第七節 愛は極めて自然なところで成される


 私が幼いときにあった話ですが、ある日、鳥を一つがい捕まえて、二羽のくちばしを口づけさせる遊びをしたことがあります。二羽が口づけするのを見るために、巣を作って餌もあげながら観察したのです。その鳥たちが互いに愛し合って、楽しそうに歌を歌うのを見たいという子供心からそのようにしたのです。

 それは、すべての自然の道理をはっきりと知るための、一つの好奇心に満ちた実験のようなものでした。今考えれば、意地悪なことばかり続けていました。

 愛は自然な中で成されるということを、その後しばらくしてから悟ることができました。自然な中で、最高に自由な雰囲気の中で成されるものが真実の愛なのです。私が愛について正しく知っているのは、長年の実験を経た結果なのです。

 愛の価値を失った人を大学で教育して、何が変わるというのでしょうか。彼らは、みんな知識を蓄えるだけで、個人主義者になり、物質主義の信仰者をつくり出すだけなのです。テンジャンチゲ(注:肉、野菜などをみそとともに煮た汁物)は、土鍋に入れてこそ本来の味が出るのと同様に、人格修養も、愛を基にしてこそ所期の目的を達成することができるのです。

 世界文明は、美術的調和を整えた基盤の上で花を咲かせなければなりません。焼いたカルビは皿に盛らなければならず、テンジャンクッ(注:韓国風みそ汁)は土鍋に入れてこそ、本来の味を味わうことができるのと同じです。風味の良いテンジャンクッの味は、一度味わえばどこへ行っても忘れることができないのです。

 同じように、人間も風味の良い味に似たそのような愛に一度味をしめれば、変わることがないのです。甘いだけのインスタント食品にはすぐに飽きを感じるように、愛もインスタント食品のようにどこででも簡単に求めることができるならば、それは、真の愛だとはいえません。

 最近は、インスタント食品のように愛する人たちが、至る所に広がっていますが、それが問題です。香水風呂に入ったからといって、愛が深まることはありません。田舎に住みながら冷水につかって体を洗い、そして寝床に入る夫婦の愛のほうが、もっと純粋であり、長くたてば深まるものです。
 
 夫婦がキスをするために歯をみがくとすれば、それは自然な愛ではなく、歯みがき粉のにおいのために、その人だけがもっている固有の体臭を味わうことができないのです。歯をみがいてキスをする人を見ていると、その人は愛を味わうためにキスをするのか、それとも歯みがき粉のにおいを味わうためにするのか分からないほどです。

 皆さんが好きな、愛する人と出会えれば、抱擁したいし口づけもしたいのは、自然な異性間の本能なのです。「私」が環境と接しているのは、この宇宙を好きになるためです。それは、相対を探し出すための人間の自然な行為です。

 すべての人間が相対理念のもとで、男性は女性に対し、女性は男性に対するとき、そこには愛の秩序に違反する行為や事件はないのです。真の愛の秩序は、相対的な理念を基にして男性と女性が出会うときに生まれるのです。

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コメント / トラックバック2件

  1. 感謝の一言です。
    コンピューターで訓読できるなんて夢のようです。
    有難うございます。

    • お役に立てて、光栄です。よろしくお願いします。

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