人間の生と霊魂の世界


第一章 人生の行くべき道

 一 私達の人生の道

 1.一寸先も見通す事の出来ない人生

 人々はしばしば、「人間は来ては逝くものだ」と言います。古来より、行くら立派な聖賢君子も来ては逝きました。この様な歴史の動き、この様な天倫の動きは、この瞬間、私にも続いているという事を考えなければ成りません。来ては逝くべき私達自身です。何の因縁と関係しているのかは分かりませんが、この地に来て、この万象と、あるいはある理念的な形態の中で身悶えして逝く事をよく知っています。では、私達人間は何の為に来て、何の目的の為に逝くのでしょうか。これを数多くの哲人達、数多くの宗教人達が心血を傾けて解決し様としました。しかし、解決出来ないままに、人類歴史はそれによる寂しさとともに今迄動いてきました。また今も、ずっと動いていっています。

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 私がなぜ来て、なぜ生きなければならず、何処に行かなければならないのでしょうか。生まれた事を、皆様自ら生まれたものと考えては成りません。生まれはしましたが、何の動機で生まれ、何の為に生まれたのか、私を生む様にした動機と目的が分からない私達です。生まれる事は生まれましたが、私が生まれ様として生まれたのではなく、生きるには生きますが、私が生き様として生きるのではなく、死ぬには死にますが、私が死のうとして死ぬのではないというのです。

 それなのに、自分をもち上げて何を誇るのでしょうか。自分自身が生まれたくて生まれる事も出来ず、自分自身のその何かをもって生きる事も出来ず、死の道を避ける事も出来ない自らをもって何かを誇ってみても、哀れで物悲しいだけです。生まれたから生きなければならない運命であり、またその様に生き、逝かなければならない運命です。

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 今私達は、知ってい様がいまいが、ある所に向かって進んでいます。私が動く時間にも進んでいるのであり、休んでいる時間にも進んでいるのです。単に私だけではなく、この民族、あるいはこの世界、さらには天と地迄もある所に向かって今、進んでいるのです。これは否定出来ない事実です。この一生をたどったのちに、私はどの様な所に行くのでしょうか。これが、人間が解決すべき重要な問題です。宗教もこの問題を解決する為に、哲学も歴史もこの問題を解決する為に動員されています。ですから、皆様自身もこの様な運勢に捕らわれ、引っ張られているという事を否定出来ないのです。

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 行く歩みを捕まえておいて、動く心と傾く心情を阻んでおいて「お前は何処に行くか」と尋ね、これを解決する為に闘って来た人々が聖賢賢哲であり、あるいは数多くの道主達だという事を私達は知る事が出来ます。彼らはそれを解決する為に現れましたが、この日迄「私の体と私の心、私の心情、私の生命と私の理念はこの様な所に向かって走るもの成り。故に全天下にある全ての万民、あるいは天地に存在する全ての存在物はこちらへ行け」と、自信をもって命令した人はいないのです。

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 今日、人間の生活というものは七十年、八十年しかありません。七、八十年しかないこの短い生涯路程において、歴史的にこんがらかった善の圏を全て収拾し様とするなら、億千万年かかっても出来ないという事を、心は知っているというのです。ですから、この短い七、八十年のこの期間において、善成る圏を因縁づけるべき事が、その様に膨大にあるという事を知っているこの心、良心はどれほど催促するかというのです。

 死んでは駄目だというのです。死ねば出来ないのです。生きている間、因縁を結んで地上で祖国光復をし、本郷の地を求めて天の主権者に侍り、その民とその国で生きて逝ってこそ、天上天国に行けるはずですが、その世界に行く事が出来ず、その世界を見つめる事が出来ないこの心が、どれほどせわしいかというのです。

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 どうせ逝くべき私自身だとするなら、この体は何処に行こうとするのでしょうか。この心は何処に行こうとするのでしょうか。またこの生命は何処に向かって傾いていて、私の心情は何処に行こうとするのでしょうか、また私の願い、あるいは希望と理念は何処に行こうとするのでしょうか。

 この問題を解決出来ないとしても、私達はいずれ逝くべき運命に置かれているのです。私達が生来たのちに死ぬ日、この体は土に埋められる事によって終わるはずです。では、体が埋められるその日は、心も、この生命も、この心情も、この理念も、あるいは願い迄も共に埋められてしまうのでしょうか。消えてしまうのでしょうか。ここにはっきりとした内容と、はっきりとした解決点と、はっきりとした目的観を立てておかない限り、人は不幸な人であらざるを得ないのです。

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 私達は何を中心として生まれ、何を中心として行くべきであり、何を目的として行くべきでしょうか。これは神様を抜きにしては絶対に駄目なのです。神様を抜きにしては動機のない因縁に成るのです。動機をもつ事の出来ない人は、ある事を成就し様としても、その結果を収める事が出来ないし、価値を認めてもらえないというのです。ある建物を建てる時は、設計者が設計した設計図によって建築をします。設計の原本もなく造られた建築物は、設計者が目的とした建物に成り得ないのです。

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 出発を誤れば、とんでもない所へ行くのです。それ故に船が大海を航海しても、出発した港から羅針盤を中心として、行くべき目的地に向かって方向性を描いておいてこそ行くのです。それでは、人間が出発した港は何処でしょうか。分からずにいます。羅針盤をもって彼岸の世界に到達出来る、目的地を描いて行く事の出来る方向性は何処にあるでしょうか。ないのです。これがくねくねと、自分勝手に行ったり来たりしました。この様に考えると、人間は行くらやってみたとしても、人間として終わるのです。

 2.私達は何処に進んでいるのか

 人生をこの様に生きて行く目的は何でしょうか。この問題を再び考えて皆ければならないのです。動機が自分によるものではなかったので、目的も私だけのものではないに相違ないのです。暮らす事において幸福な立場を嫌う者はいないし、豪華絢爛な立場で生来たくない者はいないと思いますが、思いのままに出来ないのが私です。しかし、また自分自身を誇ってみたいし、思いのままに生来たいし、思いのままに残りたい私です。この様な心情の交差点をもった私だというのです。

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 秋の季節が来たという事実は、冬が迫っているという事をいうのです。冬は、生命があるもののみが通過出来る過程です。生命をもっていないものは全て、ここで後退せざるを得ないのです。それで、冬が来る前に新しい生命を注入しろというのです。新しい生命は新しい愛を中心とした新しい主義と思想、そして、新しい人生観、新しい世界観、新しい宇宙観をもたなければならないのです。そうでなくては冬の季節を通過出来ません。冬の季節を通過出来る生命力をもつ様になれば、それを通過する過程は難しいけれど、行けば行くほど春が近づくのです。春が訪ねてくるというのです。統一教会はその道を行くのです。

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 私達はこの世に生きていますが、この世だけではなくて霊界がある事を知っています。この世と霊界は二つの世界ではなく、一つの世界として連結しています。私達が行くべき所、私達が行って住まなければならないその場所とは何処でしょうか。私達は肉身生活をしながらこの地にいますが、永遠の世界に向かって行っているのです。一般の人々はこの世に生まれ、十代、二十代、三十代を過ぎて青春時代を過ぎて壮年時代に入って行く様になれば、どんどんと一つの峠を越えて、その次には老年時代に入って行く様に成るのです。この様に、沈む太陽の様に一生を終えます。

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 霊界があるという事実を知っている人達は、人生というものがわずかの間で、死んだのちに私達が迎えなければならない世界が永遠だという事を知っています。故に一生の期間とは、永遠の世界を準備する為の期間だというのです。世の中とはその様なものではないですか。

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 人は何処へ行くのでしょうか。霊界に向かって行くのです。霊界は海と同じです。どうせ行かなければならないのです。海にも流れがあるのと同様に、そこには調和無双な変化があります。海には主流の流れを中心として、淡水にはない調和の存在があります。海に数多くの魚族がいる様に、そこには数多くの新しい天地の家庭がいます。あの世に行く様に成っても同じです。

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 人は何処へ行くのでしょうか。天国へ。この様に成るのです。天使は何処へ行くのでしょうか。天国へ。父母は何処へ行くのでしょうか。天国へ。それだけでなく、育てた子犬は何処へ。地獄ではありません。昔避難する時、北韓でとても良い生活をする金持ちの家に、とても高い犬だと自慢していた人がいました。その人が避難する時、犬をしっかり門に結んでおいて、「おい! 元気でな。私だけ行ってくるから」と言うのです。私達統一教会の食口達は、それではいけないのです。今からは犬も天国へ。全ての万物も天国へ。主人が行く所には、何処でもついて行く事が出来るというのです。

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 霊界と肉界、人間の混乱した思想界の複雑な事を全て打開して、この様に単調で簡単な一つの方向が設定されて、明確な一つの価値観を私が見つめて行く様になったという驚くべき事実を知らなければ成りません。その段階ごとで力が分散されるのではありません。段階が発展すれば発展しただけ、力が共にあるのです。愛の原動力が私の生活圏に反応するのです。ですから、愛から生じ、愛を受けて愛したのち、愛の世界へ行くのです。神様に帰って行くのです。結果は原因へ帰らなくてはならないでしょう。ですから、神様の様な考え方をもたなければならないというのです。

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 私達は何処へ行くべきでしょうか。死線を越えてでも行くべき所とは何処でしょうか。神様を求めて、その神様に仕え心から喜んで楽しむ事の出来る日、私の心の世界で「これ以上の願いはありません」と言う事の出来る一時を迎えなければ成りません。その為に、私達は困難に耐えて、無念さに耐えて、悔しさに耐えながら、この世界を越えていかなければならないのです。この様な世界を越えて行く自分自身に成っていない限り、世界と共に消えるのです。

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 人間は何も考えずに流れに任せて生きながらも、死ぬ事を嫌い、「なぜ生きなければならないのか。根源がどの様に成っていて」と、皆様、疑問が多いでしょう。その全ての疑問は、人間の哲学書だけでは解決出来ないのです。哲学というのは、今迄神様を求めて行く道を開発したのです。宗教は何ですか。神様を知って、共に生きる生活から始める事が宗教生活です。

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 霊界を無視しては駄目です。これが行く原則である故に、行くら優秀な人もその原則に合う様にこの地上に生きて一体理想、均衡的な平準化を成し遂げなければならないのです。相対的平面です。均衡を取って、九〇度を中心として引っ掛からないで水平に回らなければならないのです。それで、三六〇度を回りながらも、ここで引っ掛かっては成りません。サタンが少しだけ口出ししても引っ掛かるのです。ですから、回っても、回っていない様に見えるこの様な歴史をもつ人が入っていかなければならないのです。家庭の本格的な再検討時代が来るのです。統一教会検討時代です。これからは教会がなく成るのです。神様に侍って暮らす事の出来る本然の時代です。

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 生命圏、愛圏、血統圏の堕落、全世界が引っ掛かっているこの事が、同じ条件と同じ公式なのです。同じ公式の条件に引っ掛かっているのです。それ故に、どんな事があってもサタン圏の、自分の肉体が要求する全てを放棄し、良心圏が願う所に一〇〇パーセント移動すれば地上天国圏に立つので、神の国、地上天国世界と天上天国世界を境界なしに無限に通じる事が出来る自由圏を得る事が出来るのです。そちらへ越えていかなければならないという自覚をもたなければ成りません。この様な難しい問題があるという事を、人間は知らずに生きているのです。人間は、この様にもつれた背後の内容があるという事を皆知らずに生きて霊界に行くので、地獄に行くのです。

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 私達人間は、生まれると一度は死ぬ様に成っています。所で、死ねば何処へ行くのでしょうか。煙が消えてしまう様に消えてしまうのではありません。必ず霊界に行く様に成っています。霊界に行く様になれば霊界の国があります。では、その霊界の主人は誰ですか。神様です。それ故にその神様の息子、娘にならなければ成りません。神様の息子、娘に成る事が出来なければ天国に入れないのです。

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 霊界があるならば、霊界はああしたりこうしたりと変わると思いますか。「人の心は朝夕に変わり、山の色は古今同じである」という言葉もありますが、霊界は変わりません。神様がいるならば、その神様は変わりますか。神様は変わりません。神様が統治する霊界の国があるならば、その国は変わりません。億千万世に定めた法に従って生きながらも、不平不満を感じないで順応と柔和の道理に従って、厳然と存続し生存するのです。そこには革命家は必要ないのです。革命をすれば、全て滅びるのです。

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 皆様はカナン福地に入らなければ成りません。この地球星がカナン福地に成っている為に、天国の外的世界が近づいて来たが故に、地球村時代が来ます。人工衛星というものがあって、座っていても天上世界を旅行出来る時代が来ました。相対圏の人工衛星時代が来るのです。その次にはコンピューター時代が来るのです。霊界にコンピューターがあって、一生の全ての記録が現れるのです。人生の歴史や全てのものをあっという間に知る事が出来る時代になったのと同じ様に、統一教会を中心として地上地獄膨脹主義時代から地上天国出発時代へと交代するのです。

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 アダムとエバがエデンの園で、食べ物のお金を払って食べたのでしょうか。全てただです。この様に見る時、霊界に行って住む時も、全ての環境的条件をつくられた神様が、人間に無限な価値をただでくれたが故に、霊界に行っても無限な価値の存在が全て自然に供給されるのです。その霊界は、神様が住まわれる本郷の地です。ここでは、お金を出して買って食べないのです。私達人間の想像が及ばないほど、全ての事が可能な補給地です。皆様はその霊界を知らないから、分からないのです。本来の堕落しない後孫ならば霊界を知っているのです。

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 なぜ本郷を恋しがるのですか。父母に対する愛、兄弟に対する愛、夫婦に対する愛、その地に対する愛、故郷山河に対する愛と同じです。あの世でも真の愛という全く同じ公式に成っています。本郷には父母がいて、夫婦がいて、兄弟がいます。全てのものがそこにあります。立派な食べ物もあるのです。食べ物も、見える食べ物と見えない食べ物を合わせてこそ本当の食べ物に成るのです。なぜ私達がこの様に苦労をするのですか。故郷に行く為です。その様な希望に満ちた霊界の相続を受け様としてそうなのです。

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 故郷というのは、制限されたここだけの事をいうのではありません。何処に行っても、故郷で暮らす様に生きなければならないのです。何処に行っても、一生を恋しい故郷で暮らすのと同じ心をもって生きなさいというのです。大韓民国の四千万を中心として和合し、その様に暮らす事の出来る人は、あの世に行けば霊的な人格の価値が大きく成ります。この様な事を知って、故郷を考える時は必ず霊界を思いながら愛の人格を備えて、父母の様に、お兄さんの様に、お姉さんの様に「為」に生きなさいというのです。それとともに、自らの愛と生命を投入し息子、娘を育てて、もっと立派な子孫を故郷の地に残すという心をもたなければ成りません。その様な思想をもって暮らしてあの霊界に行く様になれば、全てが私の故郷の地に成るのです。

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 私達統一教会の食口達は、どの様な道を行かなければならないのでしょうか。神様が願う道に従って行かなければならないのです。天意の道に従って行こうというのです。天意とは何ですか。天意には個人が行くべき天意の道があり、家庭が行くべき天意の道があります。そして、社会が、国家が、世界が、霊界迄……。皆様は霊界を知らないでしょう。その分野の専門家が文先生です。霊界は間違いなくあるのです。

 3.一生は霊界へ行く準備期間

 行くら考えても自然世界の摂理はやむを得ないのです。皆様も死なない事を願うでしょう。死なない自信がありますか。自然が調節するのです。霊界の法に従っていかなければならないのです。それと同じ道理です。

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 霊界が私達の故郷の地です。本然の故郷の地です。この地は本然の体の故郷の地であり、霊界は本然の心の故郷の地なのです。この次に行く所が心の世界、霊界です。それ故に、ここであらかじめそこに合わせて訓練をしてこそ、そこに行っても支障がありません。アメリカの人々は、ハンバーガーを食べなければ成りませんし、チーズを食べなければならないでしょう。韓国の人々は、キムチを食べ、唐辛子みそを食べなければ成りません。霊界にもハンバーガーがあるのか、キムチがあるのか知りませんが……。ですからここで、そこに拍子を合わせる様にする事によって、あの世に行って苦痛がないのです。

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 今迄一般の人々は死ねば全てなく成ると考えたのですが、そうではありません。霊界があるので、そのままつながるのです。その霊界に行く為には地上で準備をしなければ成りません。霊界に行けば愛によって呼吸する為に、地上で愛を中心として生活してこそ、そこでも自由に呼吸出来るのです。地上で愛を中心として生活しなければ、そこで自由に呼吸出来ないのです。霊界は、愛を呼吸する世界です。愛が空気の様な世界だと自由に考えればいいのです。第二の新しい出発を「死」というのです。それ故に、その様に怖がる必要はありません。死は新しい出発の門を開くのです。

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 霊界が故郷です。故郷に帰って永遠に暮らす事の出来るその基準を、地上で合わせて逝かなければ成りません。地上生活で自分の思いのままに、今迄の世の中の何も知らない人々の様には生活出来ないのです。霊界を知って、そこに合わせて生きる事によって、この世を離れる様に成る時、神様の前に行って天国と関係を結ぶ事が出来るのです。そうでなければ、不可能だというのです。それ故に皆様は、霊界に対する事実をはっきり知らなければ成りません。

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 霊界は愛の空気で出来ていますが、皆様の霊人体が準備をせずに天国に入っていけば、息が出来ないのです。ここは空気で成っていますが、あの世界は愛の霊界です。皆様の霊人体が愛を感じる事が出来る様に準備をしなければ成りません。その様に出来なくて霊界に行けば、関係を結ぶ事が出来ないのです。これが問題です。問題が大きく成ります。何千万年はかかるのです。

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 皆様は、本然の愛で愛さなければならないのです。それ故に霊界に行く様になれば、霊界は愛が空気に成っています。細胞が愛化する事を体験してこそ、全てのものが自然らしく成るのです。細胞は全て呼吸するでしょう。愛の細胞を全て何処で育てて行くかと言えば、真の夫婦に成って神様の愛を中心として育て、神様の世界に行き愛の空気を永遠に吸いながら暮らすのです。それでこそ死にません。愛が根本であるが故に、愛をもてば何でも自由に実践躬行出来る世界だというのです。愛する人の為に何でもつくり、何でも創造出来るのです。その様な霊界があるのです。私達の本郷があります。

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 塩水と淡水は何が違いますか。味が違うのです。塩水は塩辛く、淡水は何の味もありません。同じです。この地上では味がありません。しかし、霊界に行けば味があるのです。水は生命を伴う事が出来る力をもっていますが、塩は生命を生産する為に必要なものです。

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 水は、海深く迄行かなければならないのです。行くら大きい川を流れる淡水であっても、海に入っていけば塩水に成ります。行くらきれいだといわれる有名な河川水でも、海に入っていけば間髪を入れず、さっと変わるというのです。全く異成る色合いと味とに変わるというのです。これと同じ様に人間達は、全て霊界へ行くのです。淡水で生来たそれが、そのまま通じないのです。海水に成るのです。

 ですから、宗教人達は、生きていきながら塩水を加える事が出来る資格をつくらなければならないというのです。そうすれば、霊界に行って相反しないのです。万一、淡水がそのまま入っていってしまえば問題が起こります。人間もそのまま霊界に入って行く様になれば、大変な事に成るのです。

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 河川水は何処へ行きますか。海へ行くのです。海水と河川水は違うのです。地上は河川水と同じであり、霊界は海水と同じです。それ故に人間はどの様な者も、地上で生来た者は霊界に全て入っていきます。淡水と塩水と混ざった場合には、淡水魚は塩水ではどの様に成りますか。淡水魚は塩水では死んでしまいます。突然に入っていけば窒息します。それ故に、慣れなければならないのです。

 水の色合いも同じで温度も同じだった場合には、何処にある水を飲んでも何でもないのと同じです。地上世界と霊界の世界が突然に連結した場合には、淡水魚が塩水と出合って死ぬのと同じに成るのです。どの様に呼吸しますか。大変なのです。鮭が塩水から淡水へ上って行くのには二週間の期間を費やして、少しずつ慣らしながら上って行くというのです。呼吸が苦痛でない様にしながら、歩調を合わせて移動していきます。

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 海へ入って行く時の気分はどうでしょうか。「ああ、入ってい来たくない!」と言うでしょうか。皆様、そう思いますか。皆様に、死んでしまって何処へ行く

のかと尋ねると、皆「霊界へ行く」と、その様に言うでしょう。それでは、その霊界へはどうやって行くのですか。死んで行くのです。かといって、誰でも死んでみたくはないものなのです。

 それでは、河川水が流れてついに海に入って行く様になれば、どの様に成りますか。河川水が海水をかぶると、どの様に成りますか。「ああ、気分いい!」その様に言うのですか。全てのものが小さく成ってしまった様な衝撃を受けるのです。縮小されたとでもいいましょうか……。最も大きいものから最も小さなものに成ってしまった様な、大きい衝撃を受けるというのです。

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 霊界に行来たくないとしても、誰でも行かなければならないでしょう。ここで自分は絶対に死なないという人、手を挙げてみて下さい。行くら刀をテーブルの上に刺して誓っても、人間は死なざるを得ないのです。死ねば何処へ行きますか。霊界に行きます。そこは大きい川と同じです。行くら大きい川といっても、流れていって全て海に行くのです。「海に行く事が出来ない。海に行来たくない」と言うのは、生きているけれど死んでいるというのです。それは存在の価値をもっていない事と同じです。

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 私達が霊界に行く前に、私が何をして暮らしたのかと、私達の生活を一度ずっと反省してみる時、それは深刻な問題です。皆様、霊界は未知の世界です。霊界はどうせ行かなければならない世界ですが、未知の世界だというのです。無限拡大の世界です。そこに行く様になれば、皆様の先祖に全て会えるのです。数千、数万の先祖と一遍に会える所です。彼らが皆様を迎える様に成る時、評価するのです。

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 準備といっても、易しい準備はありません。それ故に一生を見る時に、少年時代は青年時代の為の準備時代である事を知っている人は将来性があるのです。壮年時代は老年時代の為に準備しているのであり、老年時代は霊界に行く準備をするのです。一生自体は大宇宙の人格を備える為に一つの訓練過程をたどっている修練期間であり、準備期間だという事を私はよく知っています。

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 今はビザとか国境が問題に成る為に出来ませんが、言語だけでも統一されれば、何処でも私の故郷の様に、私の国の様に暮らす事の出来る時代に成るというのです。どうせ、その様に行かなければならないのです。ですから、ソ連でもアメリカでも、皆一つの家族の様に生活しなければ成りません。今後はテレビの様なものも、財布の様に小さいものを作るのです。今でもそうではないですか。ポケットに入る小さいテレビも出ているでしょう。ですから人工衛星を中心として、全て見る事が出来る時代に入ったというのです。何処に行ってもです。その様に集約された小さな世界が、全て入ってくるというのです。

 人間生活が便利に、何処でも移動出来る様に成るのです。その様な小さなものを車一つに全て積んで、行き来しながら暮らす事の出来る時代にならなければ成りません。そうなれば、いいでしょう。韓国を離れて七十、八十歳迄世界一周をしながらですね。その様な時代が間違いなく来るのです。先生は、そこに対する準備をしているのです。

 4.生涯はあまりにも短い

 人間の一生は短いのです。生涯において十年がいつ過ぎたのか知らないのです。結婚して三十年以内に、全てのものが決定されるのです。それ故に、人生の道はいつも待っていません。忙しいのです。そして、一回ずつ皆死ななくては成りません。死なないですか。死なない自信がありますか。死ななくては成りませんね。死ねば何処へ行きますか。霊界がある事を知っていますか。先生は霊界を知っているが故に一生をかけてこの仕事をしています。世界を全て料理しながらです。この世はつかの間です。十カ月の腹中生活と同じです。

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 統一教会は、その霊界へ行く事が出来る準備をするのです。ですから統一教会は、霊界で合格する為の準備をする所です。では、そこで完全に合格するか、不完全に合格するかというのです。また、落第生に成って不合格に成る事もあるというのです。この様に見る時、皆様は霊界に行く準備を地上でしなければ成りません。地上という所は、旅人の旅路の様なものです。いろいろな過程を通過します。女性としてある父母から生まれて育ち、今は年も取るだけ取って何処で生まれたのかも分かりませんが、その様に育ち男性に出会い、共に道を歩ん出来ながら愛を通して子供も生む様に成ります。その様な事をしていきながら苦労するのです。ちょうど苦労して馬車を引っ張って行く様に……。

 

所が、その車がいつ故障するか分かりません。険しい岩の道を通る事もあるでしょう。そこで誤ってしまうと故障するのです。故障すればどの様に成りますか。これ以上行く事が出来ません。それを修理しなければ成りません。修理する能力がないと大変です。それで、力や能力がない場合には一年もかかり、二年もかかり、十年もかかるのです。そこを抜け出てくる事が出来なければ死ぬのです。その様な旅路を行くのです。時には旅館に入っていっていろいろな人に出会ったり、時には立ち寄る所もいろいろあるでしょう。人生は、一つの旅行の道の様なものです。そうして行く所が結局は霊界なのです。

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 一生というものは早いのです。一生は本当に早いのです。物事の分別がつき事情を知って、ああだこうだしているうちに四十を越えればすぐ五十であり、十年はつかの間です。五十ならば六十はつかの間で、六十になれば七十がつかの間で、私も静かに考えてみると「一場春夢」という言葉を実感するのです。

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 私達の人生の一代というのはつかの間です。この一代が永遠の尺度を上げたり下げたりするというのです。秤と同じ様に上がったり下がったりするのです。その様に成っているというのです。

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 皆様、見て下さい。皆様が八十年生来たとしましょう。その中で夜に寝る時間を除くと四十年に減ります。半分に減るのです。寝る事も生きている事ですか。寝る事は死んだ事と同じです。寝る事は死んだ命なのです。それ故に、二十四時間の中で生き様とあくせくする時間は半分にしか成りません。

 またここで御飯を食べる時間を一時間ずつ抜いてしまうとどうですか。御飯を食べる時間を一時間と考えなければ成りません。またその中で友人の祝宴の日、町内の人の還暦日、誰かが死んだ日、葬式を執り行う日、病んで横に成っている日、あらゆる日を除くと、生涯において生きている日が半分にも成りますか。この前計算してみると、生きているという事が七年と出てきます。その七年の中で「本当に生来た」と言う事の出来る日が何日出てくるかです。何日にも成りません。

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 この肉身世界は短い期間なのです。長くないというのです。それを知れば眠る時間が惜しいのであり、御飯を食べる時間が惜しいのです。御飯を食べる事も行きながら食べます。寝るのも行きながら寝て、遊ぶのも行きながら遊んで……。それはどれほど悲惨ですか。そうであればあるほど、世界の誰も受けられない福を受けるのです。これは歴史的な内容だという事を、皆様が知らなければ成りません。

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 自分が運を百ぐらいもって生まれたのに、百二十ぐらい生きて逝く人は、子孫が滅ぶのです。人の運はゴム紐と同じで、縮められるのです。しかし、八十ぐらい生きて死ねば二十ぐらいの福を残し、その運勢を子孫の前に相続してあげて逝く事が出来るというのです。そうでなければ成りません。

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二 死に対する正しい理解

 1.死は人生必然の道

 人々は七、八十年生きればよい、死んでしまえばそれ迄だ、といいながら死ねばおしまいだと思って今迄生きて来た人々が多くいます。しかし歴史路程を通じ考え深い人々は、どの様にすれば人が死なないで永生出来るだろうか、もっと生きる事の出来る道はないかと考えてきました。み旨を抱いた人であればあるほど「人生とは何か。人間はなぜやって来て旅人の様に逝くのか」と言い、「人生は苦海」とか「草露の人生」だという話をしてきましたが、永生する事さえ出来るならば、その様に悩む必要がないのです。

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 歩みをとどめて、揺れ動く心と傾く心情を抑え、「お前は何処へ行くのか」と尋ねて、それを解決する為に闘って来た人々が聖賢賢哲であり、あるいは数多くの道主達だという事が分かります。彼らはそれを解決する為に出てきましたが、今日迄「私の体はこの様な所へ行って私の心と私の心情、私の生命と私の理念はこの様な所に向かって走るのである。だから天下のもとにいる全ての万民、あるいは天地に存在する全ての存在物はこちらへ行きなさい」と自信をもって命令した人はいません。

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 皆様、ここで永遠に生きますか、無形の愛の実体になった所で永遠に生きますか。神様が無限な創造世界を見せたいと思う時、皆様はこの体で神様について行く事が出来ますか。ですから霊人体が必要なのです。これは妄想ではなく、事実なのです。見えない精神の中心と成る神がいるならば、その神が相対的存在を必要とするならば、人間を連れてきて自分が創造した永遠なその全ての理想圏を見せてあげたいし、与えたい事でしょう。

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 一つしかない服を着たならば、それを誰かがはがそうとすると、死んでも脱がない様にするのです。春夏秋冬の季節の服をきちんとしておいて、今は春なのに冬服を着ていたならば「これは冬服だ、脱ぎなさい」、夏に春の服を着ている人には夏服を持っていってあげて「脱ぎなさい」と言わなければ成りません。その様な事を知らなかったというのです。人間の死の問題も同じだというのです。代替する事が出来る、より価値のあるものが何かを知らなかったというのです。

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 天は人間的な希望を中心として生きている地上の人間をして、新しい希望をもって死の峠も越える事が出来、永遠の世界を欽慕しながら暮らせる様にする為に無限に心を砕かれたのです。それ故に信仰生活をする人々は、地上の希望を抱いて生きるのではなく、死迄も越える事が出来る希望を抱いて、永遠成る希望の世界を夢見て生活しなければならないという事を教えてきました。

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 皆様は、全て霊界に行かなければ成りません。それが一つの国ですか、二つの国ですか。一つの世界です。それでは、その世界で生活する内容とは何でしょうか。それを考えてみましたか。水の世界の魚は水の世界を離れては生きられないのです。水が絶対的な生命です。河川水に暮らす魚が河川水にだけにいては駄目です。海水にも行ったり来たりしながら生きなければならないのです。

 なぜそうあるべきですか。淡水の魚は海水と接するその水を味わう事なしに繁殖する事が出来ません。それを知らなければ成りません。海に暮らすものは必ず淡水に来てその水を味わってこそ繁殖する様に成っています。二つの世界に通じなければならないのです。心と体もその様に成るのと同様に通じなければ成りません。

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 死の道は、友もいない道です。愛する父母もいない道であり、愛する兄弟もいない道であり、愛する夫婦、愛する子女もいない道です。ただひたすら一人で行かなければならない道です。行ってみる事も出来ず、行けば戻ってくる事が出来ない道、一度行けば永遠に帰ってくる事の出来ない道ですが、この道を行く様に成る時に、皆様はどの様な心をもって行くのでしょうか。皆様が死に逢着する瞬間、その死を越えて立つ事が出来る希望がないとするならば、そこでおしまいです。

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 韓国語の中にどういう言葉があるでしょうか。年を取って死ねば、「帰られた」と言います。お爺さん、お婆さんがなぜいらっしゃらないのかと尋ねると、「帰られた」と言うでしょう。何処へ帰ったのでしょうか。霊界へ帰ったのです。

 本来、無形の神様から出発したが故に、本然の故郷は無形の世界です。無形の世界から有形の世界を経て地上で繁盛して暮らして、その次には再び無形の世界へ帰って行くのです。その様に帰るのです。無形の父から出発し、有形の父の体を借りて生まれて暮らして、有形世界の体を脱いで本然の形態へ帰る事が、霊界に行くという事です。

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 人間の男性、女性は、全て五官をもっています。その中で頭に四官があります。目、鼻、口、耳、手、これで五官ですね。ここで一番重要なものは頭にあります。この頭にある四官というものは、神様を中心とした霊界を象徴します。肉体とは別個の世界でしょう。その頭は思いのままに回ります。それはなぜ回るのかと言えば、四方を見る為に、四方を聞く為に、四方のにおいをかぐ為に、四方に向かって話す為にです。それ故に、もし頭が回らなければどの様に成りますか。とんでもなく不便だというのです。

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 この地上に生きている人間は、第三世界である本然の世界に帰らなければならない為に、愛の世界に行って暮らす事の出来る私に成る為、愛の世界において呼吸器官の様なものを準備しなければ成りません。この肉身を破裂させて出て行くのです。赤ん坊が皆、赤ん坊の家を破裂させ、破壊しておなかから出てくるのと同じです。それで、産みの苦痛を受けるでしょう。同じ様に第二の産みの苦痛が死です。

 肉身が生きている間には何を準備しなければならないのでしょうか。水の中で空気と全てのものに合わせる事が出来る呼吸器官を準備した様に、この肉身の世の中で準備する事は、霊界に行き愛の器官を中心として呼吸出来る準備をしなければならないというのです。そうして、体を全て破裂させて出て行く様になれば、愛の器官を中心として呼吸し、制限的環境に生きて来た事を越えて、無制限に自由奔放な人間として生きなければならないというのです。

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 私も神様に似てみたいし、神様も私が神様の息子、娘であるならば似る様にしてみたいという観念をもつ事は必然的なのです。ですから、私は神様に似てみたいし、神様は私を連れてい来たいという事を可能にする道を模索するはずです。それで、人は再び神様と似る事が出来る体をつけて生まれるべきだという結論が出てくるのです。その様に生まれる日を神様も待ち焦がれるはずであり、人間も待ち焦がれるはずです。

 その様な人として生まれる日、その様な体で生まれる日、それは必要ですか、必要ないですか。これが、死だというのです。それでは、人間は死を歓迎しなければならないでしょうか、歓迎してはならないでしょうか。死ぬにおいて何の為に死ぬのかという時に「神様の真の愛の為に死ぬ」と言うべきです。ですから、肉身を脱ぐ事は無限な神様の愛の活動圏に私が同参する為であり、神様の愛の世界の為だというのです。

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 神様の愛の中に生まれる事が死ぬ事なのですが、人間世界では「ああ、死ぬ」と大騒ぎするのです。それでは、神様はそれを見てゲラゲラ笑いますか、それとも「うー」と言うでしょうか。人間世界では泣いたりわめいたりしているのを神様が見る時、悲しむでしょうか、喜ぶでしょうか。制限された愛の圏内から無制限の愛の圏内へ突入出来る喜びを迎える事が出来る瞬間が、第二の出生の瞬間、死の道を通過するその瞬間ではないでしょうか。

 それなら神様が皆様の肉身が死ぬ日を喜ぶでしょうか、第二の無限拡大世界の愛の為に活動する息子として生まれるその時間を喜ぶでしょうか。なぜこの様な話をするのでしょうか。皆様が死の恐怖から解脱しなければ神様と関係を結ぶ事が出来ないという事実を知らなければならないからです。

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 神様の息子として本当に生まれる日には……。あの無限な星の中で、ダイヤモンドの星の世界があると思いますか、ないと思いますか。それを考えてみて下さい。ダイヤモンドが欲しいでしょう。「金だけで出来ている星はない」とは言えないのです。それはあり得ます。

 私達の父である神様が、どれほどお金持ちでしょうか。考えてみましたか。無限なこの宇宙をあっという間に往来出来ます。それに関心がありますか。本当に関心がありますか。そうし様とするならば、神様が「やってはいけない、やりなさい」というその法度を守ればよいのです。そうすればそれが可能であって、自分勝手にしては可能ではないという事は理論的に正しいのです。皆様、神様が「やってはいけない、やりなさい」という事を守る事が出来ますか。「人は二重に成っていて、心が主体で体は相対なので、心と体が一つに成りなさい!」。これは正しいですか、間違いですか。

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 神様の恨とは何ですか。真の息子、娘を心情的完成者として教育出来ず、兄弟的心情を教育出来ず、夫婦の心情を教育出来なかった事です。この地上において夫婦がこうでなければならないというその心情的基準で教育出来ず、夫婦に成って母と成る所においてはどの様にしなければならないかという教育をする事が出来なかったというのです。これが、人生の教本だったのに、その教本を全て失ってしまい自分勝手に生きる人間像に成ってしまったので、霊界に行く時は地獄に行くのです。

 地獄に行くにも、一つの所に行けないのです。地獄に行っても放浪するあらゆる群れがいるのです。これを収拾しなければならないのがアダムとエバですが、知らずに堕落したから完成がないのです。それ故に、全ての事を知っている神様が責任を負うのです。救援摂理を誰が主導するのかと言えば、神様が主導し、復帰摂理も神様が主導しなければならず、再創造摂理も神様が主導しなければならないのです。

 2.死は三世界を連結する過程

 私達人間の一生は腹中時代十カ月、肉身時代百年、そして霊魂時代の千年万年を永遠に生きていきます。私達の顔を見れば口、鼻、目、三段階に成っていますが、これは人間が生きて行く三時代の姿を見せてくれているのです。口は物質の世界である腹中時代を象徴し、鼻は人の世界である地上時代を、目は霊界の天上時代を表しています。

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 皆様、人は最初生まれる時、最も深い水の中で生まれるのです。腹中時代は水中時代です。赤ん坊が母の胎内にいる時は、水中にふわふわ浮いています。さっと考えれば、母の腹中時代には息が詰まって生きるのが難しい様に感じられます。しかし赤ん坊は胎内が宇宙です。そこが水中でも、赤ん坊にはその世界が自由天地なのです。水中に生きているので当然、水を飲んだり出したりする事をしなければならないでしょう。その為に、腹中の子供達はホースをおなかに連結して暮らすのです。

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 人は三世界、蘇生、長成、完成時代を経るのです。腹中での水世界、それから地上での地球星世界、その次には天上での空中世界で住みます。言い換えれば腹中水時代、地上に生まれて暮らす百年地上時代、それから飛び回る空中時代、この様に三時代を経るのです。

 腹中にいる時は外側の世界へ行こうとしますか、ここにくっついてい様とするでしょうか。このくらいの穴から私が抜け出さなければならないならば「うー」と言いますか、「ああ、これはいい!」と言いますか。「そうするならば、貴方がいる家が全て破壊されて、貴方が住んでいた所の栄養価値と全てのものが壊れてしまい、貴方の頭も長くならなければならないし、体も伸ばさなければならないのに、それでも良いのですか」。そう言えば、その時全て「ノー」と言いますか、「イエス」と言いますか。生まれる直前迄、母は死にそうに成りながら、力を入れて子女が生まれるその時間迄「ノー、ノー、ノー」としつつ、ぐっと……。追い出すので出てくるのです。それで、一つの世界はなく成り、次の世界でまた「ふうふう」息をするのです。

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 この地球星が母親のおなかです。この事をはっきり知って下さい。腹中時代には何によって食べて息をしますか。口で息を吸い、鼻で息を吸いますか。何処で息をしますか。食べるのもへそで食べて、息もへそで吸うでしょう。へそで全てするから食べる口も必要ないし、息を吸う鼻も必要ないのです。それでは、見る事が出来る五官が必要ですか、必要ではないですか。必要ないのになぜぶら下がっていますか。目があり、鼻があり、口がなぜありますか。外に出て使う為にあるのです。

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 腹中時代には五官を使いますか。五官が必要ないでしょう。おしっこもしないし、うんちもしないし、全て死んだ様に成っています。十カ月その様にしているという事が不思議ではないですか。おしっこやうんちは真の愛より先んじる事が出来ないというのです。おしっこやうんち自体が人より先に出てくる事が出来ないのです。アダムが出て来た次にそれが始まるのであって、先に成る事はないのです。その様に成っているというのです。

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 人間を見ると腹中時代には水を飲まなくては成りません。人間の四分の三は水です。人間の世界は空気の世界をいいます。それ故に水中にいる時は目、耳、鼻など五官は必要ないでしょう。水で五官が必要ないから目を閉じて微動だにしないのです。腹中で十カ月育つ時、鼻で息を吸ってみましたか。鼻で息を吸っては死んでしまいます。五官が完全にふさがっているのです。所が、鼻がなぜ必要ですか。次期の世界を準備するのです。

 これが、順次に呼吸器に入って行くならば、このあらゆる事を破壊して出てこなければならないのです。ただこれも切ってしまわなければ成りませんし、母の子宮や水の家全てを破壊して出てこなければ成りません。それはどういう事かと言えば、子宮と水の袋、その環境が全て破壊されるのです。死ぬのです。水中世界に破壊と終末を告げて、新しい出発が始まるのと同じです。

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 へそに緒がついているのを再び使わなければ成りませんか、切って捨てなければ成りませんか。切って捨てなければ成りません。「その人の命綱であるのに、人と人との命綱を切ってしまうのですか」と言うかもしれません。それを見る時に赤ん坊は「死ぬ」と「わーわー」泣くけれど、神様が見る時は笑いますか、泣きますか。全く同じです。

 空気の世の中で今迄、霊人体が体にくっついて胎児の様に肉身を吸い取っていましたが、肉身が全て老いてしまったのでけ飛ばして出ていこうとしているのに、肉身が「ああ死にたくない。死にたくない!」と言う時、神様が見ればほほえみますか、「ああ」と同情しますか、「この娘め、こいつめ」と言うでしょうか。赤ん坊が生まれて父母の前に愛の対象に成り、父母と愛の友に成る事が出来るのが地上世界です。そして、父母と愛を共にする事が出来る地上世界に生まれるのと同じ様に、霊的無限な世界に通じる事が出来る父母であられる永遠な神様と愛を交わす事が出来る霊界に生まれなければならないのです。

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 地上で愛を呼吸する人は死んでいるのではなく、生きているのです。腹中で呼吸をする時は、未来の空気世界でのパイプを装置して生きています。生きていますが、へその緒に連結された胎を破壊させて死んで出てくる様に成る時には、新しい次元、高い次元によってどれほど変化しますか。高い次元で供給を受けるのです。空気の供給を受けて出てくるというのです。ここで出てきてからはまた何によって発展させますか。愛です。愛の要素を受けるのです。御飯だけ食べていてはいけません! 御飯を食べる事は、死に向かって進んでいるのです。水を飲んでこの様に暮らす事は、全て死に向かって進んでいるのです。ここで何の為に、この期間に何を満たせばよいのですか。この期間には、新しい愛の人格を形成しなくては成りません! 

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 腹中から空気世界へ連結させて出てくる時は、腹中世界で生来たへその緒と水の袋を全て破壊させて出てこなければ成りません。その器官、腹中のへその緒と胎は破壊されて死ぬのです。死と同時に何が出てきますか。この宇宙、地球星の母の所に現れるのです。この様にして、口によって元素の補給を受けて生きているのです。

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 せみを知っていますね。せみが飛ぶ前の幼虫の時、「私は幼虫として生きるぞ。ああ殻を脱ぐのは嫌だ!」と言っても、脱いでしまえば、パタパタと飛ぶ様に成るのです。幼虫からせみに成る時に、それを脱ぎたいですか。「ああ、陸地も空気も皆嫌だ」と言うでしょうか、「いい。早く脱ぐ様にして下さい」と言うでしょうか。飛ぼうとは考えていないのです。とんぼも初めは幼虫に成って水中で泳ぎ回っていますが、地上に上がってきて一時ははい回ります。その次には、パタパタと天下を自分の舞台として飛び回るのです。

 昆虫類の中には三段階の世界を経るものが多いのです。昆虫と言えば、羽のない昆虫がいないのです。大概羽があるでしょう。昆虫もこの様に水で、陸地で、空中で生きるのに、万物の霊長である私達人間が地上でだけ生きて良いですか。皆様も「嫌だ」と言うけれど、死んで脱いでみると「ふう」と言うのです。それは嫌ですか。事実がそうなのです。うそではなく事実がそうである事を知らなければ成りません。三段階の世界を経る事がそっくり同じだという事実を、皆様は知らなければ成りません。死が私達にとって、第二の出生で、幸福に成る関門だという事を皆様は知らなければ成りません。

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 昆虫も飛び、小鳥も飛び回る事が出来るのに、人が飛び回る事が出来ないのですか。植物の種も、風が吹けば飛び回る事が出来るのです。皆様、あのたんぽぽの種は自然に飛ぶ様に成っています。飛び回る様に成っているのです。この様に鳥も飛び、昆虫も飛び、植物の種も飛ぶのに、万物の霊長である人が飛べませんか。それなら神様を見てじっとしていられますか。「神様、みんな飛んでいるのに、私はなぜ飛ぶ事が出来ないのですか」と抗議したくないですか。神様が「まあまあ! じっとしていなさい。貴方方も何十年か過ぎればその様に成るはずだから、それ迄待ちなさい」と言う時、「ああそうですか。それならそうします」と言うのはかまわないのです。

 それではその時迄何をすべきでしょうか。その世界に行って合う様に、ここで訓練しなければならないのです。父母を見て愛してこそ、神様を愛せるのであり、新郎を愛してこそ、あの世に行って神様を愛する事が出来るのです。訓練場が地上世界だというのです。それでは、死なないでそれを願う事が可能ですか。この体を脱がずに可能ですか。体を脱がなければ成りませんか、脱がなくてもよいですか。

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 人は水の世界で一度生きてみたし、地上の世界で一度生きてみたでしょう。それでは、空中の世界で一度生きてみたいですか、生きてみたくないですか。皆様が腹中から生まれる時「私は陸地の世に出て口で蜂蜜も食べ、餅も食べ、御飯も食べ、牛肉も食べ、みんな食べる」と考えてみましたか。そういう事を考えてみた事がありますか。「ああ、ここから出れば死ぬ」と言いつつ、へそで息をしながら生きているのです。

 そう考えると、どれほど苦しいでしょうか。窒息するほどでしょう。それでも腹中から外に出て行くのではないかと思って「ああ、出ていかなければいいのに」と言うのです。しかし「出ていかないほうがいい」と言うかもしれませんが、時になれば全て破裂してしまうのです。羊水がぱっと破裂し出て行くのに伴って外に出れば、安産に成るのです。よく生まれたという事です。

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 地上時代には、宇宙が母で、万物が母です。これが地上です。地球星が母なのです。元素を皆様に供給してくれるでしょう。別の段階の元素を供給してくれる母なのです。母の腹中で育っている時には腹中で呼吸をするのですが、何によって呼吸しますか。へその緒で呼吸するでしょう。これが、母の体と連結されたホースなのです。よく知っておかなければ成りません。しかし、第二の世界、空気の世界に連結された事を知っています。腹中で暮らしていたのをけ飛ばして出てくれば破壊です。その時は、涙と同時に何に連結されるかと言えば、息をする穴、鼻の穴によって息をする様に成っている、空気の世界に連結されるのです。空気の世界に連結されて、鼻の穴が唯一の補給路と成ります。

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 水は腹中時代を象徴します。その次には上に上がって行くでしょう。鼻は空気の時代です。母の腹中から生まれて空気の時代です。その次には目の時代です。太陽の時代、太陽の光の時代です。「愛は光だ」と言います。明るく成るというでしょう。光の世界です。人生は三時代を経て暮らすというのです。とんぼも水中で暮らし、地上に来て暮らし、殻を脱いで飛び回りながら虫を捕まえて食べます。三時代を経るのです。

 万物の霊長である人間も同じです。腹中時代。母の腹中から出てくる時は、自らの暮らしていた所帯道具を抱き締めて出てきますか、全て破壊させて切り捨てて出てきますか。一つでもつけたまま出てくれば大変な事に成るのです。へその緒で食べたり息を吸ったりしていたのに、それを切って捨てれば死ぬでしょう。しかし、母の腹中から出てくる時はそれを切って捨てなければ成りません。無慈悲に切って捨てなければ成りません。全てを破壊させて出てくるのです。

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 死ぬ事とは何ですか。地上生活は、空気中で胎内にいた時の様に泳ぎ回って暮らす事と同じです。空気のふろしきの中で生きています。そうではないですか。死ぬ事とは何ですか。死ぬ事は特別な事ではなく、第三の人生として出生する事です。その瞬間が死ぬ時です。その様に考えると気分が良いでしょう。

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 この体が今何をしなければ成りませんか。腹中においてへその緒で息を吸う時と同じ様に空気のパイプである鼻の穴を準備し、破裂して出て来た時にへその緒に代わって息を吸うのです。それと同じ様に、生まれてしなければならない事は愛の体恤です。愛という空気を吸わなければ成りません。父と母から愛という空気を吸い込まなくては成りません。愛の空気の供給を受けて、全て経ていかなくては成りません。

 一家庭に赤ん坊として生まれ、サインカーブと同じ様に上がっていって皆死んで行くのであり、赤ん坊として生まれ、大きく成って、その次には分解されて行くのです。赤ん坊として生まれ、赤ん坊として帰って行くのです。その様に成る時は第二の腹中世界をけ飛ばして、第三の愛の呼吸器官に連結されなければならないのです。父母の愛、兄弟の愛をけ飛ばして、大宇宙の神様の本体に和する愛の世界へ入っていきます。

 霊界は愛の空気です。愛の空気がぎゅっと詰まっているのです、愛の空気! それ故に皆様は、今この地上世界で愛の息をする事が出来るパイプを装置しなければならないというのです。ですから、霊界の体験が必要で、霊的な愛を感じる事が出来て呼吸出来る人に成ってこそ死なないというのです。

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 私達は、いつかは肉身を脱いで霊界へ行かなければ成りません。ですから、この世に生まれた私達は、死を覚悟しなければならないのです。また、善の自我を永遠な世界で第二の私として立てる為には苦労をしなければ成りません。母の腹中で胎教をよく受けてこそ健康で善成る赤ん坊として生まれる事が出来る様に、この地上世界の生活も腹中での生活と同じなのです。故に神様の形状を見習い、神様の心情を見習い、神様の神聖な神性を見習って成長しなければ成りません。成長し、また命を懸けて愛でもって越えていかなければならないのです。

 3.死はもっと良い世界へ移る事

 人間は、自分を中心として見る時は希望をもっている様ですが、死の峠を越える事が出来る希望をもつ事が出来ずにいます。その様な希望をもてないまま消えています。これを人生のパターンだと思って死んで行くべきか、そうでなければ、死を嘲笑して越える事が出来る一つの希望を求めて、その希望を楽し皆がら逝くのか。これが、今日地上で生きている人間達が考えなければならない重要な問題だと思います。

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 私達は、結局何処へ行かなければ成りませんか。霊界です。それはどういう事ですか。死後の世界だといいますが、死後の世界ではないのです。なぜ死後の世界に成り得ないのでしょうか。愛と関係している世界である為に、死後の世界ではないのです。真の愛を中心として出発した為に、私が真の愛の位置に立つ様に成る時は、今ここが霊界です。霊界肉界、二つの世界が一つのものです。それ故に愛が偉大だというのです。

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 皆様の第一の父母は皆様を生んでくれた父母ですが、第二の父母は地球です。皆様は、体が大きく成る様に、地から全ての要素の供給を受けます。地が体の第二の父母です。第二の父母を経て、第三の父母に入って行く事が死ぬ事です。第三の父母の所に行く時は、そのまま入って行くのではありません。第三の父母の所に帰ろうと思えば、本来の父母だった神様の姿に似なければならないのです。

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 皆様が「七十に成っても、私はこの様に逝く」という事を一度考えてみましたか。「年齢が八十に成って死ぬ瞬間でも、私はこの様に逝く」という事を考えてみましたか。死ぬ場においても「私はこの様に歴史を明らかにして、今迄この世代にこの様な事をして、今後もこの様な事をし得る証拠物を提示する」と言う事が出来なければ成りません。言葉だけでは駄目です。そうしてこそ彼が死んだのちに、人々が彼をつかんで涙を流して「そうだとも、そうだとも」と言うのです。その様にさせなければ成りません。その様な事が出来ますか、皆様。

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 人生の行くべき道とは、無限であられる愛の神様を探す事です。十回でも百回でも死の峠を経たとしても、また死んだとしても絶えず探していかなければならない神様の愛、その愛を探す事が人生の最高の行くべき道です。

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 人が生きて行くにおいては必ず達成しなければならない目的があります。その目的を中心として十年、二十年、三十年、七十年、一生の間行かなければならないのです。目的が大きければ大きいほど、内的により一層強く決意しなければ成りません。そうでなくては、その目的に到達出来ないのです。時間という過程を通して、その目的を凌駕出来る内的な決意を続けない限り、その目的を達成出来ないというのです。

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 心の終着点、すなわち欲望の終着点とは何処でしょうか。神様の愛を占領する所です。神様を占領したとしても、その中でもっと貴い愛を占領出来なければ、神様は自らの神様ではありません。ですから、神様の愛を占領しなければならないのです。その愛だけ占領すれば、神様はいらっしゃらなくてもかまわないというのです。その方のものが私のものであり、私のものがその方のものに成る時、初めて内外が一つに成るのです。

 その様な国が上下の等級がない理想の本国と成るのです。その様な位置に横たわる様になれば天下にある全ての存在が良く見え、天下にある全ての存在は自分自身の為にあると感じられるのです。その様なものが神様の愛ならば、今日人間の行くべき天上世界、すなわち天国はどの様に成っているでしょうか。そこは愛によって充満している所です。

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 統一教会の先生はどの様な位置で死ぬのでしょうか。民族と大韓民国迄全て抱いて、世界の為に死ぬ事でしょう。韓民族が一つに成り世界の為に死のうとする時は、世界と共に生きる事の出来る道があるので、その道を探し求めて行くのです。

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 お爺さん、お婆さんも、千年万年後代の子孫も、霊界に行っている霊人達も、永生へ行くその公式的路程は同じなのです。そこには「為」に生来た人々だけがパス出来る正門があり、そこを門番が守っている事実を知らなければ成りません。そこにパス出来る資格者をつくってあげる為に先生がお願いするのだという事を、よく理解して下さい。

 4.死は新しい次元への昇華である

 堕落しなければ、人が死ぬ事は幸福です。それで今日、統一教会は、死を悲しみで迎える教会に成ってはならないと教えるのです。それ故に、死を「昇華式」と言います。

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 皆様も肉身を脱いで死ぬ事が嫌だというでしょうが、実際死んで肉身を脱いでみると、私達は、霊人体として第二出生の幸福の関門を通過する為に、さっと飛んで行くのです。私達は、初めに母の胎内にいました。その胎が私達を育てたふろしきです。そのふろしきの中から出てくる時、全てけって、切ってしまって生まれるのと同じ様に、私達の霊人体に対して肉身はふろしきの様なものである為に、これを切ってしまって飛んで行くのです。ですから、人間は結局、水の世界、陸地の世界、空中の光の世界を経て、永遠成る真の愛の世界で生きる様に成るのです。

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 統一教会は、死んだのちの葬儀もその様にしません。「昇華式なのです!」。何処かに行くと思って生きています。天下において怖いものが何処にありますか。罪悪の世界、混乱した世界において自主的な中心の形態を備えて、天地の度数を合わせて神様の愛の圏内の垂直の位置に入って行く様に成ります。なぜ垂直の位置に入って行くのでしょうか。その場には影がありません。垂直の位置に影がありますか。全ての事が完成です。それからこれが回る様に成る為に、その回る環境全体が垂直化されます。

 自らの死の一日を行く時に、私がどの様に九〇度で天上に跳躍して昇華し、上がって行くかという事が問題です。四五度で行っていては、そこにたどり着く事が出来ません。ただ九〇度でのみ上がっていってこそ神様の愛の相対になれるのです。神様の愛は直短距離を通じる為に、九〇度以外にはありません。垂直しかないのです。

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 統一教会では死んで葬儀をする事を「昇華式」と言います。死んだ人にすがりついて泣くのを見れば、死んだ霊が嘆息するというのです。「こんなに無知だから、私の行く道を綱で引っ張って行く事が出来ない様にしている」と言うのです。その様な事を知っている為に、統一教会では「昇華」と言うのです。高潔に飛翔するというのです。愛の力をもって押してあげなければ成りません。引っ張らず、押してあげなければ成りません。昇華式とは何ですか。変化して一段階上がって行くという事です。

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 今日、人間が死んで行くとはどういう事かを知らなかったのです。それは悲しみではないというのです。それは次元が低い世界から次元の高い世界へ、愛の橋を通じて移動する事だと思うのです。ですから統一教会は死を「昇華式」と言います。次元高く昇華するという事です。それは愛でのみ可能です、愛でのみ。

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 神様は誰の為にいらっしゃるのでしょうか。愛の主体である神様は愛の相対を探す為に、立てる為にいらっしゃるというのです。何を中心として。真の愛を中心として。真の愛は「為」に生きて投入して忘れてしまうのです。そこに永生があるというのです。世の中万事がそうです。私達の様な人はそうです。永生問題を知っている為に、絞首台が問題ではありません。怖いものがありません。

 それ故に統一教会では死を「昇華」と言って、その式を「昇華式」と言うのです。統一教会員達は、霊界に行っている妻と話しながら生きているのです。今この世ではその様な事を理解出来ずにいるので、あきれかえります。それは、お金を払って買う事が出来ますか。

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 昇華式は、私達の興進が行った時から生じました。その時、成立したものなのです。病院で酸素マスクをしているのを先生が外さなければならなかったのです。霊界へ行く道を全て整理しておかなければ成りません。そうすれば、堕落圏がありません。それ故に興進がこの前来て役事しながらも、「お父様に対する負債は返す道がない」という話をしたのです。真の父母の家庭で育った青少年として、霊界に行ったのは初めてです。興進が行く事により、霊界の再臨主と同じ様に霊界のメシヤとして行ったのです。それで、彼と一つに成る事によって高い所に上がって行くのです。

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 霊界に行く事は、悲しい事ではありません。解放のラッパの音とともに天国の旗を掲げて、足どりも堂々と百戦百勝し、天下の故郷に錦を飾る旗を掲げて、民族と人類の歓声を受けて堂々と入って行く事が出来る還故郷の道です。悲しい事ではありません。統一教会では泣きません。それを何と言うのですか。「昇華式」と言います。

 故に興進君が行く事によってこの死亡の垣根を、死の垣根を壊してしまうのです。それで、「昇華式」と言うのです。死は落胆や気落ちではありません。落ちるのではなく、跳躍するのです。昇華するのです。統一教会の食口達は死に対する恐怖をもってはいけないのです。死はこの様な自然循環の法度によって来るものです。もっと良い世界に移してもらう為の手順なのです。

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 愛で全ての死亡圏に勝ったのです。「真の愛は死亡圏に勝つのである!」。これが創造原理です。それで、「愛勝日」を宣布しました。今興進君がその様に霊界に行く事によって、私達統一家の全ての息子、娘達が昇華式を行う様に成る時、サタンが讒訴する何らの条件もないというのです。あの世に行く船に乗る様に成っても、義人達が全て迎えにくるのです。その様な歴史的で大革命的な次元に連結される時間です。

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 「愛勝日」という言葉は何ですか。皆様はそれを知らなければ成りません。先生は興進が死んでから送り届ける迄、涙を一滴も流しませんでした。死亡圏に勝たなければならないのです。愛をもって死亡に勝ったという、この様な立て札を立てなくては昇華式がなされないのです。「昇華式」という言葉は興進君から出て来たでしょう。そうでしょう。その愛勝日という、その愛勝とは何ですか。死亡に勝つ事です。

 他の人々と同じならばお母様も身悶えして痛哭しかねない事ですが、お母様が涙を流すといけないのです。三日以内にこの式をしてあげなければならないのです。死亡に勝ったのだと宣布しなければ成りません。それ故に、統一教会では昇華式が生じたのです。死亡を越えて喜びに向かって行くのです。昇華式を経て行く人々は、霊界の全ての谷間をひゅーと越えて行くのです。もちろんそうでない者達は、行って中間にとどまっています。それを知らなければ成りません。昇華式というものは、興進君から始まったのです。

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 統一教会で人が死ねば、昇華式をするでしょう。それは跳躍して別個の世界へ移動する瞬間です。それ故に歓声を上げなければならないのです。死んで行く人は、霊界をよく見るのです。泣く様な所へ行くのではないのです。楽しい所に移動して行くのです。堕落した為、目が全てめちゃくちゃに成って分からなくなったので泣くのです。

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 痴呆が起こる事もそうなのです。世の中で良心自体が麻痺して肉体に主管されれば、地獄の霊人体と対話しながら痴呆が起こるのです。その様な人は、善の霊人を通し天国の理想を記憶させて、順次浄化して昇華、昇天する様にしてあげなければ成りません。

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 全ての人々は生まれて、結婚して、死ぬ時に戸籍地に申告をするでしょう。私達もその様にしなければならないのに、私達の国がありません。私達の国があれば私達も生まれて、結婚して、昇華する時に登録をしなければ成りません。あの世に行けば、皆様はアメリカ人として入って行くはずです。「何処から来たか」、「アメリカから来た」、「天国に入りたいか」と、そこの門番が尋ねてくるのです。「何処から来たか」、「真の父母に侍っていた地上天国から来た」と言えば、天国に入って行くのに何ら問題がないのです。これは事実です。コンセプトではなく、事実なのです。

 5.死の前での姿勢

 人々が死ぬ時、最初に誰を呼びますか。神様を呼びます。最も難しい立場で神様を求める事は、その個人にあっては最高の真実です。死ぬ時、本当に神様を呼んで死ぬ者には許される道が開きます。それはなぜでしょうか。死の道理がその様に成っている為です。その原則に近い立場で、その原則だけつかんで死ぬ様になれば、回生出来る道が開かれるのです。

 それ故に、全ての人々が死ぬ立場に行くと「ああ神様」と神様を求めるというのです。これは教訓中の真実の教訓です。人が死ぬ時は、それでも正しい言葉を残して死ぬのが普通でしょう。その様な事を見る時、誰が教えたのか分かりませんが、よく教えたものです。それは正しい言葉の中の正しい言葉です。

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 死ぬ時も四位基台を備えなければ成りません。四位基台を備える事が出来ずに死ぬ人は、死への道も正しく行く事が出来ません。それ故に死んだのちも、霊魂が行ったり来たりするのです。それでは、この様な原則を知っている皆様は、死ぬ時には誰をつかんで死にますか。

神様、その次には真の父母です。生まれる時もその方を通して生まれて、死ぬ時もその方を通して死んでこそ、霊界でも永遠に共に暮らすのです。その方を通して出て、その方を通して結末をつけるのです。全てこの原則のもとで生きて行く事が孝の道理であり、忠の道理なのです。この様な孝と忠の道理を果たした人が、人生行路において果たすべき責任を全うして行く人だという結論が出てくるのです。生き方はこの様にしなければならないのです。

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 皆様が死ぬ時、何を中心として死にますか。愛を全て忘れてしまって死にますか、しっかり抱きかかえて死にますか。愛の中でも誰の愛をつかんで死にますか。父母の愛を先につかまなければ成りません。それから夫婦の愛と子女の愛をつかまなければならないのです。死ぬ事も四位基台の原則に符合しなければならないのです。

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 今後、皆様の子女にどういう遺言を残すべきかというのです。どういう遺言をするのですか。父母がしていないのに子女に「しなさい」と言えますか。その様な父母は、子女を利用し様と思っている父母です。ですから、皆様が先に実践してから、死ぬ前に息子、娘に「私はこの様に恥ずべき事がない様に生来たから、お前達もこの様に生きろ」と遺言をすれば、その遺言は神様が永遠に守ってくれるのです。皆様は死ぬ時に、後孫にその様に遺言する自信がありますか。これは深刻な問題です。

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 普遍的に人は歴史をおいて、永生を中心として十年、百年だけではなく千年万年、億千万年を考える様に成るのです。人が死ねば動物と同じなのに、それを残してどうするのですか。

 近ごろは宗教を信じず神様を知らない人も「ああ、名誉を残さなければならない」と言っていますが、その名誉を残してどうするのですか。アメリカの愛国者に成って記念館に入ったとしても、アメリカが滅びる時は記念館が全て壊れるのにです。知っているのはアメリカ国民ぐらいです。名前を残してどうするのですか。ですから滅びまた興隆する歴史時代に行くら残した所で、「良い」と言っていたものも悪く取り扱われるのです。

 しかし、全ての主権者は百年も生きる事が出来ずに皆死に、国も何百年、何千年も経たないうちに滅びますが、永遠に死にもせず滅びない方がいるならばどうでしょう。その様な方がいるならば、名前、名誉を残した事をその方の前に全て任せて依託したいものなのです。皆様、その様に考えてみませんでしたか。

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 天国を中心として死ななければ成りません。天国は世界のどの国よりも大きいでしょう。天上天下に一つしかない天国で死ぬのです。それでは、何処で死ぬのでしょうか。死ぬにも場所があるのです。これは、韓国的なつまらない事ではいけません。韓国的に行くら死んでも駄目だというのです。

最高の位置、天上天下を通過した神様の心情の国を中心とした最高の位置で死ななければ成りません。天国の真ん中で死ななければならないのです。その天国が最も良いのです。それでは、世界が全て反対する時、どの様にしますか。逃げればいいですか。違います。平然と耐えて、天下が全て旗を掲げて歓迎する立場で死ななければならないのです。

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 神様のみ旨を信奉して、神様のみ旨を立てて来た数多くの人々はどの様な人々だったのかと言えば、死の道の前で後退した者達ではなく、死をあざ笑い、死を堂々と越えた人々でした。その様な人々が天の道を立てて来たという事実を、私達は歴史を通じてよく知っています。

 皆様は各自が死に逢着したとしても、これを越える事が出来る希望を抱かなければ成りません。そして、この道を越えていけば、私は天の前に堂々と立つ様に成るはずだという希望と、心で憧憬した世界、その本郷に向けて喜んで走る事が出来なければ成りません。神様の理想世界を願う心が切実であってこそ死に勝つ事が出来る存在に成る、という事を皆様は悟らなければならないのです。

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 天の希望を抱いて暮らす人は、どの様な人でしょうか。人間が悲しむ死の峠も、喜びによって越える事が出来る人です。その様な人が天の希望を抱いて暮らす人だという事を知らなければ成りません。それ故に皆様は、死を前にして世の中万事を恨んで嘆息する人にならず、喜んで天の前に立って自らの死の価値を誇る事が出来る人にならなければならないのです。

 天はこの様な希望の息子、娘を探していらっしゃるという事実を私達は知らなければ成りません。この様な立場に立って天の喜びを感じた人がいるとするなら、彼は神様が愛すまいとしても愛さざるを得ないのです。その様な立場で天に対して泣き叫ぶ群れがあるとするなら、天はその泣き叫ぶ事にこたえまいとしても、こたえざるを得ないのです。

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 み旨の為に死のうとする人は生き、生き様とする人は死ぬというのです。これはどういう話ですか。み旨の為に死ぬべき立場では死ななければならないというのです。それでは、死ねばどう成るでしょうか。死ぬ前には私のものですが、死んだのちには神様のものに成ります。それは、私達が堕落した血統を受けたからです。ですから、死ぬ前迄は、私達の生命全てはサタン側の因縁から抜け出す事が出来ないのです。しかし、死んだのちには神様と因縁が結ばれるのです。

 生命と死を見てみる時、どちらが強いですか。死より生命がもっと強いですか。生命より死がもっと強いですか。サタン世界では、生命より死がもっと強いのです。従って、み旨を知ったのちには、死ぬべき立場で死ぬ事を嫌がれば駄目なのです。

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 劉孝元協会長がこの世を去る時、「先生に会って今迄この様にやって来たが、終わりをどの様に結ぶのか」と私が尋ねた所、劉協会長は「永遠に変わらない」という言葉を残して逝きました。そうでなければならないのです。サタン世界はいずれ死ななければならないのです。死ぬ事なしに復活は出来ないのです。一つの時代を過ごさなければ、他の時代を迎えられないのです。

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 聖書でいう死とはどういう事ですか。神様が永遠にもつ事が出来る生命を殺せというのではありません。サタン世界の堕落した血統を受け継いだ生命を殺せという事です。ですからみ旨の為に死のうとする人は生きるというのです。この言葉は逆説の様ですが、堕落と復帰の内容を中心として見る時、その様にしなければ復帰が出来ないのです。これは復帰の正常な論法です。それ故に、生命を差し出す事が出来るかという事が最も大きい問題です。先生がこの道を出発する時は、どうだったでしょうか。私は、生命を差し出す覚悟が出来ているかを考えました。

