第六節 真の愛に酔った本然の人間


 この世で最も神聖なものは何ですか。それは真の愛です。真の愛は、神様から出発します。神様が存在されるなら、それ以外の道はありません。神様が心から願われるのは真の愛の道であり、真の愛の道を通らなくては、神様の前に出ていけないことを知らなければなりません。

 神様は、愛を通して、見て、聞いて、食べて、触れてみたいのです。人間も、神様から愛の口づけを受けたなら、内部が爆発するような喜びを感じるはずです。神様の願いはここにあるのであって、ダイヤモンドや宝石を所有してうれしいとおっしゃるのではありません。

 人間の全身を見れば、人体は五感をもっています。人間は、誰でも五感の認識によって真の愛を感じ、確認するようになっています。目が真の愛に向かっていれば、その目は真の愛に染まって酔うようになっています。

 酔った瞳の色は、どれほど美しく光るでしょうか。真の愛に惹かれている人の、ほほえむその唇は、どれほど恍惚としたものか考えてみてください。人間の五感が真の愛に酔って動く姿、神様に向かって動く五感の調和がどれほど美しいだろうかと想像してみてください。

 そのような美しさを通した喜びは、神様お一人では体験することができないのです。そのような美しさは、相手がいてこそ体験するようになるので、それが神様が人間を創造された目的でもあるのです。

 真の愛に酔った瞳に触れてみたい、唇に口づけをしたい、心の旋律を一度奏でてみたいという美しい男性と女性がいれば、神様はどのようにされるでしょうか。真の愛のエバがいるなら、そのエバの心情世界を一度は旅行したいという思いをもたれるはずです。

 美しいエバの心情世界、心情圏がどれほど広く深いかを確認したいという衝動をもたれるはずだというのです。神様は、天地を創造された以上に美しい内容を所有しているアダムとエバの心情世界を旅行したいと思われることでしょう。
 
 神様は、真の愛の人間に対して、宇宙を旅行すること以上に、その心情世界を旅行したいと思われることは確実であり、アダムとエバの真の愛の心情世界を永遠に離れたくないという思いをもたれるでしょう。

 神様が人間を造られたのち、人間の真の愛におぼれて愛の迷子になったならば、世の中はどのようになっていたでしょうか。人間の中に神様がお住みになるようになるので、神様と人間が一つになってつくりだした世界は、喜びと美しさが充満した世界だということは確かです。

 真の愛が完成すれば、感応の神様は、その真の愛にどっぷりつかっても後悔なさらないはずです。真の愛の中ならば、どのようなことが起こっても、ひたすら喜ばれる方が神様であられます。真の愛の世界で人類が生きるとすれば、一生後悔のない幸福な生涯になることでしょう。また世の中に戦争の歴史もないはずであり、不満や不幸のない世界になっていたでしょう。

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