第七節 三時代を行く人生路程


 人間は、お母さんのおなかの中にいてから生まれ、一定期間を地上で生きてから死を迎えるようになっています。人間は、この世に生まれる前には、お母さんのおなかの中で十カ月を過ごします。おなかの中にいる時、幼い胎児の自由には限界があります。胎児は、お母さんの栄養をへその緒で受け取って育つとき、二つの手を開いたり閉じたり、口を開けたりすぼめたり、二本の足でばたばたするのが精いっぱいです。

 しかし、その胎児には、お母さんのおなかの中が自由天地であり、生の全領域なのです。その胎児は、十カ月でこの世に生まれて育つようになりますが、それ以後の世界が、今日、私たちの生きている現在の地上世界であり、人間社会なのです。

 人はなぜ生まれたのでしょうか。愛のために生まれました。ですから、人は父母の真の愛に根を張って、父母の保護のもとに、愛の懐である腹中で育ち、物心のつかない二十歳までは、寝小便や排泄物が汚いことも忘れて喜んで消化できる、父母の愛の中で成長し、それから愛の相対者に出会い、互いに尽くし合う天理の愛に接ぎ木されなければなりません。

 そのような人生の過程を歩みながら、神様の愛がどのようなものかを体験すれば、神様の対象愛の実体圏が完成するので、(神様は人をして)息子や娘を生ませ、愛するようにさせるのです。

 この世に生まれた人間は、胎児期のお母さんのおなかの中に比喩される宇宙で、生を生きているのです。一言で言って、お母さんの懐のような宇宙で、人間の百年の生涯を生きているのです。胎児がお母さんのおなかの外にある人間の世界を知らなかったように、今日、地上世界で生きている人間は、死後の無形実体世界に対する実在が分からずにいるのです。

 お母さんのおなかの中で人間世界を知らなくても、実在として人間世界があったように、死後の世界もあるだろうと、ただ漠然とした心証をもっているだけなのです。しかし、はっきりとしていることは、人間の死後の世界に対する心証的な存在の可否にかかわりなく、霊界は確実に存在しているということです。しかし死後の世界は、人間が感知できる五官作用外にあるので、宗教を通した信仰をもって不信を克服しなければならないのです。

 人間の人生には三時代があります。動物界にも水中時代があり、陸上時代があり、空中時代があります。すべてのものがこの三時代を経なければならないのです。

 ところで、人は、万物の霊長であり、すべての万物を主管できる資格を備えるためには、人にも水中時代があって、いかなる存在よりも完全な生活体を備えなければなりません。次に陸上時代においても、いかなる動物よりも最高の資格をもった存在でなければなりません。次に、空中時代がなければなりません。

 しかし、人間には翼がありません。翼がないのにどのようにして飛ぶことができますか。飛び回るいかなる鳥や昆虫よりも、高く飛ぶことができ、遠くまでも飛ぶことができなければならないのです。そのためには、どのようにすればよいのでしょうか。それは、実体である肉身ではできません。どんなにジャンプしても、いくらも行かないのです。

 しかし、人間は万物の霊長なのです。霊的な存在である神様の主管圏であるとか相対的な位置に立つためには、その活動舞台が神様と同じでなければなりません。

 今日、電気や光でいうならば、光の速度は一秒間に三十万キロメートル進みます。それよりも、もっと早く作用することができるのが人間です。それが正に霊人体です。

 私たちは、この世に住んでいますが、この世の中だけがあるのではなく霊界があります。それでは、私たちが行くべき所、私たちが行って住むべき所はどこでしょうか。霊界です。霊界とは、愛の空気が充満した永遠の世界です。ですから、皆さんの一生は永遠の世界に入るための準備期間なのです。

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