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 私の生涯に何をするのでしょうか。愛の墓を残していこうというのです。これが結論なのです。「愛の墓を残していこう!」。愛の墓の中で生きれば恨がないというのです。墓の様な、行くらうんざりする様な所で生きても、愛の中で生きれば恨がないというのです。「私達は生きながら愛の墓を残していこう!」。そうすれば、人生は永遠において成功するのです。

 その様に皆様が生きて死ぬ時は、神様が祝福してくれるでしょうし、霊界では神様が息子、娘を連れて歓迎に出てくる事でしょう。その時には、指輪をはめる事が出来なかった手ならば天国のダイヤモンドをはめてくれるでしょうし、服を着られなかったとすれば天国の皇族達が着る最高の服を着せてくれる事でしょう。私の一生は何を残すのですか。愛の墓です。その様に理解して、それを忘れないで下さい。さあ、一度その様に生きてみるという人は手を挙げてみましょう。みんな挙げましたね。神様の祝福が皆様と共にある事でしょう。

 6.祝福によって永生の道が開かれる

  ① 最も重要な事は永生問題

 人は誰でも、自分成りの生の道を願って生活をしています。「生活」と言えば一日一日暮らす事をいい、「生涯」と言えば一生の生、一生を通して暮らす事をいうのです。さらに宗教をもった人々は、「永生」という言葉を使っています。永生とは一生ではないのであり、永遠な生活を送る事です。永生する為には、生涯路程をその永生にどの様に連結させるかという事が重要であり、それをする事が生涯の責任です。

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 皆様は、どのくらい生きると思いますか。みんな「七十、八十迄は生きる」と考えているでしょう。その前に死ぬとは考えませんか。皆様は欲張りですね。私が一生を生きて行くのに、八十で死ぬとか百歳に成って死ぬはずだと絶対的に信じるとしても、明日死ぬか今日死ぬか分からないのです。御飯を食べている途中で死ぬかもしれません。今夜、帰ってきて履き物を脱いで、眠っている途中で死ぬかもしれません。

 そうです、皆様の考えでは「ああ、私は若いのでこれから少なくとも四十年、五十年は生きる」と、その様な欲をみんなもっているでしょう。神様に保証を受けていますか。皆様は出来るだけ短く、一年以内に死ぬと思いなさい。この短い期間に準備を全てしなければ成りません。この観念をもって生きなさい。出来るだけ短く計画するほど幸せだというのです。短く計画を立てるほど損害を見ないのです。その期間に真実に準備するその内容が、自らの永遠の生命の家を建てるのです。

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 夜に寝床に入る時、脱いでおいた履き物を翌朝再び履く自信があるのですか。行くら忙しいといっても、世の中に永生の問題以上に重要な事はありません。離れて行く人々がいる事は、この世で永生問題を決定づけるという深刻な感じが彼らにない為です。

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 信仰の道とは今生きている人生、肉身生活の準備ではなく、永遠な世界の生活の為の準備であるに違いないという信念だけもつ様に成るならば、それはほっておいてもかまわないのです。人は時が過ぎていけば行くほど、四十を越え五十を越えるほど、死ぬ日が近づいてくる為に永生概念が深刻化するというのです。年を取るほどますます深刻化するというのです。

 愛というのは年を取るほど希薄に成りますが、永生概念だけ入れると、年を取るほどますます深刻化するのです。それ故に宗教理念だけが今後世界を主管出来るのです。邪悪な環境、混乱した変化がどれほど頻繁に起こっていますか。頻繁に変わる環境を貫き越えて、いか成る所で悲喜劇がぶつかってきても、永生概念だけ徹底すれば、全ての事が問題にならないのです。

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 神様は人をどの様な存在として造ったのでしょうか。神様の絶対唯一の価値をもつ事が出来る愛の対象者として造ったというのです。これは驚くべき事実です。このごろ、人間一人の生命の価値がどのくらいに成りますか。行くらに成りますか。その様な無価値な人間ではないというのです。神様の前では宇宙を与えても取り替える事が出来ない高貴な価値、愛の相対圏を備えて男性を造り女性を造ったという驚くべき事実、それはすてきでしょう。

             *

 私達人間は、神様が造られた創造的な傑作品として神様に似て生まれたというのです。神様が永遠であられるので、私達も永遠な性稟をもたなければならない為に、私達の心は老いないというのです。それ故に、人は永生しなければならない、永生してこそその傑作品の存在的価値をもつ事が出来るというのです。

             *

 人々は誰彼を問わず最高を願っています。人間が最高の位置に行く様になれば、神様は私のものであり、また私は神様のものなのです。そして、その様になれば私は神様の息子に成って、神様御自身にも成るので、宇宙は誰のものに成るのですか。神様が最も愛して、最も貴く思う物があるならば、それを一日、あるいは十年や百年ぐらい共に過ごしたのちにほうり投げる様につくったでしょうか、永遠に共にいる様につくったでしょうか。永遠に共にいる様につくられたのです。人も同じです。人が生まれて死ねば、それ迄と成るのがいいですか、永生しなければ成りませんか。永生しなければならないのです。なぜでしょうか。絶対者、神様が絶対的な愛を中心として喜ぶ事が出来る対象である為です。

             *

 神様が永生なさる絶対者ならば、その方が愛する事の出来る対象も永生しなければ成りません。それで、人々は古くから永生する事を願うのです。これをはっきり知らなければ成りません。それ故に、絶対者である神様は永生する価値をもった愛する息子、娘を求めざるを得ないというのです。

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 愛すれば愛するほど共にいたいのです。愛する妻が死ねば、その妻のハンカチを持って独りで生来た人もいます。ネルーの様な人は、自分の妻が若くて死んだのに、その妻がバラを好んだからといって一生の間バラの花をつけて行き来しながら過ごしたのです。それなら神様が一つしかない限りなく貴い息子、娘達を造る時、百年くらい生き、その次に滅びる様に造られたでしょうか。それ故に、人は永生する事が原則です。

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 人は愛で生まれ、愛で大きく成り、愛で生きて、愛で死にます。所が、そのままなく成るのではないのです。神様、主体であられるその方が永遠、不変、唯一だから、その前に対象的愛の位置に立つ様に成る時は永生するのです。永生という理論がここから生じるのです。生命から始まるのではないのです。

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 愛の故に人間を造ったとするならば、永遠であられる神様、絶対的な神様、永生する神様である為に愛に一致した人間自体は永生を備えている、という事は自然的な論理です。それ故に永生し様とするなら、その真の愛圏内に生きなければ成りません。

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 「私達は、永遠であり得る! 永生を願う!」。永生を願う時に変わらないのは何ですか。愛です! この様に成るのです。ほかのものは皆変わります。環境的に変わるのです。それでは、愛はなぜ変わらないのでしょうか。愛は、全ての生命力の中心であるが故に変わらないのです。愛がなぜ変わらないのでしょうか。愛は理想的な要件の中心の位置を占めるからです。中心は、その周囲が全てなく成る前にはなくならないというのです。愛は宇宙の中心に成っている為に愛と一つに成る事によって、その愛は神様を中心とした愛と一致している為に、神様がいらっしゃる限り残っているというのです。

             *

 永生、私は永生する人です。それから、真の愛を実践する人です。永生と真の愛を私はここで実践する人だというのです。ですから、私がここでしている全ての仕事、工場で仕事をして何かをするという事が、永生を延長させる事が出来る材料だというのです。「永生を訓練して永生を育てる、この様な訓練材料を生産する事が、今私がしている仕事だ」と考えなさいというのです。皆様に永生と真の愛は、いつも必要なのです。永遠に必要なのです。

             *

 自分の体と心の完成とは、真の愛に属する事により根本的に可能に成っています。無限の根本、原因から過程、それから理想の結実を結ぶのは愛しかありません。真の愛しかないのです。真の愛によって、真の愛を中心として神様も永存しています。神様が永存するのは何を中心として永存しますか。永生は愛によって連結されるのです。それで、永生の環境をなすには愛の環境を中心として生活しなければならないのです。愛の実体圏をもつには、愛を中心として実体的な体恤をしなければならないのです。

             *

 「どの様に永生するか」と尋ねれば、皆様はどの様に答えますか。イエス様を信じれば永生しますか。信じれば救われますか。とんでもないというのです。愛によってのみ救いを受けるのです。神様の創造原則の本質的原則から見る時に、真の人だけが神様の愛の同伴者であるので、真の愛をもてば永遠に生きる様に成っています。その愛の圏内に入っていれば、霊界や地上で生きる時に、自分が何処に行って生きるべきか、全て見ながら生きるのです。

  ② 愛から永生概念が出てくる

 神様の性稟がどういうものか、漠然としているというのです。神様は絶対的です、唯一、永遠、不変なのです。それは否定する道理がないのです。その様な愛をもった人は、絶対的な幸福者であり、唯一的な幸福者であり、永遠的な幸福者であり、不変的な幸福者です。そこに初めて永遠な自由があり、絶対的な自由があり、不変の自由、唯一の自由があるのです。そこで初めて幸福も、絶対、唯一、不変、永遠なものがあるというのです。そこに連結されてこそ、永生は自動的な結論だ、と成るのです。

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 愛をもてば、食べても食べなくてもかまわないというのです。愛する人同士であれば寝ても疲れないし、食べなくても腹が減らないというのです。愛する人同士は、会って時空を克服するのです。神様もその様な愛する相対が来る時は、夜になれば寝なければならないですか。愛する相対が現れる事により、夜を克服出来るというのです。ここから永生概念が出てくるのです。永遠な愛の力が続く限り永生出来るのです。全てのものを克服して愛化出来る為に、喜びの永生が連結されるのです。

             *

 神様は絶対的な愛であるという時、その愛の前に絶対的な相対に成って一つに成る時は、神様が永存する限り人間も永生するという論理が理論的に決定されるのです。それを知らなかったのです。私達人間が神様の前に絶対的に必要な、対象的な存在になったという事を知らなかったのです。そうでなければ、神様は一人で生きなければならないという論理が成立します。それは違うというのです。

             *

 絶対的な価値の基準は神様です。絶対愛を中心として神様と絶対愛を探して行く人は、相対主権を絶対否定出来ません。神様が絶対的な方である事を否定出来ないので、私が立てられた位置を絶対否定出来ないというのです。絶対安着が生じるのです。ですから神様の愛は永遠であり、神様は永遠な方なので、その様な愛の関係を結ぶ事によって永生が論理的な、理論的な相対圏として着地出来るのです。それ故に、真の愛をもった人は地上世界から天上世界迄永生するというのです。この理論を否定出来ません。堕落した世界には真の愛の関係がないから、地獄へ行くのです。

             *

 愛は永遠性をもっています。離れる事を嫌います。真の愛は永遠な愛であるので、永遠に離れたくないというのです。それ故に、真の愛に永生があるのです。別に離れる所には永生がないのです。それ故に愛は偉大だというのです。愛は不変で、永遠なものだというのです。真の愛を中心として血統関係を結ぶ時、人間は永生する様に成っています。神様は変わらない愛の主体ですが、その主体と一つになったので、神様が変わらず永遠である様に、その愛と一つに成り一体なったその対象も不変で永遠だという事は理論的です。

             *

 父母が子女の為に無限に投入して犠牲になれば、真の愛が背後にある限り子女はその真の愛に無限に感謝する様に成るのであり、父母は大きい喜びによってその犠牲の跡を埋めるのです。この様に犠牲的な真の愛の力を授け受けする作用を発展させて、真の家庭で、そして真の世界で永遠な喜びと平和の関係を結ばせます。この様な所に永生の理想世界が顕現するのです。

             *

 この宇宙は、小さな所から大きく成ってきました。そして、相対をもらって無限運動をする事で生成されて来たというのです。この空間に存在する慣性により、無限に運動して来たのです。言い換えれば、その相対的基準を中心として、この太陽系であれば太陽系において備えてぴったりと成熟した立場に立ち、無限運動をするというのです。

 これと同じ様に、アダムとエバも愛を中心として完全に「為」に生きる愛で一つになれば、無限運動をする事によって永遠、永生が始まるのです。直線には永遠がありません。永生圏がありません。回転する所に永遠が生じます。それ故に、回転しながらだんだん大きく成って行くのが歴史発展の現象です。その中心は一つです。

             *

 宇宙の大原則の起源と和合出来れば、永存出来るのであり、そうでないものは永滅するのです。神様が永存するので、その対象、「為」にあり得る対象は永存するのです。それは理論的であり、永生論理は自動的な結論です。明らかでしょう。

             *

 「私」という存在は、神様の愛の対象として造られました。絶対的神様の、主体的神様の対象の位置が正に私だというのです。神様の愛の相対だというのです。神様が自分自身よりもっと貴く思うものが、真の愛の概念です。神様は絶対的で永遠であられる生命の中心であり、その神様の理想はもっと永遠なものであって、その理想の中心が正に真の愛の理想です。その愛の相対が私です。その様な永遠な立場にどの様に行きますか。「永遠のパートナーの立場がどれほど貴い立場ですか!」。それは主体と対象が一つに成るのです。どの位置にでも同参出来、何処へ行こうがついて行く事が出来ます。全財産を全て相続する事が出来ます。神様の永生の位置、その心情迄も全て相続出来るのです。

 神様の愛の心、神様の被造万物と共にあるその心、神様が皆の心にとどまりたいという心迄、全て相続出来るのです。ですからどれほど貴いでしょうか。その高貴な価値を発見したので、どれほどうれしい事でしょう。どんなものとも取り替える事が出来ない崇高で高貴な位置です。驚くべき恩賜なのです。

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 大気が一〇〇パーセント絶対低気圧圏になれば高気圧圏が生じて、自動的に循環運動が起こるのです。神様は真の知恵の王です。なぜ投入して忘れてしまわなければならないのでしょうか。自動的に循環原理を通じて永遠の回転が始まる為に、永生論理が論理的に設定されるというのです。投入して投入して、また投入する所で永生の論理が生まれるのです。「為」に生きる所では滅びません。小さなものから大きいものに移りながら、その次には何処へ行くかと言えば、中心へ入って行くのです。

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 神様が絶対的な愛のパートナーを求めるとすれば、誰を連れてきて立てるかというと、それは間違いなく人間だと結論づける事が出来ます。それ故に「万物之衆、唯人最貴(注:あらゆる万物の中で、人間が最も貴いの意)」という言葉が出て来たのです。これは、何ですか。創造主の永遠の愛のパートナー、創造主の愛のパートナーに成る事が出来るという論理的結論を出す様に成る時、その愛と一つになった愛のパートナーは永生するという論理が生まれる様に成るのです。

 永生というものは自動的な産物です。永遠である永生は、ここから生じるのです。愛の関係を中心として永生論理をどの様に立てるかという問題は、宗教では限りなく貴重な話です。男性に永生があり、女性に永生があるのではないのです。神様に永生があるのではありません。神様の愛に永生があるという結論が出てくるのです。

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 今から神様と同じ位置に立つのです。永遠の真の愛の位置に同参したのです。外の世界の何処へ行っても、この永生概念はないのです。自分が永遠の生命によって生まれたので、死んで霊界に行って皆さいというのです。一瞬に飛躍するのです。この制限された地球上とは次元が違います。制限された所では自由に動く事は出来ませんが、あの世は次元が高い世界である故に、何でもする事の出来る所です。時間を跳び越えるのです。愛を中心として何でも願いさえすれば、いつ、何処でも、全て得る事が出来るのです。無窮無尽なのです。

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 永生、私は永生します。神様を中心とした真の愛が私と連結され、神様を中心とした真の生命が私と連結され、神様を中心とした真の血統が私と連結されるのです。結論がはっきりしています。私は永生する、神様の様に真の愛を中心として。神様がこの様に創造されたのです。皆様もその責任分担を果たす様になれば、皆様は成功したという事です。

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 神様も息をするのです。愛の呼吸をしていらっしゃるのです。神様も宇宙の拍子に合わせている為に、愛を中心として宇宙が永遠に続くのです。愛に永生があるというのです。ですから、皆様がそこ迄行かなければ成りません。それでこそ、神様の呼吸圏内に入っていって、さっと越えて行くのです。

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 神様の摂理が生きて地上の歴史とともに動くのは、永遠の道を築く為だ、という事がしっかりと入れば、信仰化させやすいというのです。そうでなければ着陸させる事が出来る、地上で信仰化させる事が出来る基盤が、あいまいに成るというのです。この時代的限界性をはっきり教えてあげる事によって、地上に着陸出来る信仰基盤が確定されるというのです。

 神様のこの様な仕事を私が地上で協助するので、神様のみ旨がなされたあの霊界が私達の現在の実生活と関係をもつ様に成って、神様と共に永生出来るという概念をもつ事が出来るのです。それ故に、この地上生活は永生する準備の生活だというのです。直結するのです。それが連結していないまま信仰生活をする事は出来ないのです。

  ③ 祝福と永生

 堕落人間は、血統を転換しなければ成りません。これが根本的な問題です。神様と人間の関係は父子の関係ですが、この様な事全てが未知の事実として残ったので、歴史が解けず、今迄神様の摂理を知らなかったというのです。血統転換も個人圏、家庭圏、民族圏、国家圏、世界圏、全てしなければ成りません。これは、メシヤが来なくてはならないのです。父母が出てこなければ血統が転換されないのです。この様な全ての問題に個人が責任をもたなければ成りません。個人が全て、この様な事をして越えていかなければ成りません。これを知らないので、知っているメシヤが来て身代わりしてあげるのです。

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 皆様は、新しい血統を受け継がなければ成りません。受け継ぐ為に、メシヤが父として来てサタン世界に勝ったという、サタンが干渉出来ない超世界的である基盤で、エバに侍り蕩減復帰しなければ成りません。そして、夫婦の因縁を中心とした、家庭を中心とした息子、娘を立てて、横的に接ぎ木をする事が起こらなければ成りません。それで、統一教会では祝福をしてあげるのです。統一教会は違います。統一教会は、血統が何処から始まったのでしょうか。神様から始まったというのです。それ故に、サタン世界において行くら反対してみても、反対したほうが損害賠償を支払う様に成るのです。

             *

 私達人間は血統的にサタンの血統を受けたので、それ自体としては天の前に帰れないのです。ですからメシヤは、絶対に血統復帰をしてサタンが汚した血統を造り変えなければ成りません。これを転換させなければ成りません。それで、メシヤは必ず来なければならないのです。メシヤが来なければ血統復帰は出来ないのです。血統を復帰しなければ成りません。

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 終わりの日には、どの様な時代が来るのでしょうか。同族相姦関係が起こるのです。近親相姦関係が起こります。同族も近親も同じです。なぜその様に成るのでしょうか。イエス様の父は誰ですか。ザカリヤです。基督教ではみんな「聖霊によって妊娠した」と言いますが、うそなのです。無精卵を知っていますか。無精卵とは何ですか。卵は卵ですが、種が入っていなかったというのです。今日、堕落した人間は無精卵です。神様とは関係がないというのです。ですから永生がありません。

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 真の父母は何をしなければ成りませんか。サタン世界の根である誤った血統を正さなければ成りません。また、誤った生命を元に戻さなければ成りませんし、誤った愛の道を正しく開かなければならないのです。聖書に「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」とあるのですが、その様な逆説的な論理がなぜ出てこなければならないのですか。サタン世界は死ななければならないからです。

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 血統的転換は誰がするのでしょうか。それは誰もが出来るのではないのです。先生がこの事をする為に、涙ぐましい十字架の道を歩んだという事を知らなければ成りません。この様な基準があるので、皆様は何の功労もなく、祝福という新しい伝統を継ぐ様に成りました。転換の勝利圏を立てる為に、数千年に及ぶ神様の労苦と、実体を中心とした先生の苦難の生涯がありました。これを基台として立った所が、正に皆様が立っている位置です。祝福というものは接ぎ木する事であり、接ぎ木する事によって血統が変わるのです。

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 それで、真の愛を中心とした縦的な父母と横的な父母が合徳してこそ、そこに愛の定着地、生命の起源地、血統の因縁地が交錯するのです。そこで生まれた全ての人々は、神様の愛を受けて生まれた息子、娘であり、神様の生命をもって永生出来る存在に成るのです。ですから、永遠な天国に皇族的継代をつなぐ事が出来る皇族に成るのです。

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 愛に同居すれば永生が連結されるのです。真の愛が神様が願う愛だとするならば、神様が絶対不変の神様であり、永世の神様であるので、その愛の相対者である人間も永生するという結論が出てくるのです。これは理論的な結論なのです。何も疑問の余地がありません。

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 皆様、祝福される時、血統転換式をしましたね。それを「私」の生命より、もっと信じなければならないのです。統一教会の一つの礼式だとして、ただ一般宗教儀式だと思ってはいけないのです。これは死んだ人に対する、回生という薬の注射と同じです。解毒注射です、解毒注射。

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 血統を転換する事はメシヤがするかもしれませんが、転換される様に行動する事は自分自身でしなければ成りません。この様な基準を成さない限り、私達は救いの道に達する事は出来ません。それは決して容易になされるのではなく、生きるか死ぬかの境地を通過しなければならないのです。四十日断食祈祷とか、血を吐く死の境地に至ってこそ血統転換が可能です。

 まずは父母を心から慕わなければ成りません。私の生命の動機も父母であり、私の希望の一切も父母であり、私の全ての理想と幸福の根源も父母だという基準をもって父母に侍らなくては、救いを受ける事は出来ないのです。皆様は、その様に侍ってみましたか。皆様はこれをはっきり知らなければ成りません。それ故に「私は真の父母と永遠に一つに成る事の出来る息子、娘だ」という信念を、自身の存在意識を超越出来るくらい堅くもたなければ成りません。そうでなくてはならないのです。

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 エデンの園で結婚を間違った事が堕落なので、今真の父母が正しく結婚させてあげる事によって、再びひっくり返すのです。偽りの父母が犯した事を真の父母が清算する事で、地獄を撤廃し、数百、数千億の霊界の先祖迄祝福結婚させてあげる事が起きるのです。真の愛を中心とした地上の後孫の家庭基盤を通し、霊界の先祖と地上の子孫が縦的に一つに成るだけでなく、この様な家庭基盤を起点にして東洋と西洋がお互いに連結されます。

             *

 皆様は先生をどれだけ愛さなければならないのでしょうか。根本問題に帰って行くのです。サタン世界の愛の痕跡がある、その愛が染まった立場で愛しては駄目です。それ以上でなければ成りません。それは何ですか。皆様がサタン世界で生まれた父、母、妻子、その誰よりももっと愛さなければ成りません。

 それで、聖書では「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」(マタイ一〇・三七)と言ったのです。全てその様な結論を下したのです。そののちには「自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない」(同一〇・三八)と言いました。「十字架を背負わなければならない」と言いました。反対に引っ張って行く力を押さえて越えていこうとするので「十字架だ」と言うのです。ここで悲痛な涙を流さなくては成りません。

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 霊界に行けばそうです。そこには、影がない、永遠な朝の太陽の光があふれています。白い光があまりにも明るくて、紫色の光に変わるのです。銀の光、金の光に変わるのです。電気の光が何かというと、愛の光です。プラス電気とマイナス電気が一つに成って現れるものが、電気の光です。同じ様に、神様の性相と形状も一つに成って稲妻の様に現れるのです。永遠成る真の愛の光です。それが永生の本質です。その最後の目的点に到達しなければ成りません。

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 三 地上生活の価値

 1.地上は愛の実を収める所

 地上生活が絶対に重要です。地上がどれほど重要かという事を知らなければ成りません。基督教徒達は「死んで天国に行く」と考えますが、妄想的です。地上で完成しなければならないのです。地上生活の重要さを知らなければ成りません。地上生活の重要さに覚醒し様というのです。地上生活の重要さを忘れるなというのです。いつでも、千年万年霊界に行ってその生活に反映されるのです。これは全て種です、種。ここで種を蒔いた事が天上世界で実を収める為に、完全な種をうまく蒔かなければならないという事です。「地上世界の重要さに覚醒し様!」。もう一度覚醒しなければ成りません。

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 地上人は体をもっていますが、全ての事が限定された生活です。霊人達には体がありませんが、無限の世界で活動します。また地上人は体をもっていますが、永遠に定まる所をもてません。霊人達に体はありませんが、永遠な所に落ち着いています。この様に地上人と霊人との対比点を羅列すれば、無限に多いのです。

 ここで地上人と霊人との一致点を調べてみましょう。地上生活や霊人達の生活は皆半分ずつもっているだけなので、半分ずつしか成し遂げる事が出来ません。それでは、体と霊人の結実は各々どの様にしたら完全な実を結ぶ事が出来るのでしょうか。地上生活で肉体と霊魂が分離する前に、地上での生をよく締めくくってこそ完全な実を結ぶ様に成ります。所が、霊魂がよく成熟出来ずに霊界に来る様になれば、問題が生じるのです。

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 種の結実は、全ての期間、時間圏や時空圏を全て超越させ、圧縮させなければ成りません。そこには種も存在し、根も存在し、枝も存在し、実も存在し、全て存在するというのです。花もあって実もあるというのです。それで、その様にして出発出来る私達にならなければならないのです。それでこそ、愛を中心として神様も私のものだという事が出来るのです。そこには異議がないというのです。

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 生涯の目的とは何ですか。愛の実を結ぶ事です。その愛の実が天国の倉庫に入って行く時、神様が「私は嫌だ! ぷうー」としなければならないですか。何処に行っても「ああ、私をこの宇宙の何処に置いても良い!」と言う事が出来るのが愛の実です。それを天国の秘密の倉庫に置いておいても、自分を中心として、全ての中心として立っている事が出来る愛の結実だと考える時、どれほど貴いかというのです。愛によって蒔いたので、愛によって刈り入れなければならないでしょう。

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 なぜ私が貴いのでしょうか。愛の伝統を受け継いだからです。この宇宙の全ての理想的力の核の伝統を受け継ぐ事が出来る立場に立ったが故に、愛が貴いのであり、私が貴いのです。その愛によって私が生まれ連結されのであり、またそれによって拡大的な愛の実を結ぶ事が出来る為に貴いのです。それで、父母をなぜ尊敬しなければならず、父母をなぜあがめなければならないかが分かりますか。根を深くしなければならないのです。分かりますか。

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 神様の愛を中心とした男性、女性の心と体が、垂直線と均衡的九〇度を備えなければ成りません。その様な正常な男性、女性が現れて、神様の愛を根っ事した一つの生命体として東と西が互いに極と成り、一度にぱっと火がついて、宇宙の本性に雷が落ちて稲妻が炸裂すれば、そこには男性、女性、神様を問わず、全体が一緒くたにくっつく様に成るというのです。

 それを誰が離すのですか。男性が離す事が出来ますか。女性が離す事が出来ますか。神様もそこから抜け出てくる事が出来ないのです。そうしておいて、人類の本性の基準である愛というものを中心として、男性、女性の心の根に成って、その愛の花が咲き、実も愛によって結ばれ、循環法度を通した球形理想を通して螺旋形に発展し、世界へ前進するはずでした! アーメン! この話がどういう話か、皆研究して皆さい。

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 皆様、生命を何によって伝授しますか。生命体ですか、血ですか。血統という言葉はありますが、生命統という言葉はないのです。愛統もありません。血統という言葉だけあるのです。血を合わせる事によって生命が出てくるのです。男性、女性の血を一つにする事によって生命が一つに成り、それが投入されて愛の実体である実を結ばせるのです。それで、どの様に成りますか。母の血と母の生命と、父の血と父の生命がこの愛を通して実を結んだのが「私」です。ここのこの人の中に父母の血が入っていますか、入っていませんか。父母の生命が入っているのです。父と母の愛が入っているのです。それ故「私」というものは、父母なしに主張する事が出来ないのです。

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 「私」は愛の結実ですが、その結実には千年の歴史を通じた中心の根、幹、枝、花、全体の芽を一つにした全てのものが入っています。ですから、その結実をもって行く様になれば歴史を運搬するのと同じです。また、それを植えれば、その歴史が何処でも継承されるのです。何によってその様に成りますか。愛を通してです。男性、女性の愛を通して、主体、対象の愛を通して、これが連結されるのです。それ故に愛を侵犯する者は、宇宙秩序を破壊する最も放縦な者である故に、地獄へ行くのです。

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 父子関係の愛は、母の中に息子に対する実が熟す様に成り、また息子の心に母に対する愛が熟し、熟した二つの愛が現れれば、神様がこれを摘み取りたく思うのです。愛の主人は神様であるので、母の中で子女を愛するその実、子女の中で母を愛する円熟したその実を結ばせるのです。完成した結実を摘み取って神様が食べるでしょうか、愛の完成の為にそれを摘み取ろうとするでしょうか。創造主もアダムとエバを造っておいて、自分の中に父母として子女に対する実を「私」がもつと同時に、子女が父母に対する実をもつ事によって、二つとも完成させる事が出来るのです。それ故に、神様は二つとも摘み取ってもつ事が出来るという言葉が成立します。

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 私達は、神様の愛によって生まれ、その愛によって生きながら、息子、娘を生んで愛の目的地に到達し、永遠に神様と共に生きる為に神様のもとに帰るのです。すなわち私達の一生というものは、愛によって始まり、愛によって成熟して、愛の実として摘み取られるのです。人が死ぬというのは愛の実を摘み取るという事です。私達が父母の愛を受け、夫婦の愛を分かち合い、子女を愛したが故に、神様の愛が内的な愛の世界に蒔かれた全てのものを、私が一生をかけて実を結び、摘み取ってあの世に行くのです。

 ですから、私達が完全に愛で一つになれば神様に似る様に成ります。夫婦が一つに成って、この様な三段階の愛を完全に成し、霊界に行く様になれば、永遠の主体である神様の前に、永遠に相対的な神様に成るのです。真の愛を中心として夫婦が死ねば、その様に成るのです。ですから、神様によって始まり、神様によって締めくくるのです。

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 愛の実を摘み取って倉庫に送っていたならば、天国が成され、天国の家庭と天国の国と天国の民に成っていたはずですが、これが中間で腐って落ちて、全て腐る様になったので、地獄の家庭に成り、地獄の民に成ってしまったのです。その様になった事を「堕落」と言います。落ちたというのです。私達が堕落し、地獄に生きているというこの二つの事は、嫌でも認めなければ成りません。愛の実を結んで天国の倉庫、天国に行かなければならないのに、堕落したが故に地獄の倉庫で腐っているというのです。

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 子女、兄弟、夫婦、父母が全て一点に行って実が結ばれるのです。真の愛を中心として定着が始まるのです。子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情が真の愛を中心として連結されるのです。それが焦点なのです。神様と愛で一つに成る事によって霊肉が完成したので、ここで父母が出てきて息子、娘を生むのです。神様が創造当時に感じた事を再び感じる様にする為に、私達に贈り物としてくれたのが息子、娘です。

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 霊界というのは、真の愛の実を保管する倉庫です。今迄、真の愛の実が出てきませんでした。真の愛の言葉とその結実を今初めて話すので、それが霊界にあるはずがないというのです。ですから、「私」という存在はどれほど素晴らしい存在でしょうか。

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 家庭の隅々に手を付けるのは男性ではなく女性です。男性は中心に立っている為に何も触りませんが、女性は全て触るのです。それはどういう事ですか。地を愛し、宇宙を愛するという事です。ずっと手をかければかけるほど愛がしみ込み、宇宙の津液(注:体内からしみ出る液)、核が集中するというのです。そうして、夫が絶対に愛してあげる事で、女性に力を補充してあげるのです。この様になった家庭こそが、神様の天国の倉庫に入って行く事が出来るのです。天国の倉庫とは何ですか。神様が、よく出来た実を入れておく倉庫が正に天国です。

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 愛も同じです。春夏秋冬があってこそ均衡が取れる様に成るのです。暑いのが長くなれば寒いのも長く成ります。それ故に愛を中心として夫婦生活をするにおいて、秋もあって、夏もあって、春もあって、それから何ですか。冬もなければならないのです。それを全て消化出来てこそ、天上世界に行って顔を上げる事が出来るのです。

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 お父さんがお爺さんを「お父さん」と呼ぶのは恥ずかしくなく、そのお父さんが息子、娘に「おい、何のなにがしや」と言う時に恥ずかしくなく、その息子がお父さん、お爺さんを呼ぶのは恥ずかしくないという様にならなければ成りません。何を中心としてそうならなければ成りませんか。お金をもうける事が出来なくて、お爺さんのお世話になったお父さんだからといって、責任を果たせなかったという事ではないのです。お金をもうける事が出来ないからといって、知識がないからといって叱責出来ないのです。

 なぜですか。血族とは、愛とは、生命とは、知識を通して、お金を通して、権力を通して伝授するものではないからです。何を通じてですか。「愛を通して!」。その愛を通して実を結ぶのです。その愛を通して生命の実を結び、その愛を通して血統が連結されるのです。お金ではないのです。

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 神様はなぜ天地創造をしたのでしょうか。神様と人間と被造世界との関係を何を中心として結ぶかという問題を見てみる時に、それは知識でもなく、権力でもなく、お金でもないのです。それは愛の因縁を結ぶ為だというのです。それ故に、皆様が生まれたのは、愛の為に生まれたというのです。愛の為に生まれて、愛を中心として暮らして、愛の結実の世界、愛の実の世界へ行くのです。愛の実の世界とは、どの様な所ですか。そこが霊界なのです。その行く所が、愛の結実を収穫する所が霊界なのです。霊界は、真実に生来た愛の内容を中心として評価を受ける世界です。それでは、その評価する主人が誰かというと、神様というお方です。

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 愛の種に成りなさいというのです。結論がそれです。愛の、真の愛の種に成る時は、宗教を通じて歴史時代の統一圏を越えるのです。分かりますか。種には根がありますか、ありませんか。幹がありますか、ありませんか。枝がありますか、ありませんか。花がありますか、ありませんか。香りがありますか、ありませんか。蜜がありますか、ありませんか。実がありますか、ありませんか。生命がありますか、ありませんか。全てあるのです。

 それで、皆様、種に成りましたか。今見て下さい。気候学的に見るならば、古代は熱帯地方で、中世は温帯文明圏です。一時はシベリアの北風が……。これが、春夏秋冬を中心として一周回るその期間が六十年ないし七十年です。この期間に世界を飛び回るのです。

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 人間がどれほど素晴らしいかというと、愛のオーケストラを奏でている、愛が全ての脈拍を中心として宇宙を全て生かして行く事の出来る動物世界、植物世界を食べるという事は、愛の結実を食べて生きるという事です。実を食べて生きるという事なのです。食堂で食事をする時、パンが一つ残っていても「これが、世界的に数多くの手を経てここ迄来る為に、旅行手段がどれほど多く、どれほど多くの苦痛に勝って来たのだろうか。全ての人の努力の結実、愛の結実としてつくられたものをもってきて私に進上されたので、愛の主人である私がパートナーの様に思いながら食べてあげなければならない」と考えなければならないのです。

 所が、それを嫌がる人には病気がついてくる様に成っています。好む人には病気が退く様に成っています。どうですか。「愛に満ちた世界の実を取って食べた神仙が人間達だった!」。どうですか。愛の実として消化して食べて生きるという概念を中心として愛し、愛する神様の本質的愛の父母の内容と一致した立場で食べて、感謝する人は病気にもならないという、これは理論的な結論です。

 2.地上は天国の民の生産地

 天国の民を生産出来る生産工場が地球星です。霊界で人が生まれるのではありません。地球星です。では、神様の人を生産出来る工場の様に造ったのが私達人間が暮らす地球星ですが、なぜアダムとエバを分けて置いて堕落する様にして、この姿、この有様になったのかというのです。神様の縦的位置では繁殖の場がありません。

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 神様はなぜ人間を創造したのでしょうか。横的基盤、面積が必要だったからです。面積と球形には無数の細胞が分かれて出てくる事が出来る為に、その面積が必要なので、人間世界にアダムとエバの体を通じて天国の民を製造して行くのです。その民族製造工場が私達の夫婦生活です。その様な事も知らずに大口をたたく、その様なでたらめな者が何処にいますか。とんでもないあきめくらに成り、大口をたたいているのです。霊界に行けばその様な世界がすぐに展開するのです。文総裁が教えてあげた話が、事実として展開するのです。

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 なぜアダムとエバを実体として創造したのでしょうか。霊界というものは垂直の世界です。垂直とは面積がありません。霊界に行ってからは繁殖がありません。天国というものは広大無辺な所です。その天国をつくっておいて天国の民を出産させる為の基地がアダムとエバの家庭、後孫の家庭です。なぜ体を着たアダムとエバが必要だったのでしょうか。神様の直系の息子、娘は、垂直には一点しかない為に面積はありません。生産出来る基地がないのです。しかし、垂直を中心として、東西を中心として、前後を中心として分けて、球形になれば無限の宇宙に成るのです。無限のスペースが生まれます。

 アダムとエバは、神様がアダムの後孫の家庭を中心として天国を満たす為の民を創造する工場として造ったのです。アダムは本工場で、皆様の家庭が天国の民族をつくる分工場だというのです。分工場でも本工場でも生産品は同じなのです。価値は同じです。

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 霊界は膨大な天国です。故郷の地であり、本宮です。私達が生きる本宮です。膨大な世界をつくりましたが、そこは神様の息子、娘を生む所ではないのです。垂直を中心として前後左右と成り、球形をつくる様になれば無限な空間が生まれるのです。宇宙の様な空間が生じるというのです。この空間が多い為に莫大な民を生産し天国に移動して行くのですが、この天国の民を生産するその分工場が何かというと、皆様の家庭だというのです。

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 霊界では生産をしません。地上は天国の民の生産地です。なぜかというと、神様は垂直の位置では繁殖が出来ません。それ故に神様は面積が必要なのです。アダムとエバを実体としてつくっておいたのは、神の国の民を繁殖する為なのです。天国の息子、娘でしょう。傍系的な次子圏に成る三番目の息子と四番目の息子が全て従う様になれば、彼らが天国の民に成り、直系の主流は地上世界の王権、天上世界の王権を受け継ぐのです。

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 この宇宙は愛の博物館です。その博物館で王にならなければならない存在が人間です。鉱物世界も、植物世界も全て愛の因縁を中心として繁殖しています。愛がなければ歴史が停止してしまいます。繁殖がある為に歴史が続くのです。それ故に男性、女性が結婚して息子、娘を生まなければ、霊界に行って自分の位置を見いだす事が出来ません。

 赤ん坊が生まれれば、その赤ん坊が神様のもとに行く時、贈り物に成るのです。その様な贈り物がなければ、自らの体面を立てる事が出来ないのです。皆様が故郷に帰る時、父母の前に行って何を誇るでしょうか。その時に息子、娘をよく育てて誇る様に、霊界に行く時も同じです。神様の前に行く時にも神様の子女、天国の民を地上で育てて連れて行く、それ以上の贈り物はありません。お金と権力と知識が重要なのではありません。

             *

 地上は何かというと天国の王孫を、天国の国民を生産する生産地です。それ故に天国は無限な世界です。従って、地上で息子、娘をたくさん生んで愛する事が出来る訓練をし、東西南北、前後左右、上下でもって、ありとあらゆる人を愛によって消化し、一つにする事の出来る体験をした人は、あの霊界に行って活動出来る範囲が広く成るのです。

             *

 天国に行く様になれば生産地がありません。神様が人を何の為に造ったのですか。垂直には繁殖がありません。垂直の位置には一点しかないのです。神様が一点、垂直の位置で愛を行うから、そこでは繁殖する事が出来ません。霊界では繁殖が出来ません。それ故に横的な三六〇度が必要です。

 横的世界には東西南北に繁殖出来る場が行くらでもあるのです。それ故に女性と男性が霊界に行く様になれば、一つの体に成って神様に似て行くのです。のちには神様化するのです。神様に似なければならないのです。神様は二性性相だといったでしょう。二性性相は何から出発したかと言えば、愛から出発しました。愛の結実によって、本然の神様に似て帰ってくるのです。ですから、神様も独りでは孤独なのです。

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 霊界では赤ん坊を生みますか、生みませんか。なぜ生みませんか。霊界は縦的な世界です。神様を中心として円形を成した世界です。それ故に赤ん坊を生む必要がないのです。横的な基盤が必要なので、人間を、体を造ったのです。所が、産児制限をなぜするのですか。それは天命によるのです。「悪成る血統をこれ以上繁殖させるな」と言うのです。考えてみて下さい。このごろは子供が誰の子か分からない人が多いでしょう。毎日、毎週、他の男性達に会うのです。そんな汚い事を考えると、言葉で皆話す事が出来ないのです。その様な人に息子や娘がいると考えてみて下さい。それ故に、皆産児制限をするのです。

             *

 地上はどの様な所ですか。霊界では繁殖がありません。行ってみて下さい。ないのです。息子、娘をもたずに行く様になれば、あの世に行っても息子、娘がいません。地上でこしらえて霊界に行ってこそ、神様の心情を中心として創造した理想を身代わりした心情圏に同参して、愛の刺激を感じて暮らす事が出来るのです。ですから、息子、娘をもつ事が出来ずに逝っては駄目です。また、相対を愛さずに逝っては駄目です。結婚は絶対的です。息子、娘を絶対的に出産する事が原則に成っています。

             *

 霊界という所は、どういう所でしょうか。霊界では出産をする事が出来ません。霊界の国の民を生産する所は、地上です。なぜそうなのでしょうか。神様は縦的にいらっしゃる方です。縦を集めるのは一点しかないのです。面積がありません。この縦の価値が出てこ様とする為には横を連結しなければならないのです。縦が必要とするのは横だというのです。横が必要とするのは縦です。これも「為」にあるのです。縦はなぜありますか。横の為にあるのです。本来、創造理想がそうです。縦が生まれたのは横的相対の為です。この様な論理の定着をもたらしてこそ、理論的体制において矛盾が起きないというのです。

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 霊界に行けば出産出来ません。出産は横的な基盤を中心としてなされるのです。ですから数多くの横的な基盤を拡大させて、数多くの氏族を中心として数多くの民族、数多くの国家を通じて膨大なその世界を満たそうとするのですが、霊界は無限な世界です。一人、二人をもってしては駄目だというのです。ですから、世界的な横的家庭基盤を拡大させて生産したその人々を地上で完成させなければ成りません。神様が願われる完成した個人、完成した家庭、完成した氏族、完成した国家、完成した世界編成をなして生きて来た人々が、全世界で神様の血族として生きて来た人々が地上で生涯を終えて還故郷する所が天国です。神様から始まったので、神様の傍らへ帰るのです。そこが霊界です。

 3.あの世の所有権を地上で決定

 神様が創造した目的とは何ですか。地上に生きている神様の息子、娘を残す事が神様の目的です。ですから、「私」が霊界で神様の前に行っても、地上に生来た神様の息子、娘を残す立場に成る時は、「私」も神様と同じ立場に立つ様に成るというのです。それが聖書のみ言にある「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」という意味ではないかというのです。皆様は何を残そうとしますか。皆様、妻とおもしろく生きて息子、娘を生む事以外に残るものがありません。

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 これ迄、皆様は統一教会に入って何をしましたか。それは深刻な問題でしょう。五十を越える迄何年間統一教会で仕事をしましたか。その時から何人伝道しましたか。一年に何人しましたか。それは深刻な問題です。今後霊界に行って、そこでの個人所有権は何かというと、天国の民をどれほど連れて入っていったかという事です。それが自分の財産、永遠な財産です。これからはそれを問いたださなければ成りません。その様な時が来ました。今からは一日に何百万と伝道出来る時が来るのです。統一教会にその様な凄い内容があるのです。世の中を見て下さい。今死ぬとか生きるとか、人生が何だとか、空しく放浪し落ち着く所がなくて、狂った様に歩き回って途中で自殺する人がどれほど多いでしょうか。

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 霊界に行けばそうです。愛の懐が大きければ大きいほど、その懐に入っていこうと列をなしているのです。そういう人は、あの世で尊敬を受ける人だというのです。千人万人に囲まれて「ああ! 私はあの人と一緒に生来たい」という声を聞く様になれば、その人はそれだけ領土が大きい金持ちに成るのです。ですから、ある家の門前を過ぎながら立ち寄らないというのはいけないのです。「立ち寄らなければいけない」と、「そのまま過ぎる事が出来ない」と言うほど愛の心をたくさん植えつけた人があの世の人格基準と成り、愛を中心として関係しているその舞台があの世の所有権に成るのです。

             *

 あの世の金持ちは特別なものではありません。それだけ愛の為に投入した人が金持ちです。皆様が福を与えてあげられる群れが、ソウルだけでも一千二百万も待っているのに、なぜ交流出来ないのですか。行って、「福を祈ってあげ様」と言って訪ねなければならないのです。犬がほえれば、「お前達は福を受ける事を知らない犬だ。お前達の家にある全ての福のふろしき包みは私が抱えて歩き回る。私は磁石だ。福を全て引っ張ってくっつける事が出来る完全なプラスだ。マイナス要素は全て切ってしまって、サタンのプラス要素だけ全て残して行くが、そのプラス要素はサタン圏だけなので、地獄しか占有する事が出来ない」と、この様に見るのです。福を集めに回るのです。

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 霊界に行って十二真珠門を経て行く為には、地上でどれだけ天の民をサタンから再び復帰して帰ってくるかという事が問題です。その為には涙と血と汗を流さなければ成りません。再創造の真の愛の心情を中心としてサタンの父母以上、サタンの夫、妻、息子、娘以上の心情を投入して涙とともに、血と汗とともに交差するその過程をたどる事なくして、天国の自分の民を所有出来ません。この数の比例によってあの世の栄光の位置に、神様の前に近づく全ての条件の成立が識別されるという事を知らなければ成りません。

             *

 今後、霊界に何をもって行くのかと言えば、お金をもって行くのではありません。統一教会の名前をもって行くのでもありません。「地区長をした」と言っても通じないというのです。ですから、今後皆様がしなければならない事は、神様が愛する事が出来る息子、娘をどれだけたくさんつくって行くかという事です。人が赤ん坊を生もうとしても、何人しか生む事が出来ないのです。しかし、それは誰でもする事が出来るのです。今復帰過程で経て行くべき事とは何かというと、皆様がサタン世界において神様が愛する事の出来る多くの息子、娘をつくる様に成る時、その功労は先祖と連結され、また先祖を解放させる事の出来る道が生まれるのです。これが、復帰路程において自分が受ける最大の贈り物です。何の話か分かりますか。贈り物なのです。

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 御飯を食べて生き、息子、娘に食べさせて育てた事は、あの世に行って大した事には成りません。それ故に天国の民を復帰しなければならないのです。それが天国では自分の所有に成るのです。ですから、私達が早く五十億人類を、この世を消化しなければ成りません。早く消化すれば、霊界の全ての霊達も再臨復活して行く様に成っています。今、長子圏がサタンの基盤に成っているのが逆さまに成り、アダムが長子圏になれば、天使長はアダムの話を聞いてついてくる様に成っているのです。そうではないですか。絶対服従する立場に至れば、神様の愛とともにアダムの愛の圏内にある為に、自然に天国について行くのです。原理がそうなのです。

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 私が教会に入ってから何年になったという事を自慢するなというのです。何人を教区長にし、何人を祝福させ、何人を先生の一族と血縁関係を結ぶ様にしたかが問題です。これは深刻な問題です。ここに先生の姻戚である朴普煕、郭錠煥、劉正玉がいますが、かといってこの人達がそれで全て終わるのではありません。その背後に何千倍に成り得る氏族メシヤ圏を早く拡張して、今後の歴史時代において恥ずかしくない天国の民を立てなければならないのです。

             *

 歳月をただ何となく送るなというのです。青春時代に息子、娘を生んで育ててこそ、後代に誇り得る基盤を残せるのと同じです。また、その子女達が立派な人に成ってこそ歴史に誇る事が出来るのです。その様な歴史に対して誇る事が出来る実績がなければ、自分の一家や町内ではグループに入れますが、国には仲間入り出来ないのです。

 国に仲間入りする為には歴史の伝統に残り得る実績がなければ成りません。それ故に、何処の誰でも皆国に何かを残す事を願い、世界に何かを残す事を願い、天地に何かを残す事を願うのです。同じ道理です。ですから、自己の所有版図をどの様に確定するかという問題が終生の目的だ、という観念をはっきりもたなければ成りません。それ故にみ旨の道で、「自分が嫌ならやめる」という考えはもつ事が出来ません。

             *

 神様がしている事とは何ですか。世の中を救う仕事です。あの世に行ってみれば、霊界に行った全ての次元の高い人々の仕事は、地上での仕事です。地上とは、どの様な所ですか。天国の国民を生産する生産工場です。広大無辺な天国です。無限大です。あまりにも広いのです。人々が数億年の間に来ては逝きましたが、何処にいるか分からないのです。その様に広いのです。

 一家庭で子女を百名ずつ生んでも、天国は広いので過剰生産という事がありません。あの世は行くらでも受け入れる事が出来る世界です。ですから、産児制限をしなければ成りませんか、しては成りませんか。あの世に行けば、天国の民をどれだけつくって率いてくるかという事が問題に成ります。真の天国の息子、娘をたくさん率いてくる時、それが自らの権益に成って天上世界で表彰を受ける事が出来る等級の等差を設定出来る資料に成るという事を知らなければ成りません。

             *

 御飯を食べる事よりもっと重要な事は、天国の民を刈り入れる事です。それが私達にはうまく出来なく成っているのです。考えてみて下さい。それが本職です。この地上に暮らす私達の本業なのです。生涯にしなければならない事の中で、それ以上貴い事はないのです。この世で就職し、出世したりお金を集めたものは、全て流れて行くのです。あの世では、お金を集めても何の効果もないのです。あの世では物質が必要ないのです。知識が必要ないのです。学ばなくても心が先に知っているのです。一週間以内に何でも、全て通じるのです。

             *

 皆様が今後あの世に行き、復帰歴史をされる神様の前に、一人のアダムを取り戻す為に今迄苦労した神様の前に行って何と言いますか。創世以後、今迄アダム完成者を探して来たのではないですか。そして、皆様は「原理」を知りました。これは数千数万の民族を救う事の出来る武器です。今迄神様が人間に教える事が出来なかった為、分からない中で摂理なさる神様の切なさ、それを身代わりして地上で神様以上の事を私達がするのです。私達には「原理」で数百数千のアダムを教化させて連れて行く事が出来る道があるのです。考えてみて下さい、これ以上にすべき事が何処にありますか。

             *

 皆様は天国に連れて行く事が出来る息子、娘を何人つくりましたか。皆様がしなければならない事は、それしかないのです。行くら億千万金をもって良い生活をしてみても、全て流れて行くのです。そこには自らの全ての物質と知識と自分の生命迄、堕落した私の生命迄投入してもやらなければならないのです。それを別々に投入しなければならないのです。投入する全体が加重するに従って、その価値は比例して行くのです。

             *

 天国は無限な世界ですが、そこでは愛の心情で連結され得る橋がなければならないのです。ですから、自分が伝道した人がこの世にたくさん広がっているならば、霊界に行くと、それだけ広く往来出来る道が生じるのです。全てが自分と関係を結んで因縁を結ぼうとするのです。それは地上において思想を武装し連結させたのと同じ様な体制が、自分を中心として連結されるというのです。

             *

 息子、娘をたくさん育てた人は、愛の内的な核が大きいのです。天国に行く時は、これが行くのです。他のものではありません。お金や名誉や良い暮らしをしているという、それが福ではないのです。息子、娘を育てるにおいて、春夏秋冬四方を中心として自分の世界になれば、地がそこに合わせて平面的な地に成るのです。東西南北に私が思いのままに与える事が出来る立場になれば自分が満足する様に成りますが、その様に出来ない時は、いつでも一方的にしか成りません。

             *

 この地上が天国の民の無限な生産地であるというのです。これを何処の誰も知りませんでした。本来の夫婦は、息子、娘を天国民族として生み、完成した人間として育てて行く事が、この地上で生きて行く生涯路程だというのです。

             *

 多くの息子、娘をもった父母は、多くの愛の相対を迎えたので、天国に行っても四方八方誰でも思いのままに会えます。息子、娘をたくさん生んだ女性の中で、悪い女性はいません。なぜでしょうか。自らの息子、娘をかわいがる母の心をもって、自らの息子、娘と比較していつでも考える様に成るのです。ですから、生活圏内で自動的に愛の境地に高く上がって行く事が出来る立場に立つのです。ですから多くの息子、娘を育てた人は、霊界の最も高い所にいます。

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 皆様は氏族的メシヤとして、天国の民をたくさん繁殖してから逝かなければならないのです。それが自分の生涯において最も貴重であり、人生の希望です。それが自らの非常に貴重な所有権です。今迄その様な人が霊界にいなかったというのです。それ故に、呼びさえすれば皆様の周辺に多くの友人達が現れる事が出来る様に、百名以上、千名でも連れてこなければならないのです。

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 皆様は地上で、子女を立派に育てて残していかなければならないのです。将来その子女達全てが霊界に行くのです。霊界に行って天国の国民に成るのです。自分が何人を天国の国民として捧げたのかという時、地上では苦しい事でしたが、永遠の世界ではそれが高貴な栄光の道に成るのです。

 4.肉身をつけた地上生活が日ごとに記録される

 皆様は霊人体と肉体が水晶の様に清く生きてこそ、のちに霊界に行って問題がないというのです。そこにいか成る汚点があっても天国に入れません。地上での生活がこの様に重要だというのです。生来たそのままが霊界に行くのです。ここには誰も例外がありません。自分自身が透明に、全て表れて見えるのです。分かりましたか。

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 あの世に行けば、金なにがしならば金なにがしだと、ぽん、ぽん、ぽんとボタンを押せば、あっという間に生きて来た歴史が出てくるのです。その世界は時間と空間を超越する為に、これを捕らえるのは直感の様に速いのです。どうにも避ける道理がないというのです。それ故に良心とは何かというと、永遠の世界に行く為の地上生活の記録帳です。コンピューターと同じ様に一つ二つ、全て入力されるというのです。間違いなく入力されるのです。

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 人の行動一つ、表情一つ、全てのものがビデオ・テープに撮られる様に映っているのに、霊界に行って隠す事が出来ますか。自分の心を隠せないのと同じ様に隠せないのです。心よりも表面的な世界が、表れた世界が霊界です。弁解が必要ありません。弁解をする事が出来ません。口を開けば開くほど宇宙の恥が迫るのです。それ故にその世界へ前進出来ません。後退だけがあります。怖い時代が尋ねてくるのです。

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 良心を知っていますか、知りませんか。良心が知っている良心世界の本宮が霊界であるので、霊界のコンピューターに入力されるのです。「なにがし」と言えば、ぱたぱたっとして何代前からずーっと出てくるのです。こいつの父母が何をしたかという事、良いのか悪いのか全て出てきます。自分が一生の間何をしたかという事が、あっという間に出てくるのです。何年もかかるのではありません。瞬時に分かります。それだけ拡大された人間世界に入るのです。

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 霊界に行けば自らの記録が一〇〇パーセント、コンピューターに入っています。全て現れるのです。良心は永遠の世界に展示するコンピューターのディスクの様なものです。全て入っているのです。ボタンを押せば、子供が母に抱かれてお乳を飲む時から一生の間ずーっと何をして来たのか、全て心の映像によって知る事が出来る様に成っているのです。その様な世界が、皆様の完全な感情の為に日ごとに記録しているのです。その日がいつ来るのかと言えば、死ぬ時です。万能になった感情コンピューターの前に立てば、誰もうそをつく事が出来ません。霊界の映像が、影の様な世界で現れるのです。全てが記録されているのです。

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 良心は、一生の間において自分がした事を知らない事はありません。自己の全ての事を皆知っています。この事が、そのまま天国のコンピューターに入るのです。間違いなく入るのです。霊界に行ってみて下さい。

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 優れているという人々は、浮気をし、ありとあらゆるばかげた事をするでしょう。天国に行けないのです。私が霊界に入ってひっくり返してみて、この様な事実を知る様に成って、「ああ! 知らなければよかったのに」と思う時が、どれほどあると思いますか。行ってみると幾重にも重なった山また山です。サタンによって失ってしまった愛の為に、永遠に包囲された監獄生活をしているというのです。

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 皆様の心、堕落した心もそうでしょう。自分が一生の間どの様な者だったか、よく知っていますか、知りませんか。だます事は出来ません、皆知っているのです。良く振る舞っていても、霊界に行けば一〇〇パーセント表れるのです。悪いのが先に表れます。悪い事を先に清算して霊界に入って行くのです。そうでなくては霊界に入って行く事が出来ません。

 目をつぶっているとしても、悪いのが表れて処断を願う様に成るのです。それで、それがなく成る時迄教育を受けなければ成りません。修練を受けなければ成りません。猛訓練を受けなければ成りません。霊界では今その様な教育体制をつくる為に、興進君を中心として全体的に修練しているのです。

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 良心は欺く事が出来ません。皆様は、全てビデオ・テープと同じ様に記録されます。一生の間生きて、霊界に行く様に成ると、そこに自分の番号があります。心霊状態の光を既に知って、「誰それが来た」と言って連れてきます。連れてくれば「どのナンバーか」と言って、十八番ならば十八番をぐっと押せば、あっという間に分かります。生まれてからが、あっという間に分かるのです。やむを得ません。良心が痛哭するのです。その比例によって地獄と天国の境界線を行き来する、この様な事が連結されたという事を皆様は知らないのです。その世界が、そのままむやみに大ざっぱな計算で動いているのではありません。数理的な世界です。理論的に動くのです。科学者の王が神様だというのです。天国は自分勝手には成っていないのです。

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 習慣性は永遠にそのま迄す。その様に難しいものなのです。しかし、地上では直す事が出来ます。今迄習慣になった事よりも、もっと新しい事を習慣化させれば地上では清算出来ます。今しなければ成りません。今しなければ霊界に行って問題に成ります。霊界に行って引っ掛かってしまうのです。

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 殻を脱ごうとする時、へびも通路にしっぽを入れて逆に死ぬほどの力を尽くして、木を巻いていって血を流して脱皮するのです。逆理的な過程を経なければ順理的な過程を行く事が出来ないという、堕落を認める人間には不回避な非原理的公式的路程と成っているというのです。それが順理の立場で私の個人の心と体が一つに成り、順理の立場で夫婦に成り、順理の立場で父母と成って生来た人間は逆理的条件に引っ掛かりません。霊界は堕落した讒訴条件に逆に引っ張られ得る、木が逆に引っ張られるのと同じです。根が引っ張られれば順理に成るはずですが、枝を引っ張っていけば逆理に成って、全てのものが行けば行くほど傷を受けるのです。もっと難しい路程が……。ぴったりとその様になったのです。

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 そこでは許しがありません。偽りが通じません。皆様はビデオ・テープを見るでしょう。笑えば笑ったとおりに、その実相を見せてくれるのです。ここではビデオの時間的観念圏内を抜け出す事は出来ませんが、そこは超時間的世界です。カチッと言えば、千年の生活が全て現れるのです。さっとつけて見れば、誰かが「行きなさい」とも言わないのですが、自分達が霊界でいるべき所を探して行くのです。我知らず押されて行くのです。押されていけば、もっといい所に行こうと思っても、どんどん押されて行くのです。行ってぴたっと三角地帯にとどまるのです。その時、行って嘆息しますか。私は霊界を知っているので、この様な事をするのです。霊界を中心としてこの様に成るのです。皆様は福が多いのです。分かりましたか。

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 見て下さい。霊界の輪郭が全て表れるので、死後の世界がどれほど現世と連結されているか、その内容を知れば、むやみに生きられないのです。地上の生活が、どれほど怖いかという事を知らなければ成りません。地上の生活が永遠の自らの生涯圏を左右するという事実、それを知らないので自分勝手に暮らすのです。

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 地上生活を本当に良くしなければならないのです。精誠を尽くし、一日に何十回も原理基準を中心として反省しながら、この様にして朝、昼、夕、二十四時間、天上の法に引っ掛からない様に生きなさいと懇切にお願いするのです。

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 天の前に行く時に、あらゆる事を清算して行く時は、良くやった事から報告するのではありません。誤った事から報告して良くやった事を話さなければ成りません。世の中は反対でしょう。「君は何をしたか」と言えば、「私はこの様にしました」と悪い事は全て隠すのです。しかし、霊界はそうではありません。霊界は悪い事から報告しなければ成りません。順序がそうです。何をしたかという時、さっと現れます、テレビの様に。悪い事から報告するのです。なぜですか。カインが先です。悪い事が先に現れて、それから良い事は何か、と成ります。アベルは二番目に現れて、比較して善成るもの、アベル的基準が多く成る時は再教育し、そこから霊界を教えてあげるのです。

 5.肉身で犯した罪は地上で蕩減しなければならない

 地上で結ばれた事は地上で解かなければ成りません。そのまま霊界に行っては大変な事に成るのです。自分自身が刺激を通し、そこから抜け出てこなければ成りません。そうでなければ、永遠に地獄に落ちるのです。

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 私達は好むと好まざるとにかかわらず、今から死んでも蕩減の峠を越えて行くべき運命的な堕落の後孫だというのです。それを否定出来ません。この道を越えなければならないのです。それを自分の一生において越えずに霊界に行くならば、何百万年かかるかもしれないのです。あの霊界には蕩減がありません。そこは解放された完成圏なので、愛の波で充満した所です。蕩減や再創造はありません。再生産もありません。その様な刺激がない為に、一度固着すればそれで終わりです。大変な事だというのです。それで、神様はその様な事を知っていらっしゃるので、この地上にメシヤを送られたのです。

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 へびは脱皮すればするほど大きく成りますか、小さく成りますか。一日に十回脱ぐ事が出来れば、十回脱ぎなさいというのです。霊界に行っては、その様な刺激がありません。その様な装置がないのです。再び地上に尋ねてきてそれを解怨成就出来る様にと行くら願っても、それは不可能です。一度行けば、勝手に来る事が出来ないのです。

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 あの世、霊界には愛の刺激的な要素はありますが、罪悪を取り去る事の出来る蕩減的な要素がない為に、数多くの歳月がかかるというのです。その様な事を知ったので、先生は四十年間に全て築いて片づけたのです。昼夜を忘れて過ごしてきました。一日に夕方一食だけ食べ、あるいは朝一食だけ食べる生活が普通だったのです。その様に生きてきました。

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 地上で肉身がある時は大変ですが、共に抱き合い、痛哭しながら感動させる事の出来る道が行くらでもあるのです。しかし、霊界で肉身をもった地上の人間を感動させる事はとても難しいのです。

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 この地上にいる生活がどれほど重要でしょうか! 一回しかないのです。瞬間ですが一回しかありません。地上生活を永生と比較すれば、これは一点にすぎません。あまりにも短い瞬間です。これは重要ではありません。私の肉身生活を越えて、霊界の為に準備をしなければならないのです。常にその様な主流思想をもってセンターに立って、一切をコントロールし、一切を征服する事が出来なければ成りません。そうでなければ、皆様は完成する事が出来ないのです。

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 霊界で最も嫌う事は堕落圏を中心とした風習、習慣性です。風習によって習慣性に成ってしまうのです。日本人は日本で生まれましたが、食べ物は何を最も好みますか。汁と御飯なのです。アメリカ人はハンバーガー、韓国人はコチュジャンとキムチ! しかしこの様にだけ考えて生きれば、その習慣性は永遠になくす事が出来ないのです。

 それならその習慣性をどの様になくせばいいのでしょうか。自らの習慣性をなくす事がこの様に難しいのに、固着した堕落性、頑固な習慣性をもって霊界に行くならば、どれほど難しい立場に成るでしょうか。それを、この地上で整備しなければならないのです。霊界に行く時、それがどれほど難しいでしょうか。ですから夫が問題ではありません。息子、娘が問題ではありません。夫と妻、息子、娘は、自らの習慣性を皆解決したのちにもたなければならないのです。

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 地上で結ばれたそれは、地上で解いて逝かなければ成りません。霊界に行って解こうとしても、その様な刺激的な環境がないのです。反対する悪役が、善に反対する世界がありません。それが悪かった場合にはそれに反対するのではなく、悪い方向に押しやってしまうのです。それに決別させてしまうのです。

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 皆様は霊界に行き、保護館での生活をしなければ成りません。何千年も待たなければならないのです。祝福を受けた人々も今後……。息子、娘達が皆「お母さん、私をなぜこの様に生んだのか。なぜここに引っ張って来たのか」と言わないと思いますか。皆様の息子、娘達がじっとしていると思いますか。皆様の家庭のレベルは皆異成っています。ですから、行くにも全て自分の級に合う所に行って、長い間とどまるのです。

 そうなれば、皆様の先祖が、息子、娘達が、「どうしたのか。なぜその様に良くする事が出来なかったのか。何だそれは」と言いながら讒訴します。そうなれば、皆様はそれに該当するだけの長い時間、そこにとどまらなければならないのです。そんなに易しくありません。ですから、地上でしなければならないのです。先生が「しなさい」と言う事を、皆しなければ成りません。

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 皆様、まだ真の家庭に成っていないでしょう。霊界に行けば全て別れます。霊界は永遠に堕落せず、天国の家庭を成して生来た人々が入る様に成っているのです。いずれ永遠をおいて皆様は帰らなければ成りません。地上においては七、八十年以内に解決出来る問題が起こりますが、霊界に行けば永遠をおいて、何千万年かかったとしても、その解決の道は難しいのです。皆様は地上で清算しなければ成りません。地上で解決しなければならないのです。地上で解けば天で解かれ、地上で結ばれれば天で結ばれる、とあります。地上で失ってしまったので、地上で取り戻さなければならないのです。

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 体をたたいて三年間制裁すれば、三年ないし五年制裁する様になれば、その世界に行くものなのです。そうではないですか。肉的な事を大きくすれば、霊的な事は小さく成るのです。肉的な事をなくしてしまえば、これが高まるのです。同じです。ですから、外的なものを無視して縦的なものを重視する様になれば霊界が近づいて、本然的良心的基準に接ぎ木をすれば電気線のプラス・マイナスが、発電所の電気が通じる様に爆発するというのです。それ故に天地の変化の作用が起こるのです。その様な霊的体験がなければならないという事を知らなければ成りません。

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 聖書の「地で結べば天でも結ばれ、地で解けば天でも解かれる」という論理も、この様な二重構造の一体性を知る事によって解明出来るという結論が出てくるのです。今日、私達人間は肉身をもったこの期間が本当に、どれほど貴重なのかを知らなければ成りません。神様も復活させる事が出来、宇宙も復活させる事が出来、全天下を統一させる事の出来る期間は、肉身をもっているこの期間しかないという結論に成るのです。神様と万物を合わせても、この肉身世界と取り替える事が出来ないのです。

 なぜそうなのでしょうか。神様とこの宇宙を合わせても、肉身をもった人間がいなければ完成出来ない為です。それ故、今日私達人間の体がどれほど貴重なのかを知らなければ成りません。それは素晴らしいでしょう。

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 天国に行き、地獄へ行く二つの道があるとすれば、天国を訪ねてくる人と地獄へ行く人とでは、どちらがより多いでしょうか。地獄へ行く人々が、より多い事でしょう。それを見つめる神様の心情はどうでしょうか。どれほどあぜんとするでしょうか。地獄とは関係なく天国に来て、膨大なこの国の民に成って、愛を中心として神様とともに生きなければならない息子、娘達が、皆地獄へ行くのを見る時、どれほどあぜんとするかというのです。皆様の息子、娘が死の地に行くと考えてみて下さい。この様な事はいずれ霊界に行けば、皆様全てが知る事です。

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 霊界でみんな尋ねるというのです。「先生の教えはこうだったが、この基準に対して貴方は合格者か、不合格者か。霊的五感と肉的五感が一つに成り、この基準に合わせ様と努力したか」と聞くのです。皆様はどの様に考えますか。「天国はどうあってもいい」と考えて、ただで通過出来る所ではありません。祝福を受けても、でたらめに生活した人が集まる所ではありません。深刻な人が集まる所です。皆様は、先生よりもっと深刻でなければ成りません。

