です。このような民を糾合して天国理念を成就しなければならない神様の事情がある事を、皆さんは考えなければなりません。

              *

 怨讐の子女を自分の息子、娘よりも愛さなければ、天国に行く道がありません。今日の既成教会員たちは、神様に「いつも幸福にしてくださり、私たちの罪と悪なる事を、全て許してください」と祈ります。それは、全て偽物です。それを知っている文総裁は、神様に祈祷する事ができません。祈祷する前に実績を収め、それを捧げながらも恥ずかしさを感じなければなりません。面目ない私たちの先祖の罪を、何をもって神様に許していただくのですか。

 いまだに真の父母が結婚式を挙げる事ができていません。真の父母が定着できていないのです。しかし、今は、真の父母が「真の父母と成約時代安着」という時代を迎えたので、真の父母が初めて還故郷する事ができるようになったのです。還故郷する時には、散在していた全ての子女を連れていくのです。故郷に行き、真の父母が定着して結婚式を挙げたので、息子、娘を結婚させるようになるのです。

それ故に、統一教会は、今迄、他の宗教と反対の道を歩んできましたが、誤った宗教ではなく、正統の道を教える宗教だというのです。なぜならば、「真の父母」という言葉をもっているからです。偽りの父母が教えた世界とは反対の世界に立っているのです。

 偽りの父母の立場から、修養して真の父母の道を求めていく為にこのような事を教えてあげたので、真の父母は、当然還故郷をしなければならず、家庭をもたなければならないというのです。ですから、真の父母の息子、娘も還故郷し、家庭をもたなければならないという事は理論的です。

              *

 皆さんの心が「今、私は新しい時代に越えてきている」と思えば、後ろも振り返らずに「世の中よ、さようなら! 私は行く」と言わなければなりません。何の話か分かりますか。

天上地上平和統一解放聖火式をしたので、その峠を越えたのです。

 ソドムとゴモラを離れる時、後ろを顧みてはならないと警告したにもかかわらず、ロトの妻が、「ああ、行く道が漠漠としている」と言って……。行く目的地も知らず、どこに行くのかも知らず、避難する事よりも、今の苦痛が目の前をふさいでいて真っ暗な天地だと思って行くので、女性たちは、昔の暮らしを慕わしく思い、間違いなく後ろを顧みるのです。ですから、終わりの日にはそのような時があるので、「身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である」(マタイ二四・一九)と言ったのです。

              *

皆さんの国がありますか。この国の全ての結論を出さなければなりません。

ですから、今から盟誓文も天一国主人です。主人になるのです。

天一国主人私たちの家庭は、真の愛を中心として。これが主体です。このようにするのです。分かるでしょう? 盟誓文が変わるのです。盟誓文に主人が生まれました。

誰もがみな売り飛ばす事ができます。

しかし、天一国という言葉は、

永遠に、

永遠に

真の父母によって生まれた言葉です。

神様の王権を樹立し、

天地父母安着生活圏を経て、

地上天上和合統一大会を経て、

天宙、天上地上平和統一解放聖火式が終わったので、

新しい国が必要です! 分かりますか。

              *

統一教会に入ってきてどれほど信仰したとしても、

心と体が一つにならなければ天国に行く事はできません。

闘うところには影があるからです。

皆さんがここで入籍修練を受け、

祝福を受ける時、

正午定着という事を言いました。

影があってはなりません。

皆さんの心と体が一つになっていなければ、日の光がさすとき、心が高い位置にあれば、左側に影が生じます。

体が良心よりも高くなれば、左側から影が生じます。正午定着にならなければなりません。上中下が完全に垂直に立たなければなりません。神様が一代だとすれば、アダムが二代であり、三代圏が垂直にならなかったというのです。神様には三代がありませんでした。孫と孫娘をもつ事ができなかった可愛そうな神様だという事を知りませんでした。

私たち人類の先祖であり、

私たちの師の中の師であり、

主人の中の主人であり、

王の中の王であり、

天下の大主宰であられるそのお方が、このように悲惨な立場に立っていらっしゃったという事実を、堕落した人類は知りませんでした。

知る事ができませんでした。

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四 天国の所有権を得ようとすれば天の民を大勢連れていかなければならない

 皆さんは、「私たちは、希望の民を求めてきた群れだ。希望の国を蘇生させるための群れだ。私たちが手を付ける日には、国を蘇生させ得る、一つの要素となる国民が蘇生する。私たちは、国の伝統的思想を受け継いだ者として、私たちの願う国を再建する為に立ち上がったので、正しい伝統的思想によって彼らと一つになり、正しい国を求めていかなければならない。私たちは、そのような群れを募集するための募兵責任者だ」、このように考えなければなりません。

 ここで、国を愛する心にあふれていなければならず、民を愛する心にあふれていなければなりません。今迄のような、国の民として国を愛した立場とは違わなければなりません。今迄の自分の親戚、あるいは父母、兄弟、妻子を愛したものとは違わなければなりません。それらとは異なる意味で民を愛し、国を愛する事ができなければ、神様が求めていらっしゃる希望の理想世界を再現する事はできないのです。

 私が神様を正しく見せてあげてこそ、彼らが私に従ってきて天の民になるのです。また、その集まる民を正しく連結させてこそ、天の祖国光復が蘇生するのです。

              *

 「一つの民」という言葉の中には、黒人、白人、黄色人が全て入っています。一つの民は、全ての文化を消化させる事ができる能力をもたなければなりません。また、歴史的な全ての習慣と環境を消化し得る能力をもたなければなりません。

 この一つの民となり、父母を中心として兄弟になろうというのです。しかし、まだこの世界は、そのようになっていません。それを完全に一つの民になる事ができるようにしなければなりません。

 そのままほっておけば、そこにはいつも悪なる人が残ります。私たちが家庭教会活動をする事により、一つの民をつくる事ができるのです。

 一つの民をつくる方法は、家庭教会活動を通じなければならないという事実を知らなければなりません。それ以外には道がないというのです。数多くの氏族がいても、一つにする運動をしなければなりません。

              *

 統一教会は、祝福を受ける事により、統一教会の正常な食口として扱われ、天国の民として扱われます。そのようにすれば、サタンは、理論的基準で自動的に分別されざるを得ないという結論が出てきます。

 サタンの愛よりも神様の愛が気高く、原則的な愛の基盤で祝福を受けた男性と女性として立ったので、サタンが讒訴できる基準ではなく、その上にいるがゆえに、讒訴する事ができません。なぜならば、真の御父母様の血筋を通して全て本然の血統基準を立てたので、その血統圏にいる事ができるならば、サタンは生まれる事もできないというのです。ですから、完全にサタン分別圏に越えていくのです。

              *

 統一教会は、家庭天国理想の為に前進する代表的教会です。この家庭の中には、国が宿り、世界が宿り、天地が宿り、神様が宿るという事を知らなければなりません。

 真の父母の血族の因縁をもったので、今後野生のオリーブの木になってはいけません。真のオリーブの木の種をもって、万国のどこに行って根を下ろしても、真のオリーブの木の実が結実しなければなりません。万国万邦を越えて同じ実を収め、天国の神聖な民族として倉庫に納めなければなりません。それが神様の創造理想だった事を知らなければなりません。天国の民を拡張させなければならない責任、蕩減の役事がない自由解放圏内の天国の民を拡張させなければならない責任が、私たち統一教会の家庭にはあるのです。それが皆さんの使命だという事を忘却してはいけません。

 今から氏族圏が発足するのです。今からは、神様が主管されるのではなく、皆さんの一族を天国の氏族化させる時代に入っていくようになります。それ故に、先祖が役事して、我知らず統一教会に行くようになるのです。春が訪れてくれば、葉が強制的に出てくるのではありません。自然に出てこなければなりません。ですから、徐々に朝日が浮かび上がるその世界が目前に迫ってきたので、解放された姿で、神様の子女の名分を中心として、威風堂々と天地の大主人として出ていく事が、私たちの義務であり使命だという事を忘却してはいけません。

              *

 先生の願いは、天国の民を生かす事です。しかし、サタン世界に属した民をどのように変化させるのでしょうか。これが問題です。それを否定して、一八○度方向を転換させるのです。今、サタンは上に位置し、神様は低い所に位置していらっしゃいます。それをどのように変えるのですか。零点にならなければなりません。天国の民をどれだけ連れていったのかという事が、最も貴い事です。

 皆さんは、先生のおかげで全員天国の民になったでしょう? 同じです。皆さんの息子、娘が天国の民になる事ができるようにする為には、自分が死んでも、天国に連れていって暮らす事ができる息子、娘として教育しておかなければなりません。それが皆さんの財産です。それをシステムにして、皆さんの息子、娘を教育しなければなりません。それでこそ、彼らが一つの所に行くのです。全ての人々が一度に天国の民になるならば、神様がどれほど喜ばれるでしょうか。そのようにしなければなりません。それが、あの世の財産です。

 嫁いでいく新婦が嫁ぎ先に行くときに、所帯道具をもっていくのと同じように、それがあの世に行く時の贈り物です。自分の国の人は勿論、数多くの国の人を連れてきたというときには、天国で祝宴が催されるのです。

              *

 原理のみ言を通じて、事業ならば事業分野において、天国の民を連れて入っていく事が最大の贈り物です。天国に入っていく時に、何をもっていくのですか。自分の家族だけ連れていくのではありません。自分の家族だけ連れていけば、サタン世界のカインの息子、娘を、誰が救ってあげますか。

