第四節 霊界、肉界の中心


 皆さんは、霊界について相当に気掛かりでしょう。世界には、多くの宗教がありますが、その宗教が行く道は、霊界と関係を結んで、永世という世界、永遠に生きる世界、すなわち神様と共に生きる世界を探して行くのです。そのような世界が宗教の目的地です。しかし、今日、宗教はどのように変わったでしょうか。だんだん堕落して、「宗教は、弱者たちが信じるものだ。我々人間に必要ないものだ。それは道義的な一つの表象として、人間たちが操作しておいたものだ」と結論を下す時代に入ってきました。

 宗教の中心になるキリスト教だけを見ても、そのようになりました。アメリカが全世界のキリスト教国家の代表国ですが、そのようなアメリカの家庭で育った人たちが、宗教を離れて、今まで自分勝手に暮らしています。
 世界の中心であり、すべての理想の中心である、その神様がいらっしゃる霊界を中心として理想を描いたそのようなキリスト教の中にいたのに、なぜそこから離れるようになったのでしょうか。

 第一の原因は、霊界があることをはっきりと知らなかったからです。知能をもった比較の能力がある人間なので、良い所があれば、悪い所を捨てて、そこへ行くようになっています。より次元の高い価値のある所があれば、そこに行くようになっています。それが人間の本性です。人間は、霊界の実存をはっきりと知らなければなりません。

 第二の原因は、神様を知らなかったからです。堕落によって神様との関係が断絶し、孤児として生きてきたのです。

 第三の原因は、霊界の中心になり、神様の中心になる愛によって関係が結ばれることが分からなかったからです。この三つがわからなかったのです。たとえ神様を知り、霊界を知ったとしても、愛を中心とした世界ということがわからなかったのです。

 愛がある所では、上がっても良く、下がっても良く、間にいても良いというのです。愛する夫が自分より高いといって嫌がったり、愛する妻が自分より低いといって、それを憎んだりしますか。一つになれば、自由に低い所から高い所に上がることもでき、高い所から低い所へ下りてくることもでき、中間にいることもでき、どこでも行くことができます。制限がありません。それで世の中では、「この世界は、一つの世界であるべきだ。統一の世界であるべきだ。平和の世界であるべきだ」ということをよく口にするのです。

 霊界と肉界、霊的な存在と肉的な存在も同じです。ここは神様の愛、神様が中心になっています。我々が普通考える堕落した人間は、神様が中心になっていません。

 人間は、心と体から成っていますが、それとは違います。次元が違うのです。心と霊界は違うのです。霊界と肉界とは、神様の愛を中心として言うのです。したがって、霊界と肉界が一つになるためには、必ず神様が介在しなければなりません。神様の愛が介在しないことには霊界はありません。神様を中心として霊界というものがつながるのです。

 「自分の心も霊だろう」と考えるかもしれませんが、混同しています。心は霊界ではありません。堕落したために、心は霊的世界と関係を結んでいません。いわば、骨のない人のようなものが、堕落した人間たちの心であると考えれば実感がわきます。骨のない人のような形態が、堕落した人間たちの心というものです。

 霊人体を見ると、霊人体も体的な要素があり、心的な要素があります。霊人体の心のようなものが、霊的世界です。それは必ず神様と関係を結んでいます。それゆえ、神様と関係を結ばずには、霊人体の心のようなものが生じないのです。霊と心が違うということを知るべきです。心は、神様と関係がないのです。神様が離れたのです。神様ご自身が関係することができません。神様が直接主管できないのです。皆さんの心は、ああしたりこうしたりと変わります。しかし、霊的世界、霊的存在は変わりません。それは、永遠に一つの目標を立てて、絶えず行くのです。それは、なぜそうなのでしょうか。神様の側に立っているからです。心は、人間内に属しています。行ったり来たりする人間内にあるのです。
 
 皆さんは原理を学んでいるので分かりますが、生心とは何でしょうか。生心とは、心と霊が合わさって、新しく一つの目的に向かって動くものです。神様を中心として、我々の良心と一つになり、理想的な自分をつくり上げ得る動機的心です。それで、その生心がなくては、霊界と真なる愛と関係を結べる、自体の根源を探すことができません。

 生心が自分に生じれば、体も喜び、全部それについていきます。自動的にこれらが一つになるのです。今まで、人間にとって一番問題になることとは、体と心が互いに離れているということです。霊的な力が自分に臨んで生心的起源にさえなるようになれば、心と体が自然に一つになるのです。そのような根本から革命が起こり、根本から是正する根源を発見できない限り、我々は理想を尋ねていく道理がありません。動機があってこそ結果が出てくるのです。宗教は生心を植えつけようということです。生心を中心として多くの宗教があります。ありとあらゆる形態があるのです。

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