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 霊界に行けば、まず誰に一番に会えるかというのです。誰に会ってみたいですか。その様な事も考えた事がないでしょう。自分の母親に会おうと思っても会えません。真の父母が解放させる前には会えないのです。行くら愛する人だといっても会う事が出来ません。少し離れた場所から見る事は出来ますが、近くでは会えないのです。

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 人間は霊界に入籍する時、地上生活を証明する証明書をもっていかなければ成りません。「私はこの様に生来た。この様な事をした」と言う事の出来る生涯の証明書の事です。その様な証明書は、自分自身で書く事が出来ないのです。初めはサタンが書きます。先にサタンから証明書をもらってから、イエス様の証明書をもらわなければならないのです。それから神様の証明書をもらわなければ成りません。

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 今後、皆様は自叙伝を書かなければ成りません。自叙伝を書きなさい。統一教会に入ってからの生き方を、一つのうそもなく自叙伝を書かなければ成りません。そうすれば、霊界に入って行く時、その自叙伝を前において「私がこの様な役事をする事が出来たのか!」と痛哭をする事が出来なければ成りません。これを地上で書き天国に行って、百六十名、二百四十名、三百六十名に該当する霊通人達が前に立っている列をたどって行く時、うそをつけばそこで雷が起こるのです。欺く事は出来ないというのです。

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 皆様が行動した全てが、あの世に行ってスイッチだけ押せば、あっという間に一生がテープに全て現れるのです。それは悲惨な事でしょう。ここで先生が全て許してあげる様になれば、そのテープが全て消えてしまうのです。その様な事を知っていますか。

 6.自然の中への順応的生き方が貴い

 自然に向かい合う人は、宗教的な人です。宗教の世界は貸しのない世界です。大地は、自然はうそをつきません。一〇〇パーセント私が努力すれば、そこに対する結果をもたらすのです。そこには投機性がありません。一獲千金がありません。また、そこには賭博性がありません。年齢が五十になれば自然に帰り、自然の土とともに生きながら信仰生活をすれば、霊界に行く準備としてこれ以上良い事はありません。

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 先生は将来ここに農場をつくって、世界の食口達を連れてこ様と思います。皆様が年を取って六十歳、七十歳になれば、自然の中で万物を育てながら、子供を育てるのと同じ様な心情を体恤し、神様の創造の心情圏を体恤するのです。そうしてから霊界に行けば、高い霊界に行く事が出来るのです。ですから統一教会で苦労した人は、晩年に農場に連れていって別荘で自給自足させる計画なのです。それが理想郷です。先生はその様な大きい構想をもっています。

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 六十を越えれば下野し、故郷の農村に帰って土地を耕し、霊界に行く準備しなければ成りませんが、その準備が忙しいのです。ですから精誠を尽くして先生の様に農村に埋もれながら、農村を指導出来る、この様な責任を果たさなければ成りません。ですから、趣味産業、趣味生活をやり終えて霊界に行ってこそ、高い霊界に行く事が出来、情緒的な人に成って霊界の舞台を活用出来る皆様と成るのです。どうですか。

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 満六十歳迄仕事をしますが、その後は公的活動時代から解放されます。しかし、三年間は公的に無報酬で仕事をするのです。霊界に行く為には報酬を願ってはならないのです。霊界に行く為の訓練をするのです。実績があれば七年迄延長するかもしれません。それでは、何歳迄。六十七歳、六十歳で終わって七年も出来るというです。霊界に行く事が出来る基盤を中心にして……。その様になれば、何処に行っても誇る事が出来るのです。統一教会の基盤をもって逝けば「ああ功臣様が来られたのですね」と言って、先生の代わりに接待を受けるかもしれないのです。「為」に生きるその基盤を通して霊界に行くと考える時、その様な年輪が必要だというのです。「アーメン」と言わなければならないでしょう。

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 陸地旅行、水中旅行、宇宙旅行をしながら暮らしてから霊界に行ってこそ良いのです。それで、海にも入って暮らせる様にするのです。五人が入っていって、行くらでも暮らす事の出来る潜水艦を研究しているのです。ですから、地上で定着生活をしながら旅行をするというのです。陸地旅行、水中旅行、宇宙旅行をしながら暮らしてから霊界に行かなければならないのです。

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 鹿みたいな獣も育ててあげ、魚も育ててあげ、それから穀物も自然に人工を入れて育て、全て育てるというのです。それがどれほど素晴らしいでしょうか! 神様が創造した全てのものは何であっても再生させ、それを願いながら神様を考えて、自然と調和を成し、この全てのものがお互いに助け合って生き、趣味をもって暮らしてから霊界に行くのです。この様にする事によって、都市集中の世界を全て分散出来るのです。何の話か分かりましたか。

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 神様が願う未来の家庭システムはどの様なものでしょうか。それで、先生は趣味産業、趣味世界を考えたのです。今後各国にどの様な組織をつくるべきでしょうか。建築をするのですが、コンドミニアム・システム建築、四つの家庭が一つに成って暮らす事の出来るその様なシステムで訓練しなければならないというのです。お金をもうけて、食べるのも一緒に食べて、息子の教育も一緒にさせて、一つの家族の様に暮らさなければ成りません。一緒に暮らせず、和合する事が出来なければ、霊界に行って制限された環境に押し出されるというのです。一緒に和合出来ないのです。

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 このおもしろみ、趣味文化というのは何処にもあるのです。創造の時から復帰の時、完成の時、地上生活、天上世界迄おもしろく成っているのです。アメリカ人だけ良い生活をしなさいという法はないのです! アフリカも良い生活をする事を願いますか。「アメリカ人の中で最も良い生活をしている人の家で、アフリカで最も良くない暮らしをしている人を一カ月住まわせてあげなさい」と言えば、どうですか。それをする事が出来なければ、レバレンド・ムーンがします。

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 故郷に定着する時はどの様に成りますか。天地の全てのものが故郷に成り、天地の全てのものがそこに連結されているので、何ももって行く必要がなく、置いておかなければならないのです。それを置いておいて霊界に行けば、これを連結させる事が出来るというのです。世界のものをここに移す事が出来、また私がそこに行けば自分の家も引っ張ってくる事が出来、私のものに成るというのです。もって行く必要がありますか、ありませんか。

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 ボートさえあれば一人で行って瞑想をする事も出来、小さい天幕だけ張っておけば、そこで寝る事も出来るのです。天国の様な観光をする事が出来るのです。人がいない所でです。自然に埋もれてこの様な観光をする為には船が必要です。絶対必要だというのです。その様に成ると思いますか、思いませんか。駄目ならその様にさせるのです。

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 霊界に行けば、寝る事もなく食べる事もせず行動出来る世界なのです。考えて皆さい。千里万里をあっという間に行き来するというのです。この宇宙を全て行動半径圏内に消化させる事が出来るというのです。ここの自然において、南米にどの様な木があり、どの様な鳥がいてという、関心事がどれほど多いでしょうか。この前、大蛇で八メートル近いその抜け殻があったのです。やー、それを一度捕まえたいです。それ以上の大蛇を捕まえたらいいというのです。

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 一生の間の生活の中で、人生の趣味生活が人間の歴史とともに、人間の理想生活とともに和合し、霊界と連結されなければならないのです。自然的幸福の世界と連結する事が出来なければならないというのです。

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 地上世界でいつも晴れたり雲がかかったり、ありとあらゆる気候の変化を見る時、それが芸術的なのです。その環境で愛する事を感じれば、あの霊界の澄んだ世界に行き、自分が雲がかかる様にしてみたければ雲をかける事が出来、霧がかかる様にしてみたければ霧をかける事が出来る、愛によってその全ての多様な感応圏をつくる事が出来る特性をもった、その様な人間に成る事が出来るのです。ですから、全ての霊界が関心をもっているのです。「ああ、その人の所に行けばおもしろい」と言うのです。

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 私は、山に行って草を見れば、どれが食べられるものか、皆分かります。芽が出てくる時は、全てのものを食べます。子牛達や子羊達は、芽を皆かじって食べるのです。毒草を食べても毒がないのです。その時は毒がないのです。その様な事を皆学んだのです。山に行けば食べるものがどれほど多いでしょうか。また、茂みに入れば昼寝をするのにどれほど良いでしょうか。蒸し暑い夏には腹を出して涼しくごろごろして過ごせれば、どれほど良いでしょうか。雨が降ったとしても、どれほど涼しくていいでしょうか。

 腹を出して藤の下で大の字に成って寝て、おならもぶーぶー鳴らしながら、いびきをかいて寝る男の姿を過ぎゆく尼なら尼が見て、南無阿彌陀仏……。それはなぜですか。あまりにも立派なのです。石仏ではありません。何の話か分かりますか。それを知らない女性は木石です。それは息子、娘も生む事も出来ず嫁ぐ事も出来ません。しかしそれを見つめて南無阿彌陀仏する時、胸がどきどきし、おしりが突き出る時は、僧侶達も一次元上がって行くのです。本当なのです。霊界に行ってみればそうです。愛を知らない僧侶達は落第です。基督教徒達がよく信じて天国に行こうと行くらしてみても……。私がくまなく、全てかき回して見ました。金活蘭が何処に行っているか知っていますか。患乱世界に行っています。

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四 天国に入る秘訣

 1.天国は皇族の名誉をもって入る所

 度数を合わせる事が出来なければ天国に入れないのです。天国にそのまま行く事は出来ないのです。公式があるでしょう。メートルの原器はフランスのセーブルの国際度量衡局にありますが、それは気候や温度に対しても変化しません。数多くのメートルの物差しがあったとしても勝手気ままなものです。勝手気ま迄は、それが正しいか間違っているかという事は話に成りません。必ず原器に合わせてみて判断するのです。その様な公式があるという事を知らなければ成りません。天国に誰でも行くものと思っていますか。

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 皆様、天国に行来たいでしょう。天国に行来たいならば、天国に行く事が出来る内容をもたなければならないのです。同じ事です。天国に入る時、チケットが必要でしょうか。そのまま無事に通行出来るでしょうか、何かの条件をもってチェックするでしょうか。無事通行ではありません。すぐに分かるというのです。霊界にコンピューターがあると思いますか、ないと思いますか。人間が造ったものも凄いけれど、霊界のコンピューターはさっと押すだけで一分の間に生涯全体を知る事が出来るのです。うそをつく事は出来ません。この様な息子、娘として生まれてこの様な生活をしたという事が、悪いいたずらをして、良くない年輪をたくさん残した女性ならば、それがすっと出てくるのです。

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 堕落しなければ、神様の血族をもって神様の直系の息子、娘が天国に入る様に成っていました。その家庭が天国に入る様に成っていたのに、堕落し、怨讐の血統を受けたのです。愛の怨讐と成り、怨讐の血統を受けたその怨讐の子女だという事を忘れてしまい、堕落しない直系の子女の様に考える事が出来るその立場をもたなくては、本然の神の国に入る事の出来る基準が立たないのです。神様の息子、娘、神様の血族である自分の息子、娘を直接愛した人が天国に入る様に成っていますが、サタン世界の怨讐の子女をそれ以上に愛する事が出来る基盤をもつ事が出来なければ、天国に入れません。それ故に、怨讐の子女を自分の子女よりも愛さなくては、天国に入る基盤がないのです。

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 サタン、怨讐の血統を受けた、その事が問題です。神様の血統を受けて霊界に直通しなければならなかったのです。神様の愛をなした心と体が一つに成り、夫婦が一つに成り、子女が一つに成って天国生活をし、地上天国で暮らして天上天国に入って行くのが創造の原則です。神様の直系の血統として、直系の一〇〇パーセント真の愛の因縁を結んで、統一的個人と、統一的夫婦と、統一的家庭の枠組みを中心として、彼らが地上で生きてから入る所が天国なのです。それが原理原則の基準と成っています。

             *

 堕落したのちに地獄が生じたでしょう。それ故に天上世界と地上世界、全て真の父母の愛の門を経て入って行くその世界が天国です。アダムとエバが堕落せずに真の父母の愛を通じて天国に入ったならば、万民の家庭のモデルになったはずです。一つの本然的モデルの家庭形態が天国に入るのです。そうする事によって、その伝統的歴史を受け継いだ皇族圏の愛を連結した全ての家庭は、一つの中心的幹の前に東西南北の枝と同じです。それ故に、同じ圏統合の原則によって天国に入るのです。それでこそ統一世界に成るのではないですか。これをはっきり知らなければ成りません。

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 皆様の家庭にお爺さんがいますか、いませんか。ですから真の父母がお爺さんの位置にいるのです。皆様の家庭に真の父母がいれば、皆様祝福家庭は父母の位置以上だというのです。皆様も真の子女として生まれたでしょう。そして、皆様、子女をたくさん生んだでしょう。彼らが未来には王族達に成るのです。神様が最初に王家をつくり、完成して霊界迄連れて行くのです。そうではありませんか。理想的最高の家庭です。それが天の王族です。本然のアダムとエバが完成するのです。真の愛を中心とした王家だというのです。そののちに完成して行く所が天国なのです。

 先生が皆様の家に行って暮らせれば良いと思います。なぜですか。一生を喜んで父母様に仕える様になれば、自動的に天国に行くのです。それが伝統です。真の父母は一生をその様に生来たが故に、自動的に天国に連結されます。それ故に皆様とも連結されるのです。この事がどれほど驚くべき事で、楽しく、価値があって、貴い事ですか。誰とも取り替える事が出来ないのです。

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 蕩減復帰原則についてもう一つお話ししましょう。蕩減復帰の原則は不変の真理だというのです。エデンでエバが犯した罪を後代のエバの世界において蕩減しなければ、復帰して行く事が出来ないのです。これはみんな知っているでしょう。それを復帰する事によりサタン世界は消えて行くのです。ですから、真の父母を中心として本然的基準のこれが、全世界的に成される様に成る時は堕落しない本然的天国、理想世界が成されるのです。その世界が人類の願うたった一つの方向へと訪ねて行く、平和の世界以外にないという事をはっきり知らなければ成りません。

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 真の父母と一つに成り伝統の相続を受けて、皆様の家庭が主体的伝統で万国を統治出来る基盤と成り、主体性をもつ事が出来る家庭に成る時、天国の皇族圏内に入籍するのです。この様にして入る所が天国です。天国は誰でも入れる所ではないのです。その道を行こうと三代が決心しなければ成りません。お婆さん・お爺さんから母・父、夫婦、息子・娘迄段階は四段階で、系列は、夫婦を備えたものは三代です。

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 本来堕落しなければ、私達人類の先祖は神様の息子、娘で、地上天国、天上天国の王子、王女に成るはずでした。それは世界的です。根源と同時に一番終わりです。アルファとオメガです。アルファから善の父母が出てくる事が出来ず悪成る父母が出て来たので、これを全て抜き取ってしまわなければ成りません。そして、悪成る父母で始まった全ての事を消化させる事の出来る真の父母が出てこなければならないのです。

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 本来アダムとエバは神様の息子、娘でしょう。神様の息子、娘なので天国の王子であり、この地上の王子なのです。天国の王子であると同時に、大きくなれば地上の王に成るのです。王孫です。それ故に天国の王宮での法度を守り、その道理の全てを実践して神様の愛を中心として縦横、前後、左右に一つの理想的なモデルに成るのです。

 東方に行くとしても、西方に行くとしても、南の方に行くとしても、北方に行くとしても、前の方に行くとしても、裏側に行くとしても、何処へ行くとしても理想的モデルに成るのです。なぜそうなのかというと、この中心位置に立っている為です。その位置というものは、中心を中心として東方、西方、南方、北方、上下関係何処でも全て核です。その様な立場を考えてみる時、何処に行こうが、皆様が見本にならなければ成りません。

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 愛の所有を中心とするならば故郷が私の故郷と成り、家庭が私の家庭と成り得るのです。そこで子女の完成、兄弟の完成、夫婦の完成、父母の完成がなされるのです。神様の教本に提示された全ての内容をなせなかった事を、今日真の父母を通じて再現し知る様に成り、それを再度実行する事によって、堕落しない本然的立場で神様が完全に恨の峠を越えて教育に対する定義を下す事が出来るのです。その様にする事によって、天国の民として合格者、合格家庭と成るのです。霊界はこの地上の愛の大海が連結された世界で、そこが天上天国です。それ故に、あの世では愛の体恤的心情をもたなければ生き残る事が出来ないのです。

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 五十億人類は長子権、直系王権を受け継いだ王家の親族達です。その皇族圏の心情を体恤した人達が天国に入る様に成っているのです。それ故に、全世界的に平面化された王族圏を中心として、それを実体化させた世界の統一心情圏を体恤する生活をしなければならないというのです。そこから真の父母も、長子の上の真の父母です。真の父母の王権なのです。この様な王権を中心として周辺の王族を率いていかなければ成りません。天国はこの様な家庭の兄弟はもちろん、父母を中心として、王権を中心として、王族を率いて、王権に仕えて入って行く所です。その様な心情を体恤して入る所が天国です。

 天国というものは何ですか。アダムとエバが双子で生まれて、暮らして成長し、結婚して二人が父母になったのと同じ様に、その心情圏を体恤し、王権をなしてその権限をもって王族を率いる人々が入る所です。その様に王が入ったのちに、王族を連れて入る様に成っています。その様にして平面的に四大王権に成るのです。

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 今から地上天国時代に入るので、私達の家庭が王の一家だという事なのです。ですから、どれほど模範的にならなければ成りませんか。王が勝手気ままに暮らせますか。女王が勝手気ままに暮らせますか。その息子、娘が勝手気ままに暮らせますか。王と王妃、王子、王女達は、その国の法を全て守らなければ成りません。それだけでなく、王宮の法があります。法の中には王宮の法があるのです。

 宮で貴族達が暮らす法があるでしょう。英国でも韓国でも皆、王孫が生きる事がどれほど難しいでしょうか。先生がその道、復帰の道を全て歩ん出来たのです。その様にして皆ければ天国を意識出来ないのです。皆様が天国を治める王の位置に上がる事は出来ません。女王に仕える事が出来ないのに、どうして男性の王になれるでしょうか。そうではありませんか。

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 今、皆様は真の愛を中心とした皇族にならなければ成りません。皇族、アダムがその様になれば、アダムが直系の子女ならば傍系の子女であるその兄弟姉妹達は、全て民に成るのです。それ故に天国に入るには、天国の王子、王女の愛を備えて、その権威と威信をもって入るのです。そこが本郷の国、天国である事を知るべきです!

 2.四大心情圏の愛の実体が天国に行く

 天国はどの様な人達が入るのでしょうか。四大心情圏を完成した愛の実体が入るのです。自分より何千倍も優れた事を願う愛の対象者として、天の国と地の国と未来の三王権を身代わりした中心家庭が私の家庭だという事を知らなければならないのです。これを失ってしまったが故に、復帰された家庭でこの様な概念と、この様な内容を実践して結実させなければならないのです。それを息子、娘を通して繁殖させなければならない責任があるのです。

 この様に本然の道を失ってしまったので、これを完成して帰らなければならないのです。「それが復帰の道であり、再創造の道である事を知らなければ成りません。アーメン!」。これは文総裁の話ではありません。神様が語られたみ言なのです。

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 皆様、この様な話は初めて聞いたでしょう。四大心情圏と三大王権を復帰し、皇族の愛をもって行くべき祖国が天国です。死んでみて下さい。行くら優秀な人でもここに全て引っ掛かります。その時に成って「文総裁の話を聞いていればよかったものを!」と後悔せず、早く決定して祝福を受けなさい。それが最も早い解決方法です。

 それとともに学ぶのです。男性、女性が和合し、天国の失ってしまった家庭を取り戻して、神様を王として侍らなければ成りません。ですから、お爺さんは神様の身代わりです。お爺さんを神様の身代わりとして侍らなければ成りません。自分の父母は、五十億人類の家庭を中心とした王です。その息子、娘には未来の王の様に侍らなければ成りません。神様の様に、現代家庭を代表した王の様に侍る父母の道理を受け継いで、千年万年にその道理を残して行く世界が地上天国と成るのです、アーメン!

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 四大心情圏と三大王権を完成した家庭が理想的な家庭です。それで、お爺さんは神様と同じで、父母は世界の家庭の王で、自分自身は天上と地上の王権を継承する未来の王です。これは天国の王権であり、これは地上でしょう。これを相続する王なのです。この様な三大王権が結実しなければならない所が私達の理想家庭です。

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 父母権復帰の目的は王権復帰であり、王権復帰の目的は皇族圏復帰です。それが四大心情圏です。お爺さん、父、自分の夫婦が三大王権を象徴します。お爺さんは過去を象徴し、自分の父母は現在を象徴し、自分達夫婦は未来を象徴するでしょう。お爺さんは霊界の特権大使として自らの家に送られたお方なので、お爺さんの言葉に絶対服従する家庭は繁盛します。

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 私達の地上生活がそのまま霊界に移るのです。それを知らなければ成りません。それでは、霊界に行きどの様に横的に連結されるでしょうか。私の家庭で感じた事が宇宙の家庭で感じる、その世界に入るのです。世の中では縦的父母を中心として、もちろん神様圏を中心として縦的父母に成っていますが、横的父母を中心として家庭で暮らして、永遠な縦的世界、父母の世界へ行くのです。

 その世界が天国であるので、それは一代ではなく、数千代が全て入ると考えるのです。神様を中心として世の中でお爺さん、父母、自分の息子、娘と暮らしたのを拡大させた世界なので、そこに入って暮らせば、この地上で姉として、妹として、それから妻として、母としての責任、また兄として、弟として、夫として、父として一つの家庭で感じた責任を横的に感じる事が出来る因縁が出来てこそ和するのです。

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 男性は絶対に女性と一つにならなければ成りません。女性は男性と絶対的に一つにならなければ成りません。また、父と息子、娘が、神様と息子、娘が絶対的に一つに成り、兄弟が絶対的に一つにならなければならないのです。神様の愛を中心として神様の様に一つの家庭で暮らし、死んでそのまま移る所が霊界です。

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 アダムは神様御自身です。家庭の主人ですが神様御自身の体です。国の中心も神様御自身です。世界の中心も神様御自身です。それで、人は生まれてこの様な家庭において、家庭が一つに成り、国が一つに成り、霊界が一つに成る三つの段階を越えていかなければならないのです。

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 アダムは神様の愛を受けましたが、アダムの息子、娘は、神様の愛とアダムの愛、二つの愛を受ける事が出来るのです。霊界の王権と地上の王権を受け継ぐのです。地上天国から天上天国に入って行くので、このカテゴリーは分ける事が出来ないのです。

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 お爺さん、お婆さんが絶対必要で、父母が絶対必要で、夫婦が絶対必要で、子女が絶対必要だという心をもち、国は自分の家庭よりもっと愛さなければ成りません。世界はその様に四段階の人類が分布している事を知って、自分の国よりもっと愛するのです。過去、現在、未来が一つになった霊界に行って暮らそうとすれば、そこは四段階の全てを愛した人々が行く所なので、それを愛さなければ成りません。その様な世の中を地上に成し遂げたのが地上天国であり、天上天国は地上天国によって自動的に形成されるのです。

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 四大心情圏は夫婦によって愛一体を成した所で結実し、三大王権はアダムとエバが息子、娘を生んでこそ完成するのです。息子、娘を生んでこそ三大王権が完成するというのです。霊界を代表するのはお爺さんを代表した神様であり、アダムとエバは現在を代表します。過去、現在、未来です。現在を代表したアダムとエバを中心として未来を代表した息子、娘が出てきますが、「正」から「分」になったのが、合わさらなければならないのです。

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 霊界においても、神様が過去に感じた全ての現れなかった事をアダムとエバが感じる事によって、結婚時においてアダムとエバが一つに成る事によって、神様とぴたっと上下左右が合わさるのです。ここから兄弟が発生するのです。それで、円形的球形を成していきます。この球形を成して行くのが皇族圏であり、夫婦を成したのが王権です、王権。三代一体圏が生じるのです。三代が一つに成るという事です。

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 お爺さんは過去の王です。神様の位置であり霊界を代表する、天国から派遣した特権大使です。そして、父母、アダム・エバ圏は、この世の国の王と王妃だというのです。お爺さん、お婆さんは天国の王と王妃の位置で、父母はこの世の家庭を中心として家庭世界の王と王妃だというのです。霊界を代表したお爺さんの王権と現在のこの地上天国を代表した王権、この二つの王権が一つになったその継代を受けるのが後孫です。それ故にいつもこの息子、娘は父母と一つにならなければならず、お爺さんと一つにならなければならないというのです。また、お爺さんはいつも父母を中心として孫と一つにならなければならず、父母もやはりお爺さんと一つにならなければならないというのです。これを離れては天国の基台が崩れるのです。

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 天地が行くら高低の差があり、広狭の差があったとしても、天地にとどまる者達は四段階に成っているというのです。霊界にもお爺さん、お婆さんがいるのです。父母の様な年齢、青年の様な年齢、少年の様な年齢がいます。これをもう少し集約すれば二人です。 二人 !

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 四大心情圏、三大王権を知っているでしょう。皆様夫婦は、これを成さなければ成りません。その様になれば、思いのままに霊界から地上迄いつでも来臨出来るというのです。四大心情圏の完成は、結婚して愛を中心として一つに成る事によって可能です。もしこれが壊れれば、子女心情圏の未完成、兄弟心情圏の未完成、夫婦心情圏の未完成、父母心情圏の未完成に成るのです。霊界にはこの様な心情圏を完成して行くべきですが、堕落したので、その心情圏を今迄成した事がありません。それ故に蕩減復帰をしなければならないのです。

 3.心に同化された生活をしなければならない

 良心が神様の代わりに私に植えつけられた第二の神様、私の中心存在である事を知らなかったというのです。神様以上に仕えなさいというのです。道主以上、イエス様以上に仕えなさいというのです。そうすれば、イエス様を信じた以上の位置に行く事が出来るのです。統一教会の文総裁を信じないで下さい。統一教会の文総裁の教えを受けて良心と完全に一つに成るならば、統一教会の文総裁についていかなくても天国に行く事が出来ます。教材を買って勉強をしなければならないのです。

 良心を解放し、解放的自我を確立させて統一圏をもたなければ成りませんが、それが出来ない人は天国に行けないのです。天国を全て探してみましたが、その様にして天国に行った人がいません。今でも修養過程にとどまってだだをこねて、牧師や長老や優れているという人々の中に、皆逆さにされて串刺しにされている人が多いのです。

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 良心を解放しなさいというのです。皆様の心は天国の監視所であり、皆様の体は地獄の監視所だというのです。皆様の体が心を引っ張り回しますか、心が体を引っ張り回しますか。宗教を信じる人々は心が体を引っ張り回し、宗教を信じない人は百発百中、体が心を引っ張り回します。自分を中心として生活します。それが違うのです。それ故に地獄の出発地が私であり、天国の出発地も私です。心のとおりにすれば天国に行くのであり、体のとおりにすれば地獄に行くのです。他の為に生きれば天国に行くのであり、自分の為に生きれば地獄に行くのです。今日帰れば、良心の解放を宣言しなければ成りません。

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 心と体はどの様なものですか。それは主体と対象です。相対の為に存在しなければならないというのです。心は体の為に生き、体は心の為に生きるのです。一つになれば、皆様は五官ではなく、十官に成るのです、十官。天の霊界も全て見えて分かるのです。天国から聞こえてくる音楽の音も全て聞く事が出来ます。

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 今後は天国へ入って行く時、霊通人達が現れて、イエス様の横腹をローマの兵士が槍で刺した様に、萩の茎で良くない行いをした人を、刺すのです。無慈悲な時代が来るという事を知らなければ成りません。人民裁判があったでしょう。そこ迄はいかないでしょうが、それは自分が願うからといってやらないわけにいかず、絶対うそをつけません。その様な時代が来るという事を知って、心と体が一つにならなければ成りません。

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 神様は一つに成っていらっしゃるという事になれば、堕落して争う存在は、神様の反対の所に行くしかありません。その様な所を指して、霊界でも地上でも地獄というのです。悪いものは地獄に行くしかないのです。これを論理的に整理しておかなければ成りません。はっきり分かりますか。良心と体がずっと闘って一体に成る事が出来なければ、地獄に収納されますか、天国に収納されますか。地獄! 死ぬ前に、いつかはそれを一つにしなければならないのです。それを一つにせずして天国に行こうと考える者は、とんでもない者だというのです。その様な結論が出ました。

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 サタンは遠くにいるのではありません。自分と共に連結されています。自分というのは、天国と地獄の境界に成るというのです。自分に地獄があり、天国があります。良心は天国、地獄は肉身なのです。良心は主体であるにもかかわらず、堕落したので……。愛によって良心が愛と一つに成って、完全に霊的、地的、地上天国、天上天国の永遠なプラスの立場に立たなければならないのです。

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 体は何かというと、地獄の中心核です。核心の中の核なのです。それでは、良心は何ですか。天国の中心の核です。この二つが闘うのです。ずーっと毎日闘うのです。これが問題なのです。どの様にこれを解決するかという事が私達一生一代の課題です。ですから、体を打って弱める事を趣味と考えなくては成りません。その反対領域をどんどん占領して広めて自分の所有をつくらなければならないのです。そうすれば、肉身はだんだん小さく成るのです。

 それで、制限領域を無限な世界へと広げるのです。永遠な世界の為に生きる事、ですから、肉身をずっと征服して霊界迄行くのです。水平に成る迄行かなければ成りません。この様にしなければ、地上天国を成す事が出来ません。堕落しない本然の真の愛を中心として、平面上で心と体が一つに成る事の出来る起源的位置を復帰する事が出来ないのです。

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 悪魔が支配する地獄があり、善の神が支配する天国があります。天国はどの様なものでしょうか。天国は建設するものであり、地獄は破壊するものです。これが違うのです。それで、この建設と破壊が私の一身においてぶつかるのが、心と体の闘争です。

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 神様は心と体が一つに成っている為に、心と体が一つになった理想的な息子、娘として生まれた人々が、地上で一つに成って暮らしてから天国に移される様に成っているのであって、闘う者は絶対にあり得ないのです。神様はその様な存在形態を見るのも嫌うというのです。では、人類が願う事とは何ですか。この様な闘いを停止させる事の出来る主人が、父母が来なければならないというのです。偽りの父母で始まって分かれたが故に、真の父母が来てこの様な事実をはっきり理論的に教えてあげなければ成りません。故障したが故に、その故障した箇所を取ってしまい、け飛ばす事が出来る、この様な運動が地上で起こらなければ、地上天国は永遠に遼遠なものです。

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 良心が体の為に、どれほど犠牲になったでしょうか。一生の間蹂躙される良心の事情を、皆様は知っていますか。昼夜私を管理するのに疲れているのが良心です。それでも、へたばらずに体が悪い行動をし様とすると防ぐのです。「それだけすればもういいではないか、私の話をちょっと聞かないといけないじゃないか」と、そうでしょう。自分の前に最も近い、父母の代身、神様の代身、先生の代身の存在が良心です。心自体には教育が必要ありません。しかし体には教育が絶対必要です。

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 全ての人間は各々自分自身の中に、最も大切な先生を一生の間終始大事に保管しています。それにもかかわらず、その先生を誤って待遇し、踏みつぶして乱用します。その先生が正に人間の良心です。私達の良心は、常に私達自身にも助けに成る様に語り、私達を真の愛と連結させてあげ様とします。父母の様に私達の良心は、私達をして善成る非利己的な人になれと促し、神のみ旨に従って行動する様に導いてくれます。しかし各自の心の中にはまた、良心の声を常に拒む反乱者がいます。その反乱者は正に肉体なのです。

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 皆様の体と心の統一も、真の愛でなければ出来ません。それ故に心は体の為に犠牲に成りながら忘れに忘れ、また忘れてしまうのです。心とは、神様を身代わりした立場であるので、皆様の先生の中の先生です。その心は、神様が御自身の代わりに派遣してくれた私の中心です。縦的な私です。

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 先生は若い時、自分の体を制御する為にありとあらゆる事をしました。一週間、目を開けて寝るのです。行くら千万の美人達の中で寝ても、男性のそのスティックが美人達の三角地帯に接しても動いてはならないのです。自分の体をコントロール出来ない人は、天国へ行く事が出来ません。

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 地獄の根、天国の根が何処かと言えば、世界ではありません。終わりの日の世界が地獄と天国ではありません。地獄と天国の根は何処にあるのでしょうか。あく迄も皆様の心と体にあるという事を知らなければ成りません。今迄それが分かりませんでした。数多くの聖人達が来て教えてくれ、相対的世界に適応し様とはしましたが、自体において闘うこの根拠地を爆破させる事が出来なかったのです。この統一はここから始めなければ成りません。ここから始めなくては駄目なのです。

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 サタン世界は地獄へ行くのであり、神様の世界は天国に行くのです。そうなれば、自主的な、自分の為に生きる世界は悪成る世界へ行き、公的な世界、全体の為に生きる世界は天国に行くというのです。善悪の分岐点が自分から始まります、皆様、ここに、一つは公的に行こうとする心と、もう一つは私的に行こうとする肉体があるのです。心は公的であり、体は私的な立場で闘争するのです。

 偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統によって生まれた事を否定し、ここで切ってしまい、真の愛を中心とした真の愛、真の生命、真の血統に接ぎ木をして再び生きる、この様な道を行く事が人類の行くべき道であり、個人全体が行くべき道です。これが結論なのです。宗教が出て来たのは体を征服させて一つにする為です。この様な立場で真の愛と一つに成って、この地上に暮らして天国に行く事の出来る息子、娘を皆様が生まなければ成りません。宗教を信じないで天国に行く事の出来る真の息子、娘を生む事が出来る人にはなれずにいます。

 それ故に宗教が出てきて体を征服し、一つにし、真の父母と一つに成って接ぎ木をし、偽りのオリーブの木が真のオリーブの木と成り、真の息子、娘を生んで、この地上で暮らしてから永遠にあの世に上がって行く、天国に入っていけるのが創造理想だというのです。

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 皆様の体において、この戦争を早いうちに解決しなければ成りません。この戦争を終えて生きる事なしに天国に行く事は出来ません。永遠にあの世で引っ掛かるのです。深刻な問題なのです。父母が問題ではなく、家庭が問題ではなく、一族が問題ではありません。一遍にこれが引っ掛かるのです。

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 心身が統一されていない人は天国へ行く事は出来ません! 偽物です、それは! 国が成立しても再び家庭を中心とした七年路程があるという事を知らなければ成りません。無慈悲なこの様な過程を経なければ成りません。へびが殻を脱ぐ為に岩のすき間を抜け出るのに、大きいへびであればあるほど、どれほど難しいでしょうか! 小さいものはたやすいけれど、大きいものは難しいというのです。大きいものが抜け出ながら皮をはがす事が出来る、その様な狭間がありますか。ですから平たくこの様に行きながら、全てはがれなければならないというのです。ですから、大きければ大きいほど難しいのです。世界の統一が難しいですか。霊界の統一がどうなのか考えて皆さい!

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 皆様がいつも考えるべき事は、サタンの血統が自分の体で蠢動しているという事実です。これをどの様に停止させるか、どの様にこの根源を清算するかという事が、私達の日々の生活から始まって、生涯路程の使命です。これを清算する事が出来ずに逝けば、永遠な世界で引っ掛かるのです。天国に入る為には、モデルがなければ成りません。天国に入る為には、神様が創造なさった公式に従わなければならないのです。そうでしょう。公式です。皆様が学校を卒業し様とするなら、皆その学課を経て、単位を取って、卒業証書を受けるのと同じ様な過程があるのです。「これで終わる」という過程があるというのです。同じなのです。天国に入るにも公式がなければ成りません。

             *

 霊界に行けば良心が霊界の体の様に成り、その体に対する良心の立場に神様が現れるのです。自分の良心は神様の体に成るのです。皆様が神秘的な世界に入って、「神様、何処にいらっしゃいますか」と言えば、自分の中から「ここだ、ここだ」と言うのです。人々はその様な体験を多くします。それで、人間はすなわち天だという話が出てくるのです。

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 神秘的な霊界の世界に入って、「神様は何処にいるのか」と祈祷すれば、腹の中から「どうしたのだ」と答えるというのです。その様な事を体験するのです。自分も知らないうちに話をするというのです。「そこに行ってはいけない」と、その様に言うのに、そこに行けば事故が起こるのです。それは誰が言うのですか。神様が言うのです。熱心に祈祷すれば、その様な神秘的な体験をする境地に入るのです。

 4.絶対「性」を中心として天国、地獄が分かれる

 男女の初愛とは神様に出会う時間です。結婚して初愛を交わす瞬間は、男性として完成する場なのです。全ての神様のプラス世界、全ての男性型、右弦型を代表するそのアンテナとして君臨するのです。アンテナのてっぺんで陰電気と陽電気が出合う正にその場と同じなのです。女性と男性が愛し合うその場は男性完成、女性完成をする場なのです。また、初めて天地の中心として地上に定着出来る愛の王宮がそこから始まるのです。初めて愛の本源地が出発するのであり、また生命がそこから連結されるのです。そうではありませんか。血統がそこに連結されるのです。それと同時に、そこから国が生まれる様に成ります。地上天国、天上天国は、初愛の門を開くその場から、愛から始まるのです。これを知らなかったというのです。

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 本宮、分かりますか。その愛の出発地は地上天国の出発地であり、天上天国の出発地です。男性と女性が絶対的に一つに成る位置です。その絶対的な位置で神様が見えない性相と形状を分立して人を創造し始めたのと同じ様に、女性と男性が愛で一つに成って息子、娘を生むのです。見えない神様が創造したのを、見える実体に成って成し遂げるのです。血を混ぜる事の出来る力は愛です。血を混ぜる事が出来るその軸は何処でしょうか。何処が発電所かと言えば、女性と男性の凹凸が初愛を交わす所です。そこで初めて初愛によって発電し始めるのです。真の愛の発電、真の生命の発電、真の血統の発電、真の地上家庭と共に地上天国の発電、天上天国の発電の震源地がそこです。これを無視する者はあり得ないのです。いれば、地獄しか行かないのです。とんでもないというのです。

             *

 男性と女性のその器官がどれほど貴いか分かりましたか。神様が降りてくるのです。神様の解放がここから始まり、神様の歌と踊りもその上から生まれるのです。それが愛の王宮、永遠な王宮と通じるのです。地上天国、天上天国の初愛の門がそこから始まるのです。そうだと思いますか、うそだと思いますか。皆様、独身の時、その様に貴く思っていましたか。

 初愛がどれほど怖いでしょうか。初愛を間違えれば、天下が全て地獄へ行くのです。ここで愛の王宮を失い、生命の王宮を、血統の歴史と全てを失ってしまい、地上天国と天上天国の起源を失ってしまいました。その人は何処に行くでしょうか。原理原則があるのに何処に行きますか。存続する所がないのです。ごみ箱に入るのです。永遠に暮らせる様に成っていた人間ですが、逆さまに成ってごみ箱に入っていかざるを得ないのです。

             *

 男性完成、女性完成、神様迄完成させる事の出来るその本郷は何処でしょうか。何処で神様の愛を完成させる事が出来、何処で男性、女性を完成させる事が出来るのでしょうか。その中心の定着地は何処でしょうか。これが問題なのです。これを知らなければ、地上に愛の理想天国を拡張、拡大出来ません。それが目ですか、鼻ですか、手ですか、足ですか。何処ですか。(凹凸です)。

             *

 男性、女性が、凹凸が一つに成る事は、神様が完成し、半分である女性、半分である男性が完成する立場です。男女が結婚し初愛の関係を結ぶその場から、神様の愛的理想が完成する定着地が生まれるのです。男性、女性の愛を中心とした神様の相対的位置としての完成の位置が決定するのです。これは宇宙の核です。これが動けば、宇宙全体が行ったり来たりします。地上天国の本拠地であり、天上天国の本拠地だというのです。

 ここは愛の本然の地ですから、愛の本宮といいます。多くの王宮の中で中心宮を本宮といいます。これが愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮であり、それから天上天国と地上天国の出発地であり、人間が願っている自由と幸福と平和がここから始まるのです。そこは愛、生命、血統全てのものの王宮であり、個人、家庭、氏族、民族がそこから連結されるのです。天上天国と地上天国の本然の地であり、出発地だという事を知らなければ成りません。それから、自由と幸福と平和の起源です。女性にとって男性がいなければ絶対に暗黒であり、男性にとって女性がいなければ絶対に暗黒です。

             *

 男性が崇拝出来る最高の場所とは何処でしょうか。女性の顔ですか。女性の胸ですか。女性の体ですか。何処ですか。凹凸を合わせる事の出来る所は一つしかないのです。その為に準備的環境が、社会が連結され、国家が連結され、世界が連結され、地上・天上天国、宇宙が全て連結されるのです。これが、存在世界の鉄則であり公式です。

             *

 平和の基地もそうであり、地上天国、天上天国、全てのものが愛から始まります。どの様な愛ですか。男性の愛ですか、女性の愛ですか、男性と女性が一つになった愛ですか。一つになった愛です。その男女の愛の何処で一つに成りますか。顔で一つに成りますか、指先で一つに成りますか。凹凸で一つに成るのです。

             *

 神様の結婚式がアダムとエバの結婚式です。それ故に、地上天国と天上天国が同時に生じるのです。愛の巣から出発するのです。男性、女性の生殖器を中心として、堕落せずに出会うその時間が、地上天国、天上天国出発の起源地なのです。三大王圏を樹立しなければならないその基地が、そこです。その場でなければ愛の巣をつくる事は出来ません。

             *

 愛が理想的な天国をなす事の出来る出発地なので、愛の中心です。王宮だというのです。生殖器は愛の中心だというのです。それが王宮に成る為には結婚しなければ成りません。夫婦生活によって愛の王宮がなされるというのです。何がそれを連結しますか。男性と女性がキスして唇が連結しますか。何が連結しますか。凹凸が連結するのです。これは偉大な偉業です。この愛によって男性の全てと女性の全てが混ざるのです。一つに成るのです。それから、そこから男性と女性の血統が連結されます。血統が連結され、渦巻きの中で、その中央で初めて新しい生命を中心として歴史が創建され、歴史が連結されるのです。一代で終わるのではありません。永遠な歴史が連結されるのです。地上天国、天上天国がその場から出発するのです。

             *

 女性は、男性の愛の器官の為に暮らすのです。愛の為に生き、生命の為に生き、息子、娘の為に暮らすのです。女性は子供が好きなのです。女性の胸が大きく、おしりが大きいのは、赤ん坊の為にその様になったのです。それを満たさなければならないのです。それ故に、三代の本宮が何処にあるのでしょうか。人間の根本問題です。これが、家庭の根本であり、社会の根本であり、国家の根本であり、地上と霊界、天国世界の根本出源地です。

             *

 愛の本宮は、神様迄完成させて安息させる事が出来る王宮です。これが、何処で一つに成るのかと言えば、凹凸一箇所です。アダムとエバの生殖器、その場が偉大だというのです。それ故に、その生殖器は愛の本宮といいます。驚くべき言葉です。天地創造の全体、神様迄完成させて安息させる事が出来る王宮ですが、本宮です。天国も最初ではなく、地上の国も最初ではありません。この家庭から始まるのです。これが本宮です。驚くべき言葉です。

 それからその場は真の愛を中心とした本宮ですが、真の生命を中心とした本宮でもあります。それからまた、血統を中心とした本宮であり、地上天国の出発地であり、天上天国の出発地だというのです。それがなければ地上天国と天上天国、天国と人間の国が成り立たないのです。真の愛のこの驚くべき所が、下品な言葉に成りました。天地を滅ぼす亡国の種になったが故に、今迄最も悪いものとして取り扱われました。本来は神聖なものです。先生方、お分かりですか。朝起きてあいさつをする時、生殖器に「よくお休みに成りましたか」と言わなければならないというのです。先祖よりも、先祖の愛に仕える事が出来る場がその場である事を知らなければ成りません。

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 愛の器官をむやみに扱えば罰を受ける様に成っています。それが愛の王宮であり、愛の先祖の園です。愛はそこから出発しました。生命がそこから出発しました。歴史がそこから出発しました。地上天国の起源であり、天上天国の起源であり、神様の幸福の出発の起源がそこから形成されるというのです。神様の笑いの基台がそこから出発するのです。愛を求めて神様が踊る事の出来る場がその場です。その場を訪ねていかなければ成りません。それは正しいですか、正しくありませんか。この様に貴いのです。

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 神様の花が愛から、人間の花が愛から、地上天国、天上天国はこの花が愛で咲く事によって始まるのです。故に「真の愛は全ての完成の花だ」という、この様な言葉が通じるのです。この様に見る時、夫婦の因縁を通じて神様が創造した第二の創造を私に与え、神様が感じた喜びを感じ、永遠に実存的な神様の存在を実体的に体恤出来る様にした栄光の場が、どれほど偉大かというのです。

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 天国において美しい人になろうとするなら、愛の花がぱーっと咲いて、そこに和合し相対的世界で花の美しさを現し、花の香りを現して、その花を通じて新しい種をもつ事が出来る、この様な姿をもって地上で生きなければならないのです。その様に暮らして霊界に行く様になれば、永遠成るその世界でもその様な姿で現れるのです。

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 女性の生殖器が宇宙的な本源なのです。愛の関係を交わすその場が愛の本宮と成っているのです。本然の宮中なのです。愛はそこから始まるのです。結婚初夜の愛が愛の本宮の出発なのです。女性の生命、男性の生命が初めて一つに成るのです。それ故に理想的な生命の本宮がそこであり、血統がそこから始まるので、血統の本宮がそこだというのです。そして、天国がそこから始まるので、そこが地上天国の本宮であり、天上天国の本宮であり、人間完成の本宮であり、神様の完成の本宮なのです。

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 人間が堕落する時、愛の為に堕落したので、この性器が最も怖いのです。宗教では姦淫する事を最も恐ろしい罪として取り扱っています。ですから、アメリカのフリーセックスは悪魔の地獄膨脹主義ですか、天国膨脹主義ですか。地獄です。地上地獄であり、天上地獄です。これは全て滅亡するのです。

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 文総裁が全ての真理を探求して、霊界、肉界を探査し、あらゆる経典を探査しても、これは解決する道がありません。神様がいるかいないか。神様がいるならば、世界をこの様にさせた神様を私がそのままにしておかないのです。決着をつける為に闘ったのです。人間が生まれた根本原則が何であり、なぜ生まれたのでしょうか。男性は女性の為にです。それが真理全体の中で最高の真理です。女性の前に理想的な男性は最高の真理です。宇宙全体を完成した以上の真理の本体だという事を知らなければ成りません。男性の前にその様な女性も、宇宙の真理の本体の中の本体です。絶対的な真理体です。

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 今迄人間が悩んだ根本問題がこの様に簡単で、こんなに易しいものだとは、私は本当に知りませんでした。大変な苦労をしました。まさかこう成っているとは知らずに、正しいもの間違ったもの、霊界に入って、使い道のないもの迄くまなく探し、あらゆる事をしました。所が、気がついてみると自分が全てもっています。「ああ、これを知らなかったのだなあ!」と思いました。大概全てあるのです。気分が良いでしょう。宇宙が全て私の中にあります。宇宙が全て私に入っています。

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 真理が他の所にあるのではありません。私自身に全て備わっています。学ぶべきものはありません。先生もそれを尋ね求めてきましたが、真理の世界が宇宙の他の所にあるのではありません。霊界だとか何だとか世の中を全て調べ、苦労して、全て探ってみると、結局、神様が全て与えてくれていました。あぜんとしました。全て私にあったという事を知らなかったのです。この事を知らなかったというのです。

 5.夫婦愛が愛の理想の中心の花

 神様は縦的二性性相をもった方であり、人間は横的二性性相をもった実体として、二つが一つと成って、完全な丸いりんごの形をなして、四つの性相形態をもった東西南北に愛の理想を引っ張ってくっつける事が出来る母体にし様というのが、夫婦の理想です。

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 結婚をしたとするなら既に平面的ではありません。平面的な基盤しかありませんが、高いものが低いものと連結される時は、垂直的概念が生じるのです。平面的な歴史は宇宙を収拾したり、天宙を収拾出来ないのです。垂直と水平が出合って九〇度を成す時、それは天を地にしても、地を天にしても、前を後ろに、後ろを前にしても、右弦左弦、上弦下弦、前弦後弦どの面を付けてもぴったり合うのです。地上完成基準は、霊界の全ての完成につながるのです。

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 絶対的な夫婦の理想を描いて、芸術的な夫婦を地に築き、今迄の地上にない愛の絵を描くのです。その絵をもって天上世界の永遠な世界で旅行し様とするのが、霊界に行く事です。霊界は無限世界へ旅行する事です。そこはお金も必要ありません。御飯も必要ありません。服も必要ないのです。愛する相対に与えたければ、全て特権的に、全て与える様に成っています。金の様な服、世の中にない想像だけしていた服を着せてみたければ、愛する心が切実に成って与えたい気持ちがあれば、相対が現れるのです。何処でも旅行出来、何処でも自由です。

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 家庭を芸術化させなければ成りません。おもしろい夫、芸術的な夫にならなければ成りません。何かの雑誌に良い事が載っていれば、さっと抜き出して、寝様とする夫人の前ですてきな声で読んであげるのです。感動を受けて寝る妻の姿を夢に描けば、それが再現されるのです。霊界と連結されるのです。それがどれほど素晴らしいでしょうか。その様に生来たいですか。そのままおもしろ味のない夫婦として生来たいですか。素晴らしく生き様とするならば、素晴らしくあり得る姿勢、素晴らしくあり得る方向をとらなければ成りません。それが第一条件です。

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 霊界に行けば農作業もせず、食べて遊ぶばかりなのに、どの様にしておもしろく生きますか。これを考えてみて下さい。退屈で、どうやって生きますか。けんかも出来ずに暮らすのに、どの様におもしろく生きるかというのです。千年見ても嫌でなく、千年触っても良く、万年聞いても良く、億万年良いというものがなくて、どの様に生きますか。御飯は毎日の様に食べるのです。思いのままに食べる事が出来るし、思いのままに得られる所です。何でも思いどおりに出来る所です。その時は旅行をして暮らすのです。

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 この世の生活は、一カ月だけテレビを見れば全て分かります。見るべきものはありません。それは皆飽きます。ですから霊界を知らなければ成りません。祈祷と精誠を捧げるならば、霊界の幻想が広がるのです。それはどれほど素晴らしいでしょうか! 天使達が降りてきて踊りも踊るのです。どれほど素晴らしいでしょうか! 何百年前の有名な人々も集まって踊るのです。どれほど素晴らしいでしょうか! 私は妄想家ではありません。

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 本然の地に全ての元素が連結されています。根と同じです。根が同じならば津液(注:体内からしみ出る液)も同じで、葉も同じで、花も同じではないですか。本質の元素が一体化し得るその期間だけ和する様になれば、学ぶ必要もありません。人は、自らの顔を一〇〇パーセント描けないではないですか。絵以上のものを自分がもっているのに絵が必要でしょうか。違いますか。男性、女性、二人を中心として美しい愛の理想的夫婦の花が咲いているのに、絵を描いてどうするのですか。その様に貴いというのです。絵が慕う事が出来、称賛出来る主題をもっているのに、それを分からずにいるというのです。しかし、人は服を着る時、様々な柄で、季節によってこれが環境的調和をつくり出す様に着ます。環境に合わせる為に、様々な文化芸術だとかいうものが必要になったのです。

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 霊界に入っていき、霊人体が永遠に生きて行くならば、誰を訪ねていきますか。父母? 兄さん、姉さん? 子女? それは子女でもないのです。兄さん、姉さんでもなく、父母でもありません。自分の相対者なのです。なぜですか。子女を生んで育てる喜びというものは、途方もないものです。夫婦生活をしながら初めて赤ん坊を生んだ喜びは、最も刺激的です。その中でも最初の男の子に最も情がいき、夫も夫人も一心に心情を投入するのです。それで、初めて生んだ子女を最も愛します。長男と次男の差というのは、長男は愛をよりたくさん受けたという事です。長女もそうです。その長男、長女とは何かというと、父の延長、母の延長なのです。間違いないのです。

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 人間が完成すれば、男性の心の中には神様の性相が入り、女性の心の中には神様の形状が入るのです。アダムとエバの実体の結婚式は、神様の結婚式だというのです。霊界に行ってみれば、それがはっきり分かります。知り得ないこの様な理論が皆ぴったりと合うのです。それで、神様は何処にいるのか、夫婦を中心としても何処にいるのかという時、それは子宮です。そこにいるというのです。愛の根っこがそこだというのです。歴史始まって以来、文総裁によって、霊界がこの様に構成されていて、この様な内容によって成っているという事が明らかにされたのです。

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 皆様が夫婦関係を交わすのを神様が見ていないと思いますか。公開的なのです。これは宇宙的に公開するのです。それを知らないのは大きな過ちです。皆様の先祖が皆見ているのです。霊界でもすぐ目の前に見えています。手のひらに立ってしている様に見えるのです。ですから、それを恥ずかしいと思えば大きな過ちです。

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 愛によってなされる全ての調和と万象は、神様にとっては香りの様なものです。神様は、この様な美しい香りの中で生来たくて訪ねてこられるというのです。神様の愛が尋ねる事が出来る基盤が夫婦の愛の場だというのです。その場は、全ての万物と宇宙が和動する場に成る事でしょう。

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 愛を中心とした王宮と言えば霊界の王宮と地上の王宮がありますが、これらが何処で接触する様に成るか、それが問題だというのです。人間と神様が何処で合わさるかという話です。それ故に真の愛と一体となったその生殖器というものは本源地です。それが本源地なので、宮と見れば本宮に成るのです。それは神様が出発した宮、最初に始まった宮であり、それが本宮です。

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 夫とその様にむつまじく暮らして、死ぬ時には何を考えるかと言えば、いつも愛の器官を考える様に成るのです。彼の顔、キスを考える様に成るのです。あの霊界に行って残る記憶というのは、愛する夫、妻とキスして愛し合う、その生殖器を合わせた、それ以外にはないというのです。それをつかんで、キスしながら死んでい来たいですか。

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 愛によって神様の代わりに生まれて、愛によって生きて愛の目的地に到達する為に息子、娘を生んで、永遠に神様と共に生きる為に神様の所に帰って行くのです。それ故に皆様が完全に愛で一つになれば、のちには神様に似るのです。夫婦二人が一つに成り、この様な三段階の愛を完全に成して霊界に行く人々は、永遠な主体である神様の前に、相対的な神様に成るのです。そうではないですか。愛を中心として夫婦が共に死ねば、その様に成るのです。ですから、神様から始まり、神様に帰るのです。

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 男性、女性達は、愛し合う夫婦の愛に酔って生きなければ成りません。これが課題です。父母に侍っているならば、父母の愛の中で、家庭の愛の中で生来たいと思わなければ成りません。それが理想であり幸福です。幸福がほかにあるのではありません。霊界に行って、霊界が行くら良いからといって独りで何をしますか。文総裁で言うなら、気分が良ければお母さんを求めます。お母さん、母を求めます。母も二人の母がいます。自分を生んでくれた母と、息子、娘を生んだ母。一家に二人の母が暮らしています。そうではないですか。自分を生んでくれた母、それから? 息子、娘の母がいます。それから父の母、お婆さんがいます。母はいいものなのです。そうではありませんか。

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 私は神様に似たし、完成したアダムとエバに似たというのです。二つの父母に似たというのです。これが一つに成っている為に心と体が闘いません。男性、女性が闘いません。完全に一つです。霊界と肉界と神様と、創造主と創造物が一つに成る事の出来る完全な位置において、新しい泉がわき出てくるのです。これが平和の起点です。平和の出発です。幸福の出発です。理想の出発です。希望の出発だという事を知らなければ成りません。しかし、これを失ってしまったので、再び復帰しなければ成りません。

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 霊界に行って、男性に生まれて一人で生きてそのまま行った者達を見ると、良い所に行っていません。良い所に行けません。神様を見つめる時も視線を下げます。「こいつ、なぜ視線を下げるのか」と言うのです。男性で生まれて天地調和の、陰陽の合徳を知らず、愛を知らずして来た僧に、天地大道の中心である愛の道理がどうして分かるでしょうか。

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 息子、娘を生む事が出来ずに霊界に行けば、片側だけにいなければならないのであって、思いのままに行き来出来ないのです。恥ずかしいのです。それ故にを強調する者達は悪魔の直系です。終わりの日に追い出される群れは悪魔、サタンしかないのに、彼らはサタンのあとをついて行く者達です。悪魔は天使長であった為相対理想がないのです。それ故にその世界に成ってみると、青少年達は淪落に陥り、年を取った男女は愛に疲れて、悪魔の愛に失敗してをするのです。をする者達は全て、地獄行きで終わるのです。

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 をする人は、神様の本意のみ旨の前に犯罪者の立場です。赤ん坊を生まないで産児制限をした人は、あの世に行って、「貴方の息子、娘を通して天下を統治出来る王子、王女を送ろうとしたのに、この有様は何ですか」と審判されます。霊界に行けばすぐに分かります。すぐに分かるというのです。千年万年の恨の歴史の中で苦労した先祖の功を自分一代、一族を通して福を与え様としたのに、その首を切ったというのです。

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 乙女で暮らして一人で逝った人々、男性も一人で逝った人々、その様な者を何というのですか。死んだのちにモンダル鬼神(注:独身のまま死んだ男の鬼神)と言いますが、死ぬ前だと何と言いますか。モンダル鬼神は死んだのちに言うではないですか。そんな言葉はないのですか。それは何というのですか。独身女性。これでは困るのです。

 何処に行っても和合出来ません。女性の世界に行ってもこの様に立ち、男性達の世界に行ってもこの様に立ち、行く所がありません。方向は陰になった所、陰の世界、かといって自分は振り返る事が出来ないのです。和合は愛を中心として東西南北に通じる様に成っているのに、方向がぴたっと固着されている為に振り返れないのです。私は分からないので、死んでみて下さい。

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 祝福を受けた血統を汚しては成りません。それを皆様はよく知らなければ成りません。天国を受け継ぐ事が出来る、相続を受ける事が出来る財産です。それは血族の文書、血統の家の権利書と同じです。族譜と同じなのです。純潔をどの様に守るかというのです。

 6.天国は家庭単位で入る

 私達の家庭と天国は類型の様です。我が家には父母がいて、夫婦がいて、子女がいて、兄弟がいます。我が家は愛で一つにする事が出来ます。ここでは統一がなされ、生命が連結され、理想を実現させる事が出来ます。ですから、皆様は夫婦の愛を尊重出来、父母の愛を尊重出来てこそ天国に行く事の出来る資格者になれるのです。

 祖父母は父母の前に愛を相続してあげたのであり、父母は夫婦の前に愛を相続してあげたのであり、夫婦は子女の前に愛を相続してあげています。ここで、どの愛を否定しても天国はなされません。自分達夫婦の間で愛し合う以上に父母を愛し、自分の父と母を愛する以上にお爺さん、お婆さんを愛さなければならないという結論です。これが、全ての天国の核心に成って、理想的モットーに成るというのです。

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 神様は真の愛の本体なので、真の愛と連結されれば全てが同じ体に成ります。父母は神様を身代わりした生きている神様であり、夫と妻はお互いに他の片方の神様であり、息子、娘はまた一つの小さな神様です。この様に三代が真の愛を中心として成された家庭組織が天国の基盤です。その様な基盤を成さなくては天国が成されません。家庭というものは宇宙の中心です。家庭完成は宇宙完成の基礎に成るので、家庭で愛する様に宇宙を愛すれば、何処でも無事通過です。こういう場合神様は、全宇宙の父母として、愛の複合的な中心の位置にいらっしゃいます。

 統一教会の「原理」でいう四位基台は、三代愛圏をいうのです。三代が一つの家に暮らしながら愛によって和睦して幸福に成る時、天地創造の理想が実現されるのです。夫婦が愛し合わなければならないという事はもちろんですが、子女達を愛で祈祷してあげて精誠の心で見守ってこそ、家庭が和睦して幸福に成るのです。これが縦的に成って横的に連結される時、完全な愛が成されるのです。いと事、またいとこ、兄弟達迄愛で一つに成ってこそ、初めて愛の円形に成って完全に成ります。

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 家庭は天国完成の基本単位です。天国は一度行ってみると戻りたくなく、十回、百回会ってもまた会いたい、その方がいらっしゃる所です。万民が共通にそこに行来たいと思い、その方に会いたいと思い、その方の様に生来たいと思うならば、世界は統一されるはずです。そこに向けて進んでいるのが統一教会です。しかし、それは一度になされるのではありません。先に個人の基台が立ち、それから家庭の基台が立ち、それから民族、国家、世界へと伸びて行くのです。

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 天国生活は何処からですか。家庭からです。他の所から始まるのではありません。天国は家庭を立体的に拡大させたにすぎないのであって、家庭圏を外れたものではないというのです。それ故に皆様が自らの妻や夫を抱く時に、これは世界の男性と女性が一つに成るのだと考えなければ成りません。この様に世界人類を愛したという条件を立てる事の出来る位置が、正にこの家庭です。

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 神様の創造理想世界とはどの様な世界ですか。真の父母圏を通じ、地上天国と天上天国が成された世界です。天国は愛の基盤を通じてのみ成されます。堕落した世界には、真の父母の愛を受けた事のある人が一人もいないし、現れた痕跡もありません。霊界も同じです。真の父母の愛を受けて逝った者がいないからです。神様を中心とした創造本然の家庭的基台には男性の愛、女性の愛、息子の愛、娘の愛、父母の愛、神様の愛が全て入っています。この様な消化された位置で父母を愛し、夫を愛し、息子、娘を愛すれば、誰でも天国生活をするのです。

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 統一教会の使命は何ですか。統一教会は過去の宗教とは違い、個人的な救いだけを願う宗教ではありません。堕落しない本然の理想世界を願う宗教です。本然の理想世界は、完成した人間が神様の愛の中で夫婦の因縁を結んでその息子、娘を生んで天国に行く所をいうのです。父は地獄に行って母が天国へ行けば、それが天国でしょうか。父母は天国へ行って子女が地獄に行けば、それが天国かというのです。天国は父母と子女、氏族、民族、国家が全て入って行く所です。

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 家庭天国を成す所で、初めて神様が理想とする地上天国が定着する様に成るのです。これが、四位基台にならなければ成りません。「統一原理」では「創造理想完成は四位基台完成だ」と言います。それはなぜですか。神様とアダムとエバを中心として三段階を経て、縦的世界と横的世界が生まれれば四位基台が成されるからです。アダムとエバの息子、娘がいてこそ横的な世界が生まれます。この様になれば縦的な世界が自然に生じるのです。体を中心とした体の横的基準が息子、娘であり、心の横的基準が霊界だというのです。そこで初めて神様が臨在なさる事が出来るので、地上に天国が実現されるのです。

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 統一教会の救援観というのは、夫が天国に行って夫人は地獄に送ろうというものではありません。二人とも天国に行こうというものです。父母を地獄に送るのではなく、父母に侍り、息子、娘も連れて天国に行こうというのです。

 統一教会は自分が愛する家庭、自分が愛する氏族迄一切を連れて天国に行く事の出来る道理を教えてあげる宗教なので、他の宗教とは次元が違います。それ故に今迄の宗教はを強調しましたが、統一教会は家庭を重要視するのです。家庭を中心として行くのです。その家庭は世界の為の家庭であり、神様の為の家庭です。これが、統一教会の食口達が行くべき道です。

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 統一教会では、個人としては絶対に救いを受ける事が出来ないと考えます。個人として天国へ行けないのです。一人では行く事が出来ません。原則がそうです。エデンの園のアダムとエバの二人が一緒に天国へ行く様に成っているのであって、夫または妻だけ天国へ行く様に成っていますか。夫婦が一つに成り、家庭が一つにならなければ、天国へは行けないのです。それが理想であって、父は地獄に行って母は天国へ行けば、それが天国ですか。天国は夫婦が行かなければならないのであり、家庭が行かなければならないのであり、家庭だけでなく、一族が行かなければならないのであり、国家全体が行かなければならないのです。

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 お爺さんに神様の様に侍り、父母に天下統一させる事の出来る父母として侍らなければ成りません。お爺さんは天上世界の特派員です。全権大使です。お父さんはこの世の全権大使です。自分は二つの国、地上天国と天上天国の全権大使として、息子、娘として、後継者として育っていると考えなさいというのです。そうすれば、間違いなく霊界に直行するのです。霊界へは、本来その様な人々が入っていかなければならないのです。所が、今日基督教では「信じれば天国に行く」と言いますが、いい加減な話はやめなさいというのです。行って皆さいというのです、どう成るのか。あぜんとする事でしょう。

 「こういう事に成ってい様とは。こんなはずではなかったのに」と言う事でしょう。こんなはずでは、とは何ですか。原則と異なれば全てその様に成るのです。原則があります。数万数千いるとしても、誤ったならば全て肥だめに入るのです。火で燃やして捨てるでしょう。同じです。原則的な基準を探さなければならないのです。

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 自らの祖父は天の特権大使です。万一アダム家庭が堕落しなかったとすれば、お爺さんに神様に対する様に侍るのです。歴史を通じて霊界に行った先祖の中で、一番最後の人として残された主人がお爺さんです。ですから神様の身代わりです。そして、お父さんはこの世界の家庭の王です。皆様の父母は皆、現代の六十億人類の家庭の王なのです。

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 お爺さんは、天国である霊的世界を象徴するのです。ですから、お爺さんに神様に対する様に侍らなければ成りません。天国の全権大使です。それから父母は、現在を象徴するので、世の中の全ての人類家庭を代表した王と王妃です。父母は、人類を代表した王と王妃だというのです。そして、息子、娘は未来です。未来において霊界と地上世界、二つの世界の王権を受け継ぐ事が出来る王子、王女だというのです。

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 お爺さんは過去を表徴するのであり、過ぎた時代の主体は天国、霊界です。お爺さんは霊界と地上を連結した代表者だと言う事が出来ます。神様と善成る天国の全てのものを、地上にある自らの家庭に連結させる神様の大使です。神の国の大使とは誰ですか。お爺さんです。

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 国を形成するには家庭がモデルに成ります。家庭が第一段階です。家庭から始まるのです。それを知らなければ成りません。そこを見れば、お爺さん、お婆さん、父と母、子女の三段階がありますが、これを拡張する時は三つ、四つ……。これをくっつけるのです。これを中心としてこの世にも通じますが、霊界にもそのまま通じるのです。世界を見れば世界にもお爺さんレベル、それから父母レベル、その次には自分のレベルが皆あるのです。ここで練習する全てを世界へ拡張すれば、何処でも全て合います。

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 家庭を見れば、そこにはお爺さん・お婆さん、父母、息子・娘がいます。これが三代ですが、歴史をおいて過去からつながって来たのです。お爺さんは、先祖から今迄霊界に行っている天国の私達の先祖を代表し、我が家の中に派遣された全権大使なのです。ですからお婆さん、お爺さんに誰に対する様に侍らなければならないかと言えば、神様に対する様に侍らなければ成りません。その様に侍る事によって、天国の出発を見る様に成るのです。

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 霊界には、家庭を連れて入らなければならないという原則があるのです。なぜ息子、娘がいなければ駄目なのですか。子孫というものは本来、縦的な神様の愛と横的な父母の愛、神様と父母の血が縦横に混ざり合って生まれたものです。従って、後孫をもつ事が出来なかった人は、霊界に行って天地の調和を成す事が出来ず、東西南北に拍子を合わせられないというのです。後孫をもたなければ、あの世に行っても、遊んで休む事の出来る場がないというのです。

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 息子、娘を生んで正統的な家庭訓練をする事が出来なければならないし、また一族を率いた長に成って霊界に入らなければ成りません。霊界に入って行く時は、子女の完成、兄弟の完成、夫婦の完成、父母の完成を皆成さなければならないのです。

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 家庭では父母を中心として孝子になれというのです。その次には、国を中心として忠臣になれといいます。また、世界を中心としては聖人になれといいます。聖人とは世界を愛する人です。聖子は神様の息子に成る為に、神様と天国の宮法と天国の宮に暮らす人迄愛するのです。