 ですから、今迄、真の愛を中心として天国に入っていった民がいなかったというのです。そうです、天国は空いているのです。ですから、天国の民をたくさん復帰していく事が、神様から賞を頂き、天国の近くに行く事ができる贈り物だという事を知らなければなりません。知識や何かの活動や実績ではいけないというのです。

              *

 永生基盤がなくては、長久な闘争はできないのです。実績がなければ流れていきます。先生は、永生をかけて闘ったので、今迄残ってきたのです。同じです。深刻な問題です。その力を知らずにいます。いずれ、一度は死ぬのです。どのコーナーで死ぬのか分かりません。いつかは霊界に行くのです。行く時に、天の前に何をもっていくのですか。体をもっていく事はできません。全ての人が天の民を率いていかなければなりません。それ故に、先生の後ろには、多くの民が従うようになっているでしょう? それは、しなければならないのです。

              *

 霊界においての所有圏は、天国の民をどのくらい連れて入ってきたかという事で決まります。それが自分の財産です。これからは、それを正さなければならない時が来ました。

今からは、一日に何百万が伝道される時が来ます。

統一教会には、そのような素晴らしい内容があるのです。

世の中を見なさいというのです。

今死ぬとか生きるとか、

人生が何だとか、地に足をつける事ができずに空中をさまよいながら、

狂ったように歩き回り、

最後に自殺する人がどれほど多いですか。

 これからは交流時代に入っていくのです。統一教会の食口交流時代、近隣の三、四カ国を中心とした交流時代、その次には大陸間の交流時代、さらには東洋と西洋の交流時代が来るのです。このように交流すれば版図が変わるのです。

 なぜそれが必要でしょうか。その国家と国家を見れば、境界線に接している国家同士は、大概が怨警視しています。自らの実利を追求しているのでぶつかる事が多く、怨讐になったというのです。それ故に、霊界では、暗黒の時代で生きた人は、全て障壁でふさがれているのです。これをどのように開くのですか。地上で子孫が崩してあげなければなりません。

 その子孫が崩してあげる事により、その障壁が崩れるというのです。その障壁を崩そうとするので、日本の人を、憎んだ以上に愛する事ができる人にならなければならないというのです。それがアベルの使命です。先に知った人が、先に十字架を負わなければなりません。

              *

 あの世に行くにおいて、個人所有になるものは、この地上にいる時に天国の民をどれだけ多く接ぎ木させていったかという事です。宗教では、この意識を植えつけてあげなければなりません。私たち統一教会の食口が二世にこの意識を植えつける事ができなかったので、ほかの所に行こうとするのです。「就職だ」、「何だ」と言って、世の中に流れていこうとするのです。

 ですから、この地で霊界、天国の民を生産するようになっているというのです。霊界では生産ができません。地上で生産するのです。ですから、本来は、アダムとエバを中心として、原則的に生産したとすれば、全てが天国の所属なのですが、堕落した為にひっくり返ったのです。

              *

 御飯を食べる事よりも重要な事が、天国の民を治める事です。それが、この地上に生きる私たちの本業です。生涯にしなければならない事の中で、それ以上に貴い事はありません。世の中で就職して出世したり、お金を集めたりする事は、全て流れていくのです。あの世では、お金を集めても何の意味もありません。あの世では、物質が必要ないのです。知識が必要ないのです。学ばなくても心が先に知っています。一週間以内に何でも、全て通じるのです。

 今後、皆さんはあの世に行き、復帰歴史をされる神様の前に、一人のアダムを取り戻す為に今迄苦労された神様の前に行って、何と言うのですか。神様は、創世以後、今迄一人でアダム完成者を尋ね求めてこられたのではありませんか。しかし、皆さんは、原理を知りました。これは、数千、数万の民を救う事のできる武器です。今迄神様が人間に教える事ができず、それを分からない中で摂理なさる神様の切なさ、それに代わって地上で神様以上の事を私たちがするのです。私たちには、原理で数百、数千のアダムを教化して連れていく事のできる道があるのです。

 皆さんは、天国に連れていく事ができる息子、娘を何人つくりましたか。皆さんがしなければならない事は、それしかないのです。いくら億千万のお金をもって幸せに暮らしても、全て流れていくのです。それは、自らの全ての物質と知識と自分の命迄、堕落した自分の命迄投入してでもしなければなりません。それを別々に投入するのではなく、一度に投入して天国の民をつくろうと思わなければなりません。投入して全体が加重されるに従い、その価値は比例していくのです。

              *

 皆さんがどれだけ永遠に天の前に称賛を受けられるかは、どれほど天の民を収穫して収めるかという問題にかかっています。それを収める事のできる鍬が、今迄はなかったのです。分からないのでできなかったのです。しかし、皆さんには、背負子があります。熱心にみ言を伝えれば、爆発的に収穫する事ができるのです。

              *

 自分によって多くの天国の民、天国の家庭を拡大しなければなりません。あの世に行って新しく策定される位置が、地で決定するというのです。地で結べば天でも結ばれ、地で解けば天でも解かれると言ったでしょう? この事を前提として語られた言葉です。

              *

 磁石のN極とS極がお互いに「引っ張れ」と言って引かれていくのではありません。そのように自然な作用が展開するのです。台風が吹くのです。これが定着しなければなりません。エバ圏を中心として、母を中心として、台風のように吹いてくる世界の運勢と共に、カイン・アベル圏を家庭にしっかりと植えておかなければなりません。出産するのです。皆さんがする出産は、母の出産であり、息子、娘の出産です。この道を行くにおいて、女性たちは解放者です。男性たちは、無関心な自由天地圏にいるので、自分の息子、娘が行く事に干渉できないのです。女性は、二十四時間いつでも占領する事ができる時代圏に入ってきたという驚きを、天地の前に、父母様の前に感謝しなければなりません。それ故に、どれだけたくさん収穫して天国に行くのかという事が問題です。

 最近韓国では、婚礼家具問題で騒々しいでしょう? ちょうどそのような時になりました。天国に、どれだけ多くの民と家庭を連れて入っていくのかという事が問題です。天国には家庭も民もありません。民とともに家庭をつくってさしあげれば、神様がどれほど有り難いと思われるだろうかというのです。真っ暗な夜中に天を見れば、星が輝くのが見えるでしょう? 皆さんはその中で、どのような星になりたいですか。大きな星になりたいと思うはずです。へそのような大きな星になるかならないかは、民をどれだけ、家庭をどれだけ率いていくかにかかっているのです。

              *

 山に行って山菜を摘む女性が、良い山菜を取ろうと一日中あちこち飛び回れば、夕方に帰ってくる時にはかごが空だというのです。おなかが空き、その山菜をつまみ食いして空のかごで帰ってくるのです。しかし、着実に落ち着いて取る人は、元気に飛び回っていた女性を家に使いとして連れてくる事ができるというのです。

 今、天国には民がいません。天国は空いています。それ故に、統一教会の門を通じて、空いている膨大な天国を民で満たさなければなりません。そのような時代が来たにもかかわらず、世界の事は考えないで自分の事ばかり考えていてはいけません。うずらのように頭の羽が抜け、せきれいのように頭の羽が白くなってはいけません。仕方なく尾を振りながら、哀れに飛んでいくせきれいになってはいけないというのです。貴婦人にならなければなりません。

              *

 なぜ神様がアダムを造られたのかというと、横的な面積が必要なので造られたのです。多くの男女が結婚して家庭を築くのは、家庭の息子、娘を全て移動させ、天国を満たすためなのです。それ故に家庭は、天国の民を創造、製造する分工場です。

 家庭が分工場なので、多くの息子、娘を刷り出しなさいというのです。天国では、誰が民をたくさん連れて入ってきたかによって天国の位階が、栄光の位置が決定するのです。息子、娘をたくさん育ててみれば、十二タイプの人間、二十四タイプ迄育ててみれば、人間を全て愛したという位置に立つというのです。

              *

 今回、私がハワイに出発する時に、今迄神様王権即位式と、それから神様の故郷と祖国定着、それから天一国宣布とともに国民……。国を成す為には主権がなければなりません。それが王権樹立です。国がなければなりません。祖国定着です。その次には国民がいなければなりません。ですから、天国入籍カードをもつようになっているのです。

 このような事をなす事によって、天の全権を中心とした主権と国と国民を備える事ができる天一国の基盤が全て準備されました。ここにおいて自らの確定的な価値決定は、今から皆さんが天の前にどれくらい一族を収拾するかにかかっています。逆に行かなければなりません。ここから上がっていかなければなりません。

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 今からは、先祖を動員する時代です。先祖たちを動員して協力させなければなりません。そのようにしようと思えば、この内容をはっきりと知り、天上の構造がどのようになっていて、どのように再臨役事が成されるのかという事をはっきりと知って動員しなければなりません。そのようにして、皆さんが旗手となり、誠心誠意を尽くす彼らの方向を先につかんであげ、模範とならなければなりません。地上がお兄さんです。地上が模範とならなければなりません。分かりますか。ですから、一人でするのだと思わないでください。先祖を動員すれば、全て協助してくれるのです。

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 堕落とは何かというと、神様にも創造なさった責任があり、アダムには堕落させた責任があります。その堕落は家庭破綻であり、それは、国家、世界、全宇宙を滅ぼしてしまう事ができる破綻です。偽りの父母がこのようにしてしまったので、偽りの父母の王であるサタンが生まれ、偽りの父母と一つになって神様を追放し、神様が願われる世界を滅ぼしたのです。そのようにして、今迄、政治世界が宗教圏を犠牲にしてきたのです。しかし、今からは、これがひっくり返ります。