 この様な人は、愛を中心として暮らす人なので、愛の生命を尊重視し、愛の血統を尊重視するのです。この様な事を尊重視しながら、世界の何処でも、故郷の様に暮らす事の出来るその様な所が人間の求めて行くべき理想郷です。この様に暮らす人が霊界に行く様に成る時は、神様の前に躊躇する事なく直行出来るという事を、皆様が記憶してくださる様お願いします。

 7.「為」に生きれば天国に行く

 天国は犠牲になった者が主人と成るのです。家庭は氏族の為に、氏族は民族の為に、民族は国家の為に、国家は世界の為に、世界は天宙の為に、天宙は神様の為に犠牲に成るのです。結局、目的は神様に到達する事です。神様を占領するのです。生命をもった全ての存在の最高理想は、神様の愛を占領する事です。それを最高の目標とするというのです。その特権をもっているのが人間です。

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 霊界に行けば、相対を重要視し、全体の為に奉仕し、犠牲になった人が高い所に行くのです。それが天国民の共通した性格です。どの様な人が高い霊界に行くかと言えば、全てのものを投入して、神様の様に投入し、投入して忘れてしまう人です。人類救援の為に多くの人々を神側に引き寄せた人が天国に行くのです。天国の国民をどれほどたくさん連結させるかによって、霊界での自らの立場、位置が決定されるのです。

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 「為」に生きる経験が出来ず、愛をもって生きられなかった男性、女性がどれほどかわいそうか、霊界に行ってみればはっきり分かる様に成ります。あの世は全て、「為」に生きる人だけです。ここでその様に生きれば、そのまま神様の所にひゅっと上がっていきます。それを知っている為に文総裁は、今迄現れる事を嫌いました。弟子達を皆前面に出して、栄光ある立場を皆譲ったのです。

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 真を求めて行くならば、心は絶対「為」に生きる事が出来、体もそうならなければ成りません。これが一つに成って天地に神様を中心として九〇度で連結されれば、東西南北、上下、高低何処に行こうが分かります。自動的に霊界が通じます。学ばなくても皆分かります。文総裁の様な人がどの様にして天地の秘密を全て知ったのでしょうか。その境地に入ると、皆分かる様に成ります。真の愛を中心として心と体が共鳴する境地にぴたっと入ると、皆見えたというのです。神様も見え、天上世界が全て見え、歴史が見え、全て見えます。

 なぜですか。真の愛を通して関係を結び、因縁を結び、理想的生活をする事の出来る環境的要件が、本来、神様の創造理想の原則であった為、その境地に入ると、通じない所がありません。霊界の先祖も、呼べばさっと出てきて、会って何かを尋ねてみる事も出来るのです。

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 宇宙を造った神様は、宇宙の法度を立てた神様は、どの様なお方なのでしょうか。全宇宙を通じて誰よりも「為」に生きる代表的な立場に立った方です。その方が神様だというのです。それ故に、その方に会おうとするなら「為」に生きなければ成りません。その方は知識の大王ですが、「知識をもって神様の前に来い」とは言わないのです。能力の大王ですが、「能力をもって来い」とは言わないのです。権力に対する、お金に対する、物質に対する主人であり、大王ですが、「それをもって来い」とは言わないというのです。「為」に生きて来れば、全てが来る事が出来るというのです。

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 私達の本郷は、神様の為に存在する者達だけが入る所であり、「為」に生まれ、「為」に生き、「為」に死んでいった人々が入る所です。これが、私達の本郷の理想的構造であるが故に、神様は本郷に訪ねる様にする為に歴史過程に数多くの宗教を立てて訓練させて来たのです。宗教が柔和謙遜にし、犠牲にならなければならないと教える理由は、霊界の法度がそうであるが故に、宗教が霊界に帰らなければならない人間達を地上生活の過程でその霊界にふさわしく成る様に訓練せざるを得なかったのです。それ故に、高次的な宗教であるほどより次元の高い犠牲を強調し、奉仕を強調したのです。それは、普段の生活を通してその世界に一致させ様という所に、その原因があるのです。

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 お金についてい来たい人は、永生の道を行く事は出来ません。知識について行く人も、永生の道を行く事は出来ません。知識に、学問に、永生が何処にありますか。知識は多いほど、知れば知るほど驕慢に成るのです。驕慢の主人が、驕慢の親分がサタンです。サタン世界の近くへ行くのです。教授の方々、済みません。私が知っている真理はそうです。死んでみて下さい。私が間違った事を言ったでしょうか。霊界へ行ってみて下さい。行ってみて、その時私に抗議して下さい。正しく教えてあげるので、正しい先生でしょう。そこでも先生で、ここでも先生です。取るに足りない先生ではありません。

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 霊界に行けば、固執というものが大きい怨讐です。国会議員をしていた人々が霊界に行けば、本当に困るのです。それをはっきり知らなければ成りません。教授達を再教育すべきですが、皮をはいで労働者の立場から汗を流させるのです。汗を流して、地も耕して皆ければ成りません。そうしなくては成りません。その様な意味で私が教授を全て結び合わせましたが、今迄はこの人達を厚遇しました。その様にしていては、霊界に行って讒訴します。「先生はこの事を全部知りながら、なぜそうしたのですか。なぜ正しく教えてくれなかったのですか」と言うのです。これは事実の話です。行ってみて下さい、私の話が正しいか正しくないか。

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 霊界に行ってみれば分かりますが、全て「為」に生きる人が行くのであって、「『為』に生きろ」と言う人は行く事が出来ません。ですから、学者に成り、世の中で大統領に成り、王になった人々は地獄へ行くのです。「為」に生きなかったからです。牧師達の心情を見ると、自分が恵んでもらう事を考えるのであって、与えて生き様としないのです。父母というものは、行くら子女に与えても、また別の何かを準備し与え様とするのです。与えたい心が連結されるその様な基盤には、発展があるのです。

             *

 霊界と人間が関係を結べば隠す事が出来ないのです。水を見れば、水は必ず上から下へ流れ落ち、空気は空間があれば満たそうとするのです。これと同じ様に、霊界が動く所には空の所がありません。満たされるというのです。水を受け様とするなら器が空でなければ成りません。器がいっぱいであれば、空いている残りの所にしか満たされないというのです。同じ様に、空気も空いている部分には皆入りますが、ふさがっていれば、そのふさがった部分には空気を満たす事が出来ないのです。

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 霊界にさっと行ってみると、千年万年に成る人々が、全て自分を中心として集まろうとするのです。自分が動くと、群れをつくって全て集まってくるのです。皆様も先生と近い所で生来たいでしょう。近い所で「この様に見ながら生来たい」と、そう思うのです。それは誰がその様にしますか。自分ではないのです。天運が、宇宙の法則がその様な人を中心として、皆集まって一つに成る様にし様とするのです。それが原則です。行くら「離れなさい」と言っても、離れる事が出来ません。

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 「為」に生きる人に成りなさい。これが、天宙生成、形成の根本なのです。神様も「為」に存在するのです。この様に見れば、平和の世界が目前に展開するのです。天宙の全てのものの中で、これに逆らうものはありません。この様に主体的、生成の根源、エキス的、核心的な立場に立ったその人は、天宙、神様迄も歓迎するのです。先生の様な人がそうなのです。今、皆様は、その様な事を知らない為に実感出来ません。霊界も先生を中心として動いているのです。その様な世界を知らないでしょう。それ故に、いい加減にしているのです。

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 真の愛を中心として「為」に生きる人は、夜でも昼でも天宙万宙何処に行こうが歓迎を受けるのです。皆様は、いずれ霊界の展示場に展示されるのです。人間の博覧会をする所が霊界です。霊界では、地上でどの様な生涯を生来た人間なのか、すぐ展示されるのです。そこでびりに成りたいですか、皆が称賛する人に成りたいですか。どちらですか。最高に称賛を受ける人に成りたいでしょう。その様に成る為には、先生が話すとおりに生きなければならないというのです。最高に称賛を受け様とする前に、最高に「為」に生きなさいというのです。その様な人は、間違いなく中心者に成るのです。

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 青年達はそれを知らないのです。二十人の友人達がいるとするならば、友人達の中心として残る人は誰ですか。「お前達、全て私の為にしろ」と言えば、全て逃げてしまうのです。二十年、十年、一生を終える時迄、死んでもその友人の為に生来た場合には、霊界があるならばそこに行き、全て彼を中心として集まるのです。それは間違いない真理です。「為」に生きる、より「為」に生きる、より犠牲に成る人が中心者に成るのです。

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 「為」に生きる人は滅びません。また、「為」に生きる人は霊界でどんどんコーチしてあげます。どんどん新しいものと関係を結ぶ様にしてあげるというのです。新しいものと関係を結ぶから、その人は自然に有名に成り、世界的に知られるのです。

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 父母は苦労する息子、娘を先に考えるのです。それ故に心情の潮流というものは何でしょうか。かわいそうな人々を訪ねて、いかにして自分の様にさせるか、という事を実践出来なければならないのです。その様になれば、世の中は全て私に反対して冷遇しますが、神様と天国は私を擁護するというのです。神様を中心として、霊界の霊人達が私を擁護し、保護して回るのです。雲の様に私を擁護してくれるのです。

 それ故に、その様な人々は滅びません。それが過ぎる様になれば、雲が環境を全て巻き込んで整理するのです。ですから投入して苦労した代価ぐらい、創造する事が出来るというのです。私は苦労して迫害されましたが、天運があとから来て、その基盤を築いてくれるのです。聖人達は当代では迫害を受けますが、後代において名を残すのは、霊界が、天が、天運がそうしてくれるので、その様な現象が起こるのです。

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 天国に行こうとする人は悲惨に生きろ、悲惨に死ね、悲惨に逝けというのです。その言葉が良い言葉ですか、悪い言葉ですか。良いというのです。それなら、死ぬほど出ていって伝道しろという言葉も良い言葉です。他人の為に命を捨てろというのです。自分の為にではなく、他の人の為に、世界の為に、天下の為に命を捨てれば、大宇宙の主人として立ててくれるのです。

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 永遠に残るものがあるならば、それは公的な苦労です。公的な苦労をして霊界に行ったのに、そこで滅びたなら先生に抗議してもかまわないのです。民族と世界、天地の為に働いている途中で打たれる人が賢い人です。

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 悟りの道に入った人は、死ぬ時迄死の道を行かなければ成りません。死んでする苦労を生きて蕩減するので、その様な道を行かなければならないというのです。死んで億千万年苦労するのを縮小させ、生前に蕩減してしまおうというのです。この様に悟りの道は、永遠に行くべき受難の路程を、この地上で苦難の道を歩いて行く事で蕩減し様というものです。

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 統一教会に来る様になれば、「地上で良い生活をしなさい」とは言いません。この上なく貧しく、この上なく苦労して死んで道端に倒れ、犬もかみつかない死骸を残したとしても、その場には花が咲く日が来る事でしょう。そこには、全ての神聖な人々が集まって都をつくる事でしょう。統一教会の群れを国の為に、世界の為にうんざりするほど苦労をさせて、孝子、忠臣にしてみ様というのが先生の考えです。「行かない」と言うならば、張り飛ばさなければならないのです。足でけ飛ばしてでも現在の悲惨さを、現在の難しさを克服させるのが愛です。

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第二章 霊界はどの様な所か

一 霊界の実相と法度

 1.霊界は時空を超越した無限の世界

 霊界がどれぐらい広大無辺な世界か知っていますか。今日、この宇宙だけで見てもそうです。二百二十億光年以上に成る宇宙です。これがどれほど大きいかと言えば、光が一秒間に三億メートル、一秒間に地球を七回り半回る事の出来る速度で一年間進む距離を一光年と言いますが、それが二百二十億年かかるというのです。二百日ではありません。ですから、宇宙がどれほど大きいでしょうか。それが全て私達の活動舞台だというのです。

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 神様は、時空を超越して存在するお方であられます。今日の時間や空間世界を超越して存在するのです。霊界に行けば、一年という年がありません。一年、二年、一日などというものがないのです。それは便利な事でしょう。寝もしないのです。霊界に行けば寝ないで暮らす事が出来ます。食べないで暮らす事が出来ます。思いのうちで食べて生きて行く事が出来るのです。例えば、目である物を一度見て「いいなあ」と思えば、千年も万年も忘れられないというのです。そうであったら本当にいいでしょう。 

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 天国は太陽系の様に一年を三百六十五日として地球の様に軌道を回って、一日は二十四時間でという、そういうものはありません。私達の言う一年、二年というのは、地球での話です。太陽系を中心とする惑星の立場から一年を定め、地球が一回り自転する事を一日と定めているのです。霊界は、地球が一回り自転する様に回ったり、太陽を中心としてその軌道に従って一年を回るという決まりがありません。朝なら永遠に朝です。そこには日や年の概念がありません。

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 霊界は時間と空間を超越しているので、一秒間に何億万里も行く事が出来ます。広大な世界が時空を超越しているので、一秒間でも何億万里も行く事が出来るのです。広大な世界が時空を超越しています。千年前が見え、何万年前が見えるのです。見えるのですが、何を見様とするのでしょうか。他のものは見ません。誰に会いたがるかと言えば、男性であれば女性に会いたがるのです。そして、会ってからは、その人の心中にある本然の愛の大きさがどれくらいなのか、その人のもっている愛の量がどれくらい多いのか。これが測定基準と成るのです。

             *

 霊界の中心は何ですか。それは絶対的な神様を中心として構成された世界です。その絶対的な神様がいるなら、その神様は天地創造の時の宇宙の起源になられる方です。彼によらないものがないというのです。それに属している為に、それに属した全体はそれとともに感じ、それとともに因縁をもっているのです。例を挙げれば、私達人間は約百兆個に成る細胞をもっていますが、全ての細胞自体がどの様な分野であろうと感じさえすれば、直接頭脳に連絡されるのです。

 天地創造の創造主を中心として連結される全ての存在もそれと同じだというのです。しかも、人間として生まれ、善でより次元の高い価値のものを追求しながら生きる事は、神様を根源として始まったものです。それ故過程を経て根源と通じる事の出来る結果の世界にあるのが人生であると、この様に見るのです。

             *

 神様はどの様なお方なのでしょうか。神様は宇宙の存在世界の心の様な方です。神様は宇宙の心の様な方です。皆様は心を見る事が出来ますか。霊界は心の様な生活の世界ですが、これは時間と空間を超越した所です。そこでは御飯を思いのままに食べる事が出来ます。御飯の心配をする必要がありません。水の心配をする必要がありません。飲み物の心配をする必要がありません。服の心配をする必要がありません。衣食住全てのものを超越しています。そこでは億千万里をあっという間に往来するのです。何の力をもってでしょうか。愛の力をもってその様にします。愛する人に会いたいと思えば、さっと現れます。

             *

 動物がそうなのに、万物の霊長である人間は飛んでみたいでしょうか、飛んでみたくないでしょうか。ですから人間は飛び回る様に成っています。霊界は飛行機なしに何百光年に成る世界をあっという間に行ったり来たりします。一度行ってみたくないですか。

             *

 神様に「あらゆる昆虫迄も飛び、鳩の様な鳥も飛んでいるのに、人はなぜ飛べないのですか」と聞けば、神様が何と言うでしょうか。神様があの霊界の高い所から尋ねてくる時に歩いてくるでしょうか、さっと飛んでくるでしょうか。霊界は無限大の世界なのです。このごろは人工衛星が金星に行くのに、十四年間かけて飛びながら、キャッチして写真を撮って送ってくる時代ですが、この霊界は十四年ではありません。一瞬のうちです。霊人体は稲妻より速いというのです。それ故、霊人の様に活動する神様についていきながら、共に愛の主体の対象に成って生き様とするならば、飛び回らなければならないでしょうか、歩き回らなければならないでしょうか。この体では何歩も歩けません。

             *

 あの世の広大な大宇宙を見つめる時、ダイヤモンドの星がないと思いますか。黄金の星がないと思いますか。それが全て自分の所有だというのであり、その楽しさで暮らすのです。神様がつくってくださった驚くべきものを自分が見て……。愛する全ての群れが、神様の愛する群れ全体が一つに成って、大移動しながら暮らせる理想世界だというのです。そこに同伴者に成り、同参者に成ってみたいですか。

             *

 霊界があるという事を知っていますか。どのくらいはっきり知っていますか。この世界よりももっと確かなものです。その世界はどの様な世界ですか。神様が「良し」と言える構想でもって全ての事が可能な世界です。

             *

 考えてみて下さい。数多くの人が行っているのですが、一瞬のうちに彼らに祝宴を催しても余りがある理想世界です。霊界に行っているあらゆる国の人、何百億に成るその人々を集めて、瞬く間に祝宴を催しても余りがあるのがその様な理想世界です。その様な世界、レバレンド・ムーンはその様な世界に向かって行くのです。この世を見つめて行くのではありません。ここで、そこに合わせて行くのです。

             *

 霊界に行ってみれば、男性、女性が一人の大きな人に見えるというのです。人は何ですか。皆様はみんな一つの細胞の様なものに成ります。全宇宙が皆、男性、女性の様に見えます。その様に見えるというのです。それは合わせたものです。この様に歩けば、宇宙が歩くのです。その中に入った人は神様の細胞と同じです。一つの体に成っているのです。

             *

 霊界では説明が必要なく、弁解が必要ありません。ちらっと見ればすぐに分かります。あの人が私の下なのか、横なのか、高い位置なのかすぐに分かります。何億年前のお爺さんであった人にも会えば、愛のその位階というものはすぐに……。その位階は絶対的です。その位階が高い人は自然にその位階に合わせて自分が立つ位置に立つ様に成っているのであって、いい加減ではいけません。世の中とは違うのです。中傷、謀略して出世したり、その様な人はそれが全て逆に成っているのです。その反対に成るのです。ですから正道を見なさいというのです。

             *

 霊界に行っている人間は何を願うのでしょうか。霊界は自分が置かれている基準で全てのものを補給出来る世界です。願えばすぐです。主体的な能力がある人なら不可能がない世界です。もし、百万人の祝宴を催すなら、考えると同時に百万人が広場に現れ、全ての準備が可能なので、百万人の祝宴を一瞬のうちに出来るのです。その様な世界です。何が可能にするのでしょうか。原子力が分裂作用において熱が出るのと同じ様に、皆様が愛の分裂作用をすれば、瞬く間に可能に成ります。それはありそうな気がしませんか。

             *

 霊界がそうです。私が「何処かに行く」と言う時は既に行っているのです。あの大宇宙が自分の活動舞台に成ると考えて皆さい。愛が先んじなければ成りません。「ああ、会いたい。会いたい」と、こうでなければ成りません。自分の相対の様に、自分の愛する人の様に、会いたければさっと行くのです。あの世で芸術家に会えば、自分が芸術的なあらゆる素質を一瞬のうちに啓発してついて行くのです。万事が可能な世界です。ですからあの世に行けば、歌う所では歌い踊るのです。皆喜んで心と体が和動して踊ったり歌ったりするというのです。どれほど美しいでしょうか。神様が絵を描くにも一等ではないですか。そうでしょう。神様が傑作品の絵をはって眺めるでしょうか、傑作として行動する創造物を眺めるでしょうか。どちらを喜ぶでしょうか。傑作品は必要ありません。そして、その世界は愛の心に酔う最高の場であるが故に、年を取りません。年を取らないというのです。お母様も年を取りましたが、私が見るにはいつも最も美しい時の姿なのです。

             *

 いつもかんかんに晴れた日だけあれば、どれほど退屈するでしょうか。そこに霧もかかったり、月に雲のかさをかけたり、この様に月も見えなくて……。ありとあらゆる気候の変化を見れば、どんなに芸術的でしょうか。考えて皆さい。一つの美術世界です。芸術世界です。あの霊界の澄んだ世界に自分が雲をかけたければ雲をかける事が出来、霧がかかる様にしたければ、霧がかかる様に出来る、愛によってその全ての多様な感応圏をつくる事の出来る特性をもったその様な人間になれるというのです。ですから全ての霊界が関心をおきます。「ああ、あの人の所に行けばおもしろい」と言うのです。

             *

 霊界では距離と時間を超越します。時間がありません。何でも見たいと思えばすぐに現れます。膨大な天国がすぐに通じるのです。この地上で電話も距離の問題がないでしょう。その様に何処でも通話が出来る様に成っています。その様な世界が背後の動機地、発電所の様に成っているのです。

             *

 霊界に行けば夜があるでしょうか、ないでしょうか。霊界に行けば、この地球星にも通じる事が出来、この物質世界にも思いのままに通じる事が出来ます。水中にも行く事が出来、大地を垂直に通る事も出来るのです。宇宙には星が無数にありますが、真の愛の相対として神様の愛をもって行く所は道がぽんぽんと通じるのです。愛の速度が最も速いです。最も速いのです。光の速度は一秒間に三億メートルという距離を進み、地球を七回り半を回る事が出来ると言います。これは、それより何千倍も速いのです。億千万里でも、真の愛ならば瞬時に行くのです。膨大な霊界でも一瞬のうちに活動出来ます。

             *

 皆様が霊界に行ってする事は何だと思いますか。あの世でする事とは何でしょうか。考えて皆さい。そこで金もうけをするのでしょうか。服が必要で、家が必要でしょうか。皆様が願う事は瞬間的に全てかなえられます。霊界では私の為に現れなさいと、行くら死ぬと大声を出して騒いでも駄目です。これを知らなければ成りません。反対に、私が神様を愛し、世界を愛し、天国の王子の立場で、王に仕える中で「あらゆるものが必要だから現れなさい」と言えば瞬間的です。瞬く間にもてなかったものを……。想像が及ぶ事は全て可能な世界が霊界であるという事を知らなければ成りません。

             *

 愛は熱に例えて表現されます。熱で例えるでしょう。「胸が熱い」と言うでしょう。霊界に行けば、神様は愛の本体である故に光と熱で現れるのです。霊眼で見れば、皆様の愛の光がどれだけ出るか、どんな光が出るか、まだらな光が出るか、虹の光が出るかという事が皆分かる様に成っているのです。家庭が一つに成って光る星にならなければ成りません。太陽の様に星も全て衛星の様に成っていて、星を率いる星もあるのです。

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 神様が創造する時、最も好きな色を先につくったのでしょうか、最も嫌う色を先につくったのでしょうか。早春に咲く花の色は何色でしょうか。紫色です。紫色は赤色も入っていて、ピンクも入っていて、それから何色が入っているでしょうか。全て入っているのです。紫色が好きでしょう。ですから高尚な物は全て紫色です。あの世に行ってみれば、最も良い色は紫色なのです。

             *

 霊界に行けば色がありません。あまりにも明るくて銀色の様に見えます。銀色の様に見えながらも、あまりにも明るくてきらびやかなので紫色に見えるのです。フィラメントに電気が入れば、本来黒だったものが明るい白に光るのです。同じです。霊界に行けば黒人はいません。地上にいる時は黒人に見えた人が、霊界ではその様に見えないのです。真成る良心をもって生来た善人は、高い級の霊界に行くのです。障害者も霊界にはいません。足の不自由な人、病を患っていた人も、肉身を脱げばいか成る障害もありません。

             *

 霊界ではどの様な年齢で暮らすのでしょうか。最も美しい年齢の時の姿で暮らします。天国に行けばそうです。そして、永遠に暮らすのです。そして、その人が考える全てのものが変われば変わるほど、その容貌がさらに美しく見えるのです。霊界を知れば、ただそのままそれが全て連結するのです。

             *

 霊界に行けば、地上の事は思い出しません。窮屈なこの手のひらほどの地上で何をするのでしょうか。大宇宙があるのに、一つの砂粒の様なものを思い出しますか。しかし、霊界の民族を生産する工場はここしかありません。宇宙に一つしかありません。何ですか、金星にも人が暮らしているというのですか。人は、この宇宙でここにしかいないのです。

 2.霊界は愛全能の世界

 真の愛の概念でぎっしり詰まっている所が霊界です。真の愛を五官によって感じる様に、まんべんなく全て体験してから行く所が天国です。その場に立てば、あらゆる事が全て出来ます。理想的な生活環境がそこで展開するというのです。どれほど驚異的なのか皆様は知りません。

             *

 霊界はどの様な所でしょうか。全てのものが愛で充満した、愛でいっぱいの調和の世界です。皆様、スイッチさえ押せば、このスイッチ一つでニューヨーク市の何百万世帯に電気がぱっとつくとすれば、これは信じられますか。それでは、愛のボタンを一度押せば、この宇宙が作動するという事がうその様に思えますか、本当の様に思えますか。

 地上天国は、全ての愛の電球に明かりがつく所が地上天国です。そして、天上天国とは何ですか。愛の電球に明かりが完全にともる事の出来る所が天上天国です。それ故に、皆様が愛の心だけ抱き、愛の紐だけ引けば、全て引っ張られてくるのです。後ろに引けば後ろに行き、横に引けば横へ行き、この様に引くとこの様に入っていこうとして、この様に引けば上がっていこうとするのです。思いどおりに操縦出来るのです。無理やりその様にするのではなく、自動的にその様にするのです。自動的にその様に成るのです。それを理解出来ますか。

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 皆様、一度考えてみて下さい。霊界に行けばうらやましいものがありません。皆様のその愛の化身体をダイヤモンドと比較しますか、黄金の塊と比較しますか、真珠と比較しますか。宝石が問題ではありません。もっ時らきら輝くのです。愛と化した化身体はもっと美しいのです。ダイヤモンドに愛のダイヤモンドがありますか。生命のダイヤモンドがありますか。しかし、私達はダイヤモンドも感動させる事が出来、全てのものに影響を及ぼす事の出来る価値的存在だというのです。貴い愛のダイヤモンドなのです。貴い生命のダイモンドなのです。それが私なのです。ですから私はどんなに素晴らしいでしょうか。

             *

 霊界という所は、愛の電気で充満した所です! 事実がそうなのです。私が知っている霊界はそうだというのです。ですから、今日人間は、何でも全て愛と関係を結ぼうとします。なぜ、愛と関係を結ぼうとしますか。霊界に拍子を合わせる為です。これが理論にぴったり合うのです。その様に成っている為に、そこに応じざるを得ないのが私達存在物です。その立場を離れる事が出来ないという事を皆様は知らなければ成りません。

             *

 霊界に行けば夢の鉱山が行くらでもたくさんあります。金、銀、宝石が行くらでもあります。花も好きな人が来れば、愛する人が来れば、眠っていても突然ぽかりと口を開け、目を開けて歓迎するのです。「少し待ちなさい」と言ったのに、ただそのまま行ってしまえば「ああ」と言って枯れてしまうのです。

             *

 神様が笑えば全体が共に笑います。霊界に行けばそうです。霊界に行けば直感の世界と同じです。神様が喜んでいるのか、そうでないのか、今日は気分が悪いのか、良いのか、すぐに分かります。地上世界に何かあって喜ぶのを見ると、全体がふわっと膨らむというのです。ぽんと浮かぶというのです。

             *

 霊界に行って何をするのでしょうか。愛の歌、愛の話をするのです。霊界では、オペラ式に話せば、私がオペラ式に答えなければ成りません。踊りで表現すれば踊りで答えなければ成りません。永遠に喜び、踊りを踊っても永遠に飽きません。一箇所で踊れば天国が全て踊り、一箇所で歌えば全て歌うのです。その時は自分の愛する妻と踊るのです。他の女性と踊るなら「ああ、私の愛する妻を貴方より百倍愛する為に私が貴方と踊るのです」とこの様に考えるのです。他の女性と手を取って踊るなら、それは全て自分の愛する対象を千倍、万倍、もっと刺激的に愛する為にこうするのだというのです。

             *

 霊界から神様が見れば、皆様の心は愛の鐘の音が聞こえる所に行けば、灯がますます大きく成るというのです。この光は五色燦然と輝くのです。神様の目にはダイヤモンドの光よりもっと美しく見えるというのです。そして、光だけが良いのではなく、その光の中には味があるというのです。それは見れば見るほど良いというのです。何度も見れば見るほど酔ってしまいます。

 それ故に、神様は愛という話をするのです。皆様の心の愛の鐘を鳴らせば天地を動かし、全ての万民を動かすのです。その様にすれば、神様も「あ!」と言って動かす事の出来る鐘があるという事を知らなければ成りません。それ故に、愛の涙をどれほど流したか、愛の切なさをどれほど味わったか、それが皆様の財産だというのです。

             *

 今後私達が真の愛の力をもって霊界に行く様になれば、行くら遠い所にいる人でも一瞬のうちに会う事が出来、愛故に訪ねて行く時は瞬く間に故郷へ帰る事が出来るというのです。霊界という世界は無限に膨大な世界であるので、何百万里、何千万里の距離も一瞬のうちに愛を中心として行き来する事が出来る世界であるというのです。愛は最高の速度をもっているのです。皆様の心と体が統一された愛の基台をもてなく成る時には、その世界と私は関係がないというのです。ですから、統一の起源が相対世界から起こるのではなく、私から始まるという事をはっきりと知らなければ成りません。

             *

 神様が行くら高いといっても「神様!」と愛の心で呼べば、すぐに「なんだ」と自分の心の中で答えます。「神様、何処にいらっしゃいますか」、「何処にいるかって、お前の心の根本にいるではないか」と答えるのです。神様が本来根本ではないでしょうか。心の根の根本にいるでしょう。この様に成っているのです。

             *

 あの世で必要な事は、世界よりも、自分の国よりも、自分の妻よりも、自分の息子よりも神様をもっと愛さなければならないという事です。それが原則です。お父さん、お母さん、子供達みんな……。お母さんが言うには「あ、貴方は私を愛するより神様をもっと愛してから私を愛して下さい」それでこそ夫から高い次元の神様の愛を受ける事が出来る様に成るのです。父母に対しても「どうか私達は置いておいて、本来の父母の愛を先に受けて下さい。その父母の愛を受けたお父さん、お母さんを私は愛したい」と、その様にすがりついて哀願しなければならないのです。

             *

 愛の理想を中心として神様の前に相対になれる人が、考える全てのものを瞬間的に実現化させ得る世界です。何億、何千万名も一瞬のうちにバンケット(祝宴)を準備出来る世界です。私が服を豪華絢爛に着て、愛の対象として神様を一度楽しくさせてさしあげ様という時は、豪華絢爛に成ります。こうこうこの様に想像出来る以上の事を想像しても、それが可能な世界です。その様な世界を知っている人は、地上では生きる楽しみがありません。ですから、私は監獄にほうり込まれても、何の問題もありません。この世でのわずかな生活は、永遠な世界で息を一度止めるのと同じです。

             *

 神様の心情、天国の心情に通じたならば、何処でも全て一つに成る事が出来、何処でも全て和合出来るからです。そうなれば、その門を通る事の出来る階級に暮らす人は「わあ! 万歳! 神様好きです!」と言うのです。ただついて行来たがり、皆が喜ぶのです。食べたいものがあれば何でも食べる事が出来、着たいものがあれば着て、遊びたければ遊んで、したい事を思いどおりに出来ます。この地球上で百年生きても感じられないあらゆる幸福を、有り難さを、一瞬のうちに感じられるというのです。

             *

 霊界はどの様な世界ですか。神様の心情と同等に立てる心情をもてば、何でも可能な、その様な所なのです。今後ムーニーが何千万人に成っても「皆様、全員この様な新しい服に着替えなさい」と言えば、さっと新しい服に皆着替える事が出来ます。それから「バンケットの場所、これこれこういう場所に現れなさい」と言えば、すぐにその様に成るのです。テーブルは、金の装飾や銀の装飾で五色きらびやかに飾られ、またそこにあるいすもそうですし、そこに座った全ての人々は歓喜に、喜びに、愛に酔って踊る事でしょう。千年踊っても喜ぶ事の出来る所です。

             *

 何億万里の距離にある世界の人でも、愛の心が強く成って「会いたい」と思えばさっと現れるのです。「何の用ですか」と聞けば、「貴方が呼んだので現れました」と言うのです。「どのくらい遠くから来たのですか」と聞けば、「何億万里から来た」と言うのです。距離を超越します。宇宙が私の活動基地です。

 それなのに、その世界にない物質でもって首を絞め、お金、知識、権力でもって首を絞めているのですか。あの世ではその様なものは一つもありません。その様なものは、残るものが一つもありません。皆様、この世ではお金、知識、権力が必要ですが、あの世ではその様なものは必要ありません。霊界のどんなものも皆様を歓迎せず、霊界が行くら皆様に関心をもって一つになろうとしても、皆様は何ももてないのです。本質とは反対の事、反対的な事、それでは一つになれないというのです。霊界が関心をもてる位置と連結出来ません。

             *

 私が「この様な人に会いたい」と言えば、すぐ前に現れるのです。「貴方がこれこれこういう人ですか」、「はい、数百、数千年前に私は地上のどんな所で暮らしていた。私に会いたいですか。私に尋ねてみたい事がありますか」、「はい、あります。私はこの様に教えました。私と貴方がどんなに違いますか! 分かりますか」と言いながら、話をぴいぴいと交わす事が出来ます。時間がかかりません。始めるや否やすぐに分かる様に成るのです。この世に住むというのはどんなに不便でしょうか! 車が必要ありません。愛の感情は、あらゆるものをつくる事が出来ます。観念をもってあらゆるものをつくる事が出来ます。真の愛の観念を中心として何でも皆つくる事が出来ます。

             *

 今から何百年前、八百年前、一千万年前に生来た人間も来てあいさつするのです。聖書では人類歴史が六千年と成っていますが、とんでもない事です。何千年前と今の時がどれほど変わったかというのです。その時の人々は、今生きている人よりも心では神様をよく感じる事が出来たというのです。しかし、文化生活の面では反対なのです。霊的世界の啓発は文化生活とともになされてくるものです。そうでしょう。

 知識に通じれば知識の尺度によって理解し、全てのものを分析するにおいて鋭敏だというのです。従って、霊感を感得出来る基盤がもっと拡大して行くというのです。ですから今後は、自然にその様な知識があり、世界の行く末を憂慮する人にはあらかじめ霊界から教えてくれるのです。霊波を通じてどの様に成るのか分かるのです。最高の位置に行けば、終わりは一つしかないでしょう。同じなのです。

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 「誰に会いたい」と言えば、何億万里、何百万里離れていたとしてもすぐに現れます。広い天国にいたとして、「自分が会いたい人、自分が愛した人に会いたい」とぴたっと情緒を整えて言えば、その場で相手が現れるのです。それはどんなにいいですか。そうでしょう。さっと現れれば既に自分がどの級にいるという事が分かります。「私はどの様な級だ」と知っています。自分が高いか低いか分かります。行くら親しい友人でも、自分のほうが天の前に愛の級が高ければ、来るや否やあいさつするのです。行くらお母さんでも、それよりもっと先祖でもあいさつするのです。その様な世界なのです。

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 考えて皆さい。ここでは御飯を食べて暮らす事が心配でしょう。ですから、自動車工場、肥料工場、服の工場、食べ物を作る工場など、工場が必要でしょう。家でも食べ物故に大騒ぎするでしょう。霊界に行けばそれは全てありません。自動車が必要なく、飛行機が必要ありません。一瞬のうちに億万里でも行けるのです。太陽の光よりもっと速いのが霊力です。神様が造った太陽の光だけでも一秒間に三億メートルを走ります。電気もそうでしょう。光の速度も同じです。所が、神様の本然的な愛の力、生命の力というものは、それより何千倍もさらに速いというのです。

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 霊界に行って、ある家に暮らす人の級が自分より低い時は、その家が良い家であればその良い家を私の家に出来ます。さっと訪ねていけば、主人は既にちらっと見れば分かるのです。額をちらっと見れば、顔をちらっと見れば分かるのです。さっと見て自分より高い人なら自分の茶の間に案内するのです。「いらっしゃいませ」と言って案内するのです。

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 神様の息子、娘になれば、その膨大な宇宙が全て自分のものに成るのです。皆様、霊界に行けば先生についてい来たいでしょう。ついていけません。先生が行く所に皆様はついてくる事が出来ません。皆様は心情の門が狭いのです。真の愛は大きな門でも小さな門でも自由自在に行けます。真の愛でなければそれは出来ません。この位置は全体を代表した位置です。それ故に、何処にでも入って行く事が出来、何処にでも出掛ける事が出来ます。

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 どれほど人類を愛したのか、神様が愛を中心として創造した被造物に接する時、神様の様にどの様に愛したのかという事が全ての測定基準です。すぐに分かります。コンピューター以上です。嫁に行った女性は、自分の夫がどれくらい愛しているかという事について誇るでしょう。あの世では、神様の愛を中心として、神様の愛をどれだけ受けた人なのかという事が誇りです。本然の真の愛、これが高い級の愛なのです。これによって等級が決定するのです。

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 天国に神様の心情の架け橋があれば、どの様に上がって行くのでしょうか。ヘリコプターの様なものに乗って行ったり来たりしながら上がって行くのでしょうか。エレベーター式に直線で上がって行くのでしょうか。ヘリコプター式ですか。エレベーター式です。万年エレベーターです。垂直です。神様の愛に接する為には垂直線に入っていかなければ成りません。

 聖書に「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主成る貴方の神を愛せよ」(マタイ二二・三七)と記されています。それは何だと思いますか。全てのものの中心は愛だというのです。それで、あらゆる作用と意識の全てを一つにして「主成る貴方の神様を愛する事しかない」と言う時、ここでエレベーターに乗って垂直圏に上がって行くのです。その様な驚くべき世界を知らなければ成りません。

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 あの世、霊界に行けばそうです。誰でも九〇度になれば、東西南北の何処に行ってもきちっと合います。ある社会、数多くのクラブに成っている社会、千態万状の社会……。皆様、ここに何名いますか。およそ五百名集まったとすれば、五百のタイプがあるのです。各々皆違うでしょう。似たグループにみんな集まります。それはコンピューター以上に分析されています。さっと行けば、さっと過ぎれば既に自分の角度が分かります。一週間以内に全ての背後迄、あの秘密世界の倉庫の底迄のぞきます。言葉が必要ありません。心で言おうとする事を感じるのです。コンピューターのお爺さんの様な世界なのです。

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 神様も愛の為に創造したという事は知っているでしょう。神様に「一番好きなものは何か」と聞いてみれば、どの様に答えるでしょうか。神様は好きなものはありません。お金も必要なく、知識も必要なく、権力も必要ありません。何が必要ですか。愛の中にはお金もあり、知識もあり、権力もあります。愛の権力が万年権力です。本当に愛を知っている人は天上世界に行って学ぶ事がありません。その様な人はいつでも神様の心の中を出たり入ったりします。神様の体を通して東西南北思いどおりに行き来出来ます。これが中央停留所の様に成っています。そこに入って出てくる時は、東西南北の力が集中する為に強力な力で出てきます。低い国も、その中央を通って出てくる時は、高い神様と対等な位置に上がって行くのです。愛にはこの様な偉大な力があります。

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 私は、今日世界で電気とか、宇宙とか、何だといって大騒ぎする事が、愛の理想世界を成し遂げる為の一つの内的な潤滑剤の様なものだと考えます。この様な時、皆様は「アーメン」と言わなければ成りません。そうだとすれば、その世界は愛の電気で充満した世界という結論が出てくるのです。霊界という所が愛の電気で充満した世界ではないかというのです。そうだとすれば、この世でも愛の電気で出来ない事がなく、調和が起こるのです。愛の電気ならば出来ない事がないというのです。

 ここで私達は、今私達の意識構造をもって処理出来る可能圏が霊界だという事を、決定づける事が出来るのではないかと思うのです。それでは、霊界とは何ですか。永遠な要素を願う永遠な所です。それ故にここで愛を体験した霊人体は、間違いなく自動的に磁石に引かれてその世界へ行くはずです。それを自分が感じた霊界に行くというのです。

 3.霊界の空気は愛である

 霊界はどの様な組織から成っているかと言えば、あの世は空気が愛です。愛が空気に成っています。心と体が愛の感触を受けて和する事の出来る要素として、この地上で体恤されなければ成りません。体恤圏をつくっておけば、そのまま通じない所がないというのです。木の樹液が木の芽と根に通じる様に通じるのです。神様が喜ぶのを自然に感じます。東方で神様の祝宴が催されるのが分かるのです。そこに行こうとすればさっと行けます。自由天地です。

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 霊界で呼吸する空気は愛から成っています。愛により全てのものが生まれ、愛によって生き、愛によって「為」に生き、愛の道理で和してその内容を満たしてこそ、神様が今迄歴史時代に願った希望の実体を完成したという格位を備える様に成り、天国の何処に行っても歓迎されるのです。

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 霊界は愛の成分で覆われている所です。地球は空気で覆われていますが、霊界は愛で包まれている所です。人間は、地上では空気を吸ってガスを吐き出すのですが、霊界は愛を吸って生きる様に成っています。霊界は、今日の様な人間の世俗的な愛を中心として授け受けする様には成っていません。霊界で与え受ける愛は真の愛なのです。

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 皆様をたたいて純金をつくらなければ成りません。純金をつくらなければ成りません。そして、犠牲に成りなさいというのです。自分を犠牲にしなさいというのです。自分がなく成る様に死になさいというのです。自分をなくしなさい、自分を犠牲にしなさい、犠牲にしなさい、なくしなさい、ゼロに成りなさいというのです。このごろ、なぜ宇宙時代に入り、電気時代に入ったのでしょうか。この様な時代が近いからそうなのです。「原理」で言えば、真が来る前に外的なもの、カイン的なものが先に来るというのです。この世がカイン的なのです。この様に見ると、神様の愛の電気学を語る事においては、レバレンド・ムーンが先祖に成る事でしょう。

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 霊界に行けば、原則にどれだけ同化し、どれだけ一致にしたかという事が地獄から中間霊界、楽園、天国迄全て連結されるのです。その様な原則がなければならないのではないでしょうか。だからといって、アメリカ大統領をし、世界的なノーベル賞ももらい、世界的に有名な学者だといって霊界に行けば、天国に行けるのでしょうか。行く事が出来ないのです。通る事が出来ますか。

 それ故に、宗教界は全てのものを捨てて行きなさいと教えるのです。全て捨てていかなければ成りません。それでは、何が最も貴いのでしょうか。天の為にどれほど苦痛を受け、この世界の為にどれほど苦痛を受け、どれほど涙を流したか、それがあの世をパスするチケットです。これは間違いありません。絶対的だというのです。これは理論に合うのです。

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 霊界で、永遠の世界に拍子を合わせる為に、再生の為に息が詰まり、窒息して注射を打ち、酸素呼吸する皆様に成りますか、自由に活動出来る、自由な神様の愛の圏で暮らす事の出来る皆様に成りますか。ここは世界の為に生きなければならないので、これが生涯の行く道です。将来の為に行く事が、生涯において行くべき必然的な道だという事を皆様は知らなければ成りません。

 4.霊人達の生、霊人達の相互関係

 神様は、天地を創造なさった方であり、この世の存在の起源と成る一番の母体となられる方です。その方は存在価値の起源です。その方がいらっしゃるので、今日この現象世界が始まったのです。その様な絶対的な方は、ある時代に変化があるといって変わる方ではありません。絶対的なものは変わる事はありません。また、時間や空間に制限される事もありません。全ての制限を超越した位置で、全ての制限を主管される方です。

 その様な方が誰ですか。「神様」とだけ言うのではありません。その方は「お父様」です。皆様は「父成る神様」と呼ばなければ成りません。神様を何と呼ばなければ成りませんか。そのお父様は皆様を生んでくれたお父さんです。人間が堕落したが故に、「再び産む」という言葉が必要なのであって、その方は本来皆様を産んだお父さんです。肉身のお父さんは皆様を仲介するお父さんです。そのお父さんは霊界に行けば、お父さんというのではなくお兄さんと呼ぶ様に成っているというのです。お母さんもお母さんと呼ぶ様に成っていないというのです。

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 霊界に行けば、アダムとエバも神様に対して「お父様」と言い、数千万代の子孫である皆様も神様に対して「お父様」と言うでしょう。「兄成る神様」と祈祷しますか、「父成る神様」と祈祷しますか。それでは、自分のお父さんは何に成りますか。霊界に行けば、お父様が何に成りますか。お兄さんです。お兄さんとは何ですか。私より先に生まれたのがお兄さんです。私より先に生まれたのがお兄さんだというのです。それで、内的なお兄さんが神様で、外的なお兄さんが自分のお父さんだというのです。それ以上の理論を立てる事が出来ない事を知らなければ成りません。

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 父母の根をもった人々が、神様を何と呼びますか。基督教で呼ぶ様にみんなが神様を「お父様」と呼びます。一軒の中でお爺さんも神様を「お父様」と呼び、お父さんも神様を「お父様」と呼びます。孫もやはり神様を「お父様」と呼びます。家族みんなが神様を「お父様」と呼びます。この様に神様は、全ての人間にとってお父様になられる方です。従って、神様は人間にとってお父様に成り、人間はお互い兄弟に成るのです。先生は時々、本当にその様に成るなら、霊界に行けば実におもしろいだろうと思うのです。

             *

 私達の最初の先祖迄私が見る事が出来るのに、先祖を造られた神様は見る事が出来ないのでしょうか。神様も見る事が出来るのです。それは何の話か分かりますか。ですから、家庭というものは何かというと、見えない神様の愛の表現場所です。愛を中心として歴史時代に生来た全ての先祖は、愛の統治をあの世で受けているのです。同じ愛です。

             *

 全ての家庭が真の愛で一つに成って霊界に入っていけば、神様の血肉を食べて永遠に生きるのです。そこに入っていけば農作業もなく仕事がありません。真の愛の食べ物はにおいをかいでも永遠に生きる事が出来、見るだけでもおいしいというのです。愛の食べ物を分けて食べるのです。神様の体、血肉と愛を分けてもらって生きるのです。

             *

 神様とは誰ですか。貴方の友人です! 最も高い友人だというのです。そして、お兄さん、お父さん、王であり、創造主です。ですから、皆様が膨大な霊界の天国世界に入って行く様に成って、そこでそれ以上のものを神様に願ったとしても神様がつくってくれるというのです。それは問題ないというのです。それはどんなに誇らしいでしょうか。その位置は神様の代わりの位置です。その位置に行った人間を神様が憎むでしょうか。いいえ、「私の息子、ナンバーワン、私の息子!」と歓迎するというのです。これが父母が願う最高の望みです。

             *

 地上世界で親子関係の愛を貴く思う様に、愛をもって生きていけば、天上世界でも神様を父母として侍って息子、娘の様な立場で生きる事に成るのです。これが堕落しない家庭で生きる生活と同じであり、性格、性稟が似たのであらゆる方面で会うのです。

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 堕落しない家庭は、霊界と肉界の全てに通じる事が出来ます。「お爺さんのお父さんは誰ですか」と言えば、見る事が出来るというのです。また、そのお爺さんのお爺さんが誰なのか、四代の先祖が誰なのか、五代の先祖、百代の先祖、千代の先祖、その次の先祖迄見る事が出来るのです。

 そして、「アダムとエバがどんな顔つきか」と考えれば「こんな顔だ」と現れるのです。「私の目もアダム、エバに似たなあ、私の鼻も似ているなあ、私の口も似ているなあ」と言うのです。輪郭が似ているでしょう。顔にあるものの種類は四種類しかありません。もっとありますか。目、鼻、耳、口の四種類でしょう。「ああ、手足も同じだ! 私の様に目もぱちぱちしますね! 言葉も話しますね! 似ている! ああ、こんなに似ているんだなあ!」と言うのです。

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 あの世では、しわくちゃのお婆さん、お爺さんが皆様よりもっと美しいのです。もっ時れいなのです。愛があればその様な世界にとどまる事が出来るのです。そこは統一された世界で、とても美しい世界です。それで、お婆さん、お爺さんに会って昔のお爺さん、お婆さんの様に思って行動出来ますか。美しいお爺さん、お婆さんを見ればどんなにいいでしょうか。

 さあ、それではその時に見るものが……。孫娘が来て、お婆さん、お爺さんに会おうと叫んでいるのが霊界では見ものです。そのお爺さんの上のお爺さんは誰ですか。自分の先祖のお爺さんは誰ですか。一番最初のお爺さんが誰かと言えば神様です。それで、お爺さんが喜んで「神様、ああ、とっても良いです」と言えば、神様が「ウェルカム」と言うのです。大声で「ハハハハ!」と言えば、神様が「うん、そうだとも!」と言うのです。

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 皆様が霊界に行って見れば、この地で生来た皆様のお爺さんやお父さんを見分けられません。なぜなら、そのお爺さんとお父さんが若くてすてきな姿に変わっているからです。年老いた姿ではありません。その様に若いお爺さんだから、初めは見分けられないけれども、徐々に徐々に話をしてみれば、「そうだ、それは合っている。だから私のお爺さんだ」と言って抱き締めるのです。その様な世界なのです。

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 霊界に行けば、皆様の顔は最も美しい二十代の青春に帰るのです。愛の花を咲かせる事が出来、香りを漂わせる事の出来る時期が創造の原則である故に、その本郷である天国に入って行く様になれば、その様な顔で帰るのです。それで、世の中で年老いた人があの世に行けば会っても分からないのです。二十代の青年の顔に戻るからです。知っているのは八十になった老人として知っているのに、その老人はいないのです。ですから分かりません。世界の有名な歴史的な人物もあの世に行っているのに分からないのです。写真を見てその時死んでいった年齢を知っているけれども、最も美しい時に戻って行くので分からないのです。

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 霊界で最も近い兄弟は誰でしょうか。霊界で最も近い兄弟は横的な兄弟ではありません。この世で親子の関係と兄弟の関係の中でどの様な関係がもっと近いですか。兄弟の関係より親子の関係がより近いので霊界に行っても私のお父さんが最も近く、その次はお爺さん、その次はお爺さんのお爺さん、またその上のお爺さんに成るでしょう。その様に上がっていけば最後のお爺さんが誰でしょうか。その方が正に神様です。

 従って皆様は、この世に友人がいないと寂しく思う事もなく、一人暮らしをしていて死んだとしても悲しむ事もありません。霊界に行けば上を見ても、横を見ても近い兄弟が無尽蔵にいます。しかし、兄弟にただそのまま成るのではありません。神様を父として侍る事の出来る特権を備えてこそ、このあらゆる人と兄弟になれるのです。

 お父さんをお兄さんとし、お爺さんをお兄さんとしたからといって、気分が悪い事があるでしょうか。気分が良いでしょうか、悪いでしょうか。考え方によれば気分が悪いのです。世の中ではお父さんと呼ぶのに、霊界に来たからといってお兄さんと呼ぶのですから、お父さんはどれほど気分が悪いでしょうか。しかし、その様に呼ばなければ成りません。

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 霊界に行けば黒人はどうでしょうか。黒人は黒人でしょうか、どうでしょうか。自分の願いどおりに、黒人が白人の姿になろうとするなら行くらでもなれるのです。人間の世界で成し遂げられるただ一つの問題は何ですか。光が明るくなければ成りません。何の光がですか。愛の光です。愛の光が明るく成る為には、内的にも外的にも燃えなければ成りません。愛する為の発動力によって燃えなければ成りません。東西にたくさん吹き出さなければ成りません。その様に出来る愛だというのです。その様な事を全て知って見ると、世の中の万事は過ぎゆく一つの旅行集です。

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 天国において美しい人になろうとするなら、愛の花がぱっと咲いてそこに和合し、相対的世界で花の美しさを現し、花の香りを漂わせ、その花を通じた新しい種をもつ事が出来る、この様な姿で地上で生きなければならないのです。その様に生きて霊界に行けば、永遠の世界でもその様な姿で現れるのです。

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 霊界に行って、自分の夫と地上で愛した愛より拡大したい、より刺激したいと思う様に成るのです。霊界に行けば、愛する女性がいればその中に男性がいるのです。

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 夫婦の愛はどの境地迄入って行くのでしょうか。霊界に行けばこうです。私は座っていても夫が歩けば、私も心で歩きます。帰ってくれば、心で既に帰ってくるのが分かるのです。心の中で夫と一緒に歩いているのです。何処から来るのかを全て知っていて、何処へ行くのかを全て知っています。この世では、男性が酒場に行って何処に行くか、女性は知らないからえんえんと泣いてだまされるではないですか。しかし、霊界に行けば全て分かるのです。

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 皆様は、あの世、霊界に行って神様に似なければ成りません。神様に帰るのです。神様の二性性相、性相と形状がぴたっと一つに成っている様に、男性、女性が完全に一つに成ってその殻を覆う様に成る時、この二人が一つになったその基盤の上で神様に帰るのです。

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 霊界に行けば、本当に一心同体になった夫婦は、いつでも男性が女性に成り、女性が男性に成る事が出来るのです。「愛は一体」と言うでしょう。女性の心をのぞいてみれば男性が入っています。夫が入っているのです。神様の二性性相とちょうど同じです。性相と形状、それが分かれて出て来たのですから、その本体に帰るには愛の架け橋を渡らなければいけないでしょう。創造の基準が愛から始まったので、この架け橋を渡って帰らなければ成りません。結局、終着点では神様の様に成るのです。

             *

 男性が地上で楽しく生きて霊界に行き、さっと見れば、男性の中に女性がいるというのです。「あの女性は誰ですか」と聞けば「私の妻です」と答えるのです。また、女性の中に男性が見えるというのです。この様にして二人が一つになれば、東西南北の方数に成るというのです。男性、女性、二人でしょう。男性と女性のプラス・マイナスで東西南北になれば、神様にしっかりと侍るというのです。神様が垣根に成るというのです。

 そうする事が出来れば、神様が私の神様です。共に生きるのです。父母が年を取って百歳を越えれば、八十歳になった息子と友達に成るのを知っていますか。「や、息子や!」とその様に言いません。「おい、君」と呼ぶのです。友人として呼ぶのです。神様に帰らなければ成りません。

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 真の愛を実践する夫婦は、神様が本性相と本形状としてあられる様に、霊界に行けば神様の本然的な基準に入って行く様に成るのです。本然的で絶対的な神様も真の愛には絶対服従されるので、彼ら夫婦も本然的な基準に達する様に成り、その点は一点であるから彼らは神様化するのです。神様に帰るのです。アルファとオメガです。

 それを何が可能にするかと言えば、真の愛です。世の中に生まれた息子、娘は父母に帰るでしょう。同じ理屈です。それ故に霊界に行ってこの地上で仲良く生来た人をちらっと見れば、男性に見えるのに、じっとよく見れば女性が笑顔でその中にいます。それが愛した妻だというのです。それが最高の理想です。そうすれば神様の友人に成るのです。それでこそ共に生きるのです。愛故に生まれたのです。

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 霊界では、愛を中心として神様が私達人間と和し、人間は神様と愛で一つに成るのです。神様化するというのです。神様の二性性相が分立された事を見ると、完全に愛によって一つになれば、霊界に行ってみれば二人が一つに成っているのです。ただ見れば明らかに男性ですが、じっとよく見ればその中に女性が座っているというのです。愛の目は全て統一です。憎い人もきれいに見え、きれいな人も憎く見えますか。きれいに見えるのです。

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 真の愛の相対になろうとすれば、零の位置に立たなければ成りません。その様に成る時、神様が「良し良し」と言い、地上世界を見る時は地上の太陽の様に光るのです。その二つが爆発する瞬間、霊界の神様の目もあっと驚くというのです。神様が「良し」と言うのです。それが信号弾なのです。神様がその信号弾を受けて零の位置で完全に開き、太陽の様に光る愛の火がぼうぼうと勢いよく燃える所にお出ましに成り、その中に入っていき初めての夜を過ごしたいというのです。

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 霊界がそうです。何千、何億万里離れていた人が、ここに来て心情基準が合うので離れる事を嫌がるのです。「ああ、早く行ってくれたら!」とは思わないのです。その世界では、御飯の様なものが必要ありません。全てのものが自らの直感で解決するのです。それは愛の直感です。この様なあらゆる愛の体恤を中心として万国に拡大して行くのです。そうして神様の代わりの心情さえもつ様になれば、その下に全ての必要な存在が集まり、そこに千万人を一度に満たせる演壇が出来るのです。

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 神様は、他の所にいるのではありません。神様は何処にいらっしゃるのでしょうか。「在らざる所無し」という言葉は、神様は何処にでもいるのではないというのです。愛がある所にいるという事です。これを知らなければ成りません。愛を中心としては「在らざる所無し」という事です。私も愛を中心としては「在らざる所無し」と言えます。特権です。それ故に愛がある所には主人がいます。よく主人を知っているから主客は転倒出来ません。あの世はその様に成っているのです。愛を基調に、全てのものが操縦される様に成っているのです。

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 それでは、男性とは何ですか。これは半分だけです。女性は何ですか。これも半分です。また、行くら至高な神様であっても神様にも対象がいなければ成りません。それ故に、上は下が必要であり、下は上が必要なのです。霊界とは何ですか。霊界は半分の世界です。肉界も半分の世界です。

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 霊界に行ってもそうです。霊界に行ってどの様にするのでしょうか。歴史時代の全ての人、今後全世界的な版図を越えてみんなに会ってどの様に生きるのでしょうか。お互い「為」に生きるのです。霊界に行ってもやはり理想的な愛を中心として、これを再現する生活をするのです。ですから同じ様にもっと高い、価値あるものに私が投入するのです。それがうれしいというのです。

 霊界は肉界の延長です。平面的な面の愛の理想を地上で追求したとすれば、霊界に行ったら楽しく、天のより深い立体的な外郭的な球形だけではなく、外郭的な球形と内角の核心迄通じなければ成りません。ですから、結局は深く、浅く、高く、低く、全ての面に愛を投入出来るその様な行動をしなければならないというのです。神様の代わりに再創造するその様な生活をしなければならないというのです。

             *

 霊界を動かせる代表者に成りたいですか。人種主義者は力を発揮出来ないのです。また、人本主義者も力を出せず、物本主義者も力を出せず、教派主義者も力を発揮出来ません。ひとえに統一主義だけが力を発揮出来るのです。霊界に行ったと考えてみましょう。霊界では食べるものの心配がなく、着るものも心配ありません。暮らす事も心配がありません。そこでは趣味が何でしょうか。神様を中心としてバンケット(宴会)に参加する事、神様を中心として喜べる集いに参加する事以外には希望がない事を知らなければ成りません。神様を中心とした祝宴に参加する事だけが最高の理想です。そこに愛があり、そこに喜びがあり、そこから幸福の起源が生ずるのです。

             *

 霊界に行けば何百里、何千万里から一瞬のうちに来るのです。さっと会えば、額を見れば分かるのです。何処から来たのか、見てから頭を下げ……。これが通じません。何百年前の人でも、愛の人格基準が高ければ、会うと、相手が先に頭を下げるのです。何をもって感動するのかと言えば愛です。愛でもってどれほど人類を愛し、神様が愛を中心として創造した被造物に接する時、神様の様にどの様に愛するかという事が全て測定基準です。すぐに分かります。コンピューター以上です。

 嫁いでいった女性が、自分の夫がどれほど愛するかという事についてを誇るでしょう。あの世では、神様の愛を中心として神様の愛をどれだけ受けた人かという事が誇りです。本然の真の愛、これが高い級の愛なのです。これによって等級が決定するのです。

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 本質的な本然の愛を実践すれば、年老いた人にでも花が咲くのです。ですから、霊界に行けば全て青春です。思春期の最もかわいかったその時の姿で行って、とどまります。ですから愛が偉大です。それが信じられなければ、今日にでも腹を切って死んで皆さい。うそか、本当か。若くなれば本当にいいでしょう。

 5.霊界での衣食住問題は自由自在

 あの世の生活はどうでしょうか。食べるものも心配ありません。住むのも心配ありません。着るものも心配ありません。なぜでしょうか。自らの心霊状態のままに願う全てのものが可能だからです。あの世でも食べます。あの世でも自分を触ってみれば血管が、脈拍が走るのが分かります。同じです。霊的な体ですが同じなのです。私が「何々を食べたい」と言えばすぐに現れます。「この様な物を食べたい」と言えばすぐに現れます。それは何処から来るのでしょうか。根源世界を動員出来る能動的な自主性を行使出来る世界が霊界です。ですから、全体を動員出来る主体的な能動権をもったものとは何ですか。権力でもなく、知識でもなく、お金をもった勢力でもありません。愛です。

             *

 神様が創造したこの巨大な宇宙! そこには自動車もなく、飲食店もありません。しかし、私達は、霊界でまるで創造主であられる神様の様にあらゆる種類のものを、真の愛の概念を中心として創出する事が出来る様に、愛を中心として本来の力を発揮して全てのものをつくる事が出来るのです。私が愛を中心としてこの様なもの、あの様なものなどを指摘すれば、実在物が完全に姿を現す事が出来るのです。「どの様な工具、現れなさい!」と言えば、正にその工具が生じるのです。どんなに凄いでしょうか。

 また、晩餐会場に数十、数百万名参加した時「この様な食べ物を準備しなければ」と願いさえすれば、食事が問題なく出てくるのです。金色の正装を願えば、すぐにその様な正装が出てくるのです。どんなに素晴らしく、凄い事でしょうか! それは本当に良いのです!

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 考えてみて下さい。あの世に自動車工場があるでしょうか、ないでしょうか。この様な物に乗って一瞬のうちに、一秒間に何億万キロを行く事が出来ます。先生がその様な事をはっきりと知っているので、地上で生来たいと思わないのです。その膨大な世界が、愛を中心として全て編成されているというのです。その愛に和した神様の心情圏をしっかりと所持すれば全て終わります。創造歴史は永遠に続くのです。その様な愛の心に和して、自分が構想した全ての事をしなければ成りません。瞬時にしっかりと決心して命令すれば、すぐに展開します。

             *

 霊界に行けば小便をするでしょうか、しないでしょうか。今度行って皆さい。私は小便をすると思いますが、しないと思う人は、小便をするか、しないか、行って皆さい。それでは、大便をするでしょうか、しないでしょうか。みんなします。みんなするけれど、すぐ元素に帰ります。宇宙の根本元素が百七個だと言いますが、どんどん増えていますね。その元素に帰ります。従って、掃除する必要がありません。愛の心をもって手入れをすれば、きれいに本故郷へ帰るのです。それから愛の心で「何々出てこい、何々出てこい、何々出てこい」と言えば、すーっと出てきます。愛の心で言えば、全てのものが出動可能です。

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 あの世にパン工場があるでしょうか、ないでしょうか。コーラとかジュースを作る工場があるでしょうか、ないでしょうか。どうしてないのですか。分からないでしょう。そこに自動車を造る工場があるでしょうか、ないでしょうか。あの世に行って「私は、いい車に乗り回るんだ」と言って、こうして乗りますか。ここではベンツに乗って、何がどうだこうだと誇りますが、そこではそれは全て必要ありません。

             *

 永遠に目を開ける事が出来、永遠に聞く事が出来、永遠に食べないでいる事が出来るのに御飯など……。ああ、今が良いのに、御飯を食べなさいと言われて食べるでしょうか。御飯を食べなさいと言えば食べますか。私は食べません。服を着るのも、私の思いどおりに服を着る事が出来るのです。

 「けさは、全て黄金の服を着なさい。さあ、ダイヤモンドの何カラットをつけなさい。英国の王妃は五百十七カラットをもちましたが、それ以上の一万七千カラットのものをつけなさい」と言えば、さっと! その様なものは、みんなもつ事が出来ます。あらゆるのものをつくる事が出来ます。その様に見ると、レバレンド・ムーンは妄想家なのです。しかし、可能な理論圏内で話しているという事を皆様は知らなければ成りません。

             *

 霊界という所は愛の空気で充満した所であるという概念を、私達がこの地上にある認識構造をもって見つける事が出来るというのです。愛の神様が愛の心をもって、世界人類を一度に全て食べさせたくて、喜ばせたくて「御飯よ出てきなさい」と言えば出てくるのです。霊界でも食べさせなければならないので、その様にするというのです。それ故に、愛の食べ物を食べるのです。お互いに見るのも愛の目で見て、全てその様にするというのです。

 みんなたたかれてけがをしても、またたたかれ様とするのです。形容し難いほど不思議な所です。聞いても、もっと何度も聞来たくて、眠いとか、疲労だとか、何だという観念はあり得ないのです。疲れる余裕があり、興奮する何かがなければならないでしょう。退屈で妨害する何かがなければらないでしょう。それがないのに、どうして疲れるでしょうか。

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 霊界では、衣食住は問題に成りません。衣食住は完全に自由自在です。愛の一体圏、神様の相対圏に立てば、神様が出来る事も出来ます。何でも出来るのです。何億万年の歳月も一瞬にして超越出来ます。愛の速度は超スピードです。愛する人がいる所に行って来る時、時間がかからないのです。すぐ行って来る事が出来ます。ですから、愛の相対者に会う事は瞬間です。そこは絶対圏なので何の障害もありません。その様な限界を越えた世界、時空を超越した世界なのです。その様な無限の世界が人間の為に準備されているという事を知っている人はいません。真の父母によってその様な事を知る様に成りました。

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 霊界に行けば何を中心として生きているか知っていますか。霊界には工場があるでしょうか、ないでしょうか。霊界に自動車があるでしょうか、ないでしょうか。消耗品工場があるでしょうか、ないでしょうか。霊界で御飯を食べるでしょうか、食べないでしょうか。服を着るでしょうか、着ないでしょうか。この様なものは霊界にはありませんが、自分の人格構造が神様の対象的価値基準をもてば、神様が出来る能力を受け継ぐ事が出来るのです。

 霊界では百万名が一瞬のうちにバンケット(宴会)を行う事が出来ます。自分が真の愛の心をもって「彼らをこの様に食べさせなければならない」という、神様の様に本当に愛する心がしっかりと出来ていれば、万事が不可能ではありません。それ故に愛の園で、愛の世界で泳ぎ、愛の世界でその全ての波長に拍子を合わせる事の出来る生活の訓練をした人は、神様の心の中にも入って行く事が出来るのです。なぜですか。真の愛の波長は同じなので、相いれない事は起こらないのです。

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 霊界に行けば食べる事だけでも「今日はこの様な食べ物で……」と言えば願いどおりにすぐ現れ、愛する人に会いたければ「さっ」と一体化してこの様に頼めばすぐに現れるのです。そして、一瞬にして何万、何十万のバンケット・ルームを造る事も出来るのです。これは虚構ではなく、理論自体がその様に成っています。そして、そこでは食べて残ったものは原形に戻ります。元の状態の元素に戻るのです。その様に便利な所です。ですから、先生が行く所は、天宙全てが慕って従っていこうとする、その様な所です。

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 創造理想世界では天国が我が家です。その様に膨大な天国ですが、それが私の生活圏の舞台に成っているのです。私の国ではありません。国には制度も多く、職種も多いでしょう。しかし、霊界はそうではありません。単純です。考えて皆さい。霊界に経済支援する工場があるでしょうか、ないでしょうか。服を作る工場があるでしょうか、ないでしょうか。御飯を作る工場があるでしょうか、ないでしょうか。

 生活必需品やこの世で必要な物は一つも必要ありません。ですから工場があるでしょうか、ないでしょうか。花だけ咲く理想的な社会だというのです。食べるものはいつでも食べられる様に成っています。自分の考えるものがぴたりと現れるのです。食べて余れば……。そこにはごみ箱があるでしょうか、ないでしょうか。ごみ箱がありません。手ぶりさえすれば元素に帰る世界です。

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 天の永遠な世界、あの世に行けば政治体制はあるのです。経済体制は必要もないのです。いつでも自分が必要とする物は全て供給出来る様に成っています。経済的な事は副次的な問題です。霊界に行く時、米を入れるひさごを持って入って行くと思っていますか。人から食べ物を恵んでもらって生活をして行くと思いますか。霊界は食べたければすぐ御飯が現れるというのです。それを食べ残しても「零に帰れ」と言えば帰るのです。ですから、全て人格的な能力をもって活用出来る対象にすぎないのであって、それが主体的な影響は何にも及ばないのです。

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 霊界がどんなにいいかは、言葉では全てを言い表せません。そこは衣食住が心配ない所です。家もみんなあり、服も全てあり、食べる物も全てあって自分が願うとおりに出来ます。愛の心情の価値内容によって相対的基準を自由に供給出来るのです。愛を中心として完成した人格基準によって、その相対的環境要件を自由に補給出来るというのです。私が寝ていても朝御飯、夕御飯を食べる事の出来る場所に体が引っ張られて行くというのです。霊界を見ればそうだというのです。その様に自由だというのです。寝ながらも食べたり寝たり、また、思いどおりに訪ねて行くのです。体がその様に成っているというのです。

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 霊界に行けばどの様に成りますか。そこでは食べる事が心配ありません。稼ぎません。あの世に行けば稼ぐ必要がありません。食べたい時はいつでも食べる事が出来ます。実におもしろい事に、食べたあと、そのかすはどの様にするのでしょうか。「帰れ」と言えば元素に帰ります。根本の世界、元素に帰ってしまいます。その様な事が可能な世界で、四方八方に起動する事の出来る人とはどんな人ですか。神様の愛を中心として酔いしれる生活をする人です。全知全能な神様の愛を中心とした理想が、あらゆる方面に実現される所が霊界なので、神様の愛を中心として酔いしれて生来た人間が主導的な立場に立つのです。

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 霊界では元素を吸います。水であれば水の元素を飲みます。元素の様なものを知っていますか。そして、思う存分食べて手ぶりさえすれば元素に帰ります。ごみ箱がありません。

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 霊界に行けば仕事が必要ですか。そこでも八時間仕事をしなければ成りませんか。夜がありますか。夜がないのです。いつも目覚めているのです。いつもこの全ての器官が働いているのに、何をするのですか。どんな事をしますか。永遠に目を開けていても、永遠に寝なくても喜べる様なものとは何ですか。愛です。その様な愛の理想だけしっかりともっていれば「や、何々出てきなさい!」と言えば、すぐに出てくるのです。ここに一万名が集まれば「一万名の食堂と食卓準備!」と言えばすぐに準備出来るのです。

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 霊界にも空気がなければならないでしょうか、あってはならないでしょうか。なぜ空気が必要ですか。呼吸をしないで暮らせばどんなにいいですか。なぜですか。どうしてですか。呼吸をしないで生きれば大きく成る事が出来ません。二つの世界を連結させる事が出来ません。二つの世界を連結させなければ成りません。肉身と霊魂を連結させなければならないのです。霊人体も大きくなろうとするなら、体が大きくならなければ成りません。固着しては成りません。それならどの様にしなければ成りませんか。見えないものも、神様が見えない愛の空気で呼吸するのと同じ様に、生命の源泉と成る元素の供給をするのです。

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 この目がぱちぱち瞬きするのは、この世の空気中にあるほこりが入るのではないかとその様に瞬きするのです。霊界にはほこりがありますか、ないですか。霊界では神様が目を千年万年開けている、それは気分が良いですか。地上では、習慣性でぱちぱち瞬きしたので、霊界にほこりがなくても瞬きしなければならないのです。なぜですか。私達に似たからです。

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 霊界に行ってみたいですか、行ってみたくないですか。文総裁がうそをついているかもしれないでしょう。うそでも神様の言葉の様に信じれば、神様は創造の能力があるので、彼が願う以上のものをつくる事が出来る主体である事を知らなければ成りません。悪魔が「や、神様がこの様に言った」と言うならば、悪魔が言う以上の事迄信じて行動すれば、神様は創造して成し遂げる事の出来る道が行くらでもあるというのです。

 6.霊界の権力は愛の権力である

 霊界に行ってみれば、お金が必要ありません。知識が必要ありません。私が行ってみるとそうです。権力が必要ありません。お金を創造して余りあり、ダイヤモンドも創造出来る神様です。絶対者です。知識の大王です。権力の大王です。それをいつも春夏秋冬、四季を超えて永遠に自由自在に行使出来る方です。その方に何が必要でしょうか。

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 霊界に行けば天上世界に、無限成る世界に数百億の人類が生きています。そこに行けば会えない人がいないのです。皆様は歴史を学ぶ必要がありません。そこで「誰に会いたい」と言って誰かを呼び出す時、彼を愛する尺度があって呼んでこそ現れるのであって、私が欲をもって、その人が立派な博士だから「知識を得る為に私が会う」と考えれば絶対に現れません。会えないのです。愛がなければならないのです。彼がその様に有名な人に成る迄の過去に苦労した、その苦労の代価を認めて彼を愛する心で呼べば、東西四方、誰でもみんな接する事が出来ます。

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 お金、お金は行くらでも作る事が出来るのです。知識、神様は知識の王様です。権力、大韓民国の大統領に成ってみても……。この様な話をして失礼に成るかもしれませんが、小さい国、ソ連の百分の一にしかならない国の大統領が……。知識とお金と権力は、一生において追求する価値的なものの一部分にしか成りません。

 教授の知識を千年万年誇る事が出来るでしょうか。もって歩きながら誇りますか。一生にとどまるのです。それが自分とともにあるのは一生だけです。お金もそうであり、知識もそうです。優れているという人を見れば、知識をもって優れているという事であり、お金をもって優れているというではありませんか。権力をもって優秀だというではありませんか。この世界ではそうかもしれませんが、神様はそれを何の価値もないと思うのです。霊界では全て無価値なのです。

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 人間と歴史が何を中心として解決して完成しますか。神様を知らなければ成りません。神様は、人格的な神様でなければ成りません。神様が漠然としていてはいけないのです。私達自身が具体的であり、知・情・意を備えた人格的な人ならば、その主体であられる神様も知・情・意を備えた人格的な神であるというのです。その様に考えるのです。それでは、神様がもっている多くの属性の中で一番の中心とは何ですか。情だというのです。愛だというのです。神様も生きる事において、愛が最も必要なのです。

 天国では知識だけもって生きるのではありません。皆様が霊界を知らないのでそう思わないのであって、霊界に行って知るという事は一週間以内で全て終わります。心を鏡の様に見る事の出来る世界が霊界です。霊界は行くら優秀で、行くら立派な知識人がいるとしても、彼がもっている知識を一週間以内に凌駕出来る直感の世界です。心の光を通じて見るので、そこに関連している因縁の世界は、自動的に分かるのです。それは情の心情を通して見てこそ、私と相対的関係をもち、主体的関係をもつのであって、知識であるとか他の属性をもっては駄目だというのです。

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 知識とは何ですか。知識がある事によって、知る事によって全ての環境的条件を所有する事に成ります。知識の中に最高の知識である愛さえもてば、天下が全て連結します。知っている人が支配します。「知る事は力成り」と言ったでしょう。力のある人が支配するという論理です。ですから、愛をもった人は知識が必要ありません。あの世では、学ばなくても全て分かります。

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 宇宙が私の活動基地です。所が、その世界にない物質でもって首を絞めており、お金、知識、権力でもって首を絞めています。その世界には、その様なものは一つもありません。それによって残るものが一つもないのです。皆様、この世界ではお金、知識、権力が必要だけれども、あの世にはその様なものが必要ありません。今迄、サタン世界の人がそれを願っていたのです。

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 霊界でお金が必要ですか。食べる物、知識、権力が必要ですか。それが必要ならば、願えば一瞬のうちに生じるのです。そこには食べ物の工場がありません。学校もありません。権力者もいません。ただ神様が力の根源であられます。そこが私達の永遠の故郷です。その安息の場が待っているのです。皆様は誰しも願おうと願うまいとその場に行くのです。私はそれをよく知っています。

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 あの世では権力が必要ありません。霊界は愛を中心とした和合力です。愛を中心とした感化力です。その世界はその様な世界です。従って、愛を中心とした感化力をもてない人は、愛でもって感化出来る本然の世界に行ったら、本質的に和合が出来ずに反発するのです。それは地獄に行くのです。これは深刻な問題です。

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 愛を嫌う人は手を挙げて皆さい。お金はなければ稼げばいいのです。勉強は今しなくても霊界に行ってすればいいのです。霊界では東大を卒業するのに、三日もかかりません。東大を卒業した基準を備えるのに三日もかかりません。心の中を見ながら、本心を話そうとすれば、先に聞く事が出来るのです。それ故に、そこでは隠す事が出来ません。便利でしょう。最高の能力をもって分析出来る力をもったコンピューターでもついていけないというのです。

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 この宇宙の全てのものは愛で連結されています。霊界も、万物も全て愛によって連結されているのです。真の愛を中心としてその様に連結しています。ですから、真の愛さえもっていれば、何処でも連結する事が出来ます。真の愛さえもっていれば、みんな頭を下げるのです。霊界に行けば教育が必要ありません。誰でも一週間以内に、東大を卒業した人より数十倍たくさん知る事が出来るのです。東大を卒業した事を強調しないで下さい。良心的な人は一瞬にして全て通じるのです。説明が必要ありません。

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 霊界に行けば言葉は学ぶ必要がありません。一週間以内にあらゆる事を知るのです。心の中で考える事が、全て分かるのです。話す前に全て分かるのです。ですから、だます事が出来ません。その様な世界で皆様は、サーチライトで照らしながら見守っているのです。その光の中で何の問題もなく無事通過して本来の位置に接する事が出来るかという事が、人生の路程においての課題だという事を知らなければ成りません。

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 どれほ何処の世は不便でしょうか! 稼ぎが必要でしょうか、必要ないでしょうか。勉強が必要でしょうか、必要ないでしょうか。勉強をしなくてもみんな分かります。言う前に心で、既に分かっています。あの世に行けば、高い、低いという事が全て表示されているのです。ちらりと接すれば、すぐに分かります。ちらっと測定し、レベルを測るのです。東西南北がどの様に成っているという事を知っています。またこの様にじっとしていても、誰かが私を呼ぶのが分かります。その様な時には、私は無に入って相手を主体として立てるのです。愛の力を育ててつくられるのがあの世です。

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 霊界の組織とは何かと言えば、生活を中心として全て系列に成っているのであって、政治というものはないというのです。神様の直属の愛を中心としていて、強力に軍事拡張であるとか政治的目的の為に、この世では手段、方法を選ばないのですが、その様な事がないのです。経済の平準化運動を中心として、どの様に豊かな生活をするかという事です。地上もその様にならなければ成りません。

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 神様も愛故に創造したという事は知っているでしょう。神様に「一番好きなものは何ですか」と聞いてみれば、どの様に答えるでしょうか。神様は好きなものはありません。お金も必要なく、知識も必要なく、権力も必要ありません。統一教会の食口は何が必要ですか。同じです。愛の中にはお金もあり、知識もあり、権力もあります。愛の権力が万年権力です。

 本当に愛を知っている人は、天上世界に行って学ぶ事がありません。その様な人はいつでも神様の心の中を出たり入ったりします。神様の体を通して東西南北を思いのままに行き来する事が出来ます。これが中央停留所の様に成っています。何の話か分かりますか。それがなぜ必要ですか。そこに入って出てくる時は、東西南北の力が集中する為に、強力な力によって出ます。低かった国もその中央を通じて出てくる時は、高い神様と対等な位置に上がるのです。愛にはこの様な偉大な力があります。

 7.霊界は神様の法則と秩序の世界

 この地球自体がそうですが、太陽自体も自転しています。地球の百三十万倍にも成る質量をもった太陽が休皆しに動いているというのです。宇宙ではこの様な太陽系の質量の二千億倍にも成る広大な銀河系があります。この様な銀河系を小宇宙と言いますが、宇宙には銀河系の様な星雲が数えきれないほどたくさんあります。これをまとめて大宇宙と言います。

 私達はこの様な広大無辺な大宇宙の世界を、心を広げて考えなければ成りません。半径だけでも数千億光年にも成るもの凄い大宇宙を創造された神様は、その大宇宙を変わらない法則に基づいて数億千万年を動かしていらっしゃいます。私達が考える事が出来ず、感じる事も出来ないほどに偉大な力をもって、この全ての天体を動かすというのです。

 この様な宇宙を創造された神様を考えれば考えるほど、私達は、その雄壮さと偉大さに自然に頭を下げざるを得ません。この様な大宇宙を創造なさったその方が私達を見守ってくださるお父様であり、私達を保護してくださる神様、実存なさる偉大な主人公であられるという事実を、私達は心を広くして考えなければならないでしょう。

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 人が精密に計算してレールをつくって行く事は、汽車の速度が少しだけ違っても脱線して大騒ぎするのですが、大宇宙は自然の法則に一致してぴったりと合い、自然に帰ります。この太陽系だけでも、太陽が広大な九個の惑星を抱えてこの様にみんな回転しているのに、その様な太陽系が一千億個も入っている大宇宙が、今でもあらゆるコースをたどりながら活動していると考えて皆さい。一千億個が入っているその様な宇宙があるというのです。それが全て動いているというのです。これが「ただそのまま出来た」と言って、「自然だ」と言っています。

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 根本を明らかにしなければ成りません。本然の神様がいるなら、その神様は絶対的な方でなければ成りません。唯一、不変、永遠でなければならないのです。そうでなければ成りません。神様が定めた法則は絶対的でなければ成りません。それ故に、この宇宙はその法則によって千年万年、何億万年運動を続けるのです。動物世界や植物の世界もその様な科学的公式の法則による基盤の上で存続するのです。ですから、数学で全て解く事が出来るのです。

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 人が死ねば霊界へ行かなければ成りません。霊界に行けばどうですか。霊界は全ての秩序が構成された世界です。霊界を知らなければ成りません。霊界はどの様な世界ですか。理想世界であると同時にしっかりと秩序が構成された世界ですが、愛を中心とした世界です。呼吸は愛でするのです。ここでは空気で呼吸するでしょう。魚は水で呼吸するでしょう。では、霊界では何によって呼吸するのですか。愛の呼吸です。愛によって呼吸するのです。

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 神様は天地を何で主管するのでしょうか。法で主管するのですが、法も愛で主管する法です。そして、主管の方向を後援する為に、宇宙の法則も存続するというのです。それで、神様がどうして人間を創造したのかと言えば、愛が慕わしいからです。一人じっとしていればいいのに、何の為ですか。刺激的で衝動的な愛が必要だからです。

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 多くの人々が霊界を体験しています。その霊界は特別な世界です。それがどの様な原則が起源に成り、どの様な結果で運行するというその様な膨大な背景を悟るという事は極めて難しいという事を知りました。皆様が統一教会の主張している「原理」の内容を見れば、霊界は、公式的な法則で私達が認識出来る圏内に入るという原則を知る様に成るでしょう。その原則を明らかにしたという事実は、今後の歴史時代に大きな問題に成るだろうと考えています。

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 全宇宙が動く全ての法則を主管し、一方では人間を再創造し、その人間を神様の代わりに全宇宙を主管する価値的な存在として立てられる為に、摂理なさったという事が、どれほど驚くべき事であり、かつ有り難い事実かを、皆様は骨身にしみるほど感じた事がありますか。

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二 天国と地獄

 1.天国は愛の理想の世界

 天国とは、どの様な所ですか。神様の愛が中心に成っている所です。神様の愛を中心とした環境圏を設定した所が天国です。それでは、その圏に行ってとどまる人は、どんな人でなければならないのでしょうか。神様の愛の本質と和合出来る人にならなければ成りません。その様な人以外には行く事は出来ません。

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 天国は「為」に生きる世界であるので、「為」に生き様という観念のみを中心として行かなければ成りません。「自分が受ける」という考えをもてば壊れて行くのです。天国は、神様の愛が充満した世界です。愛の本質は受けるというのではなく、全体の為に生きるという事です。従って、天国は世の中と違います。宗教の教えは「為」に生き、絶対服従し、自分を犠牲にしなさい、奉仕しなさいというのですが、世の中にはこの様な事はありません。これは、世の中の何も知らない乞食の群れがする様な事ですが、天法を知らなくても福を受ける事が出来る様にする為の、サタン世界に対する神様の暗号作戦でした。

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 天国へは愛の軌道に乗って行くのです。この様に話せば実感がわくでしょう。ゴムの紐は引けば引くほど細く成りますが、愛の紐は引けば引くほど反対に太く成ります。ですからみ旨の為には苦労の王に成る事が、世界を占領出来る秘法なのです。苦労の王が天国の栄光を独占するのです。

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 天国とは、どの様な世界でしょうか。お互いに反目、嫉視しながら、他人がうまくいけば嫉妬し、他人が喜ぶとたまらないという、その様な世界ではありません。一人がうまく行く事は、全体を代表してうまく行く事です。また、一人が喜ぶ事は全体の代わりに喜ぶ事なので、一人が喜べば全体が喜ぶのであり、一人がうれしがれば全体が共に喜ぶ所が天国なのです。

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 天国とはどの様な世界かと言えば、神様の愛の世界です。愛の空気を吸う世界です。そこには生命がぎっしり詰まっています。何処に行っても生命が躍動しない所がありません。そして、全て血縁的な因縁によって結ばれています。神様の一つの血筋であるが故に、神様が悲しむその様な何かがあれば、全霊界が一つの細胞の様に、一つの体の様に悲しみを感じるのです。また、神様が喜べば全てが喜ぶのです。その様な世界です。それで、神様の愛が膨大な大天国を動かしているのです。

 生命圏がそこに呼応して、全ての万物の主体・対象を中心として、芸術的な美化の対象に成っているのです。血筋の様に連結していて、神様が喜べば私もうれしく、神様が悲しければ私も悲しく成ります。やむなくその様に成っています。

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 天国では闘いがあるでしょうか。闘いのない永遠な世界で何をして生きるのでしょうか。その世界が一年生きて終わるのではなく、永遠に続くというのです。それなら、退屈ではないでしょうか。そこで何をして生きるのでしょうか。一人で生きますか、霊界にいるあらゆる存在と関係を結んで生きますか。何をもって関係を結びますか。真の愛です。

 それ故に、その世界の本質は何ですか。食べる事も、愛を感じながら食べなければ成りません。着る事も、愛を感じながら着なければ成りません。生きるのも、愛を感じて生きなければ成りません。旅行する事も、愛の神様が母体と成って旅行しなければ成りません。そうでなければ、和動出来ないというのです。その愛というものは、神様の本質的な愛でなければ成りません。神様の本質的な愛に近い内容を備えた人格があの世で高い位置を占め、その様な人格を中心として、全ての霊界の万有の存在が和動して生きるというのです。その様な人々が和動する世界だというのです。

             *

 人間を中心とした真の愛、それが絶対価値の花です。神様がなぜ生きているかと言えば、真の愛故に生まれ、真の愛故に生きるのです。人もなぜ生まれ、なぜ生きているかと言えば、真の愛故に生まれ、真の愛故に生きるというのです。その様な時は神様も不平なく、人も不平なく宇宙の花の様に咲いて香りが漂うというのです。真の愛をセンターとして両側が一つに成るのです。右側も左側も「万歳!」、両手を挙げて「万歳!」、真の人も「万歳!」、霊界も見下ろして「万歳!」、こちらもあの上も「万歳!」と言うのです。全て一つに成って香りが漂うのに酔って ……。

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 霊界がそうです。気が合う兄弟同士が集まって暮らします。ここでその様に暮らす訓練が出来ていなければ、あの世に行ってぶつかります。あの世に行けば問題が大きいのです。人の心に合わせるとは、どういう事ですか。神様に侍る訓練の中で、人の心に合わせる事以上に正しい道はありません。神様がどれほど気難しい方だと思いますか。原則に外れれば許しがありません。それ故に、人の心に合わせる事が出来、人と和合する事が出来なければ成りません。神様に侍る訓練の中で、それ以上早い訓練はありません。

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 完成した人が霊界に入っていけば、何処に行っても友人です。子女の位置に行っても友人、兄弟の位置に行っても友人、夫婦の位置に行っても友人、父母の位置に行っても友人で、全て通じるというのです。神様の玉座でも何処でも通じる事が出来るというのです。

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 どの様にして天国へ行くのですか。神様の愛に狂って生きなければ成りません。アダムとエバ以上に神様を愛さなければならず、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ以上にイエス様を愛さなければ成りません。そうでなければ、神様が私を愛し得る真の愛の相対圏を復帰出来ません。これさえ復帰すれば、万事思いどおりに成ります。

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 お金がないといって心配せず、息子、娘がいないと心配せず、十年、二十年その道を続けて行くと、大きな山にも、険しい峰にも上がる様に成ります。自分では少しずつ下りていきながら苦労だけしている様に思いますが、だんだん高く成るのです。統一教会は打たれながら大きく成ります。一つの家に十人が住んでいるなら、公的目的の為に十人の反対を受けながらも我慢する人が、その家庭の主人に成るのです。すなわち、天国の主人に成るのです。

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 天国は、愛の世界であり、中心者である神様の為にある世界、神様の為に生きる世界です。

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 天国には誰が先に入っていかなければならないかと言えば、真の父母が先に入っていかなければ成りません。「天国が空いている」と言えば、「レバレンド・ムーンはばかげた事を言う」と思うかもしれませんが、イエス様も天国に入れませんでした。天国へは一人では入れません。人間の先祖が思春期を過ぎて、神様を中心とした愛の理想を成して生活し、真の愛の種を残して父母に成って先に入るべき所が天国です。所が、まだ神様の愛を中心とした父母として、この地に愛の種を残した父母がいません。また、その様な子孫を残した基盤を成せなかったが故に、天国は空いているのです。

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 皆様は世界天国に向かって行きますか、個人天国に向かって行きますか。「世界天国に向かって行く」と言うでしょう。先生も欲が深く、世界天国へ行く愛の綱をぎゅっとつかむ為に、四十年間迫害されながらもこの事をしたのです。個人の愛の綱を越えて、家庭の愛の綱、氏族の愛の綱、民族の愛の綱、国家の愛の綱、世界の愛の綱をぎゅっとつかむ為です。ぎゅっとつかんで何処に行くのでしょうか。世界の愛の綱を探してからは、恵みを受け出世したので還故郷するのです。故郷に行って、かわいそうな人々を助けてあげるべきではないでしょうか。

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 天国に行く道は、兄弟を神様の様に愛する事から開かれます。皆様は先生に従って行こうとするのですが、その心で兄弟を伴って一緒に行こうと努力しなければ成りません。天国に最も高く、早く、良く導く者は、神様でもなく、先生でもなく、兄弟だという結論を下す事が出来ます。

             *

 今日、宗教を信じる人々が「天国へ行こう」と言うのですが、天国へただそのまま行けますか。まず地上で天国を迎えて行かなければ成りません。地上で天国を迎える為には愛の規則を経なければ成りません。皆様の家庭に子女がたくさん生まれれば生まれるほど、神様の国をより一層愛さなければならない十字架が加重されるという事を感じなければ成りません。その家庭に息子、娘をたくさん送る事は、担う十字架が多いという事なので、国の為に捧げるべき責任が多いという意味です。その様な内容を知って、責任を全うする人にならなければ成りません。その様な家庭であればこそ、その家庭に後代を相続出来る運勢をもった息子、娘が生まれるのです。

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 天国に入っていける人とはどの様な人ですか。まず神様の心に合う人にならなければ成りません。どれくらい合わなければならないのでしょうか。神様が永遠な目的を中心として永遠な理想を描いて行く方なら、永遠に心が合わなければ成りません。十年ぐらい合わせて途中で合わなくなれば駄目です。永遠であられる神様に、永遠に心を合わせなければ成りません。その様にし様とすれば、どの様にしなければ成りませんか。永遠にお互いに喜べる息子にならなければ成りません。その様な息子になろうとするなら、悲しみの対象として現れては成りません。

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 天国という概念は、サタンを克服した位置で、サタンが相対出来る一切の要因を否定した位置で、否定するだけでなく清算した位置で成立出来ます。サタンの否定的条件が残っている歴史的な遺物や生活の全ての内容を否定して清算した土台の上で天国が肯定出来るのであって、それを残しては天国の内容を提示出来ません。

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 天国に行こうとするなら、罪を犯さず、神様の愛を直接受ける事が出来、イエス様を信じる必要がなく、救い主が必要ないという息子、娘の資格を獲得し得る過程を経なければ成りません。その様に生来た人間が天国に行ってこそ、神様の理想天国が成されます。

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 宇宙の最高のお爺さんとは誰かと言えば、神様です。それから、この世界を一つ造るのに、全天地を一つ造るのにおいて、その最後の子孫とは誰かと言えば、未来の後孫です。これを連結しなければ成りません。何によって連結するかと言えば、家庭です。国ではありません。天国へ行くのに「アメリカ人だ」と言っても認めてくれません。「発展途上国の人だ」と言って排斥しません。この主流、家庭組織を中心として神様のみ旨とともに過去、現在、未来を連結させる事の出来るモデル型だけを認めます。これが公式だという事を知らなければ成りません。その様にして出来た実をもってきて貯蔵する倉庫が天国です。

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 侍る為には、侍る事の出来る準備が必要です。その準備の過程を経てから、侍る生活をする必要があるのです。侍る為の準備の過程を経て、侍義の生活を経て初めて行く所が天国です。心情で侍る人が行く所が天国です。侍る事の出来る準備と、侍る生活を称賛し、高くとどろかせる世界が天国です。私達は、この様な目的の世界に向かうべき運命に置かれているのです。

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 天国という所は、心情を通さずには行く事が出来ない所です。天国は全体を主管出来る本然の国であり、本性の国だというのです。その国は、いか成る事情をもってしても所有出来ません。深くしみ入る心情の因縁を備えてこそ所有出来る国です。それ故に、基督教は究極的に事情を通す教会ではなく、心情を通す教会です。事情の因縁を越えて心情を謳う事の出来る基盤を築くのに、地に対して摂理なさる天の目的があるというのです。

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 天国とは、どの様な所ですか。準備した事をもって誇る所であり、侍る生活をした事を誇る所です。それではその天国とは、どの様な人が行く所ですか。主を信じて恵みを受けるといって、恵みを前面に立てて行く者が行く所ですか。違います。天国は、侍る為に心情的に準備する生活をした人が行く所です。準備する期間に死んだとしても、侍義の生活を残して喜んで行く事の出来る者が行く所です。そこに復活があるのです。生活の内幕は現れません。どの様に生活するのかという事が、今私達がこの侍る生活の中で考えるべき重大な問題です。

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 天国がそうです。天国に行けば何処も明るいのです。李相軒氏が言う霊界の実相がそうでしょう。間違いありません。神様の愛の光がこの宇宙の四方を照らして、その懐の万物は万歳している様です。何の万歳ですか。万万歳ではありません。「解放万歳!」、解放したなら全て「解怨万歳!」、恨みを解かなければ成りません。

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 神様の愛を中心とした本然の父母の因縁の中で、真の愛の家庭基準を代表出来る位置に立つ事によって初めて天国に入っていけるのです。天国に入っていこうとすれば、真の神様と真の父母の真の愛と一つにならなければ成りません。その血統的な関係において生まれた息子、娘と共にこの地で生きてから行く所が天国ですが、今迄その様に生きてから行った人は一人もいません。それ故に天国は空いているのです。

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 教会に何百年通うとしても、自分を中心とした心をもって通えば天国に行けません。救いを受ける事が出来ません。真の宗教がどの様な宗教かという事を知らなければならず、真の人がどの様な人かという事を知らなければならず、真の国がどの様な国かという事を知らなければ成りません。

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 神様の愛の本質と和合出来る人とは、どの様な人ですか。自分を中心として行く人は価値がありません。相手の為に自らの生命を投入して、自らの全ての精誠を投入して、自らの全てのものを投入しながら与え様とする人だけが、神様の愛の圏内に存続出来るのです。歴史上の偉人もそうでしたし、聖人もそうでした。

 2.天国はお互いの為に生きる世界(4・4)

 自分自身を投入して忘れなければ成りません。食口が全部で百人ならば、百人の食口の中で自分の息子、娘よりも良くない服を着ている人がいれば、寝る事が出来ずにいなければ成りません。与えなさいというのです。神様の心情、父母の心情がそうです。統一教会の主流思想は何ですか。父母の心情で僕の体を使い、汗は地の為に、涙は人類の為に、血は天の為に流しなさいというのです。天とは何ですか。息子、娘を連れて行く愛の世界なのです。愛をもって全宇宙の前に与えるのです。先生は神様を愛しました。霊界からここ迄、その全てをよく知っているのです。

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 霊界は今迄未知の世界でした。その世界は、神様の存在原則の為に生来た人間だけが行く所です。その様な内容によって形成された世界が理想天国です。

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 発展し様とすれば、どの様にしなければ成りませんか。利他主義でなければ成りません。統一教会は絶対に利他主義、「為」に生きるのです。ここで分かれるのです。一方は地獄に落ち、もう一方は天国に行くのです。霊界に行けばそうです。霊界に行けばすぐに分かるのです。「為」に生来た人間は、行く所を知っているのです。ですから、より「為」に生き、「為」に生きる聖人の思想を受け入れなければ成りません。救世主の思想を受け入れなければ成りません。神様の思想を受けなければ成りません。神様の思想とは何ですか。絶対に「為」に生きる事です。

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 小さなものは大きなものの為に投入しなければ成りません。それ故に、家庭は氏族の為に犠牲に成りなさいという論理です。氏族は民族の為に犠牲に成り、民族は国家の為に犠牲に成り、国家は世界の為に犠牲にならなければ成りません。国家財産を取って自分の家庭のものにする者は、みんな地獄に逆さまに差し込まれるのです。滅びるのです。ここで滅びなければ、霊界に行って逆さまに差し込まれるのです。

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 地上生活と天上生活は反対です。堕落した人々は、地上で自分の為に生きていますが、霊界は全体の為に生きる様に成っています。堕落を否定して全体の為に生きる人に成る事によって、神様の相対に成る事が出来るのです! 永遠に「アーメン!」と言わなければならないのです。

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 霊界は、自分の為に生きて行く人には行く事が出来ない所です。悪成る人とはどの様な人ですか。一から十迄全て自分を中心として一元化するという人です。その様な人が独裁者、悪党なのです。その様な人は地獄に直行だというのです。統一教会では、それはいけない事です。個人は家庭の為に生き、家庭は氏族の為に生き、氏族は民族の為に生き、民族は国家の為に生き、国家は世界の為に生き、世界は宇宙の為に生き、宇宙は天宙の為に生き、天宙は神様の為に生きなければならないのですが、神様は誰の為に生きるのでしょうか。私の為に生きるのです。

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 本郷の地に導かなければならない宗教である故に、宗教は何を教えるのでしょうか。「為」に生きなさいという事を教えざるを得ないという事を知らなければ成りません。高次的な宗教であるほど、「為」に生きなければならないという原則を強調しなければならないので、柔和、謙遜に成りなさいというのです。なぜですか。多くの人を高めて、彼らの為に生きる立場に立てというのです。犠牲、奉仕しなさいと教えるのです。なぜですか。それは、その国の法に合う事の出来る人を訓練しなければならないからです。

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 地上で暮らしてから霊界へ行くのですが、高い所に行く人は皆他人の為に生来た人です。世界の四十カ国ならば四十カ国を回りながら、そ事自分の母と家庭を拡大したという心情をもって「為」に生き、世界の人々を全て悪から救ってあげる聖人の心をもった人が高い所に行くのです。先生はその様に考えます。

 「私は一人の男性として、歴史時代の孝子を代表した総帥であり、愛国者の総帥であり、聖人の総帥である。神様の息子として名づけられた全ての人々は失敗したが、私は勝利した息子、娘として生まれた」というのです。その様に言う事が出来る様にしてあげる事がたった一つあるのですが、それが絶対に「為」に生きる事です。与えて忘れ、「為」に生きて、それを忘れて生きる人だけが、その世界を消化出来るというのが結論です。簡単なのです。

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 死を避ける事の出来る人は一人もいません。死を避ける事は出来ないのです。ここで生きて死ぬのですが、自分の為に生きる人は、この世界へ行ってぐるっと回って地獄へ行くのであり、他人の為に生来た人間は、ぐるっと回って天国に行くのです。この二つの世界が死を境に分かれるのです。

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 今後は自分の財産を天のものとして捧げる為の綱が、世の中で最も長い綱に成ると考えるのです。ですから、全て無一文の乞食に成りなさいというのです。全て捧げました。捧げるものは鼻水と涙と血しかありません。先生自身がそうです。捧げるものがないのです。生命と財産を全て捧げました。皆様に息子、娘の為の預金通帳があれば、それは自分の息子、娘の為に使わなければならないでしょうか、世界の救いの道の為に使わなければならないでしょうか。その様な考えをし、その様な行動をしてこそメシヤと同等の立場に同席出来るのです。

 「為」に生きなさいというのです。全体の為に生き、より大きいものの為に生きなさいというのです。世界の為に生き、神様の為に生き、人類解放の為に生きなさいというのです。自分によって新しい血統に転換しなければ成りません。

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 今後どの様な競争が起こるでしょうか。お互いが「為」に生きるという事です。なぜですか。天国では「為」に生きる人が高い位置に行くので、その高い人の為に私が生きる様になれば、その人に乗ってジャンピング出来るというのです。ケープ・ケネディに行けば、人工衛星の発射台があるのですが、ここで人工衛星が発射されて天に飛んで行くのと同じ様に、その様に成るというのです。

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 人の為に生きる事は、神様が創造して相対をつくったのと同じなので、その人の愛の対象圏に立つという事です。そうでしょう。誰かに従って「為」に生きる事も、全てその為です。皆様も先生の為に生きるでしょう。先生の為に生きる事は、先生の愛の対象に成ってジャンピングして、神様を占領し様というのではありませんか。そうですか、そうではありませんか。人工衛星は目標物に向かって飛ばさなければならないでしょう。同じです。人工衛星が出て来たのは、今日、信仰者が跳躍して天国にどの様に行くのか、何千万里、何万里をどの様に行くのかという事を前もって示す為なのです。

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 霊界はどの様な世の中ですか。真の愛を中心として他の人の為に生きる所が霊界です。自分の為に生きるのではなく、全体の為に生きるのです。この地上でも人の為に生きる人は、一〇〇パーセント「為」に生きる人は「私を踏んで越えていきなさい!」と言うのです。行くらアメリカという国が大きくても、アメリカの大統領よりもっとその国の民族の為に生きる人がいれば、その人が大統領を踏んで越えていっても皆歓迎するのです。しかし、自分の利益だけを取る時は、みんな怨讐に成るのです。

 霊界に行っても同じです。より大きいものの為に生きる時は、自然に通過するのです。より大きいものの為に生きる様になれば、自然に通じるのです。ですから、世界の為に生きる人は、アメリカの為に生きなくてもいいのです。世界の中にアメリカが含まれるのです。韓国も同じです。全ての国が含まれるのです。それでは、行くにおいて、家庭もただそのまま過ぎ、全てが歓迎出来る方向の内容とは何ですか。それは真の愛を中心として「為」に生きて行く愛の道しかないという結論が出てくるのです。

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 皆様が五十年の生涯の中で、二十五年以上をこの宇宙の為に生き、天倫に従って生来たとすれば天国に行くのです。そうすれば、あの世に行っていい霊界にとどまる事が出来ますが、自分を中心として生来た事が多かったとしたら、残念ですが善成る本郷の世界に行くのではなく、自分だけの為に生き様とする悪成る本郷、地獄に行くというのです。その様な事実を知って、これから皆様は、自分の為に生来た過去の生活を清算して、余生を全体の為に生き、国の為に生き、世界の為に生き、天地の為に生き、神様の為に生きなければ成りません。そうすれば、ここから地獄ではなく天上の理想世界へと向かって進む事は間違いありません。

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 イエス様は死を目前にしても「わが父よ、もし出来る事でしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせて下さい。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・三九)と言いました。死んでいきながらも神様に抗議するのではなく、お父様のみ旨がもっと大きいので、もっと大きい犠牲でも当然捧げるという姿勢でした。この様な位置では、より一層深く入って行く事が出来るので、神様ともっと近い位置に入って行くのです。その様な人の前では、神様もどうする事も出来ません。その様な人を打つ人は、すぐに滅びます。神様が自ら制裁をなさるのです。

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 霊界(天国)とは、どの様な所か知っていますか。「為」に生きる人が行く世界が霊界です。自分の為に生きる人は絶対に行けません。その様な人は地獄に行くというのです。有名な牧師だといってそこに行けるのかどうか、行ってみれば分かります。統一教会は怨讐迄救ってあげ、共産党迄救おうとするのですが、共産党は全ての首を切って統一教会をなくそうとします。これが違います。ですから、どの様な愛がこの世界を支配しなければならないのでしょうか。私達は共産党よりもっと強くなければ成りません。悪成る人に成って強く成ってはいけません。「為」に生きる愛を中心として強くなれば、世界を救っても残るというのです。

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 天国は与えて生きる所です。神様も、与えさえすればよいのです。親は、子女に与えさえすればよいのです。良いものを与えてからも、もっと良いものがあれば、それをまた与えたいのが親の心です。

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 百を与えて忘れる事の出来る神様の前に、私は千を与えても忘れる事が出来る様になれば、神様が私の相対に成ってくださるというのです。この様な事を知っていますか。これは素晴らしいでしょう。主体と対象の関係が交換出来るというのです。それでは、「私が一度善の為に、神様以上にやってみて生きる」と言った人が地獄に行くでし様か、天国に行くでしょうか。天国に行って神様が暮らしている朝の食卓の召使に成りますか、一緒に座って愛の御飯をお互いに分け合って食べながら生きる事の出来る位置に行ってとどまりますか。どちらですか。

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 霊界がどの様に成っているかという事実に対しては、誰にも劣らない体験をしましたし、また霊界は私の専門的な分野です。霊界の秩序的な起源を調べてみれば、どの様に成っていたでしょうか。「為」に存在する様に成っている世界が天国です。そこが私達の本郷です。

 3.天国は地上天国を経て行く所

 今迄の歴史上に神様の前に呼ばれた人々は、みんな五十代以上、六十代以上でした。年老いてやつれ、遠からず共同墓地に行くしかない人々、葬送曲を聞く日が近い者達だったのです。その様な背後で神様は、今日この様にやつれてしまった老年層をつかんで摂理するのですが、今後は壮年層をつかんで摂理しなければならないので、彼らをつかんでどの様に摂理を展開させるかを心配なさったのです。神様はその様な事情を抱えて歴史路程を歩いてこられたのです。

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 釈迦も神秘な境地に入って「天上天下唯我独尊」と言いました。修道しながら精神を統一して、霊的世界に入って神様の前に完全な対象の位置に入っていけば、「天上天下唯我独尊」という言葉が可能だというのです。先生が世の中をしっかりとつかめば、世の中がこの握りこぶしの中で溶け出す様な思いが生じるのです。その様な境地に入って行く様になれば、奇跡が自動的に起こります。病気を治す事は信仰の付属物として自然についてくるのです。

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 今日大部分の人を見れば、一日の生活圏内で朝起きて御飯を食べるという習慣的な生活をしながらも、「私は神様に対して堂々としている」と言います。その様に信じている人が多いのです。その様な人々は天国を所有出来ません。堂々とする事は出来ません。私を公認する相対的な要因がなくては、絶対的な信仰基準ももてないのです。絶対的な信仰基準ももてなかったのに、絶対的な信仰基準を克服したのちにこそ成される天国が成し遂げられるでしょうか。とんでもない事です。なぜでしょうか。その場にはサタンがとどまっているからです。

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 今日、数多くの宗教人は、「天国は自分の宗教を通じてのみ成される」と言います。それは全て妄想的な話です。多くの宗教がそれぞれ、「我が教主が教える教理を通じて天国が成される」と言います。基督教だけ見ても数十の宗派に分かれています。自分の宗派でなければ異端視してサタン視するのが現実です。その教団が神様から公証を受けてその様な事を話すなら分かりませんが、ただ単に自分の宗派を立てて、自分の宗派を残す為の欲からその様にするなら動機が純粋ではありません。その様な宗団は、全て滅びる様に成ります。もし統一教会がそうならば、統一教会から滅びなければ成りません。

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 霊的世界も塀で全て遮られています。仏教圏があり、儒教圏があり、全て塀でふさがれています。これをより高い神様の心情を通じて全て取り除かなければ成りません。天上世界の高い玉座から塀を壊して逆に下りてこなければ成りません。何万年の私達の先祖の塀から何千年の私達の先祖の塀、何百年のこの時代の塀、何年前に亡くなった全ての人々の塀を全て壊して、地上の全ての塀を壊して、これを地獄迄連結させ得る道を築かなければ、開天門が成されないのです。

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 統一教会の食口はどの水準に迄ならなければならないのでしょうか。釈迦よりも立派な人にならなければならず、イエス様や孔子よりも立派な人にならなければ成りません。今迄の宗教の目的は、個人を救う事でした。しかし、統一教会は個人の救いよりも家庭を目的とするのです。統一教会が一般宗教と違う点がこれです。救うけれども家庭を救い、天国に行くにも自分一人で行かないというのです。

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 天国という所は一人では行けません。天国という所は必ず相対理想を決定してこそ入っていける様に成っているので、堕落人間が天国に入って行く為には、復帰の歴史、復活の歴史、再創造の歴史を経なければならないのです。皆様を祝福してあげる事は、天国の門をぱっと開けておく事です。「祝福」という名詞を立てて閉まっている天国の門を開けてあげる事です。

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 「天国は貴方の心にある」と言われましたが、「天国は貴方の家庭にある」と言えなかったイエス様がどれほど哀れで孤独であられたかを考えて皆さい。それでも皆様は家庭をもって幸福を謳歌しています。私達には、その様に出来る瞬間もあるのですが、天下を救う為の求道者の主人であり、神様のひとり子であられるイエス様が、この様な環境天国の基地を夢にも見る事が出来ず、「天国は貴方の心にある」と言いながら、心で天国をよみがえらせ様としている途中で、三年もたたずに十字架で亡くなったので、その方の生涯がどんなに孤独で悲惨かというのです。

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 地上天国と天上天国は、レールが同じで二つが合うのです。国境を越えれば、この世のレールとあの世のレールと合わなければ成りません。それでこそ貨物列車が走る事が出来るのと同じ様に、地上と天上世界のレールが合う様に成ります。ここで走る愛の機関車を担った家庭が、ただそのまま天国迄、天の玉座の前迄直行出来るレールを連結させる為の道というものは、真の愛で「為」に生きる道です。個人が行く道と家庭が行く道を、全て連結しなければ成りません。方向が一致するのです。

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 私達は、好きでも嫌いでも、いずれそこへ行くべき運命に置かれています。それが私達の人生の道です。私達は、そこに向かって旅人の道を行っているのです。それでは、ここで問題に成る事は、自分の為に生来たのか、人の為に生きる生活をしたのかという事です。その差によって、すなわち人の為に生来た事が多ければ天国に行く事が出来るのであり、その反対に成る時には地獄に行くというのです。この原則はこの場では信じられませんが、死んでみれば分かります。

             *

 霊界に行ってみれば、人々がいろいろな段階の所にとどまっているのですが、その人々がどの様にしてその様になったのでしょうか。愛の道理に従ってどれくらい孝行を果たしたか、どれくらい国に忠誠を尽くしたか、どれくらい世界で聖人の道理を果たしたかという度数の差によって該当する位置にとどまっているのです。人間がこの地で行くべき道は正道です。正道には、個人の正道があり、家庭の正道があり、氏族の正道があり、民族の正道があり、国家の正道があり、世界の正道があり、宇宙の正道がなければならず、神様御自身にも正道があります。この様な、ただ一つの道がなければならないのです。その道がどの様な道ですか。本然の愛の道です。

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 最後にはどの様な世界へ行くのでしょうか。地獄へ行くのでしょうか、天国に行くのでしょうか。皆様は行きながら「先生! 助けて下さい」と言う人に成るのでしょうか、「先生! いらっしゃいませ」と言う人に成るのでしょうか。死ぬか生きるかというのです。皆様が結婚して仲良く暮らすというのですが、先生が仲良く暮らしなさいという事は、変わらない夫婦に成りなさいという事です。変わらない夫婦になろうとするなら、変わる世界に行って一緒に修練を受けて、南北が分かれ、四方に分かれて暮らす世界に行っても分かれては成りません。この様に訓練された位置に立たなければ成りません。

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 真の父母が生んだ息子、娘は偽りの息子、娘ではなく、真の息子、娘です。そこから真の家庭が出てくるのです。真の家庭が出てきて、真の氏族が出てきて、真の民族が出てきて、真の国が出てきて、真の国が出てくる事によって真の世界に成ります。その世界では、神様を中心として家庭で天国生活をして、氏族で天国生活をして、民族で天国生活をして、世界で天国生活をしなければ成りません。そうしてこそ、この地が地上天国に成るのです。この地上でその様に暮らしてから肉身を脱いで永遠成る天国に入っていけば、そこが霊界の天国だというのです。これが神様の摂理の概観です。

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 皆様は、「天国に行こう」と考えては成りません。地上に天国を建設し様と考えなければ成りません。天国を建設する前に皆様自身が先に天国人にならなければ成りません。天国人になろうとするなら、「お父様の心が私の心であり、私の心がお父様の心だ」と自信をもって言える程度にお父様と心情一体を成さなければ成りません。それで、地上でお父様の心に代わり、主と先祖の心に代わらなければ成りません。そうしてこそ、歴史的なあらゆる問題を解決出来るというのです。

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 死にながら「神様、私は今迄神様のみ意のままに出来ませんでしたが、私の心では天国に行こうとしました。ですから私を蕩減条件を立てたものとして下さい」と言えば、神様も公平であるので、その様な人は天国へ行こうとする位置に置いておくというのです。どの様な位置に置いておくのでしょうか。行こうとしたので、天国へ行こうとする位置に置いておくのです。言ったとおり返してくれます。行く事は行くのですが、天国へ行こうとする位置へ行きます。その場は楽園以下の位置であり得るのです。地獄にいる人も天国へ行こうとするというのです。

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 「統一教会は、ただこの様に集まって別れる所だ」と言うでしょうが、そうではありません。ここで線を引けば、永遠に引かれるのです。この門を閉めれば永遠に開ける者がいないし、開ければ再び閉める者がいません。地で結んだ事は地で解かなければならないが故に、皆様自身が結んだ事は、皆様自身が解かなければ成りません。これが問題です。それ故に、皆様が伝道をするにおいて、これからは他の所に行って伝道するなというのです。

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 「二十億の人類の愛の結実である実体を、私を生んでくれたお父さん、お母さんよりももっと愛し、四十億の人類を私のお父さん、お母さんよりもっと愛する」と言えば、神様の愛の圏を中心として一つになったという立場で人類を愛する事が出来る為に、私はサタン世界とは無関係な立場に立つのです。

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 堕落しない本然の人間として、サタンと関係がない人間として、理想的夫婦の愛を中心として家庭を築き、暮らしてから天国に直行出来る様に成っているのが本然の人間です。それで地上天国というのです。地上天国は天上天国を受け継ぐのです。それ故に、ペテロに天国の門の鍵を与えたとはどういう事かと言えば、天国を成す事の出来る道が地上にあるというのです。はっきりと知らなければ成りません。

 4.イエス様と楽園

 堕落がなかったならば、天国はひとり子、ひとり娘が神様の愛を中心として神様の家庭を築き、神様の愛で暮らして引っ越して行く所です。天国は家庭が入って行く様に成っています。個人は天国に入っていけないというのです。イエス様は家庭を成せない事によって天国に入れず、天国の待合室に行って待っているのです。それが楽園です。楽園は、天国に入る準備をする為の待合室の様な所です。

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 イエス様は、血族を通してそれを成し遂げる事が出来ませんでした。それ故に、イエス様が再び来てこれを解怨成就しなければ成りません。そうでなければ天国に入れません。天国を開ける条件とは何処にありますか。地にあります。従って、イエス様が天国の鍵を地に残していきました。イエス様と十二弟子が家庭を成し遂げる事が出来なかったので、今日、統一教会で祝福家庭を通して七十門徒、百二十門徒の家庭を再び探し立てなければならないのです。それでこそ天国が開きます。

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 基督教で言う様に、イエス様を信じて天国へ行けると思いますか。イエス様御自身も相対理想を成せなければ行けないのです。神様も成せなかったのに、イエス様一人で真の愛を成す事が出来ますか。ですから再び来なければ成りません。それなら、雲に乗って来るのでしょうか。今では、現実的内容を全て目で推し量る事が出来、測る事が出来るこの民族が私についてくる様に成っています。

             *

 今日の基督教を信じる人々は、「イエス様を信じれば救われて天国へ行く」と言います。「天国へ行くのも自分一人で行く」と言うのであって、「自分のお父さん、お母さんと一緒に行く」と言う人は多くありません。今後、宗教は個人のみの救いであっては成りません。神様が立てておいた真の宗教ならば、宇宙的で最後迄残り得る宗教にならなければ成りません。人類が望む最後の宗教があるならば、その宗教は「個人のみ天国へ行く事がみ意」とは言わないでしょう。天国を個人にだけ紹介しては成りません。お父さん、お母さんにも紹介しなければ成りません。その様に紹介して族長迄その内容を知る様になれば、一度について行く様に成るのです。

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 イエス様がどうして天国に入れなかったのでしょうか。天国は堕落せずに生来た者が入っていける様に、神様が人間に対して造ってくれたのです。人間は、本来の原則的な基準に立ってこそ天国に入っていけます。従って、イエス様御自身も堕落した人間を救って、堕落しない人類の父母であるアダムとエバの位置で息子、娘を率いて入らなければならないのです。しかし、イエス様は一人で来たので子孫がいません。いないので楽園に行く様になったのです。天国に入る事が出来ず楽園にいるというのです。天国に行く為の待合室の様な所に行っているというのです。

             *

 天国は空いています。これを考えれば神様の復帰摂理が、悲しい復帰摂理の歴史であるというのです。神様がアダムとエバを失ってしまいました。二人を失ってしまっただけで終わるのではありません。アダムとエバを失ってしまったという事は、アダムとエバの一族を失ってしまったのです。その一族が拡大して民族に成り、一つの国家を成し、一つの世界へ拡大されたはずですが、失ってしまったのです。ですからアダム一人を失う事によって、天国の王権を中心とした王国を失う様に成り、天国の民族を失い、天国の氏族を失い、天国の男性、女性、ひとり子、ひとり娘迄失ってしまったのです。

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 本来、霊界は家庭が入っていかなければならないのですが、家庭がありません。イエス様も夫婦生活をしていない独身です。聖人の孔子、釈迦、マホメット、王達はどうだったのでしょうか。全て天使長圏の子孫なので、です。相対理想がありません。この様な事を話して、無知で知らない人がどんどん知って、自分が王の様に成るという非法的な事が起こっては成りません。王に成るなら真の愛でならなければ成りません。自分が人の為に生きなければならないのです。

             *

 神様は人類を救う為に宗教を立てて摂理してこられます。それ故に、高次的な宗教であるほど、その本郷のみ旨と本郷の原則に一致する教訓を言わなければならず、「犠牲に成りさい、奉仕しなさい」という勧告をせざるを得ないというのです。この様に、神様が歴史と宗教の背後で摂理しているという事実を否定出来ません。この様な原則について見ると、「為」に生き様という宗教は発展出来ますが、自分を中心にして世界に問題を起こしながら主体的な立場に立とうという宗教は下がって行くという結論も、ここで出せるのです。

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 聖書に「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主成る貴方の神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである」(マタイ二二・三七、三八)と記されています。ここに引っ掛かる人は天国に入れません。二つ目の戒めは何ですか。「自分を愛する様に貴方の隣り人を愛せよ」(同二二・三九)と言いました。神様を第一に愛し、隣り人を第二に愛する人が孝子に成るのです。

             *

 イエス様に従う弟子達は、イエス様がローマ帝国を一時に占領してイスラエルの王に君臨すれば、自分達は一席ずつ占領する事が出来ると思っていたのです。その様な事が問題ではありません。まず私の心の中で天国の基盤を築かなければ成りません。その心を中心として体が神様と一つに成り得る基盤を築かなければ成りません。これが最も大きい問題なのです。結局は、私自身から始まるのです。従って、天国の拠点は私の心だというのです。

             *

 神様は仲むつまじくする事を喜ぶのですが、荒々しく激しくてはいけません。神様が仲むつまじくする時は仲むつまじくしなければ成りません。内外が合わなければならないのです。この様に内外だけ合えば、それでよいのでしょうか。その次は、神様のみ旨と一致する事をしなければ成りません。そうするならば心に何もない事があり得るでしょうか。体が嫌がる事があり得るでしょうか。心と体が喜ぶ事をしなければならないのです。神様が存在するなら、神様が喜ばれる事があるというのです。またイエス様が神様の息子ならば、イエス様もその様な事を喜ばなければ成りません。

             *

 神様を愛さずにはサタン圏内を抜け出す事が出来ないのです。それ故に、自分の妻よりも、自分の夫よりも神様をもっと愛さなければ成りません。堕落した人類がサタン圏内の愛のわなから家庭の位置迄出てきましたが、まだ完全に出てくる事は出来ませんでした。故に自分のお父さん、お母さんを神様よりも愛してはいけないというのです。

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 霊界に行ってみれば、昔殉教した信徒の中で「私がこの様に殉教してこそ天国に行く事が出来るだろう」と言った人は、天国に行けなかったというのです。反面「父成る神様が私を探す為に受難の道を歩んで来られ、血を流された。主の恩に報いる為にはどの様な道でも行く」と言って、「その恩に報いる事の出来る位置に私が共に参席出来る栄光の一時を迎えられた事がどんなに有り難い事でしょうか」と言って死んだ人は、間違いなく天国に行ったのです。その様な人は自分の為に生きて死んだのではなく、天地の為に死んだのです。「私がこの様に信じて死んでこそ天国に行く」と言って死んだとすれば、それは自分の為に生きて死んだのです。堕落した人間は、自分の主張をしては絶対に天国に行けません。

 5.地獄は神様の愛と関係ない所

 堕落とは何ですか。堕落したが故に、真っ暗な夜中に成ってしまったという結論が出てくるのです。天国へ行く事の出来るチケットをもらうべきなのに、地獄へ行くチケットをもらったというのです。それを実感するでしょう。天国へ行けるチケットが地獄行きのチケットに変わってしまったのは、堕落の為だというのです。

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 地獄とは何ですか。神様の愛と血統と生命、神様との因縁がない所が地獄です。

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 地獄は、全て遮られてしまって自分一人でいるのです。全てのものを慕いながらも、何も出来ないのです。直感的にこの宇宙の膨大な幸福圏を全て見て感じる事が出来るのに、全然身動きが出来ないでいるのです。それで、レバレンド・ムーンがする事とは何ですか。この様な世界的な思想を中心として天地を愛し、神様を愛する運動をするのです。これは、皆様が未来に霊界にもって行くべき道を今から準備させるのです。この様な準備をするという事は偉大な事なのです。

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 霊界は無限の世界です。私達を包容する故郷は、その様に大きいというのです。永遠な故郷、霊界は本当に巨大な所です。霊界が好きですか。どんなに

大きいか分からないというのです。その世界を活動舞台とするのです。その心が世界的に成って、宇宙的であればそこに拍子が合うのであって、個人主義では駄目だというのです。個人主義は全体と通じる事が出来ないので、どれほど地獄でしょうか。鷲を捕まえて、汚い穴に動く事も出来ない様に閉じ込めておいて、えさだけ与えるのと同じだというのです。鷲はアメリカを象徴する鳥でしょう。食べるものだけ食べて生きるとすれば、どんなに悲惨でしょうか! それが幸福ですか、不幸ですか。悲惨なのです。

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 自殺する事は罪の中の罪です。宇宙を破綻させる為の邪悪な行動です。その様な人は地獄の中の地獄に行かなければ成りません。

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 皆様十分の一の鼻の穴、十分の一の口で息を吸って生きると考えて皆さい。それが地獄なのです。地獄はそれと変わりません。変わらないというのです。受けたい時に受ける事が出来ず、与えたい時に与える事が出来ないのが地獄です。皆様、息を吸いたい時、空気を吸いたい時一度我慢して皆さい。何分我慢出来るでしょうか。息を吐来たい時吐く事が出来ず、吸いたい時吸い込む事が出来なければ、どれほど我慢出来ますか。それが地獄です。

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 霊界では神様の愛がなければ食べる事が出来ません。食べる権利がないというのです。地獄は見ながらも食べる事が出来ない所であり、知っていながらも行く事の出来ない所だという事を知らなければ成りません。それ故に、神様の愛を中心として霊界と肉界が一つに成り得るこの様な価値的な中心を立てておいて、地上で霊肉が一つになった天国生活をした人以外には永遠な理想的世界をもつ事が出来ないのであり、天国を所有出来ないという事を知らなければ成りません。

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 あの世に行って何をするのでしょうか。食べるでしょうか、食べないでしょうか。食べれば良いでしょうか、食べなければ良いと思うでしょうか。それでは食べるのに何を中心として食べますか。愛を中心として食べる様に成っている為に、愛をもっていない人は行って食べ様としても口が開かないのです。それが罰です。

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 世界も混乱しています。それでは、霊界はどうですか。混乱した人間像が霊界に行って集まっているので、霊界は混乱せざるを得ないのです。盗みも習慣になれば、いつも盗みをするものです。ですから、地上で盗みをしていたならば、天上世界に行ってもただを願います。それで、処置が困難なので地獄というものが生じました。地獄は神様がつくったのではありません。ごみ箱を作っておいてから家を建てるのではありません。家を建てて暮らしてみると、ごみ箱が生じました。同じです。既成教徒はみんな根本を知りません。

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 地獄とは何かというと、廃物収集場所です。廃品収集場所なのです。神様の愛とは関係がなく、全て偽りの愛で出発した全人類は、皆地獄へ行きます。それで、天国に行く人は、神様の愛と心と体が一つに成り、夫婦が一つに成り、子女が一つに成って神様の愛を中心として神様の様に生来た人間です。神様も心と体が絶対的に一つに成っているのと同じ様に、男性や女性やその家庭全体の家族が心と体が絶対的に一つに成る事によって、主体成る神様の前に、その家族が対象として一緒に暮らし、この地を離れて霊界へと移動して行くのです。

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 地獄に送る神様が絶対ではありません。霊界に行けば、自分で地獄に行きます。邪悪に生来た人は、善成る所に行けば呼吸が合いません。呼吸出来なく成ります。ですから、仕方なく自分に合う所を探さなければ成りません。地獄の暗い所に行って「おお、ここだな」と言うのです。そこが地獄です。私の様な人は、「地獄へ行っていなさい」と言われても、いる事が出来ません。呼吸が合いません。私がかぐにおいが違い、味を知っているのに……。地獄に誰が送りますか。その様な神様ではありません。地獄は自分が訪ねて行くのです。

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 天国に行けば、地獄にも思いのままに行ったり来たり出来ます。皆様、霊界で制限される人に成りますか、自由天地に解放された人に成りますか。皆様の横にいる人を「ああ、この人は天国の門番だ。番人だ」と言いながら、その門を通過する為に訓練しなければ成りません。「その門を通過しなければならないのですが、貴方が門番ですね。貴方の心をとろけさせ、貴方を感動させ、私が入って行く時、案内してもらえる様にします」と言わなければならないというのです。

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 地獄とは何かと言えば、未来がないというのです。天国には未来があるのであり、地獄には未来がありません。天国に入ったならば未来があるのです。堕落は何処から始まったのでしょうか。堕落とは公的な意味の未来をもたない位置から、自分だけが中心となった所から始まったという事を皆様は知らなければ成りません。「私の為に生きなさい」という道は地獄であり、「人の為に生きなさい」という道は天国です。この様な概念がはっきりと生じるのです。

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 気球があるでしょう。水素を入れれば、ゆっくりすっと上がっていきます。上がって行くのですが、それがどのくらい上がって行くでしょうか。最初に上がって行く時は、無制限に上がって行く様ですが、上がって行くには限界があるのです。自らの重さと均衡が取れる所にとどまるのです。自分と同じ同類の空気圏内にとどまるのです。霊界も同じです。欲深い人は下がって行くのです。重いというのです。ですから、地獄という所は重い者達が集まってぶつかるのです。その様に成っています。

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 もし霊界に白人と黒人が行って、白人が天国に入って行く時、黒人の番人を立て、黒人が天国へ入って行く時、白人の番人を立てたとすればどうするでしょうか。後ろに戻りますか。では、どうしますか。行けないと悪口を言って殴れば「私を殺して下さい。昔は分からなかった」と言いながら、ただ取りすがって「助けて下さい!」と、この様に頼みますか、逃げますか。自分が生前、黒人達に反対した事の何千倍、何百倍生き地獄でしょう。私が神様でもその様に番人を立てます。

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 皆様は、宇宙から何処にも行く事が出来ないのです。何処かへ逃げる、その様な所はないというのです。自分の思いどおりに逃げる事が出来ないのです。宇宙の法と秩序圏内から抜け出せない人間だという事を知らなければ成りません。道に従って行かなければならないというのです。

 皆様は愛の秩序、人倫、家庭、社会、国家、世界、天宙、神様、全体を通じる事の出来る公式的な憲法基準を中心とした、宇宙法の治下に生きている自分自身だという事を知らなければ成りません。自然をはじめとする全ての法が支持し、擁護して、解放圏をもてる道は、愛して「為」に生きる道しかないという事実を知らなければ成りません。地獄迄も……。統一教会の食口は地獄の観念がありません。地獄があるという事実を知らなければ成りません。愛のバーナーをもって行くその道を行く事が出来なければ、もっとひどい、もっと怖い地獄があるという事実を知らなければ成りません。それを分かったでしょう。法廷に立って勝利する皆様に成る様に願います。

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 「私的な事」と「公的な事」という言葉は、はっきりしているのです。公的な事は、大きなものの為に生きる事です。私的な事は、自分を中心にするのです。自分を中心にする事は地獄と通じるのであり、公的な事は天国と通じるのです。

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 統一教会の食口は安物ではありません。聖書を抱えて礼拝に行けば天国へ行き、行くら献金すれば天国へ行くと考える、その様なつまらない群れではありません。それはつまらない群れです。その様なひどい群れではありません。信じたなら、ひたすら最後迄信じるのです。どのくらい凄いかと言えば、自分が死のうと生き様と、夫がつかんで行けない様にしても離婚も辞さずに信じるというのです。その様にもの凄いのです。

 神様がそれを見て、「おい、お前は離婚して私についてくれば、お前を地獄に送る!」と言われますか。離婚をしてでも、け飛ばしてでも正しい道を行くという時、神様が「お前は離婚する事をよく決心したな」と言われるでしょうか。どの様に言われるでしょうか。一度答えてみて下さい。

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 今苦労するのは天国の自由を求める為です。地獄迄も天国につくる為です。地獄に行って裁判長の様な事をしても、地獄で懲役生活をした人達が皆「貴方は全て経たので讒訴する事が出来ない」と言うでしょう。この位置に降りてくる時、高い位置から一段階降りてくる時、世の中ならどんなに大騒ぎするでしょうか。「私がなぜそこに行くのか。私がなぜ行くのか」と言うでしょう。それは兄弟社会ではあり得ない事ですが、父母の心情圏でのみ可能なのです。この上なく高い神様が、地獄のどん底迄降りてくる事が出来るというのです。これが父母であり、真の父母です。自分の顔に傷が出来、体がどの様に成ってもその様にするのです。

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 目をむいて「酒を飲んではいけない。この者達、滅びなさい!」とこの様に言うならば、どれほどいい加減な者達でしょうか。そこには余裕がありません。こうした基督教徒達を見れば、ばからしくて私はうんざりします。「聖句のマタイ福音書何章に引っ掛かった。貴方は地獄に行きます」と言うのを見れば、えい、この者達……。人を殺しても、国を生かす事が出来れば、国を生かす事の出来る道の為に人殺しを釈放する法がないと思いますか。この者達! 