 ですから先生は、超宗教、超国家、超NGO運動をして、秩序がひっくり返っているものを順次的な方向に立て、天と地が統一された解放の結果として合わせるのです。合わせるにおいては、霊界で合わせるのではなく、地上で合わせて全てのものを解放して越えていかなければなりません。

 越えていく時は、サタンが汚した血痕の残っている一切、汚した痕跡が残っている一切を燃やしてしまうのです。今迄、自分個人や家庭やおしりにぶらさがっていたものを全て燃やしてしまい、この天上地上平和統一解放聖火式を通して越えるのです。

 越えるのですが、その越えた位置は何かというと、祝福中心家庭です! 越えるにおいては、家庭から失敗したので、家庭をもたなければ越える事ができません。個人では越える事ができません。それ故に、今、霊界でも祝福完結の為に大騒ぎです。地上に対して要求するのです。

 それ故に、地上で生きたのちに死んでいった皆さんの先祖や、また宗教の責任者である宗主たちには、地上に再臨し、その氏族や宗教を中心とした主人の立場で責任行為を完結して越えていかなければならない責任があるので……。

 「今、統一教会は外部の人を伝道してはならない」と言いました。自分の一族、自分の家庭に属している僕を救ってあげ、それから養子を救ってあげ、庶子を救ってあげ、直系の子女を救ってあげ、一つになって父母に侍り、本然の家庭の夫であるメシヤを中心として教育を受けるのです。そのようにする事によって、新たに解放された地上の個人から天上解放圏迄完結する事ができるのです。
五 天一国主人の生活

1.一心、一体、一念、一和

 あなたと私は、心と体が一つになった同じ位置、それはすなわち夫婦一心、父子一心という位置です。一心は、一つは上にあり、もう一つは下にあるという状況では成立できません。父親が上にいて、息子、娘が下にいれば、一心になる事はできないのです。お互いが同等な立場で平面的に位置していてこそ一心になるのです。内的外的関係が平面線上の位置に立ってこそ一心になるというのです。夫婦も同様です。

 横的関係において内外関係、前後関係の位置に立ってこそ一心になるのであって、上下関係では絶対に一心になる事はできないというのです。

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 一心統一です。目が一心にならなければならず、鼻も一心であり、全て一心です。心と体も一心であり、男性と女性も一心です。国の氏族も一心であり、国も一心にならなければなりません。王が願うとおりに一心にならなければならず、世界の大統領と一心となり、神様と一心となり、天地の大統領と一心統一になれば、世界は一つの国になるのです。その統一された国は、人の国ではなく、正に私の国なのです。

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 アダムとエバが神様の前に責任を果たしていたならば、神様が祝福式をしてくださったのです。祝福を受ければ、そこから善が出発し、真理の一体化、実体の一体化、心情の一体化が成されるのです。真理の一体化とは、神様が「このようにしなさい!」とおっしゃれば、「はい」と言って、神様のみ言どおりに従って全て成されるのです。神様のみ旨から見たアダムとエバは、本来二人ではありません。アダムがエバに引かれて天法に背いたので二人になったのであって、本来は一人なのです。真理の一体化、実体の一体化が成されたのちには、心情の一体化が成されなければなりません。そのようになれば、神様と一体化するのです。神様は、そのようになる日を待ち望んでこられました。

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 天国は、神様の愛を中心として完全に一体となった夫婦が入っていく所であり、その一体となった夫婦によって生まれた子女たち、すなわち神様を中心として一体となった家庭、氏族、民族を全て率いて入っていく所なのです。

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 統一教会の第一条件は、心身一体です。それで、神様が天地創造される時、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を命じたのです。自分が言えば、信じたとおりに実体が現れます。現れなければ、投入して現れるようにして成し遂げるのです。いくら大きなものでも、自分が命令したとおりに成し遂げられるというのです。願った以上に投入するので、完成するのです。

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 エバの堕落は、絶対信仰、絶対愛を追求できなかったという事です。それで、蕩減復帰原則において、良心を中心として絶対信仰、絶対愛を取り戻す為に、天の為に生きる一念、一片丹心しかないというのです。世の中の全てのものは、天とは背反するものなので、これを断ち切って絶対否定しなければなりません。

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 一和という言葉は、「一」という字に、和するの「和」という字です。化けるの「化」という字ではありません。和するの「和」という字は、皆さんの個性がそれぞれ違いますが、個性の違う人たちが一つになるのと同じように、個性の違う民族、個性の違う国家が一つにならなければならないという意味が内包されています。

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 一和という言葉の「和」という字は、本質が変わっていきながら和合するのではありません。男性なら男性が、女性なら女性が、変わらずに和合するのです。どちらが貴いかというと、本質が変わって和合するよりも、そのまま和合するのが貴いのです。

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 一心、一体、一念。一心は何かというと愛天です。天を愛しなさいという事です。一体は何かというと、人類を愛しなさいという事です。そうではありませんか。一念は愛国です。愛国は国家を愛しなさいという事です。国家は家庭を拡大したものです。家庭を愛しなさいという事です。男性と女性における全ての願いの骨子または主流は、一心、一体、一念の思想です! 分かりますか。

 ですから、きょうの表題を言うと、一心、一体、一念安着は、一念と言ってもかまいません。一心、一体、一念は神様と天宙人の主流思想です。天宙と言えばみな分かるでしょう? 神様の家なので、万物世界、天地が全て入るのです。天宙人の主流思想です! 分かりますか。一度言ってみてください。(一心、一体、一念は、神様と天宙人の主流思想です)。天宙人とは、天地の家の人です。全て入ります。被造万物が全て入るのです。天宙人の主流思想です。分かりましたか。一度言ってみてください。(一心、一体、一念は、神様と天宙人の主流思想です!)。それ以外にはありません。

              *

 万福の根源であられるお父様!

 地上に真の父母を送られて数多くの恨の峠を蕩減させられ、今は、天上地上和合統一大会とともに天上地上平和統一解放聖火式を終え、天と地が共に水平上に立つ事のできる天一国平和統一平定時代を迎え、天と地が共に一体理想を中心として、個人から天宙迄、水平的基準で一つの目的に向かって前進するようになりました。個人完成を中心として、心と体が一つになり、一心、一体、一念を中心として和する事のできる一和の実体を中心として、天が願われた相対的理想を完成するための愛の理想の為に絶対的に必要なものは、対象的基準として創造されたアダムとエバです。無形の天国の父母と有形の実体の父母が、一心、一体、一念、一和の統一的基準を中心として、愛の理想相対をもたなければ、絶対愛、唯一愛、永遠不変の愛、神様における属性の主流的理想の目的を完成する事はできません。

2.純潔の八段階

 救援摂理は再創造摂理です。再創造摂理は、神様の創造原則にかなう純潔な万物、純潔な人、純潔な血統、純潔な愛を立てるためのものであり、これが創造の過程なのです。純潔な地上に純潔な万物、純潔な人、純潔な愛を立てるためのものが創造の理想であり創造目的なので、これを成し遂げる為には、私たちの一身において自由にならなければなりません。

 純潔な体を取り戻す為には、サタンの基盤になっている体を打って、サタンを追放してしまわなければなりません。そして、純潔な心と体、物質と精神が一つになり、それからサタン圏を抜け出し、約婚段階において三年を経たのちに完成圏の祝福家庭を成すのです。これを原理から見るときには、人間の責任を完成する事ができる立場に上がっていくという事です。このような復帰路程と蕩減路程を知らなければなりません。このようにしなければ上がっていく道がありません。

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純潔の八段階とは、純潔、純血、純愛、純孝、純忠、純聖、純婚、純家庭の道理を果たし、真の父母によって個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様迄、地上において八段階の秩序を完成した形態として立てる事によって、はじめて対象的な横的個人、家庭、氏族、民族が相対的基準で一体化するのです。

 それで、無形の神様と実体の天地父母の愛を中心として、家庭的出発形態を拡大した世界理想の基準として抱き、一つの家庭形態として結論づける事ができるようになるとき、地上天国と天上天国が解放され、天の国に直行する事ができる道が開かれるようになるのです。このような内容を成し遂げる事が、神様と真の父母の使命です。

 心と体が一つになり、一心、一体、一念、一和の姿で神様の前に真の孝子となり、国の前に忠臣、世界の前に聖人、聖子の道理を果たし、純潔な孝誠の心で、「私は、永遠に真の父母に侍って暮らします」と言う事のできる群れにならなければ、天一国の民になる事はできません。

 自分一人だけが幸せに暮らそうと考える事はできないという事を発見しながら、世の中にいかなる困難や幸福な環境があったとしても、それを越えて不幸な立場に迄も自分が行き、開拓の王子の立場で神様の代身者になろうと思う事ができてこそ、天一国を相続する事ができる相続者になるのです。

 一緒に暮らしたいと思って真の御父母様が苦労されるので、私は、千倍万倍苦労しても良く、持っているものを全てかき集めて、その生活圏内に相対基準を造成し、誰よりも真の御父母様を解放された喜びの立場に立てようと思わなければなりません。

 自分は極の極の立場で苦難も消化しながら感謝する事ができ、賛美を捧げ、天の前に栄光を捧げ、子孫の前に永遠に誇りを残してあげようと思う事ができる人になってこそ、天一国の主人になる事ができるのです。

              *

 習慣性を正し、サタンにずるずる引っ張られる糸口を残さない為には、神様の摂理としてこれは良いチャンスだと考えなければなりません。

 純潔の血統を残す為には、真の御父母様の血統を受けて継承した清潔な基盤の上に、純潔な愛によって純潔な種を蒔いて、純潔な子孫を迎えるその日の喜びを思って耐えて越えていかなければなりません。そのような道が、山の峠が重なりあっています。それを重大だと思って希望に満ちて越えていく事を先生はお願いします。分かりますか。