 貴方方はそれを考えるのです……。この様に成長すると……。あの尾根にある大理石の間に根を下ろしたあの小さい松、そこには通りすがりの犬が来てもおしっこも出来ないのです。陰があってこそおしっこをします。おしっこをするのは恥ずかしいので、犬も何処かに行ってくっついてするのです。それは人間よりましです。そうなのです。陰に行ってするのです。なぜですか。人が見るといけないからです。

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 天国へ入って行くのに一番の問題とは何ですか。自分が怨讐だというのです。地獄やサタン世界は自我覚醒から生じたのです。天使長が自分を中心として考えたというのです。深刻に考えたというのです。逆賊とは何ですか。自分を中心として国と主権者を越えて考える人を「逆賊」と言うのです。自分を中心として上がって行くその頂上は、全て逆賊の道と通じるのです。地獄の道と通じるのです。人間自体において敗亡の道と通じるのです。自分を中心とするこの基盤は、死亡と通じるのです。

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 自分が愛を受けるという事は地獄へ行く道であり、サタン側です。私が愛するという事は天国へ行く道であり、神側です。確かだというのです。その様な愛が世の中には一つしかありません。父母の愛一つしかないというのです。子女が「受ける」と言わなくても、しきりに愛するのが父母の愛です。堕落したけれども、父母の愛を通じたその道だけは残っているというのです。神様がそうですから、神様が父母に成るので、その様な愛が人間にも残っているというのです。

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 皆様、終着点とは何処ですか。何処に行ってとどまるのでしょうか。レバレンド・ムーンは、あの世の霊界に行って全ての愛の極点にいるでしょう。北極、南極と同じ様に愛の極点に……。中間で行くら探しても、行くら歩き回ってもレバレンド・ムーンはいないでしょう。いないから「レバレンド・ムーンは地獄へ行った」と言うでしょう。それが易しい事でしょうか。「愛の火だるまの様に北極でも凍え死なない」これが素晴らしい理想であり、素晴らしい思想ですか。それならば、全て成し遂げました。神様も私の中にいます。また世界の人も私の中にみんないます。愛の相続を受けるという人は、私の一族です。それは気分が悪いですか。

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 神様が地獄に行けば、地獄の悪魔迄頭を下げるのです。神様の前には頭を下げるのです。サタンも絶対的な愛には反対出来ません。神様は地獄に行っても地獄が順応しなければ成りません。地獄も神様の所有なのです。神様が行けば、地獄が門を全部公開しなければならないのです。簡単な内容ですが、この全ての存在の作用の原則がこの様に成っているという事を知らなければ成りません。

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 心には境界線がありません。神様を考えて皆さい。神様の心には境界線がありません。それ故に、神様は何処にでも行けます。神様が天国に行来たければ、天国に行くのです。神様が地獄に行来たければ、地獄に行けるのです。何処にでも行けるのです。それは神様の心の中に境界線がないという意味です。

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 服が行くら良くても、死刑場に行く時に着る服はこの上なく嫌なのです。しかし、行くら良くない服でも、妻が愛のみ手を通して作ってくれた服は、限りなく光るのです。愛という内容を中心とした全てのものは、神様が何処でも歓迎するという結論が出てくるのです。地獄に行っても愛の為に地獄に行ったとすれば、神様もそこに共に行く事が出来るのです。ここに愛の地獄をぴたっとつけておけば、どうですか。気分が良いですか、悪いですか。地獄でも、愛の地獄ならどうですか。地獄に行っている人が「この!」と、この様にしていても、「愛の地獄!」とこう言えば、「ほう」と言うのです。それ、分かりますか。そう成ると思いますか。

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 愛する人の為に監獄に入っているのであれば、そこは監獄ではありません。愛する人をもっと光らせ、もっと深く因縁を結ぶ様にしてあげる場所に成るのです。それ故に、真の愛というものは、高さは神様迄、深さは地獄迄全てコントロール出来るというのです。それでは、この愛は人の世界でのみ出来るのでしょうか。違います。万物世界、全ての動物世界もそうであり、地もそうであり、植物もそうであり、全て愛の歌は好むのです。

 皆様が朝起来た時、鳥がお互いに愛する歌がいいですか、闘う歌がいいですか。愛する歌がいいのです。この宇宙では、真の愛をもった所には境界線がありません。境界線がなく何処にでも通じる事の出来る内容があり、神様と地獄迄もコントロール出来る内容がある為に、何処でも境界線を押し倒していけるその様な力があるという事実を皆様は知らなければ成りません。

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 愛が宇宙を存在させる柱になったのと同じ様に、これが地獄を成す柱に成っているという事実を知らなければ成りません。この様になったのを直すのは、どれほど大変でしょうか。何百パーセント強い漂白剤で細胞を全て洗っても、これが根源に成っているので、また染まるのです。

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 真の愛の力だけが一〇〇パーセント一つに出来ます。「真の愛」と言えば、神様も「うん」と、地獄にいるサタンも「うん」と、世の中も全て「うん」と言うのです。何の力が一つにさせるかと言えば、真の愛の力が一つにさせるのです。「先生のその話は違います」と言う人がいますか。

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 最高の頂上の神様がいらっしゃる所と、地獄の最もどん底にいる人間世界の間に、ケーブルカーを置こうというのです。そのケーブルカーの綱は何の綱ですか。お金の綱はすぐに全部切れてしまうというのです。お金の綱では駄目です。では、知識の綱で出来ますか。権力の綱でも出来ません。上下を超越した愛の綱をもって、その綱にケーブルカーを連結しなければ成りません。

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 クァンデノルゥム(注:陰暦一月十五日にする全羅道の民族祭り)とは何ですか。クァンデは遊んだり踊ったりするのです。その時に行って踊る事が出来なくても、リズムは取らなければ成りません。「ああ、統一教会の教主としてそれにリズムを取れば地獄に行く」というそんなつまらない神様ではありません。神様は、とても傑作な神様なのです。神様がその様な犬の足のつめより小さく、ありの前足の様に心が狭い神様ではありません。口を開ければ空気を全て吸い込んでも余るほどの偉大な神様である事を知らずにいたのです。

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 神様の摂理から見ると、霊界に行っているこの人達はみんな地獄に送って、その残りの人だけ救援摂理をするでしょうか。神様が真の意味の愛であられるならば、その愛の限界は何処でしょうか。この様に反問すれば、その地獄の限界線迄越えた救援摂理の完成を願う神様ではないでしょうか。この様な答えが出てくる様に成るのです。

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 人間の心は固い石ではなく、氷なのです。そこにはありとあらゆるがらくたが一つに成って凍りついたというのです。これを溶かして、がらくたはみんな片づけてきれいな氷の塊を作ろうというのです。きれいな水で氷の塊を作って神様が召し上がる事の出来る氷にし様というのです。「氷の中にはサタンが好む事の出来る氷があり、神様が好む事の出来る氷があるが、神様が好む事の出来る氷に成ってみ様」と、その様な考えをしてこそ、地獄の氷の塊から天国の氷の塊に復帰出来るのです。

 6.天国と地獄は自らが選択する

 天国へ行くか、地獄へ行くかは自分自身が決定するのです。レバレンド・ムーンが決定するのでなく、神様が決定するのではなく、自分が決定するのです。不平を言えば地獄であり、不平を言いたい時に感謝していけば天国だというのです。

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 神様は猜疑心や嫉妬が深くて地獄をつくったのではありません。偽物が生じたので、偽物を処理する処理倉庫として地獄をつくったのです。誰がごみ箱を先に作って家を建てるでしょうか。キムチを漬け様と良い白菜を買って来たのに、漬けてみると虫の食ったくず葉の様なものが出て来たので、ごみ箱に入れる様に成るのです。堕落は人間始祖が犯しました。それ故に、これを蕩減して罪を清算する為には、真の父母の資格をもってこそ可能です。

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 今迄人間世界に生まれた人には、神様が救う事の出来る条件が一つもなかったので、皆地獄行きでした。虫が食べてうじがくっついたので、豚にでも食べさせて、ほかに使おうかと思って仕方なくもっていって保存した所が地獄です。地獄と楽園があるのです。この様に言えば、天国は空いているという話を実感出来ます。

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 堕落の血統を受けて生まれたその日から今日迄、全世界の人類が心を尽くして神様に侍った一日があったのかと言えば、ありませんでした。堕落する前に私達の先祖アダムとエバは、創造理想を通して育ちましたが、心情の因縁を立てて神様に侍った事がなかったというのです。

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 地獄とは何ですか。神様の愛と血統と生命、神様との因縁がない事が地獄です。行くら地上でよくやり、行くら地上で努力したとしても、神様を中心とした天国とは関係を結べない地上世界に成りました。これが地上の悲惨さであり、悲痛だというのです。

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 神様の恨とは何ですか。心情を中心として神様に侍るべき人間が、侍る事の出来ない位置に落ちた事です。心情を中心として侍られるべき神様が、侍ってもらえないのです。信じる者がいない事が恨ではありません。神様を知る者がいない事が恨ではありません。心情を通して神様に侍り、心情を通して神様に対する事の出来る人がいない事が天と地の恨です。

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 自分を憎まなければならないのです。この体を憎まなければ成りません。私の体に怨讐の血が蠢動するのですが、これを刀で切る事も出来ず、燃やす事も出来ない私自身である事を知らなければ成りません。神様の保護を受ける事の出来ない位置に立って、万物を消化して消耗する消耗工場に成っているという悲痛な事実を知らなければ成りません。

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 天国と地獄が何処から分かれるかと言えば、聖書をよく知り、弁がよく立つ事によって天国と地獄が決定するのではありません。実績と心情が問題に成るのです。結局、天国と地獄の境界線は、心情の境界線、実績の境界線に左右されるのです。

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 あの世に行く様になれば、愛の理想に符合出来る素性を訓練して備える事が出来なかった時には、反発作用が及ん出来ます。誰かが「地獄に行け」とは言いません。それ故に、聖書では「怨讐を愛しなさい」と言いました。真の愛は、怨讐にその愛が及んで一次、二次、三次、四次さえ過ぎる様になれば、怨讐は必ずなく成ります。この様な偉大な力をもっているので、イエス様も「怨讐を愛しなさい」と言ったのです。

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 人間が地獄で死んで行くのを見れば、神様は永遠に生かしてあげ様ととても気をもむのです。そうであってこそ天の父母の立場で責任を全うするのであって、「えい! 皆掃き捨て様」と言えば、父母の立場に立てないのです。それ故に、地獄迄解放しなければならないという論理が成立します。

 息子が自分を生かす為に気をもむ父母の情景を見れば「私のお父さん、お母さんが私の為にあの様にしているんだなあ」と思い、計り知れない罪を全て悔い改める様に成ります。その様なお母さんがいて、お父さんがいるならば、その子女は骨が溶けてやせるほど悔い改める様に成るのです。父母によってその様にする事が出来る道が生じるというのです。

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 サタンも人類を救援し様という神様の愛の前では讒訴出来ません。父母の愛を通して悔い改める者を許せないという道理はありません。その様な心情を通して地獄迄も解放しなければ成りません。それが真成る孝子として行くべき道ではないでしょうか。それで、統一教会では地獄迄も救援してあげると主張するのです。なぜでしょうか。それは神様がその様な方であられるからです。

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 地獄という所は、一度はまれば永遠に脱け出せない所です。それでも、皆様は自分のお父さん、お母さん、そして親戚が地獄に行くという事を実感出来ません。ただ「どうにか成るだろう」と思って、それでおしまいです。しかし、愛する父母が本当に地獄に行くと考えて皆さい。この世の監獄にさえ入ると成ると、泣いたりわめいたりしながらありとあらゆる事をしてでも引っ張り出そうとするのが人情であるならば、まして天情によって結ばれた息子、娘が、自らの父母と親戚、兄弟と姉妹が永遠に出てくる事の出来ない監獄に行くという事を知れば、その様な考えをするでしょうか。

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 三 霊人と地上人の関係

 1.霊界は善の霊界と悪の霊界に分かれている

 今迄霊界に行った霊人達は、皆分かれています。霊界では横的には通じません。縦的にはこの程度で通じるのです。

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 霊界は二つの群れに成っています。霊界はサタン世界と神様の世界に成っています。霊界のサタン世界から善成る神の世界へ早く行ける道さえ出来れば、地上は自然に解決するのです。その道はどの様なものですか。霊界のサタン世界に行ってサタンの個人、サタンの家庭、サタンの氏族、サタンの国を全て神側に引き継ぐ秘法さえもてば、それが可能だというのです。霊界にその様な時が来れば、地上にもそれが反映されるので、全ての変遷が速く、その世界へ転がって越えて行くというのです。

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 霊界がどの様に発展し、どの様に動いてこの地上と関係を結んで行くのかという全般的な内容を知らなくては、霊界をはっきりと知る事が出来ません。霊界と言えば、善の霊界と悪の霊界、この様に二つに分ける事が出来ます。その世界は実在する世界です。地上世界の人には分かりませんが、そこは確実にある世界だというのです。

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 霊界は、様々な部類の役事をもっています。所が、その霊人達は思いのままにここに来て仕事をする事が出来ません。遮られているというのです。それで、宗教によって橋を架けないと特定の人以外には再臨出来ません。ユダヤ教の中でも派閥が生じました。霊界から降りて来る時、その主流が直線ではありません。ユダヤ教の別の系統が精誠を尽くせば、その主流が移されて行ったり来たりするというのです。

 ですから、霊界にいる人が降りて来るには、直線に該当する人以外には降りて来る事が出来ないというのです。再臨の役事の協助が出来ないというのです。そして一世紀がたてば、その人も霊界に行くのです。霊界に行って次の時代に来様とすれば、やはりこの様な原則で降りてくるのですが、特定の霊人以外には降りてくる事が出来ないのです。

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 霊界の塀はだんだん多く成ります。ますます複雑に成ります。その次の世代が皆霊界に行くのです。それで、ますますこれが大きく成るのです。これが全て壁です。今の時は世界的時代です。どんなに複雑か考えて皆さい。ここでこれを探してこ様とすれば、どんなに回りに回ってこなければならないのか考えて皆さいというのです。ですから時になったら塀を押し倒さなければならないのです。霊界から降りてくる道と入る道をつくっておこうというのです。これを統一教会がするというのです。

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 神様の本然の理想世界、本然の人間が行く事が出来る理想的な善の圏に向かって行くにおいて、善霊はそこに前進し様とし、悪霊はそこをふさいでいるのです。悪の霊界と悪の世界というのは、いつでも通じるのです。いつでも連絡がつきます。善霊は悪の世界で対立して反対される位置で生来た霊です。それは宗教を信じて逝った霊人です。

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 霊界でも、善の霊人と悪の霊人が闘争しているのです。霊界にも闘争があるというのです。善霊は悪霊を先導して、良い所に行けない様にするのを遮ろうという闘いを続けています。サタンを中心として悪霊が連結しているのですが、その悪霊の統治圏内に今日地球の人間が生きているのです。なぜでしょうか。今迄逝った先祖は善霊でも悪霊でも全て霊界に行っている為に、その善霊も堕落した世界と区別されたという条件をこの地上で立てて善の方に立っているだけなのであって、神様が御覧に成る時、完全な善の位置に立っていないというのです。

             *

 あの世に行けば人を殺した者、殺された者、もろもろの人が一箇所に集まっているので、そこでは刃物で相手を脅かしたり、復讐し様とする事も起こるのです。ですから、数多くの塀でふさがっているのです。それ故に、悪霊が怨讐の子女を訪ねていって事故に遭わせて連れていったりする様な事が起こるのです。これを全て解かなければ成りません。これを解く為にはまず地上世界で解かなければ成りません。解くにはもっと良いものを与えなければ成りません。死ぬ事よりもっと良いもの、怨讐関係になった事よりもっと良いものを与えなければ解く事が出来ません。

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 イエス様は、この地上において十字架で死んだ事だけでも無念なのに、死んで三日間地獄に行きました。それが試験です。人間には死が最高の恐怖ですが、イエス様には地獄に行く事が最高の恐怖であるというのです。それでは、イエス様はその地獄で恐怖の主人になったのでしょうか、でなければ幸福の主人になったのでしょうか。イエス様には地獄に行って三日間苦痛を克服する為の試練がありました。

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 何をもって霊界を解放して、神様を解放するのでしょうか。この様な関係は人間の先祖が成し、天上世界迄めちゃくちゃにしたので、子孫は先祖の過ちを償わなければ成りません。真の孝子になろうという子女なら、父母が負った負債を返さなければならないのです。その様な意味で霊界にいる先祖のふさがった塀を崩す運動をしなければ成りません。そうする事によって先祖が訪ねてきて皆様に教えてくれる様に成ります。これは夢の様な事実です。

 2.霊人達の霊界での立場

 肉的世界はサタンの活動舞台であり、霊的世界は神様の活動舞台に成って、いつも行き違いに成ってきました。これが復帰摂理時代に恨の要件として残っている事は間違いない事実です。これが行き違いに成る様にしてはいけないのです。神様を中心とした心の圏と神様を中心として統治を受ける体の圏を準備しなければ成りません。生活圏内でこれをどの様に発展させるかで、統一基盤の基準が確立されるのです。

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 統一教会が統一する為には、霊界から統一しなければ成りません。皆様、霊界を知っていますか。私達統一教会の群れは霊界を知らなければ成りません。霊界を統一しなければ成りません。霊界を統一する事は易しいと思いますか。霊界の統一なしに地上の統一はありません。今日、この地上の闘いは、本当に大変でしょう。地上の闘いが大変です。しかし、霊界の闘いは地上の闘いよりもっと大変です。この様な事を考えると、今日統一教会の食口は、難しいという形容詞を口を開けて言う事が出来ません。

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 理想を探し求めて行く過程で、霊的なものと肉的なものが一つに成るのは何によってでしょうか。霊的な世界は霊界で、肉的な世界は地上世界ですが、霊的世界と地上世界を一つにするには、入れ変えなければならないのです。自分の物をもっていてはいけません。全て与えてこそあちらが来て、また向こうから全て与えてこそ、こちらがあちらへ行くのです。失った位置へ行くのです。

             *

 私達が今後霊界と肉界を連結させるには、まず世界的な信念の自覚、統一的な理念の自覚をし、世界的に打開する為の受難の道を甘受していかなければ成りません。この様にするならば霊界と肉界が自動的に一つに成り、ここから統一が展開するのです。統一の道を行く方向が決定するというのです。

             *

 霊界を統一する前に肉界を統一出来ますか。出来ません。それが原則です。それ故に、先生は霊界を統一する為に、肉界にある統一教会の群れを死地に追い詰めるのであり、無慈悲に打ちのめすのです。その様になれば、霊界は皆様に協助せざるを得ないというのです。皆様が悲惨な位置に入っていけば入って行くほど、それを中心として、霊界は霊界成りに団結する様に成るのです。皆様が深い位置に入って行く様になれば、三千万の民族の中に天国圏が展開するというのです。この圏は、以前から地獄に行っている者迄も含まれるのです。

             *

 この世界は悪魔の世界です。悪魔の世界を訪ねなければ成りません。皆様は、いつ死ぬか分からないでしょう。誰でも死ぬのです。死の峠を越えて往来出来る基盤を地上に築いていかなければ、地上天国が出来ないのです。地上天国が出来なければ、天上天国は出来ません。皆様が霊界に行っても、この地上に思いどおりに来る事が出来る様にしておかなければ成りません。それでこそ地上天国で暮らし、天上天国が成し遂げられてそこで暮らす様に成るのです。

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 あの世は物質世界を超越した世界です。あの世は知識の世界を超越した世界です。時間と空間を超越している世界なので、昨日の喜びが今日の喜びに成り、今日の喜びが明日の喜びに成り得るのです。この様に見ると、その本質の世界は、今日、人間世界に生きている私達が必要とし、重要視する内容を中心としては動かないという事です。全ての霊界生活における価値的な中心とは何かという事が重要なのです。

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 私達は、三時代の使命を完結しなければ成りません。霊界に行っている霊人を解放し、今日この罪悪の世に生きている人々を解放し、今後来る後代の人もここから解放し様というのです。この様に三時代の解放圏をもってくるのです。これは膨大で途方もない事です。この様に夢の様な内容が事実として現れれば、どの様に成るでしょうか。目がまん丸く成り、口はとめどなく開き、耳はそばだつかもしれませんが、頭は下げる様に成るのです。

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 今日、地上に生きている人が、好きでも嫌いでも誰彼を問わず、皆帰ってとどまる所が霊界です。そこには未開人から文明人迄、歴史時代に生まれて逝った千態万状の多くの人間が集結しているというのです。今迄の人類歴史が平和を中心とした人類歴史に出来ず、幸福を中心とした人類歴史に出来ず、理想を中心とした人類歴史に出来なかったとすれば、霊界に行っている人々はどの様に成るでしょうか。どの様に統治されるのでしょうか。ここで生来た人があの世に行って突然変わる事は出来ません。「三つ子の魂百迄」という言葉があるでしょう。もって生まれた性格は直すのが難しいのです。

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 あの世に行っている霊人体は、私達の今迄の生き方と特別に違うのでしょうか。突然に変わるのでしょうか。その様な事はないのです。ここで生来た、その姿どおりに収穫されて行くのです。霊界に行っている全ての霊人体は、結局は地上で生来た人々の霊人体です。その様に見ると、今日この人達が生きている世の中と、別に違わない世界だというのです。

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 あの世は、どの様に連結して行くのでしょうか。あの世においても、現在の立場より明日の立場が良く成る事を願うのは同じです。地上で暮らす人間が生活する中で、昨日より今日が良い事を願い、今日より明日が良い事を願うのは共通心理です。西洋人でも東洋人でも、過去の人でも今の人でも未来の人でも、誰彼を問わず、現在生きている事よりも良く成る事を願うのは共通心理なのです。これは変わりません。霊界に行っている全ての霊人体も、それと同じなのです。現在よりも良くなればよいというのです。地上生活した時よりも良く成る事を願うというのです。

 3.霊人達の完成も地上人を通さなければならない

 今迄世界はサタン世界だったので、悪人が国を動かすのに先頭的立場に立ったのです。しかし、善人はその反対にいるので、霊的な天使世界が先祖の善の実績をもった子孫を訪ねてきて協助し様とするのですが、協助し様とするその対象は高い位置の人ではありません。反対の位置にいる人だという事を知っている為に、高位層だけを考えてはいけないのです。

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 先生も同じです。生涯へとへとに成りながら世界を見回り、家に行けば何も残っているものがありません。そうして見ると、一つだけ彼らの前に植えつけた事とは何かというと、夜が来ても、季節が変わっても、先生を思慕する心だけが大きく成って行くという事です。どの国に行ってもその村に真の愛の心を、思慕の心を中心として生活すれば、天使が来て活動出来、善の先祖が来て堕落と関係ない遊び場と成って、希望の峰に成るというのです。

 霊界にいる霊人達が地上に来るとしても、いつでも来る事が出来るのではありません。皆一年中の一節気に従って、自分の心の門が合うのです。ある時は皆様の友達にも良い時があり、悪い時があるのです。心の門が合えば、この地上に霊人達が来て協助出来る様に成るというのです。

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 主流宗教は、全てイスラエル民族圏を通して行くのではないのです。主流圏を全て変えて、この様に出てくるのです。その霊を通して協助し、再臨の役事をしてきましたが、これから統一教会を信じて行く皆様においては、主流宗教圏の全ての権限を平準化させたので、皆様の先祖が皆、これからは統一教会を信じる人を中心として一つに成ります。

 先祖は、皆様より先に生まれたから天上天使です。先に造ったのは天使と同じで、私はアダムと同じなので、自然に天上の位置にいる先祖は、今アダムとエバの位置にいる子孫を後援する事が原則に成るというのです。ですから易しいのです。しかし、地上で築かなければ成りません。霊界でするのではありません。心情圏は地上で築く様に成っているのです。

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 過去にアダムとエバを守るべきだった天使は堕落させましたが、今や先祖はその様な事をしないというのです。子孫は全てその天使長の息子、娘です。その様な立場で、自分の先祖が来て後援出来る基盤に成るので、先祖が霊界において讒訴する条件を立てない生活をしなさいというのです。それが原理原則に出ているのです。原理原則に従って生きなさいというのです。生きながら実践しなければ成りません。実践すれば霊界が協助する様に成っていて、そうすれば必ず発展する様に成っているのです。問題はそこにかかっています。

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 さあ、会ったので決断をしなければ成りません。何を中心として決断しますか。韓国が生きるか、死ぬかという問題を中心として、神様が願う位置に立って生きる為です。それはこの民族に対する先祖が願う思いであり、神様が願うみ意であり、今日この四千万の民族が願う心であり、私達後世の者が願う心です。この様な歴史的な起点においてこの責任を果たせない時は、全ての先祖の怨声と、現時代の民族の怨声と、後代の子孫の怨声を避ける事が出来ません。

 皆様は、皆様の先祖の中のいか成る先祖よりも、現在この時代の誰よりも、後代のいかなる子孫の誰よりももっと深刻な位置に立っています。その様な哲学をもって生きなければ成りません。その様な生活哲学をもって生きて闘いながら身悶えするので、神様が協助するのです。その様になれば相手が滅ぶのです。理由がありません。コーナーに行くのです。貴方が落ちるか、私が落ちるか。これほど追い込ん出来ました。

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 文化圏が行くら違うといっても、生命の連結や愛を中心として連結する根本が一つなら、どの様にしようとそれを中心として「私達は絶対的に一つだ」という概念をもつ事が重要なのです。人は「絶対的に一つ」という概念が重要です。日本人も、韓国人も、中国人も、西洋人も、絶対的に一つです。それで、現世に生きている地上人も、霊界に行っている数多くの霊人達も、全て根本は一つです。出発して、結局は霊界に行ってとどまるというのです。

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 横的な面において自分の先祖が皆来て、先祖が橋を架けてくれるのです。先祖は天使長であるが故に、再創造するのに協助して真の父母の愛の因縁に従って上がって行くのです。地獄にも、門が開いて天上世界へ上がって行く事が出来る道があるが故に、自分達が教育を受けて……。

 自分の父母、先祖が天使長でしょう。しかし今は、神側を滅ぼす天使ではありません。堕落した世界を滅ぼす天使、蕩減復帰の原則によって反対の立場で、昔と違って天を滅ぼす位置ではない神側の天使長の使命を果たして、自らの子孫、アダムと同じ立場の者を協助してあげるのです。霊界にいる霊人達が協助する、その様な事が起きるのです。その様にする事によって、その霊人達も地上人の様に越えて行く事が出来るのです。

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 霊人達は、現在の自己の位置で解放され様とするなら、地上人を通さずには苦痛を免れる事が出来ません。また犯した罪を脱ぐ事も出来ないので、自分が生来た所に必ず訪ねていきます。自らの血縁や関係のある人に訪ねていって信号を送ります。

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 霊界に行っても来る事が出来なければ成りません。しかし、地上に天国を成せなければ、地上に来る事が出来ないのです。これは妄想ではありません。その様に成るのです。永遠にわたってしなければ成りません。先祖が皆責任分担と蕩減条件に引っ掛かり、霊界に行って、行くべき道を行く事が出来ずに、地上に再び降りて来て蕩減するのと同じ様に、その道を皆様が残してはいけないというのです。原理のみ言が事実なら、皆様はそこに引っ掛かるのです。

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 先生が皆様に厳しい生活をさせ、苦労させる事は皆様が憎くてそうするのではなく、皆様を生かしてあげる為にするのです。全て皆様を生かしてあげる為である事を知らなければ成りません。皆様を生かしてあげる為に苦労させるという事を知って、有り難く思わなければ成りません。そうすれば天の心情世界、新しい心情世界が展開するのです。その様にする事が順序です。その様にして心情的紐帯をもってこそ、天の命令ならば何処でも飛んで行く事が出来るのです。世界を引っ張って行く機関車の様な責任を果たすと言えば、霊界が協助します。その様な考えをすれば霊界が間違いなく協助します。

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 皆様は霊界に行くのが良いですか。地上の皆様が霊界に行くという心と、霊界の人が地上に再臨するという心のうち、どちらがより切実でしょうか。原理的に見ると、皆様がもっと熱烈でなければならないでしょうか、霊界がもっと熱烈でなければならないでしょうか。霊界は天使長の世界で、ここはアダムとエバの世界、息子、娘の世界です。息子、娘がもっと熱烈でなければならないのであって、僕がもっと熱烈でなければならないのでしょうか。

 皆様が霊界を協助する様に成っていますか、霊界が皆様を協助する様に成っていますか。霊人が協助し様と待っているのに、なぜ待つのですか。地上に天国を成す為のみ旨に協助しますか、皆様が豊かに暮らそうとする事に協助しますか。地上に天国を成す為のみ旨に協助するのです。

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 霊界を中心として見れば、悪霊がいると同時に中間霊がいて、善霊がいます。蘇生、長成、完成の三段階にとどまるのです。三次七年路程が連結する事によって、善霊が地上に連絡出来る道が生じるというのです。その様にする以外にはありません。蘇生、長成圏がサタンの主管圏内にとどまっている為に、悪成る勢力の版図圏内にいる悪霊が主導的な役割をしながら世界を全てこの様にしてきました。

 これからは霊が交差し始めるのです。交差する時は、霊界が降りてくるのですが、悪霊から降りてきます。交差する時は、中間霊界を越えて善の霊界へと越えて行く時です。これを越えて行く日には、善霊と善人は上がっていき、悪霊と悪人は下りて行くのです。今迄は善悪がお互いに上がったり下がったり交差しながら、混ざって出てきましたが、これからは善と悪が完全に分かれる事の出来る新しい次元の時代へ入って行くと見るのです。

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 人間が知らない霊界の霊人を動員して証させる事の出来る基準が、「私」に立っているかが問題です。霊界もその様な事を要求しています。霊界は神様の心情を知っているので、地上でその様な人が訴えれば、霊人達を動員して天国理念の実現の為の地上のみ旨に協助する様に成るというのです。霊界の霊人達がこの地上に来る事が出来ない原因は、この地上が嘆きの垣根に成っているからです。

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 これから皆様は祈祷して下さい。「先生のみ言とともに、善霊は再臨して、この地上にいる悪の子孫を、善の貴方の懐を通して天国に導いて下さい」と命令すれば、その命令が可能な時代に入るというのです。私達はアダム時代圏内で生き、霊人達は天使世界圏内で生きるので、アダムの為に天使が協助すべき原理原則があるので、動かざるを得ないという結論がしっかりと出てくるのです。

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 早朝起きてその町内の為に、自分が引き受けた責任地域の為に祈祷しながら涙を流さなければ成りません。その道は心情的でありながらも、また霊界と霊的な因縁を結ぶ道です。神様が町内を見下ろせば、皆地獄に行くしかない人間なので、涙を流さざるを得ないのではないかと思って、神様の代わりに自分が涙を流すという事を自ら感じるというのです。神様の心情で涙を流せる共鳴力が生じれば、霊界が総動員するのです。

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 皆様は伝道が出来ない時にも伝道をしなければ成りません。石を海に投げるのと同じです。それで海水を全て埋めて、山に成る迄果てしなくするのです。そうする事によって、私が心情的に成長するというのです。体は何も変わらないけれども、心情が育つというのです。

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 今迄の六千年の歴史は、アダム一人を探して来た歴史です。アダム一人を再創造する歴史です。それ故に、皆様は先生についてこなければならないのです。エバはアダムが出てこなければ創造出来ません。それ故たった一人のアダム、たった一人の男性を創造するのです。その一人を創造する為には、復帰摂理の途上に生まれて逝った数多くの人々の血と肉が材料にならなければ成りません。

億千万の霊人達の怨恨がここに一つにならなければならないのです。そして、この実体が登場する日に初めて、激しい迫害の中でも血を流して死んでいった殉教者は、苦労した甲斐を感じる様に成るのです。

 例え、霊界にいるとしても、地上にいる実体と関係を結ぶ事によって、自分達にも解放が来るのです。この様に成っています。それが観念的に漠然としていては成りません。この自覚をどの様にするかが問題です。

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 私達は、横で誰が何をしようと、食べてい様と、休んでい様と関係なく、その道を行かなければ成りません。前には、数千名が一様に皆行っているというのです。紐を引きながら休まずに精誠を尽くして苦闘しながら行けば、他の人もその紐を巻き上げてくれるのです。その様にしながら、多くの人々がそこから落ちる事も感じる様に成るのです。

 マラソン大会をするのと同じです。走ってみれば一等もあり、二等もあるのです。歴史がそうです。今迄数千年間、数多くの霊人がその紐を結ん出来ました。その中で一等であの世に行って、その巻く装置と因縁を結んで丸ごと巻き上げれば、霊界と肉界が復帰されるのです。

 4.霊界の協助と確信

 今や霊界がこの上なく近い距離に来たので、善の霊人達が地上に定住する時代が来たのです。来て暮らすというのです。今迄はサタン、悪魔が地上を全て分轄して主管して来たのです。しかし、これからは善霊がその地域を奪って主管するのです。その為に統一教会の食口が涙を流して、血の汗を流して精誠を尽くさなければならないのです。基督教が精誠を尽くした以上、イスラム教、仏教、どんな宗教よりも、私達は切実な心情をもって祈祷しなければならないのです。「貴方方を中心として地上に実体基盤が復帰されたので、霊的基盤を中心とした霊界圏を通して統一教会は前進しましょう」と祈祷するのです。

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 霊界に行っている人々も、私達を通じてこそ救われるという事は知っています。ですから、霊界に行った人々の為に与えれば、霊界の恵みが皆様を訪ねてくるのです。その様に霊界の為に蕩減してあげ、悔い改める人になれば、その霊界が皆様に従ってくるというのです。霊界が皆様を中心として全て動いて行くというのです。蕩減と悔い改めがこの様に重要だという事を知らなければ成りません。

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 霊界は境界線がないので、霊界の領域は終わりがないのですが、何処に行ったとしても「私が協助した。貴方がそこの責任者だった時、その時代に行って協助した」と言うのです。みんな友人です。一つの時代圏内に立っている同僚者に成るのです。先生が話す様に霊界が動員されなければ成りません。霊界が動員されなければ、どの様に天国を形成するのでしょうか。形成出来ません。

 天国は真の父母から始まる様に成っているのであって、今迄の堕落した子孫によって始める様には成っていません。アダムを創造する時、天使世界の協助を受けたのと同じ様に、再創造も霊界から降りてきて全て地上に協助しなければ成りません。そうでなければならない様に成っているのです。原理がそうではないですか。復活原理がそうでしょう。復活原理がそのまま結果に現れてこそ「真」と言うのです。ですから、霊界が先生に対してどれほど喜ぶでしょうか。

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 強い信念だけしっかりともっていけば、皆様の先祖がお母さんや、親戚の誰かを押さえてどうする事も出来ず、口がきけない様に圧力を加えるというのです。「私の話を聞きなさい!」と言うのです。なぜでしょうか。堕落した悪霊は退いて、善の圏内の本然の氏族的基盤を中心として、父母と連結出来る国家的基準迄連結した御父母様と世界的基準迄サタンを押して来た全ての基盤の上に立ったので、サタンを退けて天使長型の霊界にいる皆様の全ての先祖が協助する様に成っています。

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 霊界にいる皆様の先祖もこの世を見下ろしながら、誇らしい子孫に協助したくて地上に降りて来たいと思っているのです。それで、多くの先祖が皆様の周囲に降りてきます。これが氏族を中心とする宗派を超越した宗教世界です。理解出来ますか。皆様の先祖が皆様を信じて、皆様を愛しながら皆様についてい来たがるのです。それで、皆様に協助する為に献身したがるのです。

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 今日、地上では統一教会に入って祈祷すれば、一週間以内に先祖が現れて全て教えてくれます。その様な位置に入ったのです。それはどういう事かと言えば、今迄宗教が世界的な版図を築いて、心情的紐帯によって縦的な行路を築いて来たのですが、それを世界的な横的版図に広げておき、この世界の果て迄連結しておいたので、霊界に行った先祖が氏族を中心として初めて地上に再臨して協助出来る時代になったのです。

 ホーム・チャーチがその様な世界的な版図を縮小させた基盤です。それで、善霊がどの様に成りますか。以前は来て協助して帰りましたが、今は地上に定住するのです。その様な時代に来たというのです。定住、分かりますか。定住といって先生の故郷の定州(注:韓国語で定住と定州の発音が同じ)ではありません。霊界に行った善霊が初めて定着して暮らす事の出来る時代に入るという話です。それで、皆様が統一教会に入って活動するのですが、善の先祖が皆様と共に暮らしながら協助します。それ故に氏族復帰が可能なのです。

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 世界的な時代に入った皆様は、個人的な立場にあったとしても、世界最高の聖人と連結しているので、必要とする時、彼と同じ心性をもって、彼と同じ心的な生活をした人には、何処でも縦横無尽に協助出来る基盤が霊的に出来てくるというのです。それで今、統一教会の動きに伴い、全世界の各国の愛国者は、統一教会の基盤を中心として、その背後に囲いを巡らして全てこの地上に再臨し、定住しています。

 これは部隊で言えば、その国の民族の何十倍、何百倍にも成る人々が死んでいったのではなかったでしょうか。その人々が来て陣を張って拡大工作を待っているというのです。それ故に、全ての宣教師は国家的な運動をして総動員し、霊界と共に全体を代表し、犠牲を覚悟して総進軍命令を下せば、その霊が協助する様に成っています。

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 今迄の宗教は霊界と肉界を連結させる事が出来なかったので、霊的な精誠を尽くして縦的な面に拍子と波動が合って初めて接触出来ましたが、今はその放送局自体に入りました。振動盤の様な位置に立ったというのです。波動ではなく、波動を起こす送信機自体だというのです。

 ここで何千周波数にしようが、何十周波数にしようが、短波にしようが、くっつければ波長、電波を全て出せます。私が放送局をもったので「霊界にいる私達の先祖が来て、私に協助して下さい。善の先祖よ、来て協助して下さい。その様なバイブレーションが必要です」と言えば、さーっと来て……。個人を呼んでも動かす事が出来、家庭を呼んでも動かす事が出来、氏族圏、民族圏、世界圏を中心として連結させ得る踏み台が地上に出来て来たので、それが動いて降りてくるというのです。

 この様になれば、今迄私の体は、この様に行こうとしたのですが、我知らず回ってみんな引っ張られて行くのです。二つの霊人体が来て一つをつかんで引っ張れば、自分自身はそのつかんだものが分からないので引っ張られて行くのであって、仕方ないでしょう。一人で走って入って行くのです。皆様、それを信じますか。これは空論ではありません。理論的です。

             *

 統一教会が動けばマホメットが協助し、儒教、仏教の代表者が皆協助し、神様も協助するという話は理論的だというのです。ですから、私は人類を代表し、霊界を代表し、神様を身代わりしているので、全体が協助する立場で動くという自負心をもたなければ成りません。

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 今迄御父母様に対して霊界が支持出来ず、協助出来ない理由は、完成した父母の位置には堕落した霊界が協助出来ないというのです。本来、原理がそうでしょう。完成した父母の位置であるという事は、神様と堕落しない天使長が後援する様に成っているのであって、サタン圏内にある霊が行くら多くても父母を協助出来ないのです。

 今霊界に行っている霊人は、真の父母を通して生まれずに偽りの父母を通して生まれたので、真の父母を協助出来ないのです。しかし、天使長が失敗した全てのものを蕩減し、子女の位置でアダムとエバが育つその様な立場には行くらでも後援出来る様に成っています。それ故に、霊界が協助する事によって、世の中がだんだんと遠からず崩れて行くというのです。

 5.流離する霊達

 皆様、霊界がどれほど大きいか知っていますか。霊界にどのくらい多くの人々がいるだろうかと、考えた事がありましたか。今霊通する人々が言う事を聞けば、一人当たりに三千三百二十余名ずつ霊人達がくっついていると計算しています。私達の側にそれほどいると考えると、世の中に負けるでしょうか、勝つでしょうか。

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 人は百年も生きられない事を考えると、五十億の人類の中で一年に五千万人が霊界へ行きます。地獄に行くのをどうしますか。サタンが蒔いた種を全て天に収める事を神様が願うのに、これが遅れれば遅れるほど、どの様に成るでしょうか。今迄四十年間にどのくらい地獄に行きましたか。数十億人が行ったのです。深刻なのです。あの世に行って霊に会い、「先生が在世当時に私達に対して責任を果たせなかったではないか」と言われれば、何と言いますか。心からでもしなければ成りません。心からでも食口に話して、未来に対しても責任を果たすという行いを中心としていけば、「貴方は驚くべき方です。私達の事を考えて下さいました」と言うのです。

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 今も一日に六万名が死んでいます。今一年に二千万名が飢え死にしているので、一日に六万名です。六万名が死んで行くのを父母、子女、兄弟達が見れば、胸を痛めて痛哭する事情が起こっています。所が、真の父母が同情せず、それに対する対処をしなければ、地上で在世当時に自分達と共に生来たという条件が怨恨に成ります。

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 飢え死にする人よりもっと哀れな者達が、神様を否定する人々です。飢え死にする人は、あの世に行く様に成っても、自分の善意の道理に従った級がありますが、神様がいないという人は、霊界を否定するので踏み台がありません。霊界で雲の塊の様に漂います。さま様霊に成るのです。雲が集まって雨が降るのと同じ様に、集結して全て悪い影響を及ぼすのです。ですから、みんな地獄に行って地獄を困らせるのです。その様な事を十分に知って、彼らを生かしてあげなければならないのでこの事をするのです。

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四 先祖と私達

 1.私達は先祖の結実体

 皆様は皆先祖の代わりとして生まれて来た歴史的な復活体です。その歴史がどのくらいに成るでしょうか。何十万年になったと言います。その様に長い歴史過程を、結局は「私」一人をつくる為に苦労したのです。金氏なら金氏という「私」一人を誕生させる為に、多くの先祖が生まれて逝きました。ですから、私達は歴史的な結実体です。

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 先生は人の顔を見れば、その先祖が良いのか、悪いのか大概分かります。ある人は良い先祖がいて福を受けるかと思えば、ある人は悪い先祖がいて実に苦労ばかりしているというのです。その様な人は伝道し様と任地に行っても、ひどく苦労ばかりします。

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 皆様が基準を立てて統一教会と歩調を合わせていけば、霊界にいる国家的な運勢に従って動いた善の霊人や先祖が、皆様の為に仕事をする事でしょう。皆様は外的に見ると顔が平たく、耳がぐっと入って不幸せに見えるけれども、霊界では皆様を福を受ける人だと考えます。また、十代圏内にある先祖は気をもんでいます。なぜなら、復帰歴史は十代圏を中心として成されるからです。所が、万一悪い子孫が現れれば、十代圏内にいる先祖が「こいつ! お前が私達を滅ぼそうとするんだな」と言って審判します。

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 イエス様が地上へ来られる事によって、それ以前の善の先祖が霊形体級の霊界から生命体級の霊界に入って行く事が出来た様に、皆様の先祖も地上にいる皆様を条件にして再臨出来る特別な恵沢圏内に入りました。皆様がこの様なみ旨を知って勝利の枝になれば、一つの生命体を成し遂げる事の出来る立場なので、皆様の先祖が皆様を協助するのです。この様に皆様は、数千代の善の先祖が再臨出来る基盤にならなければ成りません。

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 霊界に行く様になれば、多くの預言者、烈士達と多くの先祖に会って討論するのです。「貴方は何処から来ましたか。地球の何処ですか。何処の国ですか。何処ですか」と聞いて回想して言うのです。友達同士が会えば自分の昔話をするでしょう。霊界に行く様になれば、皆様の最初のお爺さん、数千、数万の先祖に会う様に成ります。所が、「この者達、どの様に生来たのか」とぞんざいな言葉遣いをすれば気分が良いでしょうか。考えて皆さい。

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 今は、私達を協助してこそ自分達が福を受ける様に成っているのであって、反対すれば反対するほどますますどん底に落ちて行くのです。天運が急変していきます。今後、家ごとに先生の写真を掛け様と大騒ぎするでしょう。霊界で自分の先祖が忠告するのです。それで旗を掲げ、先生の写真を掛けてその前で毎日の様にあいさつする人は、自分の先祖を復活させる事が出来る役事が再び起こるのです。

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 今迄、入り乱れた数多くの霊界に通じる霊人達は、「統一教会に行くな」と言いました。しかし、これからは釈迦、イエス様、孔子、マホメットも統一教会に行けと教えてあげなければ、天法に引っ掛かるのです。なぜでしょうか。先生が言う宗教は、父母の宗教だからです。

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 「私達は、真の父母によって新しい血統の代を継ぐ事の出来る先祖に成る事によって、解放圏が広がる祝福を受けた氏族になったのです。この氏族は永遠不滅の神様の眷属であり、血族に成りました」この様になれば、サタンと完全に決別です。それで、統一教会は先祖を祭る事を認めるのです。

 基督教が祭祀を行う事を認めましたか。統一教会は、今やその伝統を引き継いで打ち立てなければ成りません。これはこの世の伝統ではありません。天の父母、天国、天の先祖に侍る事によって、その継代を継ぐ氏族的メシヤ圏、伝統的な血族を千年、万年侍る事の出来る王土に成るのです。王に仕えて永遠な太平の世を導き得る国に成るのです。その国で暮らしてこそ皆様のお父さん、お母さん、一家、一族が天国に直行するのです。

             *

 皆様が祈祷して霊界と通じてみれば分かると思いますが、霊界では子孫を天の前に近く立てる為に、どれほど努力しているか分かりません。所が、ここでは先祖にでも悪口を言って私だけ満足に生き様としています。

 2.先祖の救いは私達がする

 先祖が住んでいたこの家の中に、自分のひいお爺さん、ひいお婆さんが暮らした部屋に、お爺さんを産み、お父さんを産み、私を産んだその部屋に、お爺さん、お婆さん、ひいお爺さん、ひいお婆さんが愛した愛より大きな愛を残す事によって、天が見れば、愛の光がピカピカ光るというのです。百ボルト、千ボルト、一万ボルト、何億ボルトの光をずっと照らすというのです。その照らす光が何処に行くのかと言えば、先祖、先祖、先祖に上がって行くのです。霊界に行く様になれば、神様を中心とした天国に行くのです。その天国が本来、私達の本然の故郷です。私達の本来のお父さんが神様でしょう。

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 あの世の全ての先祖が皆様の生き方を全て見ています。隠す所が何処にもありません。先祖が全て見ているというのです。霊界に行く様になれば、壁も全て通じるのです。地球も全て通じるというのです。その様な世界に行って永遠に生きなければ成りません。神様の愛の対象として創造された人間であるが故に、神様が永遠であられるので一つの愛の対象に成る存在も永遠に必要だというのです。神様が永遠であられる様に私達も永遠だというのです。愛の相対がなくては永生がありません。

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 霊界が私の手に懸かっており、親戚が私の手に懸かっており、親戚だけでなく国が私の手に懸かっており、今後来る子孫の前に正しい伝統を立てておかなければならないという事も私の手に懸かっています。これをいつも考えなければ成りません。皆様自身一人一人が正しく出来るか、出来ないかによって、霊界に行った皆様の先祖も解放出来、皆様の親戚も解放出来、皆様の子孫は解放の選民として策定されるのです。

             *

 皆様はいつでも「三時代を代表した私だ」と考えなさいというのです。ですから、霊界が私の手に懸かっているというのです。皆様の先祖が皆様自身に懸かっているというのです。過去、現在、未来を全てこの様に集めて、二つを重ねて引っ張っていけば走ってくるのです。その様な使命を果たさなければ成りません。

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 今から世の中が急変します。悪成る人が事故でたくさん死ぬというのです。我知らず死にます。今は蕩減がありません。即決処断時代が来るのです。しっかりしなさいというのです。誰がするのですか。悪魔に蕩減させません。自分の先祖が処理します。今現在祝福してあげたその基準は水平に成っているのですが、ここから落ちていきそうになれば、霊界に入れば落ちないので、失わない為にも連れていかなければならないというのです。その様な時代が来るのです。先祖が薬をくれ、病気を与えます。先祖が「真の御父母様の写真を置いて侍りなさい」というのです。

             *

 天地が願う以上の切実な心をもって協助を受けなければならないのです。みんなその様に行くのです。三代です。三代なのです。自分の先祖が一代、それから自分が二代、息子、娘が三代です。そこに切実な心で縛っておけば、新しく生まれるこの地上の三代圏の子孫が、父母と天上の先祖に迄及ぶ様に成るというのです。そうでしょう。

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 この地上に来て協助し様とするなら、自分が先生の母として立つ事の出来る位置を整えて来なければならないので、今来たと言うのです。皆様によって復活をするのです。皆様の先祖迄も皆様によって救われるのです。ですから、積極的に後援し様とするのです。ですから、その部落で休まず仕事をしなければ成りません。

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 皆様が一つの鉄則として知らなければならない事は、その地方で生まれた忠臣、愛国者、孝子、教会の牧師達が尽くした精誠以上に精誠を尽くさなければならないという事です。それ以上精誠を尽くしさえすれば、彼らが皆協助するというのです。それが条件です。そうすれば、サタンの讒訴圏以上の位置に立つ様に成るのでサタンが反対せず、霊界の協助によって皆様の先祖が、皆様の子孫に「みんな統一教会に入れ」と霊的に追い込むのです。どの様な事が起きるかと言えば、皆様のお爺さんが協助し様と現れてみんな伝道するというのです。

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 お手洗いに行って座っていれば、霊界では「お前は今日、何々をしなさい」とプログラムを全て教えてくれるのです。その様な凄い事実が起こってくるのです。ですから、街頭にいれば関連する人々は、あらかじめ霊的に全て連絡がついていて、会う事実が行くらでもあるのです。ですから、霊界の協助を受けなければ成りません。霊界の協助がなければ成りません。皆様も今や先祖が協助する様に成っているのです。堕落していない圏内の世界において、アダム完成圏を天使が保護して育て、祝福の位置に行く事が出来るのです。霊界がその様な本然の使命をする事により、天使長圏の霊界が復帰されて彼によって地上圏が復帰されるのです。

 堕落は天使長がしたでしょう。それで、皆様の先祖が来て善の天使長がなすべき事をする事によって、皆様はアダムが堕落しない本然の位置に立って、神様の心情圏内に到達出来るのです。皆様は、その様な道を皆様の先祖が協助する垣根の中で行く事が出来るので堕落圏ではありません。本然の心情圏の勝利圏に立ち、解脱圏に向かって前進するのだというのです。それ故に、天国に直行出来るのです。それが蕩減復帰原理に全て合うのです。先生は適当に言うのではありません。

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 霊界が協助するのです。霊界が協助してその一族、親戚全て、近い群れを全て集めて皆様の前に追い込むのです。この様にする事によって皆様を中心として霊界が、神様を中心として霊界の霊が降りて来てアダムを取り囲むのです。そこは善霊が囲む為に悪成るサタンが侵犯出来ない圏内と成るというのです。それで、その基準を中心として、本然の真の先祖の位置を心情的因縁によって受け継ぎ、新しく植えた基盤が出来たので、その基盤を中心として、皆様の一族のお爺さん、お婆さん、誰彼なしに頭を下げる事が出来ます。

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 今や皆様の先祖が協助する様に成っています。以前は悪い先祖が子孫を利用したのです。しかし、今では善の先祖が降りて来て活躍出来る時が来ました。それ故に、皆様はそれこそ十字架を背負わなければ成りません。氏族圏の十字架を背負い民族の代わりに蕩減し、国家と世界の十字架を背負って、国家と世界の為に蕩減するという人がいなければ成りません。

 世界的理念時代に身を置く事が、国家と民族の希望でしたが、霊人達は今迄高い位置に立てずに、どん底に押さえられているのです。しかし、世界的恵沢圏内で皆様が十字架を背負って闘うならば、皆様によってさっと全て復活出来るというのです。そうすれば、平面的な立場で先祖代々に救援出来る踏み台が全て築かれるのです。それでこそ皆様の一族の解放が起こるのです。私の話が分かりますか。何の話か理解出来ますか。

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 善霊が降りてきて皆様を協助し、先祖が皆協助するというのです。それで、皆様も、以前は誰かが統一教会に反対すれば、冷や冷やして震えたりした事が全てなく成るのです。今では天下が騒ぎ立てても、心は太平だというのです。心が動揺しないというのです。それはどういう事かと言えば、既に時がその様になったというのです。悪成る霊的な雰囲気が私達と接する事が出来ないのです。善の先祖をもった全ての子孫は、じっと見ると、彼らの心は皆様が自分の家に訪ねてくるのを喜ぶのです。また来れば何かを貴いものを与えたがるのです。

 皆様は分かりませんが、心にその先祖が協助する事によって皆様がかわいそうな人を助けたく成るその様な心をもてば、皆様の先祖も恩恵を受けるのです。従って、皆様も発展して……。今は再創造時代なのでアダム圏を天使世界が協助したその道理によって、先祖が天使圏であり、アダムの子孫である皆様を後援し、再創造するのに協助する事によって、天のみ旨の前で成長して行く事が出来るのと同じ位置に立つというのです。

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 お婆さん、お爺さんが死んだとしても私の為によみがえり、お父さん、お母さんが私の為に生き返る事が出来ます。真の愛によって、真の愛を中心として「生き返って下さい」と言えば「よし」と言って、お婆さんが現れ、死んだお父さん、お母さんに会う事が出来ます。その様な道が真の愛にあるので、お婆さん、お爺さん、私達の先祖はみんな霊界にいるのですが、「私がこの様な難しい事があるので協助して下さい」と言えば、さっさっさっとするのです。その様な時代に入ります。教えてくれるのです。

 神様は私達の先祖であり、私達は孫です。ですから「この様に告げるので成し遂げて下さい」と言えば、「よし」と言うのであって「駄目だ」と言わないのです。神様は全て通じるのです。

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 霊人達は霊界で地上人の協助を受ける為に、いろいろな方法を動員して地上の子孫を訪ねてきますが、地上の子孫が解決する方法を知らない為に、だんだん家運が傾いて、行く道が厳しく成るなどの困難が繰り返されます。地上人の助けによって昇進する霊人達は、現在の自己の位置からもっと良い位置に移って行く事で自らの生活が楽に成り、地上にいる子孫の生活もまた平和に成るのです。

 3.祝福家庭と祭祀

 統一教会は先祖を祭る事を認めるのです。統一教会は今その伝統を引き継いでいかなければ成りません。これが今後、真の父母を中心として反対の立場に立つのです。この世、世の中の伝統ではありません。天の父母、天国、天の先祖に侍る事において、その継代を継ぐ主流思想的、伝統的な血族を千年、万年侍る事の出来る王土に成るのです。王に仕える永遠な太平の世を導き得る国に成るのです。その国で暮らして行ってこそ皆様のお父さん、お母さん、一家、一族が天国に直行するのです。

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 先祖が死んだ日になれば、みんな来るのです。そして、先祖の為に祭壇を整えて祭祀を執り行います。先生の写真を置いた部屋で執り行えば、敬礼をしても罪には成りません。餅を作って祭祀を執り行うからといって罪に成るのではありません。

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 選民圏と血統を重要視しなければ成りません。選民圏は長子権です。韓国は長子の国です。韓国が族譜(注:家系図)を愛する民族になったのも、全て血統を受け継いで行く為なのです。先祖を崇拝して先祖に祭祀を執り行うのは悪い事ではありません。今後、儒教思想以上に父母を尊敬する時が来るのです。何の話か分かりますか。

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 お爺さん、お婆さんが亡くなったら墓参りをしなければ成りません。神様が墓に埋められたと思って墓参りをしなければ成りません。そして、私の一代にお婆さん、お爺さんに侍る事が出来なかった恨をその日に贖罪しなさいというのです。

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 長子はどの様に成るのかと言えば、根を深く打ち込まなければ成りません。それは誰も抜く事が出来ません。お爺さんも抜けません。叔父さんも抜けません。それ故に、祭祀を執り行う時は行くら叔父さん、いとこ、八親等、ひいお爺さんがいたとしても長子を先に立てるのです。その様な事を知っていましたか。

 韓国の伝統的な文化背景に先祖を尊重視する事において、長子を前面に立てたのを見ると、この民族は長子権を尊重視する民族であったというのです。それは驚くべき事です。

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 今迄基督教において、祭祀を行う事が出来なかったのも一理あります。祭祀は神様と全人類の真の父母が受けなければ成りません。上の代の先祖が天でまず侍られなければ成りません。所が、堕落する事によって今迄は禁止してきましたが、今復帰時代において祝福を受けたので、今後先祖に侍らなければ成りません。

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 祭祀の日が来れば、祭祀を執り行う時間は長子が決定するのです。ですから、明け方一時にしたのを朝五時にでも出来ます。朝五時にし様としていたのを事情によって朝七時にでも出来、昼にでもする事が出来るのです。誰がそれを決定するかと言えば、亡くなったお爺さん、先祖がするのではありません。長子が決定するのです。

 亡くなったお爺さん、お婆さん達も長子が決定した時間に来てこそ祭祀の膳に対する事が出来るのであって、それが嫌ならば対する事が出来ないのです。地上が中心ではないですか。地で解けば天で解かれるというのと同じなのです。それ故に二つが一つにならなければ成りません。

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 先祖を愛しなさいというのです。先祖の為に生きる事は罪ではないというのです。サタン世界でも先祖の為に生きるのに、基督教では「先祖の為に生きるな」と言うでしょう。しかし、今後天の世界の先祖の為に生きて、またさらに「為」に生きなければならないのです。それで、統一教会は祭祀も認めるのです。基督教では「お、偶像なのに……」と大騒ぎするでしょう。しかし、堕落した世界にいる祝福を受けた家庭は、この様な伝統を子孫に伝授してあげるべき責任があるというのです。

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 韓国の歴史は実に見事なのです。祭祀の時には長子の家で、叔父さんも長子に侍って祭祀を執り行うでしょう。神様の摂理の中で長子の民族をつくる為の歴史的背景があるという事実を知らなければ成りません。この様に知っていれば、韓国民族の優越性がどんなものか、韓民族がどれほど偉大なのかが分かるので、皆様の息子、娘が憶する事がありません。この様な事をはっきりと知らなければ成りません。

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 「長子」と言えば、お爺さんも祭祀を執り行う時は、長子の前でその指揮下に入らなければ成りません。尊敬しなければならないのです。長子の血統、その次は族譜(注:家系図)と血統を尊重視する事実、これは神様の復帰摂理におけるその心の根本の根本を忘れる事が出来ない記録的な歴史性に代わって来たという事実は驚くべき事です。

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 アダムの息子、娘が行くら多くても長子を中心として国が連結するのです。そうすれば、その長子を中心として横にいる兄弟達は広がって氏族に成り、国家に成るのです。長子が系統を継ぐのです。韓国を見ると長子です。実に驚くべき事です。韓国が偉大で、神様の祝福を受ける事が出来るのは、長子を守って来たという事です。最初のお爺さんの息子が長子になれば、ひいお爺さん達や、お爺さんの弟に成る人達は祭祀の時、長子を中心として侍らなければ成りません。長子に仕えて来た事は驚くべき事です。絶対服従しなければ成りません。

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 韓国民族がそうです。長子の歴史、ひいお爺さんも祭祀の時は長子を立てるのです。それは驚くべき歴史だというのです。この話がそうなのです。それより高い血族的な基準、より高い生命基準、より高い愛の基準が関連性をもつ様に成る時は、神様が願う最高の基準として、天を中心とした影響圏を地上に合わせれば、その影響圏に必ず吸収されるので、地上天国に改善する事が可能だというのです。これが全て理論的なのです。妄想ではありません。理論的です。

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 聖子の道理とは何ですか。「聖子」と言えばこれは縦的です。垂直概念を言います。「聖人」と言う時は東西南北の横的です。儒教思想もそうではありませんか。「天」と言えば天子だけが関係を結ぶと考えませんか。ですから縦的なのです。韓国の礼法を見て驚く事は、叔父さんも祭祀の時には長子を前面に立てます。それはなぜですか。縦的です。縦が先だというのです。

五 霊界を知らなければならない

 私は彼らに、「今や科学が先端に来ているので、霊界と接触出来る周波数を研究しなさい」と言いました。霊界の作用は全て振動によって作用するというのです。振動数を通じて霊界と連絡出来る、霊通する人の振動数を発見して霊界を科学的に証する事が出来る時代に入って行くので、「それを研究しなさい」と言いました。霊界に対する内容をずっと説明してあげると、目を丸くしているのです。

 それで、昨日心理学の作用が現象世界にどの様に関係していて、霊界がどの様に関係しているという事を話してあげました。心理学が絶対的な力の作用をするというのですが、なぜそうでなければならないのかという問題について一人しか知らないというのです。

 それは電気がプラス・マイナスで作用するのですが、作用するサークル圏内でプラス・マイナスが力を現すのと同様の現象であるという事を知りません。それ故に、これに対する開拓をすれば、新しい次元の世界が……。未知の霊界を合理的に全て知る事の出来る時代に行けば、宗教時代は全て終わるのです。人類は「神様を信じるな」と言っても神様を信じる事が出来る時代に成ります。これが大きな課題なのです。

 六 審判

 1.神様には怨讐の概念がない

 神様がなぜ人間を創造しましたか。神様が一人でいればよいでしょうか、寂しいでしょうか、喜ぶでしょうか。今日、宗教はそれも解決出来ずにいます。基督教では「神様は大審判主に成り、裁判長に成って、悪い者は地獄に送り、良い者は天国に送る」と言います。神様が裁判長になれば、神様の資格がありますか。それなら怖い神様でしょう。接したくない神様です。何の神様に成りたいと思われるのかと言えば、人類に対して真の愛の神様に成るという事です。

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 「神様が審判主」という論理は神様にはないのです。もし、恨みを晴らすという概念があれば、今後神様の理想世界が出現しません。それ故に、神様には火の審判という概念がありません。怨讐の概念がないので、アベルを立てカインを強制ではなく自然に屈服させるのです。

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 この世でも裁判長が死刑宣告を五回すれば、夜夢見が悪いというのです。もし、神様が億千万の人類を全て審判して地獄に送ったとしたら、地獄に行ったその霊がじっとしているでしょうか。神様を殴り倒そうとするでしょう。夢見がどんなに悪いでしょうか。そんな事をするわけにはいかないかもしれませんが、それが理にかなった話です。

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 全知全能であられる神様が、思いのままに審判して、基督教を信じる人だけ天国に送り、そうでない人は地獄に送り、全て思いどおりにすれば、そこでは理想論を探す事が出来ません。理想というものは普遍、妥当でなければ成りません。何処でも、過去、現在、未来いつでも全て同じでなければ成りません。海水が理想的なのは、深い所は埋めていつでも水平だからです。変わる事がないのです。この様になれば二元論、三元論に成ります。

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 神様は誰も打つ事が出来ません。愛の理想をもって創造した神様が、愛の理想を実践し様という神様が、審判の鉄棒をもって打つ事は出来ないのです。神様は打つ事が出来ません。なぜですか。創造する時に愛の理想をもって創造したので、その理想が実現されなくても打てないのです。もし、打つ様な事が起こったとしたら、打つ伝統、打つ習慣を残しておいては、これを解く道がありません。今日、習慣性という言葉もあるでしょう。それ故に、絶対的な神様は打たなくても絶対的な教化が出来なければ成りません。

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 神様は歴史始まって以来、闘いながら打たれて奪ってくる作戦をします。神様が先に打つ事が出来ません。神様が先に打つ事が出来るという論理を立てれば、審判出来るという原則を神様が立てたという論理が起こります。善と悪を分別すべき責任を神様が負っているという時、善悪の概念が神様自体内にあったという論理が展開される為に二元論に落ちるのです。それ故に、神様は打つ事が出来ないのです。

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 「神様は何をして生きているでしょうか」と聞けば、既成教徒は「玉座に座って悪人は地獄に送り、善人は天国に送る」と言っています。それが神様のする事ですか。皆様、最高裁判所の判事を五年間だけやって皆さい、それが出来るでしょうか。

 自分の息子、娘を審判し、自分の妻、自分のお母さんを判定する事において、死刑の宣告を下すと考えて皆さい。自分のお母さん、お父さんに死刑を宣告しておいて寝る事が出来るでしょうか。苦闘する心の世界の患難を誰が遮る事が出来ますか。国も遮る事が出来ず、世界も遮る事が出来ません。その様な悲惨な位置にいる神様を、一方通行の論理をもって世界平和の主人だと侍る事自体が矛盾しているのです。ですから、既成教会は滅びなければ成りません。

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 皆様は霊界をよく知らないかもしれませんが、霊界に行く様になれば、神様が公義の裁判官に成って「ガンガン(注:木槌でたたく音)、貴方は地獄行き!」と言うのではありません。絶対その様には言いません。神様がその様な神様であり得ますか。人類の父であられ、善の王の中の善の王であられる神様が、地獄に行けと地獄をつくっておいたのでしょうか。予定論の様な事を言う人は狂った人です。

 私は霊界をどれほどよく知っているでしょうか。イエス様の秘密の全て迄皆知っているのです。ですから、聖書の秘密を全て解き、今日誰も分からない漠然とした聖書体制を中心として一貫した思想体制をつくったのです。その様な大先生が誰でしょうか。ここに立っている悪口をたくさん言われる文総裁ではないですか。

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 親は自分の愛する子女が病気になった時は幸福ではありません。神様が、今日の世界人類が亡国の種と成り、地獄の門に向かって垂直に落ちる実情を見ながら胸が痛まずに「お、お前は審判を受けて滅びて行くのだなあ」と言って喜ぶ方ならば、その様な神様は雷に打たれなければ成りません。父母の立場を代表した理想の神様であるが故に、その実情を見てじっとしていられないのです。国の法を無視してでも子女を助けたい父母の心情が隠れている事を考えると、神様も同じだというのです。

 サタンさえいなければ、人間を許して助けてあげたいにもかかわらず、サタンの讒訴から抜け出す事が出来ないので、切ない心情をもちながらもそれに順応せざるを得ないのです。その様な神様の苦痛を誰が知っているかというのです。それを解放してあげなければ成りません。その様にし様とするなら、サタンを処理して地獄に落ちた人を救ってあげる事の出来る息子、娘がいなければ成りません。そうでなくては不可能なのです。

             *

 空の牛車を引っ張って行くのも大変なのに、神様はこの世界人類を逆に引っ張って行くのです。これは順路ではありません。逆に引っ張って行くのです。逆路の道を行くので、逆に引っ張っていかなければならないのです。今日宗教を信じる人々はその様な事をしている神様だという事を考えもしません。仏教思想で見ても、基督教の思想でも、神様は全知全能で思いのままに殺し、生かし、審判し、罰を与えたり福を与えたり出来ると思っているのです。とんでもない事です! 