              *

 真の父母は、アダムとエバが失敗した全ての事に責任をもち、解決してあげなければなりません。そのようにしなければ、真の父母の立場に帰る道がありません。父母が植えたので父母が収穫し、悪いものは火で燃やし、良いものは倉庫に入れ、万民が要求する種を分配してあげなければならないというのです。それが原理のみ言です。真の愛のみ言です。純潔な血統のみ言です。理想の夫婦に関する愛のみ言です。それ以外に、人間として尋ね求めていく道はありません。それ以外は全て消えていきますが、これは、人間の生命と共に、永遠の生涯と共に行くのです。そのように貴重なのです。

              *

 血統を維持しなければなりません。清い血統、純潔な血統を維持しなければならないというのです。神様が堕落したアダムとエバを追放したのと同じように、血統が汚されれば、自分を完全に除去してしまい、堕落した人と同じように、再び人類の後ろに戻っていかなければならないのです。

 今後、天国の責任者は、このような純潔を守って生きてきた人だけがなる事ができるのです。この人たちは、主流の伝統思想を受け継いで相続していかなければなりません。祝福を受けた家庭が再堕落する事は、絶対に赦す事ができません。

              *

 家に帰ってくれば、誰よりもまず父母にあいさつし、孝道を尽くす伝統がありますが、それは、特に女性に強く強調された事です。なぜ沈清でしょうか。それは、女性が不孝をしたからです。世界的な歴史を蕩減し、孝子の伝統を立てる為に、一人の女性をナンバーワンの位置に立てなければならないのです。復帰天国を成していく時に、これが蕩減の第一条となるので、女性が孝子の伝統を立て、志操を守り、純潔を誇る事ができる娘になったというのです。

              *

 天国の主人になるという事は、孝子になったのちに言う言葉です。孝子の次には、忠臣、聖人、聖子の家庭です。

 聖子の家庭が真の家庭です。真の家庭になってこそ、天国の主人になるのです。

              *

 心と体が一つにならなければ、今後、天国に行くと考えてはいけません。

 もし原理のみ言を知って一つになろうと思ったならば、一つになる時迄、あの世に行って待たなければなりません。

              *

 皆さんは、孝子にならなければならず、孝婦にならなければならず、それから孝聖にならなければなりません。その次には、純潔、純血、純愛を中心として、家庭基盤の上で神様に対して家庭的孝子にならなければなりません。一人だけではありません。家庭全体が孝子にならなければなりません。そして、孝子忠臣家庭、それから孝子聖人家庭、孝子聖子家庭です。

 そのような立場で、個人から天宙迄、あの世の天国の王権を受け継ぐ事ができる王子、王女として、遜色のない主人の代身者とならなければなりません。私たちは、常にそのような訓練をしなければなりません。天一国主人という言葉は、そのような意味です。

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 真の父母が全てを収拾し、主人の位置に奉献してさしあげなければなりません。なぜかというと、アダムとエバは、結婚したのちに相続されるのです。結婚前に所有しているという事は、盗品を購入したという事です。

 盗んだ品物を買って使っているか、借りて使っているか、自分で盗んで使っているか、主人ではない者が主人の役割をしているという事です。全て果たし、純潔、純血、純愛の家庭を中心として、家庭的孝子忠臣、家庭的孝子聖人、家庭的孝子聖子を真の父母の前に全て捧げ、神様の前に収拾してさしあげなければなりません。その国も、全てこのような婚姻申告をしなければならず、出生申告をしなければなりません。

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 祝福された家庭は、純潔血統、純愛家庭を中心として、家庭的孝子、国家的孝子、世界的孝子、天宙的孝子になって「神様は私の父だ」と言わなければなりません。内外にある全てのものが似て、心も似て、体も似て、細胞も似て、一心、一体、一念、一和にならなければなりません。しかし、相対がいません。一和の立場で愛を投入しなければなりません。投入し、万物時代から絶えず上がっていかなければなりません。最終的には神様に迄上がっていかなければなりません。神様が喜ばれれば、天下が喜び、天地が和動できる本然の創造理想、完成完結した解放的起源がそこから出発するのです。そこ迄行かなければなりません。それを早くしなければなりません。雷のごとくしなければなりません。

3.神様と真の父母のための侍る生活

 今日、堕落した人間たちに父母はいますが、その父母は真の父母ではありません。その父母は、神様に認められた父母ではないというのです。それでは、終わりの日に私たちがしなければならない事とは何でしょうか。私たちが生きているこの時に、宇宙的な父母をお迎えしなければならず、教団的な父母をお迎えしなければならず、その次には家庭的な父母迄をお迎えしなければなりません。すなわち三代の父母に侍らなければなりません。家庭は、民族を代表する事ができる型であり、教団は、子女の代わりをする事ができる型であり、宇宙的な父母は、真の父母の代わりをする事ができる型です。

 今日、地上に人間たちが生きていますが、神様が許諾された真なる父母の愛の圏から外れています。父母と血と肉が相通じる因縁が、私から永遠の世界迄連結していない事が寂しい事なのです。それ故に、家庭的な父母から教団的な父母と、宇宙的な父母と、神様の愛が絡み合って、初めて六千年全体の愛の圏に入っていき、神様に顔を上げて立つ事ができるという事を皆さんは知らなければなりません。これが、私たち人間が必ず行くべき路程です。

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 もし人間が堕落せずに生まれていれば、神様の愛と生命が全て連結された種から生まれていたのです。それでは、その生命はどこに行くのかというと、ほかに行く所はないというのです。その生命は、自動的に神様に帰ります。磁石があれば、N極は、S極に向かって自動的に行くのと同じです。そのようになっていれば、神様がいるのかいないのかを尋ねる必要はないというのです。空気があるのかないのかは分かりませんが、なければ息が苦しいのです。同じように、神様もいるのかいないのか分かりませんが、その愛とその生命力によって生きなければ、全てのものが窒息してしまうのです。

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 真の父母を通して生まれ変わってこそ、天国の民になる事ができます。それでは、どのようにして再び生むのですか。生む事ができる条件を掲げるのです。完全に一つにならなければなりません。それ故に、女性は、真の母の命令に絶対服従しなければなりません。エデンの園で戒めを守る事ができなかった恨を解かなければなりません。絶対服従しなければならないのです! また、その母の言葉に息子、娘が絶対服従しなければなりません。それを誰が教えてあげるのでしょうか。父、完成したアダムが教えてあげるのです。

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 蒔いたとおりに刈り取るという事は真理です。エデンの園のアダムとエバは、何の種を蒔きましたか。フリー・セックスの種です。それで下部を隠すのです。幼い子供も、父母が買っておいた菓子か、おいしいものがあるとき、それを隠れて食べていて、父母が来れば隠します。犯罪の部分を隠すのが本性の作用です。神様の前に現れる事ができないのです。

 堕落した人間が地獄に落ちたので、天国に行こうとすれば、一八〇度反対の道を行かなければなりません。ここで間違った血筋をもって生まれ、地獄に落ちるようになりました。血統が変わったのです。それ故に、メシヤが来なければなりません。神様が創造されたエデンの園で、堕落しないで堕落前の位置に行き、家庭を築く事ができる主人として送るのがメシヤです。これが理論的に合わなければなりません。神様に侍る家庭を通してそれを連結し、国家を中心として家庭的に切って接ぎ木した位置で、一度にひっくり返そうというのです。

              *

 フリー・パスをもつ為には、真の父母の名前を通じなければなりません。そのようにしなければ、それをもつ事ができないのです。父がもっているものは子女に相続してあげるのが道理です。それ故に、皆さんの家庭教会活動は、真の父母の身代わりであり、神様の前に真の父母の息子、娘として行うのです。

              *

 神様を中心として真の父母のみ旨に一致する事ができないときには、他人の息子、娘です。彼らが真の父母の息子、娘として心情一体になるとき、自分の息子として伝授されるのです。

 堕落した人間は、他人の息子を生んで育て、その息子を通して自分が高い位置に行かなければなりません。このような観点がきちんと設定される事により、ここには否定があり得ないのです。

              *

 神様の息子、娘になろうとすれば、神様のようにしなければなりません。皆さんが真の父母のようにしなければ、真の父母の息子、娘になる事ができないのです。同じ原理です。先生も「蕩減」という言葉は嫌いです。しかし、なぜいつも蕩減を中心として話さなければいけないのでしょうか。これが公式だからです。公式を解く事ができなければ、落第するのです。十年ではなく、千年たっても落第するのです。

              *

 神様を宇宙の父母として侍れば、神様の愛がこの地上に君臨するというのです。そのようになる日には、神様の愛を受けて兄弟を愛するようになり、「闘いなさい」と言っても闘わなくなります。エデンの園で堕落した事は、どれほどひどい事でしょうか。エデンの園で争い、今迄血を流してきた路程がどれほどひどい事でしょうか。個人が天国に行こうとすれば、一人では行く事ができません。二つが一つになり、兄と一つになって父母に侍っていかなければなりません。

              *

エデンの園でアダムとエバは、自分勝手に堕落して、その堕落圏内で生きたので、直接的な侍義の生活をしてみる事ができませんでした。このような侍義の生活ができない人間たちは、天上の天国に入っていく資格がありません。しかし、皆さんは、堕落の血統を受けて生活したとしても、一つの復帰路程を蕩減し、アダムとエバが地上で実体をもって侍る事ができなかった真の父母に侍り、神様に侍って暮らしたという条件により、天国に入っていく事ができる資格を得るというのです。そのようにしてこそ、天国の市民権を得るようになります。