 この様に見ると、宗教圏にあっても統一教会は、次元の高い世界の内容をもって解決方法を探そうと苦心する宗教に間違いないというのです。ですから、次元の高い宗教です。神様を解放するという宗教は、今統一教会以外にはありません。

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 今日基督教信者が「不義と正義を審判する公義の裁判長として生きていらっしゃる神様」と言いますが、その様な神様は心が平安ですか。ここに判事をした事のある人はいますか。死刑囚を殺す時は、その刑場に判事が立ち会わなければならないのです。判事の様に悲惨な人がいません。裁判長がよいですか。

 皆様は何を中心として生来たいですか。裁判長ですか。権力者に成って号令をかければ、天下の全てのものは私が願うとおりに無事通過出来る環境で何日間生きられると思いますか。一カ月くらい生きてみれば、こうではないというのです。嫌に成るのです。牛肉定食を毎日の様に食べて皆さい。それを食べてから出るガスのにおいも違います。その様に生きて皆さい。人は高い低いによって、前後左右を全て備えて生きる様に成っているのです。

             *

 神様に「貴方は何をして生来たいですか」と聞いてみれば……。皆様、私は直接聞いてみて返事を聞いた張本人です。裁判長ではありません。弁護士でもありません。検事でもありません。「愛に酔って生来たい」と言うのです。答弁は簡単です。何に酔って生来たいと言いましたか。愛に酔って生来たいというのです。愛に酔う様に成る時は、目も一つの所へ行き、においをかぐ鼻もそちらへ行き、話す口もそちらへ行き、聞く耳もそちらへ行き、全て一つの所へ行くのです。五官を完全に統一出来る刺激的な要素が、私達人間において何だというのですか。それが愛です。

             *

 今日基督教において「神様は神聖で全知全能であられる方で、公義の審判主として玉座に座って万民を審判する裁判長です」と言いますが、皆様、裁判長がよいですか。裁判長を十年したら病気に成って死にます。死ぬというより病気に成って倒れます。病気にならなければそれは偽者です。

 他人の生命を奪う死刑宣告を下す事もしたはずですが、自分が下した判決が絶対的ではあり得ないというのです。論法が、解説法が様々な方向があるのに、自分の判決によってその人の生死問題を決定づけたので、そう成るというのです。それは深刻な問題なのです。宇宙の公法に照らしてみれば、韓国の法が絶対的ではあり得ません。ですから、人は「十年間判事」と言えば「病気に成るはずだ」と言うのです。

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 基督教式に言えば「神様が天国の玉座に座って、公義の裁判長として善悪を判別し、よくやった者は天国に送り、出来なかった者は地獄に送るのです。それが神様の趣味生活です!」。アーメンですか、ノーメンですか。死ぬ事が出来ないというのです。裁判長は判決を下したら、夜寝る事が出来ないというのです。正しくても間違っていても苦痛を受けるのです。審判者は一つです。私達がこの様な人なのに、私達が神様に似ているとしたら、神様は、裁判長をする事を好むのですか、嫌うのですか。

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 神様が悲しい神様で、苦痛の神様である事を基督教徒は知らなかったのです。神様が神聖な王として、審判主としていらっしゃいますか。神様が何が切なくて審判主ですか。審判主がいいですか。その様に生きる事が神様の生活ですか。堕落によって仕方なくそれをするのであって、その清算方法を誰も知りません。宗教世界でも誰も知りません。統一教会以外には知っている所がありません。

2.真の御父母様は愛の統治法で審判

 救世主とはいったい何ですか。救世主が何をしに来るのかというのです。政治をし様として来る方ではありません。救世主は何をする為に来ますか。今日、基督教では、「主が来れば全て空中に上げられて自分達はぽんぽんと上がり、地上の人々は全て審判する」と言います。違います。そうではありません。「審判する」と言うのですが、救世主は、何かを審判し様として来られる方ではありません。

 その方は神様の息子、娘であると同時に、人類の父母として来るのです。人類の父母として父母の心をもって来られる方が、病気に成って死ぬ場でうめいているこの様な息子、娘を見て「おい、お前はあの地獄へ行きなさい!」と言って片づける事が出来ますか。堕落したこの世の親でも自分の息子が死んで行く悲惨な姿を見れば、のどが詰まったり痛哭したり自分の生命を失う事があったとしても、生かしてあげる為にはどんな事もしたいという心が先立つのです。それが堕落した世界の父母だと言うなら、本然の父母の心情をもって来られる救世主はいかばかりでしょうか。審判というものは考えられないというのです。そうでしょう。

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 聖書には「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得る為である」(ヨハネ三・一六)と叫びながら……。世の中をこの様に愛していると言いました。世の中の救いの為にイエス様が来たのであって、基督教の救いの為に来たのではありません。終わりの日に審判するのですか。それでは、神様が世の中をこの様に愛するという定義とは違います。基督教徒だけ愛するのですか。いつも愛している事を知らないでいます。それを教えてあげて悔い改めさせなければならないのです。教派主義者達、行って皆さい。

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 今日、既成教会では、神様が審判してどの様にすると言いますが、神様が思いどおりに出来るのなら、今迄この様にする必要はありません。堕落したその次の日に全てしてしまったはずです。打って勝利したその基盤の上に神様の愛の理想を立てる事が出来るという原理はないというのです。

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 今日、既成教会の哲学が間違っているのは何ですか。神様を公義の裁判長と言います。裁判長を五年やれば、腰が曲がり始めるというのです。なぜですか。腰を伸ばす事が出来ないからです。基督教がこれを知らなかったというのです。ただ力の神様、全能の神様を追慕して、それとともに一つになれば何でも出来ると信じているのです。ここで人を殺してもかまわないという論理が出てくるのです。今日基督教を中心とした西洋文化が力の哲学を培養して来たが故に、西欧文明の背後には血が連結されています。

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 神様もそうなのです。この地上の悪成る人々を審判し整理するのは、神様がするのではありません。サタンを前面に立ててするのです。

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 神様がこの世界を審判し様とする時、「少し待って下さい。神様、これを見て下さい。実におもしろい事があります」と言って、「それは何だ」と言われれば、「私の手のひらです。どんなにいい手相をしているでしょうか。貴方の手相より良いので、私がこれをしています」とこの様に言えば、神様が何と言うでしょうか。

 手相を比較しながら、この様な者と話していれば、悔しい事がみんななく成るのではないですか。「神様、貴方が私の手を切って捨てますか。審判しますか」と聞けば、「ヒヒヒ、この者、この者」と言うのです。醜くても、そうすれば喜ぶのです。何の話か分かりますか。陰陽がなければ成りません。傑作品になろうとするなら、バックグランドが立体性を成さなければならないのです。全てのものがそうです。

 人は日なたと日陰があって格位を備えてこそ人格者に成るのです。神様が行くら怒ったとしても「神様その様に怒らないで下さい」と言うより、「神様、あれを見て下さい」と言って「なんだ」と聞かれれば、「あの鷲が鶏を捕まえて食べ様としています」と言うのです。「鶏を捕まえて食べ様として、食べてしまって……」と言えば「その鷲が貴方の様です」それで、神様が引っ掛かるのです。「お、こいつなんだ。私が……」その様にすれば、話す事が出来ずに「ふむ……」と言うのです。

             *

 神様に尋ねてみると、公義の審判主に成るというのではありません。神様は審判しません。霊界を知らないのでその様な事を言うのです。基督教で説教しているものをちょっと読んで皆さい。でたらめです。霊界をあまりにも知らないのです。その様にして天国に行きますか。どう成るのか、行って皆さいというのです。ですから、全てからすの群れ、鷲の群れが食いついていきます。世の中の人達より悪いのです。私はその様な人とは相対しません。犬がほえるのに一緒にほえれば、犬の様に成るのです。相対しません。哀れなので、今後飢え死にする様に成る時は、私が食べるものをもって訪ねていって食べさせてあげ様と考えているのです。

             *

 全人類は、しっかりしなければ成りません。統一教会の文総裁の教えは、救世の真理なのです。人類が永遠に必要とする真の愛と生命のみ言です。再臨主が世の中を救おうとして来られるならば、人類を鉄の杖で審判しては成りません。打ってはたったの一人でも完全に屈服させる事が出来ないのです。

 自分の為に生きて、手がひきがえるの背中の様にでこぼこにゆがんで開かないほどに苦労した母の犠牲的な愛は、親不孝者を悔い改めさせて帰ってくる事が出来る様にする力があるのです。棒をもっては出来ません。審判の大王であり、天地を思いどおりに主導する神様でも真の愛なくしては、天宙統一は不可能なのです。真の愛はいか成る困難も問題に成りません。自分の生命を投げてでも行く事の出来る力が、真の愛にはあるのです。

             *

 怨讐を溶かす事が出来るものも愛です。最高の親不孝者を孝行者につくる事の出来る力をもったものも愛です。逆賊だと主張する人を忠臣の様に屈服させ得る力も愛にだけあるのです。それは可能なのです。それで、古くから人間は、優秀でも愚かでも愛を中心として命を懸けたり、生来たりしたがるものです。誰が「アーメン」と言いなさいと言いましたか。アーメンは私の特許品ですが。

             *

 長老派教会の教理は、神様は公義の審判長に成って、予定して救援なさるというのですか。その様なたぐいの狂った、ばかげた話が何処にありますか。それこそ詐欺師です。私が調べてみると神様はそうではありません。本来、人間が生まれる時、神様が天国に行く様につくっておき、地獄に行く人をつくっておくなら、それがどうして善の神様ですか。理論として通じません。理論として通じてこそ常識に合うのです。常識に外れた真理はありません。常識にも合わない事をもって……。

 考えて皆さい。裁判長が殺人犯を裁判して死刑を言い渡し、五人だけでも殺して皆さい。そのたびに行って検診しなければ成りません。また考えて皆さい。大韓民国の法と北朝鮮の法は違います。ここで死刑宣告を受けた人が、向こうで愛国者にも成り得ます。天地の大道を中心として、公義の法を中心として考える時、弁護士の心が平安でしょうか。

             *

 審判の大王であり、天地を思いどおりに力をもって主導する神様ならば、天宙統一は不可能なのです。これはお金をもっていても出来ず、知識があっても出来ず、権力をもっても出来ません。ただ一つ出来るものがあるならば愛しかありません。

             *

 悪魔でも神様は審判出来ないのです。ヨブ記を見て下さい。サタンがあの様について回りながら支配する様に成っても、なぜそれに応じてあげるのですか。応じてあげざるを得ません。サタンは「貴方が私を愛で消化せずには、愛で消化して本然の基準に合わせておかなくては、私を支配出来ないのが貴方の道理ではないですか。愛の道理を、原則的な愛の全ての完成的な道理を越えて私を主管する様に成っているのに、その道理が満ちていないので私を主管する事が出来ない。私を主管し様とするなら、私を屈服させ様とするなら、その道理の形態に合わせたその基準に……。個人基準ならば個人、家庭基準ならば家庭、氏族基準ならば氏族、民族基準ならば民族、ここで私が順応出来るのであって、そうでなければならないのではないでしょうか」この様に言うのです。これに身動き出来ずに引っ掛かっているのです。これを知らなければ成りません。

             *

 皆様、そうでしょう。この世で「貴方は何をしたいのですか」と聞けば、「私は最高裁判所の判事がしたい」と言います。「判事」と言えば皆喜ぶでしょう。今日、既成教会で信仰する人が「神様は天地の大主宰であると同時に、善悪を見分けて善人は天国に送り、悪人は地獄に送る、天地を公義の法を通して治める裁判長です」と言いますが、その様な裁判長が良いですか。今迄歴史始まって以来数千億の人を地獄に送ったとすれば、その神様の気分は良いでしょうか。そんな事はあり得ません。それ故に、玉座に座って公義の審判長の権限をもって行使して暮らす事が、神様の生活目標ではないというのです。神様がその様な事は嫌だというのです。

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 神様よりも自分が自分自身をよく知っています。それ故に、私達には審判主が必要ありません。事実、神様が必要ないというのです。自分の良心がよく知っているのです。この様な原則について見てみると、解放的な基準を中心として私は何パーセントの解放の目的をもって参加したかという事実はパーセントで出てくるのです。私が本物なのか、偽物なのか分かっています。知らないですか、知っていますか。知らなければ望みがないでしょう。知らなければそれは共同墓地に行かなければ成りません。そうでなければ、ごみ箱に入って行くか、そうでなければ、投げて太平洋にほうり込まなければ成りません。それは処理困難なのです。

 皆様は善成る事と悪成る事を知っています。一言言うのも私が悪い事を分かっています。見る視線も悪い事を知っています。聞くこの音声も、感じるこの触覚も皆知っているのです。霊界に行く様になればそれが全て現れます。頭をこの様にすれば、すぐに自分がどの様な人なのか全て現れます。その心の鏡、心の光彩がさっと現れるのです。説明が必要ありません。霊界を知らないのでそうでしょう。私はよく知っていますから、世の中の人に非難されてもじっとして耐えながら今迄来ました。

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 この世の中にはどの様な人が生きているかと言えば、僕の僕が生き、僕が生き、養子が生き、庶子が生きています。この様に混じっています。この秩序を立ててあげなければならないのです。何によって秩序を立てるのでしょうか。愛しかないというのです。その様な愛の伝統的な道理を受け継ぎ、引き継い出来た宗教が、世界的宗教にならなければならないのに、その愛の道理に外れた宗教と、この愛を中心として従っていけない人は、歴史をかけ、時代を代表して審判される様に成るのです。

 その愛が、天地を愛するその愛の伝統が、世界を愛するその伝統が、国を愛するその伝統が、民族を愛するその伝統が、自分の家庭を愛するその伝統が、父母と妻と兄弟を愛するその伝統が、自分が自分を愛するその伝統が世界を審判するのです。

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 神様は審判者であられ、イエス様は弁護士の様ですが、今迄天の側の検事がいませんでした。今迄悪魔が検事をしていたのです。天の側の検事が生じなければならず、天の側の裁判長が生じなければならず、天の側の弁護士が生じなければ成りません。この様な意味から統一教会は全てのものを備えているので、サタンを永遠に、人本主義を永遠に、淫乱主義を永遠に、破壊主義を永遠に地球において打破しなければならないのです。これが統一教会の主義です。

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 神様が願うものはほかのものではありません。愛です。終わりの日になったら、何が最も怨讐ですか。審判の第一の条件は何ですか。終わりの日には自分が愛するものが、審判の第一の条件です。学者には学者意識、学ぶというそれ自体が審判の要件に成ります。自分が最も喜ぶ事が審判の条件に成ります。お金を最も喜ぶ人、お金を集める為に全てのものを犠牲にする人は、それが審判の条件に成ります。名誉を喜んで、権力を喜ぶ人はそれが審判の条件に成ります。女性なら女性の全ての素性によって、特定の素質によって喜ぶものがあります。それが審判の条件に成るというのです。

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 悪口を言われながらも忘れて、むちで打たれても忘れて……。先生はその様な歴史の事情が多いのですが、私がそれをもって審判し様とするのではありません。愛をもってそれ以上の事迄消化し様とする道を行くので、それで神様が私を好きな様です。私もその様な人が恋しいです。少しやって代価をもらおうとするその様な人を、私は嫌う人です。誰か私の前で「代価をもらう」と言う人がいますか。顔を上げて出て皆さい。話を少ししましょう。

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 悔い改めなければ、皆様は公義の審判を受けなければ成りません。愛の統治法の前に立つ者がいないのです。その時に先生が弁護士に成ってあげて、先生の家族の一族が弁護士に成ってあげ、皆様を指導する統一教会の全ての人々が弁護士に成り、神様もそうであり、先生もそうであり、先生の家庭から指導者迄そうする事が出来、弁護の範囲が讒訴圏よりも多くあってこそ、善の天国の民族として入籍出来るのであって、その讒訴圏より小さくては入籍出来ません。

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 法の道理を私も行っているのです。ですから皆様は黙ってこの道について来なければ成りません。黙ってこの道に従って行く日には、そこに共に参与した恩恵を受ける事が出来ますが、そこに自らの家を建てて自らの丘を造っておいては、審判の条件に引っ掛かるのです。刑務所に入った人が国家の法律の何条に引っ掛かったという事と同じです。国家全体の法に引っ掛かったのではありません。ある条目に引っ掛かるというのです。同じ様に皆様も審判の項目の何条かに引っ掛かれば、行く事が出来ません。

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 共に滅びる事があっても、背信者の道を行くなというのです。滅びれば霊界に行って良い立場に立つのです。背信者にならなければ、その背信者にならないグループで今後行くらでも発展出来ますが、背信者は発展出来ません。それがいつも遮っているのです。それを消化して越えて行く事の出来る力が自分にはないのです。ですから、国に対する背信者や……。より大きな目的の為の立場でついていかなければならないという決意をしたのにもかかわらず、裏切ればそこに大きな目的が私をいつも審判する位置で責任を追及するのです。そこから脱け出す道がないというのです。

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 今後、社会が一箇所に出て国を設定し入って行く様に成る時は、皆様の経路を全て一つ残らず書いて、あの公義の審判場でパスしなければ成りません。再審査を経ずしては国家祝福の位置に行けないのです。世界祝福迄行くべき道が残っているのです。統一教会がする祝福は教会祝福です。審判は何処から、統一家から、祝福を受けた息子、娘から、祝福を受けたお父さん、お母さんから、それから……。これをしておいてその秘法により比例する世界の審判圏に越えて行くでしょう。はっきりと知らなければ成りません。

 祝福を受けたというこのでたらめな女達からしっかりとしなさい。原理は後回しにしておいて自分勝手に生きて、原理の世界が、み旨の世界が皆様と関係を結ぶ事が出来ると思いますか。とんでもない事です。その様な事が出来るならば、私がこれほど苦労しません。

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 神様の愛と神様の生命と神様の血統を通して、鉄槌で審判するでしょう。その様な時が来るのです。その時にメシヤが来るのです。メシヤがどの様な方か知っていますか。救世主がどの様な方か知っていますか。本然的な愛の秩序を求め、本然的な神様の永遠な生命と愛と血統の本宮を求めて、幸福の基地を正しく立て直して、それと連結した家庭と一族を越えて、民族と国家、世界に一つの愛の主導権に立てる為に来られる方である事を知らなければ成りません。

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 神様の家庭とは何ですか。この様な真の愛を中心として、神様の位置にいるこれは、下にもっていって合わせてもよく、これを全て離して何処かにもっていって合わせても全て合うのです。お爺さんの肩に孫が上がっても、家法で審判しません。孫がお爺さんのふとんを持っていって、お爺さんが隅に体を曲げて寝るからといって、親不孝者だと審判しません。そこでは全てのものがOKです。

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 「御父母様」と言葉ではよく言いますが、父母様に侍った事がありますか。私が夜を明かせばさらに夜を明かしてこそ侍る位置に立つのです。私が苦労すればもっと苦労してこそ侍る位置に立つのです。ついていきながら皆寄生虫に成りました。寄生虫は寄生の虫というのです。この者達、寄生虫という名前にぴったり合います。偽物を喜ぶこの者達! 統一教会の者はその様なものが多いです。今粛清しなければ成りません。

 本当に怨恨をもった文総裁は、統一教会の遊んで食べて教会をむしり取って食べる食口を、ガソリンをかけて私の手で火をつけ様と思います。世の中を審判する前に、この者達を審判しなければならないのです。私が教えてあげた道理に一致しなければ、きれいに整備しなければならないでしょう。

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 この悪魔の世界が天国を成し遂げるのに提供するものは何もありません。それは全て火で燃やしてしまわなければならないのです。それで、聖塩を作って聖別させてそれを代わりに使うというのです。堕落したこの人間迄全て火で燃やしてしまわなければならないのです。火の審判を受けるのです。それで、人を私の手で再創造しなければならないのです。心情を投入して生かして天国に連れて行くというのです。

 今迄私の手で一人の生命も血を流す様にしませんでした。私が手をつける日は恐ろしいのです。どうかその様な結果をもたらさない様に皆様が肝に銘じて下さい。分かりますか。血を見る日には問題が大きいのです。原則がそうです。それで、金日成迄も私が生かしてあげ様とするのです。

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 私が酒を飲んでここに来て座っておしっこをもらしながら、「貴方達なぜ来たのか」と追い出せば、残る人が何人に成るか考えてみましたか。なぜ笑うのですか。その様な審判が天地の誰も分からずに引っ掛かり得る審判方法です。真の愛で愛する為の参与者を探す為には、丸裸に成って、半気違いに成って横に行っておしっこをもらしても残る人が何人に成るのか、その様な考え迄する人です。

 なぜですか。私が経て来た道がどんなに驚く道か分かりません。それを皆様は知りません。私の母も知りません。今ここのお母様も知りません。それ故に、霊通したお婆さん達が、先生がかわいそうだと大いに泣くそうです。話さなければそれを誰が知っていますか。難しい問題を今迄一人でぶつかってきて、内外共に倒れている事を誰も知りません。

 3.罪を犯せば家庭裁判に、一族が審判する

 皆様の父母は何かと言えば、公義の法廷の裁判官です。それを知らなければ成りません。皆様の家庭では必ずお母さんが弁護士の役割をします。そして、兄弟が間違ったら、その兄弟が全て検事の役割をします。「ああ、姉が先にそうしたのであって、私が先にそうしたのではありません」。それで、お母さんはただ聞いて「うんそうか、お前が正しかった。お前が正しかったのではない。この子が正しかった」と言うのです。

 ですから弁護士の様なものです。お母さんが弁護士の役割をするというのです。兄、姉、弟達がけんかをしたら、検事は誰ですか。姉も検事に成り、兄さんも検事に成ります。それを知らなければ成りません。皆様の家の中に判事、検事がいる事を知らなければ成りません。若い青年達、その様に考えてみた事がありますか。

             *

 妻が見て恥ずかしい夫に成るなというのです。妻は神様の特使です。息子、娘が神様の特使だというのです。私を監視して教育し正しい道へ行く様にする為の一番の側近者としての特使だというのです。子女の前に恥ずかしい父親に成るなというのです。その天の特使は盗んだ物を食べさせるなというのです。詐欺を働いて天に侍る事が出来ますか。先祖に侍る事が出来ますか。それなら、皆様があの世に行けば、先祖が瞬間的に審判します。神様は審判しません。先祖が審判して結局は世界的な公判廷迄引っ張り出すのです。

 先祖がここで報告して公判廷に引っ張り出さなければ、その先祖は善人になれません。その様に成っているのです。その統治法を背後に置いて未来に希望の基盤を決定すべき、またその様な日々を迎えて行くべきこの生涯の路程というものは深刻だというのです。

             *

 今後、理想時代には法廷が必要ありません。この世で人生の過程は永生の基盤であり、あの世に行って生きるべき準備の過程であるが故に、一族の中で誰かが誤ったら一族が処理するのです。一番の裁判長が誰ですか。妻が誤れば夫が裁判長に成るのです。子女が間違った時は父親が裁判長に成るのです。それで公法により指導を受けてその一族が処理するのです。

             *

 今後、あの世に行けば誰が審判する様に成るのでしょうか。自分の先祖が審判します。今後は国に裁判所がなく成ります。一族が処断するのです。裁判長は誰がするのかと言えば、自分の父母が成ります。最も近い人に成るのです。エデンの園で誤った時、誰が裁判しましたか。神様がしたでしょう。お父さんがしたでしょう。自分の一族にとって恥ずかしい事実なので、その様にするのです。検事は誰がするのでしょうか。最も愛する人に成るのです。夫が誤れば妻が讒訴するのです。

             *

 誰が審判しますか。最も愛する人が審判するのです。アダムとエバを誰が審判しましたか。アダムとエバは兄さん、妹です。怨讐に成りました。誰が怨讐に判決しましたか。アダムがエバを、エバがアダムを判決しました。その様な時が来るのです。

             *

 天地と運命が左右され得る法を設定すべき仕事が、私達が行く道の前に待っているという事を知らなければ成りません。その法が設定される様になれば、今迄むやみやたらに生来た人間は許しがありません。自分の一族で処理するのです。法廷に行きません。自分の氏族が中心に成ります。文氏ならば全国にいる文氏の宗族でその文氏の宗族法によって族長が審判するのです。そこには許しがありません。

             *

 今後、罪を誰が審判するのでしょうか。もちろん霊界でも審判するのですが、自分の周辺にいる人々が審判します。誤れば町内の人が審判するでしょう。町内より高い段階の郡ならば郡の人が審判します。郡の人が誤れば道の人が、道の人が誤れば国が、国が誤れば世界が審判するのです。それ故に、その秩序的基準に合格出来る制度がこの制度です。

             *

 今後、罪を犯す様になれば、法廷に引っ張っていって断罪するのではありません。自分の一家でする様に成るというのです。その様な時代が来るのです。ですから、呪う事も出来ないでしょう。自分のお父さんとお母さんが審判し、妻が間違えば自分の夫が審判するのです。それ故に、今後統一家の祝福家庭の二世が誤れば、誰が処断するのでしょうか。父母がするのです。

             *

 アダムとエバのお父さんは神様でしょう。それでは、アダムとエバが罪を犯したのですが、誰が審判しましたか。その次は誰ですか。その次は自分の相対です。夫を妻が審判しなければならず、妻を夫が審判しなければ成りません。その次は誰ですか。息子、娘です。愛の源泉を中心として全てこの様に成るのです。

 最も近い人が最も嫌うのです。息子、娘が最も嫌い、夫が最も嫌い、妻が最も嫌い、父母が最も嫌うのです。それにもかかわらずその様な行動をしては、父母を欺き、相対を欺き、息子、娘を欺き、天地の前に「お父さんだ、お母さんだ、兄弟だ、父母だ」と言えないというのです。ここにもその様な男性、女性がいるとするなら、今後貴方方だけで皆ブルドーザーで押し出してしまいなさいというのです。

             *

 統一教会の家庭に対する審判時代が来るというのです。みんなヨルダン川を渡って行くのに、こちらに立って見つめながら渡る事が出来ないのです。モーセがピスガ山上でイスラエルの地を見つめながら入っていけなかったのとちょうど同じです。家庭もちょうど同じです。ですから警告するのです。

             *

 警察が必要ありません。刑務所が必要ありません。一族の責任者が集まって警察に代わり、判事に代わってその家庭を審判するのです。その部落の法に外れる事があれば、問題が起こるのです。

             *

 完成した子女、完成した兄弟、完成した夫婦、完成した父母はこうであるべきだという神様の公式的なモデルがあるでしょうか、ないでしょうか。それがあってこそ永遠な審判の基準に成るのです。「君は天国の第一合格者、第二合格者、第三合格者……」という系列を定める事が出来、位置を決定出来るのです。その様なものがあるでしょうか、ないでしょうか。なければならないのです。その様な愛の理想相対を地上に実践し完成し様というのが創造理想だというのです。それで、神様が子女を造られたのです。

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 今後、一族の中でもし犯罪者がいれば、なにがしの一族、その一族の族長を中心として統治するのです。氏族的メシヤが神様の代わりの裁判長に成るのです。自分の一族に事件が起これば、雷が落ちるのです。その一族からその様な悪者を輩出したという事実は、一族の看板に泥を塗るのです。部落がこの様に滅び腐敗して行く国ではいけません。全体が一つに成って一族を保護するのです。

 若者の中で悪者が生じれば捕まえて「こいつ!」と張り飛ばすのです。一番最後にお爺さんが裁判長に成り、お父さんが検事に成り、お兄さんが弁護士にならなければ成りません。天地原則の大道を明らかにする為には、私達の家庭の検事に成り、お兄さんが弁護士にならなければならないのです。

 「天理原則の大道を明らかにする為には、私達の家庭の血族ですが、血族に成る事が出来ません」この様にして無慈悲に公的な審判をしてしまわなければ成りません。それで、警察がなく成るのです。軍隊がなく成るのです。

             *

 今後は警察が全てなく成るのです。罪を犯せば、家庭が絶対権限をもって家庭で解決するのです。その父母が責任を負うのです。夫が間違えば妻が審判するのです。最も近い人が審判しなければならないのです。なぜですか。偽りの愛の種が残したものを真の愛の相対的基準が処理しなければならない為に、最も近い人々が審判しなければならないのです。

             *

 罪というものは何ですか。罪は私的な所で生じるのです。滅びるのも私的な基準で起こるのです。悪も同じです。私的な事が度数を越えれば、悪として現れるのです。私的な事には限界があるのですが、その限界を越えれば悪に成り、滅びる様に成り、罪を犯す様に成るのです。それでは、永遠に善であり得る、永遠に発展する事が出来、永遠に福を受ける事の出来る位置は何処でしょうか。滅びるのを避ける事の出来る位置、罪に成る事を避ける事の出来る位置、悪に成る事を避ける事の出来る位置は何処でしょうか。

 それは正に公的な位置です。御飯を食べても公的な位置で食べなければ成りません。仕事をしても公的な事として、話をしても公的な話として消化しなければ成りません。この様に一切を公的なものと関連づけ生きなければ成りません。その様な人は地獄に行こうと思っても行けないのです。

             *

 本来、天法の道理に従って行く人間には、自分自身が滅びる事を防ごうとしたり保護したりし様という心があるのです。これは神様に本来その様な心があるので、人間にも本来ある様になったのです。自分が作った法ではないというのです。

 「良心よ、私がこうなのでこの様にする」と言いますか。「私の考えがそうであるが故に、そうすべきだ」と命令するからといって良心が作用しますか。何処か分かりませんが、違う所で命令を受けるのです。その様な感情が自分を支配するのを見ると、これは公私問題を中心として支配するという事が分かるのです。

             *

 罪をたくさん犯した人は、どんどん北極に送るのです。その様な時が来るのです。その様な人々に御飯をなぜ食べさせますか。熊の子を食べて生きるのです。何年間かその境界線にほうり込むのです。「何でも捕って食べて暮らして死ななければ、何年かあとに来い」と言うのです。その様な隔離時代が来るのです。

 その世界で死んだなら死に、死なないなら死ぬなというのです。虎を捕まえて食べるならその様にしなさいというのです。氷の家を建てて生きるなら生き、建てないなら建てるなというのです。その様な隔離時代が来るというのです。伝染病患者は隔離するでしょう。その様に完全に隔離するのです。ですから予防薬として強調する事が、罪を犯すなという事です。

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第三章 真の御父母様と霊界

 一 真の御父母様の権限と使命

 1.真の御父母様は肉体をつけられた神様

 神様は無形でいらっしゃるので霊界に行っても見えません。それ故に神様は体をもった父にならなければならないのです。体をもった父に成る事によって、無形と有形が一つに成るのです。それは宇宙が一つに成る事を象徴します。神様は体をもつ為にアダムとエバを造りました。体をもつには愛だけが可能です。愛があってこそ神様の形状に似た体を備える様に成ります。アダムとエバが神様の体を備えれば、彼らの心の中に神様がいらっしゃって、地上世界と無形世界を統治するというのです。神様の王国をつくるのです。神様の王国は愛の王国だというのです。愛を中心としてこそ霊と肉が一つに成るのであって、他のものでは一つに成る事が出来ないのです。

             *

 神様は、神様と人間が主体と対象として縦的な愛の関係を完成する事だけを目標とされたのではありませんでした。縦的な愛を完成してアダムとエバの横的愛の結実をもたらそうとされたのです。その瞬間が正に内的父母であられる神様が外的父母であるアダムとエバと完全一体を成す為に臨在される愛の理想成就の瞬間です。無形の父母であられる神様が、アダムとエバの形状をかぶって有形世界に永存なさる父母に成るのです。この時アダムとエバは真の父母、真の先祖に成るのです。

             *

 神様が体をもった父に成る事によって、見えない無形と有形が一つに成るのです。それは宇宙が一つに成る事を象徴します。それ故に神様の形状に似た体を備える事が出来る姿としてアダムとエバを造ったというのです。そしてアダムとエバを天国の王宮に、王座に上がる様にして、その王と王妃の心の中に神様の王国をつくるのです。王国は愛の王国だというのです。愛の王国。愛を中心としてのみ霊と肉が一つに成るのであって、他のものでは一つに成る事が出来ないのです。

             *

 神様が心と体に入った愛をもった男女が結婚すれば、それは誰の結婚に成りますか。誰の結婚に成るのかというのです。人間の結婚であると同時に神様の結婚です。驚くべき話です。既成教会の信徒達は驚き倒れる話です。「あんな事を言うから異端だと言うのだ」というのです。異端は誰ですか。本当の異端は誰なのか霊界に行ってみて下さい。

             *

 本来アダムとエバは何ですか。神様の長男、長女です。神様は天宙全てを創造した万能の王であり、アダムとエバはその王の子女なのです。王の息子と王の娘が絶対者である神様の愛を中心として一つに成って、神様と一つになったその基準に立たなければ成りません。それがアダムとエバの位置です。言い換えれば、アダムとエバは地上天国と天上天国の王にならなければならないというのです。皆様、神様の姿は霊界に行っても見えません。姿が見えないのです。神様の創造目的は何ですか。自身の形をもつ事です。姿をもちたかったというのです。

             *

 無形の神様は実体がないので、その形態を身代わりしたものが真の父母だというのです。真の父母は個人的な父母であり、家庭的な父母であり、氏族的な父母であり、民族的な父母であり、国家的な父母であり、霊界に行っても、今後、真の父母の形状で神様が現れるのです。統一教会の偉大な事がそれです。レバレンド・ムーンの偉大な事とは何かというと、レバレンド・ムーンの形状を神様がかぶられるという事です。何の話か分かりますか。

             *

 先生が監獄に行って、悪いうわさが立ち、全て滅んでなく成ると思っていたのですが、今でも生きて堂々と大口をたたいています。アンテナを張って全て見聞きして分かっていて、大声をあげているのです。神様も先生のサインが出ているか、出ていないかを見てそれから決裁するはずです。先生のサインがあるかないかを見て、先生のサインがあれば「OK」、ない時は「ノー」と言われるのです。言葉は簡単ですが、その様に成る事がどれほど難しいかを考えてみて下さい。今後の世界、霊界は全て先生の手中で動くはずであり、この肉界はいずれ一つの谷間へ行くしかないという結論が出てきます。

             *

 自然世界は真理でぎっしり詰まっているというのです。皆様は霊界に対してよく分かりませんが、先生は霊界の専門家です。そこは二十一世紀ではなく二十二世紀、三十世紀になったとしても、先生がいなければ開門する事が出来ません。理論的に霊界を教示して霊界を開門する時、体系的内容を明らかにしてくれた元祖が文先生だという名声が永遠に残るのです。

             *

 霊界を結束させなければならないのに、霊界を収拾出来ない人は天下を統一出来ないのです。天運の根が天であるのに天を収拾出来ないのです。天運の根が天であるのに天を収拾出来ない人がどうしてその結果をこの世の道理として世界を統一出来ますか。それ故に地上を統一する前に霊界を統一しなければ成りません。

             *

 天国に王宮がありますか、ありませんか。そこの王は民主主義の王でしょうか。どの様な王でしょうか。霊界は真の愛を中心とした所なので、霊界の王は一度中心になれば永遠です。それ故に、高い所、低い所を一つと見るのです。全体を球形と見るのであって、分離されたものとしては見ないというのです。

 2.宇宙の中心軸、地上・天上の統治者

 霊界に行けばアダムとエバが家庭の王であり、氏族の王であり、民族の王であり、国家の王であり、世界の王であり、天宙の王なのです。ですから、霊界に行っては神様の代身者と成るのです。神様は無形の神であるので見えません。あの世に行っても神様は見えないのです。しかし神様も体が必要です。それで、神様が造った万物世界は体をもっています。無形の神が体をもつ事の出来る相対的な存在を必要として万物を創造したが故に、完成したアダムとエバは神様の体に成るのです。

             *

 アダム家庭とは何かというと、将来アダム一族の族長に成り得る立場であり、アダム一国の王に成る人であり、世界の王の中の王に成る人です。神様の代身と一体と成る事が出来る世界です。神様がなぜ創造をしたのでしょうか。地上で人間アダムの後孫を通じ天国の民を育てる事がアダムを造った目的です。ですから、地上でアダムとエバに通じる事なしに子女を……。

 霊界で子女繁殖は出来ません。縦的である為に霊界に行っては息子、娘を生む事が出来ないのです。ここは縦的ですから縦的なものは一点の上に立つのです。面積がありません。それ故にアダムとエバが縦的な基準の前に三六〇度で……。これは無限であり、無限の面積が必要なその中で生まれた無限な息子、娘を天国の民とする為のものだというのです。そうなれば天国で王に成る事が出来る方が誰かと言えば、神様です。神様が王にならなければならず、神様と一つの体と成り得る、体をもつ事の出来る人が必要です。その体が誰かと言えば、アダムとエバです。

             *

 堕落しなければアダムが誰ですか。霊界に行く様になれば神様に成るのです。霊界で体をもつ主人に成るのです。神様はあの世に行っても見えません。なぜ人を創造しましたか。この宇宙は実体があるので、実体の主人であるアダムとエバを中心として管理主導出来る立場に立つ為です。

 神様が霊界で無形でいらっしゃるので、支配出来ないから、実体の仮面をかぶって実体の体をもつ事によって、あの世において、地球星で生産されてくる自分の息子、娘たる後孫を、実体をもって支配する事の出来る王に成る為に実体の人を造ったのです。その王の顔が誰の顔ですか。アダムの顔です。王をつくったから王妃が必要なのです。王妃とは誰ですか。エバが皇后にならなければならないのです。地上の先祖であると同時に、天上世界の先祖に成るのです。

             *

 霊界に行けば先生が全て統治しているのです。先生ではなく、神様です。神様の体なのです。皆様、体のある所に心があるでしょう。心と体が一つです。もう少し深い話をすれば良いのですが、ひっくり返る人々がいる為に話をしてあげる事が出来ません。ひっくり返る様に成っています。「ああ! そんな事があるものか」と、この様に成るのです。本当にその様な事が行くらでもあるというのです。神様は遠方にいるのではありません。その様な事がある、限りなく近い所にいらっしゃる方であるのを知らなかったのです。

             *

 霊界に行けば神様が見えるのではありません。神様がアダムとエバを造ったのは、実体的万物世界を、今後後孫に全て管理させる為です。神様も形状が必要だというのです。アダムとエバの形状をもち、あの世に行ってお父様の役割、全ての中心存在の役割をするのです。父母様があの世に行けば、神様が心にあって一つの体に成って、全霊界とこの地が一つに成るのです。神様が心に入り、父母様が神様の身代わりに入っているのです。私達の体と心の関係の様なものです。その様な原則に成っているので、地上の皆様の家庭は、霊界の中心家庭である父母様の家庭と神様が一つになったその形態を、小さいけれど皆様の家庭に一単位として実を結ばせたのと同じだというのです。

             *

 アダムとエバが堕落しないで完成し、人間の責任分担を果たせば、この地上世界と天上世界に地上天国と天上天国が成されて、愛を中心として一つの世界に成るというのです、真の愛を中心として。結局は最初であると同時に最後に成る日は何ですか。「真の父母の日」です。「真の父母」と言えば、神様は縦的な父母をいい、真の父母は横的な父母をいうのです。縦的な神様は霊界を代表し、横的な真の父母は地上世界を代表して一つに成るのです。真の愛によって一つに成る世界です。その二つの核心的な内容が真の父母です。真の父母の中に縦的父母と横的父母がある事を知らなければ成りません。

 3.真の御父母様を通して天国に行く

 宇宙の中心が何かというと、霊肉の真の父母です。その基準を中心としてそこから東西南北が生じ、家庭が生じ、氏族が生じ、民族が生じ、国家が生じ、世界が生じるのです。これが、宇宙の根本です。これを中心として霊界が生じるのです。これが、九〇度、三六〇度に成ってこの中に宇宙が入るのです。

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 先生が幼い時から霊界問題に当面しながら、この様な全てのものを探し出してくる中での伝承的な記録が、「原理」のみ言だという事を知らなければ成りません。漠然とした話ではありません。それで、李相軒氏もこの地上に生きている時、先生を一〇〇パーセント信じられませんでした。先生が「右手は霊界をつかみ左手は地上をつかんで、反対に引き抜かなければならない責任が真の父母にある」と話したのですが、それが何の事か分からなかったのです。

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 今私が神様に「神様、私は堕落したこの世界と霊界を見たくありません。新しい、これよりももっと良い天国を再びつくれば良いです」と言っても、それが可能だというのです。まだサタンが解放されていないのが問題だというのです。サタンを底無し地獄に押し込んで、影も見たくないし、恨みの声も聞来たくないというのです。解放されたとしてもまだ処理すべき事が残っています。

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 皆様は霊界についてよく知らないでしょう。私は霊界の専門家です。おそらく歴史の中で霊界を開門する事において、理論的基盤と体系的内容によって霊界を教示し明らかにした元祖が文総裁だという名が残るでしょう。元祖を知っているでしょう。貧しくて助けるという意味の援助(注:韓国語読みでは元祖と同じウォンヂョ)ではありません。「根本の意味の元」と「先祖の祖」です。

 皆様、文総裁に対して「真の父母」と言いますが、私はその「真の父母」という言葉を最も嫌う人間です。それがどれほど怖い言葉でしょうか、真の父母になったならば、真の家庭を率いなければならないのです。ここに一門がくっつけば真の一門を率いなければ成りません。また世界へ拡張される時は世界を率いなければ成りません。天地の前に、霊界と肉界に人類がいっぱいに拡張された時には、それを率いる事が出来る能力がなければならないのです。途方もない事です。その様な事を皆知っている人です。

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 堕落しない本然の真の父母が来て初めて、神様の垂直と人間の水平の九〇度を合わせられる様に成るのです。真の父母が来て九〇度に合わせる事が出来る教育をするのです。霊界へ行ってみて下さい。私が言っている事が間違っていれば首を切ってしまうのです。真の父母が来て水平垂直を九〇度で合わせられる様に成るのです。九〇度で合わせられる様に教育をするのです。この教育に絶対服従しなければ成りません。体をつかんで打ち、九〇度にしなければ成りません。

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 真の父母は宇宙的な真の愛の中心基盤です。ですから、その様な真の父母が現れれば、朝に全ての山川草木が昇る太陽に向かう様に、全ての被造世界が真の父母に向かう様に成ります。全ての被造物が葉や枝と同じです。霊界では全てのものが神様に向かっています。同じ様に統一教会でも先生が韓国へ行けば食口達の全ての神経が自動的に先生について行くのです。同じ事です。

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 博士の学位を受け様とするなら指導教授のおしりもふいてあげ、その教授に足でけられても「ああ、ありがとうございます」と言ってこそサインしてくれるのであって、そうでなければしてくれないのです。「私が鼻を見ても顔を見ても体つきを見ても何を見ても優れていて、相撲をしても勝つし、御飯を食べてもたくさん食べ、何でも一等に成る事が出来、十箇所、百箇所良い所があるのに、一つくらい知らないからといって博士学位をくれないのですか」と言っても通じません。先生がその様な霊界の特許権をもつかもしれないというのです。

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 天地を与えても取り替える事が出来ない高貴な価値の存在である人間が、なぜこの様に脱落してしまったのでしょうか。堕落の為です。それを解放し様とするなら、レバレンド・ムーンを通じなければ成りません。レバレンド・ムーンを通じる事なしに、この原則を知る事は出来ません。行くら学者であり、行くら世の中でずばぬけているといっても、霊界に行く時はレバレンド・ムーンのサインを受けて入っていってこそパスするのです。

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 考えて下さい。先生を中心として霊界が協助する、それが普通の事ですか。霊界もそうですが、今からは私が深刻にしなければ成りません。先生が血を見る様になれば恐ろしいのです。無慈悲なのです。歴史的な全ての蕩減を何倍もかけて打ってしまうのです。血を御覧になった神様を、歴史過程のその神様を慰労する道がないのです。それを涙でふさいであげ様というのが先生の考えです。

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 霊界でも関心は先生以外にはありません。父母様以外にはいないのです。それが生命の根源であり、愛の根源であり、良心の根源であり、全てのものの根源です。そこを通じなければ大きく成りません。

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 この地上世界だけが真の父母を必要とするのではなく、霊界も同じです。どうしてですか。そこでは地上で愛をもって生来た人が行って宮殿をつくるべきですが、その様な人がいないからです。愛の宮殿は神様もつくる事が出来ず、霊界の人もつくれません。真の父母がつくらなければならないのです。霊界で愛の宮殿が真の父母から始まります。霊界に宮殿があっても、真の父母が行って「ここを宮殿とします」と宣布してこそ、それを中心として全ての霊界が落ち着くのです。その様な責任が残っているので、霊界でも真の父母を絶対に必要としています。

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 先生は常にいる人ではありません。歴史始まって以来、二百年の間に一世紀前にもなく、あとにもない、永遠に一回しかないこの期間に生まれた人です。いつでも生まれる事の出来る人ではないのです。その様な期間に皆様が先生から直接秘密の内容を学ぶという事は、無限の価値があるのです。そのまま実践して霊界に行けば、間違いなく天国に行くのです。その未来の国が皆様を待っているのです。その天国は今迄空いていました。真の父母が本来入るべきはずでしたが、真の父母が現れなかったというのです。

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 統一教会の先生の誇りは、神様を知っている事です。霊界で知っている以上に知っているというのです。人が行くら多いといっても、神様の心情を知っている人を最も喜びます。宗教人達が涙に濡れて膝迄へこむほど一生の間祈祷をしても、イエス様に出会い導きを受けるかどうかくらいです。にもかかわらず皆様がここに来て先生に会い、この様な話を聞く事が出来るというのは歴史的な事件です。

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 復帰の真理だとか、死だとか、霊界などを知るにおいては、何もせずに分かるのではありません。先生は何も食べないで十七時間ずっと祈祷だけをした事があります。十時間、十二時間は普通です。ですから、ここが全て固まってしまいました。今は祈祷を長くしなくても神様が近くにいらっしゃる為に、すぐ通じます。この膝にもその様な痕跡があります。

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 先生が祈祷する時は、冬でも綿ズボンが濡れるほど痛哭したのです。その様な功績を立てて探した「原理」を、皆様はどの様に取り扱いましたか。霊界に行ってその様な事実を知れば、先生の近くにどうやって来るのでしょうか。お母様も先生に対しては用心するのです。分からない事が多いのです。知ればその道に同参しなければ成りません。その様な恨の峠を越えるとしても、ここで自分が死んでいきながらも、愛をプラスして死のうとしてこそ、天の死として扱ってくれるという事を知らなければ成りません。ここは死亡に勝つ事が出来る位置です。死亡が干渉しない位置です。

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 先生を知っていて損をした人は手を挙げてみて下さい。いますか、いませんか。いるという者はどろぼうです。誰が損害を受けましたか。私が損害を受けましたか、皆様が損害を受けましたか。私が一生の間損をしたでしょう。かといって、それを取り返そうとは思いません。代わりに皆様の後孫の前に返してあげなさいというのです。皆様の息子、娘に全て、先生の代わりに父母として侍ってもらえというのです。それをする事が出来なければ、先生の功を全て再び蕩減しなければならないのです。霊界に行き、がちっと引っ掛かってしまいます。許しがないのです。

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 「真の父母」という言葉は驚くべき言葉です。皆様の中で霊界に通じる人は祈祷してみて下さい。「神様が高いですか、文総裁が高いですか」と祈祷すれば、文総裁が高いと答えるのです。この様な話をするから異端でないはずがないでしょう。

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 悟りの世界においては、霊界に行って神様に迄認められなければ成りません。なぜそうなのでしょうか。「原理」の勉強をすればみんな分かるでしょう。その様に難しいのです。それを全て暴き体系を作らなければならないのです。私達の様な人はしぶとい者なので、その様な体系を作ったのです。その世界があまりに膨大なので手を付ける事が出来ません。継ぎはぎのふろしき包みをくまなく全て解いて一つの服を作るとするならば、君王が着て出掛ける事の出来る服を作る事が出来なければならないのです。そして、神様をして「お前は歴史始まって以来において私より勝っている」と言わせなければならないのです。

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 真の愛を中心として生涯を投入し霊界に行けば、何処ででも「先生!」と言うと、すぐに会えるのです。すぐ会えます。心配する事はありません。愛の心情に合わせれば同参、同位、同居権をもつ事が出来るので、先生を呼べばすぐに会えます。それはいいでしょう。その様な人々には先生が全霊界を見物させてあげる事でしょう。ダイヤモンドの星もあり黄金の星もあります。その時、先生の特権で一つぐらいあげるかもしれません。先生にはその様な特権があるのです。

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 分かりますか、分かりませんか、この者達。この者達と言うのは、私が条件を残してあげる事なのです。「文総裁、どうしてその様に悪口を言うのですか。文総裁に私が初めて会うのに、その様に非難されては全て信じる事が出来ません」と言うかもしれませんが、その時に成って許してあげ様と悪口を言うのです。そして、あの世に行き「貴方が悪口を言うので、統一教会を信じる事が出来なかった」。それは理にかなった話なのです。

 それで、霊界に行って許す条件を立ててあげる為に悪口も言うのです。非難されても心が痛くないのです。帰ってみて下さい。「ああ、悔しい!」そう思っていたのに、故郷へ行く前に全て忘れてしまうというのです。心がその様に成るのです。分かりますか、分かりませんか。「分かります!」と言う人は手を挙げて下さい。ぼーっとしなく成りましたね。

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 神様は負債を負われる方ではありません。千倍万倍返そうとされるので、文総裁はしがない一人の兵士として監獄に行き来しながらも、先生の所有版図は国を越え、世界を越え、天地を越えて、霊界と肉界の統一的な一つの位置をつかむ事が出来るこの時が来ました。ですから、アダム家庭の天地に統一的な家庭的基盤形態を万民の前に付与出来る、この様な特権時代を得た先生の権威がどれほど偉大かというのです。全体全般です。一つも欠ける事なく全体全般です。その次には全権全能の時代に向かう事が出来る結果が、先生の未来の世界に待っているというのです。

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 天宙は霊肉の世界ですが、天上世界の中間霊界にとどまっている霊達と地獄に行った霊達を全て解放し、門を全て開いてあげてこそ、神様が解放の立場に立つ事が出来るというのです。神様が解放された立場に立ってこそ、全人類が呼吸を共にして太平の時代に入って行く事が出来るのです。それが統一教会の行く道です。それ故に、神様が解放される日迄統一教会は行かなければならないのです。偉大な事実です。大ざっぱなのではありません。

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 今霊界は形態をもっていないのです。真の父母によって形態をもつ様に成るのです。霊界祝福とともに天地総合地上天国統一の愛の主権世界宣布をする様になれば、先生が霊界に行かなくても、神様は先生の父母の形態をもって霊界を主管出来る様に成るのです。それ故にそれを待つのです。別れてしまったものが結合するのを待っているというのです。先生が早く霊界に来る事を待っているというのです。ですから、地上の仕事が終われば霊界の仕事を始めなければ成りません。皆、待っているのです。霊界の王として立つのです。地上の王がそのまま霊界の王に成って、原理原則に一致した故郷の地に帰るのです。

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 文総裁の願いは何かというと、教主の中で真の愛の為の代表的な教主になろうと考えています。歓迎しますか。皆様は霊界をよく知らないのです。私は霊界の専門家です。死んでどの様に成るかという事をはっきり知っているので、世の中の万事が行くら騒々しく反対しても、それが私の目にはとまりません。なぜですか。それよりあの世界を見るからです。あの世に拍子を合わせて暮らすのです。

 それ故に、今後世界の霊通人達は私の所に来て教育を受けなければ成りません。僧侶でもどんな人でも……。天地の秘密を知っている人がいなかったのです。初めてこの時代に文総裁という人が出てきて発表する事によって、天国の博物館にもなかった記録の蔵書に成り、それを見て数多くの善霊達が知って、地上の自分の後孫に夢での啓示を通じて、あるいは啓示を通じて教える様に成る時、地上の図書館にぎっしりいっぱいに成る事でしょう。今ここで言う事は、どの様な図書館にもないのです。

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 神様の心情世界迄も発見したレバレンド・ムーンが、偽物でないという事を知らなければ成りません。この様な全ての事を聞いてみて下さい。世の中にないのです。先生が教える内容は世界のどんな図書館の本にもなく、霊界の図書館にもありません! 初めてなのです、初めて! この様な内容は地上の何処にもなく、霊界の何処にもない新しい真理のみ言です。これは神様と霊界と地上の人間が求める事の出来ない宝の倉庫にある記録だという事を知らなければ成りません。

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 地上で先生を見ただけでも霊界に行っては自慢の種に成る事でしょう。「私は先生に侍った」と言ってです。草木を見て下さい。植物達の芽は全て太陽の光に向かっているのと同様に、皆様の本性こそ愛の太陽の光に向かうのです。神様は愛の太陽です。霊界に行けばそうなのです。

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 総結論は何ですか。アダム完成です。アダム完成とは何ですか。アダムが出来なかった事が何かというと、責任分担の完成が出来なかったのです。責任分担とは何ですか。祝福家庭世界の伝統的、世界の礎石的基準が、家庭的礎石であり、氏族的礎石であり、民族的礎石であり、国家的礎石であり、地上天国の礎石であり、天上天国の礎石に成る事の出来る全てです。その礎石が汚されてしまいました。それを清算しなければ成りません。ですから霊界の清掃、地上の清掃、全ての事をしなければ成りません。

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二 真の御父母様と天国建設

 1.真の父母に成る為にみ印を受けなければならない

 再臨主に成る為にはどの様にしなければならないでしょうか。霊界に入っていってイエス様を中心として全ての宗教関係にある原理の内容、天地はこうで全ての原則がこの様になったという道理を解いて霊界で承認を受けなければならないのです。その内容を発表しなければ成りません。

 これは霊界でも分からない話なのです。神様とサタンだけが知っている内容ですが、これを全て発表するので霊界で反対が起こるのです。それで、四十日間霊界の混乱時代が来ます。サタンが神様を否定する条件を立てて反対するので……。そこで霊界の半分が別れて反対しました。ですから混乱が起こるのです。最後に至っては神様が「どれが真なのか」という事で判決しなければ成りません。それで、真の父母が霊界を完全に屈服させて、神様のみ印を受けて地上に降りてくるのです。

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 天下を統一する為には霊界を統一しなければ成りません。霊界の先祖から「文総裁は異端者だ、反逆者だ!」と言われます。のちには神様迄も「そうだ。捨ててしまいなさい」と言うのです。蕩減原則がそうです。アダムとエバが神様を否定したので、神様もアダムとエバを条件的に否定しなければならないのです。否定する立場から肯定し、私の神様として取り戻さなければ成りませんし、私の天国として取り戻し、神様のみ印を受けなければ成りません。そうして神様がここに共に立って讒訴してから、あとでは全て……。

 先生の性格は、一度始めれば最後を見届ける迄やめません。死ぬ前には後退をしないのです。この「原理」がどうだという事を私がはっきりよく知っていて、自信満々なので、食ってかかるのです。イエスだとか孔子とか、何を知っていますか。彼らは「ああ、私が学んだのはこの様なものでしたが……」と言うのです。彼らは自分達が教えた教理にはないと否定的事実を質問するのです。また、「そうではない!」と言うのです。

 四十三日間霊界全体に対して闘争の役事をしたのです。ですから最後には何かというと、四十日目は神様迄も「レバレンド・ムーン、こいつめ。なぜこの天上世界に来て平穏な天の世界を混乱させるのだ、このどろぼうめが」と言うのです。皆「わっ!」と言いました。かといって私は後退しなかったのです。

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 私の話を聞いてみて下さい。再臨主になろうとするなら、霊界に入っていって神様のみ印を受けて来なければならないのです。文総裁が霊界に入って行く事によって、四十三日間霊界で闘いが生じました。地獄の底から天上迄全てが「文総裁は異端者だ!」と言うのです。それを下から整理していかなければ成りません。

 一番あとは聖賢達です。彼らと神様の前で談判して、正義の主人が誰かという勝敗を決める闘いをしなければ成りません。その時の題目は何ですか。霊界に来た全ての人々は血統が変わったというのです。血統転換をしなければならない事を知っていたのかというのです。二つ目は何ですか。所有権転換です。「地上で生きながら個人の所有権をもつ事は天国の背信者だ!」と言うのです。道主達が行くら優れているとしても、ここに引っ掛かっているのです。

 ですから、先生が霊界で闘う時、自信満々に「異端が何だ」と対抗して闘ったのです。今後は、霊界に大混乱が起きるので神様が審判長として判決を下さなければ成りません。所が、神様迄反対するのです。「文総裁はお前達が言う様に異端者だ!」と言うのです。なぜですか。アダムが天を裏切ったが故に、蕩減復帰の原則によって神様もアダム完成者を裏切らなければならないのです。それでこそ神様の心にわだかまった塀が崩れるのです。そして、全体が皆反対し、神様迄あちら側に立っていて、ただ一人文総裁が残ったのです。

 かといって混乱の渦中にある霊界を、そのままにしておく事は出来ないのです。神様が最後の判決を下さなければならないのです。「文なにがしが言う血統転換、所有権転換、心情圏転換が事実である!」と言うのです。その様な勝利の覇権者として、み印を受けて降りて来なければならないのです。

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 皆様、世の中を収拾する為には、霊界を収拾しなくては成りません。それをせずには世の中が収拾出来ないのです。先生がこの様な真理のみ言を探求し「こうでなければならない!」と主張する時、サタンも反対し神様も反対したのです。人が神様を捨てたので、神様も人間を捨てなければならないのです。蕩減法則です。それで、霊界で四十日間闘いが生じるというのです。四大聖人達が全て来て、「レバレンド・ムーン、異端だ!」と言うのです。霊界の全ての宗教指導者達が私に反対したのです。

 この様にして神様のみ前で大会をし、誰が正しいか攻防戦をしました。四十日間、全霊界が大騒ぎしました。「レバレンド・ムーン、異端だ!」と言いながら大騒ぎしたのです。「霊界が複雑だ。私達は、それは嫌いだ。追い出しなさい!」と言いながら騒いだのです。しかし、神様もこのみ旨でなければならず、この様にしなければ全ての世の中を理論的に収拾する道がないというのです。

 孔子は神様の人格体を知らないではありませんか。神様をよく知らなかったのです。人格的な神様は分かりませんでした。「天」とは言いましたが漠然としています。質問戦でノックダウンするのです。イエス様に対しては「貴方は再臨論に対してなぜこれこれこういう問題を言わなかったのですか」と言うので、ノックダウンするのです。空中に千年王国を成すですって? 霊界に行けば皆間違っている事が分かるのです。私が質問する時、相手は口を開く事が出来ないのです。あとで神様に対しても「貴方が判定しなさい、誰が正しいのか」と言うと、神様があとで「レバレンド・ムーンが正しい!」と言ったのです。

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 霊界に入っていき、四十三日間一番下からぞんざいな扱いを受けるのです。「お前がなんだ」と言ってです。僕、朴氏お婆さんの親類の詐欺師、異端者の魁首だというのです。霊界に入っていって全宗教を中心として、選民達を中心として、一番あとには四大聖人達を中心として面談し……。全て反対するのです。神様迄一緒に成って「この逆賊め、たたき殺せ」と言うのです。「歯には歯、目には目」です。四十日期間、霊界全体が反対するのです。

 ここで後退しては駄目です。四十三日間を闘うのです。最後には神様迄も皆反対したのです。先生が後退出来ますか。後退すれば大変な事に成るでしょう。それで、あとでは全て神様迄屈服させるのです。ですから、神様が霊界に対して「気をつけ!」をするのです。この様にして、「霊界の闘いに対して私が判定しなければならない様だが、実は、全て当たっている証人は文鮮明だ」と発表をするのです。

 それで、神様の前に答弁するのですが、後ろを振り返れというのです。振り返って答弁するのですが、文鮮明の話が合っているとして「気をつけ!」と言い、神様御自身とともに全霊界が先生を証するのです。ですから霊界迄全て終わりました。み印を受け公認を受けて地上に来るのです。

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 世の中を統一するには、天上世界に入っていって統一しなければ成りません。どの様に統一をするのでしょうか。歓迎するのではありません。天上世界に行って「天理の道理は私が言う様に、この様に解かなければ成りません」と言えば、サタンも知り神様も知っているといえども答弁出来ません。全ての道主達は初めて聞くのです。血統転換、所有権転換、心情圏転換、その様な言葉が何処にあるかというのです。イエス様さえも日ごとにその様に言うのです。聖人達が全て反対します。これで四十三日間大霊界の混乱の役事が起きるのです。「あの異端の魁首レバレンド・ムーンを追い出せ!」と言うのです。「追い出せ」と言うからといって、追い出したとしたらどの様に成っていたでしょうか。統一教会は出てきません。これでその試験の中で四十三日を全て押しまくらなければ成りません。

 先生はその様な所においては専門家です。正しい事と間違っている事の分別については専門家です。それで、サタンなのか神様なのかすぐに分かります。全て見た所、違っているのです。ですから押しまくるのです。すると最後に神様も大騒ぎするのです。霊界が混乱して、レバレンド・ムーン一人を中心として、霊界が全て動揺して大変な事になったというのです。神様は審判の主人なので、最後に主人が責任を負わなければ成りません。全霊界がレバレンド・ムーンを前に立て神様に讒訴する局面なのです。それで、神様が定義を立て審判しなければならないというのです。二つの闘いを停止させる為には、正しい事と間違っている事を明らかにしなくては成りません。二つの輩に成っているというのです。

 先生は一人であり、霊界は全てが反対です。神様迄反対するのです。「こいつ、悪いやつ。そんな話が何処にあるのか」というのです。アダムが反対して堕落したが故に、神様が反対しなければ成りません。父母がたたかなくてはならないでしょう。罪を犯した子女ならば踏んでけって、この様に許してあげるのと同じ様に、一番あとで文総裁を立てておいて「前を見なさい」と言って神様が判断するのです。「今迄数多くあれこれ言い立てていたが、文総裁が主張する事が正しい」と言ったのです。

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 統一教会にもがらくたがたくさんいます。たまに「自分がメシヤだ」と言う人がいます。「レバレンド・ムーンは洗礼ヨハネで、私がイエスだ!」と言うのです。レバレンド・ムーンがただでその様になったのではありません。天国に行って、み印を受けなければならないのです。天上世界の霊界を統一したが故に、霊界が先生を後援するのです。全体がそうです。混沌となった霊界が先生によって収拾されるのです。

 今迄仏教であれば仏教圏、儒教であれば儒教圏が垣根に成って様々な派が多いのです。これが全て一つの方向をとらえました。二つの方向ではなく一つの方向です。霊界がそうであるが故に、一つの方向の権限をもって地上に来て……。地上にも様々な方向があります。五十億人類であれば、五十億の方向があるのです。全て成して一つの方向をつくるのです。サタン世界が反対してレバレンド・ムーンを殺そうとありとあらゆる事をしましたが、レバレンド・ムーンを中心として、だんだんと一つの方向の世界が広がるのです。一つの方向に進んでいます。「世界平和の為の平和主義者は文先生だ」と、この様に今言っているのです。それ故に先生に対して関心が高いのです。それは知っていますか。

 霊界の混乱を全て収拾すれば、地上で混乱した事も全て一つの方向にしなければならないのです。それで、世の中の政治家達、世界で最高に有名な学者、言論人、経済人、有名な人々を全て連結するのです。その人々が先生を尊敬しますか、しませんか。皆自分成りに様々な試験をして、あらゆるチェックをしたのです。ですから霊界の混乱を収拾したので地上の混乱を収拾する段階が今見えているのです。どうですか。見る事が出来ますか。目前に一歩だけ越えていけばどの様に成るか、みんな分かります。ここに集まった人々はばかではないでしょう。賢い輩である皆様が見る時、「世界は私達の手にある」と思いますか、思いませんか。真の父母は永遠に一つです。誰でもないのです。ですから霊界が全て順応しなければならず、地上が全て順応しなくては成りません。二つではなくてただ一つです。終着点は真の父母です。

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 宗教もいろいろなものがあります。文化背景が違うのでそう成るしかありません。五十億人類が基督教文化圏と同じではないのです。基督教は何も知らないのです。イエス様を信じないと全て地獄ですか、とんでもありません。霊界に行ってみて下さい。孔子様とイエス様は友達です。釈迦とマホメットも友達です。基督教の名をもつ聖人達や仏教を信じた高僧達も、みんな友達です。とばり一つだけ違うのであって、全て神様の一族なのです。このとばりを開け放たなければならないのです。

 宗教が統一される時、とばりが全てはがれて、一つの家族として大声を出して激しく泣く事の出来る、その様な事が起こるのです。その天上世界の一日を待つのです。歴史時代に宗教の背景に無知であり、この様な闘いをしたという事実を知らなければ成りません。それ故に歴史的な全ての恨みに対して各宗団者、教主、全歴史的指導者達が集まって悔い改めをしなければ成りません。悔い改めさせる事の出来る人が誰かと言えば、真の父母です。

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 「孝子」とは何ですか。愛を中心として命懸けで父母に侍る息子の事をいうのではないですか。では「忠臣」とは何ですか。愛を基台として、天の代わりに君主の為に生命を捧げて犠牲に成りながら行く人を「愛国者」と言います。「聖人」とは何ですか。聖人は世界の人の為に生きる人の事です。文化背景が違い、国境が違い、人種が違っても、万民を愛する事に生命を捧げ様という人です。一時的にではなく永遠に愛する事の出来る道に導こうという人が聖人です。一段階さらに上がって「聖子」とは何ですか。世界だけではなくあの霊界、無限な世界の為に迄、神様の為に迄、愛を中心として自分の生命以上に「為」に生き様とするお方が聖子ではないかというのです。全て愛です。

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 霊界に行って皆さい。統一教会の文先生はどの様に成っているでしょうか。「釈迦や孔子、マホメットはレバレンド・ムーンの弟子だと言った」と言って、ホメイニの様な人はレバレンド・ムーンを死刑にすると大声をあげていましたが、皆死んでいきました。行って皆さいというのです。その聖人達を全て祝福してあげたではないですか。祝福してあげたでしょう。です

から、霊界から送って来た相軒氏の手紙によれば、有り難いというあいさつをどれほどしているでしょうか。

 生きて祝福を受けた皆様は、霊界に行って復活した数百万、数千万、数億の人々やその教主達よりも高い位置にいるという事を知っていますか。今迄むやみに生きてきました。それを知らなければ成りません。先生は自分勝手に暮らしている様ですが、何処に行って座ろうが、何処に行って何をし様が、神様の法度を守って霊的に整理して座っています。法を守るからそうだというのです。皆様はむやみに生きているでしょう。

 2.天国建設と地上、天上世界の統一

 一国を見れば、国が形成される為には、その国の主権がなければならないのです。民がいなければならないのです。国土がなければならないのです。その様な観点から地上に天国を実現するという問題を見てみる時、天国の主人は誰ですか。主権者は誰ですか。間違いなく神様が主権者です。そして、民とは誰ですか。民とは万民です。では、国土は何処でしょうか。地球星です。

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 アダムとエバが堕落しなければ、神様が何をしてあげ様としたのでしょうか。神様が祝福によって結婚式をしてくださり、神様が喜ぶ事の出来る息子、娘を生む様にし、神様が喜ぶ事の出来る家庭を編成して、これを繁殖させて氏族と民族を編成し様としました。これが、もっと広がればその世界は何主義の世界ですか。神主義の世界であると同時にアダム主義の世界です。

 その世界に理念があるとすれば、これはアダム主義理念であり、そこに宇宙観があるとすればアダム主義宇宙観であり、天宙観があるとすればアダム主義天宙観であり、生活観があるとすればアダム主義生活観だというのです。そして、五色人種がまだらに成ってそうするのはかまわないというのです。それは環境によって変わった事なので、数多くの民族の皮膚の色合いが異成ってもかまわないというのです。では、どうして数多くの民族の言語が異成ってしまったのですか。人類始祖が堕落する事によって、天は分立させたというのです。

             *

 私が行き来するのも、その国を取り戻す為の、祖国光復の為の、建国の功臣に成る為にその様な使命を担い、あるいは天の密使としての指令を受けて、今日の悪成る世に来て、この事をしているという事実を思いながら生きていかなければならないのです。そうでなくては皆様が今後復帰する国の国民として、その威信と体面を立てる事が出来ないという事を知らなければ成りません。

             *

 人間の力、人間の知恵、人間の文化、その何をもってしても、真の意味の平和の世界や一つの統一された世界を願う事の出来ない時点にあるという事を、私達は知っています。この様な立場で世界文化を解決するにおいて、最も中心問題とは何ですか。神がいるか、いないかという問題をはっきり解明する事が、何よりも重要な問題だと思います。万一神様がいるという事を全人類が知る様になった場合には、神様のみ旨がどの様な所を指向するのかという事がはっきり分かる様に成るはずであり、その指向するみ旨を知る様に成る時は、その世界こそ一つの世界であり、平和の世界であり、理想の世界であらざるを得ないのです。

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 祝福結婚と永生は真の父母から始まります。真の父母でなければ出来ないのです。真の父母がこの様な膨大な内容を解決して、霊界と肉界の統一、地上世界の統一をしなければ成りません。見て下さい。世界が私に反対していたのが、全て従ってくる様に成っているのです。神様の前に行ってみ印を受ける事なしに、霊界を統一し、地上を統一する事は出来ないのです。行くら地上が反対しても文総裁の行く道を妨げる事は出来ません。天使世界と霊界が動員し、先祖が動員しても「行かない」と言うなら、悪夢を見させ、首を押さえてサタンの行動を代わりにする時が来るというのです。怖い時が来ます。

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 今や霊界の解放圏迄成し遂げました。霊界と地上の平準化運動を今しているというのです。春がやって来るのです。天国の春、地上の春が訪れるのです。今迄は天国には春が来ましたが、地上は夏であったのです。今は地上において、夏が去り冬が去って、天国の永遠に続く幸福の理想、全てを消化して新しい生命を復活させる事が出来る春の季節が訪ねてきます。故に地上の時代には平和がやって来ます。それで、統一教会の先生が今選んだ言葉は何ですか。世界平和統一家庭連合をはじめとして、全て「平和」という言葉が入っているのです。

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 霊界、肉界が上に上がっていっても、下に降りてきても、左右に成ってもかまわないのです。前後左右が行くら入れ替わっても同等な価値をもっているので、天上世界と地上世界を完成した理想愛の圏時代、天宙的愛の圏時代が出発するというのです。それを私達は、地上天国、天上天国というのです。全体解放圏です。何の話か分かりますか。

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 過去の人、現在の人、未来の人、霊界に行った人も、祖国光復の為に協助出来る時が来ました。ですから、多くの人々が、先祖が入ってきて、統一教会に行かなければ良くない事が起こるのです。文総裁の力でその様に成るのではありません。神様と先祖が、天使世界と先祖が一つに成って、地上を全てコーナーに追い込むのです。家庭問題を中心として、コーナーで手をつける事が出来ないのです。ただ文総裁だけが全権をもって行使する事が出来る、驚くべき事実をこの民族が希望峰として、その国の、祖国の基盤として歓迎する時は、天下無敵の国に成るのです。

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 霊界が今迄お兄さんの立場で地上を蹂躙してきましたが、今からはそのお兄さんが地上を助ける事の出来る環境に入る事によって、地上のアベル圏は今の様に、これ以上利用されません。欺き一方通行は出来ないのです。この方向を越える事は出来ません。東西南北において東方は侵犯出来ませんが、西方、南方、北方を行ったり来たりしながら、地上でその事をしているのです。それによって多くの霊的な犠牲が地球星で続いてきましたが、今からはそれが解消されて行くというのです。ですから、今地上と天上が統一圏へ近づいて来たというのです。

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 歴史を通じた全般的な自分に対する根本問題を解決する道は、先生の教え以外にはありません。永遠にありません。霊界に行って皆さい、先生がうそをついているか。先生は全て知って教えるのではなく、成して勝利してから教えているのです。良心はそれを知っています。それ故に、真の父母と成約時代を宣布したという事は、それを成したという事です。

 サタンと対決して屈服させ、先生が向かう世界、展望する世界には、サタンがその姿を現す事が出来ないのです。それを平面圏において個人、家庭、氏族、民族、国家、天宙、霊界の天国迄平面化させています。それを平面化して連結すれば地上天国です。地上天国で生来た人間とその一族がそのまま天上天国に移行する様に成っているのです。天上天国とは何かというと本家です。

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 今時が来たが故に李相軒先生が霊界に行ったのです。霊界の事実を全て地上に知らせる為に摂理のみ旨の中で逝ったと見るのです。霊界全体を知る為には神様の指示を受ける事が出来なければならないし、接ぎ木をしなければ成りません。これを全て体系化出来なければならないはずですが、今迄霊界はその様な事の出来る基準に到達出来ていなかったというのです。

 それ故に、数多くの宗教が現れて霊界の事実を紹介したといっても、それは一部分であり、その宗教の内容を中心として教えたのであって、全体を把握出来なかったというのです。しかし今、成約時代を迎えたが故に、神様の許諾を受けて、霊界全体の様相を地上に説明出来る時代になったのです。それを知らなければ成りません。それ故に霊界の事実を知らなければならないというのです。

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 霊界が完成しましたか。霊界は未完成でした。なぜ未完成だったのですか。本来、霊界のヒエラルキー・システム(hierachy system : 階級体系)とは何かというと、神様と真の父母を中心として、真の子女を中心として全霊界が連結されなければならないのに、そう成っていないというのです。地上もやはりそう成っていません。この内容だけ地上にもってきてくっつけておけば、霊界は自動的です。言い換えれば、堕落していないアダム主義、神様を中心としたアダム主義、アダム主義であると同時に真の父母を中心としたヒエラルキー組織が霊界ですが、そう成っていないのです。

 今迄その中心には、仏教を中心とした釈迦クラブが出来ていて、孔子クラブが出来ていて、イスラムクラブが出来ているというのです。ですから、霊界は真の父母主義とアダム主義が現れる事をイスラムの輩、孔子の輩、釈迦の輩、全てが願っているというのです。ですから統一的な方向をたどらなければならないので、地上にも真の父母の役事が世界的な基準に上がって行く時、全ての宗教の境界線はなく成り、統合運動が霊界の動きに従って自動的にその結果が地上で現れる様に成るというのです。

 ですから、統一教会が世界主義に成る事によって、どの様な事が起こるのかと言えば、霊界の霊人達が全て霊界にいなく成ります。目的が地上で完成し、逆に入っていかなければならないので、全て再臨する様に成ります。全て再臨するのです。全て活動します。世界に散在している統一教会の食口達が先端に成り「動け! 動け! 動け! 動け!」と言われる事を願っているのが、数千億に成る霊界の霊人達です。ですから、ここに合わせて霊界で一つにしておけば、神様が主管される世界に成るのです。真の父母の名のもとに一つの統一された世界が永遠に続くのです。

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 今から国家、民族的なグループが連合出来る時代に入るのです。ですから、地上の国と氏族と家庭が連合し、統一圏に越えて行くのです。この様に越えて行く事によって、世界は急速に変わるのです。ここで反対している人々は、サタン達が来て黙っていないというのです。サタンが今迄地獄に連れていこうとしましたが、天国に連れて行くというのです。そうやって協助して先祖迄天国に連れていこうとする為に、天国に行く事を妨害する者がいないので、解放圏に成り、それによって急速に未来の世界化時代へと越えて行くというのです。

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 先生が霊界と地上世界を清算出来、理想的な地上天国・天上天国を完成出来る実力があると見ますか、ないと見ますか。それが可能だと見ますか、不可能だと見ますか。どうですか。ですから、その様な全体、全般、全権、全能の時代、それを行使する事が出来る時代が来ました。世の中の組織が、いろいろな国の全体組織が一般化されるというのです。全体、全般的に全ての能力をもったサタン世界は、完全に天の権限の前に無能に成り、神様の全権時代、全能時代へ越えて行くというのです。そうする事の出来る人は真の父母です。真の父母から始まるのです。

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 霊界から全て出動すれば、良い事がたくさんある事でしょう。抱き合う事も多いでしょうし、喜ぶ人もいるでしょうし、統一教会を呪って逃げた人々が地をたたきながらこう言うでしょう。「全く、こんなはずでは!」と。

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三 真の御父母様と愛の役事

 1.聖人と殺人鬼も同席で祝福

 考えて下さい。先生が聖人と殺人鬼迄許してあげたでしょう。では、自分の息子、娘が罪を犯した事は許してあげる事が出来ますか、出来ませんか。スターリンやヒトラーは人を何百万名、何千万名も殺したのです。その様な悪魔の中の悪魔迄も許してあげ、祝福してあげました。それをしてあげなければ地獄の門を開く事が出来ません。それはよくやったのですか、よくやらなかったのですか。仏教では「ああ、私達の釈迦を連れていって結婚させる。その様な事が出来るだって」、そして「ああ、イエス様を結婚させるだって!」と言っています。

 行ってみると全て楽園です。中間霊界にいます。彼らに「貴方方の願う事は何ですか」と聞くと、「先生が願う事ですから、私達の願う事は簡単でしょう。祝福していただ来たいです」と言うのです。「祝福してあげればどうしますか」と言うと、「地獄の門が開き、天国へ行く事が出来る道がなかったので、私達が生前世界を一つにし様とした時の十倍以上努力する力があり、自信があります。聖人達を後ろにつけて引っ張っていきます」と、その様に言うというのです。

 この様な決心をして自信満々に改心する様に成るならば、使徒パウロをも反対している途中で改心する様にして基督教の忠臣にされた神様ですから、反対の悪党達が霊界に行ったとしても引き抜いて、神様がうまく使う事が出来る忠臣の王に成る事が出来るというのです。

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 聖人と殺人鬼を解放してあげたので、その原則において、統一教会に猛反対していた夫であれ自分が願う人を引っ張って、地獄にいる人迄も連れてきて解放させ、祝福出来るのです。その様な事が起こっているのです。聖人と悪人を全て一つにする、この様な原則があったが故に、その様な事が可能なのです。そして、霊肉祝福一体圏をなして三日儀式迄する様に成っているので、残りの霊界において、地上で生きられず結婚する事が出来ずに死んだ哀魂達、十六歳以上の年齢になった全ての人々迄、今解放してあげるのです。その人々迄祝福してあげるのです。

 地獄の門を開けて、霊界に行った全ての人々の前に祝福をしてあげ、神様の血族的権限を認める事によって、サタンは完全に後退せざるを得ないという事を知らなければ成りません。これは革命です。革命の中でもこの様な革命はないのです。堕落によって全ての死んだものが天国に行く事が出来るという、その環境をつくっておいたのです。アダムとエバが堕落して以後、結婚する事が出来ずに死んだ子供達も、結婚して天国へ入って暮らす事の出来る全ての基盤、全ての先祖が祝福を受けた圏内において霊界に入る事の出来る環境をつくり、天国に行く事の出来る高速道路を築いておいたのです。その様な基盤を全て蕩減復帰したというのです。

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 先生が霊界を知らなければこの道を行く事は出来ません。霊界のお父様が私のお父様です。ですから、霊界の秘密を誰よりもよく知っているのです。避難の渦中においておなかがすいている時は先祖を動員するのです。道端の過ぎ行く人の為に宴のお膳を準備させたものもたくさんもらって食べました。その様な話をすればうその様な事が多いので話をしません。私達の様に優秀な人が科学を学んだのに信じられない話をなぜしますか。皆、理論的に考えるので、これらは信じられない話ですが、先生の話を聞けば全て信じるでしょう。

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 神様がお造りになった霊界には堕落した人間は暮らしていないというのです。その霊界は完成した祝福家庭達だけが暮らす事の出来る所です。そこはアダムが完成した以後に生活すべき天国の様な環境です。ですから神様が全権をもって、世の中の全ての小さなものから大きなもの迄思いどおりに出来るのです。祝福を受けて「真の祝福天宙化とサタンの血統根絶」です。打ち砕くのです。ですから、八十代に入り、全ての地上の一族達は天国行きです。出エジプトの様に地上世界の出発が始まるのです。モーセが八十歳に出エジプトしたのと同じ様に、これからは真の父母、家庭の王として世界地球星の出発をするのです。

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 先生は世界高速道路プロジェクトをまだ発表していないというのです。何処へ行かなければならないかという事をはっきり明らかにして、全て道を開けておいたのです。それで、霊界の地獄迄降りていって地獄の門をぱっと開けたのです。殺人鬼迄祝福してあげたのです。李相軒氏が、霊界の実相を見て一人で泣いて祈祷していると、その使者が「一緒に帰ろう」と言って神様のもとに帰って来たというのです。神様の所に行くと「悲しいのか」と言うのです。痛哭すると神様は、その様な全ての者を救わなければならないが、どの様にするつもりかというのです。神様が話されるには、「お前の息子、娘達は良い生活をしなければならない」と言われたのです。

 それと同じ様に、全人類は神様の息子、娘なので良い生活をしなければならないが、その道を解放してあげたくとも神様御自身では出来ないので、お前が責任を負わなければならないというのです。それが『霊界の実相と地上生活』に出てきます。貴方が責任を負えというのは、なぜかというのです。統一教会に反対して死んだので文総裁に対して、教えてくれる事、解放してくれる事を願うのです。それで、私が痛哭をしたのです。「神様がなぜこの様になったのですか。私の様な者に頼まれる神様、なぜこの様になったのですか」と言ったのです。それで、昨年五月十三日から十五日迄、霊界全てをひっくり返して私が責任をもったというのです。度胸も良いでしょう。「私が責任をもって断行します」と、この様にして祝福をしてあげました。

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 一次アダム失敗、二次アダム失敗、三次父母も失敗して、荒野路程でこれを全て蕩減して解放され、第四次アダム圏祝福時代は地上天国出発時代です。この理論が全て合わなければ成りません。大ざっぱな計算でくっつけてはならないのです。それが霊界や地上で先生が「原理」を中心として解明した結果的基準で評価する時、右手と左手がぴったり合わなければ成りません。こうしてこそ音がするでしょう。それを合わせるのが愛です。絶対愛を中心としてです。

 地上世界、天上世界がカイン・アベルに分かれたものが、初めて兄弟の因縁、真の父母の愛、真の血統の因縁によって一つに成る事が出来るので、同じ祝福を中心として死んでも共に死に、生きても共に生き様というのです。ですから、死なんとする者は生き、生きんとする者は? (死ぬ)。違います。真の父母がいる時は、生き様とする者は生きるのです。真の父母に従って生き様とする者は生きるのであり、真の父母がいない為に、全てを反対にしなければならなかったのです。

 逆説的に死のうとする事なしに、真の父母の行く道を、侍る事の出来る位置を探す事が出来ないのです。霊界も解放であり、地上も解放です。アダムとエバの歴史始まって以来、神様の胸に打ち込まれた大きな釘を抜く者がいなかったのです。そして、歴史時代の善の先祖達が皆血を流してきました。彼らの恨を解く事が出来なかったのです。

             *

 先生が八十歳を越えれば天地が合徳する時代です。先生が八十歳迄一代で全ての事を、霊界を完全に解放するのです。地上天上、夫妻なら夫妻、家庭が天国に入るのです。夫婦で天国に入るべきであって、一人では入れません。地獄の門、天国の門を全て開いておいたのです。全て回りながら上がって行くのです。自分の先祖が列をつくって見張りに成り、案内してくれるのです。

 昔はサタン達が自分の欲望を中心として穴を掘っておき、千年万年行けない様にしたのです。使いをさせていたのです。今それを全て撤廃してしまいました。うその様でしょう。その様に成るのです。見ていて下さい。なぜですか。霊界の事実が全てどの様に成っているかよく知っている為です。それをしなければ後代に行って引っ掛かるのです。

 2.真の祝福の天宙化、霊界・肉界平準化

 真の祝福天宙化とその次が何ですか。サタンの血統根絶です! 根を切るのです。偽りの結婚をして地獄へ行ったので、真の父母が結婚で正さなければならないのです。ですから、霊界の天使長が地上にいるエバを愛して堕落させた事を蕩減復帰する為には、霊界にある家庭的天使長の立場が地上に来て、地上にいるアダムとエバの家庭と同じなので、アダム家庭を再編成する所において開拓者に成るのです。その様にする事によって、この家庭が皆様の家庭の周辺に来てサタン追放運動をするのです。これが原理観により、きちんと理論的に整理されるのです。

 これからどの様な事が残っているのかと言えば、地上において霊界の人達と愛し合う事が出来る愛の門が開く時になったというのです。夫が死んでいったとしても、地上で共に暮らすのです。今その様に暮らす家庭もあるのです。それで、今回統一教会に通う事に反対されていた人達を中心として、反対した自分の夫を許し祝福してあげたのです。祝福しただけでなく、私がアメリカに行く前に、四億組祝福を行う前に霊的な祝福をしてあげた人達は、実体の三日儀式迄する様にしたのです。

 三日儀式迄して霊界に本格的な家庭出動命令を下したが故に、残りは何ですか。今迄結婚出来ずに死んだ哀魂を中心として、霊界で大きく成って結婚を待つ数千億の霊がいるので、この門を開けてあげ、四億双の四倍である十六億双を結婚させてあげました。

             *

 先生がそうです。私がみ旨の道で誇ろう思った事は一度もありません。私が世界的にした事は多いのですが、まだする事も多いというのです。霊界が残りました。地上でしたならば地上で整備して逝かなければならないのです。それで、今回一人暮らして結婚せずに死んだ男女、父母の愛を受けたが地上で嫁をもらえず、嫁ぐ事も出来なかった人を……。

 また、生まれてすぐ死んだ赤ん坊達です。赤ん坊達が霊界で成長するのです。そのま迄はありません。母が泣いたりわめいたりして思ってあげる事により、その心が大きくするのです。父母が子女の死んだ事を悲しむのは悪い事ではありません。知ってみれば死んだ相対が霊界で大きく成るのです。夫が死んだと妻が気にして悲しく考えれば、その恩恵を受けるのです。

             *

 地上で生まれた全ての人間達で、真の父母を通じて生まれた人は一人もいません。真の母、真の父、真の父母の血統を受けないで生まれた者は、天国に入る道がないのです。神様の創造理想によると、真の父母の血統を受け継いで、真の父母に天上天国、地上天国の王権の主人として仕え、親族圏内で愛を中心として真の御父母様と共に暮らし自分も結婚して後孫を残し、そのまま移る所が天国です。ですから皇族圏の愛を中心として、体恤的な経験をもたない人は、天国に入る事が出来ないのです。明らかだというのです。

             *

 私は私の責任を果たしました。何かやる事があるでしょうか。霊界迄統一圏によって祝福してあげて怨讐迄生かしたので、サタンが私の前で讒訴出来る何らの条件もないのに、何をもっとするのでしょうか。今では蕩減がありません。

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 霊界に水平をつくっておかなければ成りません。今迄地上に来て霊界に行った人々はどんな人達ですか。自分勝手に愛の関係を交わして生来た人達です。浮気をし、男性も女性も自分勝手に生来た人達です。女性も姦婦達が多いでしょう。浮気をしてです。その様にして地獄に行くのです。地獄のどん底に行くのです。

 最近では法的な契約夫婦がいます。それは知っていますか。彼らは赤ん坊を生む事を嫌います。家庭をもつ事を嫌うのです。天使長時代にはそうなのです。赤ん坊のいない人が父母の愛を知っていますか。子女を愛する事が出来ますか。契約では永遠に愛する事が出来ないのです。これは流れ者です。霊界に行けば流れ者に成ります。定着出来る根拠がありません。この様な者達も先生を通して結婚させてあげればどれほど喜ぶでしょうか。

             *

 霊界は何ですか。霊界は天使長世界であり、地上はアダム世界です。息子の世界と僕の世界は違うのです。では、霊界が一生懸命しなければ成りませんか、この地上が一生懸命しなければ成りませんか。そうする為には、この地上の四万双というものが……。今私達祝福家庭が四万双出てきているのです。四万と五千組ほどに成るのです。いや、四億を越えるのです。それ故に一つの家庭で一双ずつだけ未婚の男女を駆り出せばよいという事なのです。

 その為には霊界も同じです。霊界にいる霊人達は皆アダムの後孫ですが、堕落する事によって天使長の血統が霊界に行っているのです。これはあってはならない事実なのです。カイン形態が広がった霊界をそのままにしておいては成りません。全て祝福してあげなければならないのです。祝福をしてあげて、これが全て水平にならなければ成りません。それ故に、結婚出来ずに死んだ霊達を全て集めて祝福させたのです。また、生まれて赤ん坊のうちに死んだ霊達が育つというのです。十六歳以上で、結婚もする事が出来なくて霊界に行った人々を、全て祝福してあげるのです。それは全部で数千億には成る事でしょう。それで、祝福を今しているのです。全て。

             *

 潮水が出て行く時は悪いものが出ていきます。入ってくる時は一番後に出ていったものが先に入るのです。蕩減復帰するので同じ水、同じ月を見れば、中間に立ち、この二つが入ってきて一つに成る時、そこにぴたっと合うというのです。歴史的にこれが、ぴたっと一代で水平に成る時、プラス・マイナスの様に祝福してあげる事によって、サタンを完全に追放する事が出来るのです。偽りの父母は追い出し、真の父母と一つに成るのです。それをしたが故に地獄を撤廃し、霊界にいる先祖を結婚させてあげるという事が起こるのです。

 今数億、数百億、数千億が結婚するのです。霊界を天国にリードするのが私達の先祖です。地上で後孫はお父様の位置、息子の位置を、縦的に真の愛を中心として一つにするのです。東洋と西洋を連結させる事が出来る始点が、真の愛を中心とした家庭基盤です。

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 祝福とは神様の真の生命の血統が連結され得る基盤を相続する事です。祝福を通し神様の血統を相続した人が霊界や肉界にいる為に、神様が思いのままに主管する事が出来るのです。ですから、神様の思いのままに再創造、復帰歴史を今でも蕩減条件なく全権をもって押し出すのです。ですから、皆様がその様な信念をもった相対的立場に立つか立たないかという事が問題なのです。決心のされたその様な絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準と一つに成る時には、一遍に全てのものが水平世界に線を引く事が出来るというのです。

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 父を愛の主人にしてあげるのは息子であり、夫を愛の主人にしてあげるのは妻であり、お兄さんを愛の主人にしてあげるのは弟なのです。反対に子女に父母がいなければ、妻に夫がいなければ、お兄さんに弟がいなければ各々愛の主人の位置を見いだせないのです。真の愛の主人に成るには、相対を自分よりも敬い、「為」に生きなければならないのです。ですから、個人では心と体の一体、家庭では夫婦一体、兄弟一体、国家一体圏を形成して、八段階の理想モデルである愛の圏を完成するのです。

 すなわち、腹中時代、乳児時代、兄弟時代、思春期時代(婚約時代)、夫婦時代、父母時代、真の祖父母時代、真の王と王妃の時代を経て、永遠に変わらない真の愛の伝統を立てて、父子関係である真の愛のモデルが完成するのです。そして父母と子女、夫婦、そして兄弟(姉妹)、国家などが全てこの様な真の愛を中心として、八段階のモデルである主人に成る事を願う所が、私達の理想家庭と国家です。ここで永遠な世界的平準化が始まる事により、地上天国が出発するのであり、また天上天国も自動的になされるのです。

 3.地上・天上地獄、真の愛による解放

 地上世界と天上世界の地獄迄平準化させなければ成りません。その道を開拓し平和の天国基地迄、地獄の門を打破してしまって天国の門を開門する事が出来なければならないのです。神様が自由自在に往来出来る様にしなければならないのです。地上世界と霊界何処でも……。地獄という恨のその敷居は、神様にはいらないというのです。それを皆押し倒しておかなければ成りません。それを誰が知っていますか。では、文総裁がした事は何ですか。個人的門を、地上世界と天上世界の地獄迄ふさがっていたものを「キック!」して壊してしまったのです。ですから、ハイウェイを築いておかなければ成りません。平準化させなければならないのです。

 それは地上だけではありません。霊界を全て平準化しなければならないのです。それで、家庭的平準化、氏族的平準化、民族的平準化、国家的平準化、世界的平準化、天宙的平準化が出来なければ成りません。それは何によって出来ますか。男性と女性の家庭形成によって出来る様に成っています。

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 今、祝福が可能なので行くらでも祝福するのです。一人も残さず、全て祝福してあげなければ成りません。先生が行く前に、霊界では祝福しない人々がいない様にしなければ成りません。祝福がなかったものが生じる様になったのです。地上でも天上世界でも、先生が逝く前に祝福を受けた人が霊界でも地上でもぎっしりいっぱいにならなければ成りません。そうでなくては、今迄アダムがばらまいた堕落の全ての血統が根絶されないというのです。

 それ故に今年の標語が何ですか。「真の祝福天宙化とサタンの血統根絶」です。完全に霊界を祝福してあげなければならないのです。先生が逝く前にそれを残しておいてはいけないのです。逝く前に、霊界を全てクリーンにしなければならないのです。サタンを根絶する事を考えていますか。先生が霊界を既に整備しました。皆様は分かりませんが、全てそういう事をしているのです。霊界を全て祝福してあげ、先祖を解怨し祝福出来るペースに入り、赤ん坊で死んだり結婚出来なくて霊界に行った人々を全て解怨してあげる事により、祝福圏内に皆入るのです。この様にしてサタンの根を根絶するのです。

 それで、肉界で三日儀式をするのと同じ様に、私が二十日前、ここに帰ってくる前に、霊界の霊人達にも三日儀式が出来るという事を、全て指示したのです。それは複雑です。地上の事と同じです。ここで青少年を中心として結婚するので、霊界でも未婚男女を中心として同じ立場で祝福してあげるのです。

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 今赤ん坊達以上の全ての人々を祝福してあげたので、全霊界が来て……。祝福とは「原理」で見れば何ですか。人間の責任分担です。責任分担が何かというと祝福を受ける事です。人間の責任分担を果たしたなら、神様の息子として完成の立場に立つのです。天使世界を支配出来る圏内に立つというのです。それ故に、祝福の因縁をもったという事は、既に戸籍が違うのです。韓国人もアメリカの市民権を得ればアメリカの法に統治されるのと同じです。今その様な世界には成っていないのです。

 それをえり分ける為には、天地を中心として平準化させ、個人の長孫、氏族の長孫、これを反対にひっくり返すのです。個人長孫圏、氏族長孫圏、民族長孫圏、国家長孫圏、世界長孫圏、天宙長孫圏、霊界がその様に成っています。反対に今、先生が合わせて行くのです。

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 愛の道は分ける事が出来ないというのです。水平です。愛は水平なので、息子が逝ったからといってなく成りません。霊界に行って水平的な相対圏をもって育つというのです。ですから、赤ん坊達が生まれてから死んでも、霊界で育っているというのです。それを知らないでしょう。私達統一教会は知らなければ成りません。

 それ故に、今後霊界に行った子供達が堕落せずにいれば、再び来て生活するのです。霊界と祝福した人々の三日儀式迄許したので、これから統一教会を信じて逝った人は、夫でも妻でも地上に来て共に暮らせます。四十九歳を越えたならば、慰労祝福をしてあげるなというのです。今迄そう成っていないのです。慰労祝福をしました。四十九日という言葉があるでしょう。それで、今からは五十歳前の人々からは、慰安祝福もしてあげるなというのです。なぜですか。霊人祝福してあげた人々にも三日儀式を許したからです。

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 再臨主は条件的な蕩減復帰ではなく実体蕩減復帰です。その様な闘いを経て来たので……。この世で勝利する為には、霊界で闘うのと同じ様にそれを中心として、全て実体圏を蕩減復帰していかなければならないのです。それが今迄、基督教文化圏で一つに成って先生を信奉すべき理由でした。基督教が信奉したならば、その様な迫害もされなかったのです。すぐに天が立てた何人かを探して復帰したはずなのです。新婦は一人です。霊的な複雑な内容を中心として、ハンダづけが出来ませんでした。その様な式を踏まえなければ、今後国家基準を越える為に全世界的にそれを再びしなければならないのです。

 祝福は教会祝福、国家祝福、世界祝福です。これを受ける事が出来ずに霊界に行けば引っ掛かるので、受けなければならないというのです。これを受ける為には千年万年かかるかもしれません。受ける事が出来なければ、皆様が霊界に入っても活動をする事が出来ず、全て待合所で待たなければならないのです。ですから、地上がどれほど貴いかという事を知らなければ成りません。

 それ故にお爺さんの立場が孫の立場に成り、父の立場が息子の立場に成り、息子の立場が父の立場に成って、逆さまに成るというのです。ですから、再臨主を軸としてアダムが第一の父、イエス様が第二の父、再臨主が第三の父に成るのです。今、再臨主が、第一の父、第二の父の失敗を蕩減して完成圏に上る事によって……。この三人の子女の息子、娘がこの世だけに生きているのではなく、霊界でも生きているのです。

             *

 先生がこの世にいるので皆様は先生を見つめていきますが、先生が霊界に行ったあとはどうしますか。今後、後代の統一教会は何処へ行くでしょう。後代の統一教会は先生の過ぎし日の歴史をそのままついてこ様とするでしょう。ヤコブが行った道をイスラエルの一族が行かなければならないし、モーセが行った道をイスラエルの国が行かなければ成りません。イエス様が行った道を基督教が行かなければならなかった様に、今日、統一教会において文先生が行った道を統一教会の食口達が行かなければ成りません。行かなければならないというのです。行かなければ渡り鳥と同じ様に、大洋を渡り南極と北極を通じさせる事が出来ないのです。飛んで行かなければ成りません。

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 今回も全て婚約をしてあげるのに、写真を送った女性を、私は一度も見る事が出来ませんでした。婚約をしてみると女性が足りないのです。女性が足らないので、日本の女性一千名の写真が貼ってあるアルバムの中から選んであげたのです。そして「君の夫です」と渡してあげるのです。かといって日本の女性は「見る事もせず婚約する法が何処にあるか」とは言わないのです。その写真について行って暮らしているのです。それがどれほど素晴らしい事でしょうか。ですから、統一教会は世界を正す事が出来るのです、世界を! それが偉大なのです。また、そして、皆様が先生を通し……。

 先生の様な人がいつもこの地に来るわけではありません。過去にもなかったし、未来にもないのです。過去にもなかったし未来にもあり得ないのです。ただ、今日先生が在世している時、先生が地上に暮らしているこの時しかないのです。その方を通し、皆様が結婚したという事実を考えてみて下さい。霊界に行けばそれを売りものにするのです。「私は先生に祝福された」と。

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 地上で自分の愛する妻が今霊界に行く様になれば、みんな別れて行くのです。今迄は別れて行きました。霊界に行けば霊界の基準に合う度数に従って入って行くのです。霊界にさっと入っていけば、ビデオの様なボタンだけ押すと、自分がどの様にしたのか全て出てくるのです。全て記録されているのです。そして、「何番です!」と言えば、何番かに自分を連れて行く人が来ていて、そこに行くのです。家庭に十人がいても心霊基準が違う為に、みんな別れなければ成りません。会う事が出来ないのです。今それが解放されるのです。分かりましたか。

 地上に愛する人がいれば、また霊界に行っている愛する人がいれば、その人を祝福してあげる事が出来るのです。大母様もそうで大兄様もその様に祝福してあげたのです。忠母様も祝福してあげました。霊界の人を祝福してあげたのです。その門が開くのです。そうしてこそ地獄の解放が可能です。それでこそエデンの園の堕落しない本然の世界、天国に入って行く一方的な通行として、天国編成を完成したという事の出来る基準を、地上で分かれた全ての個人、家庭を広げて世界的に編成するというのです。これを一時でもって合わせる事により、地上・天上天国の統一圏が広がり、神様が解放を受ける事の出来る時代が来たのです。

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 真の御父母様は実体世界において、超民族的な祝福の因縁を中心として祝福をしています。これが連結される事により、地上で個人解放、家庭解放、氏族解放、民族解放、国家の解放圏がなされます。その解放圏は霊界でなされるのではありません。この様な天国の愛の国、天宙の愛の国迄連結させる事の出来る基盤が地上にあるので、真の父母を中心とした全ての霊界と肉界が一つに成って、統括的な面において総清算をし、個人祝福、家庭祝福、氏族祝福、民族祝福、国家祝福、世界祝福、天宙迄祝福の完成をなさなければ成りません。

 それで、霊界と肉界の祝福家庭一体化圏が展開する事によって、堕落しないアダムを中心とした天国理念の基盤が、歴史始まって以来の全ての家庭を中心として、同一的な価値の立場で成立して地上天国と天上天国が顕現する所に神様が臨在するのです。神様は縦的な父母であり、真の父母は地上を平準化出来る横的な父母です。ですから、「七・八節」を中心として天地父母天宙安息圏を宣布して新しい時代が出発し、「九・九節」を中心として完全に越えていかなければならないのです。

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 皆様が今、「九・九節」を中心として「総蕩減献金」をしなければ成りません。「総蕩減献金」は何をするかと言えば、怨恨と解放式です。解放式をしなければ成りません。神様の怨恨を解いてさしあげ、解放をしてさしあげなければ成りません。の皆らず天宙を解放し、皆様を解放させる事が出来るのが「総蕩減献金」だという事を知らなければ成りません。

 今解放時代を迎えたという事を考える時、この地球を中心とした宇宙が、どれほど称賛しているか知れないのです。どれほど今日を喜んでいるか知れないのです。それで、今年に入って今日迄祝いの雰囲気一色になったと見るのです。

 今、私達がし様とする全ての事に、天運が付いて回りながら手助けをするのです。天運に追いつこうと苦労しますが、天運が私達のあとを付いて回りながら助けるというのです。どういう事かと言うと、神様と霊界が数多くの先祖と数多くの善成る人々を動員し、この地を助ける事の出来る時が来たというのです。解放圏をなす事が出来、変革出来る時代が来たというのです。

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 今からは皆様の家庭が理想的家庭に成って、父母様と神様に直接侍り、父母様の身代わりにならなければ成りません。皆様は旧約時代、新約時代に来たメシヤ、新約時代を越えて成約時代に来たメシヤ、一次アダム、二次アダム、三次アダムの代身家庭に成る事により、神様に侍る様に成って、万民が天国に直行出来る様に成るのです。その様に成る事で、第四次アダム圏解放祝福時代に入るのです。

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 万国に聖酒を配布しなければ成りません。聖酒を飲ませて生き返るでしょう。堕落圏解放が加重されるのです。万物に迄飲ませてあげなければならないのです。全て神側へ帰っていかなければならないのです。

 ですから、今から全世界、地球星に聖酒を配布しながら祈祷するのです。父母様が祈祷する事がどれほど怖いかという事を知らなければ成りません。

 4.天国入籍と祝福家庭の霊界

  ① 入籍をする為には

 今迄天の国に入籍がありませんでした。天国に国がありませんでした。家庭もなく国もなかったのです。霊界に行けば、父母であれ何であれ、十人家族であれば十人家族が皆別れてしまいました。しかしこれからはそうではありません。本来堕落しなければ父母と一族が共に入って行く様に成っているのが天国だという事を知らなければ成りません。

 真の愛を中心として、祖父から父母、自分達夫婦、息子、娘が一つに成って、「為」に生きる神様の真の愛をもつ様になれば、そこには神様も絶対服従するのです。その様な愛の伝統に服従しながら、「為」に生きる愛だけをもって動くその世界、「為」に生き様とするその世界には、平和の基地が生まれまいとしても生まれざるを得ないというのです。

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 真の父母を中心として入籍する人が今後先祖に成るのです。あの世の先祖に成ってそれが全て主流氏族を中心として、主流民族を中心として、そこに傍系に成る全ての人を中心としてこれを編成する様に成っているのです。

 ですから入籍しなければ成りません。入籍はそのままする様には成っていません。百六十家庭、あるいは百八十家庭を完了しなければならないのです。これをする事が出来なかった人は脱落するのです。三十六家庭であってもそれを主張する時代は過ぎ去るのです。平等化時代に入ったので、ここではその数に誰が先に至るかが問題なのです。統一教会でその氏族が多ければ恩恵を受けるのです。

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 血統が変わったが故に、血統を転換しなければ神の国に連結されて入籍出来ないのです。血統の主人は神様でいらっしゃいます。堕落の血統を受け継いで、全て盗んで神様の所有権をめちゃくちゃにしてしまったので、神様の愛により血統を連結する事によって、これが整理されます。それ故に血統転換をしなければ成りません。堕落の愛の関係によって血が異成ってしまったのです。血統が逆さまになったので、血統転換しなければ神様のもとに帰る道がないのです。

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 祝福の日も教会の祝福、国の祝福がなければ成りません。世界の祝福、天国へ行って永遠な祝福の礼式を経てこそ、本然の世界に帰る事の出来る道があるという事を知らなければ成りません。皆様、統一教会の祝福を受けたといって、「簡単に、便宜的に、さっと先生に分からずに祝福を受けた」と言っても通じません。国の祝福を経なければ成りません。そこでは経歴が全て出るのです。それから世界祝福を経なければ成りません。それで、天上に行って大入会式とともに入籍式を経て、十二支派の編成を終えて、神様を中心として真の父母があの世に行ってお座りに成ってこそ、場を定めて座られてこそ、全ての万民は順次に場を定めて座る様に成るという事を知らないでしょう。

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 血統転換、所有権転換、心情圏転換です。心情圏が氏族です。これを転換しなければ成りません。ですから、氏族を復帰しなければ成りません。イエス様は国を復帰する為に来ましたが、入籍出来ませんでした。戸籍を作っておく事が出来ませんでした。それを蕩減復帰しなければ成りません。

 それ故に、統一教会では結婚しても三十三歳が過ぎる前には生活出来ませんでした。次には三十歳です。イエス様が出家する前の三十歳から生活する立場に成りました。南北が統一される日には、その様な受難の道を全て越えるのです。ですから、統一教会の祝福は教会祝福、南北統一時代祝福、世界統一時代祝福です。三大祝福を経てこそ解放の立場に進む事が出来るという事を知らなければ成りません。

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 国家がなければ入籍出来ないのです。教会には入籍出来たのですが、国家に入籍出来ていないのです。南北統一をする事で入籍時代に入る様に成るのです。その時が来るので、先生が「氏族メシヤを中心として百六十家庭を早く収拾しなさい」と言ったのです。そうなれば、南北統一がなされた場合には、先生が第一代として入籍して第一の先祖に成り、それから誰が来るのかと言えば、百六十家庭を祝福した人が続くのです。先祖の順序が入籍によって違ってくるというのです。ここに千六百名を越える人が座って祝福を受けたとしても、千六百代の差が出るのです。

             *

 今後、十二支派を中心として世界が全て入籍をしなければ成りません。それをする時は皆様の一生、統一教会に入ってきてから今迄の全ての事を一つ残らず記録しなければならないのです。ここの教会から何か一つ、ふろしき一つでも持っていけば、それを全て記録しなければ成りません。それが霊界に記録されたコンピューターの記録と合わない時、皆様は入る事が出来ないのです。

             *

 王族心情圏を中心としたそこには歓待だけであって、丘とか壁に成るものは何もないのです。平地なのです。全体が歓迎し、万年の愛の世界が連結されるのです。そこの主人として立つのです。自分の一族がその様に成るというのです。一族が全て集まったその霊界の価値をもって入籍し、天国に入って行くのです。入籍するでしょう。新しく入籍し天国に入れる様に、清い解放の氏族長として、メシヤとして、父母として、自らが一族を引き寄せてあげましょう。

             *

 霊界に行ってみなさい、私の話が合っているかいないか。女性は全て私に差し出せというのです。かといって売り飛ばしたりしません。天に入籍させるのです。それから息子、娘を入籍させれば、その夫も入籍出来るのです。その様にして本然的峠を越え、三十八度線を越えて、統一のみ旨の世界で家庭が再祝福を受けて、天国の堕落しない本然的基準で出発する様に成るのです。そうする事によって、罪を犯さない天国の民を生んで、天国に直行出来る道を行くのです。メシヤが必要ないその立場に迄、道を築いてここに案内し様とするのに、ここで行動しなければ、それは滅びるのです。

             *

 入籍をしなければ成りません。入籍の為に何処へ行こうというのですか。故郷の地へ帰らなければならない運命は避けられません。生前に出来なければ、霊界に行って反対に億千万代をぐるぐる巡りながら、涙と嘆息とともに越えて行くべき堕落圏の支配を逃れる道がないのです。ですから、その為に直行する事を願い詳細に語りましたから、それを忘れず肝に銘じて勝利の天国の門を入って行く事の出来る王権を受け継ぎ、この様な相続を受け継ぐ事の出来る、天国と故郷の地の本籍を立てて入籍出来る皆様に成る様願うものです。そうし様という人は両手を挙げて宣誓しましょう。手を下ろさないで下さい。

  ② 統一圏霊界も中間霊界、監獄がある

 地上で祝福を受けた夫婦は永遠の世界である霊界に行っても共にいるのです。この世の夫婦、息子、娘は行くらたくさんいても、霊界に行けば散り散りに成って別れるのです。別れて、皆何処に行ったのかも分からないというのです。会うのが大変なのです。相対的な関係がなければ会う事も出来ません。心霊状態の基準によって、全て霊界で別れるというのです。それは途方もない事でしょう! しかし今先生が言った様に、愛を中心として一つになればそのまま一族が霊界に入って行くのです。それは幸福な事ですか、不幸な事ですか。

             *

 霊界に行っても誰かが「地獄に行きなさい」と言うのではありません。自分が訪ねて行くのです。自らの程度に合う所を訪ねて行くのです。統一教会だけ考えても、全て同じ圏に行く事が目的ですが、自分の心霊状態の基準によってとどまるのです。それで、祝福を受けた家庭はどの様な面において違いますか。祝福を受けた家庭は離れ様としてもお互いに離れる事は出来ません。霊界に行く様になった時、自分の妻が責任を果たせなかったなら、共同責任を負って夫が解怨してあげなければならないのです。妻が間違っても引っ掛かり、夫が間違っても引っ掛かり、息子、娘が間違っても引っ掛かるというのです。

             *

 天上世界の霊界に行けば、その階級によってとどまる所が決まります。そして、長い期間そこで教育を受けるのです。その世界は堕落圏ではありません。神様の原理圏です。一国家の国民が罪を犯しても、その国の民として罪を犯したのです。天国の民として天国の法に抵触したので、その法に従って処理を受けて、天国を侵害した全てのものを、全体の前に手助け出来る内容を提示する事によって……。

 これから天国に楽園が生じます。ここで待たなければならないというのです。天国に中間霊界が生まれるのです。天国に地獄が生まれたのです。監獄が生じるという事を知らなければ成りません。それを知る事によって、皆様が何処に行くのかがはっきりと分かるのです。分かる様に成っています。分かる様に成っていますか、分からない様に成っていますか。はっきり教えてあげるのです。

             *

 祝福されて編成したのに入れない人は、アダム家庭が堕落したのと同じです。霊界に入って何が生じるかと言えば、天の側の監獄が生じます。中間霊界が生まれるのです。祝福家庭の楽園が生じる事を知らなければ成りません。このごろ相軒氏の証言が代表と成っていますが、そこでも罪を犯した人は名札を付けて行き来しなければ成りません。角度が異成る分だけ、九〇度に合わないその度数の差に対して制裁を受けなければ成りません。一切許されないのです。

 強制的にでもひねり出すのです。角張ったものは削ってしまわなければ成りません。それが駄目になった時は隔離しなければならないのです。北極へ、南極へと隔離するのです。その様な時が来るというのです。見ていて下さい。霊界がその様に成っています。

             *

 霊界に行った三十六家庭達は霊界の栄えある所に行っているのです。李相軒氏が霊界の実相に対して全てを話しませんでしたか。祝福を受けた三十六家庭は栄えある所にいるというのです。しかし、誤れば名札を付けて行き来するというのです。そこに地獄が生じます。楽園があるのです。それが今後サタン世界が除去されれば……。天国は天国ですが、天国ではないというのです。中間霊界、霊界の監獄に閉じ込められているのです。地獄の様な国が遠くにあるのではなく、一日生活圏にあるというのです。地上は時間圏内で生活するのですが、そこは一年を一単位にして生活する様な理念をもって暮らす事が出来るのです。その様な差が生じるのです。

             *

 地獄にいる全ての人々も解放の恩恵を受け、家庭を備えると同時に息子、娘に再び会う事が出来、孫を皆集めて天国の門に入って行く時は、堕落しないアダム家庭と同じ位置に至らなければならないというのです。ここはサタン世界圏から抜け出した世界、サタンの讒訴がない所なので復帰が早いのです。霊界で見れば、相軒氏が祝福家庭の最高の位置に行っていると言ったでしょう。この最高の位置がこれから生まれる霊界のモデルです。霊界のモデルだというのです。

 天国があり、家庭的楽園が生じるのです。家庭的中間霊界が生まれ、家庭的地獄が生まれるというのです。皆様が現在の暮らしの中で良心の影として残っているものが、白昼に全て底迄のぞき見る事が出来る時代なのです。そこでは弁明が通じないのです。そこにも監獄があるというでしょう。監獄があります。祝福家庭も霊界、天国に入っていって家庭が神様に近い所へ行き、父母様の近くに行く事の出来る階層が生じたというのです。

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四 真の御父母様の家庭と霊界役事

 1.興進様の霊界長子権成立

 興進が霊界に行く事によって、地上と天で別れたアベルと天使が双子の様に一つに結ばれる様に成りました。その一つになった基盤の上に父母が出動するのです。これが、統一原理観です。

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 興進は息子格のアベルですが、その息子は真の父母の愛によって原理主管圏の蕩減条件を立てた基盤で霊界に行きました。サタン主管圏で勝利し、直接主管圏をなした立場で霊界に行ったのです。それ故に、堕落以後初めて、完成した資格を備えた息子として天上世界に行ったという条件をもっているのです。本来堕落しなければ、霊界に行った人々が真の父母の心情圏を中心として原理結果主管圏と直接主管圏が一つになった家庭的基盤において、愛を中心とした主人や息子の資格をもつというのです。これをもたなければ天上世界に行けなく成っているのが原理です。

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 興進が逝く前に統一式をしたのです。この全ての事を準備しておき、先生が医師に酸素マスクを取る事をOKしたのです。この様に道を全て築いておいて送ったのです。この世ならば、息子が死んで行くのにそうしているので、「狂った人だ」と言う事でしょう。天の前に捧げるのです。この様な歴史時代の三角地帯において、人類と韓国と統一教会の輩達と世界の為に、また霊界の為に捧げるのです。イエス様が昇天し再び来られるのと同様に、その様な事が起こるのです。

 それ故に霊界で見るならば興進が再臨主です。霊界の救世主なのです。その様に成っているのです。真の父母から愛のメシヤとして送られたのが興進様だというのです、霊界で見る時。その興進が地上の父母様を協助しているので、この地上に再臨時代と統一世界が展開されるのです。それで、二世が祝福される時が来たのです。分かりますか、何の話か。

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 統一式をしてあげるのにどの様にしますか。何でもつかまえて式をしてあげるのではないのです。生殖器を中心として式をしてあげるのです。愛のみ旨を成し遂げられずに逝ってしまう息子の前に、愛の統一式をしてあげてこそイエス様と直結され得るのです。お母様も全ては知らないのです。その様に死んで行く環境で統一式をしてあげる事によって、悪魔達が見つめる立場の全てを越えるのです。息子が死ぬのが問題ではなく、泣く事が問題ではないのです。神様の愛する家庭がどう成っているのだと、皆が恨めしく思うその様な場面で、それを全て退け、父として息子の行く道を収拾してあげなければならないのです。

             *

 興進を生来た祭物として送ったので、それが橋になったのです。それは愛を中心として家庭的背景を中心とした天上世界の橋なので、イエス様も興進君についていかなければならないのです。家庭の橋を経なければならないでしょう。初めてこの地上で真の父母の子女として、真の父母の愛を受けて、祭物の勝利者として天上世界に行ったのが、興進ただ一人であるので、天上の全権をもって統治出来るのです。

             *

 興進君が青少年で逝く事によって、真の父母の愛を受けた後孫が行く事によって、興進君と霊界が一つに成る立場に立つ様に成って、これが真の父母の家庭と連結されるのです。霊的世界の長男に成るのです。お兄さんに成るのです。それ故に真の御父母様の愛の圏が霊界に移されるのです。それによって、地上と関係を結ぶ事の出来なかった霊界の基督教から始まって、全ての宗教が興進によって皆……。

 イエスが興進をお兄さんとして侍らなければ成りません。そうして連結されるのです。そして、地上再臨をする事によって、地上に霊的な後援が激しく押し寄せる事によって、サタン世界は崩れ始めます。急進的に下降してしまう様に成るというのです。堕落後に生じた霊界と肉界の境界線が全て崩れるという話です。興進が逝く事によって、真の父母の愛の圏を中心として霊界と連結されるので、地上世界と天上世界の塀が崩れて交流出来る時代に入ったのです。

             *

 この時代において直系の子女と養子圏がどの様に交代するのでしょうか。ここで興進に重要な責任があるのです。この時が来る前に霊界を収拾してあげなければ成りません。イエス様から今迄霊界に行った全ての霊達は真の父母と関係がなく、真の父母の血肉となんら関係がないのです。また真の父母の愛と関係を結ぶ事が出来なかったというのです。ですから、あの世に行った人々は、皆未婚の男女と同じです。イエス様御自身もそうなのです。再び来て関係を結ばなければ成りません。

             *

 興進君を結婚させたでしょう。霊界家庭総司令官という立場なので、結婚をしなければならないのです。その下に皆ぶら下がっているのです。そして、霊界で大母様と忠母様を中心として……。霊界に行けば大母様から祝福を受けなければ成りません。多くの教派、イスラム教とか基督教などの宗教が一つに成って……。大移動が始まるのです。この地で父母様を通じてこそ、それを中心として連結されるのです。そうする為には、孝子にならなければ成りません。忠臣にならなければならず、聖人にならなければ成りません。それが伝統だというのです。

             *

 今回、イエス様の家庭と興進の家庭を、一軒の家で過ごす事が出来る様にしてあげました。興進君とイエス様とは、一軒の家で生活しなければならないのです。イエス様に養子を託してあげなければ成りません。これは天が出来ません。真の父母がしなければ成りません。神様が出来ない事を真の父母がするというのです。神様が「アダムが名づけたとおりに成るであろう」と、言ったでしょう。何の話か分かりますか。

             *

 先生が今、清平に行ってイエス様の家庭をよくしてあげ、興進君と兄弟の関係を結んであげて、基督教の全ての使徒を祝福してあげなければ成りません。統一教会はアベルの立場であり、基督教がカインの立場だというのです。これをどの様にして一つにしますか。霊的な観点からでも肉的な観点からでも全て一つにしなければ成りません。

 真の子女である興進君はアベルの立場です。長子の立場です。カイン側の長子はイエス様です。地上世界と霊界を連結し、統一教会と基督教世界を一度に祝福してあげるのです。また、白人も黒人も全て祝福し、未来には全て混ざり合うのです。そうすれば、闘う事がないのです。アメリカの悩みの種である白人と黒人の問題を誰が解決しますか。その闘いを誰がやめさせる事が出来ますか。それはアメリカの誰もする事が出来ません。どの様な団体も出来ないのです。宗教圏も出来ません。ただレバレンド・ムーンだけが可能なのです。

             *

 基督教文化圏の長子権の国であるアメリカに発表したのです。興進君とイエス様が一つに成って……。興進君は統一教会を中心とした父母様を中心として、基督教を中心としたイエス様を中心として、彼らが主体、対象の関係だというのです。これがカインです。反対して来たのが今からは統一教会に屈服する事によって弟の立場に立ち、弟が兄の立場に立つというのです。弟の立場に立つには、興進君と統一教会が一つになった立場に立ったが故に……。

 長子権とはアメリカだけではありません。父母様に侍ってから、統一教会に侍ってから、興進君に侍ってから、統一教会の食口達の為に侍ってから一つになったので、二人が一つに成って長子に成るのです。天上世界、地上世界の長子の立場に立ち、統一天下、地上天国完結、統一圏に越えて行くのです! アーメン!

             *

 霊界では興進を迎える日が歴史始まって以来最もうれしい日です。興進は愛のメシヤとして霊界の門を開き、地上では標本的な殉教の道を開いたのです。ですから、統一教会員達は興進を愛さなければならないのです。ですから、興進が長子圏の福を次子圏に相続してあげる事が出来るというのです。サタンは相続してあげない様にしたのです。サタンは相続をしてあげないで自分が強奪するのですが、長子圏の興進は地上で受けた福を全て譲り渡すというのです。ですから連結出来るのです。今迄サタン世界は譲り渡そうとしませんでしたが、興進はどんどん譲り渡そうとするというのです。

             *

 霊界では興進がいるので、興進が垣根に成って責任をもって教育をし、地上で出来なかった恥ずかしさを逃れる為に努力する事を決心し、霊人達が訓練を受けるのです。父母様は中身のない殻だけではないというのです。霊界を中心とした全ての実体的権限を中心としてやっているのです。それ故に霊界を祝福出来るのです。霊界に父母の実体圏がある事によって、地上と霊界に統一的な祝福をして、祝福を受けた人々が天国に行く様に成っているのです。天国は空いています。天国を満たす為には、地上で祝福がなされなければ成りません。地上の祝福なしに天上に祝福があるという事はあり得ないのです。

             *

 霊界でも今、教育体験館を立て様としています。信仰世界、宗教世界の伝統を教えてあげ、その次には傍系である世の中の思想も教えなければ成りません。「統一思想」を教えなければ成りません。その様な教育部署をつくり……。霊界で全て別れている為に分からないのです。神様が自分の父母で、自分は愛する息子、娘と成り、理想的家庭を成すという教育をしなければならないのです。

             *

 先生の家庭に今回、信春が生まれる事によって、家族が四十人に成りました。ぴたっと四十を満たしました。それで、信春です。信春とは何ですか。新しい「新」という字ではなく、信じる「信」という字です。信仰において統一教会に春が来るのです。今からは蕩減数で見ても、全てのものを見てもそうだというのです。先生の家庭には今後、息子、娘がたくさん生まれる事でしょう。孫達がたくさん生まれる事でしょう。

 私達の息子、娘は何人ですか。なぜ十二ですか。十三でしたね。惠進は生まれて八日目に逝ってしまったのです。今後、興進も養子をとってこの様になれば……。産児制限しなければ成りませんか、しては成りませんか。サタン世界では産児制限をしなければ成りませんが、私達祝福を受けた者達は産児制限をしてはいけないのです。汚れた体に成って「私はこうであっては息子、娘を生む事が出来ない」という時は、生んではいけないのです。

             *

 歴史的全体勝利圏を身代わりした真の父母の家庭がこの様になったのは、根迄浄化する為の歴史を経て来たからです。惠進様はエデンの園の堕落した女性の血統を切ってしまって犠牲になったとすれば、喜進君は旧約時代です。全て母が違います。それで、喜進君は旧約時代に該当し、興進は新約時代です。結婚出来なかったのです。イエス様と全く同じなのです。結婚をしたので、地上で霊界と連結して、基督教の祝福を受けていない霊的な完成を広げて来た歴史に、肉的な完成の基督教の基盤を連結させるのです。家庭的な祝福が連結されるのです。

 2.先祖解怨式と清平役事

 清平に行くのはなぜですか。自分自体において霊的に引っ掛かった事を清算しなければならないし、自分の先祖を全て解怨しなければ成りません。検証を受けなければならないのです。興進君が行っています、興進君が霊界の最高の長子です。興進は誰の弟ですか。興進の兄が孝進でしょう。所が、興進は孝進よりもお兄さんの立場にあります。興進が最高のお兄さんの立場にあるというのです。全て王として侍らなければならないのです。

             *

 今は国家時代に入ったのです。焦点を合わせなければ成りません。それで、霊界解放と祝福をするでしょう。百二十代迄祝福するつもりです。過去には四代です。四代であれば何親等ですか。八親等迄行くのです。七代迄すればもっと多く成るのです。数百家庭、たくさん栄えた家庭は数千家庭に成るのです。四代祝福、それから七代祝福をするのです。七代やれば一族を越えるでしょう。その次には世界版図である百二十代です。清平でその事をする為に、全ての祝福家庭達は競争して、自分の先祖を全て解怨してあげなければならず、祝福の門を開けてあげなければならない責任があるという事を知らなければ成りません。

             *

 先祖解怨式を皆しましたか。七代を解放しなければ成りません。七代が解放されれば百二十代迄、七代からどんどん上がっていき、百二十代迄しなければ成りません。その先祖を中心として解放すれば、分別して、一度に百二十代を祝福出来るのです。それ故に完全に全て祝福を受けます。

 では、地獄の門が壊れていきますか、壊れていきませんか。イエス様がいる楽園、その楽園だとか中間霊界は堕落故に生まれました。霊界もペア・システムに成っています。それをしなければ自分達が霊界に行って困るというのです。霊界で引っ掛かれば駄目です。霊界を整理しておき、地上はいつでも霊界を通して解決しなければ成りません。

             *

 自分の先祖、百二十代を解怨する為に清平に行って修練しなさい。「四代を解怨しなさい」と言った所、清平で大騒ぎでしたが四代をしました。それから、「七代をしなさい」と言ったので七代をするのです。今回は「百二十代をしなさい」と言った所「ああ!」。「ああ」が何ですか。死にかねない事をしなさいというのです、霊界に行って。興進やお婆さんがそこにうつ伏せに成り、霊界に行ってからは死ぬ様な事をしなさいというのです。祭物になれというのです。それで、百二十代を解怨すれば皆、興進やお婆さんが先祖を引っ張り出してくれるのです。

 

 アダムが天国に入って行く時、中間霊界に夫婦達が暮らし、地獄に行っている人達の泣き声を聞けば、アダムの心は安らかでしょうか、安らかではないでしょうか。その様な事は、あってはならない事ではありませんか。原理がそうでしょう。ですから解放するのです。「四・四節」をコディアックで宣布しましたが、宇宙的な「四・四節」をプンタ・デル・エステで一月八日に宣布しました。

             *

 大母様以外に忠母様もいるのです。大兄様もいるのです。先生の一家の人達は今、先生が命令すれば、何処に行ったとしても大母様がしていた仕事をする事が出来るのです。興進は大母様の教育を受けなくても大母様をリードしています。先生の息子、娘がたくさんいて、孫迄合わせれば四十名以上に成りますが、それを準備し、受け入れる事の出来る人々がいません。どうですか。関心ありますか、ありませんか。先生が冗談半分に言うから、全部その様に聞いているでしょう、この者達! 深刻な話です。

             *

 孝南氏! 各州に清平の様な修練所をつくらなければ成りません。自分が六大州を二カ月に一回ずつ行って、巡回しながら支部をつくらなければ成りません。一つの所に引っ張ってきていると費用が多くかかってしまいます。清平に行くのに費用がたくさんかかります。その様な必要はありません。六大州に支部をつくり、自分が一人で行って何千名も一度に出来れば、費用も節約出来、神霊の役事も霊界を動員し、アフリカの人々も動員出来るのです。

 清平の様な所を六大州につくり、その六大州につくったものを各国で立ち上げれば、均

衡的な霊的教育の場が生まれるのです。そうする事が出来なければ、私が清平から追い出すのです。「清平ではこのくらいにして、誰かを代わりに立てて、貴方はヨーロッパへ行け」と言えば、興進君から大母様、忠母様が一緒に行って、三カ月だけすれば支部が生まれるのです。今後、霊界に通じる人がたくさん生じるのです。

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五 ただ一つの願いが残っているとすれば

 堕落した世界で迫害を受ければ受けるほど、より理想的な、より高い所に行くのです。霊界に行けば高貴な天国人に成るのです。神様が見下ろして「これは私の愛する息子だ!」と言われるのです。その時は五官が神様の愛に酔うのです。全宇宙が頭を下げて称賛するのです。その様な世界が待っているのです。聖子が来るのを待っているのです。それが私達の究極の目標です。分かりましたか。すっきりしましたか。

             *

 文総裁は闘いませんでした。最後迄耐えに耐え、また耐えて頭を下げて行ってみると、その道は、闘わずに最高の立場、神様の相続権を受ける事の出来る立場迄行く事の出来る道だったというのです。そうしてみると、滅びずに、「滅びろ」と言う世の中の前に勝利の覇権を握って、国を越え、世界を越えて歓迎を受ける事の出来る環境をつくりました。地上世界と霊界迄平準化出来るこの様な事を全て終えたのです。アーメンです。アーメン!

             *

 私が韓国に対して血肉を削って奉仕した時代は過ぎたというのです。国家を中心として、時は来ているのです。私が立てた手本を見せてあげたならば、「先生以上に死ぬ前に仕事をして自らの生涯に残さなければならない」と言わなければ成りません。これをしなくては、天上世界の父母様のあとをついていけないのです。

 今や、相続権を受けたので、父母様の影の様な姿でも、その国、その地で家庭周辺に影響を及ぼす事が出来なければならないのです。幹になれないなら枝にならなければならず、枝になれないなら葉にでもならなければならないという、木の存在に所属するのです。自らの霊界と接近出来るというのです。

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 私が手に力を入れて夜に寝ると、これが固まるから、天が私の手を握って広げてくれます。その様にするなといわれるのです。そうすれば、解けて行くのです。その様な神様を信じて暮らす人にとって何が心配でしょう。統一教会の背後にはその様な奇跡が行くらでもあるのです。霊界に対して相軒氏が証した事は何でもないのです。私はそれを知っています。世の中は信じ様としませんが、私は一〇〇パーセント、一〇〇〇パーセント知っている人です。信じるのではなく、知っている人なのです。

 人類はその様な事を信じないので、天が支援しません。霊界に行けば、先生に対して有り難いと思うのです。李相軒氏も統一教会を信じて霊界に行けば苦労すると思ったのですが、最上の立場で仕事をしているというのです。驚くべき事実で、こうであるとは思わなかったというのです。かといって笑って過ごさないで下さい。深刻な問題です。それを信じる事が出来なかったなら、そばに刀を刺しておき、うとうとすれば死ぬと決心して祈祷してみて下さい。その様な談判祈祷をしなければ成りません。適当では駄目です。

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 先生はおかしな人です。一度しっかりと記憶すれば忘れてしまわないのです。それが心配なのです。何も知らないで、今……。何、痴呆? 八十になったのですが、まだそう成っていないのです。お爺さんでも賢くてはっきりとしたお爺さんです。コンピューターが私に来てあいさつをするお爺さんだと思えば間違いないのです。私の頭に入れれば永遠に忘れません。霊界迄行っても記憶するのです。地上で自分が誤った事があれば解かなければ成りません。

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 先生は一九六〇年以後に、山に行ってハンティングをしたりします。国の為の全ての責任を全うする為に、動物世界を経て水産事業迄、六三年から準備したのです。海を占領しなければならず、陸地を占領しなければ成りません。それから占領する場合は祭事を捧げます。祭物を捧げてアベル的基盤に立ち、カインを愛したというその様な因縁を結ぶ事が出来る人は、真の父母以外にはないのです。誰も出来ないのです。統一教会の食口達はする事は出来ません。

 偽りの父母によって分かれた全てのものを、真の父母によって成さなければならないので、雨が降っても雪が降っても海を中心として全て……。その海で犠牲になった全ての霊人達、地獄の、地上に生きて死んでいった霊人達の霊界解放が展開されるでしょう。それと同じです。海で死んだ霊人達を皆祝福してあげるのも、全てその為なのです。ですから、真の神様という言葉を主張したという事が、どれほど深刻な事であったかを知らなければ成りません。何の話か、分かりましたか。

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 皆様の様な、その様な闘いも知らない純潔な人達の前に、王の座を全て譲ってあげて、ふろしき包み一つもなしに気楽に霊界に行こうと思うのです。霊界も準備されているので地上でもって行くべき何かがありますか。もっと良い天国が願っているのに。

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 今は大体全て終わりました。先生が全て教えてあげました。複雑な世界で疲れ果て、いじめられ、責められ、今ではその様な事は嫌です。嫌いに成るのです。ですから、静かな所で松一つを見て十年も生き、岩を見つめて十年を生き、この様にしながら霊界に行く準備をしなければならないのです。霊界の複雑な全ての事を収拾しなければならないのではないですか。それは知っていますか。

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 先生は万人に道を開いてあげなければならないので、死刑囚とも友に成り、窃盗犯と手錠を一緒にかけられ、共に御飯を食べながら彼らを慰労してあげました。この前はラスベガスに迄行って刑務所に収監されている人々の為に祈祷してあげてきました。ニューヨークのニューヨーカー・ホテルを買ったのも、今後ニューヨークで一番のサタンの巣窟から掃討して新しく基盤を築こうとしたからです。

 そこに行って、付き合ってあげ、慰労してあげなければ成りません。それでこそ各界各層、サタン世界の滅びゆく人に迄も道を開き、道を築いてあげる事が出来ます。それとともに地上で道を築いてあげれば、霊界のふさがったものが開き、世界が一つに成る事が出来ます。それ故に超民族的に黒人も結婚させてあげ、白人も結婚させてあげ、白人にも家を買ってあげるし、黒人にも家を買ってあげます。この様に先生は世界にない事をしている人です。

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 この国の扱いを考えれば悔しく思います。お爺さんが使って捨てた杖の様に考えて、肥だめをつっつこうとする統一教会の群れがたくさんいます。どの様に成るか霊界に行ってみて下さい。烈祖の審判台の前に、千年万年の恨を抱き痛哭の涙を止める事が出来ない悲運が宿っている事を知らないでいるというのです。レバレンド・ムーンはそれを知っている為にここ迄来ました。

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 気楽に寝る者は、誰かが夜に毒薬をばらまくかもしれません。これは千万年の道を汚す事です。ですから先生は生涯をかけ、針の座布団に座った様な気分で生きているのです。気楽に座った事もなく寝る事も出来ないのです。横に成って体を曲げて寝るのです。使命を果たす前には自らの肢体を天に向ける事が出来ないのです。先生はその様な生活をしています。皆様はみんなネクタイを結んでいますが、私はこの様に着ています。いつでも走って行くというのです。ですから誰よりも先に行くというのです。

 家にいる時は靴下を脱ぎ捨てて裸足で過ごしています。出来るだけ服を脱いで暮らすのです。なぜですか。その様な事が全て預金です。飢えた人の為に与えるのです。それがくせに成ってしまい、靴下をはいただけで煩わしいのです。何処に行っても脱いでしまうのです。一生の間で行くらに成るかを計算するのです。私が霊界に行けば、これが何千ドルに成るならば、預金し、アフリカのかわいそうな人を生かしてあげなさいというのです。基金をつくっておいて逝こうとするのです。

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 本来、神様の創造理想とは何ですか。真の父母の名前を通して天国の王国と地上王国を成すのです。真の父母の名前をもたずに地上天国と天上天国は生じません。今日基督教徒達に「イエス様が神様の愛する長子であり息子ですが、どうして天国に行っていなくて楽園に行っているのですか」と尋ねてみると、返事が出来ないのです。天上天国と地上天国は真の父母の完成と愛の基盤を通じてのみ成されるというのです。霊界に行って王国を統一する事が真の父母の使命であって、他の人の使命ではないのです。

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 先生は生涯の間、命を懸けて闘ってきました。世の中で苦しい仕事は避ける事が出来ますが、この仕事は避ける事も出来ないのです。腕力や暴力をもってしても出来る事ではないのです。原理原則によってしなければ、四方から打ち込まれる矢を避ける事が出来ません。この様な闘いは神様が天地を創造なさる事よりも、もっと難しい事ではないかとも思います。その様な事をしながら、蕩減条件を立てて内的基盤を築いて来たとは、皆様は夢にも思わなかった事でしょう。その様な基盤を土台として転換点をなしたというのは、「天宙的な勝利だ」と言う事が出来ます。

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 文先生がこの道を探す為に死の道を何百回も越えて来た事を、皆様は知らなければ成りません。神様を数百回も泣かせた人が文先生です。歴史始まって以来、誰も文先生くらい神様を愛した人がいないのです。それ故に、行くら世の中が私をなくそうとしても、文先生は絶対滅びません。神様が保護してくださるからです。皆様も文先生が教える真理圏内に入れば、神様が共に保護して下さいます。

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 新しい開拓精神で生きていけば年を取りません。私が性格の故に横に成って死なないし、死ななければいつも動くのです。はってでも動き、そうやって見ればいばらの道でしょう。年を取って周辺の注目を浴びてお世話に成りかねない、この様な立場で生きるというのは、恥辱の中でもこの様な恥辱はないのです。私達は、霊界を知っている為に、体を脱ぎ捨てればどれほど自由でしょうか。

 今後は海、水を占領するというその様な主張、その様な思想をもてば世界を主管出来ます。水が一番重要なのです。それで、私が霊界に行く前に、大きい地域を中心として着手しておいて逝かなければならないのです。ですからせっせとみ言も多く語り、全て語っておけば、後世の人達がなすと考えています。

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 先生は性格的に、霊界に行って静かに玉座に座って命令出来る先生にはなれません。レバレンド・ムーンが霊界へ行く様になれば、今迄霊界に行っている全ての人々が開拓する事が出来なかった神様の心の世界、次元の高いその世界を、考える事も出来なかった世界を、また開拓する勇士に成る事でしょう。

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 ある霊通人は、文先生が偽物か本物かと祈祷をしている途中で痛哭をするのです。我知らず痛哭するというのです。一日、二日、毎日痛哭するのです。彼らは不思議に思うのです。文先生を知る為には痛哭する心情を知らなければ成りません。それを知らずして文先生が分からないのです。

 誰かが私に対して一言だけ言えば、私が千年の恨を抱いて痛哭出来る事情をもっている事を、誰が知っていますか。私が神様を知らなかったならその様に非難されはしないのです。神様をあまりに知った罪で……。私だけを信じるしかない神様がどれほどかわいそうですか。二千年間誤った歴史を二十年間で蕩減復帰しなければならないのです。ですから易しいですか。言う事がたやすいですか。

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 私が霊界に行った時、最高の希望とは何でしょうか。私が慕い、私が愛した最高のクライマックスの時に考えたその心情圏内でお父様を呼んで、お父様の愛を受けたその基準を願うのです。涙で分かれたので痛哭したあとにすすり泣くその息子をつかんで、「お前の願いがこれではなかったのか」と、祝福のみ言を伝授されてこそ、永遠の勝利の真の父母の覇権が伝授される事を知っている人なのです。深刻です。その一日の為に一生を捧げているのです。

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 霊界に行く時、神様の前にどういう贈り物をもって行くのか、それが先生の問題なのです。神様が願う国と世界の為に働いたし、今後来る理想的な社会と理想的な世界を成す事の出来る二世の為に生きてきました。神様の様に愛しました。それ故に霊界に行っても不自然ではありません。そのままの延長です。ほかの事ではありません。その事をするのです。神様がその事をしているので、私も神様に近い所へ行き、その事を共にせざるを得ないという結論が出てくるのです。

 ですから、お父様におかれても「私の国はお前の国だ」と言われるのです。なぜですか。「変わらない愛をもって、お前が私を知ったのちにも変わらなかった」、これが理由でしょう。「お前は私が愛する愛をもって変わらない立場で、台風が来て暴風が吹いても、監獄にほうり込まれ、どんなに蔑まれても、個人の反対、家庭の反対、社会の反対、国家の反対、世界の反対、全霊界の反対を受けても変わらないで、私の様な不変の姿勢をもち、その愛と理想を追求したので、お前が成した国は私の国であり、お前が人類の為に探したものは私の国に違いない」と言われるのです。

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 ただ一つの願いとは何でしょうか。私が霊界に入る時、神様が私にどの様に対するかという事が問題です。私がそのみ前に立つ時、神様が王座に座っていて、御自身でも知らずに矢の様に駆け降りてきて、「御苦労だった」と抱き締めてキスをされながら「永遠の祝福がお前にある様祈る!」と言ってくださるその一日が願いです。その事を地上に残さないでは死のうとしても死ぬ事が出来ないのが真の父母の事情である事を知らなければ成りません。

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 家庭を救ったならば国家を救わなければならないし、国家を救ったならば世界を救わなければならないし、世界を救ったならば天宙を救わなければ成りません。そののちには神様迄解放しなければならないのです。全てのサタン迄も、神様迄も解放しなければならないのです。その様な立場にはまだ成っていないのです。その立場に迄行かなければならないのです。先生がその様な立場で仕事をする事が出来なければ、霊界に行って罪人の生活をしなければ成りません。自己の責任を果たせなかったという恥ずかしさ、ですから冒険をしているのです。

 霊界を全て解放してあげるのです。解放してあげ、「私が貴方方を解放させてあげたから私の為に生きなさい」というのではありません。「霊界では神様の為に生き、私がつくった基盤の上で、世界の為に生きなさい、生かしなさい」と言うのです。それが孝子の心であり、忠臣の心です。自分というものが中心に成り得ないのです。

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 アダムが責任を果たさなかった事で地獄の谷間に入っていったのを、逆に立って、羞恥と謀略と恨の心情をもって再び生命の道を開拓しなければならない道がどれほど悲惨なものか、誰も知らないのです。神様だけは知っている事でしょう。霊界に通じる人が文総裁の事を誰であるか祈祷する時、痛哭でしか答えられないという天の心情を聞くたびに、私が「お父様、何でもありませんでした」と答えると、神様は感謝の涙をどれほど流されるだろうかと考えました。

 その様な心情をもって出ていって、この様な事を宣布する事によって、神様が捕らわれの身から解放されるのです。そしてその事によって、私が霊界に帰る時、神様がアダムの千倍万倍の価値的存在として私を迎え、何千倍の喜びをもって私を歓迎したいと思われる様な自らにいかに成るかという事が、先生の生涯の目標だったという事を皆様は知らなければ成りません。

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