              *

「天一国平和統一平定」を宣布するのです。「天一国平和統一平定」です。どこも同じだという事です。分かりますか。同じでないところはないという事です。「平定世界時代」を発表するのです。天一国平和統一平定時代到来発表宣言! ですから、この言葉は何かというと、天国も地上も同じだという事です。平定です。

皆さんがある宗教を信仰したとすれば、その宗教の責任者を呼んだときに答えなければなりません。また、先祖を呼べば、子孫たちは真正に天一国平和統一の祝福を受けた家庭なので、答えてあげなければなりません。ですから、霊界が自由自在に地上に再臨する事ができ、地上の人の願いが先祖と神様の前に自由自在に伝えられ得る時代を意味するのです。天一国平和統一平定時代到来発表を宣言します。「アーメン」と言ってください。

きょうを記憶しなさい。きょうの早朝、このような内容を祈祷する中で、このような時が来たのだなあという事を感じ、このような内容を発表するのです。ですからそのような時代が来たので、きょうは、どのように生きなければならないのかという事を、しばらくの間話そうと思います。

私たちの願いは何かというと、神様と同じ位置に立ちたいという事です。同位権です。同居権は共に生きるのです。それから同参権です。同参権も同行権も同じです。共に参席し、共に行動するのです。そのようにして、その次には同愛権です。共に愛の目的の為に生きるのです。

イエス様も、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行く事はできない」と言いました。しかし、「わたしは道であり、真理であり、命である」と言いましたが、愛の言葉を抜きました。のちの統一教会は、天一国は愛を中心として進むのです。

 ですから、皆さんの願いは何かというと、真の御父母様と同じ位置にとどまりたいという事です。それが願いでしょう? 真の御父母様と共に生きたい。真の御父母様と共に全ての事に同参し、行いたい。そのようにして何をしようというのでしょうか。愛を中心として、幸福に、自由に、解放された位置で永遠に共に生きるのです。アーメン。そのような意味において、天一国平和統一、何ですか。平定時代が来たのです。

 それ故に、皆さんが活動する時は、一人で活動するのではなく、皆さんの国が従って回ります。霊界全体が、天の国全体が回り、地上世界と万民が擁護する中で主人の資格をもって生きているのです。ですから、神様の愛の伝統を私の一族を通して、一国の伝統のその骨のような思想に自分が仕えるべき主人にならなければなりません。アーメン。

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六 天宙天地真の御父母様の勝利圏相続

1.名前

 先生の説教集を調べてみてください。四十年前に語った話や、今語っている話がそのとおりになってきているのです。全て読んでみましたか。説教集を読んでいますか。(はい)。私は、イエス様をこの上なくよく知っている人です。「真の父母」という名前は、六〇年から生じたのです。歴史時代に「真の父母」という名前が登場したという事は、驚くべき事実です。

              *

 統一教会が世界主義になる事によってどのような事が起きるのかというと、霊界の霊人たちが全て霊界にとどまっていません。地上で完成して入っていくのが目的なので、全て再臨するようになります。全て再臨するようになるのです。全て活動するのです。世界に散在している統一教会の教会員たちが尖端に立ち、「動け! 動け! 動け! 動け!」と言うのを願っているのが、数千億になる霊界の霊人です。それが霊界の霊人たちの願いです。ですから、ここで合わせ、霊界にもっていって一つにすれば、神様が主管なさる世界になるのです、真の父母の前に一つに統一された世界が永遠に継続するのです。

              *

 今、全世界の統一教会の人々は、「先生が韓国に行った」と言えば、既に韓国を中心として全員が一つになっているのです。あやしげでしょう? そのような意味において、ここの全(斗煥)大統領がアフリカに行くからといって、人々がみなそこに行ったりしますか。しないでしょう。ところが、統一教会は奇妙でしょう? 白人、黒人、誰彼を問わず、私のあとをついて回るのです。なぜでしょうか。どうしてですか。愛ゆえにです。

 名前は何ですか。先生の名前は何ですか。名前が二重にあるではないですか。愛を代表して何と言うのですか。(真の父母です)。この名前があるのです。ただの名前は文鮮明であり、愛を代表しては何と言うのですか。(真の父母です)。(笑い)真の父母です。愛を代表する真の父母です。ただの真の父母ではありません。それを知らなければなりません。愛を代表して、神様の統一的な愛を中心として、宇宙的な統一理念を広げるのに愛を中心として、それが一つの鍵、キーになっているので、真の父母です。

              *

 私たち統一教会の教会員は、西洋の人々も、東洋の人々も、あるいは黒人たちも全て同じです。統一教会の教会員はそこが違います。統一教会の人々は、西洋の人ともよく結婚するでしょう。皆さんを西洋人と結婚させれば、しますか、しませんか。(します)。しますか、しませんか。(します)。なぜですか。どうしてですか。世界を一つにしようとするからであり、アダムとエバの夫婦同士が間違って愛する事によって滅ぼしたからであり、今日、神様の名と真の父母の名により、男性と女性が、世界を越えて神様の愛で完全に一つになって生きる事により、世界は一つになり得る事を知ったからです。それ故に、私たちはそのような事をするのです。韓国人同士で結婚するよりも、できるならば、韓国に対して怨讐の国の人と結婚するのです。

              *

 皆さんは、神様がそのように待ち焦がれ、願いのみ旨をもってこの地上に送ってくださった人に対して、どれくらい歓迎しましたか。男性だけではありません。真の父という名前をもってこの地に根を下ろし、そこに真の母を中心として、真の父母という名前をもったという事実、この地上の白衣民族がそのような栄誉ある立場に選出されたという事は、驚くべき事実です。それを八八年のオリンピックに比べる事ができますか。

              *

 今日、文総裁が真の父母という名前を誇る事ができるのは何ゆえでしょうか。愛を中心として、塀で遮られていたものを崩し、歴史時代における縦横の全ての段階的分野を解決し、門を開放させる事のできる内的心情圏を備えたからです。そのような勝利的基盤は、私の喜びだけではなく、天地が喜び、歴史が喜び、時代が喜ぶ事のできるものでなければなりません。そのような段階において喜ばなければならないのであって、歴史を否定し、過去を否定して喜んではいけません。過去と現在と未来において共に喜ぶ事ができる内容として残らなければならないのです。

              *

 これをお立てになって第四次アダム圏を準備する為に、イエス様の名によって祈祷し、真の父母の名によって祈祷していた全ての事を越え、祝福された家庭の名前をもって祈祷する事のできる時代を迎えました。それ故に、今や祝福された家庭が、アダムから堕落せずに夫婦の名前をもって自らの息子、娘たちを祝福してあげる事のできる、このような時代を迎える事によって、本然の第四次アダム、地上・天上天国の解放圏をもたせる事のできる、このような頂上を越えるこの日を「二・十節」として定め、ここに訪ねてきてお父様の前に申し上げます。

 この日を分別し、この日を立てる為に、「二・十節」を期してここに訪ねてきて、この日を第四次アダム圏の頂上を越える日として定める事を願い、この日を立てて宣布いたしますので、天がこれと共に天上地上が共に一つになった場、祝福家庭が一つになった場において、天地父母の名前に従ってこのような日を制定する事を、全ての万象と万宇宙、サタン圈全体が喜んで従う事を願い、真の父母の名によって「二・十節」第四次アダム解放圏を宣布いたします。アーメン!

              *

 神様とサタンが闘ってくるときに、誰がその闘いをやめさせるのですか。神様も止める事ができません。サタンも止める事ができません。なぜでしょうか。偽りの父母がこの闘いを起こしたので、偽りの父母以上の資格をもった人が現れて神様の前に立つようになった時に、(神様が、)「あなたは私の願う者なので、私はやめる」とおっしゃり、サタンも、「あなたが勝利したので、私は退きます」、このようになってこそ止まるのです。神様も、どうする事もできないので、長い歴史時代を経てこられた事を知らなければなりません。分かりますか。

 それ故に、モーセがイスラエル民族と共に故郷に訪ねていく荒野路程を経てきたように、真の御父母様の八十歳を中心として、この全ての事実を蕩減し、四十年を中心として、家庭的荒野路程において天国入城を果たさなければなりません。その事をなしているのです。家庭的カナン福地に入っていくので、イスラエル民族は割礼をしてあげましたが、統一教会は接ぎ木する為に祝福をしてあげるのです。祝福を中心として、今迄反対され、ありとあらゆる迫害を受けてきましたが、全ての民族が歓迎する、その峠を越えなければなりません。

              *

 父母は、子供が銃弾を受けて死ぬ場、刑場に出ていくようになれば、その子供の代わりに銃弾を受けて死のうとしますか、それとも避けていきますか。(代わりに受けます)。父母の中の父母であられる神様はどのような心情をもって歩んでこられたのかを考えてみてください。それを本当に知るようになれば、不孝という言葉は、自らの生涯の中から永遠にその痕跡も見る事ができないようになります。そのような神様を解放する為に、真の父母が来て苦労しましたか、それとも、よく食べてよい暮らしをしましたか。(苦労しました)。今もこのようにしているのです。

 先生のふくらはぎを見てください。教主のふくらはぎをです。これは何ですか。完全に黒人になっているのです。黒人の父にもならなければなりません。漁夫の父にもならなければなりません。農夫の父にもならなければなりません。牧夫の父にもならなければなりません。心情的面においてそれ以上の立場に立てば、彼らを天国に連れていくのです。私が皆さんを愛する情に従って「来なさい」と言えば、天下の地上世界が真の父母のあとに従っていく事ができるのです。それ故に、真の父母という名前を定着させるのです。ですから、真の父母は、個人的にも絶対的に必要なのです。必要です。父子関係、夫婦関係、家庭的に絶対的に必要なのです。氏族的にも絶対的に必要です。そうでなくては、国を救う事はできません。

2.み言

 原理には三大裁きがあります。真理、人格、心情において裁きます。堕落は三大要件を犯したからです。先生は成して、あなた方に教えているのです。復帰の道は成して教えるべきであって、成さないで教えるのであれば、聖書において六千年前にもう既にやってきています。なぜでしょうか。原則があるからです。父母の信仰が立たないから、父母が先に知らなかったから、知るのも父母が先に知らなければなりません。父母が先に実行できなかったから、実行するのも父母が先に実行してこそ、知るようになるのが原則です。ですから、原理は先生から、もう成した基準に立っていないと教えられないのです。

 あなた方は、原理をパスしなければなりません。原理をパスして、原理基準に引っ掛からないような自らとならなければなりません。そうして原理の実体者にならなければなりません。蕩減原則から外れた人には実体復帰は成されません。そのような条件が残っている場合には、サタンがいつも私のものだといって、引っ張っていきます。ですから、実体基準を立てようとすれば、サタンと正面で対抗し、勝利しなければなりません。

              *

 聖書には、善悪の実を「取って食べてはならない」という内容が出てきます。そこには、人間と神様との関係を破綻させ得る内容が込めてあったからです。それで問題になるのです。原理ではこの事実を明確に解明しています。原理は、堕落に対する事実がはっきり分からない人には、偉大な福音です。苦痛を受けながら生きている全ての人々を救援する事のできる、偉大な福音です。

 善悪の実は、文字どおり木と見る事はできません。木の実ではありません。億千万代(にわたって)人類がこのように破綻の立場と闘争の路程で呻吟する状況をつくるような果実を、神様がなぜつくられるでしょうか。先生が語る、愛の内容を中心として現れた結果だというのが、何よりも理論的だと考えられます。

              *

 復帰の法度が原理です。この原理は、大学で教える科学の原理のようなものではありません。人間が堕落し、父母を失ったので、その父母を捜し出すための公式を教えるのが原理です。それなのに原理を知らないでいいのかというのです。また、知ったならば、どうしなければならないでしょうか。ただ知るだけで、見物だけしていればいいのでしょうか。実践しなければなりません。自ら学んで、実践しなければなりません。「原理」のみ言どおりに実践しようとすれば、原理に対する確信がなければならないのです。

 では、「原理」のみ言を聞いて何をしますか。父母が自ら、原理を中心にして実践したから法度になったのです。ですから、子女たちも「原理」のみ言を中心にして実践しなければなりません。

              *

 統一教会には「原理」という言葉があります。原理というのは、宗教を信じる人も、宗教を信じない人も、千年前も万年前もこの道を経なければならない、その原則的な道をいうのです。

 ですから、統一教会で今、教えている真理というのは、神様と人間世界における曲折の全ての事情、恨が残ったものを解く事のできる原則的な内容を教えているのです。教理ではありません。教理は、天使長圏復帰解放時代迄です。

それでは家庭を築く事ができないのです。

家庭を取り戻す事ができません。

              *

 私という純粋な者をどこで探るか、という問題を結論づけなければなりません。まずもって、この統一教会の真理が、唯一の真理であるというその自信をもたなければなりません。それから、変わらない、天然、霊界も、他界も、あるいは歴史を通しても、永遠に変わらない真理です。誰も、国も変える事ができなければ、世界も変える事ができません。神様も変える事ができないのです。先生自体もそうです。過去、現在、未来において変わらないという真理であるとするならば、この真理は、人間本来が願う、理想的な価値をもっているに違いありません。

              *

 原理を学んだと言いながら、原理を全部奥にしまい込んで、自分がしたいままに、自分は自分なりに、原理は原理なりに一つになっていないのです。それで伝道してうまくいかないのです。神様が共にいらっしゃらないので、そのようなものは偽物です。原理どおりにしなければなりません。皆さん、原理の本を見れば、そこには神様の六千年の心情があるのです。先牛の一生の血を流した闘争の歴史が、そこにあります。皆さんの知らない内容がいくらでもあるのです。そのような原理の本を一ページ一ページ見るたびに、夜を徹して祈祷しながら、ここに神様の心情を探す事のできる鍵があるのではないかと思いながら覚えましたか。線を引きながら、この一言の背後にどのような歴史があるのか考えてみましたか。それで何、「神様が協助してくださらない」と言うのですか。ですから新しい制度をつくらないわけにはいかないのです。今からみな体質を改善しなければなりません。神様の仕事をする聖職者の業が、どれほど神聖なものであるかを知らないでいるのではないかというのです。

              *

 原理は、生命のみ言が入っている倉庫です。原理を聞けば、大きな倉庫にゴムホースをつけて生命の水を供給されるのと同じです。この生命の水の味を一度知ると、夢中になって、口を離そうとしても離せられなくなるのです。口を離そうとすれば口だけが取れてしまって、行くなら行くでしょうが、離せなくなるというのです。これはちょうど蜂が蜜を吸うとき、ピンセットのようなものでおしりをつかんで引っ張れば、おしりがとれてしまいますが、蜜から口を離そうとしないのと同じです。このように、原理には蜜よりももっと甘い何かがあります。

              *

 私たち「統一教会の原理の内容」といえば、身震いするほど話してみなさいというのです。身震いするほど、一度やってみようというと、それはどんなにおもしろく、どんなに興味深いか分かりません。み言は創造の能力をもっているという事実を、確実に分からなければなりません。私がどこに行こうとも、天が共にいらっしゃる事を知っているので、その心情が直接大衆に影響を与える事ができるのです。

              *

 み言と伝道、皆さん、統一教会の人たちがみな原理を知らないでいるのです。み言で武装するのと同時に伝道しなければならないのです。心情の体恤というものは、自分一人では駄目です。伝道しなければなりません。伝道です。どうやって? 何で伝道をするのですか。『原理講論』の本をみな覚えるほどに朗読しなければならないのです。どのページには何があると、全部分からなければならないのです。

3.実績

過去にはこのような蕩減路程が……。過去には、祈祷し精誠を尽くしても、この時以外は宗教の教主と会う事ができませんでした。会ったのちには分かれるのです。ですから、また上がっていかなければなりませんでした。しかし、今は、宗教圏を中心として全て地上に再臨する事ができる時代が来ました。そのような時代が来たので、皆さんは、過去の時代、現在の時代、未来の時代を動かす事のできる実績をもたなければ、天国に行く事ができません。それを知らなければなりません。過去の時代は、今霊界に行っている善霊人たちや天使たちの時代だったのであり、現在の時代は、父母の時代です。

そして、未来の時代は、神様の時代です。それ故に、霊界を動員し、真の御父母様を動員し、神様を動員する事のできる、そのような実績をもたなかった人は、天国に入っていく事ができないというのです。アダムとエバに対して天使が協助し、神様が動いたのと同じです。そのようにしたのちに、宇宙はアダムとエバが動かさなければならないのです。

              *

実績のない人は、神様には必要ありません。愛を中心とした実績がなければなりません。それ故に皆さんも、三十六家庭、七十二家庭、百二十家庭の一族を従えてこそ、天国に入っていく事ができるのです。それをなす事ができなければ、入籍する事ができません。原理がそのようになっているのでしょう?。 そうですか、そうではありませんか。「三十六家庭だ」と言って威信を誇りますが、先生が三十六家庭を立てたのは、ただ立てたのだと思いますか。恐ろしい位置なのです。サタンも、誰かをもってこの前で攻撃させるかもしれません。

              *

 今、完成した真の父母が多くの宣布式を行っています。それは、あの訓読会の内容の中にあります。何々の式、天地父母天宙安息圏などです。世界平和統一家庭連合定着と蕩減解消宣布式など、多くの式をしてきました。それは、解放していく道をつくり、峠を崩して平坦にしていきながら、本来の世界の基準にしようとすれば仕方のない事です。そのような過去の実績をもった人でなければ、真の父母になる事はできません。メシヤになる事はできません。再臨主になる事はできません。それをはっきりと理解しなければなりません。

 原理の道がそのようになっているので、真の父母は、このような蕩減条件を払い、障壁を崩していきながら、成し遂げた勝利的権限を譲ってあげたいと思っているのです。しかし、このような実績を宣布するいかなる基盤もないのです。

              *

 先祖が過ちを犯したならば、それを解かなければなりません。それ故に、このような証の時間は貴い時間だという事を知って、これを流してしまってはいけません。必ず皆さんの心に参考にして、そこに対比していきながら自らを育てていかなければなりません。

 劉正玉氏も、多くの経験をしました。霊界も多くの指導をし、霊界の教えに従ってきたあらゆる実績があるので、霊界ではそのような人を捨てないのです。また、先生自身も、そのような人を知っています。説明しなくても、心を知っています。そのような人を従えて仕事をしなければならないのであって、この世的な外的面を見て仕事をすれば、必ず害を被ります。ですから、内的な人格を浄化してきなさいという、このような経験を通じた証を通して得られるものは多いので、多くの参考にしてくれるようにお願いします。

              *

お父様は、「いつかは自分の名前で祈祷する時が来る」と教えてくださいました。

そのようなみ言を語ってくださいました。

それは、自分の名前で祈祷するというよりも、

自分の事を報告しなければならないという事です。

「何々をします」と言って、実践してから報告しなければなりません。

報告するものがなければ、ひざまずいて悔い改めなければなりません。

悔い改めです!不浄なもの迄を悔い改めなければなりません。

「どれくらい成しました」と言って報告し、約束しなければなりません。

              *

 皆さんは、あのサタン世界のハーレム街、サタン世界の中心街に行ったとしても、それを全てのみ込む事ができますか。ですから、統一教会員は、全て世界の最も悪い所に送るのです。

 先生は、韓国で生まれ、日本を経て、アメリカを経て、ソ連を経て、世界を復帰するための道を歩んでいるので、皆さんにも、この道を歩まなければならない責任が残されているのです。ですから、皆さんは、少なくとも四カ国を経ながら奉仕した歴史的実績を残さなければなりません。

ですから、皆さんは、真の御父母様が歩んだように、反対する四つの国を訪ねていき越える事のできる訓練がなされていなければなりません。

行って父と母の責任を果たそうとすれば、

その国の言葉を学ばなければならず、

そのようにして、彼らを子女として養育した実績を残さなければ、

天国に行く事はできません。

先生は、百二十カ国に宣教師を送り、先生の代わりに全ての国の言葉を学ばせ、心情による父母の種を植える運動をさせました。そのような事を全てなしました。ですから、皆さんは、先生を代表した条件でも立てなければなりません。それ故に、条件を立てる事のできる四カ国を経ていかなければなりません。

              *

先生は素晴らしいですか。(はい、素晴らしいです)。

素晴らしいと言いますが、何が素晴らしいのですか。

言葉をよく理解させるから素晴らしいのですか。

仕事をしなければなりません。

実績が必要なのです。実力だけでは、天下は動きません。

実績をもたなければなりません。

人間として生まれて世界に対してすべき事を全てなした、いかに偉大な人であっても、そのなした事は、先生のなした事の十分の一にもなりません。

今は、アメリカ自体も、全ての西欧の人物たちが集まって「レバレンド・ムーンは、名実共に再臨主だと言わざるを得ない」と言う、このような肯定的版図圏内に入ってきています。

 共産党を解放し、呻吟する人類とこの世界を解放する方が主人だというのです。それが世界のメシヤであって、ほかにあるのかというのです。それ故に、今は、「レバレンド・ムーンはメシヤだ」と言っても、それを肯定する段階に来ているのです。

 ワシントンD・Cの政治街でもそうではありませんか。集まると、「昔、レバレンド・ムーンは何々と言った」と、ワシントンD・Cの政治街の最高の話題です。その段階に全て入ってきました。ですから、実績をもたなければなりません。

七 天地父母様天一国開門祝福聖婚式と天宙天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式

1.天地父母様天一国開門祝福聖婚式の祈祷

天宙を抱いて真の御父母様の天一国開門祝福聖婚式が始まり、夫婦の因縁を備え、天上世界と地上世界に恥ずかしくない、真の御父母様の伝統、本然の創造理想の願いであった心情的要求の希望を完成する事ができる天地解放のうえに、天一国、祝福家庭が入っていく国の基礎を出発する事ができる、真の御父母様の聖婚式を中心として、

真の愛、真の生命、真の血統の因縁によって伝授された、

全ての祝福家庭、地上にいるアベル的祝福家庭と天上にいるカイン的祝福家庭、私たちの先祖たちが地上にいる祝福完成した家庭を協助する為に、

天上世界の神様と聖人、聖子、全てが地上の祝福を受けた家庭を協助し、弟の立場で兄に侍る、一体的な地上完全勝利の覇権の前に一体となり、万世の解放と善意の覇権を、愛の主権をもって、ごく小さなものから大宇宙全体を抱いて愛する事のできる、御父母様の血肉的因縁を全体の被造万物が相続し、本然の生命の喜びと本然の幸福の充足をもって、小さなものは大きなもの、大きなものはより大きなもの、最後には、神様から生命が出発した真の父母の体に迄、吸収、統一、完成し、真の父母の愛を中心とした家庭、祝福家庭と万宇宙の存在を一体化させ、再びお父様の前に祝福の解放圏の天一国に入っていく事ができる被造万物として、奉献する事ができる、出発の時を迎えるようにしてくださった事を感謝いたします。

この日の祝福は、天上世界の喜びであり、地上世界の喜びであり、天地父母の解放的喜びであると同時に、天地父母の勝利的、解放的喜び、二人の父母が喜ぶ事のできる天一国の地上・天上の祝福家庭が一体となり、一心、一体、一念、一和のみ旨を抱いて、故郷を出発し、あなたの願われる、相対的で理想的な祖国に向かって、神様の創造理想の本性的基準で祝福を受けた、天宙を相続するのに不足のない、完成解放、勝利、完結する事のできる、天一国の民となる事を、この時間に、特権をもって、天地父母と天宙父母の名によって宣布いたしますので、祝福の日の、この記念を、共に伝授、相続してくださる事を、真の父母の名によって、懇切にお願い申し上げながら、報告いたします。アーメン! アーメン! アーメン!

2.天地父母様天一国開門祝福聖婚式の祝祷

愛するお父様! きょうは、天一国三年二月六日、この時間を期して、

天上世界の祝福を受けた家庭と地上世界の祝福を受けた家庭が、

天一国に入国する為には、入国する事のできる天理の道理に従い、

天上・地上世界の家庭が兄弟の因縁を立て、カイン的兄である全ての先祖も祝福を受け、

弟の立場にいる地上の家庭も祝福を受け、

兄弟の因縁を御父母様の血筋を通して代置してくださる功労によって、

兄の立場の先祖が弟になり、弟の立場が兄になって、天地開闢の役事を起こす事のできる、

希望の出発である、「天一国開天日」をもつようにしてくださった事を感謝申し上げます。

今、御父母様がこの地上でなした実績、

天上において天宙父母様がなした実績、天上・地上の御父母様が標本となり、

復帰路程で苦労した全ての子女たちを再創造し、

天一国の国民として入籍する事ができる祝福の家庭が、

本然の基準において失ってしまったものを蕩減復帰し、本然の位置で天地父母をお迎えして、子女の名分を備え、本然の地上・天上の宮殿を中心とした先祖の故郷に向かって直行し、入っていく事ができ、祝福された天上・地上の兄弟の友愛を哀れんでくださり、真の父母がこの地上で功を立てて、蕩減、解放し、血統的な立場で伝授して、与えられた全てのものを、今、ここにいる直系の子女から、御父母様の名と、そのみ言と、み言の実績と、み言の実績を中心とした天宙解放の全体解放の標準を、そっくりそのまま相続し、地上にいる弟の立場が兄の立場に代わり、天上にいる兄が弟の立場で教導し、ひっくり返ったものを元に戻して、本然の天上世界、天に直行する事ができる大道に向かって前進するようになります。

 それ故、きょう、この時間から、一心、一体、一念、一和の心をもって、創造理想の対象である子女創造、相対創造、父母創造した全てが一体となり、定着し、地上家庭が天倫に完全に定着する事ができる時代を迎え、天をお迎えして直接地上で暮らす事ができる、そのような生活をする事ができる栄光を誇りと思う真の御父母様が伝授してくださった祝福を、全ての万福の根源を、その家庭に、永遠に、永遠に、絶対、唯一、不変の愛の理想を中心として、その伝統を受け継ぎ、後世の万民の前に、ここに立っている子女たちと共に、ここに共に立っている祝福家庭と、兄弟の友愛を中心として、カインとアベルの兄弟の友愛を結び、縦横に一体となり、未来において私たちの先祖と子孫たちが全て横的な基準で、これを完成し、天の前に四位基台完成、家庭理想の安着解放圏に前進する事を許諾いたしますので、天一国の門を開け放ち、三六〇度に門を全て開き、どこでも御父母様の伝統に従い、その名と、そのみ言と、その実績と、その成就した勝利の全てのものを相続する為に、忠誠、忠孝の道理を果たし、忠臣の道理を果たし、聖人、聖子の道理を果たし、自由地上圏内でそれを相続する事を、天宙父母様と天地父母様の願われるとおりに成就してくださる事を、懇切にお願い申し上げます。

 この全ての事が、あなたの創造理想の一念を解放させる、地上・天上天国の統一国入国、全体解放によって、未来において、本然の王権、祝福圏を相続する事ができる、後継者たちと子孫たちとなるよう、祝福してくださる事を、懇切にお願い申し上げながら、真の父母の名によって心から御報告申し上げます。アーメン! アーメン! アーメン!

3.天宙天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式の祈祷

お父様、「天宙・天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式」を奉献いたしますので、

天上の天一国の民と地上の天一国の民が、一心、一体、一念で、相対的世界の統一の家庭を根源とした全体祝福の恩賜の式典として受け入れてくださり、

天宙解放圏の勝利の覇権をもって、本然の堕落のなかったアダム家庭完成のみ旨を、

堕落以降のサタンの愛と生命と血統による数千億の人が、全て同じ位置で、

解放の同等な祝福の恩賜によって、あなたの懐に抱かれる事ができる、

祝福中心王即位式を挙行いたしますので、一体理想として、愛の主権王となり、全体を統治する事ができる日として、受け入れてくださる事を願いながら、真の御父母様の名によって申し上げながら、御報告いたします。アーメン! アーメン! アーメン!

4.天宙天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式の祝祷

 愛するお父様! きょうは、天一国三年二月六日、この日は、真の御父母様の、八十三回と六十回を迎える聖誕の日であると同時に、「天宙・天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式」を挙行する、歴史的な転換の日でもございます。

「天一国」という名は、神様が、堕落していない本然の創造理想を中心として完成したアダムとエバを中心として、祝福する事によって、霊的父母と実体父母が一体となり、新しい真の愛を中心として真の生命と真の血統を連結させ、家庭定着を願った希望の一日でありました。

人類始祖が実体圏を中心として、

アダムは男性的代表格、

エバは女性的代表格として、

高い無形の神様の位置から、

上弦に代わる相対の位置である下弦の低い子女の立場に立ち、

東西南北に広がっていく事ができる四方を備え、

男性と女性が東側と西側から、

無形の天地父母様と中央で一つになって完成基準となり、子女時代を成熟させ、

その次には、約婚時代と結婚時代を備える事によって、

地上の一つの下弦的完成基準と上弦的完成基準が、

東と西、男性と女性の完成基準が、合徳する事ができる、

中心位置における祝福結婚によって、

無形の天宙父母と有形の天地父母が愛の理想を中心として、

創造理想の最高の頂上の位置で合徳する事によって、

神様的中心の愛を中心として、

上弦を中心としてはアダムとエバと神様、

下弦を中心としてはアダムとエバと子女、

右弦を中心としては神様とアダムと息子、

左弦を中心としては神様の女性性相とエバと娘を中心として、

四位基台をなすのでございます。

その四方、前後、左右、上下が、一体理想の定着をする事ができる、

四位基台の中心である神様の真の愛を中心として、

上弦、下弦、右弦、左弦、前弦、後弦が一体理想を備え、

神様が一代ならば

アダムとエバは二代であり、

三代となるアダムとエバの息子、娘を中心とした、

相対的一体理想である四位基台の安着が、

祖父、祖母、父、母、夫婦を中心とする、六数一体とともに、

子女を中心として八数圏を、種として決着し、

全天地において完成的愛の理想家庭の出発をなそうとした全ての事が、

堕落によって、このようになってしまいました。

そのようにして、上弦、下弦、右弦、左弦、前弦、後弦が一体的理想をなす事ができず、

父子である神様と子女が、男性と女性が、兄と弟が、闘う怨讐関係の立場となり、

神様を頂点として、真の愛で連結した真の生命と真の血統を中心として、

安着の家庭理想を願われたのが神様の希望でありましたが、

神様が臨在なさる事ができる中間の位置に、

逆に、天使長が入り込んできて、

アダムとエバと一体になる事によって、

天地父母の位置を悪なる父母が占領するようになり、

その結果、心と体が怨讐となり、男性と女性が怨讐となり、

天とこの地が怨讐となり、

兄と弟が怨讐となり、

その闘争の結果、神様は、孤独な立場、囹圄に閉じ込められた立場となり、

サタン全権時代になるという、悲しく、恨めしい歴史が展開したという事実を、

統一教会の教会員はみな知っております。

お父様!その怨恨にとらわれた天の父母、理想的位置で、一心、一体、合徳し、勝利の覇権的家庭の出発をなし、万世に愛を中心として、太平聖代圏に、たった一つの国、たった一つの血族、たった一つの民族、たった一つの文化世界を、永遠に創建するという事が、全ての面で反対となる闘争の歴史によって、この地、今日の人間の歴史、先祖たちの歴史が、血に染まってきたという、無念で悔しい事実を、統一教会の教会員たちはよく知っております。

そのような環境を見つめながら耐えてこられた天の父母の前に、誤った罪状を悔い改める事ができない子女の立場を、神様が哀れみで包まれ、赦され、代わりに蕩減してくださる事によって、天が先に、個人的な蕩減の峠を越えるうえでも苦労され、家庭的峠、氏族的峠、民族的峠、国家的峠、世界的峠、天宙的峠を越えるうえで、この地上の人間たちが無知であるがゆえに、行く所が分からず、代わりに犠牲となりながら、これを開拓するための代表的な機関として宗教を立ててこられました。

その宗教の中に選民イスラエルを立て、ユダヤ教とイスラエルの国を中心として、

内的・外的、カイン・アベルを基準とする統一圏を中心として、

そのうえに来られるメシヤを中心とした、

父母の位置を策定し、

家庭的勝利の覇権のうえに勝利的基盤を築き、

国家的勝利の覇権を願い、国家的勝利の覇権のうえに勝利的基盤を築き、

それによって世界と天宙史的な勝利圏を願った希望の一念を、全て失ってしまわれたという、天の悲痛な事実を知っております。

不忠で不孝な私たち子女の罪によって、そのような立場に天宙父母を立たせるようにしてしまい、宗教を中心として、超宗教、超政治、超国家、超NGO、超世界、一つの国を成し遂げようとされたみ旨、メシヤを送るとイスラエル民族に約束され、そのメシヤが男性完成者として来て、失ってしまったエバを取り戻す為に、国家的基準においてアダム家庭が失敗して失ってしまったエバの基準を立てる事によって、家庭基盤を築き、そのうえに民族を超え、国家的基盤のうえに勝利の覇権を立て、エデンで理想としていた神様の愛の主権を復帰しようとされた全てのみ旨が、このように悲しみに包まれて、黒く汚れ、転がり落ちてしまいました。

 それを暗中模索しながら、真っ暗闇の中で、お一人、僕の僕の立場から僕の立場、養子、庶子の立場、そのようにして直系の子女迄、そして、母を捜し立て、父母の立場に迄立ち、カイン・アベルの共産圏と民主世界を収拾し、これを抱いて、本然の父である真の父母に奉献してさしあげなければならない、地上の母、エバの使命を中心として、全ての民主世界、自由環境を破綻させるサタン圏の主権と闘いながら、個人克服、家庭、氏族、民族、国家、世界、今日の国と世界の限界線を越えて克服する事によって、お母様が再び出産の苦労をされ、真の父母のあとに続いて従う事によって、初めて、この天地間に、勝利した母、霊肉完成した実体をもつようになりました。

今から、天の国の王権を受け継ぐ事のできる天一国を開門する事によって、地上世界の天国の基盤と天上世界の天国を準備し、一心、一体、一念が動ずる、愛の理想的、真の愛、真の生命、真の血統、真の家庭定着という、解放された名を取り戻して復帰する事によって、怨恨の多かった惰性の世界を除去してしまい、希望に満ちた未来の勝利的愛の主権を再び建国し、天の前に奉献する事ができる、この式典をもつようになった事を、感謝、感謝、感謝申し上げます。

天にいる全ての霊人たち、

祝福を受けた長子圏、天使長圏の祝福家庭たち、

そして、地上のアベル圏、

堕落していない本然の家庭のアダム的アベルの立場で祝福を受けた兄弟たち、

天使世界にいる先祖である兄たちが地上に来て、

アベル的弟の立場を兄として侍る事ができ、

一体となる事によって、天上・地上一体圏のうえに、

縦横に天地父母をお迎えし、

地上における個人時代祝福、

氏族、民族、国家、世界、天宙の祝福の平面途上における解放的基準、立体途上の個人祝福、氏族、民族、国家、天宙的祝福家庭が、縦的な位置にいるのですが、この兄と弟の祝福の位置が交差する事によって、天上にいる兄の祝福家庭が地上に来て、弟の立場にいる全ての祝福家庭を縦的な位置に代置する事によって、天地開闢的大転換、反対に復帰、転換する事ができる時代を迎えたのでございます。

そのようになる事によって、

天宙父母、天地父母、真の愛を中心とする平和統一家庭王即位式を拡大した平面的世界水準と縦的な世界水準が、本来のアダム家庭で一体となり、

一つのところから出発する事ができなかった事を、

元返して、それを成し遂げ、地上・天上天国天一国理想圏の出発をなす事ができるように、宣布し、祝福の王即位式をもつようにしてくださる事によって、

天宙父母、天地父母が真の愛を中心として、

一心、一体、一念、和合し、真の愛を中心とする、真の父母から真の子女の真の血統を中心として、完成した真の家庭定着をアダムとエバが失敗する事によって、偽りの父母が汚した血筋を全て征服し、きれいに復帰された立場において、

一つのアダム家庭を解放させた祝福の位置を、天地父母を通して……。

 真の父母は、汚れたサタンの血筋を清める時迄、数千億の霊界と地上の人たちを、一心、一体、一念で祝福する事によって、天宙父母と天地父母の腹中に一つになって宿った息子、娘の姿となり、出発的基準において、天上、天の国を中心として地獄と楽園を解放し、三六〇度、どの方向にも天の玉座に向かって直行する事ができる、自由解放圏をもつようにしてくださった「天宙・天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式」をもつようになる事によって、本然の形態の姿勢を整えた場において、新たに神様と真の父母が一心同体となり、全体、全般、全権、全能の行事を万宇宙に出発し得る、家庭的天国理想世界に出発する事ができる事を、宣言、命令するようになった事を感謝申し上げます。

 きょうを期して、悪の権勢は後ろに退かなければならず、善の権勢は、前に立って全体を指揮、指導し、新しい天国文化世界の創建に向かって前進し、天の国の栄華と栄光を全天宙に充満させ、万世の祝福された家庭が相続し、天上・地上における解放の主権的愛の主権を受け継いで相続するうえで、天上世界と地上世界の前に不足のない、天国に入籍した祝福家庭の国となるように許諾してくださる事を、懇切にお願い申し上げます。

 この日、天宙父母と天地父母が、一心、一体となった場において、天国開放を中心とする天一国の統一の世界に、一体理想の主権の世界に前進する事を、真の父母の名によって、命令、宣布しながら、懇切にお願い申し上げますので、願うとおりに成就するようにしてください。真の御父母様のみ名によって御報告いたします。アーメン! アーメン! アーメン